2023年02月02日
2023年1月の記録
理想の本棚を夢想しただけで積読本が増えるのはどうした現象だろう。
積読本の棚が本に申し訳ないような様相になってきた。
本が二列になると後ろの本の背表紙が見えなくてもやもやするのは私なのに。

<今月のデータ>
購入18冊、購入費用14,992円。
読了14冊。
積読本332冊(うちKindle本157冊、Honto本4冊)。

黒猫ルーイ、名探偵になる (ランダムハウス講談社文庫)の感想
元気でキラキラした女性テンプルが主人公。相棒は堂々たる体躯の黒猫ルーイ…と言いたいところだが、ルーイは喋るでも主人公の腕を咥えてナビゲートするでもなく、仮にルーイの独白パートを除いても、最後のメッセージを除いてすら普通にミステリの起承転結が成立している。しかしルーイはテンプルを心配に思っていて、助けるために奔走した挙句収容されてしまうのだ。テンプルは姿を消したルーイが心配で事件解決に集中したい気持ちを乱されるのだ。そこが私は面白かった。そして二人はそれぞれ真相に辿り着く。そんなわけで、邦題はなんか違った。
読了日:01月27日 著者:キャロン ネルソン ダグラス
SDGs投資 資産運用しながら社会貢献 (朝日新書)の感想
もやもやが晴れない。説く対象は誰なのか、SDGsに絡めた投資が真に地球と人類の為になるのか。SDGsの有用性を祖父の「論語と算盤」に結びつけるのはずるくないか。と、ひねくれて思ってしまう。だって、良いと思う企業を応援したいなら購買なり寄付なりクラファンなりでお金を託せばいい。そこで常に見返りを求める投資という金融商品である必要性は無い。投資は社会貢献の一形態と主張する著者をポジショントークだと思ってしまうのは、株式会社という仕組みが企業の健全を阻害する側面をも持っていることへの疑念と切り離せないからだ。
しかし、素直に受け取るなら、つまり実際に現代の資本主義社会においてより善きものへ資本を注いでいこうとするなら、コモンズの投資信託は相対的に考えて好いとは思う。例えばコモンズ30の投資先は日本国内の「真のグローバル企業」と位置づけている。公開された組入銘柄は有名大手企業が多く、商社、製造業、サービス業と多岐にわたる。カネを稼ぐ力に加えて、経営者の意識や社内外への姿勢、企業文化をも評価基準としている点に特徴がある。そういう視点を持っているファンドを、資産を預ける相手を決める基準の一つにするのはありかと。
読了日:01月23日 著者:渋澤健
巨大津波は生態系をどう変えたか―生きものたちの東日本大震災 (ブルーバックス)の感想
人間の生活が優先と断わりながら、リアルタイムで記録しておく重要性を著者は訴え、調査を続けた。自身の生活も大変な中、記録しておいていただいてほんとうにありがたい。津波により沿岸の風景も地形も変わってしまった。しかし元は砂浜、湿地、広葉樹林であった地を人間が水田や農地に改変してきたのだ。それにより野性生物の生息域が分断された。津波の塩分は生物の多くを死滅させたが、雨のたびに洗い流され、徐々に生物が現れる。農地跡に咲いたミズアオイの清しさ、儚さに胸を衝かれる。写真が美しいので、カラーで読むことをお勧めします。
『生態系保全の観点からは、人為的にクロマツを植えるよりも、海岸本来の姿である草原や広葉樹の低木林に戻ることが最も望ましいのだが、内陸に宅地や農地があることから、飛砂防止にすぐれたクロマツ林がどうしても必要とされるだろう。海岸に瓦礫を埋め立てて、そこに広葉樹を植えるという案までが「森づくり」として大きく宣伝される例も見受けられるが、再生途上にある砂浜や湿地を埋め立てることは、生態系を根本から破壊してしまうので論外だ』。
読了日:01月22日 著者:永幡 嘉之
本の雑誌476号2023年2月号の感想
「本を買う!」という特集は、企画する側も読む側も確信犯だろう。『いつか読む本を買いなさい』。『積みなさい、天に届くまで』。これでもかと煽る煽る。しかし1カ月に費やす本代が70万円越えの事例とまでくると、頭の芯がすーっと醒めてゆくのがわかる。特殊な職業であったり、買うことが目的化していたり、いやさ、自身のキャパとかスタンスとか、わきまえるべき"分"に思考が至ったのだった。とはいえ、読みたいと思った本が絶版になる速度は考えるべきで、遠からず絶版になる本は見極めて買っておきたい。と宣言してあれこれポチっと…。
読了日:01月20日 著者:
やっぱり、このゴミは収集できません ~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたことの感想
ゴミ清掃員は世界の真実を直視する仕事。その仕事を続ける著者はいい顔をしている。動画配信で稼ぐと聞く芸人の水膨れしたような顔とは大違いだ。ゴミ回収しながらいろいろ考えるそうで、1個のポリバケツから人生の成功に思いを馳せるとはもはや詩人か哲学者の域だ。パッカー車で圧縮することによって一般人には想像不能な事態が多々発生する。見るも触れるも耐え難いモノに日々直面する。恥ずかしい仕事と考える風潮が世間にあるゆえに、それはなかなか伝わってきづらい。金持ち松竹梅のゴミ事情など、軽妙かつ熱く伝えてくれる存在は貴重である。
読了日:01月20日 著者:滝沢 秀一
路 (文春文庫)の感想
日本と台湾をまたいだ群像。目まぐるしく変転する視点と時間が最後に繋がり、一本の台湾高速鉄道に集束させる手腕は見事だ。日本と台湾の歴史は近代以降、陰に陽に絡まり合っている。引き揚げの日、基隆で別れた『昨日までの隣人たち』は、今もやはり隣人であると思う。ありたいと思う。吉田修一の思い入れも相まって、優しい気持ちになる物語だった。騒音や匂い、温度湿度と台湾の街が繰り返し描かれるなかで、何か物足りない。そうか、私は自分の足で台湾行きたいし街を歩きたいし美味しいもの食べたいし温泉入りたいし台湾高鉄に乗りたいのだ。
読了日:01月18日 著者:吉田 修一
読書の森へ 本の道しるべ (NHKテキスト)の感想
角田光代、福岡伸一、ヤマザキマリでもうお腹いっぱい。好きな作家の本棚を眺めるってなんて悦楽だろう。その人が大切にしている本、ルーツとなる作家は、必ず私にも響く気がする。知りたい。読みたい。そして絶版。「祖国地球」みたいに番組をきっかけに再版してくれないかしら。テレビは再生を一時停止して、写真はピンボケに目をすがめて、何の本があるか、どんな並べ方をしているか隅から隅まで眺め渡し、読みたい本の拾い出しと理想の本棚設計に余念がない。やっぱり本棚は重厚なのが良いなとか地震対策に造り付けで深めが良いとか。ああ至福。
読了日:01月17日 著者:角田 光代,福岡 伸一,ヤマザキマリ,町田 樹,平野 レミ,堀川 理万子,鹿島 茂,Aマッソ・加納
人類が消えた世界の感想
突如地球上から人類が消えたら、地球は人類が誕生して経た変化を逆回しに復元するか。その糸口となるいくつかの事象。「すずめの戸締り」の"人の手で元に戻して"が幾度も思い出される。人の力で元に戻すことなど、どれひとつできやしない。ただ自然の持つレジリエンスが似て非なる均衡を見つけるだけなのだ。この本が出た直後の東日本大震災、原発事故後の福島に、人が突如いなくなった地を日本人は既に知っているではないか。湿地に還るマンハッタンが感傷を帯びて描かれているようで苛立つ。人間あってこその地球みたいな考え方は好かない。
読了日:01月17日 著者:アラン・ワイズマン
陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)の感想
かの有名な「陰翳礼讃」はたったこれだけのエッセイなのだ。文豪の有名な著作という摺り込みへのびびりっぷりに我ながら驚いた。明治からこちらを眺め渡すような他のエッセイも素敵に変態で楽しい。早く読めばよかった。この「陰翳礼讃」を私は宿で読んだ。現代へも続く欧米流と和風の綱引きは、この宿の障子を用いた間接照明や、落とした明かりに映える蒔絵風の椀を見るに、和のほうへ傾きつつあると言えるだろうか。照明や電飾の過剰を憂い、些事にもこだわる氏らの言は、私にも肯ずるところが多く、たぶん大事なのだと思う。この人好きだな。
旅や宿屋についての文章に、琴平のとらやが出てくる。『間口の長い店が街道に面していて、土間に入ると上り框の正面に幅の広い階段があり、二階の欄干からは町の人通りが見おろせるといった風の』宿だった名残は外観に見受けられたけれど、私が通い始めた頃にはただのうどん屋だった。そしてその由緒正しい建物も、今年の正月には解体されているのを見た。惜しい。あまりに惜しい。
読了日:01月16日 著者:谷崎 潤一郎
「いい会社」ってどんな会社ですか? 社員の幸せについて語り合おうの感想
会議で若い社員の昇給を主張していて感じたのは、経営者の考え方のブレである。私が様々に資料を用意して説得して、概ね賛同に傾いても、実際の数字を見ると迷う。『利益は残ったウンチにすぎない』。塚越氏や青野さんも散々迷ったはずだ。しかし検討と試行錯誤の末に自分の中に軸が持てれば、こんなに鮮やかに踏み切れるのだと目を見張った。性善説に立って社内制度を設計運営することは難しい。つい疑いの芽が出る。しかし疑い始めれば効率も人の心持ちも悪くなることは行政のやり方を見れば瞭然だ。自信をもって、思い切りよくいこう。
読了日:01月12日 著者:塚越 寛
文学こそ最高の教養である (光文社新書)の感想
古典文学という領域の、自分の中での置き所を決めあぐねている。現代の作品や思想の前提となる古典をよむことは、今年の目標である「読書の深度を上げる」には有効な手段だ。新訳古典文庫は読みやすく、またこのような企画によって背景や作者の思想を知って読む利は大きい。しかし翻訳が読みやすい=理解しやすいではないのは翻訳者自ら語るとおりであり、限られた時間と他への興味との折り合いをつけるべく、始終唸りながら読んだ。落としどころはなんとなく見つかったので、それでOKとする。つまみ食い万歳、解れば良し、わからなくても良し。
読了日:01月09日 著者:駒井稔,光文社古典新訳文庫編集部
現代中国・台湾ミステリビギナーズガイドブック (風狂推理新書)の感想
ミステリはパズルだと思う。事件の大小不法合法を問わず、作者の企みをためつすがめつ、“真実”を得てすっきりする。ミス研は読んで楽しいを超えて、古今東西のミステリをトリックやパターンで類型化したり、整合性をつついて皆で盛り上がる場所なのね。座談会の皆さん、まあよく読んでおられること。私も所属したかったような、所属しなくてよかったような。いずれにせよ中国と台湾のミステリ、SFに負けず盛りあがって(翻訳されて)ほしい。あと、綾辻不由美が売れっ子マジシャンの犯人て、その筋から怒られなかったんですかね?
読了日:01月08日 著者:白樺香澄
虚擬街頭漂流記 (文春e-book)の感想
現代華文推理系列で読んだ籠物先生の長編ミステリ。『見るからに真実のような、そして触れてみても真実としか思えない、そして聞こえる音も真実のような』仮想現実世界における殺人。今よりIT技術が進んだSFテイスト、台北にある西門町の繁華を再現する設定も、伏線も、意欲的で好かった。人物の造形と翻訳にだいぶ難があるけれど、国を問わず若いミステリにはあるレベルだし、もっと読みたくなった。もっと人物が膨らめば東野圭吾みたいな感じになろうか。あるいは少し視点を引いて、ミステリアスな作風もいいなあ。そういや、あの人影ってさ…
読了日:01月08日 著者:寵物先生
ぶらりユーラシア: 列車を乗り継ぎ大陸横断、72歳ひとり旅の感想
ロシア:ユジノ・サハリンスクからポルトガル:ポルトまで、大陸を横断する鉄道の旅。著者は写真のプロである。鉄道の進む速度で移り変わってゆく風土や文化のさまを眺めるのは楽しかった。イラン、トルコは特に、垣間見る豊かさに溜息が漏れる。美しい。行きたい。道中、国境をまたぐ鉄道は一本には繋がっておらず、かつてのオリエント急行の路線すら今は分断され、列車をいくつも乗り継がなければならないという。国家と国家の間の事情で、大地は繋がっているのに寂しいものだ。飛行機では見えないものを見られる鉄道の旅、素晴らしいと思った。
シベリアの夏。湿地帯の大地には果てしなく草木が生い茂り、水面には青空と白雲を映す、なんとも清涼な景色。ずっと寒くて凍っているという自分の頑なな思い込みにびっくりする。ウズベキスタン・ゼラフシャン川。山岳地帯から流れ下った雪解け水は、乾燥した大地に作物をつくるための灌漑用水として右に左に奪われ、そのうちに川そのものが地表から消えてしまうという。乾燥地帯の自然は、集めて早し最上川な日本の常識を引っ繰り返してくれる。
読了日:01月04日 著者:大木茂
注:
は電子書籍で読んだ本。
積読本の棚が本に申し訳ないような様相になってきた。
本が二列になると後ろの本の背表紙が見えなくてもやもやするのは私なのに。
<今月のデータ>
購入18冊、購入費用14,992円。
読了14冊。
積読本332冊(うちKindle本157冊、Honto本4冊)。


元気でキラキラした女性テンプルが主人公。相棒は堂々たる体躯の黒猫ルーイ…と言いたいところだが、ルーイは喋るでも主人公の腕を咥えてナビゲートするでもなく、仮にルーイの独白パートを除いても、最後のメッセージを除いてすら普通にミステリの起承転結が成立している。しかしルーイはテンプルを心配に思っていて、助けるために奔走した挙句収容されてしまうのだ。テンプルは姿を消したルーイが心配で事件解決に集中したい気持ちを乱されるのだ。そこが私は面白かった。そして二人はそれぞれ真相に辿り着く。そんなわけで、邦題はなんか違った。
読了日:01月27日 著者:キャロン ネルソン ダグラス


