2023年09月01日
2023年8月の記録
『これは日本の文化一般に通ずる思想ですが、私自身も年をとるということは、ある意味では生涯で一番楽しい時期ではないかと潜かに思っているんです。というのは若い時には知らないで過ごしたさまざまなものが見えてきますからね』。
今月読んだ白洲正子の言葉。
いやー、ほんとに。
時間が足りないよ困ったなあ、とすら思うくらい、年々どんどん楽しくなる。
先日、インド映画「K.G.F」を観に行った。
単なるバイオレンスエンタメでしょ、と思っていたところが、
社会構造や、宗教と母性のつながりなど、いくらでも深掘りしたくなる。
見えてくる、の意味をしみじみ思う。
<今月のデータ>
購入11冊、購入費用9,824円。
読了16冊。
積読本323冊(うちKindle本157冊、Honto本3冊)。

文豪怪奇コレクション 恐怖と哀愁の内田百閒 (双葉文庫)の感想
内田百閒の作風を、そういえば知らなかった。怖いとか不思議とか感じる前に、呆気にとられる。怪異自体がわかりやすくないのだ。何が起きたのか、何を主人公が怖がっていたのか、わからないまま終わってしまうものも多い。だいたい主人公本人にもわかっていなかったりする。ただ、常ならざる雰囲気だったり、見えるものが異様だったり、気配がおかしかったり、形容しようのない状況の形容に巧みである。解りやすい「影」を好みと挙げておく。自身が疫病神なんじゃないかと、周りの人間の様子から察してゆく恐怖。次は「安房列車」を読みたい。
読了日:08月31日 著者:内田 百閒
ゼロ時間へ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)の感想
年々、小説を読みはじめるのが億劫になるようだ。人物を区別し、状況を把握するのが面倒で仕方ない。クリスティの凝った仕掛けとあらば気が抜けないから余計に。からの、一気読み。偶然の出来事も計算し尽くされた策略も、全てが集約される要の瞬間、それが"ゼロ時間"。ならば捜査や推理は時間を遡ってゼロ時間に到達する行為と言えるだろう。それにしてもたいした役者だった。読み返してみても言動に引っかかりが少なく、周りの人物のほうが余程不審な素振りを見せるのがクリスティの設定の妙。読むたび、クリスティ作品が好きだと思い出す。
読了日:08月30日 著者:アガサ・クリスティー
サステイナブルに暮らしたい ―地球とつながる自由な生き方―の感想
できることならサステイナブルに暮らす人でありたい。できる範囲で。さほど無理せずに。心地よく。自分にできる/できない、向いている/向いていない、さらに好き/嫌いは人それぞれだから、こういう本は全てががっちりはまる、なんてことはないのだろうな。著者夫妻の言うように、「今日正しいと思ったこと」をやれる範囲で積み重ねていくのが正解だと思う。それは息苦しい縛りではなくて、ゴミ(と自責)からの解放、選ぶ自由なのだ。取り入れたいアイテムは蓋がガラスのWECK、竹ざる、自家製へちま。クロモジって庭に植えられるのだろうか。
読了日:08月27日 著者:服部雄一郎,服部麻子
白い病 (岩波文庫)の感想
感染症を題材にした作品として、しかもチャペックで気になっていたのを、一箱古本市の店主から購入。こんなに短かく、また戯曲だったとは知らなかったと話したことだった。この物語は、悲惨な最期を迎える病そのものだけでなく、若い世代の行き詰まる世相や、為政者と軍需産業の戦争願望、さらに為政者の策略が大衆に飲み込まれ押し流されていく様子までを描いている。今と同じなのだ。戦争は狂った独裁者だけで始まるものではない。これを普遍と呼んでしまったら、人間はいつまでも愚かだと認めてしまうようじゃないかと狼狽える。希望ははかない。
読了日:08月26日 著者:カレル・チャペック
あなたの会社、その働き方は幸せですか? (単行本)の感想
このお二人が同級生とは、パワフルな組み合わせだ。二人とも数字とファクト、ロジックを持っているので、切れ味が良い。厚生年金保険の適用拡大や終身雇用の廃止、消費税の是非など、解説されると納得だった。労働が流動化することは企業のダイバーシティを促進する。すると人間の考える力が豊かになり新しい発想が生まれる。しかしうちのような、知識と技術だけでなく、特定現場経験の蓄積が物を言う業態である場合は、長く勤めてもらえるような待遇面のインセンティヴはやはり必要だろう。日本的経営が明文化されていないのは怠慢との指摘が痛い。
「育休中に浮いた人件費を他の社員に分与する」発想は私にも無かった。育休の間だけ臨時に人員を補充するのは、雇用管理面から言って面倒だし、中小企業ではまず無理。だったら、それ、やろう!
読了日:08月26日 著者:出口 治明,上野 千鶴子
新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)の感想
