2021年09月01日
2021年8月の記録
弱り目に祟り目と言うけれど。
猫たちのことで睡眠や食事が不規則になり、また亡くなってからは日々突発的に涙目になるような生活をしていればそれは難を呼び込んでいるようなもので、不注意から足の指を骨折してしまった。

動けないから盆休みもステイホーム、まん延防止なんたらのために体育館での練習も休止。
ならば在宅で読み放題といきたくも、体を動かさず活字だけを頭に流し込めば今度はメンタルが調子を崩すのは必至。
倦怠感が酷く、自分を騙すために酒を呑みながら食事をつくれば呑み過ぎて記憶を飛ばす始末。
わかっている。わかっている。でも悪循環が止まらない。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用11,846円。
読了14冊。
積読本262冊(うちKindle本105冊、Honto本18冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:14
雑草と楽しむ庭づくりーオーガニック・ガーデン・ハンドブックの感想
雑草の上手な残しかた。ちょっとした雑草の図鑑で、見たことのある雑草がたくさん載っていて楽しい。処し方も知れば選択肢は増えるもので、人や車が通る箇所はまめに踏む&抜く、残りの余白は地上5cmの高さで刈る&抜くというのが私の夢想。一定の高さで刈っているとその高さで花実がつくようになるとは別の本で読んだけれど、5cmの高さだと雑草の生長が最も遅くなるという著者の経験則にも驚く。2週間ごとに刈るのは大変でも、刈った匂いは良いのではと想像したり。まあ、実際に管理すべき庭ができたらたちまち音を上げそうだけれどね。
読了日:08月29日 著者:ひきちガーデンサービス,曳地トシ,曳地義治
アーネスト・サトウの明治日本山岳記 (講談社学術文庫)の感想
日本駐在中の山旅の記録。外国人にとってのガイドを目指した記録ようの文章と、旅日記ようの文章が収録されている。当時から登山道や山小屋、茶屋というものはあって、それは日本人にとっては、生計の必需を除けば、参拝、修験、湯治などの目的があって山に登ったのだろうから、著者のような現代的な登山、登山のための登山は珍しかったのではないだろうか。案内に雇った地元の若者が見事な愚図馬鹿三人組で、それが地質学や動植物学の知識、山歩きの技術にも長けた著者を馬鹿にした態度を取ったとあっては、さぞ腹立たしかっただろうと苦笑した。
読了日:08月28日 著者:アーネスト・メイスン・サトウ
コモンの再生の感想
GQのQ&A式トーク書き起こし連載。2016年から2020年までで触れられた東京五輪の失敗も、新型コロナのパンデミックも、まさかこのようなことになるとは、と嘆息するしかない。さてベーシック・インカムについてのトピック。ベーシック・インカムが奏功するためには、社会が開放的で流動的である必要があると内田先生は説く。裕福に暮らすには足りない程度の収入が国から支払われるとして、日本人はどのくらいそれを堂々と受け取り、自らの価値を貶めず、利他的になることができるのだろう。私の今までの想像は楽観に過ぎたのか。
読了日:08月26日 著者:内田 樹
ロビンソンの末裔 (角川文庫)の感想
ロビンソンとはクルーソーだろうか。終戦前夜、陸軍の甘言に騙されて、東京の困窮した人々が北海道へ渡る。身一つで"カイタクさん"となり、不毛の農地で生き抜いた人を漂着者になぞらえたと読んだ。上野駅構内や、北へ向かう列車の中にむせ返る臭いもさながら、北海道の風吹きすさぶ地でも、建てた拝み小屋の床に漂い始める人間の痕跡は、開高健ならではの描写だ。あと忘れてはならないのは食べ物の描写への執着。飢えた記憶がこれを書かせたかと思うほどで、冒頭の、北海道で待つはずの垂涎の味覚と、連日のスイトンの落差たるやもう呪いである。
読了日:08月22日 著者:開高 健
中国はここにあるの感想
原題「中国在梁庄」。著者は居住している北京から、故郷河南省鄧州市の農村へ里帰りし、研究の一環として村の人々に聴き取りをする。3つの時代が対比的だ。1960年頃、家族が餓死することが珍しくなかった時代を経て、美しい自然の中で貧しいながらも作物を育て、宗族が協力して生きた時代、そして現金収入を得るために一家離散し、人とのつながりや文化が分断する現代。著者が典型的な農民、表情の乏しさと呼ぶものが、彼らが致し方ない辛苦をやり過ごす力、裏返せば生命力の表れであると考えることができるものか、じっくり反芻してみたい。
