2022年04月02日
2022年3月の記録
読んでも読んでも、それ以上に本を買い込むのだから減りませんわね。
使命感と依存症状の混じりあった悦楽。
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用30,350円。
読了20冊。
積読本313冊(うちKindle本143冊、Honto本14冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:18
新たなるインド映画の世界の感想
我が家はインド映画にはまり、まあまあの数を観てきた。どれがどれかわからなくなっていたりもするので、写真で思い出したり、まだ観ていない映画をリストアップしてきゃぴきゃぴ楽しめたらくらいの感覚で開いたら、全く真剣な分析と論評の本だった。広いインドは言語も文化も土地によってばらばらで、従って一口にボリウッドと呼んでしまっていたけれど、映画も違うのだそうだ。シネコンの興隆によって、従来インド人が楽しんだ楽しみ方ができる映画が減った話は寂しい。話の流れを踏み倒すほど盛ったシーンやダンスが私は気に入っているのに。
読了日:03月29日 著者:夏目 深雪,松岡 環,高倉 嘉男,安宅 直子,岡本 敦史,浦川 留
もう過去はいらない (創元推理文庫)の感想
アメリカ在住者でないとそこにあるとわからない感覚が必要とされる小説。メンフィスの街でユダヤ人が悪目立ちしないようにという動機が、主人公の中で常に働いている。黒人に次いで蔑まれるユダヤ人は、悪事を働けばすぐに迫害された。"偏見と敵意のごった煮"の中で自分や家族の身を守るためだ。とはいいつつ、彼は歩くことすら覚束なくなっても尋問の途中で確信がおぼろげになっても、愛用の357マグナムは持ち歩き、機会あらばぶっ放す気満々の困った爺さんだ。人は生きてきたようにしか生きられない。息子の死の謎については次に持ち越し。
読了日:03月29日 著者:ダニエル・フリードマン
親指が行方不明: 心も身体もままならないけど生きてますの感想
たぶんすごい本なのだ。親指が行方不明くらいならぼんやり想像もできようが、その後のあれこれに至っては全く途方に暮れる。尹さんの「体の知性を取り戻す」が私と私の身体の融和への光明になっただけに、この圧倒的な置いて行かれ感に呆然としてしまった。しかし私には私の、身体的にも精神的にも"他にどうしようもできなかった"記憶があって、それのことなんだろうと含むしかない。意識と身体のズレ、思考と時間のズレ、かと。手首の関節を限りなく曲げていく光岡先生の練習が興味深い。加減を知悉しないと折れるし、信頼がないと任せられない。
読了日:03月24日 著者:尹雄大
月と海豹の感想
朗読を聴いたとき、子アザラシの皮でつくったかもしれない太鼓を母アザラシに渡すなど、なんてブラックな童話かと腰を抜かしそうになった。そんなうがった見方をする私のようなのは少数派らしく、調べてみた。小川未明自身が二人の子供を亡くしている。ならばこれは、自ら味わった子を失う悲しみ、その癒やしを描いた作品なのだ。氷の上を渡る太鼓の音、それが少しでも癒やしになるならば、よいではないか。と言いながら、その音は南の人間たちの楽しんだ音とは違って、寒々しい音、気紛らわしの手慰みであったのではないかと思ってしまうのだ。
読了日:03月24日 著者:小川 未明
可愛い女の感想
可愛げのない女としては、「可愛いひと!」と賛嘆されるためにはどうあればよいのか探るように読んだ。わかっていたことだが、これは、仮に若い時分に読んだとしても真似るのは無理だ。空っぽ。リンドバーグ「海からの贈物」を思い出した。満たして、こぼす。自分に意見やらやりたい事やらがあったらたちまち目に漏れてしまう。空っぽであればこそ、相手に満額合わせることができるし、相手に惜しみなく注ぐこともできるのだ。そして露ほども疑うことがないという最強の無邪気さ。相手があってこその生。そういう人と生きたら、しあわせだろうか…?
読了日:03月23日 著者:アントン チェーホフ
Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章の感想
ホモ・サピエンスは生来、善である。ルソーの描いた社会ではなく、ホッブスの描いたそれを実現してしまった現代はいろいろ間違えてしまっているが、空爆や大災害で人間の善良さは損なわれない、と学者たちは事実を挙げてみせた。オキシトシンは身内に優しくなる物質だ。人々の行動は平和で善である。私もそれを信じたい。しかし、ならばなぜシリアやウクライナのようなことが起きるのか。上巻では、人間の悪について証明したと考えられている有名な研究結果や事例を数々喝破しており、私たちに摺り込まれたバイアスを突き崩す。読んで良かった。
イースター島文明の衰退は、内乱ではなく堕落でも乱伐でもなく侵略ゆえであったと判明した。わりと直近に西洋人に上陸され、西洋人の基準で解釈された記憶を持つ国民としては、イースター島の内乱の記録が虚偽であったと知ってもやもやする。欧米人の、世界の支配者としての、歴史観の独善が鼻につく。イースター島の人々は善であった。機智と知恵で繁栄してきた。では、なぜ絶滅に追い込まれたのか。そうではない結末がもっともらしく流布されてきたのは何故か。訪れた側、欧米人の中に平和でも善でもない意志があったということにならないか?
なぜこんな戦争が起きるのか。プーチンというサイコパスと、プーチンを信じるアイヒマンと、プーチンに騙された善人がウクライナの人々を虐殺したのか。違うだろう。誰が決定し、引き金を引き、ミサイルのスイッチを押したのか。目の前にいる人間は撃てなくても、遠隔なら学校にも病院にも大型ミサイルを撃ち込めるのか。ロシア軍の攻撃は見境なくなっており、人を殺すことに慣れてきたようにさえ見える。善なるものはいつなんどきでも善ではない。真実を知りたい。解決する道を知りたい。
読了日:03月22日 著者:ルトガー・ブレグマン
お味噌知る。の感想
味噌汁から始まる自立。この春新たに独立する若者に向けた餞のような、応援されている感じがうきうきする。味噌汁の基本は水と味噌。「一汁一菜~」では、煮干しは最初から食べるまで入れっぱなしでよいという発想を教えていただいたが、今回はなんと、事前に取る出汁は重要でないのだよとハードルを下げる下げる。改めて「こうあるべき」ではない、味噌汁の自由を知る。自分のためだけの"自立の味噌汁"と、食べさせる相手ができたときの"家族の味噌汁"などにレシピが大別されているが、私は分け隔てなく食卓に出すつもりだ。父娘共著が面映い。
