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オーナーへメッセージ

2024年05月01日

2024年4月の記録

なんでもかんでも興味を覚えたら読み飛ばしているけれど、
私は何の専門家でもないことを忘れないようにしたい。
真摯な科学の追求には敬意を表する。
一方で、違うと感じ取る肌感覚も疎かにしないでいたい。

<今月のデータ>
購入8冊、購入費用10,929円。
読了10冊。
積読本322冊(うちKindle本153冊)。


ブック

複合汚染 (新潮文庫)複合汚染 (新潮文庫)感想
連載開始から半世紀。環境汚染、食品添加物、化学肥料、農薬。私たちはずっと同じことを心配してきたし、これからもそうなんだろう。科学技術は確かに人の生活を便利にしたけれど、やりすぎては健康や自然を損なう。著者は興味を持ったら突撃していく。専門家研究者にも地場の労働者にも、農家から屠畜場まで、"地べた"からの声を集めて書く。科学は、必ずしも全体を説明しえないし、物事を解決に導くとは限らない。日々の営みの中で、何かおかしいと感じ取る肌感覚こそ、自分が大切に思うものを守るために備わった人間の能力だと結論する。
一方で、当時の人々が心配し続けたPCBや有機水銀、排気ガスによる、奇形児や短命化のような明らかな健康被害は以降現れなかった。いや、その後使用し始めた諸々を含め、じわじわと人間を蝕んでいるのか。倫理的に問題がある表現かもしれないけれど、精子減少、肌荒れ、諸アレルギーや発達障害のように見えにくい形で、被害はあるんじゃないかという気が私はしているけれど、複合も複合、要因や自然のあまりの複雑さにそれこそ証明できない。先日は頸動脈疾患の患者の血管からマイクロプラスチックが検出される研究が報告されたとか。
著者の考察。英国紳士の嗜みとされたガーデニングは、農夫でない者が、時候や土と生命の関わり合いに気を留め、肌感覚を保つための社会装置だったと指摘する。日本人は戦後、経済成長のために労働者と農家を切り離してしまった。労働者は土や食物に対する感覚を失って、結果的に公害や農薬・食物添加物による健康被害を受けるまで気づかない鈍感な生き物になってしまった。それは現代、生産の場から遠く離れた消費者根性はますます、サプリやらトクホやら、本質を見失った情報に振り回される弱さを体現しているように思える。
いつから日本人は田畑に生える草を一本残らず抜かなければ気が済まなくなったのかの考察も興味深い。海外の有機農業の畑が草だらけなことに著者は驚く。自然農法なら草は味方だ。科学的にも理解が進んできた草と土の関係を考えれば、草を全て抜くのは合理的でない。著者はそれが始まったのは元禄時代ではないかと考察する。百姓は草の役割を骨身で知っており、全て抜いたりはしなかったはずだ。それを抜き始めたのは、農作業を知らないお上が口出しをするようになってからなのではないかと。では現代、草を抜くのはなぜかを、調べてみたい。
読了日:04月25日 著者:有吉 佐和子 ファイル

気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?感想
気候は常に変動している。国連やメディアが喧伝している"気候危機"は、人類が蓄積したデータが示す事実と食い違っている。科学を情報提供ではなく説得のために歪める現状を憂えた一流科学者による告発である。つまり、進行形で変動している気候の、それぞれの事象は真に変動しているか、一貫した長期トレンドを形成しているか、人為由来と証明できるか。それが明確でないまま脱炭素に莫大な公金と資源をつぎ込むことは、一部の人に利して、本当の問題から目を逸らさせるように感じる。国連や公益団体のレポートであっても、鵜呑みにしない事。
人為由来の異変と結論づけられないはずの研究結果を、一部研究者は語弊を許容し、政府や国連の公式報告書は明らかな作為や虚偽で社会的意思決定を誤誘導し、メディアは気候危機と恐怖を煽る。信じてよい科学を見定めるのがこれほど難しいとは。『極端な気象・気候現象の多くは自然気候変動(エルニーニョなどの現象を含む)の結果であり、10年または数十年規模の気候の自然変動は人為起源の気候変化の背景を成す。気候に人為起源の変化がなくても、極端な気象・気候現象は自然に発生する』。IPCC「極端現象に関する特別報告書(SREX)」
4月17日、ドバイで12時間に1年分の降雨があり、大規模な洪水が起きたとCNNが報じた。その締めくくりに『人為的な要因による気候変動で、ゲリラ豪雨は今後増えることが予想される』と述べた。これは虚偽の報道である。ゲリラ豪雨はたまの異常気象としてありうべき範囲で、人為起源であるかは証明されていないし、今の科学では人為由来と断定できない。そしてひとつの異常気象と気候変動の間を、一足飛びに結びつけてはならない。ただ気候変動により降水のムラが激しくなり、豪雨現象が増えている傾向があり得る、とは覚えておく。
読了日:04月20日 著者:スティーブン・E・クーニン ファイル

山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)感想
引き続き山頭火。焼き捨てた以降の日記や、「三八九」などに掲載した随筆を集めたもの。随筆は真面目に論じよう、努めて前向きになろうとする気配が無理っぽくてしんどい。かといって泥酔、乱行や不義理の自省と言い訳も度重なればうんざりする。働いて稼がずに生きる世過ぎが、そもそも私には理解しがたい。貧しい人にいただいた喜捨を、いい宿や酒に費やす是非やいかん。と眉をひそめたところで、こちらだって読みながら呑む酒が過ぎており、人のことを言えた義理じゃない。『ほろほろ酔うて木の葉ふる』。風流ではない。この降り積もる苦さよ。
読了日:04月14日 著者:種田 山頭火 ファイル

「わがまま」がチームを強くする。「わがまま」がチームを強くする。感想
ひとりひとりがそうありたいと思う働きかた。それを"わがまま"というワードで"より良い会社"を導きだそうという試み。それにはひとりひとりの社員がわがままを表明する力、上司・経営側にはわがままを引き出す力が必要になる。そのための取組みが種々書かれている。意見を表明する場のハードルを下げる、多数決は取らず議論して決める人を決める、決定権を分散・委譲する、情報の共有・透明化など。だからどれも経営側が仕掛けるべき案件なんだけどね。著者がサイボウズチームワーク総研になっているあたりも、経営陣の企みを感じる。
『手が空いていてぶらぶらしている人がいるくらいの余力がある組織じゃないと、イノベーションは起きない』。これは意見が分かれるところだ。"手が空いていてぶらぶらしている人がいる"のは経営者の精神衛生上、ラクではない。どちらかといえば、「社員には能力の120%くらいの負荷(業務量)をかけたほうが工夫し、結果として業務改善が進む」のほうが受け入れやすい。まあ、こう並べて見ると業務改善とイノベーションは異なるもの、とは言える。そして働かないアリ理論から言っても、余力論のほうが正しい。…と割り切れるかどうか。
読了日:04月09日 著者:サイボウズチームワーク総研

