2015年04月02日
2015年3月の記録
買い控えの努力もあって、積読は100冊を切ってきました。
読みたい本を読みたいタイミングで読めるよう、さらに積読解消の努力を。
積読本99冊。気になっている本398冊。

2015年3月の読書メーター
読んだ本の数:18冊
これで身につく山歩き100の基本―入門から中級まで (るるぶDo!)の感想
山歩きのノウハウに関するひととおりのことが書かれている。自己責任の範囲において必ず守らねばならない点と、ある程度は融通できる点とを区別してある。装備もまずは手持ちのもので軽く歩いてみるなど、ひととおりの装備をまず揃えるべきと購買を煽る向きに比べ至って優しく、合理的である。納得できてよかった。そういった装備が足りていないことへの漠然とした不安も、山歩きのリスクにつながるからである。
読了日:3月31日 著者:大関義明
フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠の感想
菓子、清涼飲料、レトルト食品他全ての加工食品と業界を総告発するノンフィクション。資本主義のえげつなさ満載である。糖分、塩分、脂肪分は単体でも摂取しすぎれば病気につながるが、研究で得られた"至福ポイント"と呼ばれる3成分の配合を押えれば人間の脳は不自然な食品を渇望するようになる。人体の仕組みを悪用している。大人の健康志向すら加工食品においては売上のための欺瞞だ。企業の姿勢には愛想が尽きるが、本物の研究結果は知っておいて損がない。怖ろしいのは事実を知ってなお馴染みの菓子は食べたく、美味しいと感じることだ。
読了日:3月30日 著者:マイケルモス
わたしの愛する孤独の感想
1979年、サートンに焦点をあてた映画が制作された。その中で彼女が語ったことと詩の朗読を収録した音源(カセットテープ)とこの本がセットで出版されたということらしい。とてもきれいな装丁なのだけれど、つまり元の音と一緒でなければただのことばの寄せ集まりで、彼女のエッセンスではあっても物足りない。詩も、訳したものは私には魅力半減。残念。
読了日:3月23日 著者:メイサートン
呪われた町 (下) (集英社文庫)の感想
キングの小説としては若い。しかし町は禍々しく、キングらしいテーマがしっかり描かれ、至極アメリカ的な恐怖を煽る。奴らは人ならず、誤った存在で、絶対悪。そして正しき者を支えるのは、はたして信仰なのか。都市から離れた小さな町は一つの有機体のようだ。住む人たちはそれぞれ勝手に暮らしているようでいて、実は伏流する暗黙のなにかが奴らの跋扈を許してしまう。『そんな恐ろしいことが現実だと考えるよりは、家の中に招き入れるほうがずっと気が楽だからだよ』。スピードを増す闇の増幅が怖い。
読了日:3月22日 著者:スティーヴン・キング
呪われた町 (上) (集英社文庫)の感想
私が初めてこの小説を読んだのは「屍鬼」が出版される随分前のことで、「屍鬼」がこの小説のオマージュだと知ってはいても、さして深く思わなかった。しかしいま一度読み返してみると、踏襲されたのは設定だけではない。「屍鬼」に日本性を感じたのと同じくらいこの小説にアメリカ性を感じ、比較で差違が際立って感じられる。小野さんの思いがどこにあるのか探りながら下巻へ。
読了日:3月21日 著者:スティーヴン・キング
マスカレード・イブ (集英社文庫)の感想
女の魔性。ミステリアス。悪女好きだなぁ、東野さんは。その内面を書くとたいてい失敗なのだけど、こうして三人称に配置した時、よく効いている。それにしても主人公二人、性格変わり過ぎでない? それだけ成長の密度が濃かったということか。
読了日:3月16日 著者:東野圭吾
評価と贈与の経済学 (徳間ポケット)の感想
内田先生と岡田氏の対談。表紙はイワシ(笑)。馴染みの内田論に対し、岡田氏が疑問や持論を展開する様子が面白い。二人とも話し慣れていて上手い。漠然と持っていた認識が虚像であり神話であることがわかったり、血縁至上主義の親族共同体ではない、拡張型家族的な共同体への構想話が盛り上がる意味を考えたりしたけれど、さらりと読めた感触だった。それが今朝になり、内田先生の「教師は『若い人の可能性や才能に対する信頼と敬意』を持つべし」がそのまま雇主と社員に当てはまり得ると気づき、今頃愕然とした。いろいろじわじわ深い。良いです。
読了日:3月16日 著者:内田樹,岡田斗司夫FREEex
忘れられた日本人 (岩波文庫)の感想
明治大正時代には、いわゆる学があり欧米の文明に感化された日本人より、農村や山間にあって文字を知らず暮らす日本人の方が多かったに違いなく、その暮らしを伝える手段は口伝くらいしかなかった。だから、たった150年経っただけで、その暮らしは現代の私が想像するものとかけ離れていて驚く。でもそれは野蛮だとか、愚かなのではなく、率直で、世間知溢れて、のんびりして、人に優しかったと感じる。日本らしい日本とは、今の政治家の言う美しい日本とはきっと違っていて、私たちは形は変われどそこへ回帰してゆくのだと信じたくなった。
読了日:3月15日 著者:宮本常一
一絃の琴 (講談社文庫)の感想
武家の女子の誇り。分別。思慮。著者の物語は、いつも家や芸事、時代などの「与えられた運命」に縛られた女性を描いた。若い読者であった私は彼女らと我が身を引き比べ、「そうあらねばならぬ」枷の息苦しさに、ひいては著者の言い詰める文章に反発したものだった。今は、それすら破るほどの、主人公を突き動かした激しい情熱のほうを強く意識する。『日常とろとろとしか燃えないような平静な自分でも、一生の節目にくれば高い炎を噴いて燃えねばならぬ』。そう思えるもののあることは倖せだ。芸は当人だけのもの。失われた「漁火」が余韻を残す。
