2023年01月05日
2022年12月の記録
2011年からこちら、その年に読んだ本ベスト20をつくっている。
スクショ保存してあるのを見返すと興味深い。
記憶にほとんど残っていない本がベスト3に入っていることもざらなら、
ベスト20のうち今も心のどこかで活きていると感じる本は5冊がいいところだったりする。
なにが根を生やし育つかわからないのだから、なんでも植えて(読んで)みるのが良いのだ。
とはいえ、私が気になった全ての本を読む時間は、私の人生にはもう無い。
なのに今月もたくさん買い込んだ。そろそろ読む本を選びなさいよという話である。
ちなみに今年のベスト20はこちら
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用18,635円。
読了16冊。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。
12月の読書メーター
読んだ本の数:16
翻訳者による海外文学ブックガイド BOOKMARKの感想
もとはフリーペーパー企画。表紙にあるとおりながら、小説を翻訳した本人による紹介というところがいちばんの魅力です。あと、各巻頭のエッセイは国内の作家さんによるもので、こちらもそうそうたる面々で嬉しい。若い読書が想定されているとのことでヤングアダルトや少年文庫も多いなか、大人向けの本格ものもたくさんあって鼻息荒く物色した。惜しむらくは、翻訳ものあるあるで、絶版の嵐。。。刊行されて数年で文庫にもならず消えてしまうのは余りにもったいないことだ。悔しい。ていうか早く読め私。次作はタイムリーに読みます。
読了日:12月30日 著者:金原 瑞人,三辺 律子
僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦の感想
永井陽右氏の活動の始まり。なぜ、国境なき医師団すら撤退したソマリアでなければならなかったか、という問いは既に無意味だろう。紛争解決の専門家の忠告よりも、渡航する度に得る手ごたえを糧に彼は前に進んだ。『ギャングと話せば話すほど、同じ時間を共有すればするほど、彼らが僕らと何も変わらない存在だと気づく』。信じた活動を10年続けた先に経験もスキルも学位も得た。彼は行けるところまで行くのだろう。自分が『人間としての責任』と認識する活動にどうすれば無関心な人たちを巻き込んでいけるのか、日々考える。真面目な人なのだ。
彼の論理では、ソマリアは世界でもっとも支援が必要な場所である。しかしそこは世界で最も死に近い場所である。死なずに続けられているのは幸運、だろう。内田先生との対談記事で、命を大事にと語りかける内田先生の言葉をスルーしているように読めるのが気にかかった。編集ならよいのだが。社会的な意義が大きいのは理解できる。ただ、殉教者にはなってほしくないと私も願っている。世界には、彼と同じように危険な地で活動に邁進する仲間がたくさんいるのだという。彼らや、ソマリアの仲間こそが、彼にとってのリアルなのだろうな。
知識もスキルも無い者が紛争地に行くべきではない。それが"常識的な"考え方だ。しかしそれに反して飛び込んでいく者たちがいて、私はそれを無謀と切って捨てるべきかと考え始める。そこには、人間が生きているのだ。例えば国内の活動で、政府も行政でもできないことを民間の有志が個人としてできる範囲のことをやっていくように、そこに人間が生きている限り、紛争地にも政府やNGOにはできないが個人にはできることがある、という考え方はできる。紛争自体は即時解決しなくても、何人かに生き延びる人生を生むことはできた、それが動力になる。
読了日:12月28日 著者:永井陽右
その名にちなんで (新潮文庫)の感想
物語を読み終えて、ほっと息を吐いた。家族2世代の歴史の物理的時間は40年もない。ただ彼らの綿々と抱える想いが重たいのだ。インド人が家族を単位に考えるのに対し、アメリカ人は個人を単位に考える。『アメリカというところは、何事も行き当たりばったりで、真実味がない』。インドからアメリカに移り住んだ一世が物事の捉え方の違いに戸惑い、一世同士で伴侶を見つけるのに対し、アメリカで生まれた二世は段違いにアメリカナイズされた考え方をする。しかし親親戚も自身の外見も完璧にベンガルである彼らの苦悩は、一世のものとは全く異なる。
母アショケはアメリカに渡った当初、家に引きこもりがちで、ベンガルの友人を得た後にインドの親戚のように招きもてなし合う関係を築いた。一方ゴーゴリたちは学校や職場で知り合うアメリカ人と集まって飲食や議論を共にするが、同じ賑やかなパーティーでもその本質は真逆だ。一見きらびやかなアメリカで、自身の中のインドとの折り合いをどこでつけるか、どちらを選ぶか、さらに異世界を選ぶか、その入り交じり具合も人によってほんとうに違っているのだということが、3代遡ってもみな日本生まれが当たり前の日常にいる私にはずっしりときた。
