2022年02月01日
2022年1月の記録
お腹がすいたなあ、と感じると、手近な食べ物をとりあえず口に入れてやりすごしたり、視界に入る食べ物をつい買ってしまうような行為を取る。
本を読む時間を満足に取れないと、本読みたさに苛々し、穴埋めとばかり本をまとめ買いしたりする。
食べ物同様、本を買っただけでは当然だめで、読まない限り満たされないのであり、期待に外れた本だとやはり満たされず、飢えている。
本棚には読むべき本がこんなに積みあがっているというのに。
厄介なものよ。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用14,559円。
読了11冊。
積読本304冊(うちKindle本137冊、Honto本14冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:10
私たちはいつまで危険な場所に住み続けるのかの感想
住む場所を選べるなら、リスクは最低限にしたい。しかし日本人の半分は洪水氾濫区域に居住している。行政がハザードマップに特別警戒区域や警戒区域を策定しても、既に人々が住んでいる地域を居住誘導区域から除くと町が成り立たなくなる。豪雨の増加とさらなる人口の流入により、浸水想定区域内の浸水被害件数は今後も増えるとあれば、各種保険料も上がるのだろう。そして策定に盛り込みきれないリスクもあると言い、もう、最終的には自分で判断するしかないが、どうすればよいものか頭を抱える。真備や熱海ほか、直近の災害についても詳しい。
読了日:01月31日 著者:木村駿,真鍋政彦,荒川尚美
地底旅行 (角川文庫)の感想
久しぶりにわくわくする読書だった。当時のフランス人にとって、アイスランドはどのくらい遠い地だったろうか。現代の私にとってもアイスランドは遠い地だけれど、Google Earthで海岸線をたどってみたり、放たれた馬を眺めてみたり、郊外の荒涼とした野は、アスファルト舗装以外は当時とあんまり変わらないのだろう。そして奇想天外な冒険譚! これを読んで冒険家や地質学者、古生物学者を目指す少年が多発したことだろう。世界には知らないことがたくさんあると気づくことは、身の内にこんなにも活力を生むことなんだと思い出した。
読了日:01月31日 著者:ヴェルヌ
献灯使 (講談社文庫)の感想
壊滅的な過ちを犯し、国外との交信を絶った日本。ディストピア、なのだろう。しかしある面において私は、この世界が羨ましくも思ったのだ。日本国と日本人に未来が無いことが白日の下に明らかになり、希望がないという共通認識を持つ者どうしが、生きられるだけ生きんとする世界。現状を自らの罪と断罪し、若者を失う痛みを受け入れ、江戸に回帰するような日々は淡々と穏やかに進んでゆくだろう。いっこうに死ねないのは嫌だけれど。世界はもっと善くあるべきと、もがくことに私は疲れているのかもしれない。「不死の島」は「献灯使」と表裏か。
フクシマ原発事故の衝撃をなんとか嚥下しようと咀嚼するような連作。「彼岸」では原爆による被爆の地獄絵図が再現される。日本を離れなければ生き延びることができない世界では、日本人たちは難民として大陸に渡る。ここでは「日本沈没」を連想する。現代の日本人は意味もなくヘイトした地で、難民として生きていくことはできるのだろうか。戦前戦後の相似形だ。そんな日がひょっとしたらくるのかと思ったり、そうはいっても日本人はこれまで数多の災害をなんとかかんとか生き延びてきたのだしと思ったり、嚥下もままならないまま、忘れるのか。
読了日:01月30日 著者:多和田 葉子
夜釣の感想
青空朗読で聴いた後、青空文庫で読んだ。泉鏡花は、音読を念頭に置いて文章を書いていないように思う。文章を読んでいても、途中で文脈が切り替わっているのに気づいて戻ること度々だからだ。しかし、夜の空が妖しくなる様子や、子供たちの不可解な様子は、聴いていて背筋がぞっと寒くなるような凄みがあって、聴いてみるのも面白いなあと、読み返しながら思ったことだった。言葉選びに既に世界観があるからかしら。初出表題は「鰻」。末尾の山東京伝はなにか所以あってだろうか?
読了日:01月29日 著者:泉 鏡花
FOOTPRINTS(フットプリント) 未来から見た私たちの痕跡の感想
例えば1000年後。地面を掘ったら、中世の石畳のようにアスファルトが、貝塚のように埋立ゴミが、地中や海底にビルが立ち現れる。それらが、私たちが未来に残す足跡だ。著者はイギリスの文学の教授なので、見聞きしたものから連想された古典から現代詩まで、古今東西の著作の引用が多いあたりが他のノンフィクションと違う。回りくどくも感じる一方、情報だけでない、練られた言葉による比喩や情緒まで書き込まれることで、私の気持ちにもさざ波をおこし、生身の人間の感覚、未来への想像力を働かせることを許される。
原発の使用済み燃料、つまり核廃棄物はおそらく最も長く残る私たちの足跡だ。地中深くに埋める取組みが世界では既に始まっている。アメリカでは埋設地を掘らないよう石碑に警告を、言語のほか表象、苦悶の顔などで彫り込んだ。フィンランドでは太古にできた岩盤上に深く埋め、目印をあえて残さない方策を取った。核廃棄物は400年も経てば天然鉱物同等の危険度に減衰するという。そしていずれ都市も消え去る。海面上昇や地盤変動で、海の近くで地の利を得て発達した大都市はその頃には海に沈んでいるだろう。沈むのは南洋の島だけじゃあない。
読了日:01月15日 著者:デイビッド・ファリアー
おうち避難のための マンガ 防災図鑑の感想
私が平均寿命まで日本で生きたなら、それまでに少なくとも2、3の甚大災害を目にするだろうし、自身も平時と違う被災状態に置かれる事態は想像に難くない。当然、日本において防災対策は他人事でない。この手の心構え本は多数あるも、東日本大震災をはじめ、数多の大災害を経て、つまりたくさんの人の被災経験を集成して、ずいぶんアップデートされている。ありがたく備えさせていただく。さらに新型コロナにより、分散避難、特に在宅避難が重視されている。百均の多用が気に入らないが、備えへのハードルを下げさせるためには致し方ないだろう。
