2020年12月01日
2020年11月の記録
一日の間に2回交通事故に遭い、自分の足の甲を包丁で峰打ちにし、
来年の手帳を買うはずが今年の手帳を買ってしまい買い直す羽目になる。
今月はいまだかつてない出来事がいくつもあった。
少々本を買いすぎるくらい、かわいいものだと、自分を甘やかしなだめる。
しかし、気は読みたくとも、体と頭がついてこない。
読もうと思って本棚から持ち出した本がリビングに山積みになるのもまたよろしよろし。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用57,639円。
読了13冊。
積読本248冊(うちKindle本77冊、Honto本36冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:13
第三者の感想
なぜ読もうと思ったのだったか思い出せない。そしてこの短編は、以前読んだ短編集に収録されていたことに気づく。サキの短編は容赦なく切れ味がいい。これもまあ、読んでいて美談では済まない予感はひしひしとするのだが、まさかそうくるとはね。彼は恐怖に戦慄しながら馬鹿のようにげらげら笑うのである。なんという場面を思いつくものだろう。ああ、筑摩の短編集にどっぷり溺れたい。「第三者」は原語ではなんという単語なのだろう。訳語のニュアンスが微妙にずれているのではないかと感じる。
読了日:11月30日 著者:サキ
本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへの感想
満足してほしい、健康でいてほしいから「家族のために」つくる料理。幸せになるためにごはんをつくろう!と謳ったコウケンテツも、自身の子育ての中で疑問を持つようになる。映えるレシピ、凝ったレシピが幸せのためにほんとうに必要かと。インスタントラーメンや市販のみかんゼリーを喜ぶ子供たちを見て、真剣に気落ちする様子に微笑んでしまう。彼は断言する。手料理は愛情のバロメーターではなく余裕のバロメーターだと。心の余裕、時間の余裕があってこそ、手料理はできるのだ。子供と食べ物の関係の育て方は、小さい子供のいる家庭におすすめ。
読了日:11月30日 著者:コウケンテツ
日々ごはん〈1〉の感想
高山さんのブログ日記を寝転がってだらだら読む。「富士日記」もこんなふうに読むのがいいのだろう。高山さんは、けっこうちゃんとしてない。寝る、起きるの時間がずるずるで、嫌なら家族のご飯は手抜きして、朝まで飲んだくれる。それでも、スイセイさんもりうちゃんも家族でいてくれる。ああ、普通の人だって、こんなんでええんやんなあ。と思えることが今の私には大きな収穫。セールしていたのでシリーズまとめ買いしたくなったが、高山さんのなんでもない日々のことごとに、それほど親近感があるわけでもないので、やめておくことにする。
読了日:11月28日 著者:高山 なおみ
生きてるかい? (文春文庫)の感想
病んでるときは南木佳士を選んでおけば、間違いない。自分がしばらく元気だったので忘れていた。『状況に慣れて肩の力の抜けたからだは外に向かって開いているから、案外多くの情報をあるがままに受け取っているのだ。そこに妙な力が加わると、五感の入り口が狭まる』。それが今の私だ。気づくと肩や背中を強張らせている。南木さんは自らを開く方法を知っている。『血のめぐりがよくなったからだは外界に向かって開いてゆく。開いたからだには澄んだ大気がもろに入って、よどんだものを追い出してくれる』。床拭きか、稽古か。汗をかきたくなった。
南木さんは「こころ」という単語をを使わない。『からだと精神の微妙な関係を「こころ」でくくってしまったら、多くのものを取りこぼしてしまう気がする』と言う。その感じが、私もわかるようになった。心理学専攻なのに、自分がおかしくなる。「こころ」を越えて、「からだ」に戻ったのだと思う。からだを使って働く人は、とっくに知っている当たり前のことなのだろう。ちょっと、活字を離れる時間を確保しないと。
読了日:11月27日 著者:南木 佳士
あやしい探検隊 焚火酔虎伝 (ヤマケイ文庫)の感想
気分が鬱屈する。そうだ、こういうときは世間の四方山何処吹く風な人のエッセイを読むのがいちばんだ。行きたいところへ行って、他人に構わずしたいことをして、焚火を眺めて酒呑んで話して、"人生の至福の時間"を味わう。「こうなければならない」はなくて、それぞれにいろいろあるからこそ、無意味さの中に意味がある。いわく「焚火酔談」。シーナさんたちはこのとき30代。それからもう30年以上も、彼らはこうして『ほんほだほひだほひだはふはふ』しているのだ。なんて羨ましい。ずりずらりい。
読了日:11月25日 著者:椎名 誠
なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)の感想
『友だちがロマンチックにも毒を盛られるなんて、こんなにゾクゾクすることなんか、めったにあるもんじゃないわ』。待ってました、お侠なお嬢様ヒロイン。緑色のベントレーを乗り回し、変装し、ずいずいと事件に首を突っ込んでいく。人物が多めなこともあるけれど、事態は思わぬ方向、思わぬ方向へと転がって、謎が尽きない。飽きない。そして、犯罪者ってこんなに魅惑的なものだっけ?と思うほど、主人公たちも私も、いつの間にか犯人に肩入れし、勝手に容疑者リストから外してしまっていたことに、真相が判明して気づくのだ。クリスティに万歳。
読了日:11月19日 著者:アガサ クリスティー
文庫本は何冊積んだら倒れるかの感想
ルヌガンガで気になっていた本。『本などに関する、きわめてゆるやかで、のびやかで、すめやかで、ほややかな調査』エッセイの単行本化。このところ心的消耗が激しいので、ほろろんな気持ちになるべく読ませてもらう。しかし本は腐るの項で慄く。曰く積読本には小悪魔が取り付いてロクブリンシチブリンと成長し、ハチブリンで開かなくなるという。ならば私のソローは最早ただの木片と化しているかもしれない。そしてほややかな癖に、カラマーゾフが何人兄弟だったのか、またレ・ミゼラブルのユゴー翁の脱線っぷりを確認したい、ヘヴィな衝動を誘う。
読了日:11月15日 著者:堀井 憲一郎