読了日:12月27日 著者:ジュンパ ラヒリ
アラビア遊牧民 (講談社文庫)の感想
1965年のサウジアラビア。ベドウィンの人々や生活、ラクダやスカラベの観察も興味深い。さて、アラビア遊牧民が"見返りを求めず"旅人を歓待する話、その真実は「海老で鯛を釣る」慣習であるという。食事や接待それ自体のお礼は絶対に受け取らないが、その後は見返りをもっとよこせという態度に豹変する。不確実な善意に頼っていては死んでしまう土地、それは厳しい自然を指すのではなく、歴史的に侵略と強奪が繰り返された土地ゆえに根付いた、他人を信用しないことを前提にした民族の集積知であるという考え方は、胸に刻みつけたい。
読了日:12月27日 著者:本多勝一
私の本棚 (新潮文庫)の感想
クリスマスイヴを小野さんのエッセイで過ごす。いやー、寄稿者の人選も好いし、本と本棚の話って熱いよな。本が身の周りに増えていくときの現象や、念願の本棚を手に入れて気づく真実はわりあい似ている。でもそこから導く在り様は人それぞれに多様だ。私は私がいつか手に入れる本棚の理想図を描きながら、本棚は読んだ本の背中でその人の姿を、積読本の山でその人の生きる望みを顕わすのだから、堂々といつも目に入るように手に取れるように置こうと決意した。今年の読書の締めくくりとしてふさわしかった。まだ読むけど。
今年の一箱古本市でお隣のブースになった方が、古書然とした本を並べておられたので、本職(古書店)の方ですかとお訊きしたら、「終活です」とお答えになったのが忘れられない。若い頃に大切に読んだ本も老眼が入れば読むものではなくもはや思い出であり、喜んでもらってくれるあてもない。1冊もらい受けようにもこちらも老眼に差し掛かる身で、当時の活字の小ささに怖じた。明日は我が身。溜め込むほど後が大変になるのは自明。それでも本にまつわる全ての記憶と、集めた本への執着、本を読む自分への希望は愛おしい。
読了日:12月25日 著者:
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (講談社文庫)の感想
豆腐屋を継いだ著者は、朝日歌壇に投稿する歌人である。その縁でエッセイもものする。決して余裕のない生活の中で、暮らしに根差した想いたちは、夜業に差す月の光、早暁の冴え冴えとした空気、極寒に大豆を絞る湯気の中にありありと立ちのぼる。生活詠と呼ぶそうだ。俳句を趣味にしていた亡き祖母を想う。遺品からはできた句を書き留め添削したノート、メモ綴じ、裏紙の類が膨大に出てきた。著者と同じ、無学な自営の妻だった。だからこそこの記を愛おしく思うのかもしれない。草木花歳時記数冊と広辞苑のような厚さの大歳時記は私が貰い受けた。
読了日:12月23日 著者:松下 竜一
小説 すずめの戸締まり (角川文庫)の感想
映画という表現方法を持つ新海誠が、なぜ同時進行で小説を書く必要があったかと訝しみつつ読んだ。理由はあとがきにあった。それはそれで納得である。視覚的な描写、静/動のメリハリの効いた描写の多い小説である。ダイジンの造形はわかりやすいけれど、その役割を知って読み返すとずるい。扉があるのは、かつて人間の活動が盛んだった場所であるようだ。『ひとのてで もとにもどして』。黒く塗りつぶされた3月11日。当事者でないからこそ、それを忘れかけていること、忘れてはいけないと自らに警告する術を、私たちは望んでいるのだろうか。
天災による被害という意味では、阪神大震災も同じはずだ。しかし、当時の私が哀しみや憤りのなんたるかも知らなかった年頃であったこと、東日本大震災の場合は地震と津波と、原発の人災が重なったことで、私にとっては太平洋戦争の敗戦に匹敵する重さで脳底に鎮座している。いつまでも割り切ることのできない出来事として抱えておきたい。
読了日:12月22日 著者:新海 誠
日本の漁業が崩壊する本当の理由の感想
これも日本ジリ貧案件。水産物生産量は世界では増えており、日本では減っている。魚種によって事情が違うし、外国との兼ね合いもあるが、主因は日本が科学的根拠に基づく分析・管理できずに乱獲する点である。例えば2011年の震災後、三陸沖の魚は増えた。人間が獲らなければ魚は繁殖し増える。しかしそれを豊漁と根こそぎ獲ってしまえば元の魚の減った海に戻るわけで。ならば養殖すればよいかといえば餌は高騰の一途。輸入すればよいかといえば円安で日本は買い負けし始めており、回転寿司屋が立ち行かなくなるのも時間の問題と予測してみる。
