2021年07月01日
2021年6月の記録
余計なことを考えないために、活字を頭に流し込むような読書だった。
読みながら、耳は猫の異変を察知するべく、常にそばだてていた。
先週とうとう旅立っててしまった猫に、できることはすべてしてやれたと思う。
でも寂しいなあ、とめそめそしていたら、人間の家族との関係がきしむ気配が。
活字に逃げ込む暇は、ない。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用8,050円。
読了17冊。
積読本260冊(うちKindle本103冊、Honto本23冊)。
6月の読書メーター
読んだ本の数:17
ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス Dialogosの感想
オリンピックにまつわる対談集。2020年のオリンピックに向けた企画だが、新型コロナの発生とオリンピック延期もあって話題も様々。対談相手それぞれに合わせた振りを用意するとみえ、その人の専門分野に絡まる対話が深まる。そう、対話。一方的でも、上滑りでも、対話ではない。対話ってスキルが要求されるよなあ。オリンピックは、そもそも神事だったという。スポーツや運動の意味を考えるのに、宗教性との関連という視点は興味深い。演るほうも観るほうもハイになるものね。国威やら放映権やら金やらがついてきたあたりからややこしくなった。
読了日:06月27日 著者:ヤマザキ マリ
THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本の感想
ブレイディみかこの文章が持つ底力は、どこからくるのだろうと探りながら、押し流されるように読んでしまう。日本に住んでいた頃は無教養な貧乏人の娘だったと告白しつつ、社会システムの中に蔓延るイデオロギーや現実を強靭な言葉であぶり出し、論じてみせる。イギリスの保育士のカリキュラムは、社会的な情勢やシステムを含めて考察するものであるという。曰く、『ミクロの日常からマクロの政治を見上げる習慣』。個人が社会的階層や貧富格差を越えて、目の前のことを捉え、社会をより良く変えんとする基本的な思考訓練、それが今の日本には無い。
読了日:06月26日 著者:ブレイディ みかこ
猫の學校2 老猫専科 (ポプラ新書)の感想
3日前、14年間を一緒に暮らした猫を看取った。この本がいちばんの指針となり、心の支えになったと思う。あなたの取ったケアは間違いじゃない。獣医に任せる代わりに、自分が全力で観察し、生きている今を支えることに集中する。猫自身の生きる力を信じる。おかげで、私のすべきこと、伝えるべきことは、全てさせてもらったと猫に感謝もできた。今はただ、寂しい。まだ辛いこのタイミングで再読したのは、遠からず逝く猫がもうひとりいるから。もう一度肚を決め直すために。やるべきことをやるために。『猫は人のために生きているわけではない』。
読了日:06月26日 著者:南里 秀子
日本国憲法の感想
個々の条文を吟味する程の教養も私には無いわけで、読んだと公言するのもおこがましいのだけれども、青空文庫で読めるならば一度目を通しておくべきかと。憲法は崇高な理念を顕し、また国家システムの大枠組みを定めるものと読む。GHQ原案の英語の条文も寄せ集めならば、翻訳作業も突貫であったにもかかわらず、『人類普遍の原理』としての理念を私は美しいと思う。私は、国の枠組みについての、よほど時代錯誤的な部分を微修正する以外は、このままが良いと思う。イデオロギー的な浅知恵での姑息な改憲には断固反対する。
読了日:06月25日 著者:日本国
京大変人講座: 常識を飛び越えると、何かが見えてくる (単行本)の感想
日本の大学の双璧とも呼ぶべき東京大学と京都大学。官僚の育成を目指した東大と、自由を目指した京大。討論の東大と対話の京大。ヘンであることは、発想が自由であること。我が道を究めるために変人に成るのだという。私は京大に感じ取る野放図さが好きでタイトル買いしてしまったが、意外にまじめな講義集だった。それぞれの研究者の講座にはヘンなエピソードはさほど挟まれておらず、少々狙いが外れた感はあり。太陽系惑星の成り立ちの講義(地球の教室)と、鮨屋の作法についての講義(経営の教室)が面白かった。京大の文化、不変なれ。
読了日:06月22日 著者:酒井 敏,小木曽 哲,山内 裕,那須 耕介,川上 浩司