ミドリ薬品漢方堂のまいにち漢方―体と心をいたわる365のコツの感想
Twitterで人気とのこと。老いも若きも、熱きも冷たきもと、さまざまな体質とライフステージを想定している。加えて、私が基本的には中庸のからだを持っているからだろう、季節に合わせて読み進めても、365日のうち、身に覚えのない日の方が断然多かった。しかし読み終えてぱらぱら見返している今は、あちこち目に留まる。治療と休養が必要と言われるとほろりとする。あらあら。心身に不調があるときに読めばよかったのか。ストレス+パソコンで『血を多く消耗』している状態らしいので、深呼吸を。それからクコの実食べよう。
読了日:11月13日 著者:櫻井 大典
ジャングルの極限レースを走った犬 アーサーの感想
スウェーデンのアドベンチャーレーサーが、レース中についてきた野良犬をエクアドルから連れ帰る。けっこう難関だ。犬と人の繋がりももちろん、アドベンチャーレーサーのメンタルという、常人には理解しがたいやつが興味深かった。『苦しみのなかから湧いてくる力は、自分に備わった能力だと思うんだ』。いや、苦しみとか以前にそもそも人間があえてやるべきことじゃないと思うが、従軍経験とそうかけ離れていないのだろうか。アーサーには、男に棒で殴られたらしい大きな傷がある。なのにまた人間に全幅の信頼を寄せることができる、犬って天使だ。
読了日:11月10日 著者:ミカエル リンドノード,Mikael Lindnord
論語と算盤 (角川ソフィア文庫)の感想
明治六年、渋沢栄一は官僚を辞めて実業家に転じる。商売を振興しなければ日本が発展しないと思ったという。その晩年の訓話をまとめたもので、利を生まなければ商売ではないが、正しき方法で利を生み、経国済民のために使うのが道理と繰り返し説く。現代の御用商人に聞かせてやりたいですな。つまり"論語と算盤"は、武士の道徳と商人の経済の義理合一を説くためのキャッチコピーである。先日の大統領選、バイデン氏の勝利演説について言われるように、世間に「道義的に正しいことを言い続ける」ことの重要性を渋沢翁も心していたと推察できる。
読了日:11月09日 著者:渋沢 栄一
本当のことを言ってはいけない (角川新書)の感想
メルマガの加筆編集本。「本当のことを言ってはいけない」と題したのは編者であろう、著者は言いたい放題、快調そのものである。「国民の知的レベルの二極化」の章が興味深い。日本語で書かれる学術系書籍が減っているのに伴い、一般人の自然科学や人文科学へのリテラシーが低下し、一方で学者の異分野への理解も低下したと指摘するものだ。これは、学者が一般向けに書いた書籍で視野の狭さを感じるものが時々あるので肯ける。結果的に知的中間層が衰退する。この深刻さは上記のみならず、現在の日本学術会議問題にもつながる点、全く些事ではない。
読了日:11月05日 著者:池田 清彦
山のクジラを獲りたくて―単独忍び猟記の感想
銃による狩猟を、しかも単独忍び足で。こんなに魅力的な響きがあるだろうか。『身体が勝手に小枝を避けて歩く』など格好良すぎる。静かな山の中で耳を澄まして、痕跡を探り、獣と対峙し、決着の一瞬を賭ける。30年前に比べ、今では山にいる獣の数が格段に増えているために、昔ではありえなかった単独猟が可能になっているという話には、なるほどと唸った。それにしても、仕留めた獣を水で冷やし、その場で解体し、汚染しないよう肉を包み、担ぎ、道なき斜面を車まで戻る工程を全て独りでこなさなければならない。これは私には無理だな、と悟れた。
まあ、休みのたび山中を彷徨したり、服に獣の血を付けて帰宅したり、毎日銃を点検して、弾の装填と脱包を繰り返し練習したりして生活するには家族の深い深い理解が欠かせない。あと、子供がくっついて歩いている母親は、私には殺せない。シカでもイノシシでも、撃たれて事切れ、斜面を転がり落ちる母親を子供たちは追いかけるという。呼んで鳴き続けるという。奪わずに済むなら、獣であっても子供から母親を奪いたくない。猟師の本分からも、農作物に害成す獣を減らす向きからも、この感傷は邪魔だろうな。
読了日:11月03日 著者:武重 謙
ローカリズム宣言―「成長」から「定常」への感想
内田先生のいつものお話。最近書かれている、これからの日本社会についてのトピックが集まっている感じ。成長主義経済から定常化経済へ。グローバル化からローカル化へ。資本主義の終わりから、まだ見えない潮流の始まりに向けて。いや、それは実はもう始まっていて、片鱗は方々に見えているのだ。その先に何があるのか、矯めつ眇めつ考察する内田先生のお話はやっぱり面白い。「廃県置藩」は興味深いアイデアだ。藩は日本の山河による境目に合わせて形づくられたと聞いたことがある。そうなったら、おもしろいことになりそうだなあと妄想する。
3.11の後、すぐに避難した人と、しばらく経って避難した人の違いについての考察が興味深い。直感で判断するか、論理で判断するかの差だとすれば、私は後者だろう。良い悪いを言っているのではないと内田先生は言う。ただ、内田先生の武道論からいえば、直感で逃げることのできる人の方が動物的能力が高く、生き延びる可能性も高いことになる。考えて考え抜いてから動く。そのことにデメリットというべきか、一歩遅れることのほかにも、どこか事態に齟齬を生む要素がある気がする。直感と論理の働きの違い? この違和感を覚えておく。
読了日:11月01日 著者:内田 樹
注:
は電子書籍で読んだ本。
来年の手帳を買うはずが今年の手帳を買ってしまい買い直す羽目になる。
今月はいまだかつてない出来事がいくつもあった。
少々本を買いすぎるくらい、かわいいものだと、自分を甘やかしなだめる。
しかし、気は読みたくとも、体と頭がついてこない。
読もうと思って本棚から持ち出した本がリビングに山積みになるのもまたよろしよろし。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用57,639円。
読了13冊。
積読本248冊(うちKindle本77冊、Honto本36冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:13