スーパーの鮮魚売り場で「ホッケ小さいな」「サンマ細いな」「高くなったな」は判るが、安く売られている魚が、旬だからではなく、不漁なのでしかたなく旬じゃないものや獲り頃よりまだ小さいものを獲ってきてるからだなんて、私は知らなかった。だから美味しくないのだと。海の生態系を破壊する底曳き網を規制するなどは国がするべきことだが、面倒なことはしたがらないのがお家芸。国民が現状や解決策を知り、世論を醸成して国を突き上げるしか、日本を変える方法はないのだろう。漁業にまつわる問題はそこらじゅうにあるようだ。読んで良かった。
とりあえず、メディアが今年は豊漁とか不漁とか高いとか安いとかだけ報道するのは害でしかない。もっとちゃんと取材してほんとうのところを知らしめていただきたい。
読了日:12月19日 著者:片野 歩
アフリカ出身 サコ学長、日本を語るの感想
自分の学生時代、その過ごし方を「あれで正しかったのだろうか」と私は時々思い返す。何か間違っていたから、本来得られたはずのものを逃して、いま見えない壁を越えられずにいるんじゃないかという気がずっとしていた。前半はサコ学長の来歴、後半は教育・教育システム論。サコ学長の現状概観を読むと、私は日本の教育システムが設計したとおりに正しく過ごしたとしか言えないことに驚いた。「良い子」だったんやなあ…と嘆息する。ならば、気づいた時点で若者に胸を張れる不良中年になるのが解決策じゃろなあ。今の若者は息苦しそうだもの。
サコ学長の学生時代を読みながら、多様性や異文化への理解は、直に接しないと絶対にわからないと痛感した。私は日本の教育の中で、小さい頃から「みんな同じ」「みんな平等」と教わってきた。私はうかつにも、高校生になっても大学生になっても文字どおり「人間は大同小異」だと思っていた節がある。でも実は、他人は皆能力も志向も違っていて、無限の方向性があって、手を伸ばして得るものなんだってことに気づいたのはほんとうに最近のことだ。
読了日:12月14日 著者:ウスビ・サコ
体と心がラクになる「和」のウォーキング 芭蕉の“疲れない歩き方”でからだをゆるめて整える (祥伝社黄金文庫)の感想
安田先生の身体論×精神文化論とでも呼ぼうか。能やロルフィングの身体観に基づいた歩き方指南の本かと思いきや、日本人の身体の個性から話は古今の相撲における身体運用の違いへ、さらに「おくのほそ道」が"歌枕"を巡る歩き旅であったとの指摘、古典と現実を重ね合わせて楽しむ大名庭園の散歩法まで、安田先生のお話がいろいろ読めてお得。歳を取って能力に制限が加わることによってこそ、物事が新しく捉えられ、また興味深く感じることができる話が好きだが、元大相撲力士の一ノ矢さんも同意とか。歳を取ることが楽しみになってくる嬉しさよ。
読了日:12月12日 著者:安田登
その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱の感想
黒糖づくりや百姓、猟師など、現状を憂え、自身が信じたように行動する人たちが、ここには何人も出てくる。こういう動きを内田先生は希望と呼ぶのかな。農地付きの土地をなんとか買えないかと考えていた私にも参考になった(諦めた)。しかし後味は悪い。ここにはふたつ大きな問題があって、ひとつは農業を諦める人の土地売買の問題、ひとつは日本人らしい自治、日本的民主主義とは何かという問題である。妨害行為は違法だが、著者のやり方は褒められたもんじゃないとも私は思って、考え込んだ。唯一無二のお母さんの土がなんとか守られますように。
農地は農業従事者以外が買うことはできないし、買ったらそこには販売用の農作物をつくらなければならない。かといって農地転用した土地は宅地分の固定資産税を払えば自由になる訳ではなく、農作物をつくったり木を植えたりして住宅を建てずにいると指導される。これでは、放置か分譲住宅にするか太陽光パネルを敷き詰めるかしかないだろう。農地を農地として守る規制は大事だけれど、農地なり緑地なり他の方法でも、土のまま繋いでいくことはできないのだろうか。この仕組みは待った無しで変えていかなければ、ますます失われるばかりだ。
著者の行動は"筋"が通ってない。「男でないと」とあるが、性別の話ではない。さらに、住んでもいない、これまでに合議に参加したこともない若いもんが、経緯を脇に置いて論を吹っかけるなど、私でも鼻白む。それがわからない者が一人前に認められないのは当然すぎる。日本人の自治は、宮本常一が書いたように、古来定式がある。それを経た結論は、既に集団の総意だ。一方で、男ばかりの団体に所属している経験から言うと、男偏重の合議には変な暗黙の了解みたいなのもあって、健全な議論を阻害しがちなのも確かなので、変わっていくべきとも思う。
読了日:12月11日 著者:高橋久美子
また 身の下相談にお答えします (朝日文庫)の感想
