2020年09月01日
2020年8月の記録
メインバンクならぬメイン書店を、ジュンク堂とルヌガンガに絞ることにした。
古本は讃州堂書店と一箱古本市、電子書籍はAmazonである。
Amazonは別にして、どうせ本を買うなら本屋さんを支援することと繋げたい。
というようなことを、このところずっと考えていたから。
ついてはhontoサイトとhonto withアプリに登録した。
これがべらぼうにおもしろい!
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用19,794円。
読了22冊。
積読本214冊(うちKindle本89冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:22
ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)の感想
高野さんが久しぶりに読んで我ながら笑ったと書いていた、早稲田の三畳間に住んでいた11年のほぼ実話。三畳間に住むこと自体想像しづらく、地震で本棚が倒れても向かいの壁でつっかえるとか広角レンズでも全体を撮れないとかで察するのみだ。この頃から高野さんはそのまんま高野さんである。というより、この三畳間時代にコンゴ、アマゾン、タイ、ビルマに行っており、この本より先に著作していた。暗闇の提灯こと、大家のおばちゃんが素敵すぎる。押さえるところを押さえ、誰の想像をも超えてボケ、下宿人皆に慕われる。こんな人に私はなりたい。
読了日:08月31日 著者:高野 秀行
「働き方改革」の不都合な真実の感想
働き方改革と働き方改革実現会議は、首相周辺による働かせ方の思惑ありきだったので失敗した。以上。データも事実総括も分析も無しで進む対談はぐだぐだで、ちょっと詳しいおっさんが飲み屋でクダ巻いている程度だ。こんな腰の浮いた論で新しい時代の切り口が見えるはずがない。働き方改革によって働き方は改革されないということがよくわかったが、決まったからには企業は飲み込まざるを得ないし、うまく利用してより良くするしかないのだ。同様にお考えの方には、著者が批判するサイボウズや、デービッド・アトキンソンの本をお勧めする。
読了日:08月29日 著者:おおたとしまさ,常見陽平
コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)の感想
新型コロナ発生以降、朝日新聞デジタル紙に載ったインタビュー・寄稿集。今を時めく有識者が一つの話題に関してどのような言葉を発するのか、顔ぶれを見たら読みたくなった。政治経済を分析する類のものはすぐに古びて感じるが、社会や自然についてのものは、新型コロナが人間の生活の根幹に関わる性質のものだけに、リーダビリティがあり、また新型コロナに日常生活を制限されたとしても、人の思考はこんなにも自由で様々なのだと感じ入った。福岡博士のウィルスが進化を加速する論、ピュシスとロゴス論、藤原辰史氏の『重心の低い知』覚えておく。
面白かったメモ。養老孟司、福岡伸一、角幡唯介、五味太郎、藻谷浩介、ブレイディみかこ、斎藤 環、荻上チキ、鎌田 實、横尾忠則、坂本龍一(敬称略)。って半分以上。何年か後に読み返してみたいなあ。
読了日:08月29日 著者:養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ
虫とゴリラの感想
解剖学者と人類学者の対談とするより、虫の人とゴリラの人と対比した方が、観察対象の大きさが違いすぎるぶん、それは面白いタイトルになるよね。むしろそこから企画を思いついたんじゃないかとすら思う。起こした文章にはほとんど初対面のような礼儀正しさがあるが、そうですね。いやほんとに。で続く対話は礼儀だけではない。年代や経歴は違えど、日本の自然の中で育ち、自然の中で研究対象と向き合うお二人には、自然に対する大きな敬意が共通している。自然をロゴスで語り、管理しうると考えることの愚かさと無意味さは常に頭に置いておきたい。
読了日:08月28日 著者:養老 孟司,山極 寿一
ムツゴロウと天然記念物の動物たち 海・水辺の仲間 (角川ソフィア文庫)の感想
動物学科在学中のエピソードが新鮮だ。研究室には度外れに生物を愛し、見つめ続ける人が集まる。試行錯誤の末に、"恐怖を覚えるほどの合理的な論理を備えた生体こそ神秘"と知る。ムツゴロウさんの動物に触れるやり方や思想はここで育まれたのだ。『その動物に、それがいる場所で会うのを優先した。手ざわりや息づかいを記したかった』のが今回の企画を受けての目的。その天然記念物の行動や生態を他の種から類推し、仮説を立てて実物に会う。類推が当たっていても外れていても、ムツゴロウさんは感動する。そしてその生き物をむやみに食べたがる。
こちらでも若きムツゴロウさんは怒っている。日本人が無思慮に乱獲し、自然を破壊し、観光の名のもとに無知に生育環境を圧迫し、結果として当時の天然記念物たちはみるみる姿を消した。そのことをぶりぶり怒っている。これは後の著作では見られないことだ。自然を愛する者として、怒らない訳はない。しかし、著作を重ねるうちのどこかで、その怒りはもう書かないと決めるのだろうか。それよりも自然の美しさ、生き物の神秘をたくさん描くことで、読んだ者の中に自然を尊ぶ心が育てば良いと、自然の復権につながると、信じるようになるのだろうか。
読了日:08月23日 著者:畑 正憲
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観の感想
アマゾン流域に生きる狩猟採集民族、ピダハン。彼らは自分たちが実際に体験している物事しか認めない。だから創世神話も宗教も無い。生きることに迷いが無く、外に救いを求めない。同時に医療も便利な道具も無いから、寿命も短く、多くの物を得ることもないが、元より無くて当然なら、貧しいという概念がない。何より凄いのは、自分たちの文化を最上だと思っているから、他の価値観に関心が無く、他文化や他言語の影響をほとんど受けずにいることだ。自分たちの生存にとっての必需を選び抜いた世界観があれば、民族は崩れずにいることができるのか。
すぐ近くに住む別の民族カボクロは、アマゾンの産物を手に入れるために現れるブラジル人や欧米人と自分たちを比較し、自分たちが貧しいとの認識を持っている。だから金を稼ぎたいし、裕福になりたい願望が生まれる。そうなると、従来の生活手段や様式では満足できなくなり、少しばかりの物質的充足と引き換えに文化を失った貧者に成り下がる。そうやって世界の民族は、独自の文化や世界観を少しずつ失い、欧米文化の価値観に同化し、人類は単一化し続けているのではないだろうか。つまり人類の間でも多様化を失っている。これも危機だと思う。
人と人のコミュニケーションツールが豊かでうっとりした。通常の語りに加えて、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語りがあるという。住む環境や場面に即した方法が発達しているということだ。文化と言語は切り離すことができない。文法だけが豊かさではない。かつては日本の野山や海にも豊かにあったはずで、土地に独自のものはたくさん消えたのだろうなあ。ピダハンは、そうはいっても、トータルの人口は減っており、彼らもまたいつか消える民族、消える言語という運命は免れないらしい。
読了日:08月23日 著者:ダニエル・L・エヴェレット
戦争責任者の問題 (青空文庫POD(ポケット版))の感想
