2020年07月02日
2020年6月の記録
一箱古本市に出店した。
華やかな場所で楽しかったが、売上げは楽しくなかった。
服やアクセサリーや、その他誘惑の多い場所では特に、
本を物色する行為に惹かれる人はそう多くない。
あと、もっとたくさんブースがあるほうがいいみたいだ。

<今月のデータ>
購入18冊、購入費用12,442円。
読了13冊。
積読本211冊(うちKindle本94冊)。

6月の読書メーター
読んだ本の数:15
リンゴが教えてくれたこと 日経プレミアシリーズの感想
前に読んだのを忘れて買ってしまった。しかし面白いのでもう一度読む。『お米はイネに実るのです。リンゴはリンゴの木に実るのです。人間には米一粒、リンゴ一個も実らないのです』。農業は本当に大変な仕事だと尊敬している。しかし肥料や農薬を使うのは、効率化の為であり、体が楽だからであり、実は思考停止でもあるのだと、木村さんの言葉を聞くたび思う。自然に真剣に向き合う日々は壮絶だ。同時に豊かだ。肥料や農薬がなくても山の草木が繁茂するように、人間も肥料や農薬無しに命の糧を充分得ることができる。私もそういう考え方でありたい。
読了日:06月27日 著者:木村 秋則
【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたちの感想
この本は2つの事実を指摘する。まず、AIにできるのは論理、確率、統計のデータ処理であり、シンギュラリティは絶対に起きない点。次に、日本の多くの若者の文章読解能力が教科書を読めないレベルにある点。しかし確実に日本の従事する労働の業種や職種は様変わりし、あらゆる単純作業や士業のようなおよそ事務的な処理はAI技術に奪われる。ただ、そこからの推論は著者の守備範囲外だ。人間にしかできない仕事は世に溢れている。絶対にAIが敵わないのは、人間が自然の一部であることだ。感覚を使う仕事が人間に戻ってくると私は期待している。
物事の意味を理解しないAIよりも低く、さらにはランダムよりも低いのが、中高生を対象にしたRST調査の正答率。それが意味するものは何だろう。昔の学生と比較してみることは叶わないが、この試験結果が今の若者の教科書読解力を示すならば、これだけの割合いるものを「障害」とは呼べない。とすれば義務教育の形に原因があると推測してみたい。問題を解くことよりも、短時間で処理することよりも、物事を読み解く能力を育てることを皆に意識させる教育に解を見いだせないだろうか。
真の世界と確率を混同することで技術は進歩する。しかしそれは他分野の研究者が行うことであって、数学者には許容できない事だという述懐が興味深かった。『意図や意味などの観測できないものは無視して、確率と統計を意図的に混同する』ことができるかできないか。数学はいろんな技術の基盤となるものだけれど、純粋に数学を信じる故に、このあいまいな人間世界に直接的に役立つことは、数学の世界では起きづらいのだろう。
読了日:06月26日 著者:新井 紀子
【Amazon.co.jp 限定】1冊ですべて身につくHTML & CSSとWebデザイン入門講座 (DL特典: CSS Flexbox チートシート)の感想
会社のサイトのリニューアルを計画する。HTML5時代になり、Flexboxレイアウトが主流になり、トップに写真をどどんと広げる構成がトレンドであり、スマホでの検索が多くなればレスポンシブ対応も必須である。時代遅れになった元サイトを下敷きにコーディングしていく。一度つくったことがある私にはわかりやすく、変な癖もなく、スマートな書き方だと感じた。それなりなものができそう。無料で利用できる機能も多々紹介されている。便利な時代になったものだ。ウェブサイトでも役立ち情報をアップされているので、併せてお勧めする。
