2024年05月01日
2024年4月の記録
なんでもかんでも興味を覚えたら読み飛ばしているけれど、
私は何の専門家でもないことを忘れないようにしたい。
真摯な科学の追求には敬意を表する。
一方で、違うと感じ取る肌感覚も疎かにしないでいたい。
<今月のデータ>
購入8冊、購入費用10,929円。
読了10冊。
積読本322冊(うちKindle本153冊)。
複合汚染 (新潮文庫)の感想
連載開始から半世紀。環境汚染、食品添加物、化学肥料、農薬。私たちはずっと同じことを心配してきたし、これからもそうなんだろう。科学技術は確かに人の生活を便利にしたけれど、やりすぎては健康や自然を損なう。著者は興味を持ったら突撃していく。専門家研究者にも地場の労働者にも、農家から屠畜場まで、"地べた"からの声を集めて書く。科学は、必ずしも全体を説明しえないし、物事を解決に導くとは限らない。日々の営みの中で、何かおかしいと感じ取る肌感覚こそ、自分が大切に思うものを守るために備わった人間の能力だと結論する。
一方で、当時の人々が心配し続けたPCBや有機水銀、排気ガスによる、奇形児や短命化のような明らかな健康被害は以降現れなかった。いや、その後使用し始めた諸々を含め、じわじわと人間を蝕んでいるのか。倫理的に問題がある表現かもしれないけれど、精子減少、肌荒れ、諸アレルギーや発達障害のように見えにくい形で、被害はあるんじゃないかという気が私はしているけれど、複合も複合、要因や自然のあまりの複雑さにそれこそ証明できない。先日は頸動脈疾患の患者の血管からマイクロプラスチックが検出される研究が報告されたとか。
著者の考察。英国紳士の嗜みとされたガーデニングは、農夫でない者が、時候や土と生命の関わり合いに気を留め、肌感覚を保つための社会装置だったと指摘する。日本人は戦後、経済成長のために労働者と農家を切り離してしまった。労働者は土や食物に対する感覚を失って、結果的に公害や農薬・食物添加物による健康被害を受けるまで気づかない鈍感な生き物になってしまった。それは現代、生産の場から遠く離れた消費者根性はますます、サプリやらトクホやら、本質を見失った情報に振り回される弱さを体現しているように思える。
いつから日本人は田畑に生える草を一本残らず抜かなければ気が済まなくなったのかの考察も興味深い。海外の有機農業の畑が草だらけなことに著者は驚く。自然農法なら草は味方だ。科学的にも理解が進んできた草と土の関係を考えれば、草を全て抜くのは合理的でない。著者はそれが始まったのは元禄時代ではないかと考察する。百姓は草の役割を骨身で知っており、全て抜いたりはしなかったはずだ。それを抜き始めたのは、農作業を知らないお上が口出しをするようになってからなのではないかと。では現代、草を抜くのはなぜかを、調べてみたい。
読了日:04月25日 著者:有吉 佐和子
気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?の感想
気候は常に変動している。国連やメディアが喧伝している"気候危機"は、人類が蓄積したデータが示す事実と食い違っている。科学を情報提供ではなく説得のために歪める現状を憂えた一流科学者による告発である。つまり、進行形で変動している気候の、それぞれの事象は真に変動しているか、一貫した長期トレンドを形成しているか、人為由来と証明できるか。それが明確でないまま脱炭素に莫大な公金と資源をつぎ込むことは、一部の人に利して、本当の問題から目を逸らさせるように感じる。国連や公益団体のレポートであっても、鵜呑みにしない事。
人為由来の異変と結論づけられないはずの研究結果を、一部研究者は語弊を許容し、政府や国連の公式報告書は明らかな作為や虚偽で社会的意思決定を誤誘導し、メディアは気候危機と恐怖を煽る。信じてよい科学を見定めるのがこれほど難しいとは。『極端な気象・気候現象の多くは自然気候変動(エルニーニョなどの現象を含む)の結果であり、10年または数十年規模の気候の自然変動は人為起源の気候変化の背景を成す。気候に人為起源の変化がなくても、極端な気象・気候現象は自然に発生する』。IPCC「極端現象に関する特別報告書(SREX)」