父ということは、土井勝氏?が高松出身とは知らなかった。白味噌仕立てのあん餅雑煮が常とは俄然親近感がわく。私はこの雑煮に開眼するのが遅くて、というのもあん餅雑煮の出汁はいりこが良いと知らずにきてしまったからだ。それを知ってから、出汁と味噌の関係の奥深さに気づき、いろいろ試してみるようになった。それにしても、昨日つくってみたところの、水にツナの水煮缶をぶっ込んだ味噌汁の旨さには仰天した。ああ、我が脳みその、なんと雁字搦めに縛られていることよ。
『腹中をくつろげ、血を活かし、百薬の毒を排出する。胃に入って、消化を助け、元気を運び、血のめぐりを良くする。痛みを鎮めて、よく食欲をひきだしてくれる。嘔吐をおさえ、腹下しを止める。また、髪を黒くし、皮膚を潤す』(本朝食鑑)。もう、ええことしかない。
読了日:03月21日 著者:土井 善晴,土井 光
蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)の感想
気になっていた作家の短編集。豆腐好きとか車好きとか飲んだくれとか、物語に関係あるんだかよくわからない人物設定と、安倍晴明と狐の伝説がとか、長野の食蟲文化はすごいみたいな、博識なんだかよくわからない知識を織り込んだ展開で、つい読み進まされてしまう。どっちとも取れる結末の真意が気になりつつも、まあよし。表題といい、古臭いような怪異譚なのだが、京極夏彦のようにずぶずぶと暗い迷路に沈み込んでいく生真面目さも無いので気楽だ。これは、続きがあったりするのだろうか。またいずれかの機会に読んでみたい。もし憶えていたら。
読了日:03月21日 著者:津原 泰水
「奴隷」になった犬、そして猫の感想
生体販売ビジネスの闇は動愛法改正によって改善されたか、との問いには否と答えよう。生体販売の8週齢規制、飼育環境規制案に対し、繁殖業者、販売業者、フード販売業者、品種認定団体、保険業者で構成する団体は全力で抵抗してきた。最終的に8週齢規制は成ったが、まさか生年月日を偽装してくるとは仰天だ。つまり、一般人にたくさん飼ってもらわないと業界は困るのだ。環境省は適正な専門家の知見に基づく数値規制を怠り、自治体は判断できず責任逃れ、悪質な業者は取り締まられないままだ。環境省や業者の発言の迷走が生々しい。
『生後35日くらいの大きさで持っていけば、最低でも10万円くらいになる。しかし生後35日で離したら、社会化もできない、股関節の発育も不完全、母乳もしっかり飲めていないから免疫力も高まっていない。そんな犬では、飼い主さんに安心して飼ってもらえないですよ。親犬に何度も転がされて、きょうだいたちと取っ組み合いのケンカをして、そういう経験によって社会化されるんです』。良い仔犬を飼い主に繋ぐことが優先で、そのために余分にかかるお金が惜しいなんて絶対言わない。これが本来のブリーダーとしての矜持。
読了日:03月17日 著者:太田匡彦
断片的なものの社会学の感想
私が専攻したのは心理学だった。しかし私が興味があったのは人間ではなく、自分だったのだと後に気づいた。著者は他者を見るまなざしが温かくて、さぞ人間が好きなのだろうと思いきや、そうではないと言う。他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだと言う。日々出会う、ひとかたまりの言葉。芸術的でも高尚でもないそれらを、それぞれ胸に留め、ふと胸のうちでなにかと繋がる。生きている限り付き合うしかない、どうしようもない自分。私同様に、相手もどうしようもない自分を抱えている事実に行き会うことで、私たちは自分を肯定できているのか。
『私たちは小さな断片だからこそ、自分が思う正しさを述べる「権利」がある。それはどこか、「祈り」にも似ている。その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。私たちにできるのは、瓶のなかに紙切れを入れ、封をして海に流すことだけだ。それがどこの誰に届くか、そもそも誰にも届かないのかを自分ではどうすることもできない』。そうだな、と思う。SNSはまるきり海のようだ。精一杯練った言葉も、呪いの言葉も、放ったところで誰に届くことないとどこかで思っているから、受け取られ受け取る先を期待していないのかもしれない。
読了日:03月16日 著者:岸 政彦
もっとヘンな論文の感想
引き続き「論文」の紹介。竹取の翁が話を盛る癖のある中年だった、走るメロスの速度がほぼ徒歩だったなどという内容がくだらなく思えても、検証方法が正当と受け止められる論文は立派に論文である。書いた人の情熱がいつか誰かの役に立つかもしれないと記す著者のロマンが眩しい。さて、昔の「追いかけてくるもの」が気配や鳴き声など五感的な怪しさを持っていたのに対し、現代のそれは首無しや四つん這いなど、ずいぶん視覚的な性質がかっているのは興味深い。五感の中でも視覚がおおかたを占める現代の生活を反映しているのだろう。動画時代よの。
読了日:03月15日 著者:サンキュータツオ
ナイルに死す〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 15)の感想
女性が憎らしくなるような女性の造形。それがヒロインというだけで掴みは万全なのに、女性がつい肩入れしたくなる女性やら蹴り倒したくなる男性やらがごろごろ登場するのだから、読み手は完全にクリスティの手中である。ナイルはクリスティの創作意欲をいたく刺激したのだろう、『岩の野蛮な感じ、風景の容赦ない残酷な感じ』は世界の不公平に尖る人心の暗喩とばかり、企みは強行される。もう引き返せない。そう思うことで破滅に向かう心は、片や挫けない心と対比されてどうしたって暗いはずなのに、よもやあっけらかんとした結末には呆然とした。
読了日:03月15日 著者:アガサ・クリスティー
世界の辺境とハードボイルド室町時代の感想
高野さんの知的好奇心や疑問に応え、また一緒に考察してくれる激レアさんは、日本中世専門の歴史研究者だった。怒涛トークでお互いに刺激し合っている気配が好い。日本中世の在り様を知ってアジアやアフリカの人の行動や習慣の意味合いに思い当たることも、またその逆も、世界を理解する手掛かりになる。「世界の辺境」と「昔の日本」は、多次元に交錯する世界の近接点なのだ。未確認動物と物の怪の共通点として『本当に信じている人たちに近づけば近づくほど、形がなくなっていく』は何気にすごい発見。口伝するうちに形が生まれてしまうのだろう。
読了日:03月13日 著者:高野 秀行,清水 克行
地球温暖化/電気の話と、私たちにできること (扶桑社新書)の感想