帰ってきた 日々ごはん〈7〉の感想
高山さんは六甲の家や街を、東京よりも謙虚になれる場所と言っている。仕事も、日記やエッセイや絵本の文筆業にスライドした感じ。料理家本の仕事もなくなって、家族への義務もなくなって、相変わらず人の出入りが絶えない家だけれど、豊かな自然を日々眺める、よりゆったりした生活になっている。来客に出す料理が気負ってなくて、ごちゃっとした料理じゃなくて、品数もあって、自然体で献立が湧き出てくる感じが羨ましい。引き出しが多いのだ。Kindle Unlimitedで読めるのはここまでなので、いったんシリーズ終了。
読了日:06月19日 著者:高山なおみ
帰ってきた 日々ごはん〈6〉の感想
スイセイさんが独りで暮らす吉祥寺の家。スイセイカスタマイズされた部屋は高山さんが思うのとは違う意味で整っていた。その人その人の「したい生活」の様式は皆違う。お互いにしていた我慢や遠慮からの開放を味わう時期。そういう表現がぽろぽろと混ざり込んでいる。スイセイさんの傘に守られている自分。はみ出した自分。抑えてた自分。スイセイさんとうまくやれない自分。新しい神戸の生活の描写の下に伏流する葛藤。『その人といつまでも一緒にいられると思ったとたん、目には見えないくらいの微妙さで、関係はくすぶり、こわれはじめる』。
読了日:06月18日 著者:高山なおみ
帰ってきた 日々ごはん〈5〉の感想
この巻だけ本で読んでみて、読み心地が電子書籍と違うのに感動した。さて、いよいよ別離の時。別離が近づくと、お互いに優しくなる。「お風呂入れ」とか「洗濯させろ」とかつけつけ言ってたのか。つくったごはんをおいしいと言ってもらえなくなったの、うちも同じだな。つくるほうもやっつけになっているから、どっちもどっち、全てが相互作用なのだろう。私は、人と人の物理的距離=心の距離になると思っているので、別々に住むという選択は別れの覚悟あってのことと感じる。『みいよう、リラック、リラックでの。ほいじゃが、楽しいと思うで!』
読了日:06月17日 著者:高山なおみ
ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見の感想
狼への情熱あふれるノンフィクション。なにがすごいといって、専門家でないにもかかわらず、大英自然史博物館までニホンオオカミのはく製を見に行ったり、岩手県の古文書庫に残る記録に感激して、55件の届出人の子孫を訪ねて回ったりするのである。狼の記憶を聞き取り、記録に留める意味は大きい。日本の狼は大陸の狼より小柄でも獰猛だったようで、身近に狼がいた頃の日本人の暮らしには緊張感がある。なにしろ家畜が全滅したり、人間の子供が喰われる時代もあったのだ。日本人は狼を恐れつつ戦い、祀った。今は無い原生林に群れる狼の幻を想う。
『狼は岩手県に千頭くらいはいたもんです。恐ろしいもんだったが、そんなに人にかかるもんではない。狐や狸なみに人里にも出はって、人間と共存していたもんです』。狼は生態系の頂点にあった。人間の土地開発から鹿などの獲物が減少、狼は里の家畜や人間を狙い始める。人間と野生生物が共存できなくなっていく流れはいつも同じだ。元禄から明治にかけては狼捕獲に役所が賞金を出すなど、手を尽くして狼を狩り尽くし、絶滅に追い込んだ。現代、狼の復権を考えるとき、現代の日本人がわずかの被害も容認できないことは想像に難くないと溜息が出た。
読了日:06月17日 著者:遠藤 公男
帰ってきた 日々ごはん〈4〉の感想
パートナーが家にいると時間を気にし、ごはんの段取りを気にし、とどうしても忙しない。スイセイさんが山の家へ行ったり広島に帰ったりで、高山さんは独りの時間が増えた。ごはんや日課が適当になってくる。むしろ、独りなら食べずに済ませたい日も、パートナーがいるとそういう訳にいかないってこと多々あるわね。それが、自分のためだけにつくるごはんを楽しめるように変化する日の描写が象徴的だった。この巻は大みそかの喧嘩で終わる。番外、スイセイさんの日記はちょっと趣味じゃなかった。ちゃんと書いた文章は理が通っていて好きなんだけど。
読了日:06月12日 著者:高山なおみ
帰ってきた 日々ごはん〈3〉の感想
