2024年12月04日
2024年11月の記録
本が読めてない、読む時間がない、と私はしょっちゅうぼやくが、
先月は今年いちばん読めてないとまたぼやいている。
もっと読みたい欲求の裏返しである。
忙しいのと、懸念事項が多いのと、夫が見ているYouTubeに気を取られて。
静かな心持で満喫する秋の夜長はどこへ行った。
<今月のデータ>
購入14冊、購入費用10,291円。
読了8冊。
積読本335冊(うちKindle本158冊)。
山怪朱 山人が語る不思議な話の感想
先週読んだ「土葬の村」とどこかつながっている。人ならぬ世界との境界なのは山も同じだ。山に日常的に入る人は自身の内なる声、すなわち生存本能の発する微かなサインに敏感になる。自身の生死がかかるからだ。この世ならざる存在に畏敬を持ち、普通に街で生きているときは滅多に触れない感覚を呼び覚ますことは、生物として誰にも必要だと思った。さて、山の怪異もこれだけ集まればパターンが見える。人に害を為すもの、他愛ないもの、真実を見通すもの。狐狸と名づけた存在への「俺のこと騙そうたってそうはいかねーぞ!」の突破力が頼もしい。
読了日:11月28日 著者:田中 康弘
柳宗民の雑草ノオト (ちくま学芸文庫 ヤ 16-1)の感想
著者は園芸研究家、柳宗悦の四男にあたる。古来歌集に詠われる七草をはじめ、日本にごく日常に見る雑草を紹介している。葉や花の写真を撮ると名前を教えてくれるアプリを最近は重宝しているが、この本ほど魅力を知ることはできない。この本が断然良い。生える草を、私は好き嫌いして抜いたり抜かなかったりする。しかし次からはもう抜けないなと思った草花がたくさんある。オミナエシ、オトコエシはもはや植えたいし、ヨウシュヤマゴボウすら育ててみたくなる。外来種も渡来して何十年も経てば日本の風景の一部だ。ほやけど、メヒシバだけはいかん。
読了日:11月25日 著者:柳 宗民
土葬の村 (講談社現代新書 2606)の感想
いかなる信仰であれ、人にはあるべき葬送の方式がある。それは『非科学的であるとはいえ、死者の霊魂の安静を期するため一層礼意を厚くする趣旨によって行われるもの』かつ、忌まわしきものを寄せないための儀式である。だから本人も遺族も簡単には妥協できない。さて日本国内でも時代や地方をまたいで火葬、土葬、風葬、遺棄葬および様々な風習があったと紹介され、興味深い。少し前まで日本人は葬送に時間と手をかけていた。そこには現代の私が肌で感じられない意味があった。それは失われるが、今後また新しい意味と方式も生まれ行くのだろう。
ほんとうに少し前まで、火葬は主流ではなかった。小豆島では石積葬、佐柳島では海岸葬など、近い地域にも風変わりな葬送が行われていた。葬祭業なんて無くて、村を挙げて儀式を執り行った。いかに壮絶な奇習に見えても、それが人々の心の安寧につながっていた。これから、葬式も埋葬も形がどんどん変わっていく。親のそれと私のそれも既に違う。納得できる形は考えておかないとと思う。
読了日:11月21日 著者:高橋 繁行
半分世界 (創元SF文庫)の感想
突飛な着想を、普遍のものとして世界を描くのとは違って、異質なものは異質なままに、大勢によってさらに展開されていく。そうきたか、と唸ること多し。表題作が面白かった。例えばフジワラーたちが藤原家の本棚に興味を覚え、片っ端から読むという展開には留めず、子供たちが「百年の孤独」の読書感想文を提出するとか、その教養をもって奇想小説を書きあげるあたり。そして、終盤のフジワラーたちをギャフンと言わせる仕掛け、そしてそれすら踏み倒して進むフジワラーたちのエネルギーと発想には人類の進化の謎を連想させるものがある。気がする。
読了日:11月13日 著者:石川 宗生
ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルトの感想
財務省は税収アップと歳出カットを至上命題とする官僚組織、と森永さんは前提する。私は税務や国家運営についてまともに学んだことがないし、森永さんの説明もじゅうぶん理解できたとも言えない。しかしあれこれ辻褄が合うことが多くて、そういうことなのかと瞑目した。とすれば、今報道を賑わせる103万円の壁やトリガー条項について、財務省出身の玉木さん率いる国民民主党が主張していること、財務省は無論、自民党や立憲民主党内からも懸念が示されていることについても符合が合う。財務省の「ご説明」布教は、日本への呪いなのではないか。
読了日:11月07日 著者:森永 卓郎
もういちど育てる庭図鑑の感想