読了日:3月14日 著者:宮尾登美子
太極拳に学ぶ身体操作の知恵―「10の言葉」がカラダを拓く!の感想
太極拳運動のハウツーではなく、本来の思想、太極拳術十訣(楊澄甫口述・陳微明筆録)を解読するもの。十訣は虚霊頂勁、含胸抜背、鬆腰、分虚実、沈肩墜肘、用意不用力、上下相随、内外相合、相連不断、動中求静。気沈丹田が大前提する。修練する者には「わかってるけどできてない」ことばかりだが、こうして見ると第七訣から凄みを増し、十訣でしびれる。上善如水。太極拳術といいつつ形意拳や八卦掌、いわゆる内家拳が底流で通じているのがよくわかる。理解できれば既に極意門の内側だから、後は日々工夫せよとの結びがささやかな励ましである。
読了日:3月11日 著者:笠尾楊柳
修業論 (光文社新書)の感想
武道を考える行為において、内田先生を私の師と決めている。さほど興味の持てない話題もあるが、はっと得心が行く瞬間の鮮烈さは他に代えがたい。私は悩む。私の武術は上達しているのか。どこへ到達したいのか、できるのか。内田先生曰く、ルール化されない類の武術、武道は他者との優劣強弱巧拙を可視計測できない。目的地も自分で決めることはできないものである。ひたすら内面修練の発現だからだ。それらを漠然と「できる」と思っていた自分の思考が不安の基だったことに気づけた。他、祈りと修業の共通性、「無敵の探求」の敵とはなにか。
読了日:3月8日 著者:内田樹
ガダラの豚〈3〉 (集英社文庫)の感想
はー!? 確かに度肝を抜く展開でぐいぐい読まされたけれども、これをめでたしめでたしで終わらしてええんやろか。ほんで、らもさんはどこ行きたかったんやろか。それぞれが宗教や酒や超自然の力で真実の欠片を媒介して、なにかが見えそで見えんかって、それをかき集めても私はどこへも到達できんかった。あれだけの文献を当たったんやから、なんかがらもさんには見えてたと推測してたんやけど…ま、楽しかったから、ええか。
読了日:3月6日 著者:中島らも
ネコペディア―猫のギモンを解決の感想
ブログの単行本化。獣医師さんによる猫解説なので生態や栄養面は深い。かわいい猫画像などはほとんどありません。飼い主が気にしていそうなトピックというよりは、思いついた単発的なものを集めた猫雑学本の趣き。
読了日:3月6日 著者:山本宗伸
仕事は楽しいかね?の感想
今の私が読むべき本ではなかった。このところシンプルに焦点の絞られたビジネス書ばかり読んでいたので、もう読み方がわからない。仕事は楽しいかね?と聞かれてドキリとする人、仕事に不安と不満を抱えて疲れている雇われびとには、新鮮な風を吹き込んでくれることだろう。『明日は今日とは違う自分になること』。
読了日:3月6日 著者:デイルドーテン
エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にするの感想
手に届くなにもかもを現代社会人はやれない。熟考し、選択せねばならない。その取捨により効果を最大化する“Less But Better”論。それに薄々でも気づいていれば第1章で骨子は掴める。エッセンシャルであるやり方は個人・企業に個別のものだ。この本の大部分はTipsであり、感応したいくつかを取り入れるに留めるべき。全てを取り入れようと頑張ってしまう時点でエッセンシャルではなくなる。この本自体、生き方論、方法論、精神論がごっちゃで、深く読もうとすると混乱する。途中はさっくり、締めは第20章がお勧め。
読了日:3月5日 著者:グレッグ・マキューン
ガダラの豚〈2〉 (集英社文庫)の感想
相変わらず行先の見えないまま、らもさんの筆に私は引こずり廻されよる。キーワードや筋書きを抜き書いても、ジャンク、あるいは荒唐無稽にしか読んでいない人には伝わらないだろう。文句なくおもしろいし、らもさんがこの小説で描きたいものを私は知りたい。なにか深いものを探ろうとしているように私には感じられるのだ。らもさんはどこへ行きたかったんか。『言葉こそすべてじゃないか。人は自分の魂をちぎって投げるんだ。それが言葉だ。』
読了日:3月4日 著者:中島らも
小さいおうち (文春文庫)の感想
現代を生きる私たちはあの時代を俯瞰して、日本全体の現象として捉える。健史がその象徴だ。私たちにとって現代が個人的体験を基盤として成り立っているように、タキさんにもあの時代は自身の体験に基づいた、何十年経っても薄れ得ぬ事実の記憶だったのだ。著者はそれを「永遠の0」と真逆の立場で書いている。この物語で突出しているのは匂いである、と私は思う。男の匂い、秘め事の匂い…。著者自身、敏感な性質ではないだろうか。それを感じていれば、あの宛先不明の手紙も全く意外ではない。今夜は映画版のTV放映日。もう1度泣くか。
読了日:3月1日 著者:中島京子
ひとり歩きの登山技術 [ヤマケイ山学選書]の感想
山を独りで歩くのが好きだ。自然と対峙できる。だがその行為はとかく眉を顰められる。山の危険を理解していない、自己責任感に欠けている…等。ひとり歩きで事故を起こせば死ぬ確率は高い。ひとり歩きをする以上、全てが自分にかかっていることは百も承知だ。この本はひとり歩きを愛する者に知識と自信、わくわく感を与え励ましてくれる良い指南書だ。装備や計画の立て方など、ひとつひとつ自分に問いを投げることで自身を確認し、足元を固める。やってみたい山歩きに必要な、足りないことを知る。早く、春になれ。
読了日:3月1日 著者:工藤隆雄
注:
はKindleで読んだ本。
読みたい本を読みたいタイミングで読めるよう、さらに積読解消の努力を。
積読本99冊。気になっている本398冊。

