2019年06月01日
2019年5月の記録
7月14日にサンポートで開催される「海の見える一箱古本市」への出店が決まりました。
初めての出店でドキドキものだった前回を踏まえて、いざ2回目の参加へ!
一箱古本市へ個人で出店ということは、自分が読んだ本を並べて販売するわけです。
そのタイトルにピンときてくれるお客さんに出会えたときの快感といったら!
積読の、主にノンフィクション/フィクションのハードカバー本を消化に努めます。
前回の売れ残りも、たいがいな冊数あるので、大量出品になる予感。。。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用14,342円。
読了14冊。
積読本168冊(うちKindle本60冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:14
あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)の感想
文字の発生が心という認識を生んだ。それまで身体の思考に従って生きていたのが、心の存在を前提に思考するようになったために、たくさんの矛盾や主客転倒が生まれた。人生を辛くするのは「心」の仕業。心と世界のあわいとしての身体など、様々な切り口から心について、「あわい」について説明する。安田さんは多彩な能楽師だとは思っていたが、麻雀やポーカー、甲骨文字、ナイトクラブでのピアノ弾きなど経験も豊富なら読書の質と量も生半可ではなく、古典読解に基づく文章は、平明なのにずっしりきた。
「からだ」についての言及がここにも。からだと魂を別扱いするのは古代ギリシャ以来の西洋のやり方である。日本人は身体と魂との統一体としての身をそのまま受け入れてきた、その印は古来の文書にみることができる。器としてのからだに満ちるものまとめて「からだ」。把握も制御も必要ない、直感も実感も直結した身体の思考のまま生きられたらどんなに心地よいだろう。そこにできるだけ近づいて生きるためにも、自分があわいを感じられる場所は大事にしないといけないな。
読了日:05月29日 著者:安田登
好奇心を“天職"に変える空想教室の感想
中学生か、がんばれば小学生でも読めそうだ。人間が今までできなかったことを実現する人になろう。という夢いっぱいに生きるための応援歌。著者は何度も言う。『なんぼでも』。『なんでも』。物づくりの知識も材料も、現代では手に入りやすくなった。子供の頃の「ボタンがあったら押してみたい」気持ちは諦めるんじゃなくて、やってみる。やめるんじゃなくて、他の方法を考えてみる。それを続ける。一生懸命は「一生、好きでいて」だという説明が素敵。好きなことは、止めろと言われてもやったほうがいい。んで、「ちゃんとしているふり」はやめる。
読了日:05月28日 著者:植松 努
身体の聲 武術から知る古の記憶の感想
内田先生との対談と重なる部分もあるし、師匠づてに伺った話題もある。こうして本にすると、光岡さんが身体について深く考察し実践されてきた真面目な姿勢がよくわかる。今と昔とでは生活様式も労働観も違い、従って身体性能も身体観も違う。なのに古人と同じ稽古で修練はできるのか。その昔、意拳発祥の背景にも身体の世代間ギャップがあった、だから站椿が生まれたという推論が鮮烈だった。その站椿は現在にも有意だ。『無中生有』。実感が無い=ニュートラルな状態にしておいて、初めて意を生ず。有ることの兆しが感覚。先日の稽古につながった。
肩より肚や足腰への「集注」。気を沈めることを、先日の稽古ではやっていたのだな。やってみると、自分が思っていた気の沈め方では甘かった。『肚や丹田は足裏が土に接するところまである』という光岡さんの表現に近かったような気もする。あれは集まれているのか。動ける「状態」なのか。いろんな"感じ"を感じてみて、区別出来るようになれることが「こと分けて観る」の実践なのだろうと思った。
「からだ」の日本語表現についての言説も新鮮だった。體、体、躰、躯とたくさん表現があるのは、古来日本人が多様性を知っていた証拠。そもそもの詰まった體に戻ることへの志向。身と体は中身と器なのに身体ではごっちゃ。南木佳士が「からだ」という表現を選んで使っているのは、偶然か必然か、病の中で得た実感で、それは正しいのだろう。
読了日:05月27日 著者:光岡英稔
牛たちの知られざる生活の感想
牛と人間が共生する在り方として、最も理想的な光景ではないか。この農場は数十年に渡り、広大な敷地に牛を放し飼いしている。牛たちは行きたい場所へ行き、食べたい草を選んで食べる。家族や友達と過ごし、手助けが必要な時は人間に目配せをする。犬や猫の飼い主がそう感じるのと同様、牛は人間に意思表示をする。集約管理型の農場では薬物投与が欠かせないのに対し、放し飼いの農場では牛が病気になりにくい。心地よく生きるための方法は牛自身が知っている。自ら癒やすための行動を取る知性は備わっており、免疫力も高い。悪いことなど何も無い。
牛の自由な行動を制限しないことで、牛の額の幅は広くなり、顔つきや行動は変わるという。数世代放し飼いを続ければ、牛から牛への知恵の伝達が出来、知性は蓄積される。集約管理式と放し飼い式では脳の大きさが30%も変わってくるなんて、信じられるだろうか? 牛舎に詰め込まれた牛が愚かに見えるのは、人間が牛から知性を発揮する生を奪ったからなのだ。東日本大震災で放たれた牛たちが用水路から上がれなくなって衰弱死したが、もし日頃から屋外で過ごしていたら、知恵を得ていたら、水路にはまり込むこともなかったに違いない。
読了日:05月25日 著者:ロザムンド・ヤング
佐藤優の集中講義 民族問題 (文春新書)の感想
民族の定義など、理論の部分は難しめで飲み込みづらいが、今の日本やばいと感じている人にはお勧めだ。『自分たちの民族意識のなかには、常に病理が潜んでいる可能性がある』。『もし他国がおかしいと見えるときには、自国のナショナリズムに病理が発生している』。今の日本のメディアに充満している日本人凄い病はまさにそれだろう。ヘイト本もそれだろう。病理は既にある。ナショナリズムを煽ることはできても、コントロールすることは誰にもできない。とすれば行きつくところまで行くしかないということになる。その覚悟が私たちにあるだろうか?
一方、『差別が構造化していると、それを克服するために分離独立運動が出てくる』。国内では沖縄がそれだ。事が起こるにつけ、本土人だって沖縄のためになにかすべきだと思ってきたが、佐藤氏はそう考えない。沖縄のことは沖縄人が徹底的に議論すべきで、当事者性のない人はよそのナショナリズムに関与すべきでないとある。歯がゆいが、成り行きを見守るしかないのか。
外国のこともそうだ。過去の事例を説きながら、紛争が始まったときに周囲ができるのは重火器が入らないようにすることだけと指摘する。あとは徹底的に戦わせ、当事者同士が交渉・合意に至るしかないと。関与や仲裁や介入は泥沼しか生まないと。泥沼しか生まなかった例は、私が生きている間に起こったものだけでもごろごろある。"エスノクレンジング"という概念をおぼろげながら理解したとき、ぞっとした。民族自体が存在しなくなれば…確かに摩擦も衝突もなくなる。そしてそれは、これまでにも何度も起きてきたことなのだ。
読了日:05月23日 著者:佐藤 優
あやしい探検隊 台湾ニワトリ島乱入の感想