中国国内の出稼ぎは、日本の単身赴任とは違う。日本の都市部のフリーターに似ているが、結婚していたとしても子供を育てる余裕も預ける余裕もなく、故郷の祖父母のもとに残す。余程教育か技能が無ければ地方都市の建築現場、アクセサリー工場、高温のプラスチック工場、鋳造工場など、劣悪な環境下で働く。都市で働いたとしても最下層、誇りはくじかれていく。父母や子供に会えるのは年に数日。それでも現金を貯めれば故郷に家を建てられるあたり、日本のフリーターよりは希望が持てるぶんマシかと考えてみると、げんなりした。
中国の農村の、垣間見る彼らの論理や習俗はそういうことだったのかと興味深い。火葬を厭う人々に火葬を押しつけることで生じる葛藤や、身内を優遇したり、意に沿わない者を組織的に村八分にするやり方は既視感がある。一見貧しい、昔ながらの風俗や習慣を否定するように、コンクリートや洋風の街づくりを性急に進めることで、その実、良かったものまで振り捨てていく様子は、江戸から明治に変わった時代に日本で起きたことと似ていはしないか。社会が変化したとて民族の根は変わらない、それは中国でも日本でも同じだろう。
読了日:08月21日 著者:梁 鴻
本の雑誌459号2021年9月号の感想
海外ノンフィクション特集が良いと高野秀行氏がツイートしていたので。知っている本が多くて意外なのもそのはずで、普段HONZルートと高野/内澤/宮田ルートの両方から情報収集をしているからだ。読みたいと思った本は私がノンフィクションに手を出す以前のもの。ノンフィクションはハードカバーが多く、また電子書籍化しない出版社から出ることも多く、文庫化/Kindle化されることがないまま絶版になってしまうものが大半だ。古書で探して買うか、これ以上積むのか、しかし今買っておかなければ読めなくなるかもしれない焦燥感で一杯。
読了日:08月16日 著者:
追想五断章 (集英社文庫)の感想
プロローグがとかく不穏で、これが某古書店ものラノベシリーズのような展開にならないであろう見当はつくのだが、まあどの景色も暗くて気が滅入る。芳光にも、これっぽっちの報酬への渇望よりも、どこか脱出口を求める気持ちの方が共感できそう。リドルストーリーの仕掛けに疑義が浮上した時点で、得心と、もっと陰惨な展開への覚悟をしたのだけれど、それは私の欲であったのかもしれない。結論、父は可南子を愛していた。可南子はそれだけで十分とするべきで、芳光の家族はなんとか繕っていかねばならないのが読後のすっきりしないところだ。
読了日:08月13日 著者:米澤 穂信
サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか (ちくま新書)の感想
服部氏は「ズルなしで生きる」を日々体現しようとしている。能力より道具が山頂到達の成否を左右する現代登山への疑念から、サバイバル登山へ。つまり余計な文明的道具は使わない!と宣言しつつ、最新の素材だったりズルして小屋に入ったり嘘の計画書を提出したりと、笑い呆れても憎めないのは人柄。そこまででも並々ならぬ行動力なのだから、目くじらを立てるべきではないだろう。我が道を行ってしまっているくせに他人から言われたことに繊細に傷ついたり、馬鹿正直に内面を吐露してしまったりも微笑ましく。青海から上高地。雷鳥のくだりが好き。
『遭難しに行って、遭難せずに帰ってくるのが登山です』。
読了日:08月12日 著者:服部 文祥
オオカミの生き方の感想
多作にもかかわらず翻訳された作品がなく、偶然出会えたのは「葉っぱの坑夫」さんのおかげ。アメリカ北部の豊かな自然の中、動物の跡をそっと追跡して観察するやりかたで、シンリンオオカミの生態を描いている。『事実は明快だが、動機は確かではない』と、行動理由の推測は控えめだが、行動は雄弁である。オオカミは必要以上に狩らず、必要以上に食べず、仲間や他の動物と争うどころか、分け与える行動を見せる。社会性と協調性は人間以上じゃないか。自宅の庭先で小動物や鳥を観察する「鳥たちの食卓」も優しく好い読み心地。もっと読みたいな。