2015年3月の読書メーター
読んだ本の数:18冊

山歩きのノウハウに関するひととおりのことが書かれている。自己責任の範囲において必ず守らねばならない点と、ある程度は融通できる点とを区別してある。装備もまずは手持ちのもので軽く歩いてみるなど、ひととおりの装備をまず揃えるべきと購買を煽る向きに比べ至って優しく、合理的である。納得できてよかった。そういった装備が足りていないことへの漠然とした不安も、山歩きのリスクにつながるからである。
読了日:3月31日 著者:大関義明

菓子、清涼飲料、レトルト食品他全ての加工食品と業界を総告発するノンフィクション。資本主義のえげつなさ満載である。糖分、塩分、脂肪分は単体でも摂取しすぎれば病気につながるが、研究で得られた"至福ポイント"と呼ばれる3成分の配合を押えれば人間の脳は不自然な食品を渇望するようになる。人体の仕組みを悪用している。大人の健康志向すら加工食品においては売上のための欺瞞だ。企業の姿勢には愛想が尽きるが、本物の研究結果は知っておいて損がない。怖ろしいのは事実を知ってなお馴染みの菓子は食べたく、美味しいと感じることだ。
読了日:3月30日 著者:マイケルモス


1979年、サートンに焦点をあてた映画が制作された。その中で彼女が語ったことと詩の朗読を収録した音源(カセットテープ)とこの本がセットで出版されたということらしい。とてもきれいな装丁なのだけれど、つまり元の音と一緒でなければただのことばの寄せ集まりで、彼女のエッセンスではあっても物足りない。詩も、訳したものは私には魅力半減。残念。
読了日:3月23日 著者:メイサートン