日本国内で二酸化炭素を排出している上位は電力会社と大工場、これは統計上明らかである。これを変えるには国を変えなければならず、時機を待つしかないだろう。日本の世帯当たりエネルギー消費量は他国に比べて少ないという。ならば個々人はオフグリッドを心がけるのが良いというのが私の意見だ。中央集権的な現在の送電システムを拒否する。太陽光発電の自家消費で100%自給は難しいだろうが、家の断熱、ガスと太陽光温水器の有効利用で補い、使用量を低減するという絵図を夢想している。エコワンソーラーが面白そうなので憶えておく。
廃棄物処理についても興味深い記述があったので書きおいておく。生ごみはたい肥に、下水は液肥に、下水スラッジは肥料にして田畑に還元する試みが自治体レベルであるらしい。これは素晴らしいと思う。江戸への回帰である。全ての自治体で実用化されることを夢見つつ、コンポストがんばる。
読了日:03月10日 著者:田中 優
男も女もみんなフェミニストでなきゃの感想
著者はナイジェリア生まれの"男嫌いではないハッピーなアフリカ的フェミニスト"を自称する作家。2013年のTEDトークが基だ。『フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者』。ナイジェリアと日本の間に習俗的な差異はあれど、女性に課せられた足かせの性質はほとんど同じである。無論、男性のそれも。お互いほんまにしんどいことやなと思う。ジェンダーギャップ指数120位の日本としては、ひとつひとつ根気よく解除するしかないが、"上"が考え方をアップデートして決め事を変えないとどうもならん、と痛感する。
四国で数百人いるある集まりに、女性は私一人である。この状態で、もう10年以上になる。所属する地域の部会では、皆私の存在に慣れているが、私が入る前と後では、雰囲気が変わっただろうと思う。それがお互いにとって良いことか悪いことか、私には今も解らない。そしてなぜ女性が増えないか。当たり前だ。大変な思いをすることは、最初から想像のつくことだし、親だってそんなところに娘をやりたくはないだろう。結果得たものも多いけれど、未だに息苦しい思いをすることや、無意識に受け流すものごとも多い。もう、ええかな。と思う。
読了日:03月09日 著者:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検するの感想
『経済学は突き詰めるとインセンティヴの学問だ』。有名な研究者だそうだが、トピックが不正や犯罪なのでつい興味を惹かれて、読みやすい。疑問に思う事象の真実を見定めるための、着眼×充分条件を備えたデータ×分析。ワシントンのベイグル屋さんの話が私には印象深かった。都市に住む人間の善性を表わした結果がシンプルに出ている、"道徳と経済の交差点"。無人販売で誰も見ていなくても、87%の人はベイグルの対価を払う。たった1$の対価を払わず盗るのは、士気が低い企業の、大きなオフィスで、地位の高い人が多いそうだ。数字って雄弁。
道徳的インセンティヴが経済的インセンティヴに入れ替わり、経済的インセンティヴがなくなっても道徳的インセンティヴが戻らないという実例は、近頃特に多くなっているのではないかと推測する。例えば、車のスピード違反で捕まって、いかんなと反省しかかっているところに、罰金の金額を知らされ、憤慨しながら罰金を払ったが最後、反省は遠く彼方にぶっ飛んだまま戻ってこないような…ちょっと違うか。もとい、「罰金」なり「延長料金」なり、金銭を払えば済まされる決まりは、最近多いと思う。しかし実は、それは人間の道徳を損なう仕組みなのだ。
読了日:03月08日 著者:スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー
サバイバル家族 (単行本)の感想
小雪さんのエッセイと対になるエッセイ、自称"繁殖奮闘記"。もはや相聞歌と呼べないか。『俺といっしょに暮らしたほうが絶対面白いから』と口説き落としたという、自慢の奥さんである小雪さんが描く服部文祥ははちゃめちゃだったから、服部文祥の側から見たら物事はかくも反転するのかと感心しきりだった。3人の子供たちもそれぞれ相応にたくましく育って、独特な服部家のかたちはとても幸せそうに見えた。なお、シカの脳みそを食べたニワトリの卵が濃厚でべらぼうに旨いという強烈すぎる事実は、私の人生には役立ちそうにはないが、覚えておく。
読了日:03月07日 著者:服部 文祥
イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑 (角川ソフィア文庫)の感想
時代に必要とされて生まれた仕事が、技術革新によって、あるいは資本による集約化によって消えた。特に後者のうちいくつかは見直される時期がくるのではと私は想像している。それらは経済とは別の次元の価値が見失われているだけなので、ある意味令和の時代のビジネスアイデアの芽と呼べるものが落ちている期待を持って読んだのだ。ただ職人の技術には復活しえないものもあるので、これらが失われつつあるのは残念極まりない。心根の卑しい仕事は今も似たり寄ったりなのに。なお、私は、かの時代なら、新聞社の編集局機報部鳩室伝書鳩係になりたい。
高木護の乞食見習いの話が面白い。『服装は百年一日のごとく、言葉は不明瞭に、月日は気にしないこと。明瞭に礼を言うと、相手は恵んだ気持ちになるが、不明瞭に言えば神様に物を供えたような気持になる』。これって実は深い話だと唸る。深いと言えば指物大工の言葉も。 『専門性が高いのです。逆にいろんな分野の経験をしたら平べったい知識しか生まれません』。
おばけ暦。明治政府が太陰暦を廃した時、六曜やさんりんぼうなどは迷信として削除され、太陽暦には七曜と干支、太陽と月の出入りが掲載された。庶民はそれでは困るんで、こっそり六曜やさんりんぼうの入った暦を印刷して使っていた。それがおばけ暦。戦後、自由化と共におばけ暦は晴れておばけでなくなったのだそうだ。現代でも商売をしていれば無縁ではいられないので、入ったカレンダーを選んで使っている。ちょっと大きな買い物をするときは神宮暦を見る。おっと、正確には高島暦か。神宮暦は今も"迷信を廃し"ているとのこと。見てみたい。
読了日:03月04日 著者:澤宮 優
注:
は電子書籍で読んだ本。
使命感と依存症状の混じりあった悦楽。
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用30,350円。
読了20冊。
積読本313冊(うちKindle本143冊、Honto本14冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:18