内田先生が紹介された、戦争責任者は誰かについての文章。敗戦後、『多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない』。自分はだまされたと公言する、そしてそう思ったとしたら、そこには被害者意識は生まれこそすれ、反省する向きは生まれない。知ろうとしなかったから、疑わなかったから、だまされた。被害者面は欺瞞といえる。その無反省がその後75年に渡って依然、日本に居座り続けることを予見したような文章である。
読了日:08月22日 著者:伊丹万作
イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」の感想
プレゼンなど何らかの結論を他者に提示する種類のタスクがある人には、自分の中にまとめておいてよい内容だ。私のように経営課題を経営者に説明したい場合も、こういった要点を踏まえておく必要がある。自分が直感でやってきたことをこう明確にされると、大まかで済ませている点や詰めの甘い点が見えてくる。まずは、イシュー。物事の本質を見極める能力は、イシューのみならず全ての処理に通ずる。それは学生時に習得した素養だけでも、漫然とした社会経験だけでも自動的には獲得されず、また見えにくい。その点がこの本が話題になった理由だろう。
『ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ』
読了日:08月22日 著者:安宅和人
メーター検針員テゲテゲ日記――1件40円、本日250件、10年勤めてクビになりましたの感想
1件40円は安すぎる、と一瞬思うが、これは各戸の電気料金に含まれる費用だと気づくと複雑な気持ちになる。さらにメーターの設置場所や表示の字体など、なぜ便利なよう、間違いのないよう変われないかと憤慨する。電力会社は誤検針や検針員自身を邪険にする暇があったらさっさとスマートメーターに変更すべきなんじゃないか。使用電気量を確定するために、検針員が所有敷地内に毎月立ち入るシステム自体が、時代に合わない。各種メーターを早急に無人化するべきだと主張することと、検針員は人として遇されるべきだと思うことは矛盾するだろうか。
この著者も文筆業志望ということで、筆が立つ。『この仕事も楽しいよ。雨の日とか、暑いときはそりゃたいへんよ。でもバイクで走ってればいいからね。田舎の人たちはよく話しかけてくれるしね。楽しいよ』。検針員が自らを社会の底辺と認識しながら働いていることや、他所の家の飼い犬の表情がわかり、独居老人には話し相手になってやる優しい人たちであっても検針員という職種ゆえに邪険な扱いを受け、不安定な生活を強いられることなどを、描く腕は確かだ。そういう経験を経てきた著者自身も優しい。印税ががっぽり入り、息災でおいでますように。
読了日:08月19日 著者:川島 徹
日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)の感想
75年前の明日正午、玉音放送が流れる。8月15日正午までの24時間に国家の中枢で起きていたことを、資料や証言を元に詳しく組み立てた史実。なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか。私は当時の為政者が無能で怠慢だったと漠然と思っていた。しかしその24時間の間、鈴木首相をはじめ諸大臣、侍従皆、それぞれに責務を果たしていたと知った。阿南陸相自刃に胸打たれた。ならばなぜ。神州不滅、絶対不敗と、軽挙妄動を重ねた陸軍の軍人精神とやらを育て権力を与え暴走させたものは何だったのか。遡り、その根源を知ることにする。
昭和天皇は、当時幼かった私には親しみや畏敬を覚える陛下ではなかった。軍人として育った陛下はだからといって決して戦争に前向きだったわけではなく、大変なご配慮とご苦労が散見される。当時44歳。侍従長に吐露されたお言葉。『あのものたちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持が、どうして、あのものたちには、わからないのであろうか』。陛下は戦後、平和を求める"象徴"としての役割について皇太子とお話になられただろう。その御意思が脈々と宮家に受け継がれていることを、お言葉の端々から感じる。
その国体なるものについての記述。『彼らは自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生れたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである』。教育としてこれが浸透していたということか。
読了日:08月14日 著者:半藤 一利
コロナの時代の僕らの感想
先に読んだときの著者の“忘れたくない”リストが頭を離れず、私も繰り返し思い浮かぶこと、状況の変化に伴い新たに思い着いたことを書いておこうと思った。ページの余白に気の向くまま鉛筆で書き込んできた。日本で影響が本格化してから4ヵ月。はるか前のようで、個人的にはウイルスへの処し方に目鼻がついたように感じるので、一旦読み終えることにした。しかし社会システムや人の共通認識が適応するにはまだ時間も損害もかかるだろうから、書くべきことは当分尽きないものと思う。忘却はもう始まっている。余白はまだある。忘却との闘い。
読了日:08月14日 著者:パオロ ジョルダーノ
地図のない場所で眠りたいの感想
探検部時代の四方山話から、各々文筆家としての地位を確立した現在に至るまでの対談。作風は全く違ってもノンフィクションへの思いはそれぞれに熱い。実は角幡氏の方が計画性が欠如しており、高野さんは準備が間違っている。高野さんが珍しく愚痴を漏らす。ジャーナリストや本職クライマーに対してなど、内心はそれなりの屈託があるのだなあと失礼ながら感慨深い。荻上チキさんのラジオ番組で久しぶりに話したと高野さんがTwitterに書いているのがなんだか嬉しそうで、この企画が二人の距離を更に近づけたのなら、他人事ながら私も嬉しい。
読了日:08月13日 著者:高野 秀行,角幡 唯介
今、心配されている環境問題は、実は心配いらないという本当の話の感想
ある意味、楽に読める本ではない。著者の論理を順順聞くと世間一般に絶対少数派の結論が導かれる。自分の思考や常識はまず疑うべしと謙虚に読んでいたが、もはや混乱を超えて腹が立ってきた。環境問題にはビジネスの側面が少なくないので、真と実を見極め、無駄を避ける姿勢は必要だ。しかし、時間軸をより長く取ることにより問題を過少化するのは公正な態度とは思えない。一つの要素だけを増減すれば良いのでもない。金だけの問題でもない。ならば、私自身がどうありたいかと省みれば、謙虚なつましい生活で後ろめたく思わず生きたいだけなのだ。
リサイクルは間違い!地球温暖化もダイオキシンも発がん性物質も嘘!石油も石炭も元は何かの死骸なのだからがんがん燃やせ!二酸化炭素の量を増やした方が地球の為!と決めつけられると、憤慨したい気分にもなる。文系の奴らは知らなくても仕方ないがねとおっしゃるが、文系的文脈を解せずに理系脳で突っ走る辺り、ため息が出るわ。こういう「正論」をばさばさ口に出してしまう人は、自分の論理的正しさを信じている。同じことをメディアで何度説明しても盲信族が減らないことにうんざりして、そのうち粗雑で乱暴な臭気を放ち始めるのだろう。
整理すると、ゴミ問題において必要なことは、第一にreduceであり、reuseである。分別せずに燃やすことも、環境に与える負荷が少ない素材を新開発することもゴミ問題の根本的な解決にはならない。日本人の人口が自然減少すれば軽減されるかもしれないが、それも解決ではない。安くて便利を求める一般家庭には、処理に費用が発生する種類のごみを捨てるには有料の袋(すぐ焼却するとしても)に入れなければならないという圧迫をかけるのがより良いだろう、そしてより良い処理ができる方向へ法制を整えるべきと、とりあえず結論付けておく。
読了日:08月10日 著者:武田 邦彦