男って何歳になっても少年の心持ってるんやなぁ。その少年の部分を表に出せる男は馬鹿な行動をしていても魅力的だし、社会の中で押し隠して生きる男はくたびれて見えるんだろう。さて、少年の心丸出しに、台湾の片田舎で合宿する男共、約30名。その中心にいるのが生ける伝説椎名誠だ。料理をする。釣りをする。夜市へ繰り出す。野球をする。そして毎日底なしにビールを飲む。『みんな付き合いが長いからねえ。だからここまでやってきたんだから、みんなさらにもっと元気で長く生きて、一緒にもっといろんなバカをやって遊ぼうな、と思うんだよ』。
読了日:05月23日 著者:椎名 誠
ぜったいに おしちゃダメ?の感想
「空想教室」を読んでいて思い出したのがこの絵本。先週、ジュンク堂で面陳してあったので立ち読みしたのだった。ストーリーとしては、押した結果いろんな作用が現れて楽しいね、の本。押せるところと、笑えるところが子供に受けるらしい。しかし今日、「空想教室」を読んで思うのは、子供には、押したら怒られるから、目の前のボタンを押すことを選択できる子になってほしいということ。押したら怒られるからと、押すのを我慢する子にはなってほしくないということ。姪っ子にスイッチ付で買うことに決めた。
読了日:05月19日 著者:ビル・コッター
読書間奏文の感想
期待されているであろうセカオワのピアニストとしてのエピソードと、読んだ本の一節の釣り合いが良い。虚構でなく自身の心象と強く結びついていることが容易に想像できる。ウィスキーのエピソードの意外性や、主に小説が選ばれる中にエッセイやフェミニズム批評を挟んでくるさじ加減も、にくい。そもそも、冒頭の図書室のエピソードでぐっと掴まれた。図書室の暗幕カーテンにくるまっていた私、本のページから視線を逸らさないよう努めていた私の記憶が一緒になって震えた。さおり蛙さん、大丈夫。大海に出られますよ。私はその姿を見たいです。
読了日:05月19日 著者:藤崎 彩織
丁先生、漢方って、おもしろいです。 (朝日文庫)の感想
漢方の知識を聞きかじって以来、漢方薬を常用するようになった。ちょっと調子が悪いだけで気軽に飲める。とても調子が良い。その流れで、漢方医の見かたで人間を見るこの本に出会った。まるで今まで生きてきた世界を真横から見るような転換を感じた。そのくらい人間の体の捉え方が違う。遺伝子レベルまで解析する西洋医学と、人間全体を眺める伝統医学。西洋医学的診断と漢方薬を統合的に使う日本の処方は、神道と仏教の扱いにも似て、ファジーでありながら実利的だ。こうなると、これまでの人生で摺り込まれた概念どもを変換する必要があるな。
読了日:05月19日 著者:丁宗鐵,南伸坊
イラクの小さな橋を渡っての感想
アメリカ同時多発テロが2001年。著者がイラクを訪れた2002年は、米英の首脳が虚偽の発言を繰り返した、イラク戦争開戦前夜だ。一般的な知識から、イラク人の人柄や生活ぶりを一般人の目で見、所感を述べる内容になっている。先月は平成の時代を振り返るテレビ番組が乱発された。なんとなく観ていて、イラク戦争は一つの転機であったのだと思った。国家を動かす立場にある人間が、故意に虚偽を宣言し、侵攻の口実をつくり、他国の人民の丁寧な生活と未来を奪う時代の始まり。イラクはそこらの自称先進国より、はるかに豊かな国だった。
読了日:05月19日 著者:池澤 夏樹
ザ・町工場の感想
業種も立場も近いので、人を育てるにあたっての課題は同じ。そのやりかたはとても参考になる。社内ルールを決めたら徹底して守らせる。ただそれだけのことが、難しい。怒りに任せて険のある言葉を突きつけるよりは、率直かつ配慮ある物言いのほうが、相手には届く。そのためには、反射的に返すのではなく、最も効果的な機を狙い、フラットな心もちで、練った言葉を伝えるのだ。腹が立ったら社員への思いを思い出せ。この著者は言い回しもタイミングもほんとに絶妙。『私を怒らせない言葉に直して言ってごらん』なんて、私も今度、絶対言ってやる。
サーバント・リーダーシップ:組織全体に奉仕し、部下との間にWin-Winの関係を築くことを旨とする。一方的に命令するのではなく、部下の意見を傾聴し、適切なアドバイスを送ることで信頼関係を醸成する。部下の失敗に対しても無意味に叱り飛ばすことはなく、失敗の原因をともに突き止めそこから学ぶ環境づくりを心がけることで、組織として同じ失敗を繰り返さないようにする。
読了日:05月16日 著者:諏訪 貴子
神なるオオカミ・下の感想
モンゴルの青い空と大草原。オオカミの空を翔ける幻を見たい。ぽっかりと大きな穴の空いたような喪失感が残る。モンゴル民族が、厳しい自然環境だからこそ生み出し、守り続けた古来の知恵こそがタンゴルの教え。故郷を愛するがゆえに信じ、守ることができるのだろう。外から来て、愛する気がなければ、いずれは破壊と略奪しかない。この普遍の真実を、教養ある漢民族の青年に目撃させることで地球まるごとに広がる物語になっている。獣たちの魂も愛せないで、人間はいったい何をわかったつもりになってるんだろう。どこへ行けると思っているのか。
『陳陣は両手を高くあげ、青空を仰ぎみて、かれらの魂がタンゴルで平穏で幸せであるように祈った』。私も祈る。母なる自然は違えど、祈る姿勢は同じ。知りながら救うことのできない私たちを、思い切り噛んでくれ。
読了日:05月10日 著者:姜 戎
忘れられた花園〈下〉 (創元推理文庫)の感想
痛ましく、おぞましい物語だった。「秘密の花園」のモチーフに、ついコテージや花園を心安らぐ場所と思い描く。しかし、対照的に屋敷は暗く、人をがんじがらめに閉じ込めて、住む人々の性根をどうしようもなく醜悪なものに変えてしまった。真相を薄々察したとき、まさかと思いながら鳥肌が立った。ああいった人々が生まれる時点で、屋敷と一族は呪われていたと言いたい。『人生は(中略)手に入れ損なったもので測っちゃ駄目』。でもたったあれだけのものでイライザは満たされなければならなかったのか。あるいは満たされるに足るものがあったのか。
読了日:05月06日 著者:ケイト・モートン
忘れられた花園〈上〉 (創元推理文庫)の感想
ネル。イライザ。彼女たちの過去になにがあったのか。少しずつ明らかになる事実は、一族に連なる女性たちそれぞれの悲しみをも明るみに出し、陰翳の濃い肖像画を並べてゆくようだ。後半になると、なるほど「秘密の花園」の形が見えてくる。屋敷、庭、メイドに庭師、二人の子供。しかし、やはり単純でない思惑と更なる事件が隠されているようで、なんとも不穏な予感がする。その一部は、イライザの穏当ならざる物語のせいでもある。ああ、イライザ。彼女はお屋敷でどのように生きたのか。風景描写が繊細で、バーネットとはまた違った雰囲気がある。
読了日:05月01日 著者:ケイト・モートン
注:
はKindleで読んだ本。
初めての出店でドキドキものだった前回を踏まえて、いざ2回目の参加へ!
一箱古本市へ個人で出店ということは、自分が読んだ本を並べて販売するわけです。
そのタイトルにピンときてくれるお客さんに出会えたときの快感といったら!
積読の、主にノンフィクション/フィクションのハードカバー本を消化に努めます。
前回の売れ残りも、たいがいな冊数あるので、大量出品になる予感。。。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用14,342円。
読了14冊。
積読本168冊(うちKindle本60冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:14