万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)感想
ジャンル「ブラッドベリ」。架空の世界で起こる出来事も、どこかにありそうな世界で起こる異変もあって、いずれも意表を突かれる。意外性のあるアイデアを組み合わせたというより、物語が勝手にそうなってしまった感が好い。自選と先に知っているせいかどれも読みごたえがある。広島の原爆報道に着想を得たと自ら語った「やさしく雨ぞ降りしきる」は世界の終末の一瞬を描いたもので、西暦2026年の設定である。こんな時世では、ほんとうに2026年にこのような光景が地球のどこかに現れるのではないかと、美しい一瞬が印象を残すゆえに哀しい。
読了日:04月08日 著者:レイ・ブラッドベリ ファイル

入門 山頭火入門 山頭火感想
山頭火の句が沁みるのは、その自然の只中における静けさや透明感だけでなく、どうしようもない我が身の、苦悩や諦観も込みで共感するからだ。しかし町田康を案内にその生涯を追うと、簡単に共感しえない業の深さや絶望が露わになる。町田康もまた自分を同じ側に置いて行為を重ね、心中を慮る。真面目、ゆえに懊悩し、酒に逃げ、見失い、全てをふいにしてしまう。ひと所を守る日常すら辛かった山頭火が行乞の旅に出たのは45歳。"解くすべもない惑い"を、見ぬふりや、自分を赦すことなく、直視し続ける人生は苦行だ。我が句は成ったと思えたのか。
放哉亡き後、井泉水から山頭火に南郷庵、堂守引継ぎの打診もあったという。断ったのは歩き続けることへの切迫感、らしい。昨日、放哉忌の記念行事が西光寺で営まれた。大勢が墓石に日本酒を注いだと新聞にある。酒に狂い、酒を断ち得ない自分、酔って乱行に及ぶ自分、どうしようもない自身を生涯抱えて、満たされることなく死んだ彼らが、孤高の俳人、地域の宝などと呼ばれて弔われることは、今はとても不思議に感じる。
読了日:04月07日 著者:町田康

何もしない何もしない感想
SNSのようなものをattention economyと定義し、それらに対して意識的かつ積極的に抵抗する行為として「何もしない」と題している。結果としては自分の時間を取り戻し、オフラインでありローカルであり自然への回帰などに結論する。そこまでの哲学やアートを引用したアプローチが、私には迂遠ではあった。ただ、「何もしない」ことは責任や義務の回避ではありえないという指摘、「注意」を向ける対象を選別するトレーニング、"外側に可能性をつくりだす"重要性などは興味深かった。『しないほうがよろしいのです』。
読了日:04月06日 著者:ジェニー・オデル,Jenny Odell ファイル

パンダのうんこはいい匂いパンダのうんこはいい匂い感想
タイトル買い。これも中国異文化ものね、と読み始めたら、そうでないもののほうが多いと気づいた。異文化=すべての知らないことと位置付けているためだ。異文化に触れると人間の幅は広がる。それにしても話題の振れ幅、というより、ネタの豊富さに驚嘆する。いち一般人の生活でこんなにネタある?ってくらい。東京在住で国際高校に進学する人生はこんなドラマチックになるんだろうか。いや、地方だから語ることが何もないなんてことはないし著者も転勤組なんだけど。中国の家族の話がやっぱり興味深いな。冷たい烏龍茶、まさに文化の深ーい相違。
読了日:04月05日 著者:藤岡みなみ ファイル

ロバのスーコと旅をするロバのスーコと旅をする感想
ロバの姿はなんとなくわかる。著者も、ごく普通の日本男子だ。しかし、彼らが歩いているのはいったいどこなのか、どのような風景でどんな匂いがするのか見当がつかない。イラン、トルコ、モロッコ。それぞれの土地でロバを手に入れ、共に歩く。ムフタールや警官は善意と職責から、歩く著者に声をかけたり世話したりする。豊かな土地であっても、複雑な民族問題など世情に不安定をはらむからこそ、理不尽とわかっているルールでも旅人に強制しないとならない。そこを徒歩でなんて、そりゃ疑わしく思われても仕方ない。よくぞ無事だったものだ。
読了日:04月02日 著者:高田 晃太郎


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

Posted by nekoneko at 16:45Comments(0)読書

2024年04月01日

2024年3月の記録

読み過ぎである。
引越作業の多忙で読めなかった反動、と言えばそうだが、
逆に引越が落ち着いて手持ち無沙汰になったということだろう。
運動不足だし、情報過多。
腰を据えて読まなければ理解できないノンフィクションや、登場人物が多すぎる小説でなければ、読むことで自分にたいした負荷はかからないと思っていたけれど、実はかなり疲弊しているようだ。


<今月のデータ>
購入13冊、購入費用12,678円。
読了20冊。
積読本325冊(うちKindle本155冊)。


ブック

愚か者、中国をゆく (光文社新書 350)愚か者、中国をゆく (光文社新書 350)感想
香港に住む10年前、星野さんは香港中文大学に留学し、社会主義色強い中国を旅した。その20年後に訪れた中国は、資本主義色を濃くしていた。公共交通システムから何から、スケールが違う。広大な国土、桁違いの人口、国家の成り立ちに由来する非合理的で超平等な社会の在りかた。わが手に得られるものに対する熱量が尋常でない。星野さんはそれらに納得したうえで、資本主義を取り込んだ中国の行く先を危惧した。『中国では何かが起きる時、徹底的に、破壊的に起きるからである』。人々の長く培った飢餓感は今も暴走している気がする。"激烈"。
「国」がでかすぎて、中国は…と話していても、全体の話はできていない前提が常に頭の隅にある。多様な民族を内包しながら、よくもあの広さの「国」を保てていると改めて驚嘆する。
読了日:03月27日 著者:星野博美 ファイル

自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く (角川ソフィア文庫)自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く (角川ソフィア文庫)感想
「自閉症の子供は方言を話さない」という世間の認識を、専門家が調査する。そんなわかりやすそうなことがそれまで検証されていなかったのかと驚くが、学術的理論と現場の段差、それが最も大きそうだ。さて、自閉スペクトラム症は社会性の障害と言われる。子供が母語を習得する過程で必要な、家族など周囲の模倣や意図の読み取りに難があること、他方で繰り返し見られる映画やアニメからは言語を学びやすいことにこの現象が繋がってくると知った。社会的意味や心理的距離は理解が難しくても、ひとつ用法を覚えれば方言を使うことはできるのでは。
読了日:03月23日 著者:松本 敏治 ファイル

ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)感想
なぜこの小説を読もうと思ったのだったか。猫でも犬でもなくても、毛が生えて温かくてまっすぐ見つめてくる生き物、それだけで人は愛着を持ってしまう。タイトルに埋葬とあれば、身構えつつ読まざるを得ないではないか。主人公は独りだ。やって来る人々も独りだ。主人公は見知らぬ五人家族の写真を買って飾る。家族を想像する。独りでなくなりたかったのだろうか。娘を伴侶にして二人になりたかったのだろうか。身勝手でブラフマンに冷淡な娘を、ほんとうに?
読了日:03月20日 著者:小川 洋子 ファイル

読書アンケート2023――識者が選んだ、この一年の本読書アンケート2023――識者が選んだ、この一年の本感想
月刊誌「みすず」で読んでみたいと思っていた読者アンケートは、月刊誌「みすず」が休刊になり、単独で冊子として発刊された。内容は、各界知識人139名が、2023年に読んだ本で印象深かった本を数冊挙げ、所感を添えるもの。寄稿した知識人のうち私が知っているのは数名で、挙げられた本に至っては700冊近いなかで数冊という、自らの教養と関心のへっぽこぶりを思い知らされた。絶版で読みそびれているイスラエル人作家アモス・オズは、取り寄せて読む。何人もが挙げたデイヴィッド・グレーバー「万物の黎明」は、ひきつづき頑張る。
「万物の黎明」について。『(偶像を)破壊するだけの天才はけっこういると思うんですけど、グレーバーの場合、なぜ破壊しなければならないのか、破壊した後に何が立ち上がるのか、という本人のヴィジョンが明確なところが一線を画しているんだと思います』。ブレイディみかこ
読了日:03月19日 著者:

園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)感想
再読。自由にできる地面を手に入れた途端、私は飽かず眺めては、ああするのはどうだろう、ここはどうしたらいいだろう、あの木は植えたい、これも植えたい、植える場所がまだ決まってないのに球根が届いてしまった、枯れ木のような枝をいつまでもにやにや眺めている、他所様の田畑の草花が羨ましい、など、それはもうチャペックの描くアマチュア園芸家そのものに他ならないのに気づいて、微笑ましく思うのだ。しかしそこには自然に通じるなにか深遠なものがあると、これもこの歳になって気づいたことだ。『一年じゅう春であり、一生、青春時代だ』。
『未来は、わたしたちの先にあるのではない。もうここに、芽の形で存在しているのだから。未来は、もうわたしたちといっしょになっている。今わたしたちといっしょにいないものは、未来になっても存在しないだろう。わたしたちには芽が見えないが、それは芽が地面の下にあるからだ。わたしたちに未来が見えないのは、未来がわたしたちの中にあるからだ。』
読了日:03月19日 著者:カレル チャペック

なんでもないもの 白洲正子エッセイ集<骨董> (角川ソフィア文庫)なんでもないもの 白洲正子エッセイ集<骨董> (角川ソフィア文庫)感想
先日、実用にしなそうな漆芸の箱に惚れ、迷いに迷って購入を申し出た。結局は抽選に外れて手に入らなかったのだが、待っている間に白洲正子の「買ってみなきゃわからないのよ」を思い出した。各媒体に書かれたエッセイ。このざっくばらんな、真実を言い刺すような物言いが好きで、憧れる。先の名言は、続けて日常に使うことをも勧める。使ってこそ眼は養われ、日々の愉しみは増し、ものに味がつくのだと。陶磁器や工芸品、古道具は年々好きになっていて、安いものから気張ったものも、遅まきながら好事家になってみようと、こっそり企んでいる。
『私はあえて「発見」という言葉を用いたが、古いものの中から生活に合ったものを見出すのは、利休以来の日本人の伝統である。現代は独創ばやりの世の中だが、現在を支えているのが過去ならば、先ず古く美しい形をつかまねば、新しいものが見える道理はない。こんな自明のことを皆忘れている。忘れているのではなく、ふり返るのが恐ろしいらしい。が、伝統をしょって生きて行く勇気のないものに、何で新しいものを生み出す力が与えられよう』。
読了日:03月18日 著者:白洲 正子 ファイル

シャンタラム(下) (新潮文庫)シャンタラム(下) (新潮文庫)感想
インドから広大で殺伐とした戦地アフガニスタンへ。日々に溢れていた音楽がぱったり止む。リンはここでも徹頭徹尾当事者ではない。ただカーデルバイと友のために決断した成り行きから、そこにいる。ムジャヒディンたちの傍に居、ムンバイに戻ればまたマフィアの傍に居て、知己を弔う。嘯いてはみるが、自身に大義は無い。祖国を失った者たちはムンバイに吹きだまり、また戻ってくる。逝ったはずの者たちも戻ってきて涙を誘う。ああ、読み終わってしまった…。ムンバイに帰りたい。もう一度初めから、リンが愛した皆に出会いたい。カノをハグしたい。
『ときには正しい理由から、まちがったことをしなければならないこともある。大事なのは、その理由が正しいものであると確信し、自分はまちがったことをしていると認めることだ』とカーデルバイは教えた。マフィア稼業であり、戦争のことだ。カーデルは考え抜いた末にそう信じることで、マフィアの王であり続けた。しかしジョーパダパッティなら、貧しくとも、正しい理由から正しいことをするのが自然でいられるんじゃないのか、リン。仲間を喪って、死者を赦すことを覚えて、そのたび自由になって、リンはようやく帰る場所を見つけることができた。
人は結局は土地と女のために戦っているのだとリンは言う。自ら戦地に赴くムジャヒディンのような戦士のことだ。死への崖っぷちぎりぎりの血みどろの日々が続けば、ごたいそうな大義や理由など吹っ飛んでしまう。ふと現実に戻って、戦争行為をしている地のことを想像するとき、平和な地から戦争行為をつべこべ言うことの空々しさを思った。インドとパキスタンの戦争を題材にした「Raazi」を英語字幕で観ていたら、"nature of war"という言葉が目に焼き付いた。戦争の本質。戦争は守りたいものを守ろうとする人間の本質なのか。
読了日:03月15日 著者:グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ

1㎡からはじめる自然菜園1㎡からはじめる自然菜園感想
好きにしていい地面を手に入れたので、2平方メートルを自家菜園にすべく掘り返し始めた。ど素人としては、理想めいた方向で指南に沿ってとりあえずやってみるしかない。最初にだけ堆肥を入れて野菜が育つ土をつくったら、あとは草マルチと野菜自身の力で肥料の要を無くす。言うは易し。自分に自然農法ができるのか。それから母がよく言う連作障害、これを避けるための組み合わせプランがいろいろ紹介されている。イラストがまたかわいいのね。落花生から始めたいので、2区画、5月までに土づくり、そのあとに草の種を植えて育てます。
読了日:03月14日 著者:竹内孝功