我が家はインド映画にはまり、まあまあの数を観てきた。どれがどれかわからなくなっていたりもするので、写真で思い出したり、まだ観ていない映画をリストアップしてきゃぴきゃぴ楽しめたらくらいの感覚で開いたら、全く真剣な分析と論評の本だった。広いインドは言語も文化も土地によってばらばらで、従って一口にボリウッドと呼んでしまっていたけれど、映画も違うのだそうだ。シネコンの興隆によって、従来インド人が楽しんだ楽しみ方ができる映画が減った話は寂しい。話の流れを踏み倒すほど盛ったシーンやダンスが私は気に入っているのに。
読了日:03月29日 著者:夏目 深雪,松岡 環,高倉 嘉男,安宅 直子,岡本 敦史,浦川 留

アメリカ在住者でないとそこにあるとわからない感覚が必要とされる小説。メンフィスの街でユダヤ人が悪目立ちしないようにという動機が、主人公の中で常に働いている。黒人に次いで蔑まれるユダヤ人は、悪事を働けばすぐに迫害された。"偏見と敵意のごった煮"の中で自分や家族の身を守るためだ。とはいいつつ、彼は歩くことすら覚束なくなっても尋問の途中で確信がおぼろげになっても、愛用の357マグナムは持ち歩き、機会あらばぶっ放す気満々の困った爺さんだ。人は生きてきたようにしか生きられない。息子の死の謎については次に持ち越し。
読了日:03月29日 著者:ダニエル・フリードマン