良原さんの庭、樹木も花も野菜もごっちゃの庭に私は憧れた。それで2冊目、リボベジ。野菜の果物の種はもちろん、スーパーで買った温室育ちの野菜の切れっぱしや、乾物のカラカラの豆でも、水や土に触れれば葉や芽を出して成長しようとする、その生命力に目を見張る。切れっぱしや休眠期間のない野菜は待ったなしで育とうとするので、時期を間違えると収穫まで到達しないという。あれもこれもやってみたいものが多すぎて、取り急ぎ季節ごとの表に書き出してみた。概して春と秋が試すのに良いようだ。旬も理解できそう。今朝コマツナの根っこ植えた。
読了日:11月04日 著者:良原リエ
パワーの感想
反転した世界。ディストピア。物理的な力を手に入れたら、私は同じことをするのだろうか。誇示し、行使し、蔑み、脅し、支配するだろうか。無自覚に。男たちがするのと同じように。やろうと思えばやれるから。力を手に入れた確信が、内から人を変えてしまうみたいだ。道具を得て、人間が動物より上位の存在だと勘違いしたように。否、と思えるのは、目下被虐の立場に無いからで、ただ今も暴力に服従を強いられている女性たちこそ、最初は恐怖から、じきに歓喜をもって力を行使する様はさもあるべく感じる。最初と最後の手紙のパートがまた深い。
トゥンデが恐怖に震える場面には既視感がある。例えば会議室一室に男性40人がいる中で私ひとりいるとき、スーツを着た社会的な会合であっても、腹の底には本能的な緊張が凝る。知人でも黙って真後ろに立たれると怖い。チョコザップも日本版ライドシェアも、自分一人のときは利用をためらうだろう。いわんや夜道をや。これには年齢や容姿は関係ない。ただ力で敵わない相手が傍にいる、腕力を笠に着た誰かに威圧されたことがある、その記憶は否応なくアラームとして働く。
読了日:11月03日 著者:ナオミ・オルダーマン
未来の年表 業界大変化 瀬戸際の日本で起きること (講談社現代新書)の感想
人口減に伴い、行政や企業に起きる近未来予測。もはや人口減少の影響を受けない組織や個人は無く、現在進行形である。江戸時代の人口に戻るとしても現代人はある程度のインフラが無ければ生きていけない。人口10万人程度の自治体圏/商圏を多極的につくるイメージは憶えておきたい。需要不足と供給能力不足を目前に、各業界で変革が喫緊である。地場の建設業の場合"外需"はまずないので、規模維持、できれば拡大を目指す。あるいは他社との連携・相乗効果が要だろう。多種の業種スキルがほしい所だが、提供する相手は絞り込まざるを得ないか。
読了日:11月02日 著者:河合 雅司
注:は電子書籍で読んだ本。
先月は今年いちばん読めてないとまたぼやいている。
もっと読みたい欲求の裏返しである。
忙しいのと、懸念事項が多いのと、夫が見ているYouTubeに気を取られて。
静かな心持で満喫する秋の夜長はどこへ行った。
<今月のデータ>
購入14冊、購入費用10,291円。
読了8冊。
積読本335冊(うちKindle本158冊)。
山怪朱 山人が語る不思議な話の感想
先週読んだ「土葬の村」とどこかつながっている。人ならぬ世界との境界なのは山も同じだ。山に日常的に入る人は自身の内なる声、すなわち生存本能の発する微かなサインに敏感になる。自身の生死がかかるからだ。この世ならざる存在に畏敬を持ち、普通に街で生きているときは滅多に触れない感覚を呼び覚ますことは、生物として誰にも必要だと思った。さて、山の怪異もこれだけ集まればパターンが見える。人に害を為すもの、他愛ないもの、真実を見通すもの。狐狸と名づけた存在への「俺のこと騙そうたってそうはいかねーぞ!」の突破力が頼もしい。
読了日:11月28日 著者:田中 康弘
柳宗民の雑草ノオト (ちくま学芸文庫 ヤ 16-1)の感想
著者は園芸研究家、柳宗悦の四男にあたる。古来歌集に詠われる七草をはじめ、日本にごく日常に見る雑草を紹介している。葉や花の写真を撮ると名前を教えてくれるアプリを最近は重宝しているが、この本ほど魅力を知ることはできない。この本が断然良い。生える草を、私は好き嫌いして抜いたり抜かなかったりする。しかし次からはもう抜けないなと思った草花がたくさんある。オミナエシ、オトコエシはもはや植えたいし、ヨウシュヤマゴボウすら育ててみたくなる。外来種も渡来して何十年も経てば日本の風景の一部だ。ほやけど、メヒシバだけはいかん。
読了日:11月25日 著者:柳 宗民
土葬の村 (講談社現代新書 2606)の感想
いかなる信仰であれ、人にはあるべき葬送の方式がある。それは『非科学的であるとはいえ、死者の霊魂の安静を期するため一層礼意を厚くする趣旨によって行われるもの』かつ、忌まわしきものを寄せないための儀式である。だから本人も遺族も簡単には妥協できない。さて日本国内でも時代や地方をまたいで火葬、土葬、風葬、遺棄葬および様々な風習があったと紹介され、興味深い。少し前まで日本人は葬送に時間と手をかけていた。そこには現代の私が肌で感じられない意味があった。それは失われるが、今後また新しい意味と方式も生まれ行くのだろう。