ラフカディオ・ハーン、明治23年来日、横浜から出雲へ旅立つ。イザベラ・バードの旅を連想するが、ハーンはもっと熱烈に、見聞きする全てを慈しみ、賛美する。いち日本人としては面映い。しかし観察する筆は写実かつ的確で、紛うかたなき日本の景色、風物、人である。出雲への旅、潜戸への旅、松江の居宅だった屋敷と庭の描写など、つられてうっとりしてしまう。文化や歴史にも造詣を深め、そこら辺の日本人では敵わない。出雲大社への昇殿を許された最初の西洋人として、ハーンほどふさわしい人物はいなかったんじゃないかと感服しきりだった。
『大橋から東の方角の地平線に、鋸の歯のような稜線を描く緑や青の美しい山々の連なりを望むと、神々しい幻影がひとつ空にそびえ立っているのが見える。山裾が遠くの霞に霞んで見えないので、空中にその幻影だけが浮かび上がっているようである。下の方は透き通った灰色で、上は白く霞み、夢かと見まがう万年雪をたたえた悠然たる、幻のような高嶺──それが、大山の雄姿である。』
読了日:08月24日 著者:ラフカディオ・ハーン
世界まちかど地政学NEXTの感想
藻谷さん相変わらずせわしない。Googleマップを駆使して追う私もへとへとである。この世界はどのように出来上がっているのか。重要なのは『何が「あるか」よりも、普通ならあるはずの何が「ないか」を探す観察力』と位置づけて世界を巡る。まさに百国百様、しかし違った中にも『同じ構造が繰り返し現れる』瞬間を追体験する。国内に産業が無いのに消費を煽る資本主義がねじ込まれている貧困国。歴史的条件と戦略の上に奇跡的な立ち位置を確立した小国。国体を維持することは、歴史の偶然と積み重ねのうえの奇跡を、智で先へ繋ぐ努力と見たり。
読了日:08月23日 著者:藻谷 浩介
問題はロシアより、むしろアメリカだ 第三次世界大戦に突入した世界 (朝日新書)の感想
三次元の物体を、角度を変えて見ると別のもののように見える。それと同じで、アメリカを筆頭とする西側諸国が一枚岩には見えなくなった。アングロサクソン系の国と、ロシア、中国、中東などは、家族の形態も相続方式も違う。それが互いへの許容できなさに影響している可能性を指摘している。日本とドイツはその間の共同体家族構造を持っているので、実はロシア側にも親和性がある。たまたま大戦に負けたために西側についている「状態」は、必然ではないのだ。総じて世界の価値観は、西側的でない国のほうが多い。それが持つ意味をじっくり考えたい。
あとアメリカの衰退。アメリカは『他国を戦争に向かわせることをする国』だとの指摘を池上さんは否定しない。私もアメリカのウクライナや台湾、韓国へのやり口にそれを感じる。戦争はアメリカの存在を誇示できる。戦争は奪える。戦争は儲かる。一方で、軍需品をアメリカ国内で十分生産できなくなったら、生産力のあるドイツや日本に生産させるよう圧力をかけるという予測も、ありそうで怖い。安倍以降、せっせと武器輸出三原則をはずしにかかっているのは、すでにその方向でアメリカから圧がかかっているとみてそう的外れでないのかも。
読了日:08月17日 著者:エマニュエル・トッド,池上 彰
悲しみの歌 (新潮文庫)の感想
その後30年経っても勝呂の懊悩は続いていた。善人であるところの勝呂が善で生きることができない世界。以前は、戦時下の非常、戦争の狂気ゆえと私は理由づけたのだった。ところが30年経ったって、多数の人々は自分の欲望や見栄ばかりで汚いことは他人に擦りつけている。本質は同じと著者は描き出す。どころか、平和ゆえの浅はかな正義感で人を簡単に糾弾するのだと。「くたびれていた」。言葉少なな勝呂の言葉から、他者が理解することは難しい。いつだって非難は簡単で、受容は難しい。『ほんとに、あの人、かなしかった。かなしい人でした』。
読了日:08月16日 著者:遠藤 周作
ソングライン (series on the move)の感想
ソングライン。白人が現れる前、オーストラリア全土にわたって巡らされた伝説の歌の道。言葉や血筋が違っても、アボリジニはその歌さえあれば通じ合うことができるという。アボリジニには"領土"と"道"が同じことばだ。乾燥した低木林や砂漠では降雨量が安定せず、定住できない。だから土地の保有ではなく、誰かに断りなく安心して居られる場所を道として保持しているというのは合理的なシステムだ。『歌われない土地は死んだ土地』。この物語は事実と虚構を織り交ぜて書いたものとあとがきで知った。ソングラインは実在するのか?と慌てた。
読了日:08月15日 著者:ブルース・チャトウィン
山陰土産の感想
遠出しない盆休みのお供に。島崎藤村は次男を連れ、山陰へ汽車の旅をした。当然、JR各駅停車よりさらに遅い汽車で、大阪から小郡まで10日余りかけた。東京とは比べるべくもない山野の"滴るばかりの緑"の深さに目を見張る描写など、街にも山野にも細やかな発見と描写をする様子は、列車が鈍行だからだけでなく、当時における旅行の珍しさと、持ち前の描写力だろう。土地土地の名士が訪れては親子をもてなし、名跡を案内する。羨ましいが忙しない。読もうと思ったのは、山陰の海岸の潜戸の描写があると聞いたからだったか。行くなら夏か。