読了日:08月11日 著者:ウィリアム・ロング,大竹英洋
江戸問答 (岩波新書 新赤版 1863)の感想
江戸と明治の間には断絶がある。西洋の流儀を知った時に、日本人は自前の文化に倦んでばっさり捨てたのだと言う人があったが、いずれにしても江戸に栄えた文化の様相を、私たちは断片的な知識とイメージでしか知らないという事実をお二人の対話から知る。人々は趣味や行事の集まりごとにいくつも参加し、人や情報の繋がりが縦横無尽だった時代。多層的な知が変異し深化し、その多様さが経済的な活性化にもつながっていた豊かな時代。それが連綿と現代に通じていることを私も実感したいので、私なりの好奇心で江戸のことをもっと知ることにする。
明治の時代、日本人は日本のことを欧米に紹介する際、武士道など欧米の価値観に迎合する日本像を描いて提示し、遊びやいい加減さ、言語化されない部分を半意識的に省いた。すると今度は逆に、欧米に認識された日本像に合致するように、人々が行動と思考の様式を変え始めた。それが断絶の真実であるという考え方は、ひとつ納得できるように思う。
読了日:08月09日 著者:田中 優子,松岡 正剛
地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)の感想
一ノ瀬泰造、24歳。『いい写真にならなかったけど、一生懸命に走り回り、おそろしい、充実した日だったから酔いたいのサ』。基本的に陽気。さっき一緒に遊んだ子供が撃たれて死んだり、自分の膝の肉が抉られたり、それは決して生易しい状況ではない。写真が好きである/写真で食っていきたいという若々しい情熱と、当時のカンボジアの、生活と戦争がごた混ぜな異様が、ちぐはぐで飲み込めないまま、一ノ瀬泰造はアンコールワットへの憧れを募らせていった。最期、クメール・ルージュに捕まったときも、彼は相変わらず彼らしくふるまったのだろう。
読了日:08月08日 著者:一ノ瀬 泰造
地球温暖化で雪は減るのか増えるのか問題の感想
基本的に気象学から解説する日本の雪の話。さて、地球温暖化による気候変動と異常気象(30年に一度級)は別物である。ということは、近年頻発する酷暑や豪雨はもはや異常気象ではなく、常態と言わねば。雪について言えば、気温上昇に伴ってひと冬に降る雪の総量は減るが、気温が上昇して海から水蒸気化する水分量が増える分、寒い地方の雪の量は増え、ドカ雪被害も常態化しそうだ。他にも、北極海の海氷が減ると海から熱と水蒸気が大気に供給され、大気の流れが変わることで、日本に寒気が流れ込んで寒くなる現象もあるとか、想像どおりでない。
読了日:08月07日 著者:川瀬 宏明
イグアノドンの唄 ——大人のための童話——の感想
終戦直後、雪に閉ざされた食糧難の疎開地の夜、著者はドイルの「ロスト・ワールド」を子供たちに読み聞かせる。子供たちは大いに物語を楽しむ。子供のひとりは栄養失調のためにその後急死してしまうが、他のひとりは長じて自分で読み耽っているのを、著者は見守る。希望ある物語は生きている者の中で育まれ、もう世界のなにもかもを人類は知っているかのような気でいる世界に、誰も知らないことを発見する原動力になるのかもしれない。科学者である著者のそんな願いが感じられる。『それでよいのだ、生きる者はどんどん育つ方がよいのだ』。
読了日:08月03日 著者:中谷 宇吉郎
オーストリア滞在記 (幻冬舎文庫)の感想
新型コロナにより各国の入出国制限がかかる寸前に、中谷美紀はドイツ人の夫と共にオーストリアの家に移った。クラシック音楽や料理の話よりも、私としては庭づくりや旅、暮らしの描写が面白かった。休暇や時間の使いかた、庭の美的感覚などは、多分に文化的なもので、日本のそれとは「違って」いる。一方、ごみ処理や食物生産の規制、オーガニックについては文化ではなく、その国の人々が現状や未来を考えて制度的に変えているもので、「進んで」いると感じる。オーストリアも南チロル地方も、大国に囲まれているからこそ、複雑であり、かつ美しい。
読了日:08月01日 著者:中谷 美紀
注:
は電子書籍で読んだ本。
猫たちのことで睡眠や食事が不規則になり、また亡くなってからは日々突発的に涙目になるような生活をしていればそれは難を呼び込んでいるようなもので、不注意から足の指を骨折してしまった。