なぜ読もうと思ったのだったか思い出せない。そしてこの短編は、以前読んだ短編集に収録されていたことに気づく。サキの短編は容赦なく切れ味がいい。これもまあ、読んでいて美談では済まない予感はひしひしとするのだが、まさかそうくるとはね。彼は恐怖に戦慄しながら馬鹿のようにげらげら笑うのである。なんという場面を思いつくものだろう。ああ、筑摩の短編集にどっぷり溺れたい。「第三者」は原語ではなんという単語なのだろう。訳語のニュアンスが微妙にずれているのではないかと感じる。
読了日:11月30日 著者:サキ


満足してほしい、健康でいてほしいから「家族のために」つくる料理。幸せになるためにごはんをつくろう!と謳ったコウケンテツも、自身の子育ての中で疑問を持つようになる。映えるレシピ、凝ったレシピが幸せのためにほんとうに必要かと。インスタントラーメンや市販のみかんゼリーを喜ぶ子供たちを見て、真剣に気落ちする様子に微笑んでしまう。彼は断言する。手料理は愛情のバロメーターではなく余裕のバロメーターだと。心の余裕、時間の余裕があってこそ、手料理はできるのだ。子供と食べ物の関係の育て方は、小さい子供のいる家庭におすすめ。
読了日:11月30日 著者:コウケンテツ