ムツゴロウと天然記念物の動物たち 森の仲間 (角川ソフィア文庫)の感想
昭和47年。30歳代後半と思しきムツゴロウさん、日本に生きて残っている天然記念動物を探しに行く。少年のような好奇心と、生命の造形に向き合う真摯さは変わりなく、やせ我慢したり人間に怒ったりする辺りが若い。怒ろうとも抗議しようとも、人間の所業は変わることなく破壊を尽くし、このうちどれだけが絶滅せずに残っているかと暗澹とした気分になる。理解を深めるためにコウモリを焼いて食べるとかシロヘビに顔を狙わせるとかグジョウジドリの鶏舎の真ん中で寝たふりするとか、向き合い方の独特さには毎回度肝を抜かれる。痛快さと切なさと。
読了日:08月10日 著者:畑 正憲
闇に香る嘘 (講談社文庫)の感想
主人公は後天的に失明した、中国からの引揚者という複雑な設定だ。しかしその身勝手さ、傲慢さにほとほと嫌気がさし、余程読むのをやめようと思った。酒で飲んだ薬のせいで記憶が飛ぶなど、ミステリとしては狡い手のようにも思えた。それでも江戸川乱歩賞は伊達ではない。全ての伏線を回収して、皆の「思い」を収め昇華させてみせた手際は間違いない。巻末の参考文献からも手間を惜しまず調べた様子が察せられるも、失明、また引揚のリアリティとしては程程と言うべきだろう。家族アルバムの顛末は予想できたものではあるが、娘の思いにほだされた。
読了日:08月08日 著者:下村 敦史
漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かりますの感想
先日粟島を訪れた父が買って帰った本。宛名入りのサインをいただいたので、作家さん本人が在局だったかと思いきや、有名局長さんのサインのよし。2013年、瀬戸内国際芸術祭の作品として現れた漂流郵便局は、今も開局しており、人が訪れているという。MISSING POST OFFICE。届けることのできないはがきたちが流れ着く場所。薄情なうえに筆不精な私にはそのさみしさもあてどなさも自分の中に見つけることができないのだけれども、行ってみたら何か感じるのだろうか。漂流物でつくった宝物のような制作物は見てみたいな。
読了日:08月07日 著者:久保田 沙耶
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)の感想
著者は今世紀が『文化的停滞の暗黒時代』になり得ると感じている。的外れに論じられているような心地悪さがつきまとったが、逆に考えればこのような論理で展開しないと、通じない類の人を普段相手にしているということなのだろう。美意識とは教養と、人として持つべき規範のことだ。それらが社会生活や学校教育では身につきにくくなり、マインドフルネスなんて東洋発祥の身体習慣すら西洋の流行経由で取り入れなければならないほど失われてしまっているとは、「日本人の美意識」もあったもんじゃないと思うが。ビジネスとは商い。商うのは人間だよ。
読了日:08月05日 著者:山口 周
令和を生きる 平成の失敗を越えて (幻冬舎新書)の感想
歴史探偵とニュース解説のプロの対談。お二人は社会問題や政治の専門家ではない。しかし平成の世に起きた時事を丁寧に見てきた良識の人であり、このお二人が平成の出来事をどのような意味合い、どういう温度で捉え記憶しているかを知ることは、私が令和の時代にどのように振る舞うべきかの指針になる。話題は憲法と天皇制で締めくくられる。半藤さんは平成の天皇陛下を『どのようなことがあってもこのひとだけは信用できる』人と表した。半藤さんが秋篠宮に請われ、悠仁さまに昭和史を講義された話も、天皇家が今後も日本の良心である証左に思った。
読了日:08月04日 著者:半藤 一利,池上 彰
もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)の感想
「紙の動物園」がファンタジー、こちらはSFのよし。ケン・リュウの、西洋と東洋を融合させた物語を私は気に入っている。西洋世界と東洋世界を自在に行ったり来たり、西洋の歪を東洋のやり方で埋める。論理と、そこからはみ出る余剰を包み込むオリエンタルを、彼は熟知して書き分ける。「円弧」と「良い狩りを」が好い。人間の両の手が描く無限の曲線。香港の夜を駆ける妖狐のきらめき。いくら科学技術が進んでも、生きた存在の描く曲面は得も言われぬ情感を呼び起こす。西洋東洋問わず共感を呼ぶ、そんな作品の中に、未来のヒントはあるのだろう。
読了日:08月02日 著者:ケン リュウ
日本文化の形成 (講談社学術文庫)の感想
日本人はどこから来たのか。海部陽介氏の本から私の中で繋がるテーマだ。宮本常一は各地に残る古文書や風習から、大胆に推論してゆく。原住民である"えみし"は狩猟・漁労及び採取の文化=縄文文化を、南の海から渡来した"みまな"は稲作文化=弥生文化を日本列島に生んだ。その後に朝鮮半島から渡った倭人が金属武器をつくり朝廷を開き、古墳文化をもたらした。この文章は遺稿である。人生集大成の考察とすると、日本人の暮らしをどんどん遡って、日本文化の基盤、そもそもの源流にたどり着いたのだなと想像すると、感慨深いものがある。
縄文時代は7800年ほども続いたという。凶作のために、またより良い猟場/漁場を求めて、人々は日本列島を移動し続けていたと推察される。江戸時代であっても、人々は移住しては空き家に住み着くことを繰り返していたといい、ならば、あたかも先祖代々この地に住んできたかのような私たちの体感や執着は、故無き事ということになる。両親祖父母が生きてきた地への愛惜は、どういったメカニズムなのだろう? そして各地に残る風習やことばは、どうやって保たれたのだろう? ああ、時間軸が幅広すぎて想像がついていかない…。
読了日:08月01日 著者:宮本 常一
瀬戸内海の潮と潮流の感想
瀬戸内海本を探していて見つけた。大正7年、少年向けの読み物。海面の満ち引きが瀬戸内海の地形の複雑さに影響されてどのような現象を起こすか、などの説明が科学雑誌のような明確さで書かれている。以前の津波の時に、四国の太平洋側と瀬戸内側では到着予想時刻にずいぶん時間差があることには気づいていたが、今回初めて現象を理解した。こういうのを確認しながら四国の周りを船で一周するのも面白そうだ。寺田寅彦は、いずれ著作集をまとめて読破したいと思っている。クレバーな文章がとても好き。
読了日:08月01日 著者:寺田 寅彦
水害雑録の感想
名作を著したといって、皆が専業の文筆家とは限らない。伊藤佐千夫は現都内に乳牛20頭を飼育する生業の傍ら、執筆していたという。明治43年、平屋の軒まで浸かる程の洪水に見舞われる。江東区はよく浸かったと想像される。大水の中を、怖がる牛を両腕に引いては避難させる。なりふり構わず奮闘する自分を、醜態だ、卑しいと言って恥じるのが意外だった。牛を失わなず済んで良かったではないか。災害のさなかに投げ込まれれば、人はとりもあえず生き延びる為に闘う。そういうものだと思う。失ったものを悲しみ、未来を憂うのはその後なのだろう。
読了日:08月01日 著者:伊藤 左千夫
注:
はKindleで読んだ本。
古本は讃州堂書店と一箱古本市、電子書籍はAmazonである。
Amazonは別にして、どうせ本を買うなら本屋さんを支援することと繋げたい。
というようなことを、このところずっと考えていたから。
ついてはhontoサイトとhonto withアプリに登録した。
これがべらぼうにおもしろい!
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用19,794円。
読了22冊。
積読本214冊(うちKindle本89冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:22