文字の発生が心という認識を生んだ。それまで身体の思考に従って生きていたのが、心の存在を前提に思考するようになったために、たくさんの矛盾や主客転倒が生まれた。人生を辛くするのは「心」の仕業。心と世界のあわいとしての身体など、様々な切り口から心について、「あわい」について説明する。安田さんは多彩な能楽師だとは思っていたが、麻雀やポーカー、甲骨文字、ナイトクラブでのピアノ弾きなど経験も豊富なら読書の質と量も生半可ではなく、古典読解に基づく文章は、平明なのにずっしりきた。
「からだ」についての言及がここにも。からだと魂を別扱いするのは古代ギリシャ以来の西洋のやり方である。日本人は身体と魂との統一体としての身をそのまま受け入れてきた、その印は古来の文書にみることができる。器としてのからだに満ちるものまとめて「からだ」。把握も制御も必要ない、直感も実感も直結した身体の思考のまま生きられたらどんなに心地よいだろう。そこにできるだけ近づいて生きるためにも、自分があわいを感じられる場所は大事にしないといけないな。
読了日:05月29日 著者:安田登

中学生か、がんばれば小学生でも読めそうだ。人間が今までできなかったことを実現する人になろう。という夢いっぱいに生きるための応援歌。著者は何度も言う。『なんぼでも』。『なんでも』。物づくりの知識も材料も、現代では手に入りやすくなった。子供の頃の「ボタンがあったら押してみたい」気持ちは諦めるんじゃなくて、やってみる。やめるんじゃなくて、他の方法を考えてみる。それを続ける。一生懸命は「一生、好きでいて」だという説明が素敵。好きなことは、止めろと言われてもやったほうがいい。んで、「ちゃんとしているふり」はやめる。
読了日:05月28日 著者:植松 努

