2019年07月02日
2019年6月の記録
今月の一箱古本市に向けて消化にかかった月。
それでも減らないなぁ、読んでも読んでも買い込むから。
Kindle本を安く買える機会は逃さず買い込む。
書店で出会うべくして出会ったと思える本は逃さず買い込む。
この傾向は、ますます激しくなってきている。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用28,318円。
読了20冊。
積読本163冊(うちKindle本64冊)。

6月の読書メーター
読んだ本の数:20
銀狼王 (集英社文庫)の感想
リアリティの点では、「羆撃ち」に及ばない。しかし現代の日本では絶滅してしまったオオカミがまだ生息していた時代、日本の猟師とオオカミはどのように対峙していただろうかと思いを馳せるとき、息を詰めて銀狼の姿を目前に描かずにいられなかった。計り知れない天賦の知性。犬には敵わない、獣の頂点たる威厳。その眼。どんなに神々しかったろう。一方、猟犬疾風のなんと愛くるしい表情。主人公と疾風の関係は「老人と海」の老人と子供を思わせる。答えを返してくれてもくれなくても、そこにいるだけで心の支えになる、その存在の貴さよ。
読了日:06月28日 著者:熊谷 達也
ストーカーとの七〇〇日戦争の感想
気になり、文庫化など待てなかった。本を開いて数ページ目にして尋常でない状況に転がり落ちていく。怖い! 自分の恐怖体験も思い出して胃がよじれる。全身を苛む苦痛に本当の終わりが無いなんて。前作あとがきの不穏な気配はこれだった。何が衝撃だったと言って、日本人が行かない世界の辺境へ飛び込んでルポを書き上げた内澤さんが恐怖により判断力も思考力も奪われたことだ。島で理想の生活を築き上げた内澤さんが心の安寧をはじめ全てを一瞬で奪われたことだ。私の願いなんぞ何の役にも立たないけれど。きっと、小豆島で生き延びてください。
読了日:06月28日 著者:内澤 旬子
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣の感想
わかっている。ヒトは多分、世界で起きる全ての事象を理解する能力は持ち合せていない。自分と近しい周りのことくらいだ。なのに情報は溢れていて。遠くの人間や動物が被った不幸を知る度、義憤に駆られて誰かを罵らずにいられない。教育レベルの高い人のほうが世界の状況を誤認しているという調査結果は衝撃的だ。報道は世界を正しく見るための手段ではなく、断片。正確な事実認識は、自らデータを取りに行かなければ得られない。そのうえ、変化し続ける現実を一つ一つ受け止め、知り続けてはいられないのだと知り、驕りがちな自分を戒めることだ。
ユニセフやWWFが寄付を呼びかける広告は、寄付したい気持ちを喚起するために、胸の痛むような写真や哀れな「現実」を繰り返し目の前に突き付ける。そのことが、世界をより良くするための活動に協力したいと思っている私たちの目を、世界が少しずつでも良くなっていっているという、データが証明する事実からずれた認識を持たせる働きをしているという。ロヒンギャ迫害や内戦のような突発的な困窮を除き、子どもや女性をはじめとする弱者・貧困にある人の置かれた状況は良くなりつつある。それはそれとして知っておく必要がある。いろいろ難しい。
福島の原発事故について、「誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった」という記述があり、悲しくなった。これは、危険が少ない事実にもかかわらず、恐怖感から重要視するリスクについて扱った章だ。あのとき、放射能を恐れ、避難した福島の人たちの取った行動、報道や行政の動きも妄動だったというのか。そのせいで、皆失意のうちに亡くなっていった、あれは亡くさずに済んだはずの命だと自責するべきだというのか。
読了日:06月28日 著者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
ウィスコンシン渾身日記の感想
2年間のウィスコンシン滞在記。読み始めてすぐに、素直な性質の女性だと感じた。平易で流れのよい日本語。初めてのアメリカでの生活で、事件は日々起きる。体験しなければわからないことが世界にはたくさんある。その様々の混乱にもかかわらず、感じた率直なところの言葉がつなげられるから、こちらもするする読むことができるのだ。この人はぶち当たった壁を、もがきながらでもしなやかに拡げていける人だ。巻末の内田先生の言葉は羨ましすぎて泣きそうになる。そしてどうやら、先生と慕う人への姿勢、教わる姿勢は、身につくべくしてつくようだ。
読了日:06月25日 著者:白井 青子
こうしてイギリスから熊がいなくなりましたの感想