たぶんすごい本なのだ。親指が行方不明くらいならぼんやり想像もできようが、その後のあれこれに至っては全く途方に暮れる。尹さんの「体の知性を取り戻す」が私と私の身体の融和への光明になっただけに、この圧倒的な置いて行かれ感に呆然としてしまった。しかし私には私の、身体的にも精神的にも"他にどうしようもできなかった"記憶があって、それのことなんだろうと含むしかない。意識と身体のズレ、思考と時間のズレ、かと。手首の関節を限りなく曲げていく光岡先生の練習が興味深い。加減を知悉しないと折れるし、信頼がないと任せられない。
読了日:03月24日 著者:尹雄大

朗読を聴いたとき、子アザラシの皮でつくったかもしれない太鼓を母アザラシに渡すなど、なんてブラックな童話かと腰を抜かしそうになった。そんなうがった見方をする私のようなのは少数派らしく、調べてみた。小川未明自身が二人の子供を亡くしている。ならばこれは、自ら味わった子を失う悲しみ、その癒やしを描いた作品なのだ。氷の上を渡る太鼓の音、それが少しでも癒やしになるならば、よいではないか。と言いながら、その音は南の人間たちの楽しんだ音とは違って、寒々しい音、気紛らわしの手慰みであったのではないかと思ってしまうのだ。
読了日:03月24日 著者:小川 未明

可愛げのない女としては、「可愛いひと!」と賛嘆されるためにはどうあればよいのか探るように読んだ。わかっていたことだが、これは、仮に若い時分に読んだとしても真似るのは無理だ。空っぽ。リンドバーグ「海からの贈物」を思い出した。満たして、こぼす。自分に意見やらやりたい事やらがあったらたちまち目に漏れてしまう。空っぽであればこそ、相手に満額合わせることができるし、相手に惜しみなく注ぐこともできるのだ。そして露ほども疑うことがないという最強の無邪気さ。相手があってこその生。そういう人と生きたら、しあわせだろうか…?
読了日:03月23日 著者:アントン チェーホフ