人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来 (朝日新書)人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来 (朝日新書)感想
民主主義後退の点で知の巨人たちの見解は一致する。私は民主主義の終わりを目の当たりにしているのかもしれず、トッド氏の示唆する、民主主義の次に来る何かを心待ちにしたい気もする。いずれ、人口減少と外国への物的人的依存の克服には痛みを伴うのだろう。西欧vs.世界の様相も興味深い。欧米は直接的な植民地支配は止めても、経済的搾取やイデオロギーの押し付けを止めていない。一方、世界の諸国が持つそれぞれの論理は経済発展とともに明瞭になり、新しくて複雑な国家バランスが現れつつある。意思決定集団を細かく分割するのがよさそう。
安宅氏のAI談義を聞いていると、人間劣化促進機かブルシット・ジョブ判定機としか思えない。AI研究者であるウィテカー氏の指摘は正鵠を射ている。AIと名づけてしまっているそれは知能ではなく、感覚も持っていない、大規模な統計システムでしかない。それは政府や企業など権力者が、権力を簡単に行使できるようにするツールで、一般人を監視し、評価し、管理するためにある。懸念すべきはAIそのものの暴走ではなく権力の暴走。かつ、AIの喧伝によって誰が利益を得ているのかは常に考えておきたい。『現実から目を背けないでください』。
読了日:03月14日 著者:エマニュエル・トッド,マルクス・ガブリエル,フランシス・フクヤマ,メレディス・ウィテカー,スティーブ・ロー,安宅 和人,岩間 陽子,手塚 眞,中島 隆博 ファイル

海からの贈りもの海からの贈りもの感想
落合恵子訳版も読んでみた。格調の高さで有名な吉田健一訳よりもやわらかく、より自然なエッセイとして読め、むしろ物足りなく感じたくらいだ。リンドバーグ49歳の著作。以前読んだ時より私の年齢が近づいているので、当然に受け取れたのかもしれない。ひとりの時間について。やらなければならない事や気にかける事が多すぎて、家でひとりになっても自らを顧みる機会をつい後回しにして、ごぞごぞしてしまう。自らを"満たす"ためには、内なる静寂を感じ取るためのひとりの時間を自ら「切実に欲する」よう心がけたほうが良いとするのには同感だ。
読了日:03月10日 著者:アン・モロウ リンドバーグ

世界の終わりを先延ばしするためのアイディア 人新世という大惨事の中で (単行本)世界の終わりを先延ばしするためのアイディア 人新世という大惨事の中で (単行本)感想
物語は人を動かす。その文脈で言えば、『私たちはひとつの人類である』という物語に私たちは縛られているのではないか。アメリカや西欧諸国に過剰に迎合し、同じ規範によって行動しなければならないとばかりイデオロギーを取り込んできた。だから、著者の"ひとつの人類"でいることをやめようという提言には不意を突かれた。多様性を叫びながら、自分たちの意に沿わない少数民族の多様性を踏み潰し、収奪するやりかたには否を。まだ残っている自民族の智を、人類の均質化から注意深く拾い守る意志が、いつか世界の終わりを先延ばしする力となる。
著者はブラジルの先住民族、クレナッキ族である。ブラジルには2010年の時点で305の民族と274の言語が確認されている。しかし著者の生まれた1950年代以降、「白人の開発行為」によって先住民族は森と川を奪われ、著者も流浪を余儀なくされた一人である。民族と文化は凄まじい勢いで減っているはずだ。人食い人種などの俗説も白人が意図的に流布した嘘である。ほんとうは多様な英知を持った民であるにもかかわらず、自分たちに抵抗するから迫害した。知れば知るほど反吐の出る所業だ。「万物の黎明」とつながっている。
西洋における概念と土着の叡智が一人の中に結実する様に感嘆したが、それだってどこか上から見ているような言い分であって、お前は何様だ。自ら恥ずかしく思うとともに撤回する。
読了日:03月08日 著者:アイウトン・クレナッキ ファイル

冬物語 (文春文庫 な 26-6)冬物語 (文春文庫 な 26-6)感想
この冬を多忙に送ったせいか、それとも更年期症状か、急に不安になって心臓が大きく打つようなことが増えている。南木さんの文章には薬効がある。南木さんがエッセイに書いた幼少期や闘病期の景色に途切れなく繋がるような、静かな短編集。南木さんが診た人、見送った人や、過去の自らを想いながら描いている。受け入れるほかない運命を、なんとか受け入れられるような心持ちになれそうな、静かな諦観が優しくて、身体の力が抜ける。焦りや不安が解けていく。『末期の目に映る空は見慣れたものより青いのだろうか』。この空は、あの人も見た空。
読了日:03月07日 著者:南木 佳士

デジタル生存競争デジタル生存競争感想
どうしてこの人はこんなことを言うのか。どう考えたら目の前の困っている人を無視して宇宙や火星に莫大な私財をつぎ込めるのか。世界的IT長者に感じていることへの答えに近い。ITにせよ科学技術にせよ、一事に秀でている人は視野が狭いというか、その一事を至上として物事を考えるのだろう。利益が出るか否かが評価基準になり、資本主義が寄ってたかって誉めそやした結果、見たいものしか見ない。そしてありもしない終末に脅えて、一人の人間としては、毛布に頭を突っ込んで震えているのと変わらない。それが排他的になれる理由なんだろう。
読了日:03月07日 著者:ダグラス・ラシュコフ ファイル

図解でわかる 14歳からの水と環境問題図解でわかる 14歳からの水と環境問題感想
①図解と易しい表現でわかりやすく、問題の根深さを理解させてくれる。水資源に極端な偏りがある中国とインド。干ばつに苦しむサハラ以南アフリカ。産業利用で地下水を枯渇させるアメリカ。さらに国にまたがる「国際河川」は関係諸国にはシビアな問題だ。ということはそこに資本主義企業が目をつけないはずがない。日本人としては水の問題というと自然災害がいちばんに挙がるが、上下水道の民間委託も国内に聞く話で、他人事ではない。そして『食糧の輸入は他国の水を奪うこと』は日本人には見えにくい、鈍感になりがちな大問題。
②当たり前のことながら、水は歴史上に帝国や都市を築いた基盤である。水は必ずしも人間の都合に合わせていつでも使える状況にはない。多くある場所(大河)では暴れるし、少ない場所(地下水脈)では探り当て、それを皆が使えるように技術を工夫することが豊かさだったのだ。世界各地で生み出された優れたシステムにはどれも感嘆するばかりだが、利用する人口の増加と、気候変動による環境変化で、持続可能性が脅かされている。
③気候変動により、自然環境は変化する。その変化によって影響を受けない地域はほとんど無いのだろう。自然災害によって、または水不足により生活が成り立たなくなって、人々は生きるためにと農村を捨てて都市へ集中する。産業と生活によって水は汚染される。これらの解決策が無いようにしか思えず、次巻を待つ。巨大ダム否定の流れ。国境を跨いで紛争の種になるだけでなく、日本でも山から海への循環が絶たれる弊害は前から言われ続けている。つくったダムを無くす…ことは現実としてあり得るのだろうか。
④人間が変えることができるのは、人為的システムの部分だけ。堤防や地下調整池は対処である。水を飲用水に変える技術はともかく、新しい技術と施設で何とかしようとする取組み、特にCO2削減を掲げた水素エネルギーという、環境負荷を結果的に増やすやつを紹介してどうする。節水という微々たる「解決のために」も、14歳には身近に感じてもらうために必要かもしれないが、まったく解決策ではない。むしろどこから目標はCO2削減にすり替わったのか。この締めくくりが非常識になる未来を願う。
読了日:03月05日 著者:インフォビジュアル研究所 ファイル

