2023年06月01日
2023年5月の記録
チャットGPTに、ある本の感想を255字以内で書けと指示すれば、一瞬にして滑らかにそれらしく書き上げるのだろう。
私が書く感想は、それに似ていないものでありたい。
後になって読んで、ほかならぬ自分が書いたものだと思えるものでありたい。
人が本を読んで感じたことを、何と結びつけ、何に例えて、どのような感情を覚えたかは必ず異なるはずだから。
<今月のデータ>
購入19冊、購入費用17,133円。
読了14冊。
積読本336冊(うちKindle本163冊、Honto本3冊)。

ないもの、あります (ちくま文庫)の感想
この厚さの文庫本がもはや千円もするのか、と思ったところが、紙質にも凝った素敵な本だった。クラフト・エヴィング商會さんによる商品カタログである。どれを買おうか、行きつ戻りつ迷う。地獄耳は持っておきたいし、自分を上げる棚もあればいいよな。しかし持っていたらばこそ使いたくなるのも人情で、持っていることでかえって人生に難を呼び込んでしまうことも重々あり得るだろう。何かあったときのお助け用品がいいか。転ばぬ先の杖より、一筋縄のほうが握って心強い気もする。でもいちばんは堪忍袋の緒だなあ。私の堪忍袋のサイズ、ですか…。
読了日:05月31日 著者:クラフト・エヴィング商會
時空旅人 2018年9月号 Vol.45 [ 台湾 見聞録 ー 日本が残した足跡を訪ねて ー]の感想
地に足の着いた案内誌。地域ごとに特筆すべき場所や来歴がバランスよく選び出されている印象。『台湾を見て歩くことは日本の歴史をたどること』。それもそうだけれど、台湾は、だけじゃない。大雑把に分類すると、古来からの多民族の暮らしと文化、中国からの流入、ポルトガル、清、日本による統治時代の遺物、その後の中国と混ざりあってある現代。支配の主体がどこであれ、その"統治"によって台湾はとても複雑である。その複雑を超えて、どのような関係が好ましいかが今後も課題だと思う。私が好きな光景は夜市と、その奥で出会った廟。
読了日:05月30日 著者:
楢山節考 (新潮文庫)の感想
古い因習に縛られた村の物語。と言えばそれだけなのに、暮らしのふとしたタイミングでおりんの生きかたを想う。おりんは身の程を弁え、周りを思いやり、不測に備えられるだけ備えたうえで未練のかけらも無く旅立った。正しい生きかた、心安き生きかた、だろうか。若松英輔のツイートが折良くヒントをくれた。生きるのが下手な人たちには知識は無くても『語り得ない叡知』がある。だから生を肯定することができる。片や孫たちの不遜な在り様には叡智が見えない。先行きは暗い。おたまはどこへ行ったか。この問いに、なぜかある重みが、後を引く。
読了日:05月29日 著者:深沢 七郎
果しなき流れの果に (角川文庫)の感想
全体像がおぼろげにも見えるまで我慢の子。しかし宇宙やら次元やらの観念的な説明に、意識が漂い始める。遅かれ早かれ、人間は地球に住み続けることができなくなる。それは太陽の異変より早く、人間側の所業に起因するのではないか。もし私たちがもっと賢かったなら、環境に害することなく地球上に平和裡に住み続けることができただろうか。小松左京の原風景は敗戦、廃墟の記憶という。鴨野の古家は私たちの豊かさの象徴だ。ノバ・ヤパナでなくここで死にたい。この物語は「日本沈没」と繋がってもいる。壮大な故国消滅、故国喪失の物語だった。
読了日:05月29日 著者:小松 左京
故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫)の感想
魯迅。字面に怖気ず、早く読んでおくべきだった。青年期に抱えた葛藤と理想が届かぬ寂莫に共振したことだろう。といって、魯迅の青年期から壮年期は日本と中国の軋轢、中国国内の激動の最中だった。散文では日本留学を志向し、覚り、帰国した心の内が雄弁に語られ、それを知って読む小説は、なんのことない、可笑しみすら覚える日々の光景のようで、あからさまな批判にできない批判、表に出すことを躊躇われる哀しみが底流する。もっとも、大江健三郎は魯迅の小説が含むものを"捨て身の告発"と言い切るので、私の理解力が及んでいないことも解る。
読了日:05月26日 著者:魯迅
柳田國男先生随行記の感想
柳田國男が講演で九州へ行く、その世話係として随行した記録。小型録音機などない時代、憶えて書き起こすのが当たり前だった。柳田國男は車窓の景色を見ながら当地の文化や事物、門人の話、新たな着想まで話題に事欠かない。著者は困り果てていたけれど、常人には難しいんじゃないか。一方、研究ばかりではなく、後進を育てることや、得た知識を書籍化して売ること、門人の集まりや入門書の構成にも心を配るなど、民俗学界を盛り立てる方向を考えていた人であったと窺える。真珠湾攻撃前夜のことでもあり、その頃の世相や一般人の心情も興味深い。
読了日:05月24日 著者:今野圓輔
ディズニーキャストざわざわ日記――〝夢の国″にも☓☓☓☓ご指示のとおり掃除しますの感想
夢の国の"中の人"たちは当然ながら現実を生きている。ほとんどのスタッフは非正規雇用、そのシビアさをそーやろな、そーやろなと読むのは野次馬根性ゆえか、またはオリエンタルランドの労務管理への…野次馬根性ゆえか。本人たちはその事実もそれだけで食べていけないことも解っていて、それでも好きで働いている。著者が就いた職種は"カストーディアルキャスト"、その実は清掃員である。その立場だから見えることがある。夢の国では自分たちが排出した汚物を目にしたくない欲求も叶えられる。音や色彩が過剰なぶん、陰影は強調されて見える。
読了日:05月19日 著者:笠原一郎
エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化するの感想
前作に続き、リソースを全力投入するのではなく、より少ない努力でより有効な成果を目指す。自律して自身を整えることや、仕事をする相手との関係性に言及したのが目新しいか。相手を信頼できれば、些末な確認作業や気遣いによる消耗を省ける。『あなたの判断を信頼する』と思えるか、また伝えられるか。その観点から相手を選ぶことも必要だと納得した。ワーキングメモリの容量不足は失敗のもとである。手順の簡略化や処理の機械化は当然ながら、他者のネガティブな表情がワーキングメモリに負荷をかけるとは、なかなか自覚しづらいところである。
『ゆっくり動けば、ものごとはスムーズになる。ものごとがスムーズであれば、より速く動ける』。『1日の仕事は、1日ですっかり疲れが取れる程度まで。1週間の仕事は、その週末ですっかり疲れが取れる程度までに制限する』。カフェインや糖分でごまかさない。