高山さんとスイセイさんはよく喧嘩をするという。文章の中にはそれほど出てこないけれど、その行き違いがお二人の別離につながってゆくのだろう、と想像して読んでいる。別離に向け距離感が増すのかと思いきや、逆にスイセイさんの存在にすがるような、感傷的な描写も多い。夫婦には夫婦の数だけ在り方がある、か。ごはんを「上っ面だけで作っていた」という言葉にどきりとする。あまり考えなくてもできる献立でやり過ごす感じが、猫たち優先で、人間の家族を我慢させているかもしれない私自身のことと重なって狼狽えた。向き合わなければ。
読了日:06月12日 著者:高山なおみ
人口減少社会の未来学の感想
寄稿陣に知らない名前がほぼ無い新型コロナ発生前の論集。それぞれの専門的視点から測る日本の取り得る策は多彩だ。新型コロナは日本が隠し持っていた諸問題を顕在化し加速化するだろう。「未来」もより近づく。人口減少のペースがどうであれ、合わせて社会構造を変革する必要がある点では異論がなく、現代における社会包摂の形が問題だ。個人的には農業+ベーシックインカム+αな生き方が妥当な気がしている。しかし政界財界をはじめ、男が牛耳っている世界は変革が遅れるだろうから、ボトムアップの力でなんとかするしかないのだろうな。
読了日:06月10日 著者:
帰ってきた 日々ごはん〈2〉の感想
『ここにある毎日は、ちっとも確かなんかじゃなく、いつ壊れてもおかしくない、いろいろなできごとで成り立っている』。それでも前に進む日々。とうとう、小耳に挟んではいたその時が近づいてくる。高山さんは『胸に浮かんだ言葉を並べるように』書く。感性を大事にしている。でも、読者が読んで心地よくない感情は、文章の中に書かない。だから、ごはんをつくらないことも、予定を変更することも、読み手は自然体と受け取る。行間にはたくさんの諍いがあるのだろう。スイセイさんは山の仕事が楽しくて、独りで行って作業することも多くなった様子。
読了日:06月08日 著者:高山なおみ
帰ってきた 日々ごはん〈1〉の感想
高山さん、五十路の記。日記エッセイの途絶と再開のいきさつを、スイセイさんが客観的かつ端的に巻末にまとめている。スイセイさんの見解を直接に聞くことはないので、貴重なものを読んだ感じがする。高山さんとスイセイさんの出会いはそのまま現在の仕事と生活、つまり暮らしの全部につながっている。歳を取った自分たちの姿や、山の家での暮らしなど、未来を想うのは人の心に普通のことだ。未来から見れば幻であったとしても。さらにりうさんの結婚、孫たちの世話。産んでないのに育てる役回りがあるというのは福がある。と思うのは私の願望か。
読了日:06月06日 著者:高山なおみ
偉くない「私」が一番自由 (文春文庫)の感想
佐藤優による米原万里アンソロジー。緩急硬軟の自在っぷりを活かすセレクトになっている。ロシア料理になぞらえた趣向だそうだ。専門が同じロシア圏というだけではない、もっと強いつながりを感じていたということなのだろうか。米原万里は佐藤優の逮捕前日、ごはんに誘う電話をかけている。時代ゆえか、置かれた環境ゆえか、いずれにせよ時勢を見切る目を持っていることをお互いに知っていたのだろう。文学、食べ物、仕事、癌などトピックは様々。「金色の目をした銀色の猫」はロシア人の気質も感じ取れる素敵なエッセイだ。
読了日:06月04日 著者:米原 万里
猫の學校2 老猫専科 (ポプラ新書)の感想
遠回りしても、最後はこの本に戻ってくるのだ。猫の変化が、老いによる衰弱なのか、病による苦痛回避なのかわからず、苦痛なら和らげてやりたいとあれこれ手を出してしまう。今日は食べたとか、部屋から出てこないとか、一喜一憂してしまう。老年期に入ったら猫の生きる意志に任せるべきと、南里さんは繰り返し言う。プライドを傷つけない。食べることを無理強いしない。普段通りの生活を続けられるようさりげなく支える…。死の瞬間まで常によくなろうとするからだの働きを信じ、目の前に今いる猫に寄り添う、毎日が試練で訓練だ。がんばれ私。
読了日:06月04日 著者:南里 秀子
症例から学ぶ和漢診療学の感想
長年の知見が詰め込まれた実用の書。気水血、五臓、陰陽/虚実/寒熱/表裏、六病位の全ての相から証を探りあてる手順と手がかりを詳細に記してある。組合せは膨大、百人百通りだ。いくら医学生に履修を義務づけたとはいえ、全く別の論理で形成された理論を持つ東洋医学を、西洋医学を志す学生が理解するには、脳みそがでんぐり返るようなパラダイム転換が必要と想像される。よくある「慢性肝炎に小柴胡湯」は西洋医学の疾病分類に基づく考え方であり、漢方処方の本分である証が陰かつ虚である場合には、ベクトルが真逆の悪処方になるとわかった。
読了日:06月03日 著者:寺澤 捷年

