2022年06月01日
2022年5月の記録
SNSに登録している、読んだ本の冊数が2000冊目を超えたのだとか。
感想も1700冊以上書いているそうだから、1冊255字とはいえなかなかの量になった。
自分の書いた感想に感じ入ることも少なくない。
さらに以前の、幼少の頃に読んだ本たちや何度も読み返した本たちに思いを馳せる。
もう思い出せなかったりするそれらすべてを糧にして今の私がある。
<今月のデータ>
購入28冊、購入費用23,490円。
読了16冊。
積読本321冊(うちKindle本154冊、Honto本11冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:16
桃 もうひとつのツ、イ、ラ、ク (角川文庫)の感想
「ツ、イ、ラ、ク」から間を置かずに読めばもっとヒリヒリできたかもしれない。彼女の周りにいた「普通の」生徒たち。彼/彼女らに対して私の感じていた嫌らしさは、本人が意識的に選択して行動した/行動しなかったからではなく、生物的スキルによって自動選択されたもの故であった。一方で彼/彼女らもまた熟し始めた個体としての衝動を隠し持っていたのであり、彼女のみを異質物のように浮かせた一方、彼女から少なからず影響を受けていた出来事がこれらの短編では明らかにされる、そのお互い知り得ない他者の内部の底知れなさがじわじわくる。
読了日:05月27日 著者:姫野 カオルコ
現代華文推理系列 第一集の感想
若手作家による華文ミステリ集。外国ミステリとはいえ、学校のようなクローズド設定で、論理を詰めて進める類の謎解きミステリは日本のそれと何も変わらないのでつまらない。面白いのは、社会性や叙情性を持ち込むのみならず、それらを巧く利用した作品だ。水天一色「おれみたいな奴が」では社会的底辺者の鬱屈やユーモアがプーアル茶のくだりに現れ、寵物先生「犯罪の赤い糸」には『神経がサトウキビぐらい図太くないと』や『節のほかから枝が生えないように』のような独特の言い回しが興を添える。先入観が無いから楽しめる。はまりそうな予感!
読了日:05月24日 著者:御手洗熊猫,水天一色,林斯諺,寵物先生
くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話 (シリーズ3/4)の感想
パンクな個人投資家によるお金の使いかた指南。金融リテラシーを得る入門書として楽しく読める。なんて言うと軽い啓発本みたいだけど、ちゃんとした知識に根差した哲学がある。今遊ぶことを諦めず、将来のことも捨てない生き方。あと、金融商品でも生活に必要な品物でも、応援したい、ずっと残ってほしい、社会の役に立つと思えるお店の商品を選んで買おうよという話。これはこれで、自分たちの行動次第で未来を自分好みに変えられると考え行動する意味においては未来を拓く動きであり、例えば渋沢健氏の投資哲学とは違った知性の表れだと思う。
読了日:05月21日 著者:ヤマザキOKコンピュータ
カラスをだます (NHK出版新書 646)の感想
研究者からのベンチャー起業家、自称"カラス・ソリューショニスト"。カラスが好きで研究者になったわけでない人もいる。さて、カラスをだます。カラスを食べる。どちらも人間社会とカラスの摩擦を解消する試みだ。しかし視覚優位で記憶力にも優れるカラスを人間の意に沿わせるのは大変と知る。カラス剥製ロボットの首がもげたところは笑いすぎて涙が出た。カラスが人間の出すゴミを漁って、プラスチックを大量に食べてしまわないか心配だったが、カラスは消化できないものを体内に溜めず、ペリットと呼ばれる塊にして吐き出すと知って安心した。
読了日:05月20日 著者:塚原 直樹
僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回の感想
日本の若き知性として注目される、森田真生氏のエッセイ。書店で手に取った瞬間、やられたと思った。なにかここにある、と予感した。『このままではいけない。いままでとは別の、生き方を探しなさい』。感染症による活動縮小を契機に、新しいセンサを働かせて取り組む活動のセンスが好い。通底するのは、人間が人間でないものたちと同じ地平に降り立とうとする意思だ。『人間はもっと humiliate されていい』と言う。これまでと同じようには生きていくことができなくなった世界では、思考より肌感覚に従う、柔軟な行動こそ生き抜く術。
舩橋真俊氏の提唱する「協生農法」が気になる。無耕起、無施肥、無農薬の流れの一手法というだけではないようだ。国内外の実績もあるとのことだが、私の胸を突いたのは『人間がかかわることで、人間がいないよりも高い生物多様性を実現する』というヴィジョンである。できるだけ環境を壊さない、という消極的な環境活動とはベクトルの強さが違う。その圧倒的な突破力こそ、私が求めることのできる最強到達点ではないかと鼻息荒くなってしまう。もっと知りたい。
読了日:05月19日 著者:森田 真生
塩の道 (講談社学術文庫)の感想
宮本常一翁晩年の講演録「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」。加速度的に転がる話に、ぽかんと口を開けてただ聴き入る。ほうほう。ああ、そういうことでしたか、そう考えたほうが自然ですね、なるほどなるほど。知らなかった事実を知るというだけではなくて、翁自身の脚で集められた情報量の凄みと、翁の中で見出された様々の事物が繋がる自在さがもはや小宇宙のようで心地よいのだ。人や獣に必須の塩について、塩を中心に見た歴史がこんなに奥深いとは思わなんだ。塩と醤油、味噌には、ぜひとも産地・製法にこだわって比べてみたい。
日本人には山間地や平地、海べりなど各地でそれぞれ為すべき生業があって、そのためには住まい作業するその土地に合わせた作物を見つけ、つくり、食べる必要があった。そのうちによりつくりやすい作物が流入し、また改良し、食が豊かになったぶん、また人が増え、産業が盛んになる、その繰り返しだった。日本では戦に加わる人と、作物をつくる人が別だったから、中国のようには人口変動の振れ幅が大きくなかったのだという指摘が興味深かった。
読了日:05月19日 著者:宮本 常一
ヒトの壁 (新潮新書)の感想
読み進まなかったのはお風呂で読んでいたせいか、養老先生の言うように日常と同時進行で書かれたからか、病や別離のゆえに難しいご気分であったせいか。気の赴くままにこぼれるぼやきに近いのかもしれない。心に留めておきたいのは昭和天皇の開戦の詔勅『まことに已むを得ざるものあり、あに朕が志ならんや』。陛下の真情がどのようにあったかは別にして、当時の為政者や軍属の人々にも受け入れられるメンタリティーであったのだなあ。「なるべくしてなる」という日本人の感覚は、外国から見たら無責任に取られたりもするのだろうか。
読了日:05月18日 著者:養老 孟司
兄の終いの感想
いうなれば「毒兄」。よく聞くお名前なので、恥ずかしながらてっきり小説だと思って読み始め、同じ苗字の主人公に、どうやらノンフィクションらしいと気づいて動揺した。なんとトーマス・トウェイツ本の翻訳者さんでした。さて、生前いくら怒りを覚え、拒絶し倒すしか処しようのなかった相手でも、死後もずっと憎み続けることは、人にはできないのだろう。相手の精神の消滅と同時に、脅威は消え、自らの中で何かが変わり始める。こちらに真実に向き合おうなんて気持ちが欠片でも浮かぶ場合は特に。悔いも生まれる。きっとそれが「弔う」ことなのだ。
読了日:05月17日 著者:村井 理子
佐藤優の裏読み! 国際関係論の感想
約1年前の著作であり、残念ながらウクライナには触れていないが、ロシアの北方領土交渉や地球温暖化についての見解は興味深い。読みどころは、氏の珍しく感情の混じる文章である。沖縄人としての強い思いと元外交官としての判断が相克している。本土人として胸に手を当てずにいられない。また、どうやら私たちは新型コロナやらウクライナ動乱やらを機にますます危うい情勢に巻き込まれつつある。自発性を重んじる"翼賛"の思想が同調圧力という強制に転じるのは、日本の政治文化であるという。恐怖政治の気配といい、どちらを向いても恐ろしい。
氏は、当時の菅政権の外交が満点に近いと評価する。外務省のトップが優秀である点と、政権が任せた点が良かったとのことだ。つまり、政権が無能のポンコツでも、外務省の要がしっかりしていればきちんと折り合いをつける外交ができるということだと理解した。極右政治家がわあわあ騒いでも、脊髄反射的に罵ったりせず、じっと見定める姿勢が大事である。戦闘能力や憲法を云々する前に、非常事態を回避する外交が必要。
読了日:05月16日 著者:佐藤 優
限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?の感想