動けないから盆休みもステイホーム、まん延防止なんたらのために体育館での練習も休止。
ならば在宅で読み放題といきたくも、体を動かさず活字だけを頭に流し込めば今度はメンタルが調子を崩すのは必至。
倦怠感が酷く、自分を騙すために酒を呑みながら食事をつくれば呑み過ぎて記憶を飛ばす始末。
わかっている。わかっている。でも悪循環が止まらない。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用11,846円。
読了14冊。
積読本262冊(うちKindle本105冊、Honto本18冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:14

雑草の上手な残しかた。ちょっとした雑草の図鑑で、見たことのある雑草がたくさん載っていて楽しい。処し方も知れば選択肢は増えるもので、人や車が通る箇所はまめに踏む&抜く、残りの余白は地上5cmの高さで刈る&抜くというのが私の夢想。一定の高さで刈っているとその高さで花実がつくようになるとは別の本で読んだけれど、5cmの高さだと雑草の生長が最も遅くなるという著者の経験則にも驚く。2週間ごとに刈るのは大変でも、刈った匂いは良いのではと想像したり。まあ、実際に管理すべき庭ができたらたちまち音を上げそうだけれどね。
読了日:08月29日 著者:ひきちガーデンサービス,曳地トシ,曳地義治

日本駐在中の山旅の記録。外国人にとってのガイドを目指した記録ようの文章と、旅日記ようの文章が収録されている。当時から登山道や山小屋、茶屋というものはあって、それは日本人にとっては、生計の必需を除けば、参拝、修験、湯治などの目的があって山に登ったのだろうから、著者のような現代的な登山、登山のための登山は珍しかったのではないだろうか。案内に雇った地元の若者が見事な愚図馬鹿三人組で、それが地質学や動植物学の知識、山歩きの技術にも長けた著者を馬鹿にした態度を取ったとあっては、さぞ腹立たしかっただろうと苦笑した。
読了日:08月28日 著者:アーネスト・メイスン・サトウ


GQのQ&A式トーク書き起こし連載。2016年から2020年までで触れられた東京五輪の失敗も、新型コロナのパンデミックも、まさかこのようなことになるとは、と嘆息するしかない。さてベーシック・インカムについてのトピック。ベーシック・インカムが奏功するためには、社会が開放的で流動的である必要があると内田先生は説く。裕福に暮らすには足りない程度の収入が国から支払われるとして、日本人はどのくらいそれを堂々と受け取り、自らの価値を貶めず、利他的になることができるのだろう。私の今までの想像は楽観に過ぎたのか。
読了日:08月26日 著者:内田 樹


ロビンソンとはクルーソーだろうか。終戦前夜、陸軍の甘言に騙されて、東京の困窮した人々が北海道へ渡る。身一つで"カイタクさん"となり、不毛の農地で生き抜いた人を漂着者になぞらえたと読んだ。上野駅構内や、北へ向かう列車の中にむせ返る臭いもさながら、北海道の風吹きすさぶ地でも、建てた拝み小屋の床に漂い始める人間の痕跡は、開高健ならではの描写だ。あと忘れてはならないのは食べ物の描写への執着。飢えた記憶がこれを書かせたかと思うほどで、冒頭の、北海道で待つはずの垂涎の味覚と、連日のスイトンの落差たるやもう呪いである。
読了日:08月22日 著者:開高 健