高山さんのブログ日記を寝転がってだらだら読む。「富士日記」もこんなふうに読むのがいいのだろう。高山さんは、けっこうちゃんとしてない。寝る、起きるの時間がずるずるで、嫌なら家族のご飯は手抜きして、朝まで飲んだくれる。それでも、スイセイさんもりうちゃんも家族でいてくれる。ああ、普通の人だって、こんなんでええんやんなあ。と思えることが今の私には大きな収穫。セールしていたのでシリーズまとめ買いしたくなったが、高山さんのなんでもない日々のことごとに、それほど親近感があるわけでもないので、やめておくことにする。
読了日:11月28日 著者:高山 なおみ


病んでるときは南木佳士を選んでおけば、間違いない。自分がしばらく元気だったので忘れていた。『状況に慣れて肩の力の抜けたからだは外に向かって開いているから、案外多くの情報をあるがままに受け取っているのだ。そこに妙な力が加わると、五感の入り口が狭まる』。それが今の私だ。気づくと肩や背中を強張らせている。南木さんは自らを開く方法を知っている。『血のめぐりがよくなったからだは外界に向かって開いてゆく。開いたからだには澄んだ大気がもろに入って、よどんだものを追い出してくれる』。床拭きか、稽古か。汗をかきたくなった。
南木さんは「こころ」という単語をを使わない。『からだと精神の微妙な関係を「こころ」でくくってしまったら、多くのものを取りこぼしてしまう気がする』と言う。その感じが、私もわかるようになった。心理学専攻なのに、自分がおかしくなる。「こころ」を越えて、「からだ」に戻ったのだと思う。からだを使って働く人は、とっくに知っている当たり前のことなのだろう。ちょっと、活字を離れる時間を確保しないと。
読了日:11月27日 著者:南木 佳士

気分が鬱屈する。そうだ、こういうときは世間の四方山何処吹く風な人のエッセイを読むのがいちばんだ。行きたいところへ行って、他人に構わずしたいことをして、焚火を眺めて酒呑んで話して、"人生の至福の時間"を味わう。「こうなければならない」はなくて、それぞれにいろいろあるからこそ、無意味さの中に意味がある。いわく「焚火酔談」。シーナさんたちはこのとき30代。それからもう30年以上も、彼らはこうして『ほんほだほひだほひだはふはふ』しているのだ。なんて羨ましい。ずりずらりい。
読了日:11月25日 著者:椎名 誠


『友だちがロマンチックにも毒を盛られるなんて、こんなにゾクゾクすることなんか、めったにあるもんじゃないわ』。待ってました、お侠なお嬢様ヒロイン。緑色のベントレーを乗り回し、変装し、ずいずいと事件に首を突っ込んでいく。人物が多めなこともあるけれど、事態は思わぬ方向、思わぬ方向へと転がって、謎が尽きない。飽きない。そして、犯罪者ってこんなに魅惑的なものだっけ?と思うほど、主人公たちも私も、いつの間にか犯人に肩入れし、勝手に容疑者リストから外してしまっていたことに、真相が判明して気づくのだ。クリスティに万歳。
読了日:11月19日 著者:アガサ クリスティー


ルヌガンガで気になっていた本。『本などに関する、きわめてゆるやかで、のびやかで、すめやかで、ほややかな調査』エッセイの単行本化。このところ心的消耗が激しいので、ほろろんな気持ちになるべく読ませてもらう。しかし本は腐るの項で慄く。曰く積読本には小悪魔が取り付いてロクブリンシチブリンと成長し、ハチブリンで開かなくなるという。ならば私のソローは最早ただの木片と化しているかもしれない。そしてほややかな癖に、カラマーゾフが何人兄弟だったのか、またレ・ミゼラブルのユゴー翁の脱線っぷりを確認したい、ヘヴィな衝動を誘う。
読了日:11月15日 著者:堀井 憲一郎

Twitterで人気とのこと。老いも若きも、熱きも冷たきもと、さまざまな体質とライフステージを想定している。加えて、私が基本的には中庸のからだを持っているからだろう、季節に合わせて読み進めても、365日のうち、身に覚えのない日の方が断然多かった。しかし読み終えてぱらぱら見返している今は、あちこち目に留まる。治療と休養が必要と言われるとほろりとする。あらあら。心身に不調があるときに読めばよかったのか。ストレス+パソコンで『血を多く消耗』している状態らしいので、深呼吸を。それからクコの実食べよう。
読了日:11月13日 著者:櫻井 大典