もやもやが晴れない。説く対象は誰なのか、SDGsに絡めた投資が真に地球と人類の為になるのか。SDGsの有用性を祖父の「論語と算盤」に結びつけるのはずるくないか。と、ひねくれて思ってしまう。だって、良いと思う企業を応援したいなら購買なり寄付なりクラファンなりでお金を託せばいい。そこで常に見返りを求める投資という金融商品である必要性は無い。投資は社会貢献の一形態と主張する著者をポジショントークだと思ってしまうのは、株式会社という仕組みが企業の健全を阻害する側面をも持っていることへの疑念と切り離せないからだ。
しかし、素直に受け取るなら、つまり実際に現代の資本主義社会においてより善きものへ資本を注いでいこうとするなら、コモンズの投資信託は相対的に考えて好いとは思う。例えばコモンズ30の投資先は日本国内の「真のグローバル企業」と位置づけている。公開された組入銘柄は有名大手企業が多く、商社、製造業、サービス業と多岐にわたる。カネを稼ぐ力に加えて、経営者の意識や社内外への姿勢、企業文化をも評価基準としている点に特徴がある。そういう視点を持っているファンドを、資産を預ける相手を決める基準の一つにするのはありかと。
読了日:01月23日 著者:渋澤健


人間の生活が優先と断わりながら、リアルタイムで記録しておく重要性を著者は訴え、調査を続けた。自身の生活も大変な中、記録しておいていただいてほんとうにありがたい。津波により沿岸の風景も地形も変わってしまった。しかし元は砂浜、湿地、広葉樹林であった地を人間が水田や農地に改変してきたのだ。それにより野性生物の生息域が分断された。津波の塩分は生物の多くを死滅させたが、雨のたびに洗い流され、徐々に生物が現れる。農地跡に咲いたミズアオイの清しさ、儚さに胸を衝かれる。写真が美しいので、カラーで読むことをお勧めします。
『生態系保全の観点からは、人為的にクロマツを植えるよりも、海岸本来の姿である草原や広葉樹の低木林に戻ることが最も望ましいのだが、内陸に宅地や農地があることから、飛砂防止にすぐれたクロマツ林がどうしても必要とされるだろう。海岸に瓦礫を埋め立てて、そこに広葉樹を植えるという案までが「森づくり」として大きく宣伝される例も見受けられるが、再生途上にある砂浜や湿地を埋め立てることは、生態系を根本から破壊してしまうので論外だ』。
読了日:01月22日 著者:永幡 嘉之


「本を買う!」という特集は、企画する側も読む側も確信犯だろう。『いつか読む本を買いなさい』。『積みなさい、天に届くまで』。これでもかと煽る煽る。しかし1カ月に費やす本代が70万円越えの事例とまでくると、頭の芯がすーっと醒めてゆくのがわかる。特殊な職業であったり、買うことが目的化していたり、いやさ、自身のキャパとかスタンスとか、わきまえるべき"分"に思考が至ったのだった。とはいえ、読みたいと思った本が絶版になる速度は考えるべきで、遠からず絶版になる本は見極めて買っておきたい。と宣言してあれこれポチっと…。
読了日:01月20日 著者:

ゴミ清掃員は世界の真実を直視する仕事。その仕事を続ける著者はいい顔をしている。動画配信で稼ぐと聞く芸人の水膨れしたような顔とは大違いだ。ゴミ回収しながらいろいろ考えるそうで、1個のポリバケツから人生の成功に思いを馳せるとはもはや詩人か哲学者の域だ。パッカー車で圧縮することによって一般人には想像不能な事態が多々発生する。見るも触れるも耐え難いモノに日々直面する。恥ずかしい仕事と考える風潮が世間にあるゆえに、それはなかなか伝わってきづらい。金持ち松竹梅のゴミ事情など、軽妙かつ熱く伝えてくれる存在は貴重である。
読了日:01月20日 著者:滝沢 秀一


日本と台湾をまたいだ群像。目まぐるしく変転する視点と時間が最後に繋がり、一本の台湾高速鉄道に集束させる手腕は見事だ。日本と台湾の歴史は近代以降、陰に陽に絡まり合っている。引き揚げの日、基隆で別れた『昨日までの隣人たち』は、今もやはり隣人であると思う。ありたいと思う。吉田修一の思い入れも相まって、優しい気持ちになる物語だった。騒音や匂い、温度湿度と台湾の街が繰り返し描かれるなかで、何か物足りない。そうか、私は自分の足で台湾行きたいし街を歩きたいし美味しいもの食べたいし温泉入りたいし台湾高鉄に乗りたいのだ。
読了日:01月18日 著者:吉田 修一


角田光代、福岡伸一、ヤマザキマリでもうお腹いっぱい。好きな作家の本棚を眺めるってなんて悦楽だろう。その人が大切にしている本、ルーツとなる作家は、必ず私にも響く気がする。知りたい。読みたい。そして絶版。「祖国地球」みたいに番組をきっかけに再版してくれないかしら。テレビは再生を一時停止して、写真はピンボケに目をすがめて、何の本があるか、どんな並べ方をしているか隅から隅まで眺め渡し、読みたい本の拾い出しと理想の本棚設計に余念がない。やっぱり本棚は重厚なのが良いなとか地震対策に造り付けで深めが良いとか。ああ至福。
読了日:01月17日 著者:角田 光代,福岡 伸一,ヤマザキマリ,町田 樹,平野 レミ,堀川 理万子,鹿島 茂,Aマッソ・加納

突如地球上から人類が消えたら、地球は人類が誕生して経た変化を逆回しに復元するか。その糸口となるいくつかの事象。「すずめの戸締り」の"人の手で元に戻して"が幾度も思い出される。人の力で元に戻すことなど、どれひとつできやしない。ただ自然の持つレジリエンスが似て非なる均衡を見つけるだけなのだ。この本が出た直後の東日本大震災、原発事故後の福島に、人が突如いなくなった地を日本人は既に知っているではないか。湿地に還るマンハッタンが感傷を帯びて描かれているようで苛立つ。人間あってこその地球みたいな考え方は好かない。
読了日:01月17日 著者:アラン・ワイズマン

かの有名な「陰翳礼讃」はたったこれだけのエッセイなのだ。文豪の有名な著作という摺り込みへのびびりっぷりに我ながら驚いた。明治からこちらを眺め渡すような他のエッセイも素敵に変態で楽しい。早く読めばよかった。この「陰翳礼讃」を私は宿で読んだ。現代へも続く欧米流と和風の綱引きは、この宿の障子を用いた間接照明や、落とした明かりに映える蒔絵風の椀を見るに、和のほうへ傾きつつあると言えるだろうか。照明や電飾の過剰を憂い、些事にもこだわる氏らの言は、私にも肯ずるところが多く、たぶん大事なのだと思う。この人好きだな。
旅や宿屋についての文章に、琴平のとらやが出てくる。『間口の長い店が街道に面していて、土間に入ると上り框の正面に幅の広い階段があり、二階の欄干からは町の人通りが見おろせるといった風の』宿だった名残は外観に見受けられたけれど、私が通い始めた頃にはただのうどん屋だった。そしてその由緒正しい建物も、今年の正月には解体されているのを見た。惜しい。あまりに惜しい。
読了日:01月16日 著者:谷崎 潤一郎


会議で若い社員の昇給を主張していて感じたのは、経営者の考え方のブレである。私が様々に資料を用意して説得して、概ね賛同に傾いても、実際の数字を見ると迷う。『利益は残ったウンチにすぎない』。塚越氏や青野さんも散々迷ったはずだ。しかし検討と試行錯誤の末に自分の中に軸が持てれば、こんなに鮮やかに踏み切れるのだと目を見張った。性善説に立って社内制度を設計運営することは難しい。つい疑いの芽が出る。しかし疑い始めれば効率も人の心持ちも悪くなることは行政のやり方を見れば瞭然だ。自信をもって、思い切りよくいこう。
読了日:01月12日 著者:塚越 寛


古典文学という領域の、自分の中での置き所を決めあぐねている。現代の作品や思想の前提となる古典をよむことは、今年の目標である「読書の深度を上げる」には有効な手段だ。新訳古典文庫は読みやすく、またこのような企画によって背景や作者の思想を知って読む利は大きい。しかし翻訳が読みやすい=理解しやすいではないのは翻訳者自ら語るとおりであり、限られた時間と他への興味との折り合いをつけるべく、始終唸りながら読んだ。落としどころはなんとなく見つかったので、それでOKとする。つまみ食い万歳、解れば良し、わからなくても良し。
読了日:01月09日 著者:駒井稔,光文社古典新訳文庫編集部


ミステリはパズルだと思う。事件の大小不法合法を問わず、作者の企みをためつすがめつ、“真実”を得てすっきりする。ミス研は読んで楽しいを超えて、古今東西のミステリをトリックやパターンで類型化したり、整合性をつついて皆で盛り上がる場所なのね。座談会の皆さん、まあよく読んでおられること。私も所属したかったような、所属しなくてよかったような。いずれにせよ中国と台湾のミステリ、SFに負けず盛りあがって(翻訳されて)ほしい。あと、綾辻不由美が売れっ子マジシャンの犯人て、その筋から怒られなかったんですかね?
読了日:01月08日 著者:白樺香澄


現代華文推理系列で読んだ籠物先生の長編ミステリ。『見るからに真実のような、そして触れてみても真実としか思えない、そして聞こえる音も真実のような』仮想現実世界における殺人。今よりIT技術が進んだSFテイスト、台北にある西門町の繁華を再現する設定も、伏線も、意欲的で好かった。人物の造形と翻訳にだいぶ難があるけれど、国を問わず若いミステリにはあるレベルだし、もっと読みたくなった。もっと人物が膨らめば東野圭吾みたいな感じになろうか。あるいは少し視点を引いて、ミステリアスな作風もいいなあ。そういや、あの人影ってさ…
読了日:01月08日 著者:寵物先生


ロシア:ユジノ・サハリンスクからポルトガル:ポルトまで、大陸を横断する鉄道の旅。著者は写真のプロである。鉄道の進む速度で移り変わってゆく風土や文化のさまを眺めるのは楽しかった。イラン、トルコは特に、垣間見る豊かさに溜息が漏れる。美しい。行きたい。道中、国境をまたぐ鉄道は一本には繋がっておらず、かつてのオリエント急行の路線すら今は分断され、列車をいくつも乗り継がなければならないという。国家と国家の間の事情で、大地は繋がっているのに寂しいものだ。飛行機では見えないものを見られる鉄道の旅、素晴らしいと思った。
シベリアの夏。湿地帯の大地には果てしなく草木が生い茂り、水面には青空と白雲を映す、なんとも清涼な景色。ずっと寒くて凍っているという自分の頑なな思い込みにびっくりする。ウズベキスタン・ゼラフシャン川。山岳地帯から流れ下った雪解け水は、乾燥した大地に作物をつくるための灌漑用水として右に左に奪われ、そのうちに川そのものが地表から消えてしまうという。乾燥地帯の自然は、集めて早し最上川な日本の常識を引っ繰り返してくれる。
読了日:01月04日 著者:大木茂
注:

2023年01月07日
2022年の総括
2022年、読んだ本の冊数は183冊。
購入費用198,691円。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。
ヤマザキマリのNHK「読書の森へ 本の道しるべ」を呑みながら観たあと、
「これではいかん!」と急激に奮起した。
マリさん曰く、『読書は給油タンク、本は「ガソリン」』。
いわば燃焼効率の高い読書をせねばと思い立ったのだった。
目標は「読書の深度を上げる」。
セイゴオさんの網の論理で言えば、同じあたりに緩い結び目をやたらつくるより、
強靭な結び目をひとつつくるほうが、すっきりして美しい智の網になるだろう。
疲れている時だってあるから、月に1冊でいいから、
古典、智の源と称される本に取り組むことを目標にする。
先達が薦めて気になった本はとりあえず買う。
読めなかったら積読の山に戻すなり、諦めるなりすればいいのだ。
打率5割でも得るものは大きい。
2023年も良い本に出会えますように。


2022年、私に影響を与えた本たち。
<人間の業の深さよ>
戦争は女の顔をしていない スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ
マーシャル、父の戦場: ある日本兵の日記をめぐる歴史実践 大川 史織
牙: アフリカゾウの「密猟組織」を追って 三浦 英之
Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 ルトガー・ブレグマン
<それでも世界は美しい>
梅里雪山(メイリーシュエシャン)十七人の友を探して (ヤマケイ文庫) 小林尚礼
アルハンブラ物語 (講談社文庫 あ 31-1) ワシントン・アービング
サマルカンドへ 〔ロング・マルシュ 長く歩く 2〕 ベルナール・オリヴィエ
<真実を求める姿勢にブラボー!>
エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来 古舘 恒介
土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて (光文社新書) 藤井 一至
塩の道 (講談社学術文庫) 宮本 常一
You are what you read あなたは読んだものに他ならない 服部文祥
<もっと小説を読もう>
プロジェクト・ヘイル・メアリー アンディ・ウィアー
白の闇 (河出文庫) ジョゼ・サラマーゴ
ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ
鷗外の怪談 永井 愛
購入費用198,691円。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。
ヤマザキマリのNHK「読書の森へ 本の道しるべ」を呑みながら観たあと、
「これではいかん!」と急激に奮起した。
マリさん曰く、『読書は給油タンク、本は「ガソリン」』。
いわば燃焼効率の高い読書をせねばと思い立ったのだった。
目標は「読書の深度を上げる」。
セイゴオさんの網の論理で言えば、同じあたりに緩い結び目をやたらつくるより、
強靭な結び目をひとつつくるほうが、すっきりして美しい智の網になるだろう。
疲れている時だってあるから、月に1冊でいいから、
古典、智の源と称される本に取り組むことを目標にする。
先達が薦めて気になった本はとりあえず買う。
読めなかったら積読の山に戻すなり、諦めるなりすればいいのだ。
打率5割でも得るものは大きい。
2023年も良い本に出会えますように。