読了日:08月15日 著者:島崎 藤村
撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて (犀の教室)の感想
日頃の内田先生の撤退論に馴染んでいる身には、各論者の撤退論にぴんとこないものも多かった。各氏の専門分野を考えれば、撤退の意味もいろいろで当たり前である。なので、青木真兵氏の、資本に完全に包摂されないように常に距離感を計る必要性や、想田和弘氏の、非常識に思える選択肢を吟味する重要性、平川克美氏の、資本主義社会からの『撤退は敗北でも逃避でもなく、パラダイムの転換である』という実体験など、内田先生の論と親和性の高いものほど印象に強く、また即ち暮らしの中に取り込んでいかなければと私の心持ちを後押しした。
読了日:08月15日 著者:内田樹 編,堀田新五郎,斎藤幸平,白井聡,中田考,岩田健太郎,青木真兵,後藤正文,想田和弘,渡邉格,渡邉麻里子,平田オリザ,仲野徹,三砂ちづる,兪炳匡,平川克美
タクシードライバーぐるぐる日記――朝7時から都内を周回中、営収5万円まで帰庫できませんの感想
今回は都内の大手タクシー会社に勤務するタクシー運転手。毎朝500台のタクシーが時間差で出ていくなんて、想像を絶する。職種柄、同僚や他社のドライバー、客と接触する人数は多いが、どこか淡泊で、意外に一人の時間が長い印象を受けた。心身ともに、自分を保つのが難しそうだ。「一番うまい店に連れてって」なんてテレビ番組があるが、それだって人によるよなあ。東日本大震災の直後。東京駅前には人が溢れ出し、人と車でみるみる渋滞して身動きが取れなくなって、「回送」表示にしても窓越しに乗車を懇願してくる人々の描写には鳥肌が立った。
読了日:08月14日 著者:内田正治
天路の旅人の感想
戦時下、西川一三は密偵の命を受け、内蒙古から西へ向かった。それは敵地の情報を探るという任務、しかし元々は見知らぬ地を歩きたいという本人の情熱ゆえとわかる。蒙古人のラマ僧を装い、読経と御詠歌を会得してまで、そこに帰国や安住のチャンスがあってもあえて先へ先へとまだ見ぬ地を思い描く、その魂の自由さがまさに"天路の旅人"だと沢木さんは感じたのだろう。帰国後、苦行僧のように一心不乱に記録をまとめ続けた3年、その後数十年の淡々とした生活との落差はやはり際立つ。何が幸せだったかなど考えても詮無いことだけれど。
読了日:08月11日 著者:沢木 耕太郎
日本の伝統美を訪ねて (河出文庫)の感想
白洲正子は好奇心旺盛な人だった。面白いと思ったら首を突っ込んでとことんはまる。結果として目が養われる。本質を掴む。あるいは自分の足で歩いて伊勢へ詣でる旅で、古人の実感を理解する。『だって、面白いんだもん。あたくし、いつでも面白いことが先に立つの』。だから彼女の言葉には惹かれる。着物、能、骨董など、長い伝統がある部類のものは素人が想像するよりずっと奥深い。知識だけでなく感覚で深く理解できるようになってはじめて、定石を踏まえたうえで拓ける境地というものがある、そのなにかひとつでも自分のものにしたいと憧れる。
『形がなかったら、心って表せないでしょ。心というのは、どっかにあるけれども、それを取り出して見せるといったら、やっぱり何かの形にしなくちゃならない。それは今も昔も同じだと思います』。『これは日本の文化一般に通ずる思想ですが、私自身も年をとるということは、ある意味では生涯で一番楽しい時期ではないかと潜かに思っているんです。というのは若い時には知らないで過ごしたさまざまなものが見えてきますからね』。
読了日:08月11日 著者:白洲 正子
LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれるの感想
「きく」ことにまつわるあれこれ。『「話を聞く」とは相手のおしゃべりを待つことだと思っている人が多い』という見出しに、私は相手が話し始めるのを待ってしまうのでそのことかと思ったら、相手の話が終わるのを待つという意味だった。全体的に、聴く以外のことをしたがる人が多いわね。私は他人に関心が無いのが欠点であって、相手を決めつけている訳ではないと思っているけれど、引っ繰り返せばそういうことなんだろう。あと聴きかた。集中して聞くのではなく、意識を緊張させない状態で受け止める感じがいいのかな。それと沈黙を恐れないこと。
読了日:08月04日 著者:ケイト・マーフィ
注:
は電子書籍で読んだ本。
今月読んだ白洲正子の言葉。
いやー、ほんとに。
時間が足りないよ困ったなあ、とすら思うくらい、年々どんどん楽しくなる。
先日、インド映画「K.G.F」を観に行った。
単なるバイオレンスエンタメでしょ、と思っていたところが、
社会構造や、宗教と母性のつながりなど、いくらでも深掘りしたくなる。
見えてくる、の意味をしみじみ思う。
<今月のデータ>
購入11冊、購入費用9,824円。
読了16冊。
積読本323冊(うちKindle本157冊、Honto本3冊)。


