2023年10月02日
2023年9月の記録
こうして見ると先月はKindle本ばかり読んでいる。
細切れの読書が増えているということか。
そうすると「あんまり読めてない」感覚がして不満も高まりがちだ。
しかし実際は本腰で読む本も読めているので、意外に感じた。
<今月のデータ>
購入13冊、購入費用8,679円。
読了12冊。
積読本321冊(うちKindle本156冊、Honto本3冊)。

怪談四代記 八雲のいたずら (講談社文庫)の感想
ラフカディオ・ハーンを曾祖父に持つ学者の随筆。ハーンはギリシャとアイルランドにルーツがある。どちらも一神教一辺倒ではない国だ。神ではない、人に働きかける見えざる存在への親和性はありそうだ。もちろん日本も。私は彼を故国喪失者として見ている部分がある。ハーンは日本に渡って落ち着き、日本の暮らしを楽しんだ。しかし、明治の松江の人々は紅毛だ鬼だと疎み、盆踊りを観ているところへ砂を投げかけられたと記録が残っている。「日本の面影」にはそんな気配は露ほども見せない。仕方ないとはいえ、切ないことだ。
読了日:09月24日 著者:小泉 凡
鬼はもとより (徳間文庫)の感想
藩札という地域通貨のようなシステムを使って藩の財政を立て直すという、経済小説のような時代小説。池井戸潤の江戸時代版みたい。商人と武士の立ち位置の違いについて『利を生むための視野の広さを、国の成り立ちを考える際の視野の広さと混同してはならない。二つはまったく別物であり、そもそも見ている景色がちがう』って現代日本の政治経済を牛耳ってる奴らに聞かせてやりたいね。江戸はなぜ武士が為政者だったのだろうか。重たい覚悟を背負った、武士らしい施政。鬼を引き受ける。数多の命を預かるならば、国を治める者はそうあるべきかと。
読了日:09月23日 著者:青山 文平
日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界 (幻冬舎新書)の感想
国立国語研究所の錚々たる研究者の方々が身近な質問に答える。「させていただいてもよろしいですか?」というややこしい言葉について、『非敬語ではより近い言葉へ、敬語ではより遠い言葉へ、というのが現在の日本語におけるポライトネス意識』としたうえで、距離感と敬意の度合い="遠近"をひとつの言葉にぶっこむ用法と説明する。ユピック・エスキモーの家族の概念や、下駄は外国語で男性名詞か女性名詞かなど、文化の違いにまで考えを及ばせるようなネタが興味深い。カンナダ語の歌を何度聞いても歌えず笑い出してしまう理由もよくわかった。
『拍感覚に慣れていない学習者にとっては、一拍を正しく聞き取ったり、発音したりすることが難しくなります。特に、促音や長音、撥音のリズムは、母語においてそれらを一拍として捉えることをしない多くの学習者にとって難しいのです』。
読了日:09月22日 著者:国立国語研究所編
土と内臓―微生物がつくる世界 ( )の感想
どわー、壮大な微生物の力に圧倒される。著者が『自然の隠れた半分』と呼ぶように、地球上の生物のほとんどは肉眼で見えない。植物と土壌生物、人間と腸内生物の共生。どちらにも言えることは、科学の力で人間にとっての栄養素、植物にとっての有益物質はわかってきているけれど、それが全てじゃない。だから、必要とわかっている栄養素だけ摂ったのではだめなのだ。目先ではよく効くサプリや肥料が喧伝されても、目に見えない部分をじっと想定する胆力が必要。ましてや安易に殺生物剤や抗生物質でマイクロバイオームを攪乱するべきではないだろう。
うちの猫のことを考える。不調があって獣医のところへ行くと、まず抗生物質を処方される。それでたいていの異変は治まる。だけど、その度彼らの腸内に起きていたことを想像すると心穏やかでない。せめてその後の食餌を心がけて整える必要がある。そう、食餌も。総合栄養食を定量与えるのが常識的な責務になっているが、それだけで良い訳がない。様々な食材が必要だ。魚、肉、欲しがるなら野菜、草。いずれは土の上を歩かせてやりたいなあ。そういえば人間や自分の尻を舐めたり、猫同士舐め合ったりするのも微生物の移動・交換にあたるのではないか。
読了日:09月21日 著者:デイビッド・モントゴメリー,アン・ビクレー
図書館島 (海外文学セレクション)の感想