キングの小説としては若い。しかし町は禍々しく、キングらしいテーマがしっかり描かれ、至極アメリカ的な恐怖を煽る。奴らは人ならず、誤った存在で、絶対悪。そして正しき者を支えるのは、はたして信仰なのか。都市から離れた小さな町は一つの有機体のようだ。住む人たちはそれぞれ勝手に暮らしているようでいて、実は伏流する暗黙のなにかが奴らの跋扈を許してしまう。『そんな恐ろしいことが現実だと考えるよりは、家の中に招き入れるほうがずっと気が楽だからだよ』。スピードを増す闇の増幅が怖い。
読了日:3月22日 著者:スティーヴン・キング

私が初めてこの小説を読んだのは「屍鬼」が出版される随分前のことで、「屍鬼」がこの小説のオマージュだと知ってはいても、さして深く思わなかった。しかしいま一度読み返してみると、踏襲されたのは設定だけではない。「屍鬼」に日本性を感じたのと同じくらいこの小説にアメリカ性を感じ、比較で差違が際立って感じられる。小野さんの思いがどこにあるのか探りながら下巻へ。
読了日:3月21日 著者:スティーヴン・キング

女の魔性。ミステリアス。悪女好きだなぁ、東野さんは。その内面を書くとたいてい失敗なのだけど、こうして三人称に配置した時、よく効いている。それにしても主人公二人、性格変わり過ぎでない? それだけ成長の密度が濃かったということか。
読了日:3月16日 著者:東野圭吾

内田先生と岡田氏の対談。表紙はイワシ(笑)。馴染みの内田論に対し、岡田氏が疑問や持論を展開する様子が面白い。二人とも話し慣れていて上手い。漠然と持っていた認識が虚像であり神話であることがわかったり、血縁至上主義の親族共同体ではない、拡張型家族的な共同体への構想話が盛り上がる意味を考えたりしたけれど、さらりと読めた感触だった。それが今朝になり、内田先生の「教師は『若い人の可能性や才能に対する信頼と敬意』を持つべし」がそのまま雇主と社員に当てはまり得ると気づき、今頃愕然とした。いろいろじわじわ深い。良いです。
読了日:3月16日 著者:内田樹,岡田斗司夫FREEex


明治大正時代には、いわゆる学があり欧米の文明に感化された日本人より、農村や山間にあって文字を知らず暮らす日本人の方が多かったに違いなく、その暮らしを伝える手段は口伝くらいしかなかった。だから、たった150年経っただけで、その暮らしは現代の私が想像するものとかけ離れていて驚く。でもそれは野蛮だとか、愚かなのではなく、率直で、世間知溢れて、のんびりして、人に優しかったと感じる。日本らしい日本とは、今の政治家の言う美しい日本とはきっと違っていて、私たちは形は変われどそこへ回帰してゆくのだと信じたくなった。
読了日:3月15日 著者:宮本常一

武家の女子の誇り。分別。思慮。著者の物語は、いつも家や芸事、時代などの「与えられた運命」に縛られた女性を描いた。若い読者であった私は彼女らと我が身を引き比べ、「そうあらねばならぬ」枷の息苦しさに、ひいては著者の言い詰める文章に反発したものだった。今は、それすら破るほどの、主人公を突き動かした激しい情熱のほうを強く意識する。『日常とろとろとしか燃えないような平静な自分でも、一生の節目にくれば高い炎を噴いて燃えねばならぬ』。そう思えるもののあることは倖せだ。芸は当人だけのもの。失われた「漁火」が余韻を残す。
読了日:3月14日 著者:宮尾登美子

太極拳運動のハウツーではなく、本来の思想、太極拳術十訣(楊澄甫口述・陳微明筆録)を解読するもの。十訣は虚霊頂勁、含胸抜背、鬆腰、分虚実、沈肩墜肘、用意不用力、上下相随、内外相合、相連不断、動中求静。気沈丹田が大前提する。修練する者には「わかってるけどできてない」ことばかりだが、こうして見ると第七訣から凄みを増し、十訣でしびれる。上善如水。太極拳術といいつつ形意拳や八卦掌、いわゆる内家拳が底流で通じているのがよくわかる。理解できれば既に極意門の内側だから、後は日々工夫せよとの結びがささやかな励ましである。
読了日:3月11日 著者:笠尾楊柳