ノンフィクションに近いものかと思ったら違っていて戸惑った。不思議な物語。サーカス用のペチコートを履かされたり、潜水士を務めたり、愛嬌がある物語用の熊かと思いきや、その行動や挿絵から感じ取る熊は、冷たく、鋭く、怖い。こちらもたいがいに酷薄である人間に一瞬だけ畏れられ、利用され、狩られ、やがて熊たちは声を聴く。そして熊たちはいなくなった…。実際にイギリスの野生の熊は絶滅している。どころか様々な動物が、主にハンティングによって絶滅に追い込まれている。動物保護大国のように思っていたけれど、これもまた一つの側面だ。
読了日:06月23日 著者:ミック・ジャクソン
「サル化」する人間社会 (知のトレッキング叢書)の感想
ゴリラおもしろい。同じ霊長類でも、ゴリラとサルと人間では性質も社会性も違っている。ゴリラは優劣のない社会をつくる。サルは厳密な階層社会をつくる。ゴリラは相手の目を見て意思疎通する。サルが相手の目を見るのは威嚇するとき。ゴリラは総じて温かくて感情豊かで繊細だ。さて、家族という集団をつくる人間。個食が社会問題として浮上した頃の文章だろうか。食事を家族で分け合うのではなく、買って一人で食べる時代になり、家族という仕組みの崩壊を予見して、山極さんは人間の未来を憂える。もっとゴリラ読みたい。ゴリラの歌聴きたい。
読了日:06月21日 著者:山極 寿一
徳島発幸せここに 第1巻 若い力を惹き付ける地方の挑戦 (ニューズブック)の感想
全域への光ファイバー敷設など、徳島県は隣県人から見ても目覚ましい取組みが多く目につき、さぞ敏腕の現知事が英断しているのだろうと思っていた。その実は、行政を頼らないことで高まったボトムアップの変化であるという。補助金ではなく、住民の熱意と経営や起業の手法が噛み合ったとき、変革は起こる。「四国若者1000人会議」の頃にはその動きがあったのだなあ。若い人がローカルに目を向けているという現状があるとすれば、行政が敏感に呼応したもん勝ちだろう。価値観の転換はもう始まっている。賛同できるものには積極的に乗っかりたい。
読了日:06月21日 著者:徳島新聞社
水曜日のうその感想
亡き祖父母のことを想いながら読んだ。自分が老祖父母に優しく接せない孫娘であったことを棚に上げて、なんと不誠実な息子だとなじった。娘の拡がりつつある世界、老父の内なる豊かな世界に思い至らない、狭量な父親。『こんなのぜんぶ、ばかげてる!』 子供より孫が気づく事ってあるのだと思う。更には、身内より隣人が気づく事も。老人の内面は、生きた年数の分だけ豊かだ。それに気づける程、また聞き出せる程、若い者はえてして余裕がなく想像力が及ばないものなのかもしれない。表題と章番号が鏡文字なのが暗示的。手触りの優しい装丁が素敵。
読了日:06月18日 著者:C. グルニエ
好日日記―季節のように生きるの感想
前作で『やめるまで、やめないでいる』と決意した後も、森下さんは同じ先生の元でお稽古を続けられている。今作は二十四節気に沿った一年ぶんのエッセイだ。今回もたくさんの胸に沁みる言葉に出会った。『習っているのは、技術ではなく、道を進むこと』。まさに。先生の掛軸にあった『柳は緑、花は紅』という言葉には、森下さんの文章を通じて救われた。私は私でしかない稽古をする。それから、先生が先生でいてくださることの貴重さを思った。先生がいつまでお稽古してくださるか。それを思うと、生徒でいられる時間を粗末にしてはいけないと思う。
さらりと読み終えてしまったが、こうして気になった言葉を見返すと、へヴィに響いてくる。『歳をとると人間が丸くなるって言うけど、あれ嘘ね』。『いくつになっても、人は心穏やかになどならない。みんな、生まれ持った自分自身と闘っている』。『目指しても目指しても終わりのない道を歩くことは、なんて楽しいのだろう』。『内へ内へと熟す』。『お点前は完璧を目指すものでありながら、それは狙ってかなうものではなく、その日その時の自分を無欲で生きたとき、はからずも手に落ちてくるものなのかもしれない』。
読了日:06月18日 著者:森下 典子
ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台 Vol.4 「発酵×経済」号の感想
直接関係ないはずなのにどうしてかつながり合った人や思想の流れに触れていると気づくことがある。お気に入りの地元書店ルヌガンガでもミシマ社でも、なにか気になって接触すると、以前気になった他のものとつながっていると知る。磁場か錯覚か。例えば都会より地方。数値より感覚。値段より重み。個人にとっては大事で、でも大勢から見れば些細なもの。ごく一部のムーブメントなのか、なにか大きな変化の先駆けなのか。三島氏の言うように、平川克美氏の思想にその鍵があるように思ったので、これから読む。『これからの10年が黄金時代』ですよ。