高野さんが久しぶりに読んで我ながら笑ったと書いていた、早稲田の三畳間に住んでいた11年のほぼ実話。三畳間に住むこと自体想像しづらく、地震で本棚が倒れても向かいの壁でつっかえるとか広角レンズでも全体を撮れないとかで察するのみだ。この頃から高野さんはそのまんま高野さんである。というより、この三畳間時代にコンゴ、アマゾン、タイ、ビルマに行っており、この本より先に著作していた。暗闇の提灯こと、大家のおばちゃんが素敵すぎる。押さえるところを押さえ、誰の想像をも超えてボケ、下宿人皆に慕われる。こんな人に私はなりたい。
読了日:08月31日 著者:高野 秀行


働き方改革と働き方改革実現会議は、首相周辺による働かせ方の思惑ありきだったので失敗した。以上。データも事実総括も分析も無しで進む対談はぐだぐだで、ちょっと詳しいおっさんが飲み屋でクダ巻いている程度だ。こんな腰の浮いた論で新しい時代の切り口が見えるはずがない。働き方改革によって働き方は改革されないということがよくわかったが、決まったからには企業は飲み込まざるを得ないし、うまく利用してより良くするしかないのだ。同様にお考えの方には、著者が批判するサイボウズや、デービッド・アトキンソンの本をお勧めする。
読了日:08月29日 著者:おおたとしまさ,常見陽平