島に育った少年は魔術のごとき異国の文字を学び、本から知った彼方の世界に憧れる。故郷を出て、本の中で読んだ都市の生活を見る。世界にはもっとたくさんの本があって、それも地域によって思想や文化、歴史は様々と知る。一方で、出会う人との関係が深くなるうち、ひとりの人の胸の奥にも物語があると知る。誰かがそれを文字に記すことで、物語は時代を超え、人の間を渡っていくことができる。だけど、記されないものも限りなくあるんだって気づくのだ。それも含めて「図書館」なのかな? 原題「A STRANGER IN OLONDRIA」。
『本とは砦であり、嘆きの場所であり、砂漠に至る鍵であり、橋のない川であり、槍の並ぶ庭なのだ』。この物語は長い。長い物語の先にこの言葉があって、沁みた。
読了日:09月18日 著者:ソフィア・サマター
医療にたかるな (新潮新書)の感想
行政、職員、医者、住民、メディアの全員に財政破綻の原因と責任がある。夕張市の事例はわかりやすいし、総人口が減る一方で高齢者比率と社会保障費率が増大する日本では、明日は我が身だ。市民の要望を叶えるのではなく、どの施策が問題を解決するかを数値と検証で見極める必要がある。個人のモラルで軽々に医者にかからないのがいちばんと思っていたけれど、予防接種と検診の受診率は医療費に相関すること、口腔ケアも重要と知った。これから行政は間違いなく行き届かなくなる。頼らないだけではだめで、個人の自発性と工夫が問われると心得る。
目先の営利を求める医療機関と、不安がるくせに事実を見ない患者の共依存が医療費の増大を招く。自治体の『医療費が高いということは「住民の健康意識が低く、病人が多い」ということです』。住民の甘えに対して著者は厳しい。皆で払った税金を正しく使う方法を、私たちは解ってないんだろう。自身の健康を医者ではなく自らで管理し、一定のリスクはあるものと認め、QOLを考えること。小川淳也代議士が北欧の医療制度について視察をしてきて、似たようなことを言っていたと思い出す。それが自立ってことなんだろう。
読了日:09月13日 著者:村上 智彦
ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)の感想
ローレンツが初めて書いた本。楽しい読み物だ。世間でも興味から様々な動物を飼うことが珍しくなかった時代に、ローレンツは科学的な目で観察した。imprintingで有名だが、より動物の視点、論理に近づこうとする姿勢が新鮮だったのではないかと思う。主に『逃げようとすればいつでも逃げられるのに、私のそばにとどまっている』半分飼い馴らされた動物たちが主役で、特にコクマルガラスの章が興味深かった。動物本来の遺伝的行動と馴致の影響が葛藤する様もローレンツは観察している。原題は「彼、けものども、鳥ども、魚どもと語りき」。
ライアル・ワトソンがローレンツに師事するのを拒んだというのは前に知っていた。動物を意図的/非意図的に飼い馴らして観察したローレンツと、野性の中に人間がいる状態で育ったワトソンとでは、動物のあるべき姿への考え方も、アプローチも立ち位置も違いすぎて、聞きかじりながら、ワトソンは受け入れることができなかったのではと推測する。結局ワトソンはデズモンド・モリスに師事したのだったか。そちらも読まなければ。
読了日:09月11日 著者:コンラート ローレンツ
瀬戸内文化誌の感想
海と海の民に焦点を当てた論考集。特に漁業の手法に詳しい。さて古来、瀬戸内海は日本各地から京阪への航路として要衝だった。人々はその時代の需要に合わせて、各地各島で様々な産業を手掛け、生計としてきた。しかし決して裕福ではなかったと宮本常一翁は言う。山地が多く、人が増えても養うための土地が少ない。土地の生産力が足りない。増えてはあぶれ、出稼ぎや海賊、遊女に身を落としたという。波のない内海を絶えず大小の船が航行する。潮や天候の具合によって走り、泊まり、名所を見物し、また無事を願う神事を行なう、歴史の末に今がある。
瀬戸内海を横断するフェリーに乗った。昔より少々視点が高いが、岸を離れたらちっぽけなもので、海、空、島、船が目まぐるしく移り変わっていくのを飽かずただ眺める。動く絵巻物のようだと言った旅行者の気持ちがわかる。美しい。もらった海図によると、安全に航行できるルートは非常に限られている。ざあざあ音を立てて流れる瀬戸は大きな船でも思うようには任せず、海底が浅くなっている難所も多い。こんなところで、島を回り込んだ途端にかがり火を焚いた海賊の小舟が一斉に飛び出してくる、なんて妄想をしては震えあがった事でした。