スウェーデンのアドベンチャーレーサーが、レース中についてきた野良犬をエクアドルから連れ帰る。けっこう難関だ。犬と人の繋がりももちろん、アドベンチャーレーサーのメンタルという、常人には理解しがたいやつが興味深かった。『苦しみのなかから湧いてくる力は、自分に備わった能力だと思うんだ』。いや、苦しみとか以前にそもそも人間があえてやるべきことじゃないと思うが、従軍経験とそうかけ離れていないのだろうか。アーサーには、男に棒で殴られたらしい大きな傷がある。なのにまた人間に全幅の信頼を寄せることができる、犬って天使だ。
読了日:11月10日 著者:ミカエル リンドノード,Mikael Lindnord


明治六年、渋沢栄一は官僚を辞めて実業家に転じる。商売を振興しなければ日本が発展しないと思ったという。その晩年の訓話をまとめたもので、利を生まなければ商売ではないが、正しき方法で利を生み、経国済民のために使うのが道理と繰り返し説く。現代の御用商人に聞かせてやりたいですな。つまり"論語と算盤"は、武士の道徳と商人の経済の義理合一を説くためのキャッチコピーである。先日の大統領選、バイデン氏の勝利演説について言われるように、世間に「道義的に正しいことを言い続ける」ことの重要性を渋沢翁も心していたと推察できる。
読了日:11月09日 著者:渋沢 栄一


メルマガの加筆編集本。「本当のことを言ってはいけない」と題したのは編者であろう、著者は言いたい放題、快調そのものである。「国民の知的レベルの二極化」の章が興味深い。日本語で書かれる学術系書籍が減っているのに伴い、一般人の自然科学や人文科学へのリテラシーが低下し、一方で学者の異分野への理解も低下したと指摘するものだ。これは、学者が一般向けに書いた書籍で視野の狭さを感じるものが時々あるので肯ける。結果的に知的中間層が衰退する。この深刻さは上記のみならず、現在の日本学術会議問題にもつながる点、全く些事ではない。
読了日:11月05日 著者:池田 清彦


銃による狩猟を、しかも単独忍び足で。こんなに魅力的な響きがあるだろうか。『身体が勝手に小枝を避けて歩く』など格好良すぎる。静かな山の中で耳を澄まして、痕跡を探り、獣と対峙し、決着の一瞬を賭ける。30年前に比べ、今では山にいる獣の数が格段に増えているために、昔ではありえなかった単独猟が可能になっているという話には、なるほどと唸った。それにしても、仕留めた獣を水で冷やし、その場で解体し、汚染しないよう肉を包み、担ぎ、道なき斜面を車まで戻る工程を全て独りでこなさなければならない。これは私には無理だな、と悟れた。
まあ、休みのたび山中を彷徨したり、服に獣の血を付けて帰宅したり、毎日銃を点検して、弾の装填と脱包を繰り返し練習したりして生活するには家族の深い深い理解が欠かせない。あと、子供がくっついて歩いている母親は、私には殺せない。シカでもイノシシでも、撃たれて事切れ、斜面を転がり落ちる母親を子供たちは追いかけるという。呼んで鳴き続けるという。奪わずに済むなら、獣であっても子供から母親を奪いたくない。猟師の本分からも、農作物に害成す獣を減らす向きからも、この感傷は邪魔だろうな。
読了日:11月03日 著者:武重 謙


内田先生のいつものお話。最近書かれている、これからの日本社会についてのトピックが集まっている感じ。成長主義経済から定常化経済へ。グローバル化からローカル化へ。資本主義の終わりから、まだ見えない潮流の始まりに向けて。いや、それは実はもう始まっていて、片鱗は方々に見えているのだ。その先に何があるのか、矯めつ眇めつ考察する内田先生のお話はやっぱり面白い。「廃県置藩」は興味深いアイデアだ。藩は日本の山河による境目に合わせて形づくられたと聞いたことがある。そうなったら、おもしろいことになりそうだなあと妄想する。
3.11の後、すぐに避難した人と、しばらく経って避難した人の違いについての考察が興味深い。直感で判断するか、論理で判断するかの差だとすれば、私は後者だろう。良い悪いを言っているのではないと内田先生は言う。ただ、内田先生の武道論からいえば、直感で逃げることのできる人の方が動物的能力が高く、生き延びる可能性も高いことになる。考えて考え抜いてから動く。そのことにデメリットというべきか、一歩遅れることのほかにも、どこか事態に齟齬を生む要素がある気がする。直感と論理の働きの違い? この違和感を覚えておく。
読了日:11月01日 著者:内田 樹
注:

Posted by nekoneko at 17:13│Comments(0)
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