2022年、私に影響を与えた本たち。
<人間の業の深さよ>





<それでも世界は美しい>



<真実を求める姿勢にブラボー!>




<もっと小説を読もう>





2023年01月05日
2022年12月の記録
2011年からこちら、その年に読んだ本ベスト20をつくっている。
スクショ保存してあるのを見返すと興味深い。
記憶にほとんど残っていない本がベスト3に入っていることもざらなら、
ベスト20のうち今も心のどこかで活きていると感じる本は5冊がいいところだったりする。
なにが根を生やし育つかわからないのだから、なんでも植えて(読んで)みるのが良いのだ。
とはいえ、私が気になった全ての本を読む時間は、私の人生にはもう無い。
なのに今月もたくさん買い込んだ。そろそろ読む本を選びなさいよという話である。
ちなみに今年のベスト20はこちら

<今月のデータ>
購入24冊、購入費用18,635円。
読了16冊。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。

12月の読書メーター
読んだ本の数:16
翻訳者による海外文学ブックガイド BOOKMARKの感想
もとはフリーペーパー企画。表紙にあるとおりながら、小説を翻訳した本人による紹介というところがいちばんの魅力です。あと、各巻頭のエッセイは国内の作家さんによるもので、こちらもそうそうたる面々で嬉しい。若い読書が想定されているとのことでヤングアダルトや少年文庫も多いなか、大人向けの本格ものもたくさんあって鼻息荒く物色した。惜しむらくは、翻訳ものあるあるで、絶版の嵐。。。刊行されて数年で文庫にもならず消えてしまうのは余りにもったいないことだ。悔しい。ていうか早く読め私。次作はタイムリーに読みます。
読了日:12月30日 著者:金原 瑞人,三辺 律子
僕らはソマリアギャングと夢を語る――「テロリストではない未来」をつくる挑戦の感想
永井陽右氏の活動の始まり。なぜ、国境なき医師団すら撤退したソマリアでなければならなかったか、という問いは既に無意味だろう。紛争解決の専門家の忠告よりも、渡航する度に得る手ごたえを糧に彼は前に進んだ。『ギャングと話せば話すほど、同じ時間を共有すればするほど、彼らが僕らと何も変わらない存在だと気づく』。信じた活動を10年続けた先に経験もスキルも学位も得た。彼は行けるところまで行くのだろう。自分が『人間としての責任』と認識する活動にどうすれば無関心な人たちを巻き込んでいけるのか、日々考える。真面目な人なのだ。
彼の論理では、ソマリアは世界でもっとも支援が必要な場所である。しかしそこは世界で最も死に近い場所である。死なずに続けられているのは幸運、だろう。内田先生との対談記事で、命を大事にと語りかける内田先生の言葉をスルーしているように読めるのが気にかかった。編集ならよいのだが。社会的な意義が大きいのは理解できる。ただ、殉教者にはなってほしくないと私も願っている。世界には、彼と同じように危険な地で活動に邁進する仲間がたくさんいるのだという。彼らや、ソマリアの仲間こそが、彼にとってのリアルなのだろうな。
知識もスキルも無い者が紛争地に行くべきではない。それが"常識的な"考え方だ。しかしそれに反して飛び込んでいく者たちがいて、私はそれを無謀と切って捨てるべきかと考え始める。そこには、人間が生きているのだ。例えば国内の活動で、政府も行政でもできないことを民間の有志が個人としてできる範囲のことをやっていくように、そこに人間が生きている限り、紛争地にも政府やNGOにはできないが個人にはできることがある、という考え方はできる。紛争自体は即時解決しなくても、何人かに生き延びる人生を生むことはできた、それが動力になる。
読了日:12月28日 著者:永井陽右
その名にちなんで (新潮文庫)の感想
物語を読み終えて、ほっと息を吐いた。家族2世代の歴史の物理的時間は40年もない。ただ彼らの綿々と抱える想いが重たいのだ。インド人が家族を単位に考えるのに対し、アメリカ人は個人を単位に考える。『アメリカというところは、何事も行き当たりばったりで、真実味がない』。インドからアメリカに移り住んだ一世が物事の捉え方の違いに戸惑い、一世同士で伴侶を見つけるのに対し、アメリカで生まれた二世は段違いにアメリカナイズされた考え方をする。しかし親親戚も自身の外見も完璧にベンガルである彼らの苦悩は、一世のものとは全く異なる。
母アショケはアメリカに渡った当初、家に引きこもりがちで、ベンガルの友人を得た後にインドの親戚のように招きもてなし合う関係を築いた。一方ゴーゴリたちは学校や職場で知り合うアメリカ人と集まって飲食や議論を共にするが、同じ賑やかなパーティーでもその本質は真逆だ。一見きらびやかなアメリカで、自身の中のインドとの折り合いをどこでつけるか、どちらを選ぶか、さらに異世界を選ぶか、その入り交じり具合も人によってほんとうに違っているのだということが、3代遡ってもみな日本生まれが当たり前の日常にいる私にはずっしりときた。
読了日:12月27日 著者:ジュンパ ラヒリ
アラビア遊牧民 (講談社文庫)の感想
1965年のサウジアラビア。ベドウィンの人々や生活、ラクダやスカラベの観察も興味深い。さて、アラビア遊牧民が"見返りを求めず"旅人を歓待する話、その真実は「海老で鯛を釣る」慣習であるという。食事や接待それ自体のお礼は絶対に受け取らないが、その後は見返りをもっとよこせという態度に豹変する。不確実な善意に頼っていては死んでしまう土地、それは厳しい自然を指すのではなく、歴史的に侵略と強奪が繰り返された土地ゆえに根付いた、他人を信用しないことを前提にした民族の集積知であるという考え方は、胸に刻みつけたい。
読了日:12月27日 著者:本多勝一
私の本棚 (新潮文庫)の感想
クリスマスイヴを小野さんのエッセイで過ごす。いやー、寄稿者の人選も好いし、本と本棚の話って熱いよな。本が身の周りに増えていくときの現象や、念願の本棚を手に入れて気づく真実はわりあい似ている。でもそこから導く在り様は人それぞれに多様だ。私は私がいつか手に入れる本棚の理想図を描きながら、本棚は読んだ本の背中でその人の姿を、積読本の山でその人の生きる望みを顕わすのだから、堂々といつも目に入るように手に取れるように置こうと決意した。今年の読書の締めくくりとしてふさわしかった。まだ読むけど。
今年の一箱古本市でお隣のブースになった方が、古書然とした本を並べておられたので、本職(古書店)の方ですかとお訊きしたら、「終活です」とお答えになったのが忘れられない。若い頃に大切に読んだ本も老眼が入れば読むものではなくもはや思い出であり、喜んでもらってくれるあてもない。1冊もらい受けようにもこちらも老眼に差し掛かる身で、当時の活字の小ささに怖じた。明日は我が身。溜め込むほど後が大変になるのは自明。それでも本にまつわる全ての記憶と、集めた本への執着、本を読む自分への希望は愛おしい。
読了日:12月25日 著者:
豆腐屋の四季―ある青春の記録 (講談社文庫)の感想
豆腐屋を継いだ著者は、朝日歌壇に投稿する歌人である。その縁でエッセイもものする。決して余裕のない生活の中で、暮らしに根差した想いたちは、夜業に差す月の光、早暁の冴え冴えとした空気、極寒に大豆を絞る湯気の中にありありと立ちのぼる。生活詠と呼ぶそうだ。俳句を趣味にしていた亡き祖母を想う。遺品からはできた句を書き留め添削したノート、メモ綴じ、裏紙の類が膨大に出てきた。著者と同じ、無学な自営の妻だった。だからこそこの記を愛おしく思うのかもしれない。草木花歳時記数冊と広辞苑のような厚さの大歳時記は私が貰い受けた。
読了日:12月23日 著者:松下 竜一
小説 すずめの戸締まり (角川文庫)の感想
映画という表現方法を持つ新海誠が、なぜ同時進行で小説を書く必要があったかと訝しみつつ読んだ。理由はあとがきにあった。それはそれで納得である。視覚的な描写、静/動のメリハリの効いた描写の多い小説である。ダイジンの造形はわかりやすいけれど、その役割を知って読み返すとずるい。扉があるのは、かつて人間の活動が盛んだった場所であるようだ。『ひとのてで もとにもどして』。黒く塗りつぶされた3月11日。当事者でないからこそ、それを忘れかけていること、忘れてはいけないと自らに警告する術を、私たちは望んでいるのだろうか。
天災による被害という意味では、阪神大震災も同じはずだ。しかし、当時の私が哀しみや憤りのなんたるかも知らなかった年頃であったこと、東日本大震災の場合は地震と津波と、原発の人災が重なったことで、私にとっては太平洋戦争の敗戦に匹敵する重さで脳底に鎮座している。いつまでも割り切ることのできない出来事として抱えておきたい。
読了日:12月22日 著者:新海 誠
日本の漁業が崩壊する本当の理由の感想
これも日本ジリ貧案件。水産物生産量は世界では増えており、日本では減っている。魚種によって事情が違うし、外国との兼ね合いもあるが、主因は日本が科学的根拠に基づく分析・管理できずに乱獲する点である。例えば2011年の震災後、三陸沖の魚は増えた。人間が獲らなければ魚は繁殖し増える。しかしそれを豊漁と根こそぎ獲ってしまえば元の魚の減った海に戻るわけで。ならば養殖すればよいかといえば餌は高騰の一途。輸入すればよいかといえば円安で日本は買い負けし始めており、回転寿司屋が立ち行かなくなるのも時間の問題と予測してみる。
スーパーの鮮魚売り場で「ホッケ小さいな」「サンマ細いな」「高くなったな」は判るが、安く売られている魚が、旬だからではなく、不漁なのでしかたなく旬じゃないものや獲り頃よりまだ小さいものを獲ってきてるからだなんて、私は知らなかった。だから美味しくないのだと。海の生態系を破壊する底曳き網を規制するなどは国がするべきことだが、面倒なことはしたがらないのがお家芸。国民が現状や解決策を知り、世論を醸成して国を突き上げるしか、日本を変える方法はないのだろう。漁業にまつわる問題はそこらじゅうにあるようだ。読んで良かった。
とりあえず、メディアが今年は豊漁とか不漁とか高いとか安いとかだけ報道するのは害でしかない。もっとちゃんと取材してほんとうのところを知らしめていただきたい。
読了日:12月19日 著者:片野 歩
アフリカ出身 サコ学長、日本を語るの感想
自分の学生時代、その過ごし方を「あれで正しかったのだろうか」と私は時々思い返す。何か間違っていたから、本来得られたはずのものを逃して、いま見えない壁を越えられずにいるんじゃないかという気がずっとしていた。前半はサコ学長の来歴、後半は教育・教育システム論。サコ学長の現状概観を読むと、私は日本の教育システムが設計したとおりに正しく過ごしたとしか言えないことに驚いた。「良い子」だったんやなあ…と嘆息する。ならば、気づいた時点で若者に胸を張れる不良中年になるのが解決策じゃろなあ。今の若者は息苦しそうだもの。
サコ学長の学生時代を読みながら、多様性や異文化への理解は、直に接しないと絶対にわからないと痛感した。私は日本の教育の中で、小さい頃から「みんな同じ」「みんな平等」と教わってきた。私はうかつにも、高校生になっても大学生になっても文字どおり「人間は大同小異」だと思っていた節がある。でも実は、他人は皆能力も志向も違っていて、無限の方向性があって、手を伸ばして得るものなんだってことに気づいたのはほんとうに最近のことだ。
読了日:12月14日 著者:ウスビ・サコ
体と心がラクになる「和」のウォーキング 芭蕉の“疲れない歩き方”でからだをゆるめて整える (祥伝社黄金文庫)の感想
安田先生の身体論×精神文化論とでも呼ぼうか。能やロルフィングの身体観に基づいた歩き方指南の本かと思いきや、日本人の身体の個性から話は古今の相撲における身体運用の違いへ、さらに「おくのほそ道」が"歌枕"を巡る歩き旅であったとの指摘、古典と現実を重ね合わせて楽しむ大名庭園の散歩法まで、安田先生のお話がいろいろ読めてお得。歳を取って能力に制限が加わることによってこそ、物事が新しく捉えられ、また興味深く感じることができる話が好きだが、元大相撲力士の一ノ矢さんも同意とか。歳を取ることが楽しみになってくる嬉しさよ。
読了日:12月12日 著者:安田登
その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱の感想
黒糖づくりや百姓、猟師など、現状を憂え、自身が信じたように行動する人たちが、ここには何人も出てくる。こういう動きを内田先生は希望と呼ぶのかな。農地付きの土地をなんとか買えないかと考えていた私にも参考になった(諦めた)。しかし後味は悪い。ここにはふたつ大きな問題があって、ひとつは農業を諦める人の土地売買の問題、ひとつは日本人らしい自治、日本的民主主義とは何かという問題である。妨害行為は違法だが、著者のやり方は褒められたもんじゃないとも私は思って、考え込んだ。唯一無二のお母さんの土がなんとか守られますように。
農地は農業従事者以外が買うことはできないし、買ったらそこには販売用の農作物をつくらなければならない。かといって農地転用した土地は宅地分の固定資産税を払えば自由になる訳ではなく、農作物をつくったり木を植えたりして住宅を建てずにいると指導される。これでは、放置か分譲住宅にするか太陽光パネルを敷き詰めるかしかないだろう。農地を農地として守る規制は大事だけれど、農地なり緑地なり他の方法でも、土のまま繋いでいくことはできないのだろうか。この仕組みは待った無しで変えていかなければ、ますます失われるばかりだ。
著者の行動は"筋"が通ってない。「男でないと」とあるが、性別の話ではない。さらに、住んでもいない、これまでに合議に参加したこともない若いもんが、経緯を脇に置いて論を吹っかけるなど、私でも鼻白む。それがわからない者が一人前に認められないのは当然すぎる。日本人の自治は、宮本常一が書いたように、古来定式がある。それを経た結論は、既に集団の総意だ。一方で、男ばかりの団体に所属している経験から言うと、男偏重の合議には変な暗黙の了解みたいなのもあって、健全な議論を阻害しがちなのも確かなので、変わっていくべきとも思う。
読了日:12月11日 著者:高橋久美子
また 身の下相談にお答えします (朝日文庫)の感想
にやにやと読む。家族の話題が多いなかでも夫婦の話が気に留まる。夫を『上下関係のもとで命令されつけているので、ことほどさように自発性のない生きもの』とまでは思わないが、旅行やゴルフのようなイベントを除くと、わりと画面の前で完結しているようにも思える。地域や趣味での居場所づくりのお膳立てはせっせと励んでおこう。また、生活を共にして何年も経つと同化してきたような気にもなるが、夫婦とは異文化共存、『異文化と共存するのは実は不愉快なもの』。諦めや苛立ちを抑えるんじゃなく、そこんとこ肚に落として向かい合いたいものだ。
読了日:12月10日 著者:上野千鶴子
白の闇 (河出文庫)の感想
視界が真っ白な闇に閉ざされる感染症が蔓延する。都市に暮らす者が皆盲目になったらどうなるかという思考実験である。閉ざされた集団で起こる事態はさもありうべき悲惨だが、では街は。社会システムの崩壊、物質社会の崩壊、モラルの崩壊、なにも生み出すことができない世界。視覚に頼って生きてきた人間は、目が見えないというそれだけで、自然に還ることもできずに汚穢をこびりつかせたまま残されたものを奪い合う。全ての目撃者であり、引率者としての役割を果たす医者の妻が、全てを引き受けてなお生きるしたたさの象徴として強い印象を残した。
荒廃しきった街。仮に再び目が見えるようになったとして、元に戻れるか。戻れるだろう。戻るのだ。人間のレジリエンス。生き残った者たちで、生きてゆくための社会をまた築く。それは、ただ今戦禍の下で生を繋ごうとしている人たちの姿、また戦争を経た後の国の姿として歴史に残されているとおりなのだと、現代を生きる私たちは知っている。
読了日:12月10日 著者:ジョゼ・サラマーゴ
比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)の感想
なんて一流な執事、ジーヴス。さらりと手をまわしてごたごたを解決してしまう手並みが楽しい。でも執事って隠居みたいな生活の若主人やその友人の窮地を救って小金をもらったり競馬や賭け事で儲けたり、するものだっけ? くすっと笑える、19世紀の手軽なシリーズ。しかしこれ、オーウェルもエリオットもクリスティも吉田健一も美智子上皇后さまも愛読者という有名なもの。実は深い教養が織り込まれているとか、毒がないとか、イギリス流のユーモアが楽しめるとか…? cozyな読み物の古典、といったところかな?
読了日:12月08日 著者:P.G. ウッドハウス
牙: アフリカゾウの「密猟組織」を追っての感想
辛い読書。サタオの雄姿と骸の写真を私は忘れまい。辛いのは、人間が今もカネのために、生態系循環に大きな役割を担うゾウを、生きたまま顔ごとえぐり取るようなやり方で虐殺し続けている事実。そして日本が今もアフリカゾウの絶滅過程に加担し続けている事実を突きつけられたからだ。ゾウから象牙を奪う行為はゾウを殺すことと同義。日本人がハンコにする象牙のために、アフリカゾウは絶滅しようとしている。その事実が世界の知るところとなった2016年の会議を経て2022年のワシントン条約締約国会議、日本は変わらず汚い主張を繰り広げた。
『一国でも象牙市場が存続し続ける限り、密猟者たちはアフリカゾウの虐殺を止めない。その存在を免罪符にして彼らはいつまでもゾウを殺すだろうし、象牙が生産される限り、中国はいくらでもそれらを買うだろう。日本人はそんな簡単なこともわからないのか』と関係者に言わしめたのが2016年。認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金による2022年11月のワシントン条約締約国会議@パナマのTwitterレポートを読む限り、全象牙市場の閉鎖を求める世界的な方向性に逆らい、日本政府は"徹底抗戦"し、日本市場は閉鎖していない。恥ずかしい。
読了日:12月05日 著者:三浦 英之
NORTH 北へ―アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道の感想
アパラチアントレイルを南から北へ踏破する。平地ではなく山道を走りたい、あるいは長く走りたい欲求は想像できなくもないが、のみならず、レース優勝や最速踏破記録更新への欲望は、とうてい理解できない。さらにジャーカーはヴィーガンだ。生体維持に必要なカロリーと走って消費するカロリーを食事でまかないきれない。みるみる痩せ、走るのに必要外の生体機能が低下し、やがて自分自身を食い尽くし始める。それでも走り続けるのは、曰く「闘いつづける自分への欲求」。そういえばトレランレースの出場者は、テレビ番組で見る限り年齢層が高めだ。
読了日:12月03日 著者:スコット・ジュレク
注:
は電子書籍で読んだ本。
スクショ保存してあるのを見返すと興味深い。
記憶にほとんど残っていない本がベスト3に入っていることもざらなら、
ベスト20のうち今も心のどこかで活きていると感じる本は5冊がいいところだったりする。
なにが根を生やし育つかわからないのだから、なんでも植えて(読んで)みるのが良いのだ。
とはいえ、私が気になった全ての本を読む時間は、私の人生にはもう無い。
なのに今月もたくさん買い込んだ。そろそろ読む本を選びなさいよという話である。
ちなみに今年のベスト20はこちら