読了日:05月17日 著者:グレッグ・マキューン
魂の退社の感想
私もじきに著者が退職した歳になる。バブル期と就職氷河期という時代の差もあろうが、お金に対する感覚の隔絶感に目眩がした。この差はまま社会の格差につながる。「何もない」高松でお金を使わない暮らしに開眼し、大企業退職によって脱いだ下駄の高さや自身の無知に気づけたことは、大変良いことである。しかし新聞記者として社会のことを書いていても、自身が体感したのでなければ社会や中小企業というマジョリティのことを広く理解できているわけではないのだ。ぜひ大きめのカイシャにしか所属したことのないまま年を経た人に読んでみてほしい。
大学の先生や会社社長は生業が別にあるから原稿料は「ちょっとしたお小遣い」と表するのに違和感があった。本職があるから正当な原稿料が支払われなくてもいいことにはならないし、原稿料を経費と分類するなら、そこもお金についての考え方が大企業式じゃないかな。大企業勤務とはそんな余裕のあるものではないと言うかもしれないが、仮にも大企業と呼ばれる会社に所属して他より多めの報酬と待遇を得ているのなら、そちら側の人に、金銭的環境的理由で身動きの取れない人が置かれた状況を慮る努力をしてほしいと思うのは無理難題だろうか。
読了日:05月14日 著者:稲垣 えみ子
土を育てる: 自然をよみがえらせる土壌革命の感想
胸がいっぱいだ。福岡正信翁とは思考の根っこが違う。なのに合理的な西洋式で辿り着いた結論が相似してくることに驚嘆する。『自然は耕さない』。人間は土から多くを得るために、自然の法則に反して土を殺すようなことばかりしている。リジェネラティブ農業は土の復権への賛歌である。植物の根は地中から養分や水分を吸い上げるだけでなく、土を耕し、かつ有機化合物を分泌する。土だけ、植物だけを見るのでは片手落ちで、その複雑な相互作用こそが大事。さらにカバークロップも、性質の異なる種を多種ブレンドすることによってより全きものになる。
アメリカという資本主義が強い社会で経済的に成功している点が心強い。それには作物の栽培・牛羊鶏他の飼養だけでなく経営や販売も自前で手掛けて収益を取りこぼさない必要があるが、リジェネラティブ農業なら家族+アルファの人員でこなせるという。希望そのものだと思うが、現在栽培される作物のほとんどは遺伝子組換で、農家は巨大企業の尻に敷かれて青息吐息という。『化学物質や、強欲な企業や、政府の認証や、思いやりのかけらもない市場への依存からの解放』、それに工夫する生業の楽しさ。隔てるのは、果てしない不安と現状依存なのだろう。
牛や肉食を悪者扱いする菜食主義者に向けての提言。『もし本当に地球環境のことを心配するなら、たとえあなた自身が肉を食べないとしても、反芻動物が草を食むことの重要性に目を向けるべきだ』。牛は本来食べる草以外のものを飼料として食べさせられては、メタンガスを放出すると非難されているのだ。
読了日:05月13日 著者:ゲイブ・ブラウン
チャーメインと魔法の家: ハウルの動く城 3 (徳間文庫)の感想
ああ、もう。先に部屋を片付けなさいよ。スーツケースの中を先に見てって言われたでしょ。なんにもしようとしない(できない)チャーメインにイライラする。私だって暇さえあれば本に鼻を突っ込んでいるのは同じだったはずなのに、人間はどこでどうやって大人になるのだろう。さてハウル一家。前回はすっかりだまされたので今回は眉に唾つけて読むも、堂々たる登場だった。すっかり歳相応になったソフィは感情を隠さない。片やハウルは、こりゃソフィに甘えてるんだろうなあ。ハウルの字が汚いとか細かいところでリアルなファンタジー。楽しかった。
読了日:05月13日 著者:ダイアナ・ウィン ジョーンズ
ハウルの動く城2 アブダラと空飛ぶ絨毯 (徳間文庫)の感想
アラビアンナイトめいたジンやジンニー、空飛ぶ絨毯が健気な主人公を窮地に陥れる物語。と言いたいくらい物事が真っ当に進まない。ハウルの城が舞台になるのは物語の折り返し地点を過ぎてからという、なんとも悠長な、まったく趣向を変えたお話なのね。終盤にハウルたちと合流したら上手くゆくのかしらと思ったら、なんと!まじか! 道理で物事が真っ直ぐ進まないわけだわ。『今まで、おいらにおせじを言ってくれたのは、この人だけだ』。できすぎなくらい物事が納まる場所に納まって、大団円となる。読み返したらまたにやにやしちゃうんだろうな。
読了日:05月07日 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
食べる つかう あそぶ 庭にほしい木と草の本: 散歩道でも楽しむの感想
どんな植物でも、新芽は頼もしく、花は生命力に満ちて美しい。ならば、自分の好きなものを植えられるならば、眺める楽しみとは別に、役に立つものを植えたいと思うのは不純だろうか。食べる、漬ける、染める、遊ぶ。ニワトリとミツバチもいて、なんて羨ましい庭! たくさんの木や草が紹介されているが、どちらかというと子供と楽しむ目線が強め。私には“食べられる庭”のほうが読んでわくわくしたなあ。あ、でも、ヤマノイモは植えたい。食べられてものづくりにも使える。ムカゴを植えたらいいのね。とりあえず埋めてみよう〜♪
読了日:05月06日 著者:草木屋 著
ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔 (徳間文庫)の感想
ジブリのハウルは大好きな映画だけれど、本家のソフィーとハウルの珍道中もめちゃめちゃ楽しい、新しい家族の物語。『ねえソフィー、出口をつなげる場所に注文はあるかい?』 映画にはなかった台詞やエピソードににやにやしてしまう。さらに続きを読めるなんて嬉しいな。ソフィーの、妹たちとのやりとりがいい。あたしは長女だから。その言葉がどれだけソフィーを縛っただろう。思えば、呪いをかけられて初めてソフィーは家を出ると決心できたのだ。思い切りが良くなるところも、力を発揮できるようになるところも、魔女の功か歳の功か。
読了日:05月03日 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
注:
は電子書籍で読んだ本。
私が書く感想は、それに似ていないものでありたい。
後になって読んで、ほかならぬ自分が書いたものだと思えるものでありたい。
人が本を読んで感じたことを、何と結びつけ、何に例えて、どのような感情を覚えたかは必ず異なるはずだから。
<今月のデータ>
購入19冊、購入費用17,133円。
読了14冊。
積読本336冊(うちKindle本163冊、Honto本3冊)。