ほんとうに少し前まで、火葬は主流ではなかった。小豆島では石積葬、佐柳島では海岸葬など、近い地域にも風変わりな葬送が行われていた。葬祭業なんて無くて、村を挙げて儀式を執り行った。いかに壮絶な奇習に見えても、それが人々の心の安寧につながっていた。これから、葬式も埋葬も形がどんどん変わっていく。親のそれと私のそれも既に違う。納得できる形は考えておかないとと思う。
読了日:11月21日 著者:高橋 繁行
半分世界 (創元SF文庫)の感想
突飛な着想を、普遍のものとして世界を描くのとは違って、異質なものは異質なままに、大勢によってさらに展開されていく。そうきたか、と唸ること多し。表題作が面白かった。例えばフジワラーたちが藤原家の本棚に興味を覚え、片っ端から読むという展開には留めず、子供たちが「百年の孤独」の読書感想文を提出するとか、その教養をもって奇想小説を書きあげるあたり。そして、終盤のフジワラーたちをギャフンと言わせる仕掛け、そしてそれすら踏み倒して進むフジワラーたちのエネルギーと発想には人類の進化の謎を連想させるものがある。気がする。
読了日:11月13日 著者:石川 宗生
ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルトの感想
財務省は税収アップと歳出カットを至上命題とする官僚組織、と森永さんは前提する。私は税務や国家運営についてまともに学んだことがないし、森永さんの説明もじゅうぶん理解できたとも言えない。しかしあれこれ辻褄が合うことが多くて、そういうことなのかと瞑目した。とすれば、今報道を賑わせる103万円の壁やトリガー条項について、財務省出身の玉木さん率いる国民民主党が主張していること、財務省は無論、自民党や立憲民主党内からも懸念が示されていることについても符合が合う。財務省の「ご説明」布教は、日本への呪いなのではないか。
読了日:11月07日 著者:森永 卓郎
もういちど育てる庭図鑑の感想
良原さんの庭、樹木も花も野菜もごっちゃの庭に私は憧れた。それで2冊目、リボベジ。野菜の果物の種はもちろん、スーパーで買った温室育ちの野菜の切れっぱしや、乾物のカラカラの豆でも、水や土に触れれば葉や芽を出して成長しようとする、その生命力に目を見張る。切れっぱしや休眠期間のない野菜は待ったなしで育とうとするので、時期を間違えると収穫まで到達しないという。あれもこれもやってみたいものが多すぎて、取り急ぎ季節ごとの表に書き出してみた。概して春と秋が試すのに良いようだ。旬も理解できそう。今朝コマツナの根っこ植えた。
読了日:11月04日 著者:良原リエ
パワーの感想
反転した世界。ディストピア。物理的な力を手に入れたら、私は同じことをするのだろうか。誇示し、行使し、蔑み、脅し、支配するだろうか。無自覚に。男たちがするのと同じように。やろうと思えばやれるから。力を手に入れた確信が、内から人を変えてしまうみたいだ。道具を得て、人間が動物より上位の存在だと勘違いしたように。否、と思えるのは、目下被虐の立場に無いからで、ただ今も暴力に服従を強いられている女性たちこそ、最初は恐怖から、じきに歓喜をもって力を行使する様はさもあるべく感じる。最初と最後の手紙のパートがまた深い。
トゥンデが恐怖に震える場面には既視感がある。例えば会議室一室に男性40人がいる中で私ひとりいるとき、スーツを着た社会的な会合であっても、腹の底には本能的な緊張が凝る。知人でも黙って真後ろに立たれると怖い。チョコザップも日本版ライドシェアも、自分一人のときは利用をためらうだろう。いわんや夜道をや。これには年齢や容姿は関係ない。ただ力で敵わない相手が傍にいる、腕力を笠に着た誰かに威圧されたことがある、その記憶は否応なくアラームとして働く。
読了日:11月03日 著者:ナオミ・オルダーマン
未来の年表 業界大変化 瀬戸際の日本で起きること (講談社現代新書)の感想
人口減に伴い、行政や企業に起きる近未来予測。もはや人口減少の影響を受けない組織や個人は無く、現在進行形である。江戸時代の人口に戻るとしても現代人はある程度のインフラが無ければ生きていけない。人口10万人程度の自治体圏/商圏を多極的につくるイメージは憶えておきたい。需要不足と供給能力不足を目前に、各業界で変革が喫緊である。地場の建設業の場合"外需"はまずないので、規模維持、できれば拡大を目指す。あるいは他社との連携・相乗効果が要だろう。多種の業種スキルがほしい所だが、提供する相手は絞り込まざるを得ないか。
読了日:11月02日 著者:河合 雅司
注:は電子書籍で読んだ本。
Posted by nekoneko at 10:16│Comments(0)
│読書