<今月のデータ>
購入24冊、購入費用18,635円。
読了16冊。
積読本329冊(うちKindle本168冊、Honto本4冊)。

12月の読書メーター
読んだ本の数:16

もとはフリーペーパー企画。表紙にあるとおりながら、小説を翻訳した本人による紹介というところがいちばんの魅力です。あと、各巻頭のエッセイは国内の作家さんによるもので、こちらもそうそうたる面々で嬉しい。若い読書が想定されているとのことでヤングアダルトや少年文庫も多いなか、大人向けの本格ものもたくさんあって鼻息荒く物色した。惜しむらくは、翻訳ものあるあるで、絶版の嵐。。。刊行されて数年で文庫にもならず消えてしまうのは余りにもったいないことだ。悔しい。ていうか早く読め私。次作はタイムリーに読みます。
読了日:12月30日 著者:金原 瑞人,三辺 律子


永井陽右氏の活動の始まり。なぜ、国境なき医師団すら撤退したソマリアでなければならなかったか、という問いは既に無意味だろう。紛争解決の専門家の忠告よりも、渡航する度に得る手ごたえを糧に彼は前に進んだ。『ギャングと話せば話すほど、同じ時間を共有すればするほど、彼らが僕らと何も変わらない存在だと気づく』。信じた活動を10年続けた先に経験もスキルも学位も得た。彼は行けるところまで行くのだろう。自分が『人間としての責任』と認識する活動にどうすれば無関心な人たちを巻き込んでいけるのか、日々考える。真面目な人なのだ。
彼の論理では、ソマリアは世界でもっとも支援が必要な場所である。しかしそこは世界で最も死に近い場所である。死なずに続けられているのは幸運、だろう。内田先生との対談記事で、命を大事にと語りかける内田先生の言葉をスルーしているように読めるのが気にかかった。編集ならよいのだが。社会的な意義が大きいのは理解できる。ただ、殉教者にはなってほしくないと私も願っている。世界には、彼と同じように危険な地で活動に邁進する仲間がたくさんいるのだという。彼らや、ソマリアの仲間こそが、彼にとってのリアルなのだろうな。
知識もスキルも無い者が紛争地に行くべきではない。それが"常識的な"考え方だ。しかしそれに反して飛び込んでいく者たちがいて、私はそれを無謀と切って捨てるべきかと考え始める。そこには、人間が生きているのだ。例えば国内の活動で、政府も行政でもできないことを民間の有志が個人としてできる範囲のことをやっていくように、そこに人間が生きている限り、紛争地にも政府やNGOにはできないが個人にはできることがある、という考え方はできる。紛争自体は即時解決しなくても、何人かに生き延びる人生を生むことはできた、それが動力になる。
読了日:12月28日 著者:永井陽右


物語を読み終えて、ほっと息を吐いた。家族2世代の歴史の物理的時間は40年もない。ただ彼らの綿々と抱える想いが重たいのだ。インド人が家族を単位に考えるのに対し、アメリカ人は個人を単位に考える。『アメリカというところは、何事も行き当たりばったりで、真実味がない』。インドからアメリカに移り住んだ一世が物事の捉え方の違いに戸惑い、一世同士で伴侶を見つけるのに対し、アメリカで生まれた二世は段違いにアメリカナイズされた考え方をする。しかし親親戚も自身の外見も完璧にベンガルである彼らの苦悩は、一世のものとは全く異なる。
母アショケはアメリカに渡った当初、家に引きこもりがちで、ベンガルの友人を得た後にインドの親戚のように招きもてなし合う関係を築いた。一方ゴーゴリたちは学校や職場で知り合うアメリカ人と集まって飲食や議論を共にするが、同じ賑やかなパーティーでもその本質は真逆だ。一見きらびやかなアメリカで、自身の中のインドとの折り合いをどこでつけるか、どちらを選ぶか、さらに異世界を選ぶか、その入り交じり具合も人によってほんとうに違っているのだということが、3代遡ってもみな日本生まれが当たり前の日常にいる私にはずっしりときた。
読了日:12月27日 著者:ジュンパ ラヒリ

1965年のサウジアラビア。ベドウィンの人々や生活、ラクダやスカラベの観察も興味深い。さて、アラビア遊牧民が"見返りを求めず"旅人を歓待する話、その真実は「海老で鯛を釣る」慣習であるという。食事や接待それ自体のお礼は絶対に受け取らないが、その後は見返りをもっとよこせという態度に豹変する。不確実な善意に頼っていては死んでしまう土地、それは厳しい自然を指すのではなく、歴史的に侵略と強奪が繰り返された土地ゆえに根付いた、他人を信用しないことを前提にした民族の集積知であるという考え方は、胸に刻みつけたい。
読了日:12月27日 著者:本多勝一


クリスマスイヴを小野さんのエッセイで過ごす。いやー、寄稿者の人選も好いし、本と本棚の話って熱いよな。本が身の周りに増えていくときの現象や、念願の本棚を手に入れて気づく真実はわりあい似ている。でもそこから導く在り様は人それぞれに多様だ。私は私がいつか手に入れる本棚の理想図を描きながら、本棚は読んだ本の背中でその人の姿を、積読本の山でその人の生きる望みを顕わすのだから、堂々といつも目に入るように手に取れるように置こうと決意した。今年の読書の締めくくりとしてふさわしかった。まだ読むけど。
今年の一箱古本市でお隣のブースになった方が、古書然とした本を並べておられたので、本職(古書店)の方ですかとお訊きしたら、「終活です」とお答えになったのが忘れられない。若い頃に大切に読んだ本も老眼が入れば読むものではなくもはや思い出であり、喜んでもらってくれるあてもない。1冊もらい受けようにもこちらも老眼に差し掛かる身で、当時の活字の小ささに怖じた。明日は我が身。溜め込むほど後が大変になるのは自明。それでも本にまつわる全ての記憶と、集めた本への執着、本を読む自分への希望は愛おしい。
読了日:12月25日 著者:


豆腐屋を継いだ著者は、朝日歌壇に投稿する歌人である。その縁でエッセイもものする。決して余裕のない生活の中で、暮らしに根差した想いたちは、夜業に差す月の光、早暁の冴え冴えとした空気、極寒に大豆を絞る湯気の中にありありと立ちのぼる。生活詠と呼ぶそうだ。俳句を趣味にしていた亡き祖母を想う。遺品からはできた句を書き留め添削したノート、メモ綴じ、裏紙の類が膨大に出てきた。著者と同じ、無学な自営の妻だった。だからこそこの記を愛おしく思うのかもしれない。草木花歳時記数冊と広辞苑のような厚さの大歳時記は私が貰い受けた。
読了日:12月23日 著者:松下 竜一


映画という表現方法を持つ新海誠が、なぜ同時進行で小説を書く必要があったかと訝しみつつ読んだ。理由はあとがきにあった。それはそれで納得である。視覚的な描写、静/動のメリハリの効いた描写の多い小説である。ダイジンの造形はわかりやすいけれど、その役割を知って読み返すとずるい。扉があるのは、かつて人間の活動が盛んだった場所であるようだ。『ひとのてで もとにもどして』。黒く塗りつぶされた3月11日。当事者でないからこそ、それを忘れかけていること、忘れてはいけないと自らに警告する術を、私たちは望んでいるのだろうか。
天災による被害という意味では、阪神大震災も同じはずだ。しかし、当時の私が哀しみや憤りのなんたるかも知らなかった年頃であったこと、東日本大震災の場合は地震と津波と、原発の人災が重なったことで、私にとっては太平洋戦争の敗戦に匹敵する重さで脳底に鎮座している。いつまでも割り切ることのできない出来事として抱えておきたい。
読了日:12月22日 著者:新海 誠

これも日本ジリ貧案件。水産物生産量は世界では増えており、日本では減っている。魚種によって事情が違うし、外国との兼ね合いもあるが、主因は日本が科学的根拠に基づく分析・管理できずに乱獲する点である。例えば2011年の震災後、三陸沖の魚は増えた。人間が獲らなければ魚は繁殖し増える。しかしそれを豊漁と根こそぎ獲ってしまえば元の魚の減った海に戻るわけで。ならば養殖すればよいかといえば餌は高騰の一途。輸入すればよいかといえば円安で日本は買い負けし始めており、回転寿司屋が立ち行かなくなるのも時間の問題と予測してみる。
スーパーの鮮魚売り場で「ホッケ小さいな」「サンマ細いな」「高くなったな」は判るが、安く売られている魚が、旬だからではなく、不漁なのでしかたなく旬じゃないものや獲り頃よりまだ小さいものを獲ってきてるからだなんて、私は知らなかった。だから美味しくないのだと。海の生態系を破壊する底曳き網を規制するなどは国がするべきことだが、面倒なことはしたがらないのがお家芸。国民が現状や解決策を知り、世論を醸成して国を突き上げるしか、日本を変える方法はないのだろう。漁業にまつわる問題はそこらじゅうにあるようだ。読んで良かった。
とりあえず、メディアが今年は豊漁とか不漁とか高いとか安いとかだけ報道するのは害でしかない。もっとちゃんと取材してほんとうのところを知らしめていただきたい。
読了日:12月19日 著者:片野 歩