内田先生との対談と重なる部分もあるし、師匠づてに伺った話題もある。こうして本にすると、光岡さんが身体について深く考察し実践されてきた真面目な姿勢がよくわかる。今と昔とでは生活様式も労働観も違い、従って身体性能も身体観も違う。なのに古人と同じ稽古で修練はできるのか。その昔、意拳発祥の背景にも身体の世代間ギャップがあった、だから站椿が生まれたという推論が鮮烈だった。その站椿は現在にも有意だ。『無中生有』。実感が無い=ニュートラルな状態にしておいて、初めて意を生ず。有ることの兆しが感覚。先日の稽古につながった。
肩より肚や足腰への「集注」。気を沈めることを、先日の稽古ではやっていたのだな。やってみると、自分が思っていた気の沈め方では甘かった。『肚や丹田は足裏が土に接するところまである』という光岡さんの表現に近かったような気もする。あれは集まれているのか。動ける「状態」なのか。いろんな"感じ"を感じてみて、区別出来るようになれることが「こと分けて観る」の実践なのだろうと思った。
「からだ」の日本語表現についての言説も新鮮だった。體、体、躰、躯とたくさん表現があるのは、古来日本人が多様性を知っていた証拠。そもそもの詰まった體に戻ることへの志向。身と体は中身と器なのに身体ではごっちゃ。南木佳士が「からだ」という表現を選んで使っているのは、偶然か必然か、病の中で得た実感で、それは正しいのだろう。
読了日:05月27日 著者:光岡英稔