にやにやと読む。家族の話題が多いなかでも夫婦の話が気に留まる。夫を『上下関係のもとで命令されつけているので、ことほどさように自発性のない生きもの』とまでは思わないが、旅行やゴルフのようなイベントを除くと、わりと画面の前で完結しているようにも思える。地域や趣味での居場所づくりのお膳立てはせっせと励んでおこう。また、生活を共にして何年も経つと同化してきたような気にもなるが、夫婦とは異文化共存、『異文化と共存するのは実は不愉快なもの』。諦めや苛立ちを抑えるんじゃなく、そこんとこ肚に落として向かい合いたいものだ。
読了日:12月10日 著者:上野千鶴子
白の闇 (河出文庫)の感想
視界が真っ白な闇に閉ざされる感染症が蔓延する。都市に暮らす者が皆盲目になったらどうなるかという思考実験である。閉ざされた集団で起こる事態はさもありうべき悲惨だが、では街は。社会システムの崩壊、物質社会の崩壊、モラルの崩壊、なにも生み出すことができない世界。視覚に頼って生きてきた人間は、目が見えないというそれだけで、自然に還ることもできずに汚穢をこびりつかせたまま残されたものを奪い合う。全ての目撃者であり、引率者としての役割を果たす医者の妻が、全てを引き受けてなお生きるしたたさの象徴として強い印象を残した。
荒廃しきった街。仮に再び目が見えるようになったとして、元に戻れるか。戻れるだろう。戻るのだ。人間のレジリエンス。生き残った者たちで、生きてゆくための社会をまた築く。それは、ただ今戦禍の下で生を繋ごうとしている人たちの姿、また戦争を経た後の国の姿として歴史に残されているとおりなのだと、現代を生きる私たちは知っている。
読了日:12月10日 著者:ジョゼ・サラマーゴ
比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)の感想
なんて一流な執事、ジーヴス。さらりと手をまわしてごたごたを解決してしまう手並みが楽しい。でも執事って隠居みたいな生活の若主人やその友人の窮地を救って小金をもらったり競馬や賭け事で儲けたり、するものだっけ? くすっと笑える、19世紀の手軽なシリーズ。しかしこれ、オーウェルもエリオットもクリスティも吉田健一も美智子上皇后さまも愛読者という有名なもの。実は深い教養が織り込まれているとか、毒がないとか、イギリス流のユーモアが楽しめるとか…? cozyな読み物の古典、といったところかな?
読了日:12月08日 著者:P.G. ウッドハウス
牙: アフリカゾウの「密猟組織」を追っての感想
辛い読書。サタオの雄姿と骸の写真を私は忘れまい。辛いのは、人間が今もカネのために、生態系循環に大きな役割を担うゾウを、生きたまま顔ごとえぐり取るようなやり方で虐殺し続けている事実。そして日本が今もアフリカゾウの絶滅過程に加担し続けている事実を突きつけられたからだ。ゾウから象牙を奪う行為はゾウを殺すことと同義。日本人がハンコにする象牙のために、アフリカゾウは絶滅しようとしている。その事実が世界の知るところとなった2016年の会議を経て2022年のワシントン条約締約国会議、日本は変わらず汚い主張を繰り広げた。
『一国でも象牙市場が存続し続ける限り、密猟者たちはアフリカゾウの虐殺を止めない。その存在を免罪符にして彼らはいつまでもゾウを殺すだろうし、象牙が生産される限り、中国はいくらでもそれらを買うだろう。日本人はそんな簡単なこともわからないのか』と関係者に言わしめたのが2016年。認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金による2022年11月のワシントン条約締約国会議@パナマのTwitterレポートを読む限り、全象牙市場の閉鎖を求める世界的な方向性に逆らい、日本政府は"徹底抗戦"し、日本市場は閉鎖していない。恥ずかしい。
読了日:12月05日 著者:三浦 英之
NORTH 北へ―アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道の感想
アパラチアントレイルを南から北へ踏破する。平地ではなく山道を走りたい、あるいは長く走りたい欲求は想像できなくもないが、のみならず、レース優勝や最速踏破記録更新への欲望は、とうてい理解できない。さらにジャーカーはヴィーガンだ。生体維持に必要なカロリーと走って消費するカロリーを食事でまかないきれない。みるみる痩せ、走るのに必要外の生体機能が低下し、やがて自分自身を食い尽くし始める。それでも走り続けるのは、曰く「闘いつづける自分への欲求」。そういえばトレランレースの出場者は、テレビ番組で見る限り年齢層が高めだ。
読了日:12月03日 著者:スコット・ジュレク