読了日:06月15日 著者:
「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)の感想
家事にまつわる諸問題から拡げて家族の在り方を扱ったもので、表題はインパクトを狙いすぎ。さて、海外の例を引くと必ず出てくる家事の外注を、私は好いと思ったことがない。これは日本人の思い込みというより、家事=身の始末だと思っているからだと思う。他人にしてもらうくらいならしないほうがマシ。考え込んだのは「たとえ忙しくてきちんとできない場合でも、きちんとしているように見えること」への執着についてだ。食事しかり、片づけしかり。"自己満足"と"自分が満足している"ことは違う。断捨離よりも、したい生き方の整理を習慣に。
読了日:06月15日 著者:佐光紀子
国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)の感想
NHK「推しボン!」に出演されたヤマザキマリの、テレビ画面を通しても伝わるタフさに魅了された。選ぶ本も独特だった。このエッセイの選本は当然ながらだいぶ被っていて、番組よりディープに語られる言葉はヤマザキマリ以外の誰のものでもなく、その深さにまた圧倒された。『人から見たらその人の突出してゆがんでいるポイントにこそ、その人がその人だけの道を切り開いた秘密が隠されているように思うのです』。手に負えない孤独や寂しさこそが想像力や個性の源泉。歪みすら矯めたり繕ったりしなくていい。年甲斐もなく救われた気分になった。
「人生は楽しむもの」とヤマザキマリの母は娘に教え、ヤマザキマリもデルスにそう教えた。私は「人生は耐えて義務をこなすもの」という摺り込みから、そうでない面を知ったはずの今でも、どこか、逃れられないでいる。これは海外に出て見聞を広めたとか教養を深めたとかには関係なくて、人生へのスタンスは、親から子への良かれと思った贈り物なんだろうと思う。
読了日:06月14日 著者:ヤマザキ マリ
トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつの感想
日頃見かけているはずの野鳥ばかりだ。見開きワンテーマ、右が4コマ漫画で左が小文。どちらも面白い。写真は無くても愛が溢れているので、うちの敷地を走り回っている鳥がハクセキレイだと知れた。道理で猫が狙うわけだ。川上さんが全ての文章を書いているわけではないが、カラスについてのとことかユーモア炸裂のはきっとそうだろうなと思う(巻末で確認可能)。マクドナルドの看板塔のMの上にカラスが一羽ずついた。あれもなんかの遊びやろか。目が斜め上や窓の外を探ったり、耳が鳴き声を拾ったり、野鳥を意識して世界が広くなる感覚が好い。
読了日:06月13日 著者:川上 和人,マツダ ユカ,三上 かつら,川嶋 隆義
山怪 弐 山人が語る不思議な話の感想
山の怪の談はまだまだ出る。人の世界と人ならぬ世界の「あわい」なんだろう。そこによく出入りする人のほうが体の感度は上がるようだ。霊感といい、察知する人の能力なんだな。狐狸のせいにできる程度ならいいけど。足音は遠ざかるのではなくいつも近づいてくる。声は呼び、笑う。なんらかの、存在。その思念、その残渣。「切ってはいけない木」がわかる直感は、山で生きる上で必要な力だと思った。いちばん怖かったのは露天焼きの火葬だ。著者も気になったらしく、怖い怖いと繰り返し触れる。火葬場の石でバーベキューとか怖すぎて笑ってしまった。
数年前の大晦日、実家の井戸に供えたパック式鏡餅が、翌朝つまり元旦に空容器だけになって落ちていたことがあった。私は「神さんが食べたんちゃうの」「じゃあカラスの仕業?」とはぐらかしたが、母は性根のねじ曲がった近所の住人の犯行だと言い張った。通りがかったくらいでは見えない位置なのだ、井戸だって。神さんもカラスも私は心の底から信じてはいないが、他人が塀を乗り越えて実家の庭を徘徊していると知るよりは心安い。怪異に対しての人間の反応は「わからない」「動物の仕業」「無視」のどれであれ、自身が平安であれるべきである。
読了日:06月12日 著者:田中 康弘
アルテミス(下) (ハヤカワ文庫SF)の感想
設定は違えど、未知の宇宙空間での冒険活劇は前作同様、文句なしの面白さだ。予想外の過激な展開も、足りない知識を駆使して楽しんだ。しかし、やはり文体がひっかかる。前作のように宇宙空間に独りなら内心の対話ごっこも有り得ると思えるが、今回の場合、内心で誰に説明していたのか、しかも丁寧語で。さらに「わたし」と「あたし」を使い分けてまで「内面は真面目だけど外向きは下品を装う」二面性の必要を彼女は自覚していただろうか。中途半端な下品を装う必要は、こよなく愛する父上の為にも、無かったんじゃないの。キャラの造形って難しい。