内田百閒の作風を、そういえば知らなかった。怖いとか不思議とか感じる前に、呆気にとられる。怪異自体がわかりやすくないのだ。何が起きたのか、何を主人公が怖がっていたのか、わからないまま終わってしまうものも多い。だいたい主人公本人にもわかっていなかったりする。ただ、常ならざる雰囲気だったり、見えるものが異様だったり、気配がおかしかったり、形容しようのない状況の形容に巧みである。解りやすい「影」を好みと挙げておく。自身が疫病神なんじゃないかと、周りの人間の様子から察してゆく恐怖。次は「安房列車」を読みたい。
読了日:08月31日 著者:内田 百閒


年々、小説を読みはじめるのが億劫になるようだ。人物を区別し、状況を把握するのが面倒で仕方ない。クリスティの凝った仕掛けとあらば気が抜けないから余計に。からの、一気読み。偶然の出来事も計算し尽くされた策略も、全てが集約される要の瞬間、それが"ゼロ時間"。ならば捜査や推理は時間を遡ってゼロ時間に到達する行為と言えるだろう。それにしてもたいした役者だった。読み返してみても言動に引っかかりが少なく、周りの人物のほうが余程不審な素振りを見せるのがクリスティの設定の妙。読むたび、クリスティ作品が好きだと思い出す。
読了日:08月30日 著者:アガサ・クリスティー