自分の学生時代、その過ごし方を「あれで正しかったのだろうか」と私は時々思い返す。何か間違っていたから、本来得られたはずのものを逃して、いま見えない壁を越えられずにいるんじゃないかという気がずっとしていた。前半はサコ学長の来歴、後半は教育・教育システム論。サコ学長の現状概観を読むと、私は日本の教育システムが設計したとおりに正しく過ごしたとしか言えないことに驚いた。「良い子」だったんやなあ…と嘆息する。ならば、気づいた時点で若者に胸を張れる不良中年になるのが解決策じゃろなあ。今の若者は息苦しそうだもの。
サコ学長の学生時代を読みながら、多様性や異文化への理解は、直に接しないと絶対にわからないと痛感した。私は日本の教育の中で、小さい頃から「みんな同じ」「みんな平等」と教わってきた。私はうかつにも、高校生になっても大学生になっても文字どおり「人間は大同小異」だと思っていた節がある。でも実は、他人は皆能力も志向も違っていて、無限の方向性があって、手を伸ばして得るものなんだってことに気づいたのはほんとうに最近のことだ。
読了日:12月14日 著者:ウスビ・サコ


安田先生の身体論×精神文化論とでも呼ぼうか。能やロルフィングの身体観に基づいた歩き方指南の本かと思いきや、日本人の身体の個性から話は古今の相撲における身体運用の違いへ、さらに「おくのほそ道」が"歌枕"を巡る歩き旅であったとの指摘、古典と現実を重ね合わせて楽しむ大名庭園の散歩法まで、安田先生のお話がいろいろ読めてお得。歳を取って能力に制限が加わることによってこそ、物事が新しく捉えられ、また興味深く感じることができる話が好きだが、元大相撲力士の一ノ矢さんも同意とか。歳を取ることが楽しみになってくる嬉しさよ。
読了日:12月12日 著者:安田登

黒糖づくりや百姓、猟師など、現状を憂え、自身が信じたように行動する人たちが、ここには何人も出てくる。こういう動きを内田先生は希望と呼ぶのかな。農地付きの土地をなんとか買えないかと考えていた私にも参考になった(諦めた)。しかし後味は悪い。ここにはふたつ大きな問題があって、ひとつは農業を諦める人の土地売買の問題、ひとつは日本人らしい自治、日本的民主主義とは何かという問題である。妨害行為は違法だが、著者のやり方は褒められたもんじゃないとも私は思って、考え込んだ。唯一無二のお母さんの土がなんとか守られますように。
農地は農業従事者以外が買うことはできないし、買ったらそこには販売用の農作物をつくらなければならない。かといって農地転用した土地は宅地分の固定資産税を払えば自由になる訳ではなく、農作物をつくったり木を植えたりして住宅を建てずにいると指導される。これでは、放置か分譲住宅にするか太陽光パネルを敷き詰めるかしかないだろう。農地を農地として守る規制は大事だけれど、農地なり緑地なり他の方法でも、土のまま繋いでいくことはできないのだろうか。この仕組みは待った無しで変えていかなければ、ますます失われるばかりだ。
著者の行動は"筋"が通ってない。「男でないと」とあるが、性別の話ではない。さらに、住んでもいない、これまでに合議に参加したこともない若いもんが、経緯を脇に置いて論を吹っかけるなど、私でも鼻白む。それがわからない者が一人前に認められないのは当然すぎる。日本人の自治は、宮本常一が書いたように、古来定式がある。それを経た結論は、既に集団の総意だ。一方で、男ばかりの団体に所属している経験から言うと、男偏重の合議には変な暗黙の了解みたいなのもあって、健全な議論を阻害しがちなのも確かなので、変わっていくべきとも思う。
読了日:12月11日 著者:高橋久美子


にやにやと読む。家族の話題が多いなかでも夫婦の話が気に留まる。夫を『上下関係のもとで命令されつけているので、ことほどさように自発性のない生きもの』とまでは思わないが、旅行やゴルフのようなイベントを除くと、わりと画面の前で完結しているようにも思える。地域や趣味での居場所づくりのお膳立てはせっせと励んでおこう。また、生活を共にして何年も経つと同化してきたような気にもなるが、夫婦とは異文化共存、『異文化と共存するのは実は不愉快なもの』。諦めや苛立ちを抑えるんじゃなく、そこんとこ肚に落として向かい合いたいものだ。
読了日:12月10日 著者:上野千鶴子


視界が真っ白な闇に閉ざされる感染症が蔓延する。都市に暮らす者が皆盲目になったらどうなるかという思考実験である。閉ざされた集団で起こる事態はさもありうべき悲惨だが、では街は。社会システムの崩壊、物質社会の崩壊、モラルの崩壊、なにも生み出すことができない世界。視覚に頼って生きてきた人間は、目が見えないというそれだけで、自然に還ることもできずに汚穢をこびりつかせたまま残されたものを奪い合う。全ての目撃者であり、引率者としての役割を果たす医者の妻が、全てを引き受けてなお生きるしたたさの象徴として強い印象を残した。
荒廃しきった街。仮に再び目が見えるようになったとして、元に戻れるか。戻れるだろう。戻るのだ。人間のレジリエンス。生き残った者たちで、生きてゆくための社会をまた築く。それは、ただ今戦禍の下で生を繋ごうとしている人たちの姿、また戦争を経た後の国の姿として歴史に残されているとおりなのだと、現代を生きる私たちは知っている。
読了日:12月10日 著者:ジョゼ・サラマーゴ

なんて一流な執事、ジーヴス。さらりと手をまわしてごたごたを解決してしまう手並みが楽しい。でも執事って隠居みたいな生活の若主人やその友人の窮地を救って小金をもらったり競馬や賭け事で儲けたり、するものだっけ? くすっと笑える、19世紀の手軽なシリーズ。しかしこれ、オーウェルもエリオットもクリスティも吉田健一も美智子上皇后さまも愛読者という有名なもの。実は深い教養が織り込まれているとか、毒がないとか、イギリス流のユーモアが楽しめるとか…? cozyな読み物の古典、といったところかな?
読了日:12月08日 著者:P.G. ウッドハウス


辛い読書。サタオの雄姿と骸の写真を私は忘れまい。辛いのは、人間が今もカネのために、生態系循環に大きな役割を担うゾウを、生きたまま顔ごとえぐり取るようなやり方で虐殺し続けている事実。そして日本が今もアフリカゾウの絶滅過程に加担し続けている事実を突きつけられたからだ。ゾウから象牙を奪う行為はゾウを殺すことと同義。日本人がハンコにする象牙のために、アフリカゾウは絶滅しようとしている。その事実が世界の知るところとなった2016年の会議を経て2022年のワシントン条約締約国会議、日本は変わらず汚い主張を繰り広げた。
『一国でも象牙市場が存続し続ける限り、密猟者たちはアフリカゾウの虐殺を止めない。その存在を免罪符にして彼らはいつまでもゾウを殺すだろうし、象牙が生産される限り、中国はいくらでもそれらを買うだろう。日本人はそんな簡単なこともわからないのか』と関係者に言わしめたのが2016年。認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金による2022年11月のワシントン条約締約国会議@パナマのTwitterレポートを読む限り、全象牙市場の閉鎖を求める世界的な方向性に逆らい、日本政府は"徹底抗戦"し、日本市場は閉鎖していない。恥ずかしい。
読了日:12月05日 著者:三浦 英之


アパラチアントレイルを南から北へ踏破する。平地ではなく山道を走りたい、あるいは長く走りたい欲求は想像できなくもないが、のみならず、レース優勝や最速踏破記録更新への欲望は、とうてい理解できない。さらにジャーカーはヴィーガンだ。生体維持に必要なカロリーと走って消費するカロリーを食事でまかないきれない。みるみる痩せ、走るのに必要外の生体機能が低下し、やがて自分自身を食い尽くし始める。それでも走り続けるのは、曰く「闘いつづける自分への欲求」。そういえばトレランレースの出場者は、テレビ番組で見る限り年齢層が高めだ。
読了日:12月03日 著者:スコット・ジュレク

注:

2022年12月01日
2022年11月の記録
すごい! 本が読めない! この私が!
溜まった疲れのうえに家の中の諸雑用で忙殺され、
ようやく本を手に取っても並ぶ文字を理解できない日が続く。
この感覚のまあ新鮮なこと。
ようやく休息も足り、時間ができ、ソファに寝そべって本を手に取ったのに、
それがハズレだったときのがっかり感よ。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用14,860円。
読了11冊。
積読本324冊(うちKindle本160冊、Honto本6冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:11
スタッキング可能の感想
『嘘ばっかり! 嘘ばっかり! ウォータープルーフ嘘ばっかり!』 ああもうすんごい生きづらそう。そんな不毛でしんどい日々をなんとか過ごしている人たちが今もいるんだなあ、と思って気づくのは、自分もそういう時期を経たのであり、歳を重ねるうちにようやく手放し、平和を手に入れた事実である。しかし今も都会のビル街でホワイトカラーとして働いていたなら、手放すこともできずに悶々と抱えていなきゃならんのかなあと思うと、やはり同情しきりだった。ここ10年を超えて化粧品売り場に足を踏み入れることのなかった、この平和を愛する。
読了日:11月27日 著者:松田 青子
ぼくの旅のあと先 (角川文庫)の感想
「本の旅人」連載。シーナさんが新たにどこかへ旅した、みたいな話ではなくて、これまで行った土地やエピソードを回顧するような、言ってみれば人生の総括に差しかかっているのかと寂しさを覚えた。さすがのシーナさんも痛風を患い、機内の小さなライトでは文庫本を読めなくなり、小樽の家も仕舞を余儀なくされた。少年すぎるエピソードも陰を帯びる。だけど積み重ねたものの趣は深く、読んで良かった。インドで牛肉に人気が無いからスパイスカレーに牛肉は入らないとか、人間はその土地に合った埋葬方法を編み出し儀式を整えるとか、なるほど納得。
読了日:11月27日 著者:椎名 誠
黒猫ネロの帰郷の感想
原題「ネロ・コルレオーネ」。生後6週目にしてこの傍若無人な振舞いよう、ネロの名は黒いからではなく暴君からのほうがしっくりくる。私の経験上(サンプル数3)、人間と暮らす黒猫は天然気質で愛くるしい性格なものだけど、著者の家の黒猫はそんなだったのかしらん。ネロはイタリアからドイツへ、ドイツからイタリアへと移住する。最後の老農夫とじっと見つめあう場面がとても好い。この老農夫、なんだかんだ言って面倒見が良くて、実はちゃんとわかってるんだなあ。農家の猫って猫の暮らしとしては理想的なんじゃないかしら。
読了日:11月27日 著者:エルケ ハイデンライヒ
瀬戸内海の発見―意味の風景から視覚の風景へ (中公新書)の感想
近代初頭、来日した西洋人たちは瀬戸内海を絶賛した。なかでも瀬戸内海を航行する船の上から見える景色を称賛したという。陸路より海路のほうが発達が早かった。波が穏やかなだけでなく、大小の島々、潮の流れる瀬戸、港町、段々畑、小舟が移ろいゆくのを船上から「動く風景」として愛でた。だから初まりは陸からの展望景や山上からの俯瞰景ではなかったのだ。『すべて島々の海中に浮てみゆるは、盆に水を湛へておもしろき石どもを入れをける如くにて』とは日本人の評だが、京都の石庭に通じるものがある。それが自ら動いたらそれは興深かろう。
近世までは、古典文学、また俳句や和歌に詠い継がれた地が日本人の見るすべき"観光地"であり、その様式化された風景を踏まえて表現をすることがステイタスだったのだろう。それ以外の景色は見向きされなかった。朝鮮通信使もまた九州から近畿へ抜ける航行で、中国文化に由来する漢詩チックな風景をもて囃した。だから、瀬戸内海の自然の風景が称賛されたというのは地学・地理学的知識を持った西洋人が来航し、国内を行き来するようになってからの話であり、日本の知識人がそれに影響され、広がったというのが実のところではないかと思う。
地元民にとって瀬戸内海は、愛着はあれど「ほんまに海か?」と茶化すような当たり前の存在である。私は長年、太平洋のほうが雄大で偉いと思ってきた。しかしこうまで評されると、なにやらかけがえのないものに思われてきた。料金の馬鹿高いガンツウも、インバウンド狙いの時代になるほどそういった客層を狙ってのものなのだと理解した。そのガンツウには乗れそうもない庶民である私は、年に一日だけ近畿から九州へ航行している「昼の瀬戸内海カジュアルクルーズ」を発見し、来年狙うことにした。わくわくする。読んでよかった。
読了日:11月26日 著者:西田 正憲
日本人の給料 (宝島社新書)の感想
専門家が解析してみせる日本の経済や政策の如何は理解しきれないのだが、政財界や外資系コンサルなどが煽ってなんとなく日本に充満している「今の常識」は耳に入れなくていいということはわかった。時代が変わろうと、日本の「良い企業」の条件は変わらない。肌感覚を鋭敏にし、世間の潮流には馬耳東風で構わない。とはいえ、資本主義による弊害と日本政府の失策による弊害は混然として、法律で雁字搦めになっている地方の中小企業にとって、これが会社にも従業員にもひいては客にも良いと言える仕組みはなかなか難しい。結局悩むしかないのだが。
読了日:11月25日 著者:浜 矩子,城 繁幸,野口 悠紀雄,ほか
ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)の感想
評判通りの面白さであっという間に読み終わってしまった。老いた男が元気なのは微笑ましいが、老いた女が元気なのは痛快だ。こんな老後を過ごしたい。無理だけど。あり得ないけど。舞台がディープサウスってのも、都会とは違った未知の要素てんこ盛りでわくわくする。ロマンス要素ももれなくついてて、続き読んじゃうなあ、これ。この調子で続々仕留めてたら、シリーズ終盤には町の人口半減してるんじゃないかと心配。
読了日:11月19日 著者:ジャナ・デリオン
ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いたの感想
「アマゾンの倉庫で絶望し、~」をふまえたようなタイトル。こちらは潜入ではなく取材、毎日新聞の連載だ。枚挙に暇無い社会問題の現地に斎藤幸平は出かけて行く。字数制限もあり、各々への所感はあっさりしている。思想家と自称する斎藤幸平は、自分が当事者でない、理不尽を振りかざす立場にないと自覚している。それでもこうして書く、自身の立ち位置への逡巡が巻末で吐露される。しかし自身結論するとおり、直接取材することで肌に感じ共有することには意味がある。加えて、実経験の積み重ねは斎藤幸平の言霊を育てるだろう。次作が楽しみです。
読了日:11月17日 著者:斎藤 幸平
ねじねじ録の感想
藤崎彩織はごく平均的な家庭で育った女性だ。学生時代や新しい家族の日々を描き、女性が抱える諸問題を考え、セカオワの裏話も書く。話題のバランスを配慮しているのが窺える。孤独を抱え、不眠に悩んだ時期が彼女にもある。負けず嫌いなのに悩み性だから今もねじねじする。それらがセカオワの曲に通底する祈りと希望に昇華しているのだと納得。ライブでのあの満ち足りた笑顔の裏側に数えきれない涙があると知れば、大切に思える曲も新たに増えたのは嬉しいボーナスだった。2019年のライブ前が実は解散の危機崖っぷちだった、なんて心臓に悪い。
読了日:11月12日 著者:藤崎 彩織
脳科学者の母が、認知症になる: 記憶を失うと、その人は“その人"でなくなるのか?の感想
認知症がいかに今の生活から地続きであることか。「認知症世界の歩き方」が、認知症を患った本人にとって世界がどのように変貌して見えるかだったのに対し、こちらは認知症と診断された家族が呈する症状への解釈の実践である。人間が知覚する情報量は膨大だ。それを取捨選択し、絞り込み、処理する能力は、脳機能の経年減退に伴い低減する。それは過度な疲労や泥酔時の自分のそれと同種ではないのか。泥酔と違い、回復することなく緩慢に進む症状と折り合うには、できることを自分のペースでやれている実感を本人に維持するのが大事と憶えておく。
『感情は、理性だけではとても対応できないような、不確実な状況で、なんとか人間を動かしてくれるシステム、意思決定をさせてくれるシステムなのである』。物事の理解能力が衰えても、感情的判断は正しいと著者は言う。理性よりも原始的な能力であるところの感情は、人間の生存を助けてきたからだ。健康な人と同じように尊重すべきだし、感情こそその人らしさと結論づけている。『感情は、生まれつきの個性であり、また、認知機能と同じように、その人の人生経験によって発達してきた能力であり、いまだに発達し続けている能力である』。
読了日:11月11日 著者:恩蔵絢子
化物園 (単行本)の感想
ん。これも、一貫した主題あって書かれた短編集じゃない感じ。ケシヨウ(化生?)の気配を感じるもの、感じないもの、人の性悪、ファンタジー、因果応報、ぶれぶれ。そのケシヨウすら、読みながら存在を忘れてしまうほどの存在感の薄さが、恒川さんの迷走を思わせる。「胡乱の山犬」が好きかな。そこここに暗闇と曖昧があった時代設定もさながら、「彼」の生涯が自然に呑まれる時を迎える展開が好きなのだ。恒川光太郎のなにが好きといって、単なる怪異譚ではない。現実とのズレ感が、空間的時間的に拡がりを持つとき、物語は永遠の性質を帯びる。
読了日:11月10日 著者:恒川 光太郎
ケアマネジャーはらはら日記の感想
先日祖母を見送った。施設に10年近く入っていた。5年前には娘の顔も忘れた。葬儀で伯母たちは「ケアマネさんが良い人でよかった」と言い合った。ケアマネージャーという仕事は小回りの効いた動きを求められ、精神的負担は想像をはるかに超えた。"目配り、気配り、心配り"。不安や困窮を抱えた老人やその家族が、生活に差配する他人に穏やかに接せるとは限らない。その心のケアもなんて大変すぎる。かつその報酬がケアプランの作成料だけとか。ケアする側も全員が心映えや各種処理能力のよくできた聖人ではなく、全てで当たり前ではないと自戒。
読了日:11月02日 著者:岸山真理子
注:
は電子書籍で読んだ本。
溜まった疲れのうえに家の中の諸雑用で忙殺され、
ようやく本を手に取っても並ぶ文字を理解できない日が続く。
この感覚のまあ新鮮なこと。
ようやく休息も足り、時間ができ、ソファに寝そべって本を手に取ったのに、
それがハズレだったときのがっかり感よ。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用14,860円。
読了11冊。
積読本324冊(うちKindle本160冊、Honto本6冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:11