読了日:06月26日 著者:Mana
茶色の朝の感想
安田菜津紀さんがブログで触れていた本。数ページの寓話。「なにが」や「どうして」は明らかにされないのだが、一見害のなさそうな法の成立によって平穏だった二人の周りはみるみるきな臭くなり、最後には自分で命を守るか、国の為政者に怯えて暮らすかを余儀なくされる。一見無害の法律。しかし為政者が成立させようとする裏には、大きな意図があるものだ。今、日本の与党がどさくさ紛れに成立させようとしている法律はそんなのだらけだ。高校の授業に取り入れて、この危機を察する術を教えるべきだと思う。じゃなきゃ生きることすら危うくなるよ。
その法律はなんと「茶色のペット以外は飼ってはいけない」なのである。それがあのような結末になるとは誰も想像できない。しかし、なぜ「茶色のペット以外は飼ってはいけない」が法律として必要とされるのかを考え、為政者に問い質し、真意を突き詰めて反対を表明することは、民主国家なら国民皆に与えられた権利であり、こんなきな臭い世の中ではもはや義務なんだと私は思う。
読了日:06月23日 著者:フランク パヴロフ,ヴィンセント ギャロ,藤本 一勇,高橋 哲哉
漫画 君たちはどう生きるかの感想
原作を読んだときも思ったのだったか、中学生コペル君のおじさんって独身青年なんだな。幼き者が世界の真実に矢継ぎ早に目覚めていく様を、自身に子供があれば目の当たりにするのだろうが、大人の眼には最早奇跡だ。若き叔父も甥に触発されて走り始めるという物語が画で好く描かれている。上野千鶴子が言っていたように、叔父と甥のようなナナメの関係は、直の親子関係とは違った意味合いを持てるのだそうで、私も姪との間にこんな関係を持てたりするのだろうか。今から根気よく刷り込んでおかないといかんなあ。頁に描かれた手の表現が細かい。
読了日:06月22日 著者:吉野源三郎
北極海へ (文春文庫)の感想
マッケンジー川を下る。floating life。カヌーに乗ったまま川を一日中流れっぱなしなんて、まさに男の旅。長い時間ぼーっとする贅沢は釣りに似て、私みたいな忙し屋には耐えられないだろう。でも『すべての幸福も不幸も自分のせい』という自由には憧れる。死に至る決断をしたとしても、他人の行動を禁止する権利は誰にもない。そこが日本と決定的に違う。そしてその無限の決断と引き換えに、この上なく美しいものに出合うのだ。極地の『地球上の流木が全部集まっているかのよう』な海岸を想像する。その青く燃える火を想像する。いい。
インディアンやエスキモーと日本人はよく似ている。狩猟民族であるインディアン/エスキモーと主に農耕民族である日本人の生活様式は全然違うのだけど、なんか似ている。だから、裏表の存在であるような、欧米人にはない余情が生まれる。
読了日:06月21日 著者:野田 知佑
私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏の感想
私の読みたい本が少なくても、これからの若者の為にはリアル書店環境が大切と、できるだけ地元書店で本を買うようにしてきた。しかし平台一等地に堂々置かれたヘイト本あるいは歴史修正主義者による本は、目障りで仕方なかった。そんなもやもやの中で手に取った本。結論としては、その類の本がもし無神経また無思慮に配置されるのならば、もうそこで買うのをやめると決めた。書店には配慮する義務があるが、私がそこで買わない選択をすることは自由だ。私はアイヒマンには同情しない。そこに良心があるか、置き場のニュアンスを注視することにする。
それにしても売れるから企画する、売れるから配本する、売れるから売り場に置く。売れれば儲け、売れなかったら返本するだけのこと。積みあがった駄本の山よ。私が思っていたほど出版界にモラルなんて無かったんだなとがっくりきた。いや、今もあるところにはあると知ってる。そういう存在をもっともっと大切にしよう。
読了日:06月15日 著者:永江朗
蟹工船・党生活者 (新潮文庫)の感想
人を人と思わぬ搾取は、現代の派遣契約労働者に似ていると言って言い過ぎでもないだろう。本人の事情に構うことなく、一部の資本家に生計を握られる。こんなことが本当に現実かと驚き、疑い、目を逸らし、やがて怒りがうねる。搾取への反発が新たな社会活動を誘うさま。日々生きることに汲々としながら、共産主義に惹かれてゆく流れを、私は感情で理解した。おそらく意図的にぶつ切りにされた文章のリズムは、北の荒い波であり、社会運動に拙く傾いていった時代の人々の意志なのだろう。一方、党生活とは人々の強かさでありつつ、なんとも痛い。
読了日:06月13日 著者:小林 多喜二
文庫 手の治癒力 (草思社文庫)の感想
この本を買う時、書店の店主と「今回の新型コロナによって、こういった手の触れ合いはより忌避されるようになるのでは」という話をしたのだった。現状は少なくともそうだ。人が寄り集まる場所ほど急拡大し、接触を避ける日々は人間への呪いのようだ。今必要なのに。人の肌に触れることは「互いに支え-必要とされる」関係の証明であり、「自分は生きて存在している」確認と同時に「ひとりで生きているのではない」確認である。生命力の向上は自己治癒能力の発現として現れる。科学的解明も進んでいる。身近な人にはいっぱい触れようと改めて決める。
アルゼンチンにある洞窟「クエバ・デ・ラス・マノス」の壁画を見てみたい。まるで「手当て」賛歌のような存在感には、ヒポクラテスも現代医学も負けるわ。
読了日:06月13日 著者:山口 創
イトウの恋 (講談社文庫)の感想
小説家ってすごいな。イザベラ・バードのあの著述から恋物語を描き出す想像力。私が日本紀行を読んだ印象では、バードは日本人の貧相な体つきや不潔を忌むのは無論、無自覚な卑しさをも嫌っていた。伊藤も例外ではなく、更には打算的で思い上がった性根を、バードは嫌ったと読んだ。どころかバードが伊藤に好意を持ったなど、伊藤にちっとも親愛を持てない私には無理だった。でも、少なくともずっと連れて歩いたのだから、可能性は無くもないのか。すでに出来上がった印象とは恐ろしい。成績は悪いかもしれないが素直で成長株のまこっちゃんが癒し。
読了日:06月12日 著者:中島 京子
霧の山稜 (1959年)の感想
読むタイミングが悪いか。山荘とか山道とか、せめて屋外で読んだら心に響くかもしれないけれども、家の中にこもっているとするする読んでしまう。服部文祥氏がこの本を推し本に挙げていたので読みたくなったのだった。どの辺に熱中したのかな。この頃の山行は、自由でいいなあ。今みたいに小うるさく言う部外者も無く、晴れてもずぶ濡れになっても滑落しても、全て自分だけの大切な記憶。『美しい裾野を語りつつ歩いた。頂を踏まぬ山行は、何だか忘れものをしたようだ。それでも常に山は楽しい』。
読了日:06月09日 著者:加藤 泰三
地球環境問題がよくわかる本の感想
環境問題全般の解説書。原発問題や国家間のあれこれについても一般的な表記に留めているようにみえるが、若者に伝えておかねばならない事項がたくさんある中では、一つ一つのトピックは短くならざるを得ない。世界で起きている事と身近な事を結び付けて考えられるよう“地球にやさしく暮らそう”があったり、猿のイラストが怒っていたり、工夫が詰め込まれている。著者はおそらく親子だろう。1963年から環境問題の研究を始めたと奥付にあるから、もう60年弱も日本の環境問題を見続けた思いが行間に滲むようで感じ入ってしまった。おすすめ。
読了日:06月09日 著者:浦野紘平,浦野真弥
上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)の感想
お二人とも本音を隠さないので、古市氏の発言に上野先生と一緒に呆れつつ、面白く読んだ。現在の日本は、戦後からの各世代が自らの為に創り上げた社会基盤に拠っている。マジョリティかつ今も強者である男性が既得権益を守れるように制度ができている。介護保険など、世の女性が徐々に勝ち得てきた様々は有難く享受する。その上で、今に不満があるなら、変える義務を負うのは今を生きる者であるとの指摘を胸に刻みたい。『政治の領域と、私生活の領域をリンクする仕組みが社会に用意されていないのは、問題だと思』う彼の認識を、私は笑えない。
ツイッターを流し見れば社会への批判が溢れ返っている。そのつぶやきが多くの同意を得ているとどこか安心するし、リツイートなどでなにかした気になる。でもそれは解決につながる行為であっても、まず解決ではない。少し引いて、自分の中で消化して、そのそもそもの問題点と解決策を模索するところまでが必要だ。大勢が模索しているうちに新しい展望が生まれて、起きるムーブメントに賛同して、アクションを起こす。小さなアクションが積み重なって、よりよい「普通」が生まれる。『変化っていうのは、そうやって少しずつ、起きるものなんだよ』。
「家族のいない年寄りは、本当にみじめの一言だった」時代はついこの間まであった。そこに、上野先生が"おひとりさま"という言葉で独り者の立ち位置を変えたことは、私にとっても有難いことだった。それでも弱者に変わりない独り者、女性、若者は、共感を武器に連帯することができる。上野先生は、他者とつるむのが好きではないとしながら、女性同士共感し、連帯しながら社会に関わり続けてきた。そこは矛盾しないという確認を新たにする。逆にそのくらい強く共感を持てる分野ならば、多少人づきあいが嫌いでもやれるのではないか。
読了日:06月08日 著者:上野千鶴子,古市憲寿
魔法のコンパス 道なき道の歩き方の感想
センスが良い。未来を読んで今行動するセンス。叩かれ慣れのおかげか、考えが世間様に縛られておらず、かつ昔ながらの肌感覚と現代のネットツールを合わせ技で発想することに長けている。言葉の選び方も面白い。クラウドファンディングを『一人の大富豪ではなく、インターネットを介して大勢の方に少額のパトロンになっていただく』と表現する辺り、自身を広義の芸人として、往時における道化や芸術家になぞらえてみせるようで絶妙だ。「空気を読む」行為についても書いているが、この人は海原に漕ぎ出て、吹く風の先を読んでいるみたいだ。
読了日:06月04日 著者:西野 亮廣
うきわねこの感想
お父さんお母さんに内緒で、おじいちゃんとっていうのが、いいんだなあ。女子と男子ではおじいちゃんとの距離も違うのだろうか。お出かけとか、釣りとか、秘密を分け合うとか、おじいちゃんとできることっていろいろあるんだな。身近には、90歳を超えてなおかくしゃくとした夫の祖父、初めて祖父となった私の父、幾人もの「おじいちゃん」がいる。わけても、未明に独り逝った私の祖父に、最近の自分自身がよく似た言動をすると気づいたことが連想された。
読了日:06月04日 著者:蜂飼 耳
注:
はKindleで読んだ本。
華やかな場所で楽しかったが、売上げは楽しくなかった。
服やアクセサリーや、その他誘惑の多い場所では特に、
本を物色する行為に惹かれる人はそう多くない。
あと、もっとたくさんブースがあるほうがいいみたいだ。

<今月のデータ>
購入18冊、購入費用12,442円。
読了13冊。
積読本211冊(うちKindle本94冊)。

6月の読書メーター
読んだ本の数:15

前に読んだのを忘れて買ってしまった。しかし面白いのでもう一度読む。『お米はイネに実るのです。リンゴはリンゴの木に実るのです。人間には米一粒、リンゴ一個も実らないのです』。農業は本当に大変な仕事だと尊敬している。しかし肥料や農薬を使うのは、効率化の為であり、体が楽だからであり、実は思考停止でもあるのだと、木村さんの言葉を聞くたび思う。自然に真剣に向き合う日々は壮絶だ。同時に豊かだ。肥料や農薬がなくても山の草木が繁茂するように、人間も肥料や農薬無しに命の糧を充分得ることができる。私もそういう考え方でありたい。
読了日:06月27日 著者:木村 秋則

この本は2つの事実を指摘する。まず、AIにできるのは論理、確率、統計のデータ処理であり、シンギュラリティは絶対に起きない点。次に、日本の多くの若者の文章読解能力が教科書を読めないレベルにある点。しかし確実に日本の従事する労働の業種や職種は様変わりし、あらゆる単純作業や士業のようなおよそ事務的な処理はAI技術に奪われる。ただ、そこからの推論は著者の守備範囲外だ。人間にしかできない仕事は世に溢れている。絶対にAIが敵わないのは、人間が自然の一部であることだ。感覚を使う仕事が人間に戻ってくると私は期待している。
物事の意味を理解しないAIよりも低く、さらにはランダムよりも低いのが、中高生を対象にしたRST調査の正答率。それが意味するものは何だろう。昔の学生と比較してみることは叶わないが、この試験結果が今の若者の教科書読解力を示すならば、これだけの割合いるものを「障害」とは呼べない。とすれば義務教育の形に原因があると推測してみたい。問題を解くことよりも、短時間で処理することよりも、物事を読み解く能力を育てることを皆に意識させる教育に解を見いだせないだろうか。
真の世界と確率を混同することで技術は進歩する。しかしそれは他分野の研究者が行うことであって、数学者には許容できない事だという述懐が興味深かった。『意図や意味などの観測できないものは無視して、確率と統計を意図的に混同する』ことができるかできないか。数学はいろんな技術の基盤となるものだけれど、純粋に数学を信じる故に、このあいまいな人間世界に直接的に役立つことは、数学の世界では起きづらいのだろう。
読了日:06月26日 著者:新井 紀子


会社のサイトのリニューアルを計画する。HTML5時代になり、Flexboxレイアウトが主流になり、トップに写真をどどんと広げる構成がトレンドであり、スマホでの検索が多くなればレスポンシブ対応も必須である。時代遅れになった元サイトを下敷きにコーディングしていく。一度つくったことがある私にはわかりやすく、変な癖もなく、スマートな書き方だと感じた。それなりなものができそう。無料で利用できる機能も多々紹介されている。便利な時代になったものだ。ウェブサイトでも役立ち情報をアップされているので、併せてお勧めする。
読了日:06月26日 著者:Mana

安田菜津紀さんがブログで触れていた本。数ページの寓話。「なにが」や「どうして」は明らかにされないのだが、一見害のなさそうな法の成立によって平穏だった二人の周りはみるみるきな臭くなり、最後には自分で命を守るか、国の為政者に怯えて暮らすかを余儀なくされる。一見無害の法律。しかし為政者が成立させようとする裏には、大きな意図があるものだ。今、日本の与党がどさくさ紛れに成立させようとしている法律はそんなのだらけだ。高校の授業に取り入れて、この危機を察する術を教えるべきだと思う。じゃなきゃ生きることすら危うくなるよ。
その法律はなんと「茶色のペット以外は飼ってはいけない」なのである。それがあのような結末になるとは誰も想像できない。しかし、なぜ「茶色のペット以外は飼ってはいけない」が法律として必要とされるのかを考え、為政者に問い質し、真意を突き詰めて反対を表明することは、民主国家なら国民皆に与えられた権利であり、こんなきな臭い世の中ではもはや義務なんだと私は思う。
読了日:06月23日 著者:フランク パヴロフ,ヴィンセント ギャロ,藤本 一勇,高橋 哲哉

原作を読んだときも思ったのだったか、中学生コペル君のおじさんって独身青年なんだな。幼き者が世界の真実に矢継ぎ早に目覚めていく様を、自身に子供があれば目の当たりにするのだろうが、大人の眼には最早奇跡だ。若き叔父も甥に触発されて走り始めるという物語が画で好く描かれている。上野千鶴子が言っていたように、叔父と甥のようなナナメの関係は、直の親子関係とは違った意味合いを持てるのだそうで、私も姪との間にこんな関係を持てたりするのだろうか。今から根気よく刷り込んでおかないといかんなあ。頁に描かれた手の表現が細かい。
読了日:06月22日 著者:吉野源三郎

マッケンジー川を下る。floating life。カヌーに乗ったまま川を一日中流れっぱなしなんて、まさに男の旅。長い時間ぼーっとする贅沢は釣りに似て、私みたいな忙し屋には耐えられないだろう。でも『すべての幸福も不幸も自分のせい』という自由には憧れる。死に至る決断をしたとしても、他人の行動を禁止する権利は誰にもない。そこが日本と決定的に違う。そしてその無限の決断と引き換えに、この上なく美しいものに出合うのだ。極地の『地球上の流木が全部集まっているかのよう』な海岸を想像する。その青く燃える火を想像する。いい。
インディアンやエスキモーと日本人はよく似ている。狩猟民族であるインディアン/エスキモーと主に農耕民族である日本人の生活様式は全然違うのだけど、なんか似ている。だから、裏表の存在であるような、欧米人にはない余情が生まれる。
読了日:06月21日 著者:野田 知佑

私の読みたい本が少なくても、これからの若者の為にはリアル書店環境が大切と、できるだけ地元書店で本を買うようにしてきた。しかし平台一等地に堂々置かれたヘイト本あるいは歴史修正主義者による本は、目障りで仕方なかった。そんなもやもやの中で手に取った本。結論としては、その類の本がもし無神経また無思慮に配置されるのならば、もうそこで買うのをやめると決めた。書店には配慮する義務があるが、私がそこで買わない選択をすることは自由だ。私はアイヒマンには同情しない。そこに良心があるか、置き場のニュアンスを注視することにする。
それにしても売れるから企画する、売れるから配本する、売れるから売り場に置く。売れれば儲け、売れなかったら返本するだけのこと。積みあがった駄本の山よ。私が思っていたほど出版界にモラルなんて無かったんだなとがっくりきた。いや、今もあるところにはあると知ってる。そういう存在をもっともっと大切にしよう。
読了日:06月15日 著者:永江朗

人を人と思わぬ搾取は、現代の派遣契約労働者に似ていると言って言い過ぎでもないだろう。本人の事情に構うことなく、一部の資本家に生計を握られる。こんなことが本当に現実かと驚き、疑い、目を逸らし、やがて怒りがうねる。搾取への反発が新たな社会活動を誘うさま。日々生きることに汲々としながら、共産主義に惹かれてゆく流れを、私は感情で理解した。おそらく意図的にぶつ切りにされた文章のリズムは、北の荒い波であり、社会運動に拙く傾いていった時代の人々の意志なのだろう。一方、党生活とは人々の強かさでありつつ、なんとも痛い。
読了日:06月13日 著者:小林 多喜二

この本を買う時、書店の店主と「今回の新型コロナによって、こういった手の触れ合いはより忌避されるようになるのでは」という話をしたのだった。現状は少なくともそうだ。人が寄り集まる場所ほど急拡大し、接触を避ける日々は人間への呪いのようだ。今必要なのに。人の肌に触れることは「互いに支え-必要とされる」関係の証明であり、「自分は生きて存在している」確認と同時に「ひとりで生きているのではない」確認である。生命力の向上は自己治癒能力の発現として現れる。科学的解明も進んでいる。身近な人にはいっぱい触れようと改めて決める。
アルゼンチンにある洞窟「クエバ・デ・ラス・マノス」の壁画を見てみたい。まるで「手当て」賛歌のような存在感には、ヒポクラテスも現代医学も負けるわ。
読了日:06月13日 著者:山口 創

小説家ってすごいな。イザベラ・バードのあの著述から恋物語を描き出す想像力。私が日本紀行を読んだ印象では、バードは日本人の貧相な体つきや不潔を忌むのは無論、無自覚な卑しさをも嫌っていた。伊藤も例外ではなく、更には打算的で思い上がった性根を、バードは嫌ったと読んだ。どころかバードが伊藤に好意を持ったなど、伊藤にちっとも親愛を持てない私には無理だった。でも、少なくともずっと連れて歩いたのだから、可能性は無くもないのか。すでに出来上がった印象とは恐ろしい。成績は悪いかもしれないが素直で成長株のまこっちゃんが癒し。
読了日:06月12日 著者:中島 京子


読むタイミングが悪いか。山荘とか山道とか、せめて屋外で読んだら心に響くかもしれないけれども、家の中にこもっているとするする読んでしまう。服部文祥氏がこの本を推し本に挙げていたので読みたくなったのだった。どの辺に熱中したのかな。この頃の山行は、自由でいいなあ。今みたいに小うるさく言う部外者も無く、晴れてもずぶ濡れになっても滑落しても、全て自分だけの大切な記憶。『美しい裾野を語りつつ歩いた。頂を踏まぬ山行は、何だか忘れものをしたようだ。それでも常に山は楽しい』。
読了日:06月09日 著者:加藤 泰三