読了日:01月10日 著者:草野かおる
選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記の感想
マイク納めの時、場に満ちていたのは希望だった。小川家の人々を囲んで、私たちはひと時安堵し、未来を想った。裏でそんな事件が起きていたなんて知らなかった。妻・娘タスキの件だ。明子さんと娘さんたちを家父長制を思わせるタスキで表わすのはおかしいと和田さんが伝えたという。なんかもう、想像して泣けた。今の香川県で、高齢に偏った有権者に受け入れてもらうために、小川家の人々はドブ板でも集会でもいろんな試みを積み重ねてきた。昨今の風潮に鑑みておかしいことくらいとっくにご存じだ。それをなんで和田さんの立ち位置から言えたのか。
清濁併せ呑む、という表現がある。小川さんはそういうの苦手だよね、というイメージが先行しているが、ある程度は合理的な判断で行動されていることが垣間見える。つまり、ポリティカルコレクトネス的にはこれが正しいけれど、細かい点ではとりあえず、今のところは、そうでない意見や方法を取り入れておいて、時宜を見て修正していくような。正しさばかりで国は動かせない。それを家族にも強いてしまうことの重たさは、小川さん自身感じておられて、ご家族皆さん共有されているように感じられる。だから…ああああもう腹が立つ!!!
読了日:01月10日 著者:和田靜香,小川淳也
100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集の感想
以前本屋で、探している本のタイトルが思い出せず、店主に思いつく限りを挙げた末に全く重ならないタイトルの本が言い当てられて、店主の慧眼と感嘆したことがある。自分の記憶のいい加減さもたいがいだった。表題を含めこれら誤タイトルには、そんなんないやろ!とつっこみたい素っ頓狂なものもあるが、人の勘違いは百人百通り。読み間違い勘違いのデータベースのみならず、概要や連想の必要な難題もあり、AIがすべてクリアできる時代はもう少し先ではないかしら。絵本も児童書も、古典も流行りものもあるから、これはたいへんだわ。
読了日:01月09日 著者:福井県立図書館
最近、地球が暑くてクマってます。 シロクマが教えてくれた温暖化時代を幸せに生き抜く方法の感想
動物を擬人化した趣向が好きでないのだけれど、読んでみると会社に置いておきたくなった。監修がしっかりしていて、メインの文章で浅く読むことも、「熊の巻」で深く知ることもできる。軽く手に取ってもらえそうだ。強調しているのは、温暖化対策は個々人の我慢に依存するものではなく、国を動かすアクションをこそ起こすべきである点だ。なぜなら二酸化炭素排出の4割を石油・石炭による発電等が占めており、個人の我慢など知れているからだ。だからといって原子力発電の増設はまっぴらごめん、なのであれば、しつこく意見表明しなければならない。
地球全体の二酸化炭素濃度は一次関数的に上昇し続けている。温暖化がガスの影響と言われ始めて以降、2020年に至るまで、である。つい最近まで懐疑派だった私につべこべ言う資格は無いのだけれど、この温暖化はもう止まらないのではないか、臨界点は既に越えつつあるのではないかという感覚が拭えない。しかしそれは無根拠な感覚的なものであって、論理的ではない。無責任と反省した。目の前の現象を平易な目で見守り、確かな分析を追わなければならない。
シロクマは、温暖化が進めばどのみち生きていくことはできない。種を守るために動物園のシロクマに生きてもらわなければなんて悪い冗談だ。
読了日:01月08日 著者:水野敬也,長沼直樹
You are what you read あなたは読んだものに他ならないの感想
理屈ぽくて皮肉屋で真面目で、近くにいたら面倒くさそうな服部文祥が、読むほどになんだか愛すべきキャラに思えてきたのだ。極限状態の中に、服部文祥は生きることの謎を解く鍵を探す。自らの極限体験では飽き足らず、他人の極限である状況と言葉を覗き見て、本質に触れたい欲求はわかるように思う。答えは一向に得られないけれど。『自然界で起こったことは信じる信じないではなく、受け入れるか受け入れないかだ。セメントに囲まれて暮らしている我々が、動物の奥深い能力や自然のありようにまで、人間の常識を当てはめるべきではない』は至言だ。
昨年末は特に年賀状の支度をしたくなくて、ずるずると今日に至り、ええ歳こいて年始早々に不義理をした。本の中で服部文祥が、登山に行ったら事故で帰ってこないかもしれない、それを思うので登山の予定を挟んだちょっと先の約束すら嫌だったというようなことを書いていて、思い当たった。ああ、私は去年、人や猫の生き死ににたくさん出会って、今このときのことで手一杯な日々を乗り越えてこなして、見知らぬ来年のことなどもう考えたくなかったのだと。年賀状は自分にも相手にも「今年」がある前提の遣り取りで、その儚さが辛かったのだ。
読了日:01月07日 著者:服部文祥
注:
は電子書籍で読んだ本。
本を読む時間を満足に取れないと、本読みたさに苛々し、穴埋めとばかり本をまとめ買いしたりする。
食べ物同様、本を買っただけでは当然だめで、読まない限り満たされないのであり、期待に外れた本だとやはり満たされず、飢えている。
本棚には読むべき本がこんなに積みあがっているというのに。
厄介なものよ。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用14,559円。
読了11冊。
積読本304冊(うちKindle本137冊、Honto本14冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:10