新型コロナ発生以降、朝日新聞デジタル紙に載ったインタビュー・寄稿集。今を時めく有識者が一つの話題に関してどのような言葉を発するのか、顔ぶれを見たら読みたくなった。政治経済を分析する類のものはすぐに古びて感じるが、社会や自然についてのものは、新型コロナが人間の生活の根幹に関わる性質のものだけに、リーダビリティがあり、また新型コロナに日常生活を制限されたとしても、人の思考はこんなにも自由で様々なのだと感じ入った。福岡博士のウィルスが進化を加速する論、ピュシスとロゴス論、藤原辰史氏の『重心の低い知』覚えておく。
面白かったメモ。養老孟司、福岡伸一、角幡唯介、五味太郎、藻谷浩介、ブレイディみかこ、斎藤 環、荻上チキ、鎌田 實、横尾忠則、坂本龍一(敬称略)。って半分以上。何年か後に読み返してみたいなあ。
読了日:08月29日 著者:養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ


解剖学者と人類学者の対談とするより、虫の人とゴリラの人と対比した方が、観察対象の大きさが違いすぎるぶん、それは面白いタイトルになるよね。むしろそこから企画を思いついたんじゃないかとすら思う。起こした文章にはほとんど初対面のような礼儀正しさがあるが、そうですね。いやほんとに。で続く対話は礼儀だけではない。年代や経歴は違えど、日本の自然の中で育ち、自然の中で研究対象と向き合うお二人には、自然に対する大きな敬意が共通している。自然をロゴスで語り、管理しうると考えることの愚かさと無意味さは常に頭に置いておきたい。
読了日:08月28日 著者:養老 孟司,山極 寿一

動物学科在学中のエピソードが新鮮だ。研究室には度外れに生物を愛し、見つめ続ける人が集まる。試行錯誤の末に、"恐怖を覚えるほどの合理的な論理を備えた生体こそ神秘"と知る。ムツゴロウさんの動物に触れるやり方や思想はここで育まれたのだ。『その動物に、それがいる場所で会うのを優先した。手ざわりや息づかいを記したかった』のが今回の企画を受けての目的。その天然記念物の行動や生態を他の種から類推し、仮説を立てて実物に会う。類推が当たっていても外れていても、ムツゴロウさんは感動する。そしてその生き物をむやみに食べたがる。
こちらでも若きムツゴロウさんは怒っている。日本人が無思慮に乱獲し、自然を破壊し、観光の名のもとに無知に生育環境を圧迫し、結果として当時の天然記念物たちはみるみる姿を消した。そのことをぶりぶり怒っている。これは後の著作では見られないことだ。自然を愛する者として、怒らない訳はない。しかし、著作を重ねるうちのどこかで、その怒りはもう書かないと決めるのだろうか。それよりも自然の美しさ、生き物の神秘をたくさん描くことで、読んだ者の中に自然を尊ぶ心が育てば良いと、自然の復権につながると、信じるようになるのだろうか。
読了日:08月23日 著者:畑 正憲