4月17日、ドバイで12時間に1年分の降雨があり、大規模な洪水が起きたとCNNが報じた。その締めくくりに『人為的な要因による気候変動で、ゲリラ豪雨は今後増えることが予想される』と述べた。これは虚偽の報道である。ゲリラ豪雨はたまの異常気象としてありうべき範囲で、人為起源であるかは証明されていないし、今の科学では人為由来と断定できない。そしてひとつの異常気象と気候変動の間を、一足飛びに結びつけてはならない。ただ気候変動により降水のムラが激しくなり、豪雨現象が増えている傾向があり得る、とは覚えておく。
読了日:04月20日 著者:スティーブン・E・クーニン
山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)の感想
引き続き山頭火。焼き捨てた以降の日記や、「三八九」などに掲載した随筆を集めたもの。随筆は真面目に論じよう、努めて前向きになろうとする気配が無理っぽくてしんどい。かといって泥酔、乱行や不義理の自省と言い訳も度重なればうんざりする。働いて稼がずに生きる世過ぎが、そもそも私には理解しがたい。貧しい人にいただいた喜捨を、いい宿や酒に費やす是非やいかん。と眉をひそめたところで、こちらだって読みながら呑む酒が過ぎており、人のことを言えた義理じゃない。『ほろほろ酔うて木の葉ふる』。風流ではない。この降り積もる苦さよ。
読了日:04月14日 著者:種田 山頭火
「わがまま」がチームを強くする。の感想
ひとりひとりがそうありたいと思う働きかた。それを"わがまま"というワードで"より良い会社"を導きだそうという試み。それにはひとりひとりの社員がわがままを表明する力、上司・経営側にはわがままを引き出す力が必要になる。そのための取組みが種々書かれている。意見を表明する場のハードルを下げる、多数決は取らず議論して決める人を決める、決定権を分散・委譲する、情報の共有・透明化など。だからどれも経営側が仕掛けるべき案件なんだけどね。著者がサイボウズチームワーク総研になっているあたりも、経営陣の企みを感じる。
『手が空いていてぶらぶらしている人がいるくらいの余力がある組織じゃないと、イノベーションは起きない』。これは意見が分かれるところだ。"手が空いていてぶらぶらしている人がいる"のは経営者の精神衛生上、ラクではない。どちらかといえば、「社員には能力の120%くらいの負荷(業務量)をかけたほうが工夫し、結果として業務改善が進む」のほうが受け入れやすい。まあ、こう並べて見ると業務改善とイノベーションは異なるもの、とは言える。そして働かないアリ理論から言っても、余力論のほうが正しい。…と割り切れるかどうか。
読了日:04月09日 著者:サイボウズチームワーク総研
万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)の感想
ジャンル「ブラッドベリ」。架空の世界で起こる出来事も、どこかにありそうな世界で起こる異変もあって、いずれも意表を突かれる。意外性のあるアイデアを組み合わせたというより、物語が勝手にそうなってしまった感が好い。自選と先に知っているせいかどれも読みごたえがある。広島の原爆報道に着想を得たと自ら語った「やさしく雨ぞ降りしきる」は世界の終末の一瞬を描いたもので、西暦2026年の設定である。こんな時世では、ほんとうに2026年にこのような光景が地球のどこかに現れるのではないかと、美しい一瞬が印象を残すゆえに哀しい。
読了日:04月08日 著者:レイ・ブラッドベリ
入門 山頭火の感想
山頭火の句が沁みるのは、その自然の只中における静けさや透明感だけでなく、どうしようもない我が身の、苦悩や諦観も込みで共感するからだ。しかし町田康を案内にその生涯を追うと、簡単に共感しえない業の深さや絶望が露わになる。町田康もまた自分を同じ側に置いて行為を重ね、心中を慮る。真面目、ゆえに懊悩し、酒に逃げ、見失い、全てをふいにしてしまう。ひと所を守る日常すら辛かった山頭火が行乞の旅に出たのは45歳。"解くすべもない惑い"を、見ぬふりや、自分を赦すことなく、直視し続ける人生は苦行だ。我が句は成ったと思えたのか。
放哉亡き後、井泉水から山頭火に南郷庵、堂守引継ぎの打診もあったという。断ったのは歩き続けることへの切迫感、らしい。昨日、放哉忌の記念行事が西光寺で営まれた。大勢が墓石に日本酒を注いだと新聞にある。酒に狂い、酒を断ち得ない自分、酔って乱行に及ぶ自分、どうしようもない自身を生涯抱えて、満たされることなく死んだ彼らが、孤高の俳人、地域の宝などと呼ばれて弔われることは、今はとても不思議に感じる。