できることならサステイナブルに暮らす人でありたい。できる範囲で。さほど無理せずに。心地よく。自分にできる/できない、向いている/向いていない、さらに好き/嫌いは人それぞれだから、こういう本は全てががっちりはまる、なんてことはないのだろうな。著者夫妻の言うように、「今日正しいと思ったこと」をやれる範囲で積み重ねていくのが正解だと思う。それは息苦しい縛りではなくて、ゴミ(と自責)からの解放、選ぶ自由なのだ。取り入れたいアイテムは蓋がガラスのWECK、竹ざる、自家製へちま。クロモジって庭に植えられるのだろうか。
読了日:08月27日 著者:服部雄一郎,服部麻子

感染症を題材にした作品として、しかもチャペックで気になっていたのを、一箱古本市の店主から購入。こんなに短かく、また戯曲だったとは知らなかったと話したことだった。この物語は、悲惨な最期を迎える病そのものだけでなく、若い世代の行き詰まる世相や、為政者と軍需産業の戦争願望、さらに為政者の策略が大衆に飲み込まれ押し流されていく様子までを描いている。今と同じなのだ。戦争は狂った独裁者だけで始まるものではない。これを普遍と呼んでしまったら、人間はいつまでも愚かだと認めてしまうようじゃないかと狼狽える。希望ははかない。
読了日:08月26日 著者:カレル・チャペック

このお二人が同級生とは、パワフルな組み合わせだ。二人とも数字とファクト、ロジックを持っているので、切れ味が良い。厚生年金保険の適用拡大や終身雇用の廃止、消費税の是非など、解説されると納得だった。労働が流動化することは企業のダイバーシティを促進する。すると人間の考える力が豊かになり新しい発想が生まれる。しかしうちのような、知識と技術だけでなく、特定現場経験の蓄積が物を言う業態である場合は、長く勤めてもらえるような待遇面のインセンティヴはやはり必要だろう。日本的経営が明文化されていないのは怠慢との指摘が痛い。
「育休中に浮いた人件費を他の社員に分与する」発想は私にも無かった。育休の間だけ臨時に人員を補充するのは、雇用管理面から言って面倒だし、中小企業ではまず無理。だったら、それ、やろう!
読了日:08月26日 著者:出口 治明,上野 千鶴子


ラフカディオ・ハーン、明治23年来日、横浜から出雲へ旅立つ。イザベラ・バードの旅を連想するが、ハーンはもっと熱烈に、見聞きする全てを慈しみ、賛美する。いち日本人としては面映い。しかし観察する筆は写実かつ的確で、紛うかたなき日本の景色、風物、人である。出雲への旅、潜戸への旅、松江の居宅だった屋敷と庭の描写など、つられてうっとりしてしまう。文化や歴史にも造詣を深め、そこら辺の日本人では敵わない。出雲大社への昇殿を許された最初の西洋人として、ハーンほどふさわしい人物はいなかったんじゃないかと感服しきりだった。
『大橋から東の方角の地平線に、鋸の歯のような稜線を描く緑や青の美しい山々の連なりを望むと、神々しい幻影がひとつ空にそびえ立っているのが見える。山裾が遠くの霞に霞んで見えないので、空中にその幻影だけが浮かび上がっているようである。下の方は透き通った灰色で、上は白く霞み、夢かと見まがう万年雪をたたえた悠然たる、幻のような高嶺──それが、大山の雄姿である。』
読了日:08月24日 著者:ラフカディオ・ハーン