アマゾン流域に生きる狩猟採集民族、ピダハン。彼らは自分たちが実際に体験している物事しか認めない。だから創世神話も宗教も無い。生きることに迷いが無く、外に救いを求めない。同時に医療も便利な道具も無いから、寿命も短く、多くの物を得ることもないが、元より無くて当然なら、貧しいという概念がない。何より凄いのは、自分たちの文化を最上だと思っているから、他の価値観に関心が無く、他文化や他言語の影響をほとんど受けずにいることだ。自分たちの生存にとっての必需を選び抜いた世界観があれば、民族は崩れずにいることができるのか。
すぐ近くに住む別の民族カボクロは、アマゾンの産物を手に入れるために現れるブラジル人や欧米人と自分たちを比較し、自分たちが貧しいとの認識を持っている。だから金を稼ぎたいし、裕福になりたい願望が生まれる。そうなると、従来の生活手段や様式では満足できなくなり、少しばかりの物質的充足と引き換えに文化を失った貧者に成り下がる。そうやって世界の民族は、独自の文化や世界観を少しずつ失い、欧米文化の価値観に同化し、人類は単一化し続けているのではないだろうか。つまり人類の間でも多様化を失っている。これも危機だと思う。
人と人のコミュニケーションツールが豊かでうっとりした。通常の語りに加えて、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語りがあるという。住む環境や場面に即した方法が発達しているということだ。文化と言語は切り離すことができない。文法だけが豊かさではない。かつては日本の野山や海にも豊かにあったはずで、土地に独自のものはたくさん消えたのだろうなあ。ピダハンは、そうはいっても、トータルの人口は減っており、彼らもまたいつか消える民族、消える言語という運命は免れないらしい。
読了日:08月23日 著者:ダニエル・L・エヴェレット


内田先生が紹介された、戦争責任者は誰かについての文章。敗戦後、『多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない』。自分はだまされたと公言する、そしてそう思ったとしたら、そこには被害者意識は生まれこそすれ、反省する向きは生まれない。知ろうとしなかったから、疑わなかったから、だまされた。被害者面は欺瞞といえる。その無反省がその後75年に渡って依然、日本に居座り続けることを予見したような文章である。
読了日:08月22日 著者:伊丹万作


プレゼンなど何らかの結論を他者に提示する種類のタスクがある人には、自分の中にまとめておいてよい内容だ。私のように経営課題を経営者に説明したい場合も、こういった要点を踏まえておく必要がある。自分が直感でやってきたことをこう明確にされると、大まかで済ませている点や詰めの甘い点が見えてくる。まずは、イシュー。物事の本質を見極める能力は、イシューのみならず全ての処理に通ずる。それは学生時に習得した素養だけでも、漫然とした社会経験だけでも自動的には獲得されず、また見えにくい。その点がこの本が話題になった理由だろう。
『ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ』
読了日:08月22日 著者:安宅和人


1件40円は安すぎる、と一瞬思うが、これは各戸の電気料金に含まれる費用だと気づくと複雑な気持ちになる。さらにメーターの設置場所や表示の字体など、なぜ便利なよう、間違いのないよう変われないかと憤慨する。電力会社は誤検針や検針員自身を邪険にする暇があったらさっさとスマートメーターに変更すべきなんじゃないか。使用電気量を確定するために、検針員が所有敷地内に毎月立ち入るシステム自体が、時代に合わない。各種メーターを早急に無人化するべきだと主張することと、検針員は人として遇されるべきだと思うことは矛盾するだろうか。
この著者も文筆業志望ということで、筆が立つ。『この仕事も楽しいよ。雨の日とか、暑いときはそりゃたいへんよ。でもバイクで走ってればいいからね。田舎の人たちはよく話しかけてくれるしね。楽しいよ』。検針員が自らを社会の底辺と認識しながら働いていることや、他所の家の飼い犬の表情がわかり、独居老人には話し相手になってやる優しい人たちであっても検針員という職種ゆえに邪険な扱いを受け、不安定な生活を強いられることなどを、描く腕は確かだ。そういう経験を経てきた著者自身も優しい。印税ががっぽり入り、息災でおいでますように。
読了日:08月19日 著者:川島 徹


75年前の明日正午、玉音放送が流れる。8月15日正午までの24時間に国家の中枢で起きていたことを、資料や証言を元に詳しく組み立てた史実。なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか。私は当時の為政者が無能で怠慢だったと漠然と思っていた。しかしその24時間の間、鈴木首相をはじめ諸大臣、侍従皆、それぞれに責務を果たしていたと知った。阿南陸相自刃に胸打たれた。ならばなぜ。神州不滅、絶対不敗と、軽挙妄動を重ねた陸軍の軍人精神とやらを育て権力を与え暴走させたものは何だったのか。遡り、その根源を知ることにする。
昭和天皇は、当時幼かった私には親しみや畏敬を覚える陛下ではなかった。軍人として育った陛下はだからといって決して戦争に前向きだったわけではなく、大変なご配慮とご苦労が散見される。当時44歳。侍従長に吐露されたお言葉。『あのものたちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持が、どうして、あのものたちには、わからないのであろうか』。陛下は戦後、平和を求める"象徴"としての役割について皇太子とお話になられただろう。その御意思が脈々と宮家に受け継がれていることを、お言葉の端々から感じる。
その国体なるものについての記述。『彼らは自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生れたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである』。教育としてこれが浸透していたということか。
読了日:08月14日 著者:半藤 一利