住む場所を選べるなら、リスクは最低限にしたい。しかし日本人の半分は洪水氾濫区域に居住している。行政がハザードマップに特別警戒区域や警戒区域を策定しても、既に人々が住んでいる地域を居住誘導区域から除くと町が成り立たなくなる。豪雨の増加とさらなる人口の流入により、浸水想定区域内の浸水被害件数は今後も増えるとあれば、各種保険料も上がるのだろう。そして策定に盛り込みきれないリスクもあると言い、もう、最終的には自分で判断するしかないが、どうすればよいものか頭を抱える。真備や熱海ほか、直近の災害についても詳しい。
読了日:01月31日 著者:木村駿,真鍋政彦,荒川尚美

久しぶりにわくわくする読書だった。当時のフランス人にとって、アイスランドはどのくらい遠い地だったろうか。現代の私にとってもアイスランドは遠い地だけれど、Google Earthで海岸線をたどってみたり、放たれた馬を眺めてみたり、郊外の荒涼とした野は、アスファルト舗装以外は当時とあんまり変わらないのだろう。そして奇想天外な冒険譚! これを読んで冒険家や地質学者、古生物学者を目指す少年が多発したことだろう。世界には知らないことがたくさんあると気づくことは、身の内にこんなにも活力を生むことなんだと思い出した。
読了日:01月31日 著者:ヴェルヌ