原題「中国在梁庄」。著者は居住している北京から、故郷河南省鄧州市の農村へ里帰りし、研究の一環として村の人々に聴き取りをする。3つの時代が対比的だ。1960年頃、家族が餓死することが珍しくなかった時代を経て、美しい自然の中で貧しいながらも作物を育て、宗族が協力して生きた時代、そして現金収入を得るために一家離散し、人とのつながりや文化が分断する現代。著者が典型的な農民、表情の乏しさと呼ぶものが、彼らが致し方ない辛苦をやり過ごす力、裏返せば生命力の表れであると考えることができるものか、じっくり反芻してみたい。
中国国内の出稼ぎは、日本の単身赴任とは違う。日本の都市部のフリーターに似ているが、結婚していたとしても子供を育てる余裕も預ける余裕もなく、故郷の祖父母のもとに残す。余程教育か技能が無ければ地方都市の建築現場、アクセサリー工場、高温のプラスチック工場、鋳造工場など、劣悪な環境下で働く。都市で働いたとしても最下層、誇りはくじかれていく。父母や子供に会えるのは年に数日。それでも現金を貯めれば故郷に家を建てられるあたり、日本のフリーターよりは希望が持てるぶんマシかと考えてみると、げんなりした。
中国の農村の、垣間見る彼らの論理や習俗はそういうことだったのかと興味深い。火葬を厭う人々に火葬を押しつけることで生じる葛藤や、身内を優遇したり、意に沿わない者を組織的に村八分にするやり方は既視感がある。一見貧しい、昔ながらの風俗や習慣を否定するように、コンクリートや洋風の街づくりを性急に進めることで、その実、良かったものまで振り捨てていく様子は、江戸から明治に変わった時代に日本で起きたことと似ていはしないか。社会が変化したとて民族の根は変わらない、それは中国でも日本でも同じだろう。
読了日:08月21日 著者:梁 鴻


海外ノンフィクション特集が良いと高野秀行氏がツイートしていたので。知っている本が多くて意外なのもそのはずで、普段HONZルートと高野/内澤/宮田ルートの両方から情報収集をしているからだ。読みたいと思った本は私がノンフィクションに手を出す以前のもの。ノンフィクションはハードカバーが多く、また電子書籍化しない出版社から出ることも多く、文庫化/Kindle化されることがないまま絶版になってしまうものが大半だ。古書で探して買うか、これ以上積むのか、しかし今買っておかなければ読めなくなるかもしれない焦燥感で一杯。
読了日:08月16日 著者:

プロローグがとかく不穏で、これが某古書店ものラノベシリーズのような展開にならないであろう見当はつくのだが、まあどの景色も暗くて気が滅入る。芳光にも、これっぽっちの報酬への渇望よりも、どこか脱出口を求める気持ちの方が共感できそう。リドルストーリーの仕掛けに疑義が浮上した時点で、得心と、もっと陰惨な展開への覚悟をしたのだけれど、それは私の欲であったのかもしれない。結論、父は可南子を愛していた。可南子はそれだけで十分とするべきで、芳光の家族はなんとか繕っていかねばならないのが読後のすっきりしないところだ。
読了日:08月13日 著者:米澤 穂信


服部氏は「ズルなしで生きる」を日々体現しようとしている。能力より道具が山頂到達の成否を左右する現代登山への疑念から、サバイバル登山へ。つまり余計な文明的道具は使わない!と宣言しつつ、最新の素材だったりズルして小屋に入ったり嘘の計画書を提出したりと、笑い呆れても憎めないのは人柄。そこまででも並々ならぬ行動力なのだから、目くじらを立てるべきではないだろう。我が道を行ってしまっているくせに他人から言われたことに繊細に傷ついたり、馬鹿正直に内面を吐露してしまったりも微笑ましく。青海から上高地。雷鳥のくだりが好き。
『遭難しに行って、遭難せずに帰ってくるのが登山です』。
読了日:08月12日 著者:服部 文祥


多作にもかかわらず翻訳された作品がなく、偶然出会えたのは「葉っぱの坑夫」さんのおかげ。アメリカ北部の豊かな自然の中、動物の跡をそっと追跡して観察するやりかたで、シンリンオオカミの生態を描いている。『事実は明快だが、動機は確かではない』と、行動理由の推測は控えめだが、行動は雄弁である。オオカミは必要以上に狩らず、必要以上に食べず、仲間や他の動物と争うどころか、分け与える行動を見せる。社会性と協調性は人間以上じゃないか。自宅の庭先で小動物や鳥を観察する「鳥たちの食卓」も優しく好い読み心地。もっと読みたいな。
読了日:08月11日 著者:ウィリアム・ロング,大竹英洋