読了日:06月09日 著者:アンディ・ウィアー
アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)の感想
火星の次は月。優秀な技術者の次は、どうしても道を踏み外してしまう極貧のこそ泥。男の次は女。地球から切り離された月で、空気が充填された施設内という閉鎖空間が物語をスリリングにする。上手いね、月上の都市アルテミスの中と外を文字どおり自在に跳ね回るジャズに目が釘付けだ。賢くて器用で、才能もあって、その上愛されてるのに、なんでこの子はこうなっちゃうかね。キャラ設定上仕方ないとはいえ、ひとりごちる口調がヤングアダルトな軽さで居心地悪い。
読了日:06月08日 著者:アンディ・ウィアー
日本発酵紀行 (d47 MUSEUM)の感想
そもそも発酵食品を編み出したのは、手に入った食料の賞味期間を伸ばして生き延びる為であって、美食の為でも健康維持の為でもない。だから地方地方で風土と収穫物に合った発酵食品が生まれて現代までつながっている訳で、他所で真似てつくっても別物になるところはおもしろい。まあ他所の人間がやたら美味しがったり貴重がったりするもんではないよな。旅先で出されたら、そら食べるけれども。ただ現代人は安いものに群がる習性がついてしまったので、せめて本物と偽物の区別をつけた上で、自分の食するものを選びたい。日々使う醤油や酢は特に。
読了日:06月08日 著者:小倉ヒラク
色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)の感想
原題は「色盲の島」。風土病として先天性全色盲や神経性の奇病が多発するミクロネシアの島を訪れる旅行記だ。患者たちとの交流や原因探究も興味深いが、緩やかな始まりからして単なる探求の旅ではない。オリバー・サックス博士の眼差しには慈愛がある。西欧人の物差しや人知を超えた存在への尊敬の念が一貫しているからだ。『地球と自分が仲間であるという感覚』を、島では実感できる。だからサックス博士はあらゆるもの、たくさんの人を愛せる。暮らしは貧しくとも運命を受け入れて豊かに生き豊かに死んでいくことができる島の人を尊重できるのだ。
なぜいわゆる先進国の人間皆がサックス博士のように生きられないのか。なぜサックス博士のような人を運命は早死にさせてしまうのか。西欧諸国もアメリカも、島々に病原菌や微生物を持込み、侵略し略奪し、米軍施設だらけにし、核やゴミで汚染し、不要だった物を売りつけて貧困という枠組みに貶めた。何が援助だ。干渉がなければミクロネシアの歴史と文化はどこにも劣らず豊かだったはずなのに。憤りはサックス博士の言葉を通して私が受け継ぐ。
先進国というものはほんまにろくなことをせんなあ! 特に日本! 米国領というだけでグアム島を原住民の村ごと爆撃し、上陸してからは食料を略奪したから原住民は毒のあるソテツの実を大量摂取せざるをえなかった。戦後は戦後で隣のロタ島にまでゴルフ場を開発し、豊かな森を分断し破壊した。どのツラ下げて観光になど行けるものか。
読了日:06月06日 著者:オリヴァー・サックス
わたしの すきな ものの感想
月刊誌『婦人之友』連載のエッセイとのこと。エッセイ集と呼ぶにも軽くてカラフルだ。気楽に読んでしまえるが、福岡先生の他の著作を読んでから手に取ることをお勧めする。人生の記念碑的な物や、偶然手に入れたお宝を、「福岡先生らしいな」とほくそ笑みながら、または「これがあの!」と得意げな言い回しを羨ましがりながら読むのが楽しい。ちょこっと気晴らしに。『急速に拡大した種は、その急速さゆえにどこかで破綻を来たし、急速に滅びに向かう。何億年か先、人類は示準化石となる可能性が高い』。これも、いつもどおりのダークネス。
読了日:06月05日 著者:福岡 伸一
働き方改革で潰れない会社の人事戦略の感想
著者は行政側の人間でもなさそうだが、まあ厚生労働省のホームページに載せられたパンフレットのコピペかと思うほど当たり前のことしか書かれておらず、何の新鮮味もない。やれるに越したことはないが、逆に、この辺りの行政の思惑どおりの対策でなんとかできる会社は、業務の大部分がITやロボットに置き換え可能なんではないだろうかと思ってしまった。参考にはならない。
読了日:06月03日 著者:谷所 健一郎
注:
はKindleで読んだ本。
それでも減らないなぁ、読んでも読んでも買い込むから。
Kindle本を安く買える機会は逃さず買い込む。
書店で出会うべくして出会ったと思える本は逃さず買い込む。
この傾向は、ますます激しくなってきている。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用28,318円。
読了20冊。
積読本163冊(うちKindle本64冊)。