ラーマーヤナ―インド古典物語 (下) (レグルス文庫 (2))ラーマーヤナ―インド古典物語 (下) (レグルス文庫 (2))感想
あっという間に読み終えてしまった。ラーマ王子は無事シータ姫と相まみえ、国へ戻り、正しく治めました。おしまい。バールミキがその顛末をラーマの息子たちに伝え、語り継いだ。という形になっている。ラーマの治世は千年続いた。ラーマはヴィシュヌ神の生まれ変わりだからね。でもヒンドゥー教の神話じゃなくて"叙事詩"で、お話だけど、ラーマが大縦断したアヨージャからセイロン島まで、実在の地名がわかっていて、史跡があったりする。ラーマの名を取った地名や廟がある。少なくとも紀元前2世紀から語り継がれる物語。スケールがでかすぎる。
カイケイー妃とマンタラーのくだりは絶妙だ。人が悪い気を起こすのに悪魔は必要ない。すぐ後悔してももう元には戻せない苦み加減が好き。インドラジッドの葬列はきっとヒンドゥーの様式そのままなのだろう。火は浄化を意味するのか、象徴的に使われる。物語の中で、悪魔にさらわれたシータは火の中をくぐって純潔を証明しなければならない。シータは悪いことしてないのに。ジャーハルを連想し、また女を火に入れるのかともやもやした。インドとセイロン島の間はGoogleで見ると大きなエンジェルロードみたい。橋のエピソードはいかにもだなあ。
読了日:03月04日 著者:河田 清史 ファイル

病気にならない食う寝る養生: 予約の取れない漢方家が教える病気にならない食う寝る養生: 予約の取れない漢方家が教える感想
著者のツイッターが好きで、日々読んでいるおかげで、中医学の考えかたが自分に根づいてきたと感じる。春だから、新月だから、からだの調子がこうなのだとわかっていると、楽である。この冬はわかっていながら無理をしたので、昨日は部屋に転がって日向でこれを読んでいた。今作は食べることと寝ることに特化している。むしろそこを改善するだけでたいていの不調は解消する。対処薬の要らない身体でありたい。食べものの性質を覚えるのは苦手。つまり、旬のものを、温かくして、よく噛んで、いろいろ食べる。睡眠は問題なし。身土不二、心がける。
読了日:03月03日 著者:櫻井 大典 ファイル

ラーマーヤナ―インド古典物語 (上) (レグルス文庫 (1))ラーマーヤナ―インド古典物語 (上) (レグルス文庫 (1))感想
ラージャマウリの流れからつい買ってしまった。難解かと思いきや子供にも読める訳文で、インドを舞台にした長い昔ばなしみたいだ。序の解説には、これは吟誦詩人たちが口伝で各地に拡め、それはインドのみならず東南アジアまで広大に伝わる、誰でも知っているお話だという。勇者ラーマが艱難を乗り越え、聖者の力を貰いながら悪魔と戦う物語を、みな固唾をのんで聴き入ったことだろう。その構図は、形式も中身の構成も現代の映画と同じだ。楽しみの中に核と力がある。そしてシータ、いったいなぜなんだー!
読了日:03月02日 著者:河田 清史 ファイル


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

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2024年03月01日

2024年2月の記録

引っ越し、実家に置いていた本も運びこんだ。
えいやっと造りつけた本棚に納めると、案外空間があった。
まあ、3列詰め込んだ区画もあるからこんなものかな。
と思っていたところ、また違う場所から本が出てきた。
引っ越したら買おうと思っていた本も続々届く。



<今月のデータ>
購入23冊、購入費用32,485円。
読了9冊。
積読本334冊(うちKindle本161冊)。


ブック

英国一家、日本をおかわり英国一家、日本をおかわり感想
前回家族で訪れてから10年、再び一家が来日した。とはいえ前作以来あちこちに人脈ができたようで、単独来日しては各地を取材した記録も混じっている。相変わらずの興味を持ったら深掘り体質、一見お断りの店からフードフェスまで片端から食べ、調べ、呑む。柿右衛門窯で人生を懸けんとする職人の姿に理解できない様子を見せるが、厳格に決められた手順や調理法の先に最高を究めようとする在りかたに著者は気づき、賛辞を贈る。これを日本固有とは思わないが、外来のものを日本なりに極みへと突き詰めてゆくのは確かにお家芸、あらまほしき姿だ。
読了日:02月29日 著者:マイケル・ブース ファイル

「ユマニチュード」という革命: なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか「ユマニチュード」という革命: なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか感想
ユマニチュードは、ケアの技術であり哲学である。手のひらの持つ能力を活かすケア技術と聞きかじりで認識していたけれど、それだけではなくて、ケアされる人の身体ではなく気持ちに働きかけて動かすことで、互いに協力し合う自然なケアをしようとする取り組みだ。相手をちゃんと見つめ、話しかけ、優しく広く触れ、一日トータル20分でも立ってもらう。立つことができれば寝たきりにはならない。『人は死を迎える日まで、立つことができる』。それは本人にも、ケアする周りにも、福音ではないか。最期まで自律を尊重する姿勢に理想を見る。
自宅に独りであれば、立つことができなくなるとき=死ぬときである。病院や施設では、ケアを中心にした環境になることで、ケアする側には十全なケアをしようとして本人ができることもさせないシステムに組み入れ、ケアされる側もケアされる役割に甘んじて自力でできるはずのこともしなくなれば、云わば寝たきりをつくるようなものと考えてみたりする。だから日本の老人が施設で過ごす年月が欧州の国に比べて長いのか、とか。それは不自由だし、不自然だし、自分はそんなの嫌だよな、と思って、先の上野さんの「在宅ひとり死」に行き当たったのだ。
読了日:02月24日 著者:イヴ・ジネスト,ロゼット・マレスコッティ