注:
は電子書籍で読んだ本。
読みながら、耳は猫の異変を察知するべく、常にそばだてていた。
先週とうとう旅立っててしまった猫に、できることはすべてしてやれたと思う。
でも寂しいなあ、とめそめそしていたら、人間の家族との関係がきしむ気配が。
活字に逃げ込む暇は、ない。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用8,050円。
読了17冊。
積読本260冊(うちKindle本103冊、Honto本23冊)。
6月の読書メーター
読んだ本の数:17

オリンピックにまつわる対談集。2020年のオリンピックに向けた企画だが、新型コロナの発生とオリンピック延期もあって話題も様々。対談相手それぞれに合わせた振りを用意するとみえ、その人の専門分野に絡まる対話が深まる。そう、対話。一方的でも、上滑りでも、対話ではない。対話ってスキルが要求されるよなあ。オリンピックは、そもそも神事だったという。スポーツや運動の意味を考えるのに、宗教性との関連という視点は興味深い。演るほうも観るほうもハイになるものね。国威やら放映権やら金やらがついてきたあたりからややこしくなった。
読了日:06月27日 著者:ヤマザキ マリ

ブレイディみかこの文章が持つ底力は、どこからくるのだろうと探りながら、押し流されるように読んでしまう。日本に住んでいた頃は無教養な貧乏人の娘だったと告白しつつ、社会システムの中に蔓延るイデオロギーや現実を強靭な言葉であぶり出し、論じてみせる。イギリスの保育士のカリキュラムは、社会的な情勢やシステムを含めて考察するものであるという。曰く、『ミクロの日常からマクロの政治を見上げる習慣』。個人が社会的階層や貧富格差を越えて、目の前のことを捉え、社会をより良く変えんとする基本的な思考訓練、それが今の日本には無い。
読了日:06月26日 著者:ブレイディ みかこ


3日前、14年間を一緒に暮らした猫を看取った。この本がいちばんの指針となり、心の支えになったと思う。あなたの取ったケアは間違いじゃない。獣医に任せる代わりに、自分が全力で観察し、生きている今を支えることに集中する。猫自身の生きる力を信じる。おかげで、私のすべきこと、伝えるべきことは、全てさせてもらったと猫に感謝もできた。今はただ、寂しい。まだ辛いこのタイミングで再読したのは、遠からず逝く猫がもうひとりいるから。もう一度肚を決め直すために。やるべきことをやるために。『猫は人のために生きているわけではない』。
読了日:06月26日 著者:南里 秀子

個々の条文を吟味する程の教養も私には無いわけで、読んだと公言するのもおこがましいのだけれども、青空文庫で読めるならば一度目を通しておくべきかと。憲法は崇高な理念を顕し、また国家システムの大枠組みを定めるものと読む。GHQ原案の英語の条文も寄せ集めならば、翻訳作業も突貫であったにもかかわらず、『人類普遍の原理』としての理念を私は美しいと思う。私は、国の枠組みについての、よほど時代錯誤的な部分を微修正する以外は、このままが良いと思う。イデオロギー的な浅知恵での姑息な改憲には断固反対する。
読了日:06月25日 著者:日本国


日本の大学の双璧とも呼ぶべき東京大学と京都大学。官僚の育成を目指した東大と、自由を目指した京大。討論の東大と対話の京大。ヘンであることは、発想が自由であること。我が道を究めるために変人に成るのだという。私は京大に感じ取る野放図さが好きでタイトル買いしてしまったが、意外にまじめな講義集だった。それぞれの研究者の講座にはヘンなエピソードはさほど挟まれておらず、少々狙いが外れた感はあり。太陽系惑星の成り立ちの講義(地球の教室)と、鮨屋の作法についての講義(経営の教室)が面白かった。京大の文化、不変なれ。
読了日:06月22日 著者:酒井 敏,小木曽 哲,山内 裕,那須 耕介,川上 浩司