注:は電子書籍で読んだ本。
スクショ保存してあるのを見返すと興味深い。
記憶にほとんど残っていない本がベスト3に入っていることもざらなら、
ベスト20のうち今も心のどこかで活きていると感じる本は5冊がいいところだったりする。
なにが根を生やし育つかわからないのだから、なんでも植えて(読んで)みるのが良いのだ。
とはいえ、私が気になった全ての本を読む時間は、私の人生にはもう無い。
なのに今月もたくさん買い込んだ。そろそろ読む本を選びなさいよという話である。
ちなみに今年のベスト20はこちら
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用18,635円。
読了16冊。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。
12月の読書メーター
読んだ本の数:16
翻訳者による海外文学ブックガイド BOOKMARKの感想
もとはフリーペーパー企画。表紙にあるとおりながら、小説を翻訳した本人による紹介というところがいちばんの魅力です。あと、各巻頭のエッセイは国内の作家さんによるもので、こちらもそうそうたる面々で嬉しい。若い読書が想定されているとのことでヤングアダルトや少年文庫も多いなか、大人向けの本格ものもたくさんあって鼻息荒く物色した。惜しむらくは、翻訳ものあるあるで、絶版の嵐。。。刊行されて数年で文庫にもならず消えてしまうのは余りにもったいないことだ。悔しい。ていうか早く読め私。次作はタイムリーに読みます。
読了日:12月30日 著者:金原 瑞人,三辺 律子
僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦の感想
永井陽右氏の活動の始まり。なぜ、国境なき医師団すら撤退したソマリアでなければならなかったか、という問いは既に無意味だろう。紛争解決の専門家の忠告よりも、渡航する度に得る手ごたえを糧に彼は前に進んだ。『ギャングと話せば話すほど、同じ時間を共有すればするほど、彼らが僕らと何も変わらない存在だと気づく』。信じた活動を10年続けた先に経験もスキルも学位も得た。彼は行けるところまで行くのだろう。自分が『人間としての責任』と認識する活動にどうすれば無関心な人たちを巻き込んでいけるのか、日々考える。真面目な人なのだ。
彼の論理では、ソマリアは世界でもっとも支援が必要な場所である。しかしそこは世界で最も死に近い場所である。死なずに続けられているのは幸運、だろう。内田先生との対談記事で、命を大事にと語りかける内田先生の言葉をスルーしているように読めるのが気にかかった。編集ならよいのだが。社会的な意義が大きいのは理解できる。ただ、殉教者にはなってほしくないと私も願っている。世界には、彼と同じように危険な地で活動に邁進する仲間がたくさんいるのだという。彼らや、ソマリアの仲間こそが、彼にとってのリアルなのだろうな。
知識もスキルも無い者が紛争地に行くべきではない。それが"常識的な"考え方だ。しかしそれに反して飛び込んでいく者たちがいて、私はそれを無謀と切って捨てるべきかと考え始める。そこには、人間が生きているのだ。例えば国内の活動で、政府も行政でもできないことを民間の有志が個人としてできる範囲のことをやっていくように、そこに人間が生きている限り、紛争地にも政府やNGOにはできないが個人にはできることがある、という考え方はできる。紛争自体は即時解決しなくても、何人かに生き延びる人生を生むことはできた、それが動力になる。
読了日:12月28日 著者:永井陽右
その名にちなんで (新潮文庫)の感想
物語を読み終えて、ほっと息を吐いた。家族2世代の歴史の物理的時間は40年もない。ただ彼らの綿々と抱える想いが重たいのだ。インド人が家族を単位に考えるのに対し、アメリカ人は個人を単位に考える。『アメリカというところは、何事も行き当たりばったりで、真実味がない』。インドからアメリカに移り住んだ一世が物事の捉え方の違いに戸惑い、一世同士で伴侶を見つけるのに対し、アメリカで生まれた二世は段違いにアメリカナイズされた考え方をする。しかし親親戚も自身の外見も完璧にベンガルである彼らの苦悩は、一世のものとは全く異なる。
母アショケはアメリカに渡った当初、家に引きこもりがちで、ベンガルの友人を得た後にインドの親戚のように招きもてなし合う関係を築いた。一方ゴーゴリたちは学校や職場で知り合うアメリカ人と集まって飲食や議論を共にするが、同じ賑やかなパーティーでもその本質は真逆だ。一見きらびやかなアメリカで、自身の中のインドとの折り合いをどこでつけるか、どちらを選ぶか、さらに異世界を選ぶか、その入り交じり具合も人によってほんとうに違っているのだということが、3代遡ってもみな日本生まれが当たり前の日常にいる私にはずっしりときた。