在宅ひとり死のススメ (文春新書 1295)在宅ひとり死のススメ (文春新書 1295)感想
病院死、施設死を経て、自宅死へ。日本人の「死」へ至る道は年々変化している。高齢者は施設に入れるものとの共通認識も薄らぎ、今は人々の希望もかかるコストも、自宅が望ましいと目算される。公的保険で賄えない部分が心配だが、専門家に聞いたところでは緊急コール、訪問介護、保険外自費サービスをフルに使っても月額160万円程度。末期の数カ月なら貯金でなんとかなりそう、と思わせる。"在宅ひとり死"予備軍として、介護保険の動向は気を付けておきたい。年寄りの独居は決して可哀そうではない。ガンでも認知症でも…認知症はまだ怖いな。
祖父は施設で独りの時間を狙ったように朝方逝った。自宅での逝き時に息子が名残惜しんで救急車を呼んでしまい、祖父には望まぬ余生のおまけがついてしまった。動きもしゃべりもできず、さぞ悔やんだろう。逝きかたは家族ではなく、本人が決めるもの。家族の都合で決めた処しかたは、いずれにも後悔を生む。親にも、伴侶にも、自分にも、そのことを肝に銘じ、より良い方策を選びたい。
読了日:02月24日 著者:上野 千鶴子 ファイル

RRRをめぐる対話 大ヒットのインド映画を読み解くRRRをめぐる対話 大ヒットのインド映画を読み解く感想
ラージャマウリの「RRR」について、背景や台詞の真意など、一般日本人にわからない事柄を説明してくれる。特筆すべきは叙事詩「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」だ。台詞のそこここや物語の形に、自分たちの知悉した古き物語のパターンが踏まれていることがインドの、特にテルグの人々には直感され、より楽しんだと知って羨ましく思った。国家として独立して100年に満たないとしても、あんな広大な国家を仮初にも束ねるものは物語である。もちろんその物語を我がものと思わない地方の人々にも、独立運動の翻る旗は訴えるものがあっただろう。
叙事詩を踏んでいる点はひとつ前の「バーフバリ」もおなじで、物語として「そうでなければならなかった」流れが腑に落ちた。すごいなラージャマウリ。ちょっと「ラーマーヤナ」に挑戦してみたい。日本には日本の、そういう"原形"や"原風景"があるのだろうけど、私たちは知らず読みこなしているのだろうか。インドの前に日本のそれを読み解くのが先だろう、という気もする。古事記か。
読了日:02月22日 著者:山田 桂子,山田 タポシ

北海道犬旅サバイバル北海道犬旅サバイバル感想
『銃と犬と荒野へ』。惜し気に寝かせていたのを手に取ったのは、ナツの失踪を聞いたからだ。もしナツがいなくなった後では、もうこの本を読むことはできないと思った。服部文祥の旅の集大成。さらりと読んでしまうが、そこには彼ならではの計算と選択の連続が記録されている。女神ナツ。服部文祥は衒いもなく「かけがえのない存在」と呼ぶ。20分、3時間といなくなる度、動揺し逡巡する。最後に貰った餞別に暴走する服部文祥は全くストイックではない。食べものへの執着の凄まじさは生体としての本能なんだろう、ポリンキーめんたいあじもきっと。
『ナツと登山や猟を三年間ともにして、こうして北海道を一緒に旅できる相棒になったいま、ナツは私にとってかけがえのない存在で、とてもドライに接することなどできない』。『ナツの存在そのものが私にとってやり直しの利かない一方通行のようなものだ』。愛おしい。しかし事故を恐れて家に閉じ込めることはできない。お互いに山と猟を愛する相棒である限り。そういうところが、服部文祥なんだよなあ。ナツ見つかって、本当に良かった。今は本人は自分を責めているだろうけれど、再び旅に出るんだろうなあ。だってナツはまだ若いもの。
読了日:02月18日 著者:服部文祥

バスドライバーのろのろ日記――本日で12連勤、深夜0時まで時間厳守で運転します (日記シリーズ)バスドライバーのろのろ日記――本日で12連勤、深夜0時まで時間厳守で運転します (日記シリーズ)感想
47歳にして教師からバス運転手へ転身。生徒の心が育つさまは見る機会がなかなかないが、バスは物理的に動かす実感がある。と勘繰るぐらい、大きな決断だ。規則を遵守し、乗客に気遣いができる。こんな真面目な性根の人が最終的に辞めたとはどんな捻じれた力学が働いたかと危惧するも、健康上の理由では仕方がない。真面目の反面として、ひとつの嘘と体裁から苦しい心理に追い込まれていくのが辛い。懲罰主義的な会社の方針は、人間の安全を守るためとはいえ、著者の心持ちを萎縮させ、保身に回らせたのも事実。もう少しやりようがありそうだ。
個室に缶詰めで反省文や誓約書を書かされるあたりで、「反省させると犯罪者になります」を思い出した。原因究明と事故回避策は重要だ。しかしそれは当事者に何度も書かせたところで根絶できるものではないし、本人に屈辱感しか残らないとあれば本末転倒だ。ミスや事故の件数の見える化も、効果が限られると同時に、職場の雰囲気づくりに寄与しない。大きなグループ企業の改革はなかなか難事業だと溜息が出た。
読了日:02月17日 著者:須畑 寅夫 ファイル

じぶん時間を生きる TRANSITIONじぶん時間を生きる TRANSITION感想
コロナ禍を機に、人々の中に価値観の転換が生まれ始めたという。地方在住、しかもリモートワークできなかった建設業勤務には実感のない話だ。それ東京の話やろ、という冷めた感覚が否めない。そしてこれもまた東京お得意のブーム煽動ではないのかと疑う。だって著者の言う新しい豊かさ、それは全然新しくない。ただ気づき、回帰していく動き、それは歓迎すべきだと思う。そして自我肥大が薄らいで地面に根っこをおろせるといいですね。最近テレビもSNSも遠ざけているので、東京の喧騒が遠ざかって心安らかだ。好い。これもtransition。
読了日:02月14日 著者:佐宗邦威 ファイル

いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)いま見てはいけない (デュ・モーリア傑作集) (創元推理文庫)感想
サキを想起させる意地の悪さ、底なしである。さらにクリスティの観察眼も持ち合わせているとあれば、読むのをやめられるわけがない。好き。ぼんやりした結末などあり得ない。直感や偏見、強い感情が行動を呼び起こし、行動は思いがけず烈火のごとき運命を呼び込む。読みながら、「あーーー」、「もうだからさ~~~」の連続だった。「ボーダーライン」の隻眼の男のメンタリティは気になるし、「十字架の道」の少年が夢見る世界人類共通の祝祭への周囲の大人たちの感想も聞いてみたいところ。棘で傷だらけになる人々を見守る自分も残酷の一部かも。
読了日:02月12日 著者:ダフネ・デュ・モーリア ファイル