先に読んだときの著者の“忘れたくない”リストが頭を離れず、私も繰り返し思い浮かぶこと、状況の変化に伴い新たに思い着いたことを書いておこうと思った。ページの余白に気の向くまま鉛筆で書き込んできた。日本で影響が本格化してから4ヵ月。はるか前のようで、個人的にはウイルスへの処し方に目鼻がついたように感じるので、一旦読み終えることにした。しかし社会システムや人の共通認識が適応するにはまだ時間も損害もかかるだろうから、書くべきことは当分尽きないものと思う。忘却はもう始まっている。余白はまだある。忘却との闘い。
読了日:08月14日 著者:パオロ ジョルダーノ

探検部時代の四方山話から、各々文筆家としての地位を確立した現在に至るまでの対談。作風は全く違ってもノンフィクションへの思いはそれぞれに熱い。実は角幡氏の方が計画性が欠如しており、高野さんは準備が間違っている。高野さんが珍しく愚痴を漏らす。ジャーナリストや本職クライマーに対してなど、内心はそれなりの屈託があるのだなあと失礼ながら感慨深い。荻上チキさんのラジオ番組で久しぶりに話したと高野さんがTwitterに書いているのがなんだか嬉しそうで、この企画が二人の距離を更に近づけたのなら、他人事ながら私も嬉しい。
読了日:08月13日 著者:高野 秀行,角幡 唯介


ある意味、楽に読める本ではない。著者の論理を順順聞くと世間一般に絶対少数派の結論が導かれる。自分の思考や常識はまず疑うべしと謙虚に読んでいたが、もはや混乱を超えて腹が立ってきた。環境問題にはビジネスの側面が少なくないので、真と実を見極め、無駄を避ける姿勢は必要だ。しかし、時間軸をより長く取ることにより問題を過少化するのは公正な態度とは思えない。一つの要素だけを増減すれば良いのでもない。金だけの問題でもない。ならば、私自身がどうありたいかと省みれば、謙虚なつましい生活で後ろめたく思わず生きたいだけなのだ。
リサイクルは間違い!地球温暖化もダイオキシンも発がん性物質も嘘!石油も石炭も元は何かの死骸なのだからがんがん燃やせ!二酸化炭素の量を増やした方が地球の為!と決めつけられると、憤慨したい気分にもなる。文系の奴らは知らなくても仕方ないがねとおっしゃるが、文系的文脈を解せずに理系脳で突っ走る辺り、ため息が出るわ。こういう「正論」をばさばさ口に出してしまう人は、自分の論理的正しさを信じている。同じことをメディアで何度説明しても盲信族が減らないことにうんざりして、そのうち粗雑で乱暴な臭気を放ち始めるのだろう。
整理すると、ゴミ問題において必要なことは、第一にreduceであり、reuseである。分別せずに燃やすことも、環境に与える負荷が少ない素材を新開発することもゴミ問題の根本的な解決にはならない。日本人の人口が自然減少すれば軽減されるかもしれないが、それも解決ではない。安くて便利を求める一般家庭には、処理に費用が発生する種類のごみを捨てるには有料の袋(すぐ焼却するとしても)に入れなければならないという圧迫をかけるのがより良いだろう、そしてより良い処理ができる方向へ法制を整えるべきと、とりあえず結論付けておく。
読了日:08月10日 著者:武田 邦彦


昭和47年。30歳代後半と思しきムツゴロウさん、日本に生きて残っている天然記念動物を探しに行く。少年のような好奇心と、生命の造形に向き合う真摯さは変わりなく、やせ我慢したり人間に怒ったりする辺りが若い。怒ろうとも抗議しようとも、人間の所業は変わることなく破壊を尽くし、このうちどれだけが絶滅せずに残っているかと暗澹とした気分になる。理解を深めるためにコウモリを焼いて食べるとかシロヘビに顔を狙わせるとかグジョウジドリの鶏舎の真ん中で寝たふりするとか、向き合い方の独特さには毎回度肝を抜かれる。痛快さと切なさと。
読了日:08月10日 著者:畑 正憲


主人公は後天的に失明した、中国からの引揚者という複雑な設定だ。しかしその身勝手さ、傲慢さにほとほと嫌気がさし、余程読むのをやめようと思った。酒で飲んだ薬のせいで記憶が飛ぶなど、ミステリとしては狡い手のようにも思えた。それでも江戸川乱歩賞は伊達ではない。全ての伏線を回収して、皆の「思い」を収め昇華させてみせた手際は間違いない。巻末の参考文献からも手間を惜しまず調べた様子が察せられるも、失明、また引揚のリアリティとしては程程と言うべきだろう。家族アルバムの顛末は予想できたものではあるが、娘の思いにほだされた。
読了日:08月08日 著者:下村 敦史