読了日:09月08日 著者:宮本常一
満願 (新潮文庫)の感想
売れに売れたと記憶している短編集。久しぶりの米澤穂信のミステリを、私は楽しみ切ったとはいえない。人の心に巣くう打算に興味がなくなったからだろうか。こちらも知識や経験を積み上げ、世にもっと不思議な事象や数奇があると知ってしまったからだろうか。意表を突かれる感覚がないまま淡々と読んでしまう。切ないことだ。こうなっては、「折れた竜骨」のようなファンタジー系の特殊設定か、「万灯」のように海外事情を織り込むとかいった奇策が必要かもしれない。といって、昨今は海外ミステリも各国からのが日本語で読めるから、難しいかな。
読了日:09月07日 著者:米澤 穂信
地獄変の感想
これは立派にミステリ。深く読むほどに凄惨な絵図。猿が助けを求めたのは何故なのか。大殿様はなぜ顔色を変えたのか。なぜ良秀の娘が"罪人"なのか。仕掛けが細かい。伏線は回収されない。私は大殿様が最も恐ろしい。あれが正気の沙汰か。語り手は何も疑っていないが、読み手はそのとおり信じることができない。良秀の人間性を嫌っていた。のみならず、娘に思うところがあったとしか考えられないではないか。片や良秀は、おそらく結末をわかっていた。わかったうえで、大殿様に頼んだ。そして望んだものを得た。『奈落には己の娘が待っている』。
読了日:09月04日 著者:芥川 竜之介
警視庁 生きものがかりの感想
「生きものがかり」なんて優しそうな響きだから、迷子ペットの捜索するのかと思いきや、その実は希少野生動植物密売捜査。密輸入ブローカーが関西ルートで業者にだの、タイの密輸マーケットへの供給ルートを仕切る組織が国際テロ組織と連携だのと、ガチの警察組織だった。そもそもなぜ密輸するかと言えば、そこにカネが絡むからだ。愛じゃない。生きものを扱うゆえに環境省や動物園/水族館と連携したり、市民への啓発活動になりそうな事案を選んだりと、捜査する側によほど愛を感じる。ジーンズのポケットにスローロリス入れて飛行機に乗るなよ…。
一度密輸された動物を原産地へ戻すのは厳禁事項と知った。原産地に存在しない菌や病気をつけて戻したら、原産地の生態系に壊滅的な影響を与えかねないからだ。戻してやりたい気持ちはやまやまなんだけど、ごめんなあ、悪い人間のせいで。同じ種でも違う地域で生まれた雌雄を交配するのも、遺伝子の系列が交雑するのでタブー。そういうときに、動物園/水族館や研究機関は受け皿になるのだそうで。いろんな事情や役割があるのだなあ。
読了日:09月02日 著者:福原 秀一郎
クマ問題を考える 野生動物生息域拡大期のリテラシー (ヤマケイ新書)の感想
Oso18のニュースから。クマは雑食性なので肉を喰う。ただ、喰うために生きている人間や家畜を繰り返し襲うのは、リスクが比較的小さく、出産や冬眠のための栄養を貯めるのに効率的だと学習してしまったかららしい。人間が森林を開発して野生動物の生息域に干渉し、人間の居住地と森林の間に緩衝帯を維持せず、野生動物を森林に追い戻す行動を積極的に取らないことが事態を悪化させているという。飼い犬を外に放さなくなったのも大きい。犬による咬傷事故回避や狂犬病予防と、野生動物の市街地流入対策を天秤にかける日も近いのかなと思う。
『クマは、抵抗力のない、自分たちに圧力をかけてこない場所を選んでいるのである。それは市街地においても同様である。リアクションのない場所は、クマにとってはOKと受け止められている。さらにクマにとっては、人里に依存したほうが年間を通じてうま味がある。そのうま味のほうが、抱えるリスクよりも大きいと受け止められている。だから出没が絶えないのである。うま味をつくり出しているのも私たちである』。
読了日:09月01日 著者:田口 洋美
注:
は電子書籍で読んだ本。
細切れの読書が増えているということか。
そうすると「あんまり読めてない」感覚がして不満も高まりがちだ。
しかし実際は本腰で読む本も読めているので、意外に感じた。
<今月のデータ>
購入13冊、購入費用8,679円。
読了12冊。
積読本321冊(うちKindle本156冊、Honto本3冊)。