還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方 (講談社現代新書)還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方 (講談社現代新書)感想
昔の60歳は今の75歳と体力や老化の程度が同じであるとのデータがある。そして歳を取ったからと活動を縮小するのはナンセンス、働くこと、学ぶこと、旅すること、楽しむことに遅すぎることはないと出口さんは言い切る。一方で変わりゆく日本社会について、社会保障や企業のありかたなど、考え方のアップデートを指南する。自分の世代の損得ではなく、若い世代の未来を想って行動できる、こういう考えかたを良識と呼ぶのだろう。気づいたのは、SNSにはエピソードが多いこと。他者のエピソードに引かれて、全体を見誤らないようにしたい。
読了日:02月03日 著者:出口 治明 ファイル


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

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2024年02月01日

2024年1月の記録

年末年始はニュースフィードに書評が溢れた。
あれもこれも面白そうだとは思ったものの、
人は皆嗜好/指向が違うものだという事実は忘れずに読む本を選びたい。
あと、深さもある程度見当をつけられるはずなので、
話題の本でも底の見当がつくものには手を出さないようにしたい。
と言った端から買ってしまった。

<今月のデータ>
購入14冊、購入費用13,636円。
読了13冊。
積読本321冊(うちKindle本159冊)。


ブック

武漢コンフィデンシャル武漢コンフィデンシャル感想
フィクションである。不謹慎か。でも面白かった。武漢という土地は中国の要衝として歴史が深く、病毒研究所も擁するとあっては、そちら系の人々が水面下で血眼になった様が改めて想像される。新型コロナの蔓延さなか、手嶋さんの血も騒いだのだろう。2019年の武漢をプロローグに、列強に蝕まれた時代の武漢、ワシントンDCの炭疽菌テロ、日本陸軍の七三一部隊、雨傘運動下の香港と、各国を股にかけて物語は進む。たくましく、また美しいひとの物語。しかしいつもの幅広い知識・教養が騒々しい。大国の遣りくちに甲斐なくもため息が出た。
読了日:01月31日 著者:手嶋 龍一 ファイル

首都消失 (徳間文庫)首都消失 (徳間文庫)感想
1983-84年の新聞連載小説。東京、ブラックアウト。通信も交通も遮断される。日本ごと沈めなくとも、首都を機能不全にしただけで国の存在すら危うくなる。その設定の下に描かれるのは、打ちひしがれる国民ではなく、日本の未来のために闘う男たちだ。戦後の混乱を見た壮年と、知らず現状に憤る若者の反発も絡めつつ、日本国家が民主主義と独立を維持するために何をやらなければならないかの模擬が続く。なかでも防衛(外交)は熾烈な捻じ込みが続き、日本の平和というやつの脆さが強調される。やりすぎに感じるが、当時の共通認識だったのか。
読了日:01月24日 著者:小松左京 ファイル

帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年 (集英社文庫)帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年 (集英社文庫)感想
福島県浪江町、旧津島村。2011年の原発事故による放射能汚染がひどく、住民の帰還の見通しが立たないまま10年が経過した。朝日の連載。600年の歴史がある旧家も、旧満州から引き揚げた人々が命がけで開拓した田畑も、住民が戻ることなく朽ち、草木に覆われていった。故郷を『予期せぬ理由で一方的にはく奪される』痛みが全編に滲む。詮無い仮定だが、もし、戻れる目処が示されていたら、痛みは和らいだか。人々はもっと帰還できたか。今の能登に既視感を覚える。必ず故郷に戻れると、国が被災者に明言しなきゃ、離れられないだろうに。
読了日:01月22日 著者:三浦 英之 ファイル

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)感想
自閉症の人と私はどこが違うのだろう。そのヒントがあれば、接するとっかかりも得られるかもと思った。しかし、五感の知覚、言語や記憶処理、感情制御などどれも私とは違う形で発達しているらしい。知性が劣るとか鈍いとか、そういうことではない。人の目を見て発話できないのは私と同じ。わかっていても「できない」。この本は文章による表現という手段を手に入れた著者が13歳の時に書いた。この本の出版を、自閉症の子供を持った世界中の親たちは歓迎したという。子供の心の内面や行動の理由を理解したい。その手掛かりを得たい切実さを想った。
読了日:01月21日 著者:東田 直樹 ファイル

シャンタラム(中) (新潮文庫)シャンタラム(中) (新潮文庫)感想
なんということ。辛すぎる。失われた笑顔、失われた友情。ムンバイは違いすぎる人間がごった混ぜかつ過密だけど、自分以外の人間がいるから生きていけることを強烈に思わせる。裏切りも投獄も、苦境から舞い戻るリンの姿はかっこよすぎるくらいだ。しかし愛する人を失ったリンの、なんと弱っちいことか。『インド人みたいな心はどこにもない』。歌い、踊り、楽しむことを彼らは独りでやらない。いつも誰かと、誰かのためにやっている。自分で選んだことも、誰かが選んだことによって自分が変わることも、全て編み上げるように人生は進んでいくのだ。
読了日:01月21日 著者:グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ

動画でわかる ヒモトレ入門動画でわかる ヒモトレ入門感想
母が脚に違和感を覚えているので対処を教えようと思い、前に読んだ「ヒモトレ革命」を探したが誰に貸したままなのか見当たらない。もはや本屋にも置かれていないので、別のを取り寄せた。ごく薄いが、ひもを使ったトレーニング方法とひも巻きのエッセンスはこれで十分。思いもかけない異分野の専門家たちが、実際にひもを使った効果を言語化しているのは非常に興味深い。身体にまつわる職業がら、素人のぼんやりした感覚とは精度が違う、"変化"が瞬時に知覚されるようなのだ。なんと不思議な人体。ともあれ、まずは巻いてみて、実感してもらおう。
読了日:01月19日 著者:小関 勲

アナキズム入門 (ちくま新書1245)アナキズム入門 (ちくま新書1245)感想
アナキズムって何。という疑問から。国家や権力というものがいつの時代も公平でない以上、それらへの反発や怒り、闘争を元とするアナキズムは、国家と同じだけ歴史を持つ概念ということになる。言葉で抽象的に突き詰めるのは好きじゃないし、その歴史にもあまり興味はなかったのだが、面白かった。狭義では政府や権力集中の否定、ただ広義にはコモンなど馴染みのある意味合いになる。そして人生を労働、生活、地域、自然環境に密接なものと前提して考えることは、私が普段感じていることごとと親和性が高い。クロポトキン。ルクリュ。気になる。
読了日:01月18日 著者:森 元斎 ファイル

ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う (講談社現代新書)ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う (講談社現代新書)感想
平均余命までの長い"定年後"を日本人はどう暮らそうとするか。企業の定年規定も年金受給も続々後ろ倒しになり、現役時代と変わらずフルタイムで束縛されて働くなんて人生は気が滅入る。老年期に入っても社会からは労働の担い手、個人としては老後資金の補填のためと語られることが多いが、その働き方は企業の対応如何ではなく、現役時代とは違うスタイルに変わるのだそうだ。短時間勤務や自営などに転じ、意識が学びや社会活動、家庭、趣味に振り向けられると知って安堵した。それにより人生の充足感も得ている、皆がそうなることを願う。
読了日:01月17日 著者:坂本 貴志 ファイル

ムスコ物語ムスコ物語感想
母に続き息子デルス君にまつわるエッセイ、こちらも興味深かった。マリさんと伴侶の決断に伴って世界を転々とする生活を強制されたことは、日本では奇特な性質を息子に備えた。マリさんはボヘミアンという捉えかたで書いたが、あとがきにデルス君は無謀な親たちに翻弄される成り行きを我慢していたと書き、母の思い及ばないくらい、母親の影響力というものは絶大なのだと知れる。ともあれ今後が楽しみな青年だ。NHKの番組に出演しては各国の著名人と語り合うマリさんが、差別や理不尽な出来事に遭うたび悪態をつきまくるのが意外かつ好ましい。
読了日:01月14日 著者:ヤマザキ マリ ファイル

ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ感想
地方移住の、ひとつのケース。ミュージシャン稼業が行き詰ってからの転身である。周防大島への移住も農業も、著者より奥さんに先見の明があったと言うべきか。移住し、比較的若手として地域の担い手となり、人の役に立つ。だけなら、こういう人生でなければ私も選んだかもしれないと思う。しかし、それだけでなく人を集めるイベントを企画して、地域や個人の営みを活性化し、またタルマーリーや森田真生氏ら、志向の合った人々が繋がっていくダイナミズムが、私には縁遠いものと感じる。ともあれ、やれそうなことをなんでもやってみる心意気は大事。
読了日:01月13日 著者:中村明珍

集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学感想
頼れるのは遠くの親戚より近くの他人。生活や街の設計は気になっている。著者は社会的インフラの持つ機能と重要性を説く。人々の対面での交流を促進するインフラは、住民の交流や互助行動を増やし、結果として人々のQOLを向上させる。そのための施設を新規に建てるのではなく、既にあるインフラに交流機能を持たせる、また違う機能を持つ施設を掛け合わせるなどの取組が目覚ましい。営利目的ではなく、遠慮や警戒をせずにいることができる、異質な人々がなにかを共有できる場所って大事。市民農園や緑地でもよいのだ。大事なのは排除しないこと。
読了日:01月06日 著者:エリック・クリネンバーグ ファイル

おやじはニーチェ: 認知症の父と過ごした436日おやじはニーチェ: 認知症の父と過ごした436日感想
去年ショーペンハウアーで締めたので、明けはニーチェで。周りがこれは認知症だと思ったら認知症なのだそうだ。著者は体は元気な認知症の父と同居することになる。目を離せないから、理不尽さに怒りながらも対話を繰り返す。その反応を理解したいと認知症関連をはじめ言語学、古典文学、哲学まで書籍を読み漁る。父をハムレットに重ね見るあたりなど、つい「まさに!」と納得しかけたが、やっぱりその人の元々の性格じゃないですか。幸か不幸かすぐ忘れるから、試行錯誤しながらやっていける。『忘れるということは、なんとよいことだろう』、か。
読了日:01月03日 著者:髙橋 秀実 ファイル

巡礼巡礼感想
物語はゴミ屋敷から始まる。臭いや不衛生も当然ながら、主の理解不能な行動に近隣の人々は苛立っている。拾い集めてまでゴミを溜め込む行為は確かに理解不能なのだが、顔の見える距離に暮らしていても、だらしないの悪いのと表層的に切り捨てて、元より知ろうともしない関係性が、皆を追い込んでいく。そして主に視点が移る。昭和らしい一家の年月。誰が悪いわけでもなく、人と人がただやっていくことが難しい。人の業や掛け違い、こじれた記憶が具現化したのだ。守る義務を課せられた者が家に絡めとられるやるせなさ。最後には手放せて良かった。
読了日:01月01日 著者:橋本 治 ファイル


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

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2024年01月05日

2023年の総括



2023年、読んだ本の冊数は170冊。
購入費用156,650円。
積読本320冊(うちKindle本157冊)。

ゴリラにせよインドにせよ、自分が世界を捉える視野の枠組ごと変えてみることは、相手の立場になって考えるとか、異なる切り口を探るなどの方法よりも、劇的にものの見えかたを変えると知った。意識して、一時的にでもフレームを替えることができれば、思いもかけなかった発想が現れる確率が高まると頭に留め、心がけたい。
また、西洋的な現代の思想の流れは片耳で追いつつ、西洋的でないもの、日本の古典を含め、アジアやアフリカ、各地の少数民族の思想を意識的に選んで読みたい。

2024年も良い本に出会えますように。


ブック

2023年、私の心に留まった本たち。

<人間は自然に敵わない>

園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)
カレル チャペック


土を育てる: 自然をよみがえらせる土壌革命土を育てる: 自然をよみがえらせる土壌革命
ゲイブ・ブラウン


土と内臓―微生物がつくる世界 ( )土と内臓―微生物がつくる世界
デイビッド・モントゴメリー,アン・ビクレー


家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている
ロブ・ダン


巨大津波は生態系をどう変えたか―生きものたちの東日本大震災 (ブルーバックス)巨大津波は生態系をどう変えたか―生きものたちの東日本大震災 (ブルーバックス)
永幡 嘉之



<西洋的なものへの違和感の自覚>

いのちの教室いのちの教室
ライアル・ワトソン


人類の星の時間人類の星の時間
シュテファン・ツヴァイク



<和への賛美>

お茶人のための 茶花の野草大図鑑 改訂普及版お茶人のための 茶花の野草大図鑑 改訂普及版
宗匠


新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫) 新編 日本の面影 (2) (角川ソフィア文庫)新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)
ラフカディオ・ハーン



<小説だから表現できるもの>

楢山節考 (新潮文庫)楢山節考 (新潮文庫)
深沢 七郎


シャンタラム(上) (新潮文庫)シャンタラム(上) (新潮文庫)
グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ


太陽の黄金(きん)の林檎〔新装版〕 (ハヤカワ文庫SF) 太陽の黄金(きん)の林檎〔新装版〕 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ

  

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