先日粟島を訪れた父が買って帰った本。宛名入りのサインをいただいたので、作家さん本人が在局だったかと思いきや、有名局長さんのサインのよし。2013年、瀬戸内国際芸術祭の作品として現れた漂流郵便局は、今も開局しており、人が訪れているという。MISSING POST OFFICE。届けることのできないはがきたちが流れ着く場所。薄情なうえに筆不精な私にはそのさみしさもあてどなさも自分の中に見つけることができないのだけれども、行ってみたら何か感じるのだろうか。漂流物でつくった宝物のような制作物は見てみたいな。
読了日:08月07日 著者:久保田 沙耶

著者は今世紀が『文化的停滞の暗黒時代』になり得ると感じている。的外れに論じられているような心地悪さがつきまとったが、逆に考えればこのような論理で展開しないと、通じない類の人を普段相手にしているということなのだろう。美意識とは教養と、人として持つべき規範のことだ。それらが社会生活や学校教育では身につきにくくなり、マインドフルネスなんて東洋発祥の身体習慣すら西洋の流行経由で取り入れなければならないほど失われてしまっているとは、「日本人の美意識」もあったもんじゃないと思うが。ビジネスとは商い。商うのは人間だよ。
読了日:08月05日 著者:山口 周


歴史探偵とニュース解説のプロの対談。お二人は社会問題や政治の専門家ではない。しかし平成の世に起きた時事を丁寧に見てきた良識の人であり、このお二人が平成の出来事をどのような意味合い、どういう温度で捉え記憶しているかを知ることは、私が令和の時代にどのように振る舞うべきかの指針になる。話題は憲法と天皇制で締めくくられる。半藤さんは平成の天皇陛下を『どのようなことがあってもこのひとだけは信用できる』人と表した。半藤さんが秋篠宮に請われ、悠仁さまに昭和史を講義された話も、天皇家が今後も日本の良心である証左に思った。
読了日:08月04日 著者:半藤 一利,池上 彰


「紙の動物園」がファンタジー、こちらはSFのよし。ケン・リュウの、西洋と東洋を融合させた物語を私は気に入っている。西洋世界と東洋世界を自在に行ったり来たり、西洋の歪を東洋のやり方で埋める。論理と、そこからはみ出る余剰を包み込むオリエンタルを、彼は熟知して書き分ける。「円弧」と「良い狩りを」が好い。人間の両の手が描く無限の曲線。香港の夜を駆ける妖狐のきらめき。いくら科学技術が進んでも、生きた存在の描く曲面は得も言われぬ情感を呼び起こす。西洋東洋問わず共感を呼ぶ、そんな作品の中に、未来のヒントはあるのだろう。
読了日:08月02日 著者:ケン リュウ

日本人はどこから来たのか。海部陽介氏の本から私の中で繋がるテーマだ。宮本常一は各地に残る古文書や風習から、大胆に推論してゆく。原住民である"えみし"は狩猟・漁労及び採取の文化=縄文文化を、南の海から渡来した"みまな"は稲作文化=弥生文化を日本列島に生んだ。その後に朝鮮半島から渡った倭人が金属武器をつくり朝廷を開き、古墳文化をもたらした。この文章は遺稿である。人生集大成の考察とすると、日本人の暮らしをどんどん遡って、日本文化の基盤、そもそもの源流にたどり着いたのだなと想像すると、感慨深いものがある。
縄文時代は7800年ほども続いたという。凶作のために、またより良い猟場/漁場を求めて、人々は日本列島を移動し続けていたと推察される。江戸時代であっても、人々は移住しては空き家に住み着くことを繰り返していたといい、ならば、あたかも先祖代々この地に住んできたかのような私たちの体感や執着は、故無き事ということになる。両親祖父母が生きてきた地への愛惜は、どういったメカニズムなのだろう? そして各地に残る風習やことばは、どうやって保たれたのだろう? ああ、時間軸が幅広すぎて想像がついていかない…。
読了日:08月01日 著者:宮本 常一


瀬戸内海本を探していて見つけた。大正7年、少年向けの読み物。海面の満ち引きが瀬戸内海の地形の複雑さに影響されてどのような現象を起こすか、などの説明が科学雑誌のような明確さで書かれている。以前の津波の時に、四国の太平洋側と瀬戸内側では到着予想時刻にずいぶん時間差があることには気づいていたが、今回初めて現象を理解した。こういうのを確認しながら四国の周りを船で一周するのも面白そうだ。寺田寅彦は、いずれ著作集をまとめて読破したいと思っている。クレバーな文章がとても好き。
読了日:08月01日 著者:寺田 寅彦


名作を著したといって、皆が専業の文筆家とは限らない。伊藤佐千夫は現都内に乳牛20頭を飼育する生業の傍ら、執筆していたという。明治43年、平屋の軒まで浸かる程の洪水に見舞われる。江東区はよく浸かったと想像される。大水の中を、怖がる牛を両腕に引いては避難させる。なりふり構わず奮闘する自分を、醜態だ、卑しいと言って恥じるのが意外だった。牛を失わなず済んで良かったではないか。災害のさなかに投げ込まれれば、人はとりもあえず生き延びる為に闘う。そういうものだと思う。失ったものを悲しみ、未来を憂うのはその後なのだろう。
読了日:08月01日 著者:伊藤 左千夫

注:

Posted by nekoneko at 11:39│Comments(0)
│読書