ラフカディオ・ハーンを曾祖父に持つ学者の随筆。ハーンはギリシャとアイルランドにルーツがある。どちらも一神教一辺倒ではない国だ。神ではない、人に働きかける見えざる存在への親和性はありそうだ。もちろん日本も。私は彼を故国喪失者として見ている部分がある。ハーンは日本に渡って落ち着き、日本の暮らしを楽しんだ。しかし、明治の松江の人々は紅毛だ鬼だと疎み、盆踊りを観ているところへ砂を投げかけられたと記録が残っている。「日本の面影」にはそんな気配は露ほども見せない。仕方ないとはいえ、切ないことだ。
読了日:09月24日 著者:小泉 凡


藩札という地域通貨のようなシステムを使って藩の財政を立て直すという、経済小説のような時代小説。池井戸潤の江戸時代版みたい。商人と武士の立ち位置の違いについて『利を生むための視野の広さを、国の成り立ちを考える際の視野の広さと混同してはならない。二つはまったく別物であり、そもそも見ている景色がちがう』って現代日本の政治経済を牛耳ってる奴らに聞かせてやりたいね。江戸はなぜ武士が為政者だったのだろうか。重たい覚悟を背負った、武士らしい施政。鬼を引き受ける。数多の命を預かるならば、国を治める者はそうあるべきかと。
読了日:09月23日 著者:青山 文平


国立国語研究所の錚々たる研究者の方々が身近な質問に答える。「させていただいてもよろしいですか?」というややこしい言葉について、『非敬語ではより近い言葉へ、敬語ではより遠い言葉へ、というのが現在の日本語におけるポライトネス意識』としたうえで、距離感と敬意の度合い="遠近"をひとつの言葉にぶっこむ用法と説明する。ユピック・エスキモーの家族の概念や、下駄は外国語で男性名詞か女性名詞かなど、文化の違いにまで考えを及ばせるようなネタが興味深い。カンナダ語の歌を何度聞いても歌えず笑い出してしまう理由もよくわかった。
『拍感覚に慣れていない学習者にとっては、一拍を正しく聞き取ったり、発音したりすることが難しくなります。特に、促音や長音、撥音のリズムは、母語においてそれらを一拍として捉えることをしない多くの学習者にとって難しいのです』。
読了日:09月22日 著者:国立国語研究所編


どわー、壮大な微生物の力に圧倒される。著者が『自然の隠れた半分』と呼ぶように、地球上の生物のほとんどは肉眼で見えない。植物と土壌生物、人間と腸内生物の共生。どちらにも言えることは、科学の力で人間にとっての栄養素、植物にとっての有益物質はわかってきているけれど、それが全てじゃない。だから、必要とわかっている栄養素だけ摂ったのではだめなのだ。目先ではよく効くサプリや肥料が喧伝されても、目に見えない部分をじっと想定する胆力が必要。ましてや安易に殺生物剤や抗生物質でマイクロバイオームを攪乱するべきではないだろう。
うちの猫のことを考える。不調があって獣医のところへ行くと、まず抗生物質を処方される。それでたいていの異変は治まる。だけど、その度彼らの腸内に起きていたことを想像すると心穏やかでない。せめてその後の食餌を心がけて整える必要がある。そう、食餌も。総合栄養食を定量与えるのが常識的な責務になっているが、それだけで良い訳がない。様々な食材が必要だ。魚、肉、欲しがるなら野菜、草。いずれは土の上を歩かせてやりたいなあ。そういえば人間や自分の尻を舐めたり、猫同士舐め合ったりするのも微生物の移動・交換にあたるのではないか。
読了日:09月21日 著者:デイビッド・モントゴメリー,アン・ビクレー