6月の読書メーター
読んだ本の数:20

リアリティの点では、「羆撃ち」に及ばない。しかし現代の日本では絶滅してしまったオオカミがまだ生息していた時代、日本の猟師とオオカミはどのように対峙していただろうかと思いを馳せるとき、息を詰めて銀狼の姿を目前に描かずにいられなかった。計り知れない天賦の知性。犬には敵わない、獣の頂点たる威厳。その眼。どんなに神々しかったろう。一方、猟犬疾風のなんと愛くるしい表情。主人公と疾風の関係は「老人と海」の老人と子供を思わせる。答えを返してくれてもくれなくても、そこにいるだけで心の支えになる、その存在の貴さよ。
読了日:06月28日 著者:熊谷 達也

気になり、文庫化など待てなかった。本を開いて数ページ目にして尋常でない状況に転がり落ちていく。怖い! 自分の恐怖体験も思い出して胃がよじれる。全身を苛む苦痛に本当の終わりが無いなんて。前作あとがきの不穏な気配はこれだった。何が衝撃だったと言って、日本人が行かない世界の辺境へ飛び込んでルポを書き上げた内澤さんが恐怖により判断力も思考力も奪われたことだ。島で理想の生活を築き上げた内澤さんが心の安寧をはじめ全てを一瞬で奪われたことだ。私の願いなんぞ何の役にも立たないけれど。きっと、小豆島で生き延びてください。
読了日:06月28日 著者:内澤 旬子


わかっている。ヒトは多分、世界で起きる全ての事象を理解する能力は持ち合せていない。自分と近しい周りのことくらいだ。なのに情報は溢れていて。遠くの人間や動物が被った不幸を知る度、義憤に駆られて誰かを罵らずにいられない。教育レベルの高い人のほうが世界の状況を誤認しているという調査結果は衝撃的だ。報道は世界を正しく見るための手段ではなく、断片。正確な事実認識は、自らデータを取りに行かなければ得られない。そのうえ、変化し続ける現実を一つ一つ受け止め、知り続けてはいられないのだと知り、驕りがちな自分を戒めることだ。
ユニセフやWWFが寄付を呼びかける広告は、寄付したい気持ちを喚起するために、胸の痛むような写真や哀れな「現実」を繰り返し目の前に突き付ける。そのことが、世界をより良くするための活動に協力したいと思っている私たちの目を、世界が少しずつでも良くなっていっているという、データが証明する事実からずれた認識を持たせる働きをしているという。ロヒンギャ迫害や内戦のような突発的な困窮を除き、子どもや女性をはじめとする弱者・貧困にある人の置かれた状況は良くなりつつある。それはそれとして知っておく必要がある。いろいろ難しい。
福島の原発事故について、「誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった」という記述があり、悲しくなった。これは、危険が少ない事実にもかかわらず、恐怖感から重要視するリスクについて扱った章だ。あのとき、放射能を恐れ、避難した福島の人たちの取った行動、報道や行政の動きも妄動だったというのか。そのせいで、皆失意のうちに亡くなっていった、あれは亡くさずに済んだはずの命だと自責するべきだというのか。
読了日:06月28日 著者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド

2年間のウィスコンシン滞在記。読み始めてすぐに、素直な性質の女性だと感じた。平易で流れのよい日本語。初めてのアメリカでの生活で、事件は日々起きる。体験しなければわからないことが世界にはたくさんある。その様々の混乱にもかかわらず、感じた率直なところの言葉がつなげられるから、こちらもするする読むことができるのだ。この人はぶち当たった壁を、もがきながらでもしなやかに拡げていける人だ。巻末の内田先生の言葉は羨ましすぎて泣きそうになる。そしてどうやら、先生と慕う人への姿勢、教わる姿勢は、身につくべくしてつくようだ。
読了日:06月25日 著者:白井 青子