読了日:12月27日 著者:ジュンパ ラヒリ
アラビア遊牧民 (講談社文庫)の感想
1965年のサウジアラビア。ベドウィンの人々や生活、ラクダやスカラベの観察も興味深い。さて、アラビア遊牧民が"見返りを求めず"旅人を歓待する話、その真実は「海老で鯛を釣る」慣習であるという。食事や接待それ自体のお礼は絶対に受け取らないが、その後は見返りをもっとよこせという態度に豹変する。不確実な善意に頼っていては死んでしまう土地、それは厳しい自然を指すのではなく、歴史的に侵略と強奪が繰り返された土地ゆえに根付いた、他人を信用しないことを前提にした民族の集積知であるという考え方は、胸に刻みつけたい。
読了日:12月27日 著者:本多勝一
私の本棚 (新潮文庫)の感想
クリスマスイヴを小野さんのエッセイで過ごす。いやー、寄稿者の人選も好いし、本と本棚の話って熱いよな。本が身の周りに増えていくときの現象や、念願の本棚を手に入れて気づく真実はわりあい似ている。でもそこから導く在り様は人それぞれに多様だ。私は私がいつか手に入れる本棚の理想図を描きながら、本棚は読んだ本の背中でその人の姿を、積読本の山でその人の生きる望みを顕わすのだから、堂々といつも目に入るように手に取れるように置こうと決意した。今年の読書の締めくくりとしてふさわしかった。まだ読むけど。
今年の一箱古本市でお隣のブースになった方が、古書然とした本を並べておられたので、本職(古書店)の方ですかとお訊きしたら、「終活です」とお答えになったのが忘れられない。若い頃に大切に読んだ本も老眼が入れば読むものではなくもはや思い出であり、喜んでもらってくれるあてもない。1冊もらい受けようにもこちらも老眼に差し掛かる身で、当時の活字の小ささに怖じた。明日は我が身。溜め込むほど後が大変になるのは自明。それでも本にまつわる全ての記憶と、集めた本への執着、本を読む自分への希望は愛おしい。
読了日:12月25日 著者:
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (講談社文庫)の感想
豆腐屋を継いだ著者は、朝日歌壇に投稿する歌人である。その縁でエッセイもものする。決して余裕のない生活の中で、暮らしに根差した想いたちは、夜業に差す月の光、早暁の冴え冴えとした空気、極寒に大豆を絞る湯気の中にありありと立ちのぼる。生活詠と呼ぶそうだ。俳句を趣味にしていた亡き祖母を想う。遺品からはできた句を書き留め添削したノート、メモ綴じ、裏紙の類が膨大に出てきた。著者と同じ、無学な自営の妻だった。だからこそこの記を愛おしく思うのかもしれない。草木花歳時記数冊と広辞苑のような厚さの大歳時記は私が貰い受けた。
読了日:12月23日 著者:松下 竜一
小説 すずめの戸締まり (角川文庫)の感想
映画という表現方法を持つ新海誠が、なぜ同時進行で小説を書く必要があったかと訝しみつつ読んだ。理由はあとがきにあった。それはそれで納得である。視覚的な描写、静/動のメリハリの効いた描写の多い小説である。ダイジンの造形はわかりやすいけれど、その役割を知って読み返すとずるい。扉があるのは、かつて人間の活動が盛んだった場所であるようだ。『ひとのてで もとにもどして』。黒く塗りつぶされた3月11日。当事者でないからこそ、それを忘れかけていること、忘れてはいけないと自らに警告する術を、私たちは望んでいるのだろうか。
天災による被害という意味では、阪神大震災も同じはずだ。しかし、当時の私が哀しみや憤りのなんたるかも知らなかった年頃であったこと、東日本大震災の場合は地震と津波と、原発の人災が重なったことで、私にとっては太平洋戦争の敗戦に匹敵する重さで脳底に鎮座している。いつまでも割り切ることのできない出来事として抱えておきたい。
読了日:12月22日 著者:新海 誠
日本の漁業が崩壊する本当の理由の感想
これも日本ジリ貧案件。水産物生産量は世界では増えており、日本では減っている。魚種によって事情が違うし、外国との兼ね合いもあるが、主因は日本が科学的根拠に基づく分析・管理できずに乱獲する点である。例えば2011年の震災後、三陸沖の魚は増えた。人間が獲らなければ魚は繁殖し増える。しかしそれを豊漁と根こそぎ獲ってしまえば元の魚の減った海に戻るわけで。ならば養殖すればよいかといえば餌は高騰の一途。輸入すればよいかといえば円安で日本は買い負けし始めており、回転寿司屋が立ち行かなくなるのも時間の問題と予測してみる。