『嘘ばっかり! 嘘ばっかり! ウォータープルーフ嘘ばっかり!』 ああもうすんごい生きづらそう。そんな不毛でしんどい日々をなんとか過ごしている人たちが今もいるんだなあ、と思って気づくのは、自分もそういう時期を経たのであり、歳を重ねるうちにようやく手放し、平和を手に入れた事実である。しかし今も都会のビル街でホワイトカラーとして働いていたなら、手放すこともできずに悶々と抱えていなきゃならんのかなあと思うと、やはり同情しきりだった。ここ10年を超えて化粧品売り場に足を踏み入れることのなかった、この平和を愛する。
読了日:11月27日 著者:松田 青子


「本の旅人」連載。シーナさんが新たにどこかへ旅した、みたいな話ではなくて、これまで行った土地やエピソードを回顧するような、言ってみれば人生の総括に差しかかっているのかと寂しさを覚えた。さすがのシーナさんも痛風を患い、機内の小さなライトでは文庫本を読めなくなり、小樽の家も仕舞を余儀なくされた。少年すぎるエピソードも陰を帯びる。だけど積み重ねたものの趣は深く、読んで良かった。インドで牛肉に人気が無いからスパイスカレーに牛肉は入らないとか、人間はその土地に合った埋葬方法を編み出し儀式を整えるとか、なるほど納得。
読了日:11月27日 著者:椎名 誠


原題「ネロ・コルレオーネ」。生後6週目にしてこの傍若無人な振舞いよう、ネロの名は黒いからではなく暴君からのほうがしっくりくる。私の経験上(サンプル数3)、人間と暮らす黒猫は天然気質で愛くるしい性格なものだけど、著者の家の黒猫はそんなだったのかしらん。ネロはイタリアからドイツへ、ドイツからイタリアへと移住する。最後の老農夫とじっと見つめあう場面がとても好い。この老農夫、なんだかんだ言って面倒見が良くて、実はちゃんとわかってるんだなあ。農家の猫って猫の暮らしとしては理想的なんじゃないかしら。
読了日:11月27日 著者:エルケ ハイデンライヒ

近代初頭、来日した西洋人たちは瀬戸内海を絶賛した。なかでも瀬戸内海を航行する船の上から見える景色を称賛したという。陸路より海路のほうが発達が早かった。波が穏やかなだけでなく、大小の島々、潮の流れる瀬戸、港町、段々畑、小舟が移ろいゆくのを船上から「動く風景」として愛でた。だから初まりは陸からの展望景や山上からの俯瞰景ではなかったのだ。『すべて島々の海中に浮てみゆるは、盆に水を湛へておもしろき石どもを入れをける如くにて』とは日本人の評だが、京都の石庭に通じるものがある。それが自ら動いたらそれは興深かろう。
近世までは、古典文学、また俳句や和歌に詠い継がれた地が日本人の見るすべき"観光地"であり、その様式化された風景を踏まえて表現をすることがステイタスだったのだろう。それ以外の景色は見向きされなかった。朝鮮通信使もまた九州から近畿へ抜ける航行で、中国文化に由来する漢詩チックな風景をもて囃した。だから、瀬戸内海の自然の風景が称賛されたというのは地学・地理学的知識を持った西洋人が来航し、国内を行き来するようになってからの話であり、日本の知識人がそれに影響され、広がったというのが実のところではないかと思う。
地元民にとって瀬戸内海は、愛着はあれど「ほんまに海か?」と茶化すような当たり前の存在である。私は長年、太平洋のほうが雄大で偉いと思ってきた。しかしこうまで評されると、なにやらかけがえのないものに思われてきた。料金の馬鹿高いガンツウも、インバウンド狙いの時代になるほどそういった客層を狙ってのものなのだと理解した。そのガンツウには乗れそうもない庶民である私は、年に一日だけ近畿から九州へ航行している「昼の瀬戸内海カジュアルクルーズ」を発見し、来年狙うことにした。わくわくする。読んでよかった。
読了日:11月26日 著者:西田 正憲

専門家が解析してみせる日本の経済や政策の如何は理解しきれないのだが、政財界や外資系コンサルなどが煽ってなんとなく日本に充満している「今の常識」は耳に入れなくていいということはわかった。時代が変わろうと、日本の「良い企業」の条件は変わらない。肌感覚を鋭敏にし、世間の潮流には馬耳東風で構わない。とはいえ、資本主義による弊害と日本政府の失策による弊害は混然として、法律で雁字搦めになっている地方の中小企業にとって、これが会社にも従業員にもひいては客にも良いと言える仕組みはなかなか難しい。結局悩むしかないのだが。
読了日:11月25日 著者:浜 矩子,城 繁幸,野口 悠紀雄,ほか


評判通りの面白さであっという間に読み終わってしまった。老いた男が元気なのは微笑ましいが、老いた女が元気なのは痛快だ。こんな老後を過ごしたい。無理だけど。あり得ないけど。舞台がディープサウスってのも、都会とは違った未知の要素てんこ盛りでわくわくする。ロマンス要素ももれなくついてて、続き読んじゃうなあ、これ。この調子で続々仕留めてたら、シリーズ終盤には町の人口半減してるんじゃないかと心配。
読了日:11月19日 著者:ジャナ・デリオン


「アマゾンの倉庫で絶望し、~」をふまえたようなタイトル。こちらは潜入ではなく取材、毎日新聞の連載だ。枚挙に暇無い社会問題の現地に斎藤幸平は出かけて行く。字数制限もあり、各々への所感はあっさりしている。思想家と自称する斎藤幸平は、自分が当事者でない、理不尽を振りかざす立場にないと自覚している。それでもこうして書く、自身の立ち位置への逡巡が巻末で吐露される。しかし自身結論するとおり、直接取材することで肌に感じ共有することには意味がある。加えて、実経験の積み重ねは斎藤幸平の言霊を育てるだろう。次作が楽しみです。
読了日:11月17日 著者:斎藤 幸平


藤崎彩織はごく平均的な家庭で育った女性だ。学生時代や新しい家族の日々を描き、女性が抱える諸問題を考え、セカオワの裏話も書く。話題のバランスを配慮しているのが窺える。孤独を抱え、不眠に悩んだ時期が彼女にもある。負けず嫌いなのに悩み性だから今もねじねじする。それらがセカオワの曲に通底する祈りと希望に昇華しているのだと納得。ライブでのあの満ち足りた笑顔の裏側に数えきれない涙があると知れば、大切に思える曲も新たに増えたのは嬉しいボーナスだった。2019年のライブ前が実は解散の危機崖っぷちだった、なんて心臓に悪い。
読了日:11月12日 著者:藤崎 彩織


認知症がいかに今の生活から地続きであることか。「認知症世界の歩き方」が、認知症を患った本人にとって世界がどのように変貌して見えるかだったのに対し、こちらは認知症と診断された家族が呈する症状への解釈の実践である。人間が知覚する情報量は膨大だ。それを取捨選択し、絞り込み、処理する能力は、脳機能の経年減退に伴い低減する。それは過度な疲労や泥酔時の自分のそれと同種ではないのか。泥酔と違い、回復することなく緩慢に進む症状と折り合うには、できることを自分のペースでやれている実感を本人に維持するのが大事と憶えておく。
『感情は、理性だけではとても対応できないような、不確実な状況で、なんとか人間を動かしてくれるシステム、意思決定をさせてくれるシステムなのである』。物事の理解能力が衰えても、感情的判断は正しいと著者は言う。理性よりも原始的な能力であるところの感情は、人間の生存を助けてきたからだ。健康な人と同じように尊重すべきだし、感情こそその人らしさと結論づけている。『感情は、生まれつきの個性であり、また、認知機能と同じように、その人の人生経験によって発達してきた能力であり、いまだに発達し続けている能力である』。
読了日:11月11日 著者:恩蔵絢子


ん。これも、一貫した主題あって書かれた短編集じゃない感じ。ケシヨウ(化生?)の気配を感じるもの、感じないもの、人の性悪、ファンタジー、因果応報、ぶれぶれ。そのケシヨウすら、読みながら存在を忘れてしまうほどの存在感の薄さが、恒川さんの迷走を思わせる。「胡乱の山犬」が好きかな。そこここに暗闇と曖昧があった時代設定もさながら、「彼」の生涯が自然に呑まれる時を迎える展開が好きなのだ。恒川光太郎のなにが好きといって、単なる怪異譚ではない。現実とのズレ感が、空間的時間的に拡がりを持つとき、物語は永遠の性質を帯びる。
読了日:11月10日 著者:恒川 光太郎

先日祖母を見送った。施設に10年近く入っていた。5年前には娘の顔も忘れた。葬儀で伯母たちは「ケアマネさんが良い人でよかった」と言い合った。ケアマネージャーという仕事は小回りの効いた動きを求められ、精神的負担は想像をはるかに超えた。"目配り、気配り、心配り"。不安や困窮を抱えた老人やその家族が、生活に差配する他人に穏やかに接せるとは限らない。その心のケアもなんて大変すぎる。かつその報酬がケアプランの作成料だけとか。ケアする側も全員が心映えや各種処理能力のよくできた聖人ではなく、全てで当たり前ではないと自戒。
読了日:11月02日 著者:岸山真理子

注:

2022年11月02日
2022年10月の記録
あらゆることが「大きく、早く」がよしとされる時代に、
読書も「たくさん、早く」と追い立てられているような気がする。
メディアやSNSであれば一歩引いて構えられる私も読書は例外である。
そうでなくても歳と共に時間の流れが速く感じられるようになってきている。
ゆっくり深く読むのが読書の醍醐味と知っていても、
飢えたように紙面に食い入ってしまう秋。
<今月のデータ>
購入9冊、購入費用6,496円。
読了17冊。
積読本319冊(うちKindle本156冊、Honto本6冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:17
アメリカがカルトに乗っ取られた! 中絶禁止、銃は野放し、暴走する政教分離の感想
ドラマ「SWAT」を観ていると、社会の諸問題が日本にあり得ないレベルで盛り込まれていて、そういえば町山さんが言ってたよなあ、と思い出す。多様ゆえの摩擦を直視し、より公平であろうとする人々と、貧困や教育を受ける権利のはく奪によりそれを受け入れることができない人々、多様性に飲み込まれまいと既得権益を振りかざす人々が取り上げられている。町山さん自身のSFとの出会いから始まる「オタク差別をやめろ」がエッセイとして秀逸。何かを深く愛するって素敵なことだ。笑いに乗せて伝えるって高度な技だ。聞こえましたか、文春さん?
アメリカの民主党と共和党の関係を、日本の自民党と野党の関係に照らし合わせてみると、民主主義の制度を基盤とする限り同じ問題を抱えているとわかる。しかし、今の世界的なインフレ圧力下において、なにもかもが極端な方向に動こうとするなかで、アメリカでは民主党から共和党に主導権が移行しそうなのに対し、日本では自民党が劣勢に立たされつつも野党が常軌を逸した動きで支持を失っているように見え、結果自民党優位が保たれるのではないかと危惧される。総じて、未来が明るいとは、どうしても思えないのだ。
読了日:10月31日 著者:町山 智浩
すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)の感想
この世界に登場したジョンが好ましく見える。それは一見ユートピアを模しながら、かつ人々が別段不満を持っていないにもかかわらず、読む私が息苦しさを感じる性質のものだからだろう。私はディストピア小説を街中で読むのが好きだ。現実の世界が小説の世界のようではないことにほっとすると同時に、現実の世界に小説の世界の要素を感じ取って眩惑するのを好む。自然、揺らぎ、不確定さ、自ら何かを創り上げることの達成感、喜び。そういった実感を深く味わって私たちは生きているだろうか? 覚悟を持ち得なかったバーナードのふるまいを笑えるか?
読了日:10月30日 著者:オルダス ハクスリー
古(いにしえ)の武術に学ぶ無意識のちから - 広大な潜在能力の世界にアクセスする“フロー"への入り口 - (ワニプラス)の感想
『人間の運命は完ぺきに決まっていて、完璧に自由である』。若い頃に得た直観以降、求道者として甲野先生の気に留まった世間の事柄や、一般的な認識に反する事象、身体のありようについてたくさんの所見が述べられている。武術に限らない。自分の意志では発揮できない能力や、意識で知覚できないために現実を超越したもののように感じられる事象が遍在すると知ること、それを拡げる方向へ自分の身体を置くようにすることは大事だ。人間即ち自然の摂理。「三脈」は憶えておいて、なんかヤバいなと思ったら必ずやる。ズレたら駄目。念のため。
読了日:10月28日 著者:甲野 善紀,前野 隆司
植物はそこまで知っている: 感覚に満ちた世界に生きる植物たち (河出文庫)の感想
植物には脳も神経もない。だからといって、芽を出し、生長し、花を咲かせ、種をつくって枯れる機能を持った機械ではない。植物は…人間が生体を表わす言葉では表現しづらい。擬人化では、誤ったニュアンスが人間側に返ってくる。だからこの本の「知っている(know)」は言い得て妙だと感心した。研究では植物の持つ能力を知るために、通常の植物のほか、化学薬品に晒してDNA変異を誘発した植物を用いて比較検証などの実験をするそうだ。見る、嗅ぐ、感じる、聞く、憶える…。彼らが生きるために、必要な能力だ。でも、やっぱり不思議な感じ。
読了日:10月22日 著者:ダニエル・チャモヴィッツ
トラックドライバーにも言わせて (新潮新書)の感想
聞いて初めて、知らなかったと自覚する事柄が世界にはたくさんある。日本の運送業界は需要の増大につれて問題を混迷させている。これを読んでからというもの数日、道行く大型トラックを珍しいものでも見つけたかのように観察してしまう。そもそもの大型トラックの仕組みすら知らなかったのだ。エアブレーキの特性、荷積みの難しさ、車体を止める技術、死角。急ブレーキをかければとんでもない破壊力を持つからこそ、ドライバーは客や周りの自家用車らの無理解と横暴にブチ切れることなく、マナーを守り、命を削る。これはなんとかせんといかんで。
読了日:10月20日 著者:橋本 愛喜(はしもと あいき)
半農半林で暮らしを立てる―資金ゼロからのIターン田舎暮らし入門の感想
何の技能も持たないまま、人間社会の行く末を憂えて、農林業従事者へ転身。人が事を始めるのに遅すぎることはないという考えに賛成だが、無鉄砲という名の踏み切りの良さを体力気力で補える若さはこのケースには必要である。林業、除雪、米づくりを柱にした設計。意識高いところから入っているので、米づくりは手植え・手刈りから入り、必要を実感しては小型、より大型の農機具へ切り替える遠回り加減に好感。これは売る米の量など、本人の目的と農地面積によって違ってくるだろう。自分の身体を使って、改めて得る種苗法や農薬への考えが興味深い。
読了日:10月17日 著者:市井 晴也
【2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位】ザリガニの鳴くところの感想
カイアとテイト。カイアとチェイス。あるいはジャンピン。人が他者に近づく、人が他者を受け入れる、人が他者と生きていくとは、と原初的な問いが絶えず浮かぶのは、カイアの孤独ゆえである。あまりに切ない境遇と引き換えにカイアが得たのは大いなる自然との一体感。潟湖の生態系がこんなに豊かとは知らなかった。自然の中にいるカイアはずっと見ていたいほど自由で美しかった。潟湖や海の景色が心象と寄り添ったり歯向かったりと、雄大に物語る。カイアは40年近くをこのうえなく幸せに生きた。そう信じることが、私にいちばんの満足感を与える。
貝殻の伏線も劇的に回収される。カイアがしたことは裏切りだろうか? カイアが独学で得た生物学の知識が、彼女の行動を方向づけたことは間違いない。『命の時計の針が動きつづけている限り、そこには醜いものなど何ひとつないように思えた。これは自然界の暗い側面などではなく、何としても困難を乗り越えるために編み出された方策なのだ。それが人間となれば、もっとたくさんの策を講じたとしても不思議はないだろう』。絵も詩も、得たものは全て生きることを助けた。それが人間社会のルールに沿うかどうかは、結果論なのだと思った。
「潟湖」が何回辞書で確認しても読み方を憶えられず、読み終えた今も怪しいので書いておく。"せきこ"。つい"かたこ"と読んでしまう…。
読了日:10月16日 著者:ディーリア・オーエンズ
アジア未知動物紀行 ベトナム・奄美・アフガニスタン (講談社文庫)の感想
あれれ。私、これ好きだな。いつも高野さんが探しに出かけている外国のだと、「ああ、未知生物ね。UMAね。」とそのまんま受け取ってしまうのだけれど、奄美となると生物のような精霊のようなあやかしのような、微妙な差を肌に感じる(気がする)のは不思議な現象だ。キジムナーもケンモンもいるよ。だって会った人がいるんだしさ。白いヤギもそうじゃない?と信じる人の気持ちにぐっと近づくことができる(気がする)。それでいて、奄美方言は異国的でもあって、ぞくっとする。アフガニスタンもこれはこれで鮮やかな視界の転回が興味深い。
読了日:10月13日 著者:高野 秀行
母の記憶に (ケン・リュウ短篇傑作集3)の感想
ハードボイルドなSFも書けるケン・リュウいいね! こちらは東洋風味控えめの短編集。来たるべき未来への不安を突くような「ループの中で」と「残されし者」を印象深く受け取る自分を憂鬱に眺める。一方は戦争。科学技術が進んでも人間が攻撃するのは人間。人殺しに加担した呵責は、相対した者にも、安全な場所から無人機を操る者にも、遠隔操作するAIを設計した者にも等しく圧しかかる。無間地獄。他方は未来潰えた人類の姿。技術進歩はおろか退却しかない暗黒世界に子孫を遺して、私たちは死ぬのか。子孫の賢さ? 問題はそこではない。
読了日:10月11日 著者:ケン リュウ
鶴川日記 (PHP文芸文庫)の感想
夫妻が鶴川村の武相荘を入手したいきさつや暮らしを知りたくて。少しなのが残念。正子さんは田舎暮らしを愛しており、夫君も自らあれこれ手掛け、近隣の人々の助けをも得、さほどの波風なく収まったように受け取れる。戦時下でもあり、華族も農民も現代人とは胆力の桁が違う、と言うべきか。日本において華族の人々が日本文化に果たす役割を思う。富と時間と教養を持った好事家、また研究者として、技術や知識を次世代に伝えねば、日本の価値あるものはぼろぼろと失われてしまう。役割なのだ。また、祖父母の逸話が印象深い。まさしく激動の時代。
『おもうに、維新と名づける破天荒な事業は、祖父が封建武士から陸軍の将官へ、更に海軍提督へと何の躊躇もなく転身したように、過去も未来も打ち捨てて、ひたすら現実の中に飛びこむことのできた人々だけに可能な革命であった。悲しいことに、それは為しとげなければ国が危うい止むに止まれぬ勢いであった。』
読了日:10月11日 著者:白洲 正子
食べられる庭図鑑の感想
この気軽さが好み。庭と畑を区別しない混植スタイル、雑草は抜きすぎないし落ち葉は春まで除かない。気軽に植え、育つものは育て、失敗したら試行錯誤して、その植物とのつき合いかたは自分が決める方式。種は必要なぶんを採取し、残りは庭にばらまくか人にあげる。思わぬところから芽が出るの、いいよなあ。根っこ付きの細ネギや豆苗を植えるのははもちろん、食べた野菜や果物から出てきた種もぽいっと庭に投げて、『種は芽を出したいはず』と待つ。家庭菜園は本職の農家とは違うのだから、きれいな実をたくさんなんて肩肘張らずに楽しめるといい。
読了日:10月10日 著者:良原リエ
入れ子の水は月に轢かれ (ハヤカワ文庫JA JAオ 16-1)の感想
沖縄復帰50周年に、沖縄ミステリ。沖縄には地上だけでなく地下にも、複雑で根深い歴史が絡みついている。米軍と日本政府に翻弄された時代と、毎年台風に晒される沖縄、生き抜いたおじいやおばあの過去が事件のベースとなる。『国って平気でグァーシーするのさ』。鶴子おばあは喋りに喋る。ところどころ何を言っているか私にはわからない言葉の奥に、不屈のエネルギーを感じる。著者が妙齢の女性と知って驚いた。謎の性質上、意外だったのだが、女だってしたたかでなければ生き抜けなかった時代のことは、そら書いとかななあ。
読了日:10月08日 著者:オーガニック ゆうき
小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常の感想
小さな本屋さんの存在感が年々増していると感じる。店なんて物と金が出入りするだけの場所だと思ってきたからか、この歳になって小さな本屋さんに出会って、本屋という静かな磁場に、変わらず迎えてくれる店主がいることを、ありがたいことだなあと思う。知らない本が並んでいる棚、という意味では、我が家の積読棚も同じだ。本屋さんと同じように静かで豊かで魅力的かと目を遣り、安心する。眺めているだけで知らず時が経つ。まだ読んでいない本でも今必要でない本でも、そこにあるだけで既に仕事をはたしているという言葉に同意して満ち足りる。
読了日:10月04日 著者:辻山 良雄
認知症世界の歩き方の感想
母が認知症に足を突っ込みかけているので、先回りして知っておこうと思った。なにぶん自分の非を認めることができず、私のせいにする習慣が既に構築されている。確認できたのは、症状は人によって違うこと。周りが違和感を持つ行動には理由があること。本人が誰より混乱していること。かといって理不尽になじられて腹を立てないほど人間出来ていないので処しようを知りたかったが、本人の中で起きる事象がメイン。本人が混乱を起こしにくい環境を整えること。いずれ、本人も家族も知っている方がより良い。本人含め、家族で回し読みすることにした。
読了日:10月04日 著者:筧 裕介
新・台湾の主張 (PHP新書)の感想
2016年、蔡英文が総統に選ばれる直前の著。台湾の戦後史と、台湾という国家の形態、日本との関係について。50年間の統治という名の占領をしでかした日本を、好意的に扱ってくれる台湾人は少なくない。"犬"の後に"豚"が来たから相対的に評価が上がったのもあろうが、それだけじゃない、それはいったい何だろうと考え続けている。李登輝は新渡戸稲造の産業振興と八田與一の治水事業、後藤新平の統治運営改革が台湾を底上げしたと評している。その李登輝の政治的手腕、心理的誘導による部分は大きいと察せられるが、それだけが真実ではない。
読了日:10月03日 著者:李 登輝
日本のヤバい女の子 覚醒編 (角川文庫)の感想
日本の古典文学や説話に登場する女性の、置かれた立場や投げ込まれる理不尽を、当人の気持ちを想像して味わう趣向。著者は文学や文化の研究者ではない。しかしずらりと並ぶ巻末の参考文献を見るに、読みはじめたら面白かったんだろうなあ。古代・中世の日本人は、現代人と違う発声で意思疎通したと聞く。私が古典に手が出ないのは、今生きている私と隔絶された「日本」の人々に、理解や共感を持つことが難しいと思っているからだ。習俗も隣国並みに違う。その段差を踏み倒して彼女ら"ヤバい女の子"に想いを寄せる著者は、パワフルかつ情緒豊かだ。
読了日:10月02日 著者:はらだ 有彩
皮膚の下の頭蓋骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫 129-2)の感想
孤島の城、クローズドサークル。前作は序章だったのか。と納得しかける程、バーニイの遺したものや革ベルトを糧として、若きコーデリアが本領を発揮する。すなわち観察力の高さもさながら、臆することなく年輩と対等に渡り合い、楽しませることができる知性と教養の発露が眩しい。読むこちらにまったく教養が足りてないのが残念なれど、アイヴォとの対話など読んでいて楽しい。紋切り型の対応と質問でしか事件と相対することができない警察とは対照的である。アクションシーンあり、漁師の男の子との胸キュンシーンあり、良いミステリでした。
読了日:10月01日 著者:P.D.ジェイムズ
注:
は電子書籍で読んだ本。
読書も「たくさん、早く」と追い立てられているような気がする。
メディアやSNSであれば一歩引いて構えられる私も読書は例外である。
そうでなくても歳と共に時間の流れが速く感じられるようになってきている。
ゆっくり深く読むのが読書の醍醐味と知っていても、
飢えたように紙面に食い入ってしまう秋。
<今月のデータ>
購入9冊、購入費用6,496円。
読了17冊。
積読本319冊(うちKindle本156冊、Honto本6冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:17