読了日:04月07日 著者:町田康
何もしないの感想
SNSのようなものをattention economyと定義し、それらに対して意識的かつ積極的に抵抗する行為として「何もしない」と題している。結果としては自分の時間を取り戻し、オフラインでありローカルであり自然への回帰などに結論する。そこまでの哲学やアートを引用したアプローチが、私には迂遠ではあった。ただ、「何もしない」ことは責任や義務の回避ではありえないという指摘、「注意」を向ける対象を選別するトレーニング、"外側に可能性をつくりだす"重要性などは興味深かった。『しないほうがよろしいのです』。
読了日:04月06日 著者:ジェニー・オデル,Jenny Odell
パンダのうんこはいい匂いの感想
タイトル買い。これも中国異文化ものね、と読み始めたら、そうでないもののほうが多いと気づいた。異文化=すべての知らないことと位置付けているためだ。異文化に触れると人間の幅は広がる。それにしても話題の振れ幅、というより、ネタの豊富さに驚嘆する。いち一般人の生活でこんなにネタある?ってくらい。東京在住で国際高校に進学する人生はこんなドラマチックになるんだろうか。いや、地方だから語ることが何もないなんてことはないし著者も転勤組なんだけど。中国の家族の話がやっぱり興味深いな。冷たい烏龍茶、まさに文化の深ーい相違。
読了日:04月05日 著者:藤岡みなみ
ロバのスーコと旅をするの感想
ロバの姿はなんとなくわかる。著者も、ごく普通の日本男子だ。しかし、彼らが歩いているのはいったいどこなのか、どのような風景でどんな匂いがするのか見当がつかない。イラン、トルコ、モロッコ。それぞれの土地でロバを手に入れ、共に歩く。ムフタールや警官は善意と職責から、歩く著者に声をかけたり世話したりする。豊かな土地であっても、複雑な民族問題など世情に不安定をはらむからこそ、理不尽とわかっているルールでも旅人に強制しないとならない。そこを徒歩でなんて、そりゃ疑わしく思われても仕方ない。よくぞ無事だったものだ。
読了日:04月02日 著者:高田 晃太郎
注:は電子書籍で読んだ本。
私は何の専門家でもないことを忘れないようにしたい。
真摯な科学の追求には敬意を表する。
一方で、違うと感じ取る肌感覚も疎かにしないでいたい。
<今月のデータ>
購入8冊、購入費用10,929円。
読了10冊。
積読本322冊(うちKindle本153冊)。
複合汚染 (新潮文庫)の感想
連載開始から半世紀。環境汚染、食品添加物、化学肥料、農薬。私たちはずっと同じことを心配してきたし、これからもそうなんだろう。科学技術は確かに人の生活を便利にしたけれど、やりすぎては健康や自然を損なう。著者は興味を持ったら突撃していく。専門家研究者にも地場の労働者にも、農家から屠畜場まで、"地べた"からの声を集めて書く。科学は、必ずしも全体を説明しえないし、物事を解決に導くとは限らない。日々の営みの中で、何かおかしいと感じ取る肌感覚こそ、自分が大切に思うものを守るために備わった人間の能力だと結論する。
一方で、当時の人々が心配し続けたPCBや有機水銀、排気ガスによる、奇形児や短命化のような明らかな健康被害は以降現れなかった。いや、その後使用し始めた諸々を含め、じわじわと人間を蝕んでいるのか。倫理的に問題がある表現かもしれないけれど、精子減少、肌荒れ、諸アレルギーや発達障害のように見えにくい形で、被害はあるんじゃないかという気が私はしているけれど、複合も複合、要因や自然のあまりの複雑さにそれこそ証明できない。先日は頸動脈疾患の患者の血管からマイクロプラスチックが検出される研究が報告されたとか。
著者の考察。英国紳士の嗜みとされたガーデニングは、農夫でない者が、時候や土と生命の関わり合いに気を留め、肌感覚を保つための社会装置だったと指摘する。日本人は戦後、経済成長のために労働者と農家を切り離してしまった。労働者は土や食物に対する感覚を失って、結果的に公害や農薬・食物添加物による健康被害を受けるまで気づかない鈍感な生き物になってしまった。それは現代、生産の場から遠く離れた消費者根性はますます、サプリやらトクホやら、本質を見失った情報に振り回される弱さを体現しているように思える。