ノンフィクションに近いものかと思ったら違っていて戸惑った。不思議な物語。サーカス用のペチコートを履かされたり、潜水士を務めたり、愛嬌がある物語用の熊かと思いきや、その行動や挿絵から感じ取る熊は、冷たく、鋭く、怖い。こちらもたいがいに酷薄である人間に一瞬だけ畏れられ、利用され、狩られ、やがて熊たちは声を聴く。そして熊たちはいなくなった…。実際にイギリスの野生の熊は絶滅している。どころか様々な動物が、主にハンティングによって絶滅に追い込まれている。動物保護大国のように思っていたけれど、これもまた一つの側面だ。
読了日:06月23日 著者:ミック・ジャクソン

ゴリラおもしろい。同じ霊長類でも、ゴリラとサルと人間では性質も社会性も違っている。ゴリラは優劣のない社会をつくる。サルは厳密な階層社会をつくる。ゴリラは相手の目を見て意思疎通する。サルが相手の目を見るのは威嚇するとき。ゴリラは総じて温かくて感情豊かで繊細だ。さて、家族という集団をつくる人間。個食が社会問題として浮上した頃の文章だろうか。食事を家族で分け合うのではなく、買って一人で食べる時代になり、家族という仕組みの崩壊を予見して、山極さんは人間の未来を憂える。もっとゴリラ読みたい。ゴリラの歌聴きたい。
読了日:06月21日 著者:山極 寿一

全域への光ファイバー敷設など、徳島県は隣県人から見ても目覚ましい取組みが多く目につき、さぞ敏腕の現知事が英断しているのだろうと思っていた。その実は、行政を頼らないことで高まったボトムアップの変化であるという。補助金ではなく、住民の熱意と経営や起業の手法が噛み合ったとき、変革は起こる。「四国若者1000人会議」の頃にはその動きがあったのだなあ。若い人がローカルに目を向けているという現状があるとすれば、行政が敏感に呼応したもん勝ちだろう。価値観の転換はもう始まっている。賛同できるものには積極的に乗っかりたい。
読了日:06月21日 著者:徳島新聞社

亡き祖父母のことを想いながら読んだ。自分が老祖父母に優しく接せない孫娘であったことを棚に上げて、なんと不誠実な息子だとなじった。娘の拡がりつつある世界、老父の内なる豊かな世界に思い至らない、狭量な父親。『こんなのぜんぶ、ばかげてる!』 子供より孫が気づく事ってあるのだと思う。更には、身内より隣人が気づく事も。老人の内面は、生きた年数の分だけ豊かだ。それに気づける程、また聞き出せる程、若い者はえてして余裕がなく想像力が及ばないものなのかもしれない。表題と章番号が鏡文字なのが暗示的。手触りの優しい装丁が素敵。
読了日:06月18日 著者:C. グルニエ

前作で『やめるまで、やめないでいる』と決意した後も、森下さんは同じ先生の元でお稽古を続けられている。今作は二十四節気に沿った一年ぶんのエッセイだ。今回もたくさんの胸に沁みる言葉に出会った。『習っているのは、技術ではなく、道を進むこと』。まさに。先生の掛軸にあった『柳は緑、花は紅』という言葉には、森下さんの文章を通じて救われた。私は私でしかない稽古をする。それから、先生が先生でいてくださることの貴重さを思った。先生がいつまでお稽古してくださるか。それを思うと、生徒でいられる時間を粗末にしてはいけないと思う。
さらりと読み終えてしまったが、こうして気になった言葉を見返すと、へヴィに響いてくる。『歳をとると人間が丸くなるって言うけど、あれ嘘ね』。『いくつになっても、人は心穏やかになどならない。みんな、生まれ持った自分自身と闘っている』。『目指しても目指しても終わりのない道を歩くことは、なんて楽しいのだろう』。『内へ内へと熟す』。『お点前は完璧を目指すものでありながら、それは狙ってかなうものではなく、その日その時の自分を無欲で生きたとき、はからずも手に落ちてくるものなのかもしれない』。
読了日:06月18日 著者:森下 典子

直接関係ないはずなのにどうしてかつながり合った人や思想の流れに触れていると気づくことがある。お気に入りの地元書店ルヌガンガでもミシマ社でも、なにか気になって接触すると、以前気になった他のものとつながっていると知る。磁場か錯覚か。例えば都会より地方。数値より感覚。値段より重み。個人にとっては大事で、でも大勢から見れば些細なもの。ごく一部のムーブメントなのか、なにか大きな変化の先駆けなのか。三島氏の言うように、平川克美氏の思想にその鍵があるように思ったので、これから読む。『これからの10年が黄金時代』ですよ。
読了日:06月15日 著者:

家事にまつわる諸問題から拡げて家族の在り方を扱ったもので、表題はインパクトを狙いすぎ。さて、海外の例を引くと必ず出てくる家事の外注を、私は好いと思ったことがない。これは日本人の思い込みというより、家事=身の始末だと思っているからだと思う。他人にしてもらうくらいならしないほうがマシ。考え込んだのは「たとえ忙しくてきちんとできない場合でも、きちんとしているように見えること」への執着についてだ。食事しかり、片づけしかり。"自己満足"と"自分が満足している"ことは違う。断捨離よりも、したい生き方の整理を習慣に。
読了日:06月15日 著者:佐光紀子


NHK「推しボン!」に出演されたヤマザキマリの、テレビ画面を通しても伝わるタフさに魅了された。選ぶ本も独特だった。このエッセイの選本は当然ながらだいぶ被っていて、番組よりディープに語られる言葉はヤマザキマリ以外の誰のものでもなく、その深さにまた圧倒された。『人から見たらその人の突出してゆがんでいるポイントにこそ、その人がその人だけの道を切り開いた秘密が隠されているように思うのです』。手に負えない孤独や寂しさこそが想像力や個性の源泉。歪みすら矯めたり繕ったりしなくていい。年甲斐もなく救われた気分になった。
「人生は楽しむもの」とヤマザキマリの母は娘に教え、ヤマザキマリもデルスにそう教えた。私は「人生は耐えて義務をこなすもの」という摺り込みから、そうでない面を知ったはずの今でも、どこか、逃れられないでいる。これは海外に出て見聞を広めたとか教養を深めたとかには関係なくて、人生へのスタンスは、親から子への良かれと思った贈り物なんだろうと思う。
読了日:06月14日 著者:ヤマザキ マリ


日頃見かけているはずの野鳥ばかりだ。見開きワンテーマ、右が4コマ漫画で左が小文。どちらも面白い。写真は無くても愛が溢れているので、うちの敷地を走り回っている鳥がハクセキレイだと知れた。道理で猫が狙うわけだ。川上さんが全ての文章を書いているわけではないが、カラスについてのとことかユーモア炸裂のはきっとそうだろうなと思う(巻末で確認可能)。マクドナルドの看板塔のMの上にカラスが一羽ずついた。あれもなんかの遊びやろか。目が斜め上や窓の外を探ったり、耳が鳴き声を拾ったり、野鳥を意識して世界が広くなる感覚が好い。
読了日:06月13日 著者:川上 和人,マツダ ユカ,三上 かつら,川嶋 隆義

山の怪の談はまだまだ出る。人の世界と人ならぬ世界の「あわい」なんだろう。そこによく出入りする人のほうが体の感度は上がるようだ。霊感といい、察知する人の能力なんだな。狐狸のせいにできる程度ならいいけど。足音は遠ざかるのではなくいつも近づいてくる。声は呼び、笑う。なんらかの、存在。その思念、その残渣。「切ってはいけない木」がわかる直感は、山で生きる上で必要な力だと思った。いちばん怖かったのは露天焼きの火葬だ。著者も気になったらしく、怖い怖いと繰り返し触れる。火葬場の石でバーベキューとか怖すぎて笑ってしまった。
数年前の大晦日、実家の井戸に供えたパック式鏡餅が、翌朝つまり元旦に空容器だけになって落ちていたことがあった。私は「神さんが食べたんちゃうの」「じゃあカラスの仕業?」とはぐらかしたが、母は性根のねじ曲がった近所の住人の犯行だと言い張った。通りがかったくらいでは見えない位置なのだ、井戸だって。神さんもカラスも私は心の底から信じてはいないが、他人が塀を乗り越えて実家の庭を徘徊していると知るよりは心安い。怪異に対しての人間の反応は「わからない」「動物の仕業」「無視」のどれであれ、自身が平安であれるべきである。
読了日:06月12日 著者:田中 康弘


設定は違えど、未知の宇宙空間での冒険活劇は前作同様、文句なしの面白さだ。予想外の過激な展開も、足りない知識を駆使して楽しんだ。しかし、やはり文体がひっかかる。前作のように宇宙空間に独りなら内心の対話ごっこも有り得ると思えるが、今回の場合、内心で誰に説明していたのか、しかも丁寧語で。さらに「わたし」と「あたし」を使い分けてまで「内面は真面目だけど外向きは下品を装う」二面性の必要を彼女は自覚していただろうか。中途半端な下品を装う必要は、こよなく愛する父上の為にも、無かったんじゃないの。キャラの造形って難しい。
読了日:06月09日 著者:アンディ・ウィアー