ホモ・サピエンスは生来、善である。ルソーの描いた社会ではなく、ホッブスの描いたそれを実現してしまった現代はいろいろ間違えてしまっているが、空爆や大災害で人間の善良さは損なわれない、と学者たちは事実を挙げてみせた。オキシトシンは身内に優しくなる物質だ。人々の行動は平和で善である。私もそれを信じたい。しかし、ならばなぜシリアやウクライナのようなことが起きるのか。上巻では、人間の悪について証明したと考えられている有名な研究結果や事例を数々喝破しており、私たちに摺り込まれたバイアスを突き崩す。読んで良かった。
イースター島文明の衰退は、内乱ではなく堕落でも乱伐でもなく侵略ゆえであったと判明した。わりと直近に西洋人に上陸され、西洋人の基準で解釈された記憶を持つ国民としては、イースター島の内乱の記録が虚偽であったと知ってもやもやする。欧米人の、世界の支配者としての、歴史観の独善が鼻につく。イースター島の人々は善であった。機智と知恵で繁栄してきた。では、なぜ絶滅に追い込まれたのか。そうではない結末がもっともらしく流布されてきたのは何故か。訪れた側、欧米人の中に平和でも善でもない意志があったということにならないか?
なぜこんな戦争が起きるのか。プーチンというサイコパスと、プーチンを信じるアイヒマンと、プーチンに騙された善人がウクライナの人々を虐殺したのか。違うだろう。誰が決定し、引き金を引き、ミサイルのスイッチを押したのか。目の前にいる人間は撃てなくても、遠隔なら学校にも病院にも大型ミサイルを撃ち込めるのか。ロシア軍の攻撃は見境なくなっており、人を殺すことに慣れてきたようにさえ見える。善なるものはいつなんどきでも善ではない。真実を知りたい。解決する道を知りたい。
読了日:03月22日 著者:ルトガー・ブレグマン


味噌汁から始まる自立。この春新たに独立する若者に向けた餞のような、応援されている感じがうきうきする。味噌汁の基本は水と味噌。「一汁一菜~」では、煮干しは最初から食べるまで入れっぱなしでよいという発想を教えていただいたが、今回はなんと、事前に取る出汁は重要でないのだよとハードルを下げる下げる。改めて「こうあるべき」ではない、味噌汁の自由を知る。自分のためだけの"自立の味噌汁"と、食べさせる相手ができたときの"家族の味噌汁"などにレシピが大別されているが、私は分け隔てなく食卓に出すつもりだ。父娘共著が面映い。
父ということは、土井勝氏?が高松出身とは知らなかった。白味噌仕立てのあん餅雑煮が常とは俄然親近感がわく。私はこの雑煮に開眼するのが遅くて、というのもあん餅雑煮の出汁はいりこが良いと知らずにきてしまったからだ。それを知ってから、出汁と味噌の関係の奥深さに気づき、いろいろ試してみるようになった。それにしても、昨日つくってみたところの、水にツナの水煮缶をぶっ込んだ味噌汁の旨さには仰天した。ああ、我が脳みその、なんと雁字搦めに縛られていることよ。
『腹中をくつろげ、血を活かし、百薬の毒を排出する。胃に入って、消化を助け、元気を運び、血のめぐりを良くする。痛みを鎮めて、よく食欲をひきだしてくれる。嘔吐をおさえ、腹下しを止める。また、髪を黒くし、皮膚を潤す』(本朝食鑑)。もう、ええことしかない。
読了日:03月21日 著者:土井 善晴,土井 光

気になっていた作家の短編集。豆腐好きとか車好きとか飲んだくれとか、物語に関係あるんだかよくわからない人物設定と、安倍晴明と狐の伝説がとか、長野の食蟲文化はすごいみたいな、博識なんだかよくわからない知識を織り込んだ展開で、つい読み進まされてしまう。どっちとも取れる結末の真意が気になりつつも、まあよし。表題といい、古臭いような怪異譚なのだが、京極夏彦のようにずぶずぶと暗い迷路に沈み込んでいく生真面目さも無いので気楽だ。これは、続きがあったりするのだろうか。またいずれかの機会に読んでみたい。もし憶えていたら。
読了日:03月21日 著者:津原 泰水


生体販売ビジネスの闇は動愛法改正によって改善されたか、との問いには否と答えよう。生体販売の8週齢規制、飼育環境規制案に対し、繁殖業者、販売業者、フード販売業者、品種認定団体、保険業者で構成する団体は全力で抵抗してきた。最終的に8週齢規制は成ったが、まさか生年月日を偽装してくるとは仰天だ。つまり、一般人にたくさん飼ってもらわないと業界は困るのだ。環境省は適正な専門家の知見に基づく数値規制を怠り、自治体は判断できず責任逃れ、悪質な業者は取り締まられないままだ。環境省や業者の発言の迷走が生々しい。
『生後35日くらいの大きさで持っていけば、最低でも10万円くらいになる。しかし生後35日で離したら、社会化もできない、股関節の発育も不完全、母乳もしっかり飲めていないから免疫力も高まっていない。そんな犬では、飼い主さんに安心して飼ってもらえないですよ。親犬に何度も転がされて、きょうだいたちと取っ組み合いのケンカをして、そういう経験によって社会化されるんです』。良い仔犬を飼い主に繋ぐことが優先で、そのために余分にかかるお金が惜しいなんて絶対言わない。これが本来のブリーダーとしての矜持。
読了日:03月17日 著者:太田匡彦