牛と人間が共生する在り方として、最も理想的な光景ではないか。この農場は数十年に渡り、広大な敷地に牛を放し飼いしている。牛たちは行きたい場所へ行き、食べたい草を選んで食べる。家族や友達と過ごし、手助けが必要な時は人間に目配せをする。犬や猫の飼い主がそう感じるのと同様、牛は人間に意思表示をする。集約管理型の農場では薬物投与が欠かせないのに対し、放し飼いの農場では牛が病気になりにくい。心地よく生きるための方法は牛自身が知っている。自ら癒やすための行動を取る知性は備わっており、免疫力も高い。悪いことなど何も無い。
牛の自由な行動を制限しないことで、牛の額の幅は広くなり、顔つきや行動は変わるという。数世代放し飼いを続ければ、牛から牛への知恵の伝達が出来、知性は蓄積される。集約管理式と放し飼い式では脳の大きさが30%も変わってくるなんて、信じられるだろうか? 牛舎に詰め込まれた牛が愚かに見えるのは、人間が牛から知性を発揮する生を奪ったからなのだ。東日本大震災で放たれた牛たちが用水路から上がれなくなって衰弱死したが、もし日頃から屋外で過ごしていたら、知恵を得ていたら、水路にはまり込むこともなかったに違いない。
読了日:05月25日 著者:ロザムンド・ヤング