いつから日本人は田畑に生える草を一本残らず抜かなければ気が済まなくなったのかの考察も興味深い。海外の有機農業の畑が草だらけなことに著者は驚く。自然農法なら草は味方だ。科学的にも理解が進んできた草と土の関係を考えれば、草を全て抜くのは合理的でない。著者はそれが始まったのは元禄時代ではないかと考察する。百姓は草の役割を骨身で知っており、全て抜いたりはしなかったはずだ。それを抜き始めたのは、農作業を知らないお上が口出しをするようになってからなのではないかと。では現代、草を抜くのはなぜかを、調べてみたい。
読了日:04月25日 著者:有吉 佐和子
気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?の感想
気候は常に変動している。国連やメディアが喧伝している"気候危機"は、人類が蓄積したデータが示す事実と食い違っている。科学を情報提供ではなく説得のために歪める現状を憂えた一流科学者による告発である。つまり、進行形で変動している気候の、それぞれの事象は真に変動しているか、一貫した長期トレンドを形成しているか、人為由来と証明できるか。それが明確でないまま脱炭素に莫大な公金と資源をつぎ込むことは、一部の人に利して、本当の問題から目を逸らさせるように感じる。国連や公益団体のレポートであっても、鵜呑みにしない事。
人為由来の異変と結論づけられないはずの研究結果を、一部研究者は語弊を許容し、政府や国連の公式報告書は明らかな作為や虚偽で社会的意思決定を誤誘導し、メディアは気候危機と恐怖を煽る。信じてよい科学を見定めるのがこれほど難しいとは。『極端な気象・気候現象の多くは自然気候変動(エルニーニョなどの現象を含む)の結果であり、10年または数十年規模の気候の自然変動は人為起源の気候変化の背景を成す。気候に人為起源の変化がなくても、極端な気象・気候現象は自然に発生する』。IPCC「極端現象に関する特別報告書(SREX)」
4月17日、ドバイで12時間に1年分の降雨があり、大規模な洪水が起きたとCNNが報じた。その締めくくりに『人為的な要因による気候変動で、ゲリラ豪雨は今後増えることが予想される』と述べた。これは虚偽の報道である。ゲリラ豪雨はたまの異常気象としてありうべき範囲で、人為起源であるかは証明されていないし、今の科学では人為由来と断定できない。そしてひとつの異常気象と気候変動の間を、一足飛びに結びつけてはならない。ただ気候変動により降水のムラが激しくなり、豪雨現象が増えている傾向があり得る、とは覚えておく。
読了日:04月20日 著者:スティーブン・E・クーニン
山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)の感想
引き続き山頭火。焼き捨てた以降の日記や、「三八九」などに掲載した随筆を集めたもの。随筆は真面目に論じよう、努めて前向きになろうとする気配が無理っぽくてしんどい。かといって泥酔、乱行や不義理の自省と言い訳も度重なればうんざりする。働いて稼がずに生きる世過ぎが、そもそも私には理解しがたい。貧しい人にいただいた喜捨を、いい宿や酒に費やす是非やいかん。と眉をひそめたところで、こちらだって読みながら呑む酒が過ぎており、人のことを言えた義理じゃない。『ほろほろ酔うて木の葉ふる』。風流ではない。この降り積もる苦さよ。
読了日:04月14日 著者:種田 山頭火
「わがまま」がチームを強くする。の感想
ひとりひとりがそうありたいと思う働きかた。それを"わがまま"というワードで"より良い会社"を導きだそうという試み。それにはひとりひとりの社員がわがままを表明する力、上司・経営側にはわがままを引き出す力が必要になる。そのための取組みが種々書かれている。意見を表明する場のハードルを下げる、多数決は取らず議論して決める人を決める、決定権を分散・委譲する、情報の共有・透明化など。だからどれも経営側が仕掛けるべき案件なんだけどね。著者がサイボウズチームワーク総研になっているあたりも、経営陣の企みを感じる。
『手が空いていてぶらぶらしている人がいるくらいの余力がある組織じゃないと、イノベーションは起きない』。これは意見が分かれるところだ。"手が空いていてぶらぶらしている人がいる"のは経営者の精神衛生上、ラクではない。どちらかといえば、「社員には能力の120%くらいの負荷(業務量)をかけたほうが工夫し、結果として業務改善が進む」のほうが受け入れやすい。まあ、こう並べて見ると業務改善とイノベーションは異なるもの、とは言える。そして働かないアリ理論から言っても、余力論のほうが正しい。…と割り切れるかどうか。