ドラマ「SWAT」を観ていると、社会の諸問題が日本にあり得ないレベルで盛り込まれていて、そういえば町山さんが言ってたよなあ、と思い出す。多様ゆえの摩擦を直視し、より公平であろうとする人々と、貧困や教育を受ける権利のはく奪によりそれを受け入れることができない人々、多様性に飲み込まれまいと既得権益を振りかざす人々が取り上げられている。町山さん自身のSFとの出会いから始まる「オタク差別をやめろ」がエッセイとして秀逸。何かを深く愛するって素敵なことだ。笑いに乗せて伝えるって高度な技だ。聞こえましたか、文春さん?
アメリカの民主党と共和党の関係を、日本の自民党と野党の関係に照らし合わせてみると、民主主義の制度を基盤とする限り同じ問題を抱えているとわかる。しかし、今の世界的なインフレ圧力下において、なにもかもが極端な方向に動こうとするなかで、アメリカでは民主党から共和党に主導権が移行しそうなのに対し、日本では自民党が劣勢に立たされつつも野党が常軌を逸した動きで支持を失っているように見え、結果自民党優位が保たれるのではないかと危惧される。総じて、未来が明るいとは、どうしても思えないのだ。
読了日:10月31日 著者:町山 智浩


この世界に登場したジョンが好ましく見える。それは一見ユートピアを模しながら、かつ人々が別段不満を持っていないにもかかわらず、読む私が息苦しさを感じる性質のものだからだろう。私はディストピア小説を街中で読むのが好きだ。現実の世界が小説の世界のようではないことにほっとすると同時に、現実の世界に小説の世界の要素を感じ取って眩惑するのを好む。自然、揺らぎ、不確定さ、自ら何かを創り上げることの達成感、喜び。そういった実感を深く味わって私たちは生きているだろうか? 覚悟を持ち得なかったバーナードのふるまいを笑えるか?
読了日:10月30日 著者:オルダス ハクスリー


『人間の運命は完ぺきに決まっていて、完璧に自由である』。若い頃に得た直観以降、求道者として甲野先生の気に留まった世間の事柄や、一般的な認識に反する事象、身体のありようについてたくさんの所見が述べられている。武術に限らない。自分の意志では発揮できない能力や、意識で知覚できないために現実を超越したもののように感じられる事象が遍在すると知ること、それを拡げる方向へ自分の身体を置くようにすることは大事だ。人間即ち自然の摂理。「三脈」は憶えておいて、なんかヤバいなと思ったら必ずやる。ズレたら駄目。念のため。
読了日:10月28日 著者:甲野 善紀,前野 隆司

植物には脳も神経もない。だからといって、芽を出し、生長し、花を咲かせ、種をつくって枯れる機能を持った機械ではない。植物は…人間が生体を表わす言葉では表現しづらい。擬人化では、誤ったニュアンスが人間側に返ってくる。だからこの本の「知っている(know)」は言い得て妙だと感心した。研究では植物の持つ能力を知るために、通常の植物のほか、化学薬品に晒してDNA変異を誘発した植物を用いて比較検証などの実験をするそうだ。見る、嗅ぐ、感じる、聞く、憶える…。彼らが生きるために、必要な能力だ。でも、やっぱり不思議な感じ。
読了日:10月22日 著者:ダニエル・チャモヴィッツ


聞いて初めて、知らなかったと自覚する事柄が世界にはたくさんある。日本の運送業界は需要の増大につれて問題を混迷させている。これを読んでからというもの数日、道行く大型トラックを珍しいものでも見つけたかのように観察してしまう。そもそもの大型トラックの仕組みすら知らなかったのだ。エアブレーキの特性、荷積みの難しさ、車体を止める技術、死角。急ブレーキをかければとんでもない破壊力を持つからこそ、ドライバーは客や周りの自家用車らの無理解と横暴にブチ切れることなく、マナーを守り、命を削る。これはなんとかせんといかんで。
読了日:10月20日 著者:橋本 愛喜(はしもと あいき)


何の技能も持たないまま、人間社会の行く末を憂えて、農林業従事者へ転身。人が事を始めるのに遅すぎることはないという考えに賛成だが、無鉄砲という名の踏み切りの良さを体力気力で補える若さはこのケースには必要である。林業、除雪、米づくりを柱にした設計。意識高いところから入っているので、米づくりは手植え・手刈りから入り、必要を実感しては小型、より大型の農機具へ切り替える遠回り加減に好感。これは売る米の量など、本人の目的と農地面積によって違ってくるだろう。自分の身体を使って、改めて得る種苗法や農薬への考えが興味深い。
読了日:10月17日 著者:市井 晴也

カイアとテイト。カイアとチェイス。あるいはジャンピン。人が他者に近づく、人が他者を受け入れる、人が他者と生きていくとは、と原初的な問いが絶えず浮かぶのは、カイアの孤独ゆえである。あまりに切ない境遇と引き換えにカイアが得たのは大いなる自然との一体感。潟湖の生態系がこんなに豊かとは知らなかった。自然の中にいるカイアはずっと見ていたいほど自由で美しかった。潟湖や海の景色が心象と寄り添ったり歯向かったりと、雄大に物語る。カイアは40年近くをこのうえなく幸せに生きた。そう信じることが、私にいちばんの満足感を与える。
貝殻の伏線も劇的に回収される。カイアがしたことは裏切りだろうか? カイアが独学で得た生物学の知識が、彼女の行動を方向づけたことは間違いない。『命の時計の針が動きつづけている限り、そこには醜いものなど何ひとつないように思えた。これは自然界の暗い側面などではなく、何としても困難を乗り越えるために編み出された方策なのだ。それが人間となれば、もっとたくさんの策を講じたとしても不思議はないだろう』。絵も詩も、得たものは全て生きることを助けた。それが人間社会のルールに沿うかどうかは、結果論なのだと思った。
「潟湖」が何回辞書で確認しても読み方を憶えられず、読み終えた今も怪しいので書いておく。"せきこ"。つい"かたこ"と読んでしまう…。
読了日:10月16日 著者:ディーリア・オーエンズ


あれれ。私、これ好きだな。いつも高野さんが探しに出かけている外国のだと、「ああ、未知生物ね。UMAね。」とそのまんま受け取ってしまうのだけれど、奄美となると生物のような精霊のようなあやかしのような、微妙な差を肌に感じる(気がする)のは不思議な現象だ。キジムナーもケンモンもいるよ。だって会った人がいるんだしさ。白いヤギもそうじゃない?と信じる人の気持ちにぐっと近づくことができる(気がする)。それでいて、奄美方言は異国的でもあって、ぞくっとする。アフガニスタンもこれはこれで鮮やかな視界の転回が興味深い。
読了日:10月13日 著者:高野 秀行


ハードボイルドなSFも書けるケン・リュウいいね! こちらは東洋風味控えめの短編集。来たるべき未来への不安を突くような「ループの中で」と「残されし者」を印象深く受け取る自分を憂鬱に眺める。一方は戦争。科学技術が進んでも人間が攻撃するのは人間。人殺しに加担した呵責は、相対した者にも、安全な場所から無人機を操る者にも、遠隔操作するAIを設計した者にも等しく圧しかかる。無間地獄。他方は未来潰えた人類の姿。技術進歩はおろか退却しかない暗黒世界に子孫を遺して、私たちは死ぬのか。子孫の賢さ? 問題はそこではない。
読了日:10月11日 著者:ケン リュウ

夫妻が鶴川村の武相荘を入手したいきさつや暮らしを知りたくて。少しなのが残念。正子さんは田舎暮らしを愛しており、夫君も自らあれこれ手掛け、近隣の人々の助けをも得、さほどの波風なく収まったように受け取れる。戦時下でもあり、華族も農民も現代人とは胆力の桁が違う、と言うべきか。日本において華族の人々が日本文化に果たす役割を思う。富と時間と教養を持った好事家、また研究者として、技術や知識を次世代に伝えねば、日本の価値あるものはぼろぼろと失われてしまう。役割なのだ。また、祖父母の逸話が印象深い。まさしく激動の時代。
『おもうに、維新と名づける破天荒な事業は、祖父が封建武士から陸軍の将官へ、更に海軍提督へと何の躊躇もなく転身したように、過去も未来も打ち捨てて、ひたすら現実の中に飛びこむことのできた人々だけに可能な革命であった。悲しいことに、それは為しとげなければ国が危うい止むに止まれぬ勢いであった。』
読了日:10月11日 著者:白洲 正子


この気軽さが好み。庭と畑を区別しない混植スタイル、雑草は抜きすぎないし落ち葉は春まで除かない。気軽に植え、育つものは育て、失敗したら試行錯誤して、その植物とのつき合いかたは自分が決める方式。種は必要なぶんを採取し、残りは庭にばらまくか人にあげる。思わぬところから芽が出るの、いいよなあ。根っこ付きの細ネギや豆苗を植えるのははもちろん、食べた野菜や果物から出てきた種もぽいっと庭に投げて、『種は芽を出したいはず』と待つ。家庭菜園は本職の農家とは違うのだから、きれいな実をたくさんなんて肩肘張らずに楽しめるといい。
読了日:10月10日 著者:良原リエ

沖縄復帰50周年に、沖縄ミステリ。沖縄には地上だけでなく地下にも、複雑で根深い歴史が絡みついている。米軍と日本政府に翻弄された時代と、毎年台風に晒される沖縄、生き抜いたおじいやおばあの過去が事件のベースとなる。『国って平気でグァーシーするのさ』。鶴子おばあは喋りに喋る。ところどころ何を言っているか私にはわからない言葉の奥に、不屈のエネルギーを感じる。著者が妙齢の女性と知って驚いた。謎の性質上、意外だったのだが、女だってしたたかでなければ生き抜けなかった時代のことは、そら書いとかななあ。
読了日:10月08日 著者:オーガニック ゆうき


小さな本屋さんの存在感が年々増していると感じる。店なんて物と金が出入りするだけの場所だと思ってきたからか、この歳になって小さな本屋さんに出会って、本屋という静かな磁場に、変わらず迎えてくれる店主がいることを、ありがたいことだなあと思う。知らない本が並んでいる棚、という意味では、我が家の積読棚も同じだ。本屋さんと同じように静かで豊かで魅力的かと目を遣り、安心する。眺めているだけで知らず時が経つ。まだ読んでいない本でも今必要でない本でも、そこにあるだけで既に仕事をはたしているという言葉に同意して満ち足りる。
読了日:10月04日 著者:辻山 良雄


母が認知症に足を突っ込みかけているので、先回りして知っておこうと思った。なにぶん自分の非を認めることができず、私のせいにする習慣が既に構築されている。確認できたのは、症状は人によって違うこと。周りが違和感を持つ行動には理由があること。本人が誰より混乱していること。かといって理不尽になじられて腹を立てないほど人間出来ていないので処しようを知りたかったが、本人の中で起きる事象がメイン。本人が混乱を起こしにくい環境を整えること。いずれ、本人も家族も知っている方がより良い。本人含め、家族で回し読みすることにした。
読了日:10月04日 著者:筧 裕介

2016年、蔡英文が総統に選ばれる直前の著。台湾の戦後史と、台湾という国家の形態、日本との関係について。50年間の統治という名の占領をしでかした日本を、好意的に扱ってくれる台湾人は少なくない。"犬"の後に"豚"が来たから相対的に評価が上がったのもあろうが、それだけじゃない、それはいったい何だろうと考え続けている。李登輝は新渡戸稲造の産業振興と八田與一の治水事業、後藤新平の統治運営改革が台湾を底上げしたと評している。その李登輝の政治的手腕、心理的誘導による部分は大きいと察せられるが、それだけが真実ではない。
読了日:10月03日 著者:李 登輝


日本の古典文学や説話に登場する女性の、置かれた立場や投げ込まれる理不尽を、当人の気持ちを想像して味わう趣向。著者は文学や文化の研究者ではない。しかしずらりと並ぶ巻末の参考文献を見るに、読みはじめたら面白かったんだろうなあ。古代・中世の日本人は、現代人と違う発声で意思疎通したと聞く。私が古典に手が出ないのは、今生きている私と隔絶された「日本」の人々に、理解や共感を持つことが難しいと思っているからだ。習俗も隣国並みに違う。その段差を踏み倒して彼女ら"ヤバい女の子"に想いを寄せる著者は、パワフルかつ情緒豊かだ。
読了日:10月02日 著者:はらだ 有彩


孤島の城、クローズドサークル。前作は序章だったのか。と納得しかける程、バーニイの遺したものや革ベルトを糧として、若きコーデリアが本領を発揮する。すなわち観察力の高さもさながら、臆することなく年輩と対等に渡り合い、楽しませることができる知性と教養の発露が眩しい。読むこちらにまったく教養が足りてないのが残念なれど、アイヴォとの対話など読んでいて楽しい。紋切り型の対応と質問でしか事件と相対することができない警察とは対照的である。アクションシーンあり、漁師の男の子との胸キュンシーンあり、良いミステリでした。
読了日:10月01日 著者:P.D.ジェイムズ

注:
