2020年11月02日
2020年10月の記録
どれだけ"お得"に本を買えるかというゲームに夢中になっている。
クーポン、ポイント、キャンペーンを勘案して、どのタイミングでどの本を買うか考える。
当然、積ん読本が増える。
本棚なら溢れて倒れるものが、端末の中ではリストが長くなるだけである。
どの本もすぐに読みたい、私だけの図書館。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用15,910円。
読了14冊。
積読本232冊(うちKindle本75冊、Honto本26冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:14
仕事と心の流儀 (講談社現代新書)の感想
若者へサラリーマンのプロへの道を説く本。著者と同じ、ホワイトカラーのサラリーマンを念頭に書かれている。つまり、該当するのは日本人のうちの、ごくごく一部ということだ。これを読んで発奮できる人は素直だし、その道で伸びていけるのだろうと思う。ただし、令和の時代を生き抜けるだろうか。さて1999年、著者は巨大不良資産を一括処理して話題になる。その話の流れに、1000社以上ある子会社の半分近くが赤字とか、社長OBには死ぬまで給料が支払われていたとか、時代とはいえどのような経緯でそんなことになるのか、全く理解不能。
読了日:10月31日 著者:丹羽 宇一郎
ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊の感想
立花隆は知の巨人であり、ネコビルには膨大な本が所蔵されている。もっと本を読みたい、新しい本にもっと出会いたいと知的欲望が尽きない事は生きている証であり、歓迎すべきと氏は言う。それを私は強く首肯するが、氏の守備範囲が私の興味と見事にずれている点が残念ではある。「私の読書日記」は当時の新刊を中心にラインナップされている。約20年前は当然、紙の書籍のみであり、今は絶版になっているものがほとんどだ。最近は刊行と同時に電子書籍になる本も多いから、刊行から年数が経っても読むことができる時代になった点を喜びたい。
読了日:10月30日 著者:立花 隆
マイ・ストーリーの感想
ミシェル・オバマとその家族の、幼少期からホワイトハウスを去る日まで。胸が熱くなる本だった。ちょうど今行われている大統領選に重ね合わせる。2008年、アメリカの行く先を説くオバマを仰いだアメリカ国民のうねるような熱狂と敬意、希望に目が潤んだ。夫妻は家庭を犠牲にしながら、寝る時間も削って、厳しい環境に置かれた若者に勇気と機会を弛み無く与え続けた。でも、貧困者や女性やマイノリティに力を持たれては困る、法人税の増税や環境配慮、銃規制を拒否したいアメリカ人は、それに伴う痛みよりトランプを選んだのだ。キスシーンあり。
ミシェルはなりたくてファーストレディーになった訳ではない。その立場には明確な権力もない。しかし彼女は、無形の力に気づく。良くも悪くも引いてしまう人目と影響力を最大限利用して、話題を喚起し、社会問題の解決に注目を誘導し続けた。それは貧困街出身で、黒人で、女性であるが故の障壁を、自身が感じて生きてきたからこその広い視野があるからだ。実感のある言葉とハグは、多くの若者を力づけたと思う。多様性を唾棄するトランプの破壊に胸を痛めつつ、今この時も、たくさんの草の根活動の芽を育てることをやめてはいないと私は信じる。
大きな組織の為政者ほど毀誉褒貶は激しい。金とメディアが簡単に真実を歪める時代に、それに耐え、撥ね退けて頂点を目指す人のことを、初めて身近に想像した。小さな失敗も許されず、知りもしない人間に罵られ、瑕疵をあげつらわれて。ああ、ヒラリー。しかも女性の小さな体躯で、彼女が志したことの気高さを想った。大事なのは、その人が役職を得て成そうとする事を見極めることだ。日本だって同じ。腑抜けなメディアの報道を鵜呑みにし、志ある政治家を引きずり下ろすような動きに加担してはいけない。その人自身を見定める目を持たなければ。
読了日:10月28日 著者:ミシェル・オバマ
タヌキ学入門: かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔の感想
タヌキは人が全くいない自然ではなく、人が暮らす里山のような環境で生きる。だから「狸」。果実などを食べ、植物の種子を運ぶ役割を担っている。ため糞行動や糞の分析によると、林の中と人里なら、林の外で糞をする傾向があるとする研究結果の理由が気になる。タヌキに限らず、野生動物を大切に思う姿勢が行間に見える。とはいえ「タヌキに出会ったらどうすればいいですか?」という、ある意味無邪気な質問に、『人の身勝手と一方的な態度』と苛立ちを隠さないのは異様だ。身近にいても見ない人は見ないし、人間は人間中心にものを考えるからねえ。
読了日:10月24日 著者:高槻 成紀
季刊環境ビジネス2020年秋号 (ニュー・ノーマル時代に成長する環境経営とは)の感想
日本のエネルギー政策は、環境先進国に遅れを取りながらも、共通認識ができてきた印象だ。省エネ化(需給の最適化)×再生エネ(太陽光、水力、風力、地熱)の基幹化が肝である。原子力・化石エネルギー界の思惑や経済団体の利害はありつつ、空気が傾けば一挙に転換するような気がする。洋上風力発電と漁業との折り合いも、なんとかなりそうなニュアンスである。あとは、地域エネルギー自給率を高めることが大事だ。ビジネス面では太陽光パネルの2035年頃からの廃パネル処理問題と、蓄電システムまたは水素、熱源化の動向を気にかけておくこと。
田中優子氏の環境小噺コラムが面白かった。江戸時代の書物には『小便、人糞、水肥、緑肥、草肥、泥肥、すす肥、塵芥肥、油粕、干鰯、魚肥、きゅう肥、馬糞、ぬか肥、毛・爪・皮の肥、しょう油肥、干しにしん、ます粕、まぐろ粕、豆腐粕、塩かま、酒粕、焼酎粕、あめ粕、鳥糞、貝類の肥などが肥料として紹介され』ているそうだ。もうなんでも肥料である。廃棄物ではなかった。私は漠然と、それに似たような状態に戻せるのではないかと思っていたが、現代人の排泄物は大量の化学物質が混合しているので土には戻せないと聞き、衝撃を受けている。
読了日:10月24日 著者:
暗幕のゲルニカの感想
ゲルニカの来し方のある物語。ゲルニカは反戦のシンボル。だから「ゲルニカは誰のものでもなく、今を生きるわたしたち皆のもの」。日本も多くの都市が空爆を受けた記憶を持っている。しかし高松とゲルニカを私は結びつけることができない。それは生真面目に戦争責任を考えてしまうからだろうか。当時を生きた私たちの祖父母たちに加害意識はなかった。でも、日本人に戦争責任がないわけではなかった。同様にアメリカ人も無辜ではない。この物語のピカソにとっての戦争はただ愛する土地を破壊される側としての戦争。その一方方向性が気持ち悪かった。
読了日:10月22日 著者:原田 マハ
派遣添乗員ヘトヘト日記の感想
パック旅行で参加者の愚痴を聞き続ける添乗員を見るにつけ、なんと大変な職業かと同情したものだが、最近は派遣契約の添乗員もいるらしい。大変すぎる。しかし、この著者には悲壮感がそれほどない。これまでの2冊に比べると、淡々としてすら感じる。それは、人に喜んでもらう職業を、大変なことは大変なこととして、著者自身が楽しんでいるからなのだろう。より人間が穏やかになったのが本当なら、旅の添乗という不安定な仕事も著者には向いていたということで、人としての成熟を得たのだろう。旅行に行くなら、添乗員はベテランさんがいいなあ。
英語で添乗員は"ツアー・リーダー"。そして『リーダーは、学者、医者、易者、役者、芸者の心を持たなければいけない』。かっこいいなあ!
読了日:10月20日 著者:梅村 達
半沢直樹 アルルカンと道化師の感想
倹約家の父が文庫になるのを待てずに買い、一晩で読みきって私に回してきた。なるほど半沢ロスに良い頃合いの発刊である。さて本題。『これはカネの問題やない。魂の問題や』。近頃M&AのDMは引きも切らない。曰く、御社と提携したいという大口の顧客がいるので、連絡をいただきたい。体のいい吸収の手助けである。事業承継が危ぶまれる中小企業が多いと聞く昨今、それらの会社へ廃業以外の選択肢を与えることは国の施策として大事だが、事業としてはろくでもない性根の商売だと思っている。銀行がそれを手掛けるとか。ほんまろくでもないな。
従来、私が銀行へ持つ印象は高慢でがめつく、薄情な集団である。経国済民が聞いて呆れる。もし半沢やその周辺のように立場を危うくして客の側に立つ銀行員がいたら、よほど苦労する自営業の親の背を見て育ったのだと思うだろう。今のところ、幸いなことに銀行にすがらなければならない状況にはないが、仮にそうなっても、銀行が当てになるなんて考えは持つべきじゃないと思っている。そこへ来ると、堂島の伯母氏はよく判っている。そういうセンスを持てる会社人でありたい。
読了日:10月15日 著者:池井戸潤
トランピストはマスクをしない コロナとデモでカオスのアメリカ現地報告の感想
これまでのどんなとんちんかんな政治家も存在がぶっとぶほどのトンデモ大統領がいて、ヤツによって損なわれようとしているアメリカの未来を守るべく果敢に行動する多数のアメリカ人がいる、その構図はもはや定型化している。恐ろしいのは、そのトランプが熱狂的に支持されている様だ。新型コロナが流行り始めても、外出規制に反対し、マスクをしないトランプを「強さの象徴」と賛美し続ける。アジアに生息するトラの数よりも、アメリカ合衆国で飼われているトラの数の方が多いのだそうだ。アメリカの持つ底知れぬパワーは、全方向性のものなのだな。
読了日:10月13日 著者:町山 智浩
プラスチックの現実と未来へのアイデアの感想
プラスチック素材にはリサイクル可能なものとそうでないものがある。可能でも、マテリアルにせよケミカルにせよ、質の劣化かコスト増大の二択。それってもうリサイクルに向いてないし。水平リサイクルが軌道に乗っているのはペットボトルと食品トレイのみ。それもきれいに洗って出さないとコストは倍増する。バイオマスプラスチックも結局は環境破壊を招く。最終的にプラスチックは削減しか答えはないでしょう。諸国の模範となる日本でありたい願望はわからんでもないが、まあ、自分とこのゴミもちゃんと処理できんで、模範もなんもないわな。
日本の一人当たり使い捨てプラスチック使用量は世界第2位。内訳としては廃プラのリサイクル27.8%、熱回収58%、それ以外が焼却。しかもリサイクルに含めたうちのどれだけが輸出されていたか数値化されておらず、中国への輸出量も世界第2位、その量年間150万tだったというから推して知るべし。何より悪いのは、その現状が国民に見えず、危機感を与えず、意識も状況も変わりえないということ。そして熱回収という名の焼却処分では素材が循環しないのに相変わらずリサイクルと言い張って、欧州諸国とは考え方が違うからなんて見苦しい。
近頃見かけるスクリュー蓋付アルミ缶のコーヒーと炭酸水は、内面の腐食を避けるためプラスチックコーティングしている。カップ麺の紙容器はプラスチックとの複合で、紙の割合が多いというだけ。他の容器も軽量化やコンパクト化が図られているが、実情はどんどん複合化しておりそもそもリサイクル不能の代物である。ということを知って、使用を減らすしかない。海外では粉末状の歯磨き粉が出てきているという。知らなかった。粉末なら、チューブと違って内容物が残らず、容器のリサイクルがしやすいという発想。マイクロビーズ入りなんて論外。
読了日:10月09日 著者:高田秀重
武器としての「資本論」の感想
読むことによってマルクスを解ったつもりになりたい下心を忘れるほどの面白さだった。自分の中にも染みついている包摂の根深さは、資本主義がどれだけ巧みに人の魂を貶めるかを示している。逃れたいと思っても、生活必需品を得るためにお金が必要となり、お金を得るために自らの労働力を商品としなければならない社会の構造を脱するには、なるほど闘争と呼びたいほどの自覚的行動が必要だ。マルクスの論は世界への視座を劇的に変える力を持つ。今進行しつつある「はじまりの労働者」に戻そうとする動きに逆らう、なるほどこれは武器に違いない。
『新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です』。
労働力による剰余価値の話は私には難しいものではない。なぜなら日々格闘している、就業時間の問題、給料と労務単価の関係そのものだからだ。相対的にせよ絶対的にせよ、剰余価値の扱いは各社様ざまだ。ビジネスの手法は現代に至っても、結局はマルクスの想定の範囲内、資本主義の発生からずっと小手先のだましごとなのだ。ならば、経営者と労働者の双方がどれだけ人間的でいられるかだ。会社の規模にせよ、変革には慎重すぎるくらいであって良いのだろう。"新しい"と称する流行りの手法には、眉に唾つけて、まず良心に問うことだ。
読了日:10月08日 著者:白井 聡
日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 (PHP文庫)の感想
前作に劣らず興味深く、脳をいたく刺激される。地形とそれに伴う論理から読み解く歴史の仮説たち。なかでもなぜ日本が独立を保てたかについて、山地と泥だらけの国土には欧米人も攻めあぐね、また食指をそそられず、おまけに頻繁な災害付きだったから、とは苦笑いするしかない。1872年に始まった日本の鉄道網敷設。川も山も軽々越える鉄道により、各藩ごとに分割固定されていた意識が、一挙に「日本」に一本化されたという。それは日本の強烈な記憶なのだろう。そこからの更なる東京一極集中、現代の参勤交代への流れもダイナミックで楽しい。
その鉄道開通の記憶が現代にも強烈に影響しているように思える。私が必要性を理解できないでいるリニアモーターカーや四国新幹線も、ほぼ全国土が鉄道網で繋がれれば、次は時間という心的距離を縮めようと、爺さんがたがやっきになっているのじゃないだろうか。他所に後れを取ることへの恐れ、と言い換えてもいい。あのー、つながっているだけじゃだめなんですか。
日本は木材の輸入大国である。環境問題のつながりでその事実を知って、以前腹を立てたのだったが、燃料に建材にと木材を大量消費するのは少なくとも奈良時代からの習いで、江戸幕府の頃には全国の森が伐採されまくって山が荒廃していたとある。なるほど浮世絵の背景は丸禿である。森林大国であるはずの日本になぜ太古を思わせる立派な森が少ないのかが理解できた。その後の石炭・石油の化石燃料の登場で、ようやく日本の山は今の状態にまで戻ったというべきかもしれない。それにしたって使い過ぎやろ。この辺り興味深いので掘り下げてみたい。
読了日:10月06日 著者:竹村 公太郎
月に吠えるオオカミ――写真をめぐるエセーの感想
山。そして人間を取り巻く自然。オオカミと歌を交わしたエッセイがいちばん好きだ。人の気配のない山や原野を何日何週間と独り彷徨して倦まない著者は、世界各地の山や辺境の地を巡り、信州、北海道と居を移し、写真を撮る。『水は豊かな表情と謎に満ち、かぎりなく美しく神秘的な存在である』。水に惹かれる性質に加え、エドワード・ウェストンの荘厳さを念頭に撮った写真なら、私の嗜好ど真ん中間違いない。湖、雪、雪煙、氷、氷河。質感や表情を逃さず写し撮った白黒写真がたまらなく美しい。モノクローム限定写真集「真昼の星への旅」、欲しい。
読了日:10月04日 著者:水越 武
いのち五分五分の感想
山野井泰史の親である日常の凄まじさ。山野井泰史は無酸素単独を至高とする日本のトップクライマーだ。本人の著書も沢木耕太郎のルポも無二の在りようを示すもので素晴らしかった。しかし両親はもう何十年も、息子が山へ行くたび悪夢にうなされ、遭難しても生きていることのみを願い、生存の報に安堵する。山野井の父は本人たちの反対を押し切り、自費出版してまでこの本を書いた。私が感じたのは、泰史と妙子の夫妻と、二人を応援する周りの人々への感謝だ。だがその基には、感謝を求めず、坦懐に、自然に丁寧にあろうとする二人自身の姿勢がある。
山野井泰史のパートナー、妙子さんが自分の言葉で語るのを見たこと聞いたことがあるわけでもない。しかし泰史が惚れたと公言し、皆が口を揃えて褒め、誰もが好きになるこの女性が、私は気になって仕方がない。優しく、気遣いでき、前向きで、清貧を地で行き、真実に環境に配慮して暮らすことができる。一方、山への思いは泰史に負けず一途で、実母がどんなに懇願しても何度遭難しても山をやめようとはしない。山野井の父が目撃した、指のほとんど失われた手で岩壁を撫でる様子が、魂の炎を見るようで、脳裏に焼き付いた。
山野井泰史の富士登山つまり高所順応指南を覚えておく。『息を吸うな。息を吐け。口笛を鳴らすように息を吐け、息を吐け』。携帯酸素は『吸うと後が大変ですよ。苦しくともがまんして』。
読了日:10月01日 著者:山野井 孝有
注:
は電子書籍で読んだ本。
クーポン、ポイント、キャンペーンを勘案して、どのタイミングでどの本を買うか考える。
当然、積ん読本が増える。
本棚なら溢れて倒れるものが、端末の中ではリストが長くなるだけである。
どの本もすぐに読みたい、私だけの図書館。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用15,910円。
読了14冊。
積読本232冊(うちKindle本75冊、Honto本26冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:14

若者へサラリーマンのプロへの道を説く本。著者と同じ、ホワイトカラーのサラリーマンを念頭に書かれている。つまり、該当するのは日本人のうちの、ごくごく一部ということだ。これを読んで発奮できる人は素直だし、その道で伸びていけるのだろうと思う。ただし、令和の時代を生き抜けるだろうか。さて1999年、著者は巨大不良資産を一括処理して話題になる。その話の流れに、1000社以上ある子会社の半分近くが赤字とか、社長OBには死ぬまで給料が支払われていたとか、時代とはいえどのような経緯でそんなことになるのか、全く理解不能。
読了日:10月31日 著者:丹羽 宇一郎


立花隆は知の巨人であり、ネコビルには膨大な本が所蔵されている。もっと本を読みたい、新しい本にもっと出会いたいと知的欲望が尽きない事は生きている証であり、歓迎すべきと氏は言う。それを私は強く首肯するが、氏の守備範囲が私の興味と見事にずれている点が残念ではある。「私の読書日記」は当時の新刊を中心にラインナップされている。約20年前は当然、紙の書籍のみであり、今は絶版になっているものがほとんどだ。最近は刊行と同時に電子書籍になる本も多いから、刊行から年数が経っても読むことができる時代になった点を喜びたい。
読了日:10月30日 著者:立花 隆


ミシェル・オバマとその家族の、幼少期からホワイトハウスを去る日まで。胸が熱くなる本だった。ちょうど今行われている大統領選に重ね合わせる。2008年、アメリカの行く先を説くオバマを仰いだアメリカ国民のうねるような熱狂と敬意、希望に目が潤んだ。夫妻は家庭を犠牲にしながら、寝る時間も削って、厳しい環境に置かれた若者に勇気と機会を弛み無く与え続けた。でも、貧困者や女性やマイノリティに力を持たれては困る、法人税の増税や環境配慮、銃規制を拒否したいアメリカ人は、それに伴う痛みよりトランプを選んだのだ。キスシーンあり。
ミシェルはなりたくてファーストレディーになった訳ではない。その立場には明確な権力もない。しかし彼女は、無形の力に気づく。良くも悪くも引いてしまう人目と影響力を最大限利用して、話題を喚起し、社会問題の解決に注目を誘導し続けた。それは貧困街出身で、黒人で、女性であるが故の障壁を、自身が感じて生きてきたからこその広い視野があるからだ。実感のある言葉とハグは、多くの若者を力づけたと思う。多様性を唾棄するトランプの破壊に胸を痛めつつ、今この時も、たくさんの草の根活動の芽を育てることをやめてはいないと私は信じる。
大きな組織の為政者ほど毀誉褒貶は激しい。金とメディアが簡単に真実を歪める時代に、それに耐え、撥ね退けて頂点を目指す人のことを、初めて身近に想像した。小さな失敗も許されず、知りもしない人間に罵られ、瑕疵をあげつらわれて。ああ、ヒラリー。しかも女性の小さな体躯で、彼女が志したことの気高さを想った。大事なのは、その人が役職を得て成そうとする事を見極めることだ。日本だって同じ。腑抜けなメディアの報道を鵜呑みにし、志ある政治家を引きずり下ろすような動きに加担してはいけない。その人自身を見定める目を持たなければ。
読了日:10月28日 著者:ミシェル・オバマ


タヌキは人が全くいない自然ではなく、人が暮らす里山のような環境で生きる。だから「狸」。果実などを食べ、植物の種子を運ぶ役割を担っている。ため糞行動や糞の分析によると、林の中と人里なら、林の外で糞をする傾向があるとする研究結果の理由が気になる。タヌキに限らず、野生動物を大切に思う姿勢が行間に見える。とはいえ「タヌキに出会ったらどうすればいいですか?」という、ある意味無邪気な質問に、『人の身勝手と一方的な態度』と苛立ちを隠さないのは異様だ。身近にいても見ない人は見ないし、人間は人間中心にものを考えるからねえ。
読了日:10月24日 著者:高槻 成紀


日本のエネルギー政策は、環境先進国に遅れを取りながらも、共通認識ができてきた印象だ。省エネ化(需給の最適化)×再生エネ(太陽光、水力、風力、地熱)の基幹化が肝である。原子力・化石エネルギー界の思惑や経済団体の利害はありつつ、空気が傾けば一挙に転換するような気がする。洋上風力発電と漁業との折り合いも、なんとかなりそうなニュアンスである。あとは、地域エネルギー自給率を高めることが大事だ。ビジネス面では太陽光パネルの2035年頃からの廃パネル処理問題と、蓄電システムまたは水素、熱源化の動向を気にかけておくこと。
田中優子氏の環境小噺コラムが面白かった。江戸時代の書物には『小便、人糞、水肥、緑肥、草肥、泥肥、すす肥、塵芥肥、油粕、干鰯、魚肥、きゅう肥、馬糞、ぬか肥、毛・爪・皮の肥、しょう油肥、干しにしん、ます粕、まぐろ粕、豆腐粕、塩かま、酒粕、焼酎粕、あめ粕、鳥糞、貝類の肥などが肥料として紹介され』ているそうだ。もうなんでも肥料である。廃棄物ではなかった。私は漠然と、それに似たような状態に戻せるのではないかと思っていたが、現代人の排泄物は大量の化学物質が混合しているので土には戻せないと聞き、衝撃を受けている。
読了日:10月24日 著者:

ゲルニカの来し方のある物語。ゲルニカは反戦のシンボル。だから「ゲルニカは誰のものでもなく、今を生きるわたしたち皆のもの」。日本も多くの都市が空爆を受けた記憶を持っている。しかし高松とゲルニカを私は結びつけることができない。それは生真面目に戦争責任を考えてしまうからだろうか。当時を生きた私たちの祖父母たちに加害意識はなかった。でも、日本人に戦争責任がないわけではなかった。同様にアメリカ人も無辜ではない。この物語のピカソにとっての戦争はただ愛する土地を破壊される側としての戦争。その一方方向性が気持ち悪かった。
読了日:10月22日 著者:原田 マハ

パック旅行で参加者の愚痴を聞き続ける添乗員を見るにつけ、なんと大変な職業かと同情したものだが、最近は派遣契約の添乗員もいるらしい。大変すぎる。しかし、この著者には悲壮感がそれほどない。これまでの2冊に比べると、淡々としてすら感じる。それは、人に喜んでもらう職業を、大変なことは大変なこととして、著者自身が楽しんでいるからなのだろう。より人間が穏やかになったのが本当なら、旅の添乗という不安定な仕事も著者には向いていたということで、人としての成熟を得たのだろう。旅行に行くなら、添乗員はベテランさんがいいなあ。
英語で添乗員は"ツアー・リーダー"。そして『リーダーは、学者、医者、易者、役者、芸者の心を持たなければいけない』。かっこいいなあ!
読了日:10月20日 著者:梅村 達


倹約家の父が文庫になるのを待てずに買い、一晩で読みきって私に回してきた。なるほど半沢ロスに良い頃合いの発刊である。さて本題。『これはカネの問題やない。魂の問題や』。近頃M&AのDMは引きも切らない。曰く、御社と提携したいという大口の顧客がいるので、連絡をいただきたい。体のいい吸収の手助けである。事業承継が危ぶまれる中小企業が多いと聞く昨今、それらの会社へ廃業以外の選択肢を与えることは国の施策として大事だが、事業としてはろくでもない性根の商売だと思っている。銀行がそれを手掛けるとか。ほんまろくでもないな。
従来、私が銀行へ持つ印象は高慢でがめつく、薄情な集団である。経国済民が聞いて呆れる。もし半沢やその周辺のように立場を危うくして客の側に立つ銀行員がいたら、よほど苦労する自営業の親の背を見て育ったのだと思うだろう。今のところ、幸いなことに銀行にすがらなければならない状況にはないが、仮にそうなっても、銀行が当てになるなんて考えは持つべきじゃないと思っている。そこへ来ると、堂島の伯母氏はよく判っている。そういうセンスを持てる会社人でありたい。
読了日:10月15日 著者:池井戸潤

これまでのどんなとんちんかんな政治家も存在がぶっとぶほどのトンデモ大統領がいて、ヤツによって損なわれようとしているアメリカの未来を守るべく果敢に行動する多数のアメリカ人がいる、その構図はもはや定型化している。恐ろしいのは、そのトランプが熱狂的に支持されている様だ。新型コロナが流行り始めても、外出規制に反対し、マスクをしないトランプを「強さの象徴」と賛美し続ける。アジアに生息するトラの数よりも、アメリカ合衆国で飼われているトラの数の方が多いのだそうだ。アメリカの持つ底知れぬパワーは、全方向性のものなのだな。
読了日:10月13日 著者:町山 智浩


プラスチック素材にはリサイクル可能なものとそうでないものがある。可能でも、マテリアルにせよケミカルにせよ、質の劣化かコスト増大の二択。それってもうリサイクルに向いてないし。水平リサイクルが軌道に乗っているのはペットボトルと食品トレイのみ。それもきれいに洗って出さないとコストは倍増する。バイオマスプラスチックも結局は環境破壊を招く。最終的にプラスチックは削減しか答えはないでしょう。諸国の模範となる日本でありたい願望はわからんでもないが、まあ、自分とこのゴミもちゃんと処理できんで、模範もなんもないわな。
日本の一人当たり使い捨てプラスチック使用量は世界第2位。内訳としては廃プラのリサイクル27.8%、熱回収58%、それ以外が焼却。しかもリサイクルに含めたうちのどれだけが輸出されていたか数値化されておらず、中国への輸出量も世界第2位、その量年間150万tだったというから推して知るべし。何より悪いのは、その現状が国民に見えず、危機感を与えず、意識も状況も変わりえないということ。そして熱回収という名の焼却処分では素材が循環しないのに相変わらずリサイクルと言い張って、欧州諸国とは考え方が違うからなんて見苦しい。
近頃見かけるスクリュー蓋付アルミ缶のコーヒーと炭酸水は、内面の腐食を避けるためプラスチックコーティングしている。カップ麺の紙容器はプラスチックとの複合で、紙の割合が多いというだけ。他の容器も軽量化やコンパクト化が図られているが、実情はどんどん複合化しておりそもそもリサイクル不能の代物である。ということを知って、使用を減らすしかない。海外では粉末状の歯磨き粉が出てきているという。知らなかった。粉末なら、チューブと違って内容物が残らず、容器のリサイクルがしやすいという発想。マイクロビーズ入りなんて論外。
読了日:10月09日 著者:高田秀重


読むことによってマルクスを解ったつもりになりたい下心を忘れるほどの面白さだった。自分の中にも染みついている包摂の根深さは、資本主義がどれだけ巧みに人の魂を貶めるかを示している。逃れたいと思っても、生活必需品を得るためにお金が必要となり、お金を得るために自らの労働力を商品としなければならない社会の構造を脱するには、なるほど闘争と呼びたいほどの自覚的行動が必要だ。マルクスの論は世界への視座を劇的に変える力を持つ。今進行しつつある「はじまりの労働者」に戻そうとする動きに逆らう、なるほどこれは武器に違いない。
『新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です』。
労働力による剰余価値の話は私には難しいものではない。なぜなら日々格闘している、就業時間の問題、給料と労務単価の関係そのものだからだ。相対的にせよ絶対的にせよ、剰余価値の扱いは各社様ざまだ。ビジネスの手法は現代に至っても、結局はマルクスの想定の範囲内、資本主義の発生からずっと小手先のだましごとなのだ。ならば、経営者と労働者の双方がどれだけ人間的でいられるかだ。会社の規模にせよ、変革には慎重すぎるくらいであって良いのだろう。"新しい"と称する流行りの手法には、眉に唾つけて、まず良心に問うことだ。
読了日:10月08日 著者:白井 聡


前作に劣らず興味深く、脳をいたく刺激される。地形とそれに伴う論理から読み解く歴史の仮説たち。なかでもなぜ日本が独立を保てたかについて、山地と泥だらけの国土には欧米人も攻めあぐね、また食指をそそられず、おまけに頻繁な災害付きだったから、とは苦笑いするしかない。1872年に始まった日本の鉄道網敷設。川も山も軽々越える鉄道により、各藩ごとに分割固定されていた意識が、一挙に「日本」に一本化されたという。それは日本の強烈な記憶なのだろう。そこからの更なる東京一極集中、現代の参勤交代への流れもダイナミックで楽しい。
その鉄道開通の記憶が現代にも強烈に影響しているように思える。私が必要性を理解できないでいるリニアモーターカーや四国新幹線も、ほぼ全国土が鉄道網で繋がれれば、次は時間という心的距離を縮めようと、爺さんがたがやっきになっているのじゃないだろうか。他所に後れを取ることへの恐れ、と言い換えてもいい。あのー、つながっているだけじゃだめなんですか。
日本は木材の輸入大国である。環境問題のつながりでその事実を知って、以前腹を立てたのだったが、燃料に建材にと木材を大量消費するのは少なくとも奈良時代からの習いで、江戸幕府の頃には全国の森が伐採されまくって山が荒廃していたとある。なるほど浮世絵の背景は丸禿である。森林大国であるはずの日本になぜ太古を思わせる立派な森が少ないのかが理解できた。その後の石炭・石油の化石燃料の登場で、ようやく日本の山は今の状態にまで戻ったというべきかもしれない。それにしたって使い過ぎやろ。この辺り興味深いので掘り下げてみたい。
読了日:10月06日 著者:竹村 公太郎


山。そして人間を取り巻く自然。オオカミと歌を交わしたエッセイがいちばん好きだ。人の気配のない山や原野を何日何週間と独り彷徨して倦まない著者は、世界各地の山や辺境の地を巡り、信州、北海道と居を移し、写真を撮る。『水は豊かな表情と謎に満ち、かぎりなく美しく神秘的な存在である』。水に惹かれる性質に加え、エドワード・ウェストンの荘厳さを念頭に撮った写真なら、私の嗜好ど真ん中間違いない。湖、雪、雪煙、氷、氷河。質感や表情を逃さず写し撮った白黒写真がたまらなく美しい。モノクローム限定写真集「真昼の星への旅」、欲しい。
読了日:10月04日 著者:水越 武

山野井泰史の親である日常の凄まじさ。山野井泰史は無酸素単独を至高とする日本のトップクライマーだ。本人の著書も沢木耕太郎のルポも無二の在りようを示すもので素晴らしかった。しかし両親はもう何十年も、息子が山へ行くたび悪夢にうなされ、遭難しても生きていることのみを願い、生存の報に安堵する。山野井の父は本人たちの反対を押し切り、自費出版してまでこの本を書いた。私が感じたのは、泰史と妙子の夫妻と、二人を応援する周りの人々への感謝だ。だがその基には、感謝を求めず、坦懐に、自然に丁寧にあろうとする二人自身の姿勢がある。
山野井泰史のパートナー、妙子さんが自分の言葉で語るのを見たこと聞いたことがあるわけでもない。しかし泰史が惚れたと公言し、皆が口を揃えて褒め、誰もが好きになるこの女性が、私は気になって仕方がない。優しく、気遣いでき、前向きで、清貧を地で行き、真実に環境に配慮して暮らすことができる。一方、山への思いは泰史に負けず一途で、実母がどんなに懇願しても何度遭難しても山をやめようとはしない。山野井の父が目撃した、指のほとんど失われた手で岩壁を撫でる様子が、魂の炎を見るようで、脳裏に焼き付いた。
山野井泰史の富士登山つまり高所順応指南を覚えておく。『息を吸うな。息を吐け。口笛を鳴らすように息を吐け、息を吐け』。携帯酸素は『吸うと後が大変ですよ。苦しくともがまんして』。
読了日:10月01日 著者:山野井 孝有
注:

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