藻谷さん相変わらずせわしない。Googleマップを駆使して追う私もへとへとである。この世界はどのように出来上がっているのか。重要なのは『何が「あるか」よりも、普通ならあるはずの何が「ないか」を探す観察力』と位置づけて世界を巡る。まさに百国百様、しかし違った中にも『同じ構造が繰り返し現れる』瞬間を追体験する。国内に産業が無いのに消費を煽る資本主義がねじ込まれている貧困国。歴史的条件と戦略の上に奇跡的な立ち位置を確立した小国。国体を維持することは、歴史の偶然と積み重ねのうえの奇跡を、智で先へ繋ぐ努力と見たり。
読了日:08月23日 著者:藻谷 浩介


三次元の物体を、角度を変えて見ると別のもののように見える。それと同じで、アメリカを筆頭とする西側諸国が一枚岩には見えなくなった。アングロサクソン系の国と、ロシア、中国、中東などは、家族の形態も相続方式も違う。それが互いへの許容できなさに影響している可能性を指摘している。日本とドイツはその間の共同体家族構造を持っているので、実はロシア側にも親和性がある。たまたま大戦に負けたために西側についている「状態」は、必然ではないのだ。総じて世界の価値観は、西側的でない国のほうが多い。それが持つ意味をじっくり考えたい。
あとアメリカの衰退。アメリカは『他国を戦争に向かわせることをする国』だとの指摘を池上さんは否定しない。私もアメリカのウクライナや台湾、韓国へのやり口にそれを感じる。戦争はアメリカの存在を誇示できる。戦争は奪える。戦争は儲かる。一方で、軍需品をアメリカ国内で十分生産できなくなったら、生産力のあるドイツや日本に生産させるよう圧力をかけるという予測も、ありそうで怖い。安倍以降、せっせと武器輸出三原則をはずしにかかっているのは、すでにその方向でアメリカから圧がかかっているとみてそう的外れでないのかも。
読了日:08月17日 著者:エマニュエル・トッド,池上 彰


その後30年経っても勝呂の懊悩は続いていた。善人であるところの勝呂が善で生きることができない世界。以前は、戦時下の非常、戦争の狂気ゆえと私は理由づけたのだった。ところが30年経ったって、多数の人々は自分の欲望や見栄ばかりで汚いことは他人に擦りつけている。本質は同じと著者は描き出す。どころか、平和ゆえの浅はかな正義感で人を簡単に糾弾するのだと。「くたびれていた」。言葉少なな勝呂の言葉から、他者が理解することは難しい。いつだって非難は簡単で、受容は難しい。『ほんとに、あの人、かなしかった。かなしい人でした』。
読了日:08月16日 著者:遠藤 周作


ソングライン。白人が現れる前、オーストラリア全土にわたって巡らされた伝説の歌の道。言葉や血筋が違っても、アボリジニはその歌さえあれば通じ合うことができるという。アボリジニには"領土"と"道"が同じことばだ。乾燥した低木林や砂漠では降雨量が安定せず、定住できない。だから土地の保有ではなく、誰かに断りなく安心して居られる場所を道として保持しているというのは合理的なシステムだ。『歌われない土地は死んだ土地』。この物語は事実と虚構を織り交ぜて書いたものとあとがきで知った。ソングラインは実在するのか?と慌てた。
読了日:08月15日 著者:ブルース・チャトウィン


遠出しない盆休みのお供に。島崎藤村は次男を連れ、山陰へ汽車の旅をした。当然、JR各駅停車よりさらに遅い汽車で、大阪から小郡まで10日余りかけた。東京とは比べるべくもない山野の"滴るばかりの緑"の深さに目を見張る描写など、街にも山野にも細やかな発見と描写をする様子は、列車が鈍行だからだけでなく、当時における旅行の珍しさと、持ち前の描写力だろう。土地土地の名士が訪れては親子をもてなし、名跡を案内する。羨ましいが忙しない。読もうと思ったのは、山陰の海岸の潜戸の描写があると聞いたからだったか。行くなら夏か。
読了日:08月15日 著者:島崎 藤村