スーパーの鮮魚売り場で「ホッケ小さいな」「サンマ細いな」「高くなったな」は判るが、安く売られている魚が、旬だからではなく、不漁なのでしかたなく旬じゃないものや獲り頃よりまだ小さいものを獲ってきてるからだなんて、私は知らなかった。だから美味しくないのだと。海の生態系を破壊する底曳き網を規制するなどは国がするべきことだが、面倒なことはしたがらないのがお家芸。国民が現状や解決策を知り、世論を醸成して国を突き上げるしか、日本を変える方法はないのだろう。漁業にまつわる問題はそこらじゅうにあるようだ。読んで良かった。
とりあえず、メディアが今年は豊漁とか不漁とか高いとか安いとかだけ報道するのは害でしかない。もっとちゃんと取材してほんとうのところを知らしめていただきたい。
読了日:12月19日 著者:片野 歩
アフリカ出身 サコ学長、日本を語るの感想
自分の学生時代、その過ごし方を「あれで正しかったのだろうか」と私は時々思い返す。何か間違っていたから、本来得られたはずのものを逃して、いま見えない壁を越えられずにいるんじゃないかという気がずっとしていた。前半はサコ学長の来歴、後半は教育・教育システム論。サコ学長の現状概観を読むと、私は日本の教育システムが設計したとおりに正しく過ごしたとしか言えないことに驚いた。「良い子」だったんやなあ…と嘆息する。ならば、気づいた時点で若者に胸を張れる不良中年になるのが解決策じゃろなあ。今の若者は息苦しそうだもの。
サコ学長の学生時代を読みながら、多様性や異文化への理解は、直に接しないと絶対にわからないと痛感した。私は日本の教育の中で、小さい頃から「みんな同じ」「みんな平等」と教わってきた。私はうかつにも、高校生になっても大学生になっても文字どおり「人間は大同小異」だと思っていた節がある。でも実は、他人は皆能力も志向も違っていて、無限の方向性があって、手を伸ばして得るものなんだってことに気づいたのはほんとうに最近のことだ。
読了日:12月14日 著者:ウスビ・サコ
体と心がラクになる「和」のウォーキング 芭蕉の“疲れない歩き方”でからだをゆるめて整える (祥伝社黄金文庫)の感想
安田先生の身体論×精神文化論とでも呼ぼうか。能やロルフィングの身体観に基づいた歩き方指南の本かと思いきや、日本人の身体の個性から話は古今の相撲における身体運用の違いへ、さらに「おくのほそ道」が"歌枕"を巡る歩き旅であったとの指摘、古典と現実を重ね合わせて楽しむ大名庭園の散歩法まで、安田先生のお話がいろいろ読めてお得。歳を取って能力に制限が加わることによってこそ、物事が新しく捉えられ、また興味深く感じることができる話が好きだが、元大相撲力士の一ノ矢さんも同意とか。歳を取ることが楽しみになってくる嬉しさよ。
読了日:12月12日 著者:安田登
その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱の感想
黒糖づくりや百姓、猟師など、現状を憂え、自身が信じたように行動する人たちが、ここには何人も出てくる。こういう動きを内田先生は希望と呼ぶのかな。農地付きの土地をなんとか買えないかと考えていた私にも参考になった(諦めた)。しかし後味は悪い。ここにはふたつ大きな問題があって、ひとつは農業を諦める人の土地売買の問題、ひとつは日本人らしい自治、日本的民主主義とは何かという問題である。妨害行為は違法だが、著者のやり方は褒められたもんじゃないとも私は思って、考え込んだ。唯一無二のお母さんの土がなんとか守られますように。
農地は農業従事者以外が買うことはできないし、買ったらそこには販売用の農作物をつくらなければならない。かといって農地転用した土地は宅地分の固定資産税を払えば自由になる訳ではなく、農作物をつくったり木を植えたりして住宅を建てずにいると指導される。これでは、放置か分譲住宅にするか太陽光パネルを敷き詰めるかしかないだろう。農地を農地として守る規制は大事だけれど、農地なり緑地なり他の方法でも、土のまま繋いでいくことはできないのだろうか。この仕組みは待った無しで変えていかなければ、ますます失われるばかりだ。
著者の行動は"筋"が通ってない。「男でないと」とあるが、性別の話ではない。さらに、住んでもいない、これまでに合議に参加したこともない若いもんが、経緯を脇に置いて論を吹っかけるなど、私でも鼻白む。それがわからない者が一人前に認められないのは当然すぎる。日本人の自治は、宮本常一が書いたように、古来定式がある。それを経た結論は、既に集団の総意だ。一方で、男ばかりの団体に所属している経験から言うと、男偏重の合議には変な暗黙の了解みたいなのもあって、健全な議論を阻害しがちなのも確かなので、変わっていくべきとも思う。
読了日:12月11日 著者:高橋久美子
また 身の下相談にお答えします (朝日文庫)の感想