島に育った少年は魔術のごとき異国の文字を学び、本から知った彼方の世界に憧れる。故郷を出て、本の中で読んだ都市の生活を見る。世界にはもっとたくさんの本があって、それも地域によって思想や文化、歴史は様々と知る。一方で、出会う人との関係が深くなるうち、ひとりの人の胸の奥にも物語があると知る。誰かがそれを文字に記すことで、物語は時代を超え、人の間を渡っていくことができる。だけど、記されないものも限りなくあるんだって気づくのだ。それも含めて「図書館」なのかな? 原題「A STRANGER IN OLONDRIA」。
『本とは砦であり、嘆きの場所であり、砂漠に至る鍵であり、橋のない川であり、槍の並ぶ庭なのだ』。この物語は長い。長い物語の先にこの言葉があって、沁みた。
読了日:09月18日 著者:ソフィア・サマター


行政、職員、医者、住民、メディアの全員に財政破綻の原因と責任がある。夕張市の事例はわかりやすいし、総人口が減る一方で高齢者比率と社会保障費率が増大する日本では、明日は我が身だ。市民の要望を叶えるのではなく、どの施策が問題を解決するかを数値と検証で見極める必要がある。個人のモラルで軽々に医者にかからないのがいちばんと思っていたけれど、予防接種と検診の受診率は医療費に相関すること、口腔ケアも重要と知った。これから行政は間違いなく行き届かなくなる。頼らないだけではだめで、個人の自発性と工夫が問われると心得る。
目先の営利を求める医療機関と、不安がるくせに事実を見ない患者の共依存が医療費の増大を招く。自治体の『医療費が高いということは「住民の健康意識が低く、病人が多い」ということです』。住民の甘えに対して著者は厳しい。皆で払った税金を正しく使う方法を、私たちは解ってないんだろう。自身の健康を医者ではなく自らで管理し、一定のリスクはあるものと認め、QOLを考えること。小川淳也代議士が北欧の医療制度について視察をしてきて、似たようなことを言っていたと思い出す。それが自立ってことなんだろう。
読了日:09月13日 著者:村上 智彦


ローレンツが初めて書いた本。楽しい読み物だ。世間でも興味から様々な動物を飼うことが珍しくなかった時代に、ローレンツは科学的な目で観察した。imprintingで有名だが、より動物の視点、論理に近づこうとする姿勢が新鮮だったのではないかと思う。主に『逃げようとすればいつでも逃げられるのに、私のそばにとどまっている』半分飼い馴らされた動物たちが主役で、特にコクマルガラスの章が興味深かった。動物本来の遺伝的行動と馴致の影響が葛藤する様もローレンツは観察している。原題は「彼、けものども、鳥ども、魚どもと語りき」。
ライアル・ワトソンがローレンツに師事するのを拒んだというのは前に知っていた。動物を意図的/非意図的に飼い馴らして観察したローレンツと、野性の中に人間がいる状態で育ったワトソンとでは、動物のあるべき姿への考え方も、アプローチも立ち位置も違いすぎて、聞きかじりながら、ワトソンは受け入れることができなかったのではと推測する。結局ワトソンはデズモンド・モリスに師事したのだったか。そちらも読まなければ。
読了日:09月11日 著者:コンラート ローレンツ


海と海の民に焦点を当てた論考集。特に漁業の手法に詳しい。さて古来、瀬戸内海は日本各地から京阪への航路として要衝だった。人々はその時代の需要に合わせて、各地各島で様々な産業を手掛け、生計としてきた。しかし決して裕福ではなかったと宮本常一翁は言う。山地が多く、人が増えても養うための土地が少ない。土地の生産力が足りない。増えてはあぶれ、出稼ぎや海賊、遊女に身を落としたという。波のない内海を絶えず大小の船が航行する。潮や天候の具合によって走り、泊まり、名所を見物し、また無事を願う神事を行なう、歴史の末に今がある。
瀬戸内海を横断するフェリーに乗った。昔より少々視点が高いが、岸を離れたらちっぽけなもので、海、空、島、船が目まぐるしく移り変わっていくのを飽かずただ眺める。動く絵巻物のようだと言った旅行者の気持ちがわかる。美しい。もらった海図によると、安全に航行できるルートは非常に限られている。ざあざあ音を立てて流れる瀬戸は大きな船でも思うようには任せず、海底が浅くなっている難所も多い。こんなところで、島を回り込んだ途端にかがり火を焚いた海賊の小舟が一斉に飛び出してくる、なんて妄想をしては震えあがった事でした。
読了日:09月08日 著者:宮本常一