この厚さの文庫本がもはや千円もするのか、と思ったところが、紙質にも凝った素敵な本だった。クラフト・エヴィング商會さんによる商品カタログである。どれを買おうか、行きつ戻りつ迷う。地獄耳は持っておきたいし、自分を上げる棚もあればいいよな。しかし持っていたらばこそ使いたくなるのも人情で、持っていることでかえって人生に難を呼び込んでしまうことも重々あり得るだろう。何かあったときのお助け用品がいいか。転ばぬ先の杖より、一筋縄のほうが握って心強い気もする。でもいちばんは堪忍袋の緒だなあ。私の堪忍袋のサイズ、ですか…。
読了日:05月31日 著者:クラフト・エヴィング商會
![時空旅人 2018年9月号 Vol.45 [ 台湾 見聞録 ー 日本が残した足跡を訪ねて ー]](https://m.media-amazon.com/images/I/61ozV7tdhLL._SL120_.jpg)
地に足の着いた案内誌。地域ごとに特筆すべき場所や来歴がバランスよく選び出されている印象。『台湾を見て歩くことは日本の歴史をたどること』。それもそうだけれど、台湾は、だけじゃない。大雑把に分類すると、古来からの多民族の暮らしと文化、中国からの流入、ポルトガル、清、日本による統治時代の遺物、その後の中国と混ざりあってある現代。支配の主体がどこであれ、その"統治"によって台湾はとても複雑である。その複雑を超えて、どのような関係が好ましいかが今後も課題だと思う。私が好きな光景は夜市と、その奥で出会った廟。
読了日:05月30日 著者:

古い因習に縛られた村の物語。と言えばそれだけなのに、暮らしのふとしたタイミングでおりんの生きかたを想う。おりんは身の程を弁え、周りを思いやり、不測に備えられるだけ備えたうえで未練のかけらも無く旅立った。正しい生きかた、心安き生きかた、だろうか。若松英輔のツイートが折良くヒントをくれた。生きるのが下手な人たちには知識は無くても『語り得ない叡知』がある。だから生を肯定することができる。片や孫たちの不遜な在り様には叡智が見えない。先行きは暗い。おたまはどこへ行ったか。この問いに、なぜかある重みが、後を引く。
読了日:05月29日 著者:深沢 七郎

全体像がおぼろげにも見えるまで我慢の子。しかし宇宙やら次元やらの観念的な説明に、意識が漂い始める。遅かれ早かれ、人間は地球に住み続けることができなくなる。それは太陽の異変より早く、人間側の所業に起因するのではないか。もし私たちがもっと賢かったなら、環境に害することなく地球上に平和裡に住み続けることができただろうか。小松左京の原風景は敗戦、廃墟の記憶という。鴨野の古家は私たちの豊かさの象徴だ。ノバ・ヤパナでなくここで死にたい。この物語は「日本沈没」と繋がってもいる。壮大な故国消滅、故国喪失の物語だった。
読了日:05月29日 著者:小松 左京


魯迅。字面に怖気ず、早く読んでおくべきだった。青年期に抱えた葛藤と理想が届かぬ寂莫に共振したことだろう。といって、魯迅の青年期から壮年期は日本と中国の軋轢、中国国内の激動の最中だった。散文では日本留学を志向し、覚り、帰国した心の内が雄弁に語られ、それを知って読む小説は、なんのことない、可笑しみすら覚える日々の光景のようで、あからさまな批判にできない批判、表に出すことを躊躇われる哀しみが底流する。もっとも、大江健三郎は魯迅の小説が含むものを"捨て身の告発"と言い切るので、私の理解力が及んでいないことも解る。
読了日:05月26日 著者:魯迅


柳田國男が講演で九州へ行く、その世話係として随行した記録。小型録音機などない時代、憶えて書き起こすのが当たり前だった。柳田國男は車窓の景色を見ながら当地の文化や事物、門人の話、新たな着想まで話題に事欠かない。著者は困り果てていたけれど、常人には難しいんじゃないか。一方、研究ばかりではなく、後進を育てることや、得た知識を書籍化して売ること、門人の集まりや入門書の構成にも心を配るなど、民俗学界を盛り立てる方向を考えていた人であったと窺える。真珠湾攻撃前夜のことでもあり、その頃の世相や一般人の心情も興味深い。
読了日:05月24日 著者:今野圓輔

夢の国の"中の人"たちは当然ながら現実を生きている。ほとんどのスタッフは非正規雇用、そのシビアさをそーやろな、そーやろなと読むのは野次馬根性ゆえか、またはオリエンタルランドの労務管理への…野次馬根性ゆえか。本人たちはその事実もそれだけで食べていけないことも解っていて、それでも好きで働いている。著者が就いた職種は"カストーディアルキャスト"、その実は清掃員である。その立場だから見えることがある。夢の国では自分たちが排出した汚物を目にしたくない欲求も叶えられる。音や色彩が過剰なぶん、陰影は強調されて見える。
読了日:05月19日 著者:笠原一郎


前作に続き、リソースを全力投入するのではなく、より少ない努力でより有効な成果を目指す。自律して自身を整えることや、仕事をする相手との関係性に言及したのが目新しいか。相手を信頼できれば、些末な確認作業や気遣いによる消耗を省ける。『あなたの判断を信頼する』と思えるか、また伝えられるか。その観点から相手を選ぶことも必要だと納得した。ワーキングメモリの容量不足は失敗のもとである。手順の簡略化や処理の機械化は当然ながら、他者のネガティブな表情がワーキングメモリに負荷をかけるとは、なかなか自覚しづらいところである。
『ゆっくり動けば、ものごとはスムーズになる。ものごとがスムーズであれば、より速く動ける』。『1日の仕事は、1日ですっかり疲れが取れる程度まで。1週間の仕事は、その週末ですっかり疲れが取れる程度までに制限する』。カフェインや糖分でごまかさない。
読了日:05月17日 著者:グレッグ・マキューン


私もじきに著者が退職した歳になる。バブル期と就職氷河期という時代の差もあろうが、お金に対する感覚の隔絶感に目眩がした。この差はまま社会の格差につながる。「何もない」高松でお金を使わない暮らしに開眼し、大企業退職によって脱いだ下駄の高さや自身の無知に気づけたことは、大変良いことである。しかし新聞記者として社会のことを書いていても、自身が体感したのでなければ社会や中小企業というマジョリティのことを広く理解できているわけではないのだ。ぜひ大きめのカイシャにしか所属したことのないまま年を経た人に読んでみてほしい。
大学の先生や会社社長は生業が別にあるから原稿料は「ちょっとしたお小遣い」と表するのに違和感があった。本職があるから正当な原稿料が支払われなくてもいいことにはならないし、原稿料を経費と分類するなら、そこもお金についての考え方が大企業式じゃないかな。大企業勤務とはそんな余裕のあるものではないと言うかもしれないが、仮にも大企業と呼ばれる会社に所属して他より多めの報酬と待遇を得ているのなら、そちら側の人に、金銭的環境的理由で身動きの取れない人が置かれた状況を慮る努力をしてほしいと思うのは無理難題だろうか。
読了日:05月14日 著者:稲垣 えみ子