にやにやと読む。家族の話題が多いなかでも夫婦の話が気に留まる。夫を『上下関係のもとで命令されつけているので、ことほどさように自発性のない生きもの』とまでは思わないが、旅行やゴルフのようなイベントを除くと、わりと画面の前で完結しているようにも思える。地域や趣味での居場所づくりのお膳立てはせっせと励んでおこう。また、生活を共にして何年も経つと同化してきたような気にもなるが、夫婦とは異文化共存、『異文化と共存するのは実は不愉快なもの』。諦めや苛立ちを抑えるんじゃなく、そこんとこ肚に落として向かい合いたいものだ。
読了日:12月10日 著者:上野千鶴子
白の闇 (河出文庫)の感想
視界が真っ白な闇に閉ざされる感染症が蔓延する。都市に暮らす者が皆盲目になったらどうなるかという思考実験である。閉ざされた集団で起こる事態はさもありうべき悲惨だが、では街は。社会システムの崩壊、物質社会の崩壊、モラルの崩壊、なにも生み出すことができない世界。視覚に頼って生きてきた人間は、目が見えないというそれだけで、自然に還ることもできずに汚穢をこびりつかせたまま残されたものを奪い合う。全ての目撃者であり、引率者としての役割を果たす医者の妻が、全てを引き受けてなお生きるしたたさの象徴として強い印象を残した。
荒廃しきった街。仮に再び目が見えるようになったとして、元に戻れるか。戻れるだろう。戻るのだ。人間のレジリエンス。生き残った者たちで、生きてゆくための社会をまた築く。それは、ただ今戦禍の下で生を繋ごうとしている人たちの姿、また戦争を経た後の国の姿として歴史に残されているとおりなのだと、現代を生きる私たちは知っている。
読了日:12月10日 著者:ジョゼ・サラマーゴ
比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)の感想
なんて一流な執事、ジーヴス。さらりと手をまわしてごたごたを解決してしまう手並みが楽しい。でも執事って隠居みたいな生活の若主人やその友人の窮地を救って小金をもらったり競馬や賭け事で儲けたり、するものだっけ? くすっと笑える、19世紀の手軽なシリーズ。しかしこれ、オーウェルもエリオットもクリスティも吉田健一も美智子上皇后さまも愛読者という有名なもの。実は深い教養が織り込まれているとか、毒がないとか、イギリス流のユーモアが楽しめるとか…? cozyな読み物の古典、といったところかな?
読了日:12月08日 著者:P.G. ウッドハウス
牙: アフリカゾウの「密猟組織」を追っての感想
辛い読書。サタオの雄姿と骸の写真を私は忘れまい。辛いのは、人間が今もカネのために、生態系循環に大きな役割を担うゾウを、生きたまま顔ごとえぐり取るようなやり方で虐殺し続けている事実。そして日本が今もアフリカゾウの絶滅過程に加担し続けている事実を突きつけられたからだ。ゾウから象牙を奪う行為はゾウを殺すことと同義。日本人がハンコにする象牙のために、アフリカゾウは絶滅しようとしている。その事実が世界の知るところとなった2016年の会議を経て2022年のワシントン条約締約国会議、日本は変わらず汚い主張を繰り広げた。
『一国でも象牙市場が存続し続ける限り、密猟者たちはアフリカゾウの虐殺を止めない。その存在を免罪符にして彼らはいつまでもゾウを殺すだろうし、象牙が生産される限り、中国はいくらでもそれらを買うだろう。日本人はそんな簡単なこともわからないのか』と関係者に言わしめたのが2016年。認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金による2022年11月のワシントン条約締約国会議@パナマのTwitterレポートを読む限り、全象牙市場の閉鎖を求める世界的な方向性に逆らい、日本政府は"徹底抗戦"し、日本市場は閉鎖していない。恥ずかしい。
読了日:12月05日 著者:三浦 英之
NORTH 北へ―アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道の感想
アパラチアントレイルを南から北へ踏破する。平地ではなく山道を走りたい、あるいは長く走りたい欲求は想像できなくもないが、のみならず、レース優勝や最速踏破記録更新への欲望は、とうてい理解できない。さらにジャーカーはヴィーガンだ。生体維持に必要なカロリーと走って消費するカロリーを食事でまかないきれない。みるみる痩せ、走るのに必要外の生体機能が低下し、やがて自分自身を食い尽くし始める。それでも走り続けるのは、曰く「闘いつづける自分への欲求」。そういえばトレランレースの出場者は、テレビ番組で見る限り年齢層が高めだ。
読了日:12月03日 著者:スコット・ジュレク
注:は電子書籍で読んだ本。
Posted by nekoneko at 17:13│Comments(0)
│読書