壊滅的な過ちを犯し、国外との交信を絶った日本。ディストピア、なのだろう。しかしある面において私は、この世界が羨ましくも思ったのだ。日本国と日本人に未来が無いことが白日の下に明らかになり、希望がないという共通認識を持つ者どうしが、生きられるだけ生きんとする世界。現状を自らの罪と断罪し、若者を失う痛みを受け入れ、江戸に回帰するような日々は淡々と穏やかに進んでゆくだろう。いっこうに死ねないのは嫌だけれど。世界はもっと善くあるべきと、もがくことに私は疲れているのかもしれない。「不死の島」は「献灯使」と表裏か。
フクシマ原発事故の衝撃をなんとか嚥下しようと咀嚼するような連作。「彼岸」では原爆による被爆の地獄絵図が再現される。日本を離れなければ生き延びることができない世界では、日本人たちは難民として大陸に渡る。ここでは「日本沈没」を連想する。現代の日本人は意味もなくヘイトした地で、難民として生きていくことはできるのだろうか。戦前戦後の相似形だ。そんな日がひょっとしたらくるのかと思ったり、そうはいっても日本人はこれまで数多の災害をなんとかかんとか生き延びてきたのだしと思ったり、嚥下もままならないまま、忘れるのか。
読了日:01月30日 著者:多和田 葉子

青空朗読で聴いた後、青空文庫で読んだ。泉鏡花は、音読を念頭に置いて文章を書いていないように思う。文章を読んでいても、途中で文脈が切り替わっているのに気づいて戻ること度々だからだ。しかし、夜の空が妖しくなる様子や、子供たちの不可解な様子は、聴いていて背筋がぞっと寒くなるような凄みがあって、聴いてみるのも面白いなあと、読み返しながら思ったことだった。言葉選びに既に世界観があるからかしら。初出表題は「鰻」。末尾の山東京伝はなにか所以あってだろうか?
読了日:01月29日 著者:泉 鏡花


例えば1000年後。地面を掘ったら、中世の石畳のようにアスファルトが、貝塚のように埋立ゴミが、地中や海底にビルが立ち現れる。それらが、私たちが未来に残す足跡だ。著者はイギリスの文学の教授なので、見聞きしたものから連想された古典から現代詩まで、古今東西の著作の引用が多いあたりが他のノンフィクションと違う。回りくどくも感じる一方、情報だけでない、練られた言葉による比喩や情緒まで書き込まれることで、私の気持ちにもさざ波をおこし、生身の人間の感覚、未来への想像力を働かせることを許される。
原発の使用済み燃料、つまり核廃棄物はおそらく最も長く残る私たちの足跡だ。地中深くに埋める取組みが世界では既に始まっている。アメリカでは埋設地を掘らないよう石碑に警告を、言語のほか表象、苦悶の顔などで彫り込んだ。フィンランドでは太古にできた岩盤上に深く埋め、目印をあえて残さない方策を取った。核廃棄物は400年も経てば天然鉱物同等の危険度に減衰するという。そしていずれ都市も消え去る。海面上昇や地盤変動で、海の近くで地の利を得て発達した大都市はその頃には海に沈んでいるだろう。沈むのは南洋の島だけじゃあない。
読了日:01月15日 著者:デイビッド・ファリアー


私が平均寿命まで日本で生きたなら、それまでに少なくとも2、3の甚大災害を目にするだろうし、自身も平時と違う被災状態に置かれる事態は想像に難くない。当然、日本において防災対策は他人事でない。この手の心構え本は多数あるも、東日本大震災をはじめ、数多の大災害を経て、つまりたくさんの人の被災経験を集成して、ずいぶんアップデートされている。ありがたく備えさせていただく。さらに新型コロナにより、分散避難、特に在宅避難が重視されている。百均の多用が気に入らないが、備えへのハードルを下げさせるためには致し方ないだろう。
読了日:01月10日 著者:草野かおる