読了日:04月09日 著者:サイボウズチームワーク総研
万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)の感想
ジャンル「ブラッドベリ」。架空の世界で起こる出来事も、どこかにありそうな世界で起こる異変もあって、いずれも意表を突かれる。意外性のあるアイデアを組み合わせたというより、物語が勝手にそうなってしまった感が好い。自選と先に知っているせいかどれも読みごたえがある。広島の原爆報道に着想を得たと自ら語った「やさしく雨ぞ降りしきる」は世界の終末の一瞬を描いたもので、西暦2026年の設定である。こんな時世では、ほんとうに2026年にこのような光景が地球のどこかに現れるのではないかと、美しい一瞬が印象を残すゆえに哀しい。
読了日:04月08日 著者:レイ・ブラッドベリ
入門 山頭火の感想
山頭火の句が沁みるのは、その自然の只中における静けさや透明感だけでなく、どうしようもない我が身の、苦悩や諦観も込みで共感するからだ。しかし町田康を案内にその生涯を追うと、簡単に共感しえない業の深さや絶望が露わになる。町田康もまた自分を同じ側に置いて行為を重ね、心中を慮る。真面目、ゆえに懊悩し、酒に逃げ、見失い、全てをふいにしてしまう。ひと所を守る日常すら辛かった山頭火が行乞の旅に出たのは45歳。"解くすべもない惑い"を、見ぬふりや、自分を赦すことなく、直視し続ける人生は苦行だ。我が句は成ったと思えたのか。
放哉亡き後、井泉水から山頭火に南郷庵、堂守引継ぎの打診もあったという。断ったのは歩き続けることへの切迫感、らしい。昨日、放哉忌の記念行事が西光寺で営まれた。大勢が墓石に日本酒を注いだと新聞にある。酒に狂い、酒を断ち得ない自分、酔って乱行に及ぶ自分、どうしようもない自身を生涯抱えて、満たされることなく死んだ彼らが、孤高の俳人、地域の宝などと呼ばれて弔われることは、今はとても不思議に感じる。
読了日:04月07日 著者:町田康
何もしないの感想
SNSのようなものをattention economyと定義し、それらに対して意識的かつ積極的に抵抗する行為として「何もしない」と題している。結果としては自分の時間を取り戻し、オフラインでありローカルであり自然への回帰などに結論する。そこまでの哲学やアートを引用したアプローチが、私には迂遠ではあった。ただ、「何もしない」ことは責任や義務の回避ではありえないという指摘、「注意」を向ける対象を選別するトレーニング、"外側に可能性をつくりだす"重要性などは興味深かった。『しないほうがよろしいのです』。
読了日:04月06日 著者:ジェニー・オデル,Jenny Odell
パンダのうんこはいい匂いの感想
タイトル買い。これも中国異文化ものね、と読み始めたら、そうでないもののほうが多いと気づいた。異文化=すべての知らないことと位置付けているためだ。異文化に触れると人間の幅は広がる。それにしても話題の振れ幅、というより、ネタの豊富さに驚嘆する。いち一般人の生活でこんなにネタある?ってくらい。東京在住で国際高校に進学する人生はこんなドラマチックになるんだろうか。いや、地方だから語ることが何もないなんてことはないし著者も転勤組なんだけど。中国の家族の話がやっぱり興味深いな。冷たい烏龍茶、まさに文化の深ーい相違。
読了日:04月05日 著者:藤岡みなみ
ロバのスーコと旅をするの感想
ロバの姿はなんとなくわかる。著者も、ごく普通の日本男子だ。しかし、彼らが歩いているのはいったいどこなのか、どのような風景でどんな匂いがするのか見当がつかない。イラン、トルコ、モロッコ。それぞれの土地でロバを手に入れ、共に歩く。ムフタールや警官は善意と職責から、歩く著者に声をかけたり世話したりする。豊かな土地であっても、複雑な民族問題など世情に不安定をはらむからこそ、理不尽とわかっているルールでも旅人に強制しないとならない。そこを徒歩でなんて、そりゃ疑わしく思われても仕方ない。よくぞ無事だったものだ。
読了日:04月02日 著者:高田 晃太郎
注:は電子書籍で読んだ本。
Posted by nekoneko at 16:45│Comments(0)
│読書