民族の定義など、理論の部分は難しめで飲み込みづらいが、今の日本やばいと感じている人にはお勧めだ。『自分たちの民族意識のなかには、常に病理が潜んでいる可能性がある』。『もし他国がおかしいと見えるときには、自国のナショナリズムに病理が発生している』。今の日本のメディアに充満している日本人凄い病はまさにそれだろう。ヘイト本もそれだろう。病理は既にある。ナショナリズムを煽ることはできても、コントロールすることは誰にもできない。とすれば行きつくところまで行くしかないということになる。その覚悟が私たちにあるだろうか?
一方、『差別が構造化していると、それを克服するために分離独立運動が出てくる』。国内では沖縄がそれだ。事が起こるにつけ、本土人だって沖縄のためになにかすべきだと思ってきたが、佐藤氏はそう考えない。沖縄のことは沖縄人が徹底的に議論すべきで、当事者性のない人はよそのナショナリズムに関与すべきでないとある。歯がゆいが、成り行きを見守るしかないのか。
外国のこともそうだ。過去の事例を説きながら、紛争が始まったときに周囲ができるのは重火器が入らないようにすることだけと指摘する。あとは徹底的に戦わせ、当事者同士が交渉・合意に至るしかないと。関与や仲裁や介入は泥沼しか生まないと。泥沼しか生まなかった例は、私が生きている間に起こったものだけでもごろごろある。"エスノクレンジング"という概念をおぼろげながら理解したとき、ぞっとした。民族自体が存在しなくなれば…確かに摩擦も衝突もなくなる。そしてそれは、これまでにも何度も起きてきたことなのだ。
読了日:05月23日 著者:佐藤 優


男って何歳になっても少年の心持ってるんやなぁ。その少年の部分を表に出せる男は馬鹿な行動をしていても魅力的だし、社会の中で押し隠して生きる男はくたびれて見えるんだろう。さて、少年の心丸出しに、台湾の片田舎で合宿する男共、約30名。その中心にいるのが生ける伝説椎名誠だ。料理をする。釣りをする。夜市へ繰り出す。野球をする。そして毎日底なしにビールを飲む。『みんな付き合いが長いからねえ。だからここまでやってきたんだから、みんなさらにもっと元気で長く生きて、一緒にもっといろんなバカをやって遊ぼうな、と思うんだよ』。
読了日:05月23日 著者:椎名 誠


「空想教室」を読んでいて思い出したのがこの絵本。先週、ジュンク堂で面陳してあったので立ち読みしたのだった。ストーリーとしては、押した結果いろんな作用が現れて楽しいね、の本。押せるところと、笑えるところが子供に受けるらしい。しかし今日、「空想教室」を読んで思うのは、子供には、押したら怒られるから、目の前のボタンを押すことを選択できる子になってほしいということ。押したら怒られるからと、押すのを我慢する子にはなってほしくないということ。姪っ子にスイッチ付で買うことに決めた。
読了日:05月19日 著者:ビル・コッター

期待されているであろうセカオワのピアニストとしてのエピソードと、読んだ本の一節の釣り合いが良い。虚構でなく自身の心象と強く結びついていることが容易に想像できる。ウィスキーのエピソードの意外性や、主に小説が選ばれる中にエッセイやフェミニズム批評を挟んでくるさじ加減も、にくい。そもそも、冒頭の図書室のエピソードでぐっと掴まれた。図書室の暗幕カーテンにくるまっていた私、本のページから視線を逸らさないよう努めていた私の記憶が一緒になって震えた。さおり蛙さん、大丈夫。大海に出られますよ。私はその姿を見たいです。
読了日:05月19日 著者:藤崎 彩織


漢方の知識を聞きかじって以来、漢方薬を常用するようになった。ちょっと調子が悪いだけで気軽に飲める。とても調子が良い。その流れで、漢方医の見かたで人間を見るこの本に出会った。まるで今まで生きてきた世界を真横から見るような転換を感じた。そのくらい人間の体の捉え方が違う。遺伝子レベルまで解析する西洋医学と、人間全体を眺める伝統医学。西洋医学的診断と漢方薬を統合的に使う日本の処方は、神道と仏教の扱いにも似て、ファジーでありながら実利的だ。こうなると、これまでの人生で摺り込まれた概念どもを変換する必要があるな。
読了日:05月19日 著者:丁宗鐵,南伸坊