マイク納めの時、場に満ちていたのは希望だった。小川家の人々を囲んで、私たちはひと時安堵し、未来を想った。裏でそんな事件が起きていたなんて知らなかった。妻・娘タスキの件だ。明子さんと娘さんたちを家父長制を思わせるタスキで表わすのはおかしいと和田さんが伝えたという。なんかもう、想像して泣けた。今の香川県で、高齢に偏った有権者に受け入れてもらうために、小川家の人々はドブ板でも集会でもいろんな試みを積み重ねてきた。昨今の風潮に鑑みておかしいことくらいとっくにご存じだ。それをなんで和田さんの立ち位置から言えたのか。
清濁併せ呑む、という表現がある。小川さんはそういうの苦手だよね、というイメージが先行しているが、ある程度は合理的な判断で行動されていることが垣間見える。つまり、ポリティカルコレクトネス的にはこれが正しいけれど、細かい点ではとりあえず、今のところは、そうでない意見や方法を取り入れておいて、時宜を見て修正していくような。正しさばかりで国は動かせない。それを家族にも強いてしまうことの重たさは、小川さん自身感じておられて、ご家族皆さん共有されているように感じられる。だから…ああああもう腹が立つ!!!
読了日:01月10日 著者:和田靜香,小川淳也

以前本屋で、探している本のタイトルが思い出せず、店主に思いつく限りを挙げた末に全く重ならないタイトルの本が言い当てられて、店主の慧眼と感嘆したことがある。自分の記憶のいい加減さもたいがいだった。表題を含めこれら誤タイトルには、そんなんないやろ!とつっこみたい素っ頓狂なものもあるが、人の勘違いは百人百通り。読み間違い勘違いのデータベースのみならず、概要や連想の必要な難題もあり、AIがすべてクリアできる時代はもう少し先ではないかしら。絵本も児童書も、古典も流行りものもあるから、これはたいへんだわ。
読了日:01月09日 著者:福井県立図書館

動物を擬人化した趣向が好きでないのだけれど、読んでみると会社に置いておきたくなった。監修がしっかりしていて、メインの文章で浅く読むことも、「熊の巻」で深く知ることもできる。軽く手に取ってもらえそうだ。強調しているのは、温暖化対策は個々人の我慢に依存するものではなく、国を動かすアクションをこそ起こすべきである点だ。なぜなら二酸化炭素排出の4割を石油・石炭による発電等が占めており、個人の我慢など知れているからだ。だからといって原子力発電の増設はまっぴらごめん、なのであれば、しつこく意見表明しなければならない。
地球全体の二酸化炭素濃度は一次関数的に上昇し続けている。温暖化がガスの影響と言われ始めて以降、2020年に至るまで、である。つい最近まで懐疑派だった私につべこべ言う資格は無いのだけれど、この温暖化はもう止まらないのではないか、臨界点は既に越えつつあるのではないかという感覚が拭えない。しかしそれは無根拠な感覚的なものであって、論理的ではない。無責任と反省した。目の前の現象を平易な目で見守り、確かな分析を追わなければならない。
シロクマは、温暖化が進めばどのみち生きていくことはできない。種を守るために動物園のシロクマに生きてもらわなければなんて悪い冗談だ。
読了日:01月08日 著者:水野敬也,長沼直樹

理屈ぽくて皮肉屋で真面目で、近くにいたら面倒くさそうな服部文祥が、読むほどになんだか愛すべきキャラに思えてきたのだ。極限状態の中に、服部文祥は生きることの謎を解く鍵を探す。自らの極限体験では飽き足らず、他人の極限である状況と言葉を覗き見て、本質に触れたい欲求はわかるように思う。答えは一向に得られないけれど。『自然界で起こったことは信じる信じないではなく、受け入れるか受け入れないかだ。セメントに囲まれて暮らしている我々が、動物の奥深い能力や自然のありようにまで、人間の常識を当てはめるべきではない』は至言だ。
昨年末は特に年賀状の支度をしたくなくて、ずるずると今日に至り、ええ歳こいて年始早々に不義理をした。本の中で服部文祥が、登山に行ったら事故で帰ってこないかもしれない、それを思うので登山の予定を挟んだちょっと先の約束すら嫌だったというようなことを書いていて、思い当たった。ああ、私は去年、人や猫の生き死ににたくさん出会って、今このときのことで手一杯な日々を乗り越えてこなして、見知らぬ来年のことなどもう考えたくなかったのだと。年賀状は自分にも相手にも「今年」がある前提の遣り取りで、その儚さが辛かったのだ。
読了日:01月07日 著者:服部文祥
注:

Posted by nekoneko at 17:03│Comments(0)
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