高山さんは六甲の家や街を、東京よりも謙虚になれる場所と言っている。仕事も、日記やエッセイや絵本の文筆業にスライドした感じ。料理家本の仕事もなくなって、家族への義務もなくなって、相変わらず人の出入りが絶えない家だけれど、豊かな自然を日々眺める、よりゆったりした生活になっている。来客に出す料理が気負ってなくて、ごちゃっとした料理じゃなくて、品数もあって、自然体で献立が湧き出てくる感じが羨ましい。引き出しが多いのだ。Kindle Unlimitedで読めるのはここまでなので、いったんシリーズ終了。
読了日:06月19日 著者:高山なおみ


スイセイさんが独りで暮らす吉祥寺の家。スイセイカスタマイズされた部屋は高山さんが思うのとは違う意味で整っていた。その人その人の「したい生活」の様式は皆違う。お互いにしていた我慢や遠慮からの開放を味わう時期。そういう表現がぽろぽろと混ざり込んでいる。スイセイさんの傘に守られている自分。はみ出した自分。抑えてた自分。スイセイさんとうまくやれない自分。新しい神戸の生活の描写の下に伏流する葛藤。『その人といつまでも一緒にいられると思ったとたん、目には見えないくらいの微妙さで、関係はくすぶり、こわれはじめる』。
読了日:06月18日 著者:高山なおみ


この巻だけ本で読んでみて、読み心地が電子書籍と違うのに感動した。さて、いよいよ別離の時。別離が近づくと、お互いに優しくなる。「お風呂入れ」とか「洗濯させろ」とかつけつけ言ってたのか。つくったごはんをおいしいと言ってもらえなくなったの、うちも同じだな。つくるほうもやっつけになっているから、どっちもどっち、全てが相互作用なのだろう。私は、人と人の物理的距離=心の距離になると思っているので、別々に住むという選択は別れの覚悟あってのことと感じる。『みいよう、リラック、リラックでの。ほいじゃが、楽しいと思うで!』
読了日:06月17日 著者:高山なおみ


狼への情熱あふれるノンフィクション。なにがすごいといって、専門家でないにもかかわらず、大英自然史博物館までニホンオオカミのはく製を見に行ったり、岩手県の古文書庫に残る記録に感激して、55件の届出人の子孫を訪ねて回ったりするのである。狼の記憶を聞き取り、記録に留める意味は大きい。日本の狼は大陸の狼より小柄でも獰猛だったようで、身近に狼がいた頃の日本人の暮らしには緊張感がある。なにしろ家畜が全滅したり、人間の子供が喰われる時代もあったのだ。日本人は狼を恐れつつ戦い、祀った。今は無い原生林に群れる狼の幻を想う。
『狼は岩手県に千頭くらいはいたもんです。恐ろしいもんだったが、そんなに人にかかるもんではない。狐や狸なみに人里にも出はって、人間と共存していたもんです』。狼は生態系の頂点にあった。人間の土地開発から鹿などの獲物が減少、狼は里の家畜や人間を狙い始める。人間と野生生物が共存できなくなっていく流れはいつも同じだ。元禄から明治にかけては狼捕獲に役所が賞金を出すなど、手を尽くして狼を狩り尽くし、絶滅に追い込んだ。現代、狼の復権を考えるとき、現代の日本人がわずかの被害も容認できないことは想像に難くないと溜息が出た。
読了日:06月17日 著者:遠藤 公男


パートナーが家にいると時間を気にし、ごはんの段取りを気にし、とどうしても忙しない。スイセイさんが山の家へ行ったり広島に帰ったりで、高山さんは独りの時間が増えた。ごはんや日課が適当になってくる。むしろ、独りなら食べずに済ませたい日も、パートナーがいるとそういう訳にいかないってこと多々あるわね。それが、自分のためだけにつくるごはんを楽しめるように変化する日の描写が象徴的だった。この巻は大みそかの喧嘩で終わる。番外、スイセイさんの日記はちょっと趣味じゃなかった。ちゃんと書いた文章は理が通っていて好きなんだけど。
読了日:06月12日 著者:高山なおみ


高山さんとスイセイさんはよく喧嘩をするという。文章の中にはそれほど出てこないけれど、その行き違いがお二人の別離につながってゆくのだろう、と想像して読んでいる。別離に向け距離感が増すのかと思いきや、逆にスイセイさんの存在にすがるような、感傷的な描写も多い。夫婦には夫婦の数だけ在り方がある、か。ごはんを「上っ面だけで作っていた」という言葉にどきりとする。あまり考えなくてもできる献立でやり過ごす感じが、猫たち優先で、人間の家族を我慢させているかもしれない私自身のことと重なって狼狽えた。向き合わなければ。
読了日:06月12日 著者:高山なおみ