私が専攻したのは心理学だった。しかし私が興味があったのは人間ではなく、自分だったのだと後に気づいた。著者は他者を見るまなざしが温かくて、さぞ人間が好きなのだろうと思いきや、そうではないと言う。他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだと言う。日々出会う、ひとかたまりの言葉。芸術的でも高尚でもないそれらを、それぞれ胸に留め、ふと胸のうちでなにかと繋がる。生きている限り付き合うしかない、どうしようもない自分。私同様に、相手もどうしようもない自分を抱えている事実に行き会うことで、私たちは自分を肯定できているのか。
『私たちは小さな断片だからこそ、自分が思う正しさを述べる「権利」がある。それはどこか、「祈り」にも似ている。その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。私たちにできるのは、瓶のなかに紙切れを入れ、封をして海に流すことだけだ。それがどこの誰に届くか、そもそも誰にも届かないのかを自分ではどうすることもできない』。そうだな、と思う。SNSはまるきり海のようだ。精一杯練った言葉も、呪いの言葉も、放ったところで誰に届くことないとどこかで思っているから、受け取られ受け取る先を期待していないのかもしれない。
読了日:03月16日 著者:岸 政彦

引き続き「論文」の紹介。竹取の翁が話を盛る癖のある中年だった、走るメロスの速度がほぼ徒歩だったなどという内容がくだらなく思えても、検証方法が正当と受け止められる論文は立派に論文である。書いた人の情熱がいつか誰かの役に立つかもしれないと記す著者のロマンが眩しい。さて、昔の「追いかけてくるもの」が気配や鳴き声など五感的な怪しさを持っていたのに対し、現代のそれは首無しや四つん這いなど、ずいぶん視覚的な性質がかっているのは興味深い。五感の中でも視覚がおおかたを占める現代の生活を反映しているのだろう。動画時代よの。
読了日:03月15日 著者:サンキュータツオ


女性が憎らしくなるような女性の造形。それがヒロインというだけで掴みは万全なのに、女性がつい肩入れしたくなる女性やら蹴り倒したくなる男性やらがごろごろ登場するのだから、読み手は完全にクリスティの手中である。ナイルはクリスティの創作意欲をいたく刺激したのだろう、『岩の野蛮な感じ、風景の容赦ない残酷な感じ』は世界の不公平に尖る人心の暗喩とばかり、企みは強行される。もう引き返せない。そう思うことで破滅に向かう心は、片や挫けない心と対比されてどうしたって暗いはずなのに、よもやあっけらかんとした結末には呆然とした。
読了日:03月15日 著者:アガサ・クリスティー

高野さんの知的好奇心や疑問に応え、また一緒に考察してくれる激レアさんは、日本中世専門の歴史研究者だった。怒涛トークでお互いに刺激し合っている気配が好い。日本中世の在り様を知ってアジアやアフリカの人の行動や習慣の意味合いに思い当たることも、またその逆も、世界を理解する手掛かりになる。「世界の辺境」と「昔の日本」は、多次元に交錯する世界の近接点なのだ。未確認動物と物の怪の共通点として『本当に信じている人たちに近づけば近づくほど、形がなくなっていく』は何気にすごい発見。口伝するうちに形が生まれてしまうのだろう。
読了日:03月13日 著者:高野 秀行,清水 克行


日本国内で二酸化炭素を排出している上位は電力会社と大工場、これは統計上明らかである。これを変えるには国を変えなければならず、時機を待つしかないだろう。日本の世帯当たりエネルギー消費量は他国に比べて少ないという。ならば個々人はオフグリッドを心がけるのが良いというのが私の意見だ。中央集権的な現在の送電システムを拒否する。太陽光発電の自家消費で100%自給は難しいだろうが、家の断熱、ガスと太陽光温水器の有効利用で補い、使用量を低減するという絵図を夢想している。エコワンソーラーが面白そうなので憶えておく。
廃棄物処理についても興味深い記述があったので書きおいておく。生ごみはたい肥に、下水は液肥に、下水スラッジは肥料にして田畑に還元する試みが自治体レベルであるらしい。これは素晴らしいと思う。江戸への回帰である。全ての自治体で実用化されることを夢見つつ、コンポストがんばる。
読了日:03月10日 著者:田中 優