環境問題全般の解説書。原発問題や国家間のあれこれについても一般的な表記に留めているようにみえるが、若者に伝えておかねばならない事項がたくさんある中では、一つ一つのトピックは短くならざるを得ない。世界で起きている事と身近な事を結び付けて考えられるよう“地球にやさしく暮らそう”があったり、猿のイラストが怒っていたり、工夫が詰め込まれている。著者はおそらく親子だろう。1963年から環境問題の研究を始めたと奥付にあるから、もう60年弱も日本の環境問題を見続けた思いが行間に滲むようで感じ入ってしまった。おすすめ。
読了日:06月09日 著者:浦野紘平,浦野真弥

お二人とも本音を隠さないので、古市氏の発言に上野先生と一緒に呆れつつ、面白く読んだ。現在の日本は、戦後からの各世代が自らの為に創り上げた社会基盤に拠っている。マジョリティかつ今も強者である男性が既得権益を守れるように制度ができている。介護保険など、世の女性が徐々に勝ち得てきた様々は有難く享受する。その上で、今に不満があるなら、変える義務を負うのは今を生きる者であるとの指摘を胸に刻みたい。『政治の領域と、私生活の領域をリンクする仕組みが社会に用意されていないのは、問題だと思』う彼の認識を、私は笑えない。
ツイッターを流し見れば社会への批判が溢れ返っている。そのつぶやきが多くの同意を得ているとどこか安心するし、リツイートなどでなにかした気になる。でもそれは解決につながる行為であっても、まず解決ではない。少し引いて、自分の中で消化して、そのそもそもの問題点と解決策を模索するところまでが必要だ。大勢が模索しているうちに新しい展望が生まれて、起きるムーブメントに賛同して、アクションを起こす。小さなアクションが積み重なって、よりよい「普通」が生まれる。『変化っていうのは、そうやって少しずつ、起きるものなんだよ』。
「家族のいない年寄りは、本当にみじめの一言だった」時代はついこの間まであった。そこに、上野先生が"おひとりさま"という言葉で独り者の立ち位置を変えたことは、私にとっても有難いことだった。それでも弱者に変わりない独り者、女性、若者は、共感を武器に連帯することができる。上野先生は、他者とつるむのが好きではないとしながら、女性同士共感し、連帯しながら社会に関わり続けてきた。そこは矛盾しないという確認を新たにする。逆にそのくらい強く共感を持てる分野ならば、多少人づきあいが嫌いでもやれるのではないか。
読了日:06月08日 著者:上野千鶴子,古市憲寿


センスが良い。未来を読んで今行動するセンス。叩かれ慣れのおかげか、考えが世間様に縛られておらず、かつ昔ながらの肌感覚と現代のネットツールを合わせ技で発想することに長けている。言葉の選び方も面白い。クラウドファンディングを『一人の大富豪ではなく、インターネットを介して大勢の方に少額のパトロンになっていただく』と表現する辺り、自身を広義の芸人として、往時における道化や芸術家になぞらえてみせるようで絶妙だ。「空気を読む」行為についても書いているが、この人は海原に漕ぎ出て、吹く風の先を読んでいるみたいだ。
読了日:06月04日 著者:西野 亮廣


お父さんお母さんに内緒で、おじいちゃんとっていうのが、いいんだなあ。女子と男子ではおじいちゃんとの距離も違うのだろうか。お出かけとか、釣りとか、秘密を分け合うとか、おじいちゃんとできることっていろいろあるんだな。身近には、90歳を超えてなおかくしゃくとした夫の祖父、初めて祖父となった私の父、幾人もの「おじいちゃん」がいる。わけても、未明に独り逝った私の祖父に、最近の自分自身がよく似た言動をすると気づいたことが連想された。
読了日:06月04日 著者:蜂飼 耳
注:

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