武道を考える行為において、内田先生を私の師と決めている。さほど興味の持てない話題もあるが、はっと得心が行く瞬間の鮮烈さは他に代えがたい。私は悩む。私の武術は上達しているのか。どこへ到達したいのか、できるのか。内田先生曰く、ルール化されない類の武術、武道は他者との優劣強弱巧拙を可視計測できない。目的地も自分で決めることはできないものである。ひたすら内面修練の発現だからだ。それらを漠然と「できる」と思っていた自分の思考が不安の基だったことに気づけた。他、祈りと修業の共通性、「無敵の探求」の敵とはなにか。
読了日:3月8日 著者:内田樹

はー!? 確かに度肝を抜く展開でぐいぐい読まされたけれども、これをめでたしめでたしで終わらしてええんやろか。ほんで、らもさんはどこ行きたかったんやろか。それぞれが宗教や酒や超自然の力で真実の欠片を媒介して、なにかが見えそで見えんかって、それをかき集めても私はどこへも到達できんかった。あれだけの文献を当たったんやから、なんかがらもさんには見えてたと推測してたんやけど…ま、楽しかったから、ええか。
読了日:3月6日 著者:中島らも


ブログの単行本化。獣医師さんによる猫解説なので生態や栄養面は深い。かわいい猫画像などはほとんどありません。飼い主が気にしていそうなトピックというよりは、思いついた単発的なものを集めた猫雑学本の趣き。
読了日:3月6日 著者:山本宗伸

今の私が読むべき本ではなかった。このところシンプルに焦点の絞られたビジネス書ばかり読んでいたので、もう読み方がわからない。仕事は楽しいかね?と聞かれてドキリとする人、仕事に不安と不満を抱えて疲れている雇われびとには、新鮮な風を吹き込んでくれることだろう。『明日は今日とは違う自分になること』。
読了日:3月6日 著者:デイルドーテン


手に届くなにもかもを現代社会人はやれない。熟考し、選択せねばならない。その取捨により効果を最大化する“Less But Better”論。それに薄々でも気づいていれば第1章で骨子は掴める。エッセンシャルであるやり方は個人・企業に個別のものだ。この本の大部分はTipsであり、感応したいくつかを取り入れるに留めるべき。全てを取り入れようと頑張ってしまう時点でエッセンシャルではなくなる。この本自体、生き方論、方法論、精神論がごっちゃで、深く読もうとすると混乱する。途中はさっくり、締めは第20章がお勧め。
読了日:3月5日 著者:グレッグ・マキューン


相変わらず行先の見えないまま、らもさんの筆に私は引こずり廻されよる。キーワードや筋書きを抜き書いても、ジャンク、あるいは荒唐無稽にしか読んでいない人には伝わらないだろう。文句なくおもしろいし、らもさんがこの小説で描きたいものを私は知りたい。なにか深いものを探ろうとしているように私には感じられるのだ。らもさんはどこへ行きたかったんか。『言葉こそすべてじゃないか。人は自分の魂をちぎって投げるんだ。それが言葉だ。』
読了日:3月4日 著者:中島らも


現代を生きる私たちはあの時代を俯瞰して、日本全体の現象として捉える。健史がその象徴だ。私たちにとって現代が個人的体験を基盤として成り立っているように、タキさんにもあの時代は自身の体験に基づいた、何十年経っても薄れ得ぬ事実の記憶だったのだ。著者はそれを「永遠の0」と真逆の立場で書いている。この物語で突出しているのは匂いである、と私は思う。男の匂い、秘め事の匂い…。著者自身、敏感な性質ではないだろうか。それを感じていれば、あの宛先不明の手紙も全く意外ではない。今夜は映画版のTV放映日。もう1度泣くか。
読了日:3月1日 著者:中島京子
![ひとり歩きの登山技術 [ヤマケイ山学選書]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EPDMomo7L._SX70_.jpg)
山を独りで歩くのが好きだ。自然と対峙できる。だがその行為はとかく眉を顰められる。山の危険を理解していない、自己責任感に欠けている…等。ひとり歩きで事故を起こせば死ぬ確率は高い。ひとり歩きをする以上、全てが自分にかかっていることは百も承知だ。この本はひとり歩きを愛する者に知識と自信、わくわく感を与え励ましてくれる良い指南書だ。装備や計画の立て方など、ひとつひとつ自分に問いを投げることで自身を確認し、足元を固める。やってみたい山歩きに必要な、足りないことを知る。早く、春になれ。
読了日:3月1日 著者:工藤隆雄
注:

Posted by nekoneko at 17:59│Comments(0)
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