火星の次は月。優秀な技術者の次は、どうしても道を踏み外してしまう極貧のこそ泥。男の次は女。地球から切り離された月で、空気が充填された施設内という閉鎖空間が物語をスリリングにする。上手いね、月上の都市アルテミスの中と外を文字どおり自在に跳ね回るジャズに目が釘付けだ。賢くて器用で、才能もあって、その上愛されてるのに、なんでこの子はこうなっちゃうかね。キャラ設定上仕方ないとはいえ、ひとりごちる口調がヤングアダルトな軽さで居心地悪い。
読了日:06月08日 著者:アンディ・ウィアー


そもそも発酵食品を編み出したのは、手に入った食料の賞味期間を伸ばして生き延びる為であって、美食の為でも健康維持の為でもない。だから地方地方で風土と収穫物に合った発酵食品が生まれて現代までつながっている訳で、他所で真似てつくっても別物になるところはおもしろい。まあ他所の人間がやたら美味しがったり貴重がったりするもんではないよな。旅先で出されたら、そら食べるけれども。ただ現代人は安いものに群がる習性がついてしまったので、せめて本物と偽物の区別をつけた上で、自分の食するものを選びたい。日々使う醤油や酢は特に。
読了日:06月08日 著者:小倉ヒラク

原題は「色盲の島」。風土病として先天性全色盲や神経性の奇病が多発するミクロネシアの島を訪れる旅行記だ。患者たちとの交流や原因探究も興味深いが、緩やかな始まりからして単なる探求の旅ではない。オリバー・サックス博士の眼差しには慈愛がある。西欧人の物差しや人知を超えた存在への尊敬の念が一貫しているからだ。『地球と自分が仲間であるという感覚』を、島では実感できる。だからサックス博士はあらゆるもの、たくさんの人を愛せる。暮らしは貧しくとも運命を受け入れて豊かに生き豊かに死んでいくことができる島の人を尊重できるのだ。
なぜいわゆる先進国の人間皆がサックス博士のように生きられないのか。なぜサックス博士のような人を運命は早死にさせてしまうのか。西欧諸国もアメリカも、島々に病原菌や微生物を持込み、侵略し略奪し、米軍施設だらけにし、核やゴミで汚染し、不要だった物を売りつけて貧困という枠組みに貶めた。何が援助だ。干渉がなければミクロネシアの歴史と文化はどこにも劣らず豊かだったはずなのに。憤りはサックス博士の言葉を通して私が受け継ぐ。
先進国というものはほんまにろくなことをせんなあ! 特に日本! 米国領というだけでグアム島を原住民の村ごと爆撃し、上陸してからは食料を略奪したから原住民は毒のあるソテツの実を大量摂取せざるをえなかった。戦後は戦後で隣のロタ島にまでゴルフ場を開発し、豊かな森を分断し破壊した。どのツラ下げて観光になど行けるものか。
読了日:06月06日 著者:オリヴァー・サックス


月刊誌『婦人之友』連載のエッセイとのこと。エッセイ集と呼ぶにも軽くてカラフルだ。気楽に読んでしまえるが、福岡先生の他の著作を読んでから手に取ることをお勧めする。人生の記念碑的な物や、偶然手に入れたお宝を、「福岡先生らしいな」とほくそ笑みながら、または「これがあの!」と得意げな言い回しを羨ましがりながら読むのが楽しい。ちょこっと気晴らしに。『急速に拡大した種は、その急速さゆえにどこかで破綻を来たし、急速に滅びに向かう。何億年か先、人類は示準化石となる可能性が高い』。これも、いつもどおりのダークネス。
読了日:06月05日 著者:福岡 伸一

著者は行政側の人間でもなさそうだが、まあ厚生労働省のホームページに載せられたパンフレットのコピペかと思うほど当たり前のことしか書かれておらず、何の新鮮味もない。やれるに越したことはないが、逆に、この辺りの行政の思惑どおりの対策でなんとかできる会社は、業務の大部分がITやロボットに置き換え可能なんではないだろうかと思ってしまった。参考にはならない。
読了日:06月03日 著者:谷所 健一郎
注:

Posted by nekoneko at 15:15│Comments(0)
│読書