日頃の内田先生の撤退論に馴染んでいる身には、各論者の撤退論にぴんとこないものも多かった。各氏の専門分野を考えれば、撤退の意味もいろいろで当たり前である。なので、青木真兵氏の、資本に完全に包摂されないように常に距離感を計る必要性や、想田和弘氏の、非常識に思える選択肢を吟味する重要性、平川克美氏の、資本主義社会からの『撤退は敗北でも逃避でもなく、パラダイムの転換である』という実体験など、内田先生の論と親和性の高いものほど印象に強く、また即ち暮らしの中に取り込んでいかなければと私の心持ちを後押しした。
読了日:08月15日 著者:内田樹 編,堀田新五郎,斎藤幸平,白井聡,中田考,岩田健太郎,青木真兵,後藤正文,想田和弘,渡邉格,渡邉麻里子,平田オリザ,仲野徹,三砂ちづる,兪炳匡,平川克美

今回は都内の大手タクシー会社に勤務するタクシー運転手。毎朝500台のタクシーが時間差で出ていくなんて、想像を絶する。職種柄、同僚や他社のドライバー、客と接触する人数は多いが、どこか淡泊で、意外に一人の時間が長い印象を受けた。心身ともに、自分を保つのが難しそうだ。「一番うまい店に連れてって」なんてテレビ番組があるが、それだって人によるよなあ。東日本大震災の直後。東京駅前には人が溢れ出し、人と車でみるみる渋滞して身動きが取れなくなって、「回送」表示にしても窓越しに乗車を懇願してくる人々の描写には鳥肌が立った。
読了日:08月14日 著者:内田正治


戦時下、西川一三は密偵の命を受け、内蒙古から西へ向かった。それは敵地の情報を探るという任務、しかし元々は見知らぬ地を歩きたいという本人の情熱ゆえとわかる。蒙古人のラマ僧を装い、読経と御詠歌を会得してまで、そこに帰国や安住のチャンスがあってもあえて先へ先へとまだ見ぬ地を思い描く、その魂の自由さがまさに"天路の旅人"だと沢木さんは感じたのだろう。帰国後、苦行僧のように一心不乱に記録をまとめ続けた3年、その後数十年の淡々とした生活との落差はやはり際立つ。何が幸せだったかなど考えても詮無いことだけれど。
読了日:08月11日 著者:沢木 耕太郎

白洲正子は好奇心旺盛な人だった。面白いと思ったら首を突っ込んでとことんはまる。結果として目が養われる。本質を掴む。あるいは自分の足で歩いて伊勢へ詣でる旅で、古人の実感を理解する。『だって、面白いんだもん。あたくし、いつでも面白いことが先に立つの』。だから彼女の言葉には惹かれる。着物、能、骨董など、長い伝統がある部類のものは素人が想像するよりずっと奥深い。知識だけでなく感覚で深く理解できるようになってはじめて、定石を踏まえたうえで拓ける境地というものがある、そのなにかひとつでも自分のものにしたいと憧れる。
『形がなかったら、心って表せないでしょ。心というのは、どっかにあるけれども、それを取り出して見せるといったら、やっぱり何かの形にしなくちゃならない。それは今も昔も同じだと思います』。『これは日本の文化一般に通ずる思想ですが、私自身も年をとるということは、ある意味では生涯で一番楽しい時期ではないかと潜かに思っているんです。というのは若い時には知らないで過ごしたさまざまなものが見えてきますからね』。
読了日:08月11日 著者:白洲 正子

「きく」ことにまつわるあれこれ。『「話を聞く」とは相手のおしゃべりを待つことだと思っている人が多い』という見出しに、私は相手が話し始めるのを待ってしまうのでそのことかと思ったら、相手の話が終わるのを待つという意味だった。全体的に、聴く以外のことをしたがる人が多いわね。私は他人に関心が無いのが欠点であって、相手を決めつけている訳ではないと思っているけれど、引っ繰り返せばそういうことなんだろう。あと聴きかた。集中して聞くのではなく、意識を緊張させない状態で受け止める感じがいいのかな。それと沈黙を恐れないこと。
読了日:08月04日 著者:ケイト・マーフィ

注:

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