寄稿陣に知らない名前がほぼ無い新型コロナ発生前の論集。それぞれの専門的視点から測る日本の取り得る策は多彩だ。新型コロナは日本が隠し持っていた諸問題を顕在化し加速化するだろう。「未来」もより近づく。人口減少のペースがどうであれ、合わせて社会構造を変革する必要がある点では異論がなく、現代における社会包摂の形が問題だ。個人的には農業+ベーシックインカム+αな生き方が妥当な気がしている。しかし政界財界をはじめ、男が牛耳っている世界は変革が遅れるだろうから、ボトムアップの力でなんとかするしかないのだろうな。
読了日:06月10日 著者:


『ここにある毎日は、ちっとも確かなんかじゃなく、いつ壊れてもおかしくない、いろいろなできごとで成り立っている』。それでも前に進む日々。とうとう、小耳に挟んではいたその時が近づいてくる。高山さんは『胸に浮かんだ言葉を並べるように』書く。感性を大事にしている。でも、読者が読んで心地よくない感情は、文章の中に書かない。だから、ごはんをつくらないことも、予定を変更することも、読み手は自然体と受け取る。行間にはたくさんの諍いがあるのだろう。スイセイさんは山の仕事が楽しくて、独りで行って作業することも多くなった様子。
読了日:06月08日 著者:高山なおみ


高山さん、五十路の記。日記エッセイの途絶と再開のいきさつを、スイセイさんが客観的かつ端的に巻末にまとめている。スイセイさんの見解を直接に聞くことはないので、貴重なものを読んだ感じがする。高山さんとスイセイさんの出会いはそのまま現在の仕事と生活、つまり暮らしの全部につながっている。歳を取った自分たちの姿や、山の家での暮らしなど、未来を想うのは人の心に普通のことだ。未来から見れば幻であったとしても。さらにりうさんの結婚、孫たちの世話。産んでないのに育てる役回りがあるというのは福がある。と思うのは私の願望か。
読了日:06月06日 著者:高山なおみ


佐藤優による米原万里アンソロジー。緩急硬軟の自在っぷりを活かすセレクトになっている。ロシア料理になぞらえた趣向だそうだ。専門が同じロシア圏というだけではない、もっと強いつながりを感じていたということなのだろうか。米原万里は佐藤優の逮捕前日、ごはんに誘う電話をかけている。時代ゆえか、置かれた環境ゆえか、いずれにせよ時勢を見切る目を持っていることをお互いに知っていたのだろう。文学、食べ物、仕事、癌などトピックは様々。「金色の目をした銀色の猫」はロシア人の気質も感じ取れる素敵なエッセイだ。
読了日:06月04日 著者:米原 万里


遠回りしても、最後はこの本に戻ってくるのだ。猫の変化が、老いによる衰弱なのか、病による苦痛回避なのかわからず、苦痛なら和らげてやりたいとあれこれ手を出してしまう。今日は食べたとか、部屋から出てこないとか、一喜一憂してしまう。老年期に入ったら猫の生きる意志に任せるべきと、南里さんは繰り返し言う。プライドを傷つけない。食べることを無理強いしない。普段通りの生活を続けられるようさりげなく支える…。死の瞬間まで常によくなろうとするからだの働きを信じ、目の前に今いる猫に寄り添う、毎日が試練で訓練だ。がんばれ私。
読了日:06月04日 著者:南里 秀子

長年の知見が詰め込まれた実用の書。気水血、五臓、陰陽/虚実/寒熱/表裏、六病位の全ての相から証を探りあてる手順と手がかりを詳細に記してある。組合せは膨大、百人百通りだ。いくら医学生に履修を義務づけたとはいえ、全く別の論理で形成された理論を持つ東洋医学を、西洋医学を志す学生が理解するには、脳みそがでんぐり返るようなパラダイム転換が必要と想像される。よくある「慢性肝炎に小柴胡湯」は西洋医学の疾病分類に基づく考え方であり、漢方処方の本分である証が陰かつ虚である場合には、ベクトルが真逆の悪処方になるとわかった。
読了日:06月03日 著者:寺澤 捷年

注:

Posted by nekoneko at 13:30│Comments(0)
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