胸がいっぱいだ。福岡正信翁とは思考の根っこが違う。なのに合理的な西洋式で辿り着いた結論が相似してくることに驚嘆する。『自然は耕さない』。人間は土から多くを得るために、自然の法則に反して土を殺すようなことばかりしている。リジェネラティブ農業は土の復権への賛歌である。植物の根は地中から養分や水分を吸い上げるだけでなく、土を耕し、かつ有機化合物を分泌する。土だけ、植物だけを見るのでは片手落ちで、その複雑な相互作用こそが大事。さらにカバークロップも、性質の異なる種を多種ブレンドすることによってより全きものになる。
アメリカという資本主義が強い社会で経済的に成功している点が心強い。それには作物の栽培・牛羊鶏他の飼養だけでなく経営や販売も自前で手掛けて収益を取りこぼさない必要があるが、リジェネラティブ農業なら家族+アルファの人員でこなせるという。希望そのものだと思うが、現在栽培される作物のほとんどは遺伝子組換で、農家は巨大企業の尻に敷かれて青息吐息という。『化学物質や、強欲な企業や、政府の認証や、思いやりのかけらもない市場への依存からの解放』、それに工夫する生業の楽しさ。隔てるのは、果てしない不安と現状依存なのだろう。
牛や肉食を悪者扱いする菜食主義者に向けての提言。『もし本当に地球環境のことを心配するなら、たとえあなた自身が肉を食べないとしても、反芻動物が草を食むことの重要性に目を向けるべきだ』。牛は本来食べる草以外のものを飼料として食べさせられては、メタンガスを放出すると非難されているのだ。
読了日:05月13日 著者:ゲイブ・ブラウン

ああ、もう。先に部屋を片付けなさいよ。スーツケースの中を先に見てって言われたでしょ。なんにもしようとしない(できない)チャーメインにイライラする。私だって暇さえあれば本に鼻を突っ込んでいるのは同じだったはずなのに、人間はどこでどうやって大人になるのだろう。さてハウル一家。前回はすっかりだまされたので今回は眉に唾つけて読むも、堂々たる登場だった。すっかり歳相応になったソフィは感情を隠さない。片やハウルは、こりゃソフィに甘えてるんだろうなあ。ハウルの字が汚いとか細かいところでリアルなファンタジー。楽しかった。
読了日:05月13日 著者:ダイアナ・ウィン ジョーンズ


アラビアンナイトめいたジンやジンニー、空飛ぶ絨毯が健気な主人公を窮地に陥れる物語。と言いたいくらい物事が真っ当に進まない。ハウルの城が舞台になるのは物語の折り返し地点を過ぎてからという、なんとも悠長な、まったく趣向を変えたお話なのね。終盤にハウルたちと合流したら上手くゆくのかしらと思ったら、なんと!まじか! 道理で物事が真っ直ぐ進まないわけだわ。『今まで、おいらにおせじを言ってくれたのは、この人だけだ』。できすぎなくらい物事が納まる場所に納まって、大団円となる。読み返したらまたにやにやしちゃうんだろうな。
読了日:05月07日 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ


どんな植物でも、新芽は頼もしく、花は生命力に満ちて美しい。ならば、自分の好きなものを植えられるならば、眺める楽しみとは別に、役に立つものを植えたいと思うのは不純だろうか。食べる、漬ける、染める、遊ぶ。ニワトリとミツバチもいて、なんて羨ましい庭! たくさんの木や草が紹介されているが、どちらかというと子供と楽しむ目線が強め。私には“食べられる庭”のほうが読んでわくわくしたなあ。あ、でも、ヤマノイモは植えたい。食べられてものづくりにも使える。ムカゴを植えたらいいのね。とりあえず埋めてみよう〜♪
読了日:05月06日 著者:草木屋 著

ジブリのハウルは大好きな映画だけれど、本家のソフィーとハウルの珍道中もめちゃめちゃ楽しい、新しい家族の物語。『ねえソフィー、出口をつなげる場所に注文はあるかい?』 映画にはなかった台詞やエピソードににやにやしてしまう。さらに続きを読めるなんて嬉しいな。ソフィーの、妹たちとのやりとりがいい。あたしは長女だから。その言葉がどれだけソフィーを縛っただろう。思えば、呪いをかけられて初めてソフィーは家を出ると決心できたのだ。思い切りが良くなるところも、力を発揮できるようになるところも、魔女の功か歳の功か。
読了日:05月03日 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

注:

Posted by nekoneko at 10:20│Comments(0)
│読書