アメリカ同時多発テロが2001年。著者がイラクを訪れた2002年は、米英の首脳が虚偽の発言を繰り返した、イラク戦争開戦前夜だ。一般的な知識から、イラク人の人柄や生活ぶりを一般人の目で見、所感を述べる内容になっている。先月は平成の時代を振り返るテレビ番組が乱発された。なんとなく観ていて、イラク戦争は一つの転機であったのだと思った。国家を動かす立場にある人間が、故意に虚偽を宣言し、侵攻の口実をつくり、他国の人民の丁寧な生活と未来を奪う時代の始まり。イラクはそこらの自称先進国より、はるかに豊かな国だった。
読了日:05月19日 著者:池澤 夏樹

業種も立場も近いので、人を育てるにあたっての課題は同じ。そのやりかたはとても参考になる。社内ルールを決めたら徹底して守らせる。ただそれだけのことが、難しい。怒りに任せて険のある言葉を突きつけるよりは、率直かつ配慮ある物言いのほうが、相手には届く。そのためには、反射的に返すのではなく、最も効果的な機を狙い、フラットな心もちで、練った言葉を伝えるのだ。腹が立ったら社員への思いを思い出せ。この著者は言い回しもタイミングもほんとに絶妙。『私を怒らせない言葉に直して言ってごらん』なんて、私も今度、絶対言ってやる。
サーバント・リーダーシップ:組織全体に奉仕し、部下との間にWin-Winの関係を築くことを旨とする。一方的に命令するのではなく、部下の意見を傾聴し、適切なアドバイスを送ることで信頼関係を醸成する。部下の失敗に対しても無意味に叱り飛ばすことはなく、失敗の原因をともに突き止めそこから学ぶ環境づくりを心がけることで、組織として同じ失敗を繰り返さないようにする。
読了日:05月16日 著者:諏訪 貴子

モンゴルの青い空と大草原。オオカミの空を翔ける幻を見たい。ぽっかりと大きな穴の空いたような喪失感が残る。モンゴル民族が、厳しい自然環境だからこそ生み出し、守り続けた古来の知恵こそがタンゴルの教え。故郷を愛するがゆえに信じ、守ることができるのだろう。外から来て、愛する気がなければ、いずれは破壊と略奪しかない。この普遍の真実を、教養ある漢民族の青年に目撃させることで地球まるごとに広がる物語になっている。獣たちの魂も愛せないで、人間はいったい何をわかったつもりになってるんだろう。どこへ行けると思っているのか。
『陳陣は両手を高くあげ、青空を仰ぎみて、かれらの魂がタンゴルで平穏で幸せであるように祈った』。私も祈る。母なる自然は違えど、祈る姿勢は同じ。知りながら救うことのできない私たちを、思い切り噛んでくれ。
読了日:05月10日 著者:姜 戎


痛ましく、おぞましい物語だった。「秘密の花園」のモチーフに、ついコテージや花園を心安らぐ場所と思い描く。しかし、対照的に屋敷は暗く、人をがんじがらめに閉じ込めて、住む人々の性根をどうしようもなく醜悪なものに変えてしまった。真相を薄々察したとき、まさかと思いながら鳥肌が立った。ああいった人々が生まれる時点で、屋敷と一族は呪われていたと言いたい。『人生は(中略)手に入れ損なったもので測っちゃ駄目』。でもたったあれだけのものでイライザは満たされなければならなかったのか。あるいは満たされるに足るものがあったのか。
読了日:05月06日 著者:ケイト・モートン

ネル。イライザ。彼女たちの過去になにがあったのか。少しずつ明らかになる事実は、一族に連なる女性たちそれぞれの悲しみをも明るみに出し、陰翳の濃い肖像画を並べてゆくようだ。後半になると、なるほど「秘密の花園」の形が見えてくる。屋敷、庭、メイドに庭師、二人の子供。しかし、やはり単純でない思惑と更なる事件が隠されているようで、なんとも不穏な予感がする。その一部は、イライザの穏当ならざる物語のせいでもある。ああ、イライザ。彼女はお屋敷でどのように生きたのか。風景描写が繊細で、バーネットとはまた違った雰囲気がある。
読了日:05月01日 著者:ケイト・モートン
注:

Posted by nekoneko at 11:23│Comments(0)
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