江戸と明治の間には断絶がある。西洋の流儀を知った時に、日本人は自前の文化に倦んでばっさり捨てたのだと言う人があったが、いずれにしても江戸に栄えた文化の様相を、私たちは断片的な知識とイメージでしか知らないという事実をお二人の対話から知る。人々は趣味や行事の集まりごとにいくつも参加し、人や情報の繋がりが縦横無尽だった時代。多層的な知が変異し深化し、その多様さが経済的な活性化にもつながっていた豊かな時代。それが連綿と現代に通じていることを私も実感したいので、私なりの好奇心で江戸のことをもっと知ることにする。
明治の時代、日本人は日本のことを欧米に紹介する際、武士道など欧米の価値観に迎合する日本像を描いて提示し、遊びやいい加減さ、言語化されない部分を半意識的に省いた。すると今度は逆に、欧米に認識された日本像に合致するように、人々が行動と思考の様式を変え始めた。それが断絶の真実であるという考え方は、ひとつ納得できるように思う。
読了日:08月09日 著者:田中 優子,松岡 正剛

一ノ瀬泰造、24歳。『いい写真にならなかったけど、一生懸命に走り回り、おそろしい、充実した日だったから酔いたいのサ』。基本的に陽気。さっき一緒に遊んだ子供が撃たれて死んだり、自分の膝の肉が抉られたり、それは決して生易しい状況ではない。写真が好きである/写真で食っていきたいという若々しい情熱と、当時のカンボジアの、生活と戦争がごた混ぜな異様が、ちぐはぐで飲み込めないまま、一ノ瀬泰造はアンコールワットへの憧れを募らせていった。最期、クメール・ルージュに捕まったときも、彼は相変わらず彼らしくふるまったのだろう。
読了日:08月08日 著者:一ノ瀬 泰造


基本的に気象学から解説する日本の雪の話。さて、地球温暖化による気候変動と異常気象(30年に一度級)は別物である。ということは、近年頻発する酷暑や豪雨はもはや異常気象ではなく、常態と言わねば。雪について言えば、気温上昇に伴ってひと冬に降る雪の総量は減るが、気温が上昇して海から水蒸気化する水分量が増える分、寒い地方の雪の量は増え、ドカ雪被害も常態化しそうだ。他にも、北極海の海氷が減ると海から熱と水蒸気が大気に供給され、大気の流れが変わることで、日本に寒気が流れ込んで寒くなる現象もあるとか、想像どおりでない。
読了日:08月07日 著者:川瀬 宏明


終戦直後、雪に閉ざされた食糧難の疎開地の夜、著者はドイルの「ロスト・ワールド」を子供たちに読み聞かせる。子供たちは大いに物語を楽しむ。子供のひとりは栄養失調のためにその後急死してしまうが、他のひとりは長じて自分で読み耽っているのを、著者は見守る。希望ある物語は生きている者の中で育まれ、もう世界のなにもかもを人類は知っているかのような気でいる世界に、誰も知らないことを発見する原動力になるのかもしれない。科学者である著者のそんな願いが感じられる。『それでよいのだ、生きる者はどんどん育つ方がよいのだ』。
読了日:08月03日 著者:中谷 宇吉郎


新型コロナにより各国の入出国制限がかかる寸前に、中谷美紀はドイツ人の夫と共にオーストリアの家に移った。クラシック音楽や料理の話よりも、私としては庭づくりや旅、暮らしの描写が面白かった。休暇や時間の使いかた、庭の美的感覚などは、多分に文化的なもので、日本のそれとは「違って」いる。一方、ごみ処理や食物生産の規制、オーガニックについては文化ではなく、その国の人々が現状や未来を考えて制度的に変えているもので、「進んで」いると感じる。オーストリアも南チロル地方も、大国に囲まれているからこそ、複雑であり、かつ美しい。
読了日:08月01日 著者:中谷 美紀

注:

Posted by nekoneko at 12:02│Comments(0)
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