売れに売れたと記憶している短編集。久しぶりの米澤穂信のミステリを、私は楽しみ切ったとはいえない。人の心に巣くう打算に興味がなくなったからだろうか。こちらも知識や経験を積み上げ、世にもっと不思議な事象や数奇があると知ってしまったからだろうか。意表を突かれる感覚がないまま淡々と読んでしまう。切ないことだ。こうなっては、「折れた竜骨」のようなファンタジー系の特殊設定か、「万灯」のように海外事情を織り込むとかいった奇策が必要かもしれない。といって、昨今は海外ミステリも各国からのが日本語で読めるから、難しいかな。
読了日:09月07日 著者:米澤 穂信


これは立派にミステリ。深く読むほどに凄惨な絵図。猿が助けを求めたのは何故なのか。大殿様はなぜ顔色を変えたのか。なぜ良秀の娘が"罪人"なのか。仕掛けが細かい。伏線は回収されない。私は大殿様が最も恐ろしい。あれが正気の沙汰か。語り手は何も疑っていないが、読み手はそのとおり信じることができない。良秀の人間性を嫌っていた。のみならず、娘に思うところがあったとしか考えられないではないか。片や良秀は、おそらく結末をわかっていた。わかったうえで、大殿様に頼んだ。そして望んだものを得た。『奈落には己の娘が待っている』。
読了日:09月04日 著者:芥川 竜之介


「生きものがかり」なんて優しそうな響きだから、迷子ペットの捜索するのかと思いきや、その実は希少野生動植物密売捜査。密輸入ブローカーが関西ルートで業者にだの、タイの密輸マーケットへの供給ルートを仕切る組織が国際テロ組織と連携だのと、ガチの警察組織だった。そもそもなぜ密輸するかと言えば、そこにカネが絡むからだ。愛じゃない。生きものを扱うゆえに環境省や動物園/水族館と連携したり、市民への啓発活動になりそうな事案を選んだりと、捜査する側によほど愛を感じる。ジーンズのポケットにスローロリス入れて飛行機に乗るなよ…。
一度密輸された動物を原産地へ戻すのは厳禁事項と知った。原産地に存在しない菌や病気をつけて戻したら、原産地の生態系に壊滅的な影響を与えかねないからだ。戻してやりたい気持ちはやまやまなんだけど、ごめんなあ、悪い人間のせいで。同じ種でも違う地域で生まれた雌雄を交配するのも、遺伝子の系列が交雑するのでタブー。そういうときに、動物園/水族館や研究機関は受け皿になるのだそうで。いろんな事情や役割があるのだなあ。
読了日:09月02日 著者:福原 秀一郎


Oso18のニュースから。クマは雑食性なので肉を喰う。ただ、喰うために生きている人間や家畜を繰り返し襲うのは、リスクが比較的小さく、出産や冬眠のための栄養を貯めるのに効率的だと学習してしまったかららしい。人間が森林を開発して野生動物の生息域に干渉し、人間の居住地と森林の間に緩衝帯を維持せず、野生動物を森林に追い戻す行動を積極的に取らないことが事態を悪化させているという。飼い犬を外に放さなくなったのも大きい。犬による咬傷事故回避や狂犬病予防と、野生動物の市街地流入対策を天秤にかける日も近いのかなと思う。
『クマは、抵抗力のない、自分たちに圧力をかけてこない場所を選んでいるのである。それは市街地においても同様である。リアクションのない場所は、クマにとってはOKと受け止められている。さらにクマにとっては、人里に依存したほうが年間を通じてうま味がある。そのうま味のほうが、抱えるリスクよりも大きいと受け止められている。だから出没が絶えないのである。うま味をつくり出しているのも私たちである』。
読了日:09月01日 著者:田口 洋美

注:

Posted by nekoneko at 13:06│Comments(0)
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