著者はナイジェリア生まれの"男嫌いではないハッピーなアフリカ的フェミニスト"を自称する作家。2013年のTEDトークが基だ。『フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者』。ナイジェリアと日本の間に習俗的な差異はあれど、女性に課せられた足かせの性質はほとんど同じである。無論、男性のそれも。お互いほんまにしんどいことやなと思う。ジェンダーギャップ指数120位の日本としては、ひとつひとつ根気よく解除するしかないが、"上"が考え方をアップデートして決め事を変えないとどうもならん、と痛感する。
四国で数百人いるある集まりに、女性は私一人である。この状態で、もう10年以上になる。所属する地域の部会では、皆私の存在に慣れているが、私が入る前と後では、雰囲気が変わっただろうと思う。それがお互いにとって良いことか悪いことか、私には今も解らない。そしてなぜ女性が増えないか。当たり前だ。大変な思いをすることは、最初から想像のつくことだし、親だってそんなところに娘をやりたくはないだろう。結果得たものも多いけれど、未だに息苦しい思いをすることや、無意識に受け流すものごとも多い。もう、ええかな。と思う。
読了日:03月09日 著者:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ


『経済学は突き詰めるとインセンティヴの学問だ』。有名な研究者だそうだが、トピックが不正や犯罪なのでつい興味を惹かれて、読みやすい。疑問に思う事象の真実を見定めるための、着眼×充分条件を備えたデータ×分析。ワシントンのベイグル屋さんの話が私には印象深かった。都市に住む人間の善性を表わした結果がシンプルに出ている、"道徳と経済の交差点"。無人販売で誰も見ていなくても、87%の人はベイグルの対価を払う。たった1$の対価を払わず盗るのは、士気が低い企業の、大きなオフィスで、地位の高い人が多いそうだ。数字って雄弁。
道徳的インセンティヴが経済的インセンティヴに入れ替わり、経済的インセンティヴがなくなっても道徳的インセンティヴが戻らないという実例は、近頃特に多くなっているのではないかと推測する。例えば、車のスピード違反で捕まって、いかんなと反省しかかっているところに、罰金の金額を知らされ、憤慨しながら罰金を払ったが最後、反省は遠く彼方にぶっ飛んだまま戻ってこないような…ちょっと違うか。もとい、「罰金」なり「延長料金」なり、金銭を払えば済まされる決まりは、最近多いと思う。しかし実は、それは人間の道徳を損なう仕組みなのだ。
読了日:03月08日 著者:スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー


小雪さんのエッセイと対になるエッセイ、自称"繁殖奮闘記"。もはや相聞歌と呼べないか。『俺といっしょに暮らしたほうが絶対面白いから』と口説き落としたという、自慢の奥さんである小雪さんが描く服部文祥ははちゃめちゃだったから、服部文祥の側から見たら物事はかくも反転するのかと感心しきりだった。3人の子供たちもそれぞれ相応にたくましく育って、独特な服部家のかたちはとても幸せそうに見えた。なお、シカの脳みそを食べたニワトリの卵が濃厚でべらぼうに旨いという強烈すぎる事実は、私の人生には役立ちそうにはないが、覚えておく。
読了日:03月07日 著者:服部 文祥

時代に必要とされて生まれた仕事が、技術革新によって、あるいは資本による集約化によって消えた。特に後者のうちいくつかは見直される時期がくるのではと私は想像している。それらは経済とは別の次元の価値が見失われているだけなので、ある意味令和の時代のビジネスアイデアの芽と呼べるものが落ちている期待を持って読んだのだ。ただ職人の技術には復活しえないものもあるので、これらが失われつつあるのは残念極まりない。心根の卑しい仕事は今も似たり寄ったりなのに。なお、私は、かの時代なら、新聞社の編集局機報部鳩室伝書鳩係になりたい。
高木護の乞食見習いの話が面白い。『服装は百年一日のごとく、言葉は不明瞭に、月日は気にしないこと。明瞭に礼を言うと、相手は恵んだ気持ちになるが、不明瞭に言えば神様に物を供えたような気持になる』。これって実は深い話だと唸る。深いと言えば指物大工の言葉も。 『専門性が高いのです。逆にいろんな分野の経験をしたら平べったい知識しか生まれません』。
おばけ暦。明治政府が太陰暦を廃した時、六曜やさんりんぼうなどは迷信として削除され、太陽暦には七曜と干支、太陽と月の出入りが掲載された。庶民はそれでは困るんで、こっそり六曜やさんりんぼうの入った暦を印刷して使っていた。それがおばけ暦。戦後、自由化と共におばけ暦は晴れておばけでなくなったのだそうだ。現代でも商売をしていれば無縁ではいられないので、入ったカレンダーを選んで使っている。ちょっと大きな買い物をするときは神宮暦を見る。おっと、正確には高島暦か。神宮暦は今も"迷信を廃し"ているとのこと。見てみたい。
読了日:03月04日 著者:澤宮 優

注:

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