フィンランドの章。ソ連との浅からぬ因縁が書かれていたと記憶していたので再読。西欧と東欧のはざまに位置するのはウクライナと同じである。ロシア帝国からの独立後、1939-40年のソ連との冬戦争により賠償金と領土を失い、第二次世界大戦で敵(ソ連)の敵=ドイツに与したことで敗戦、再びソ連に領土のうち豊かな農地や発電所、港を割譲させられている。しかしアメリカやNATOには頼らず基地もつくらせない方針で、ソ連との折り合いをつけてきた国だ。それがその方針を転換しようとしているのは、歴史的な事件なのだと、改めて確認した。
読了日:05月15日 著者:マイケル・ブース
「十五少年漂流記」への旅 ―幻の島を探して (新潮文庫)の感想
「十五少年漂流記」は少年シーナマコトの冒険心の芽を育んだ。そのモデルとなった無人島へ上陸する企画。とはいえ、現地の描写は数ページである。脱線のように過去の旅での体験や知識が披瀝されるので、意図を計りかねて置き去りにされそうになる。もちろん適当な紙面埋めなどではなく、言わんとすることがあるのだ。椎名家の書棚にはフィクション・ノンフィクションを問わず、冒険記や漂流記が膨大に並んでいると推察される。経験と知識が合わさって初めて立つ仮説、実感があるのだなあ。シーナ級でないとできない偉業である。珍しくちょい辛口。
読了日:05月14日 著者:椎名 誠
言壺 (ハヤカワ文庫JA)の感想
面白い面白い。言葉にまつわるSF短編集。言葉そのものの在りかたが変化してしまった世界は、スイッチ一つで小説が目の前から消え去ってしまう電子書籍や、スマホの予測機能で出る単語をつないで他者とやり取りするスマホネイティブの、延長線上にあるかもしれない世界だ。文字ができ、印刷技術が発達し、手書きしなくなり、そのたび言葉の機能も変わってきたはずで、さらに身体性が弱り、言葉にどっぷり浸かっていると、どちらがどちらを支配しているのかわからない感じとか、言葉の破壊が社会や人間をも破壊してしまう想像とか、脳内に遊ばせる。
「栽培文」が幻想的で好い。映像化できそう。『その言葉を枯葉の状態からよみがえらせるには、それを生んだときの気分が必要らしい。その言葉を読むと、その気持ちがよみがえるのか、その気持ちを忘れないでいるから、その枯葉がよみがえるのか、どちらなのか、と娘は考えた。言葉が先か、気持ちが先か、どちらなのだろう。』彼女の素朴な疑問は、実は深い意味を湛えてこちらの気持ちをゆらゆら揺らす。
1994年の刊行と聞いて腰を抜かしそうになる。1994年と言えばWindowsは95以前で、電子書籍もスマホもありゃしない。オフコンからワーカムを発想する凄さたるや。…しかし、ワーカムを今のWindows11よりもすごげな、VRみたいなガジェットに想像したのは、著者ではなく私の脳みそなのである。言葉。その威力をまざまざと感じる。
読了日:05月12日 著者:神林長平
日本でわたしも考えた:インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉との感想
インド人というより、インド生まれの国際人であるジャーナリストの日本滞在記として、インドで刊行された書籍の翻訳本。著者は日本を気に入っているが、日本礼賛本ではなく、社会や政治の在り様への辛辣な指摘も多い。これが何度も来日してくれる人々の本音だろう。切り口が面白い。子供が独りで通学するのは、コミュニティへの信頼が生きている証と洞察する。自分で掃除するのは自ら清潔にするための手段であって、罰でも人の尊厳を損なうものでない。私たちには当たり前のことが外国ではそうではないと気づく瞬間は、やはり醍醐味である。
読了日:05月10日 著者:パーラヴィ・アイヤール
特殊清掃 (ディスカヴァー携書)の感想
一人身の人間が増えれば孤独死も増える。孤独死に心理的拒否感は無いけれど、まあ、その後は問題よね。死は現代社会では表向き異質なものだ。存命中の姿を知らず、三人称の死と割り切れれば、モノの始末と処理をこなすことはできるのではと想像していたが、人体が腐乱し融解する過程は、プロでも抑えきれない拒否感を生じさせるようだ。この本能レベルの反応は、同様に死体を扱う例えば納棺師のような職業では聞かない。自然に還ることもできない人体を汚物として扱うしかない点が、人間の脳が持つバグを突く。ここがこの職業の特殊さかと想像した。
読了日:05月08日 著者:特掃隊長
最後の講義 完全版 上野千鶴子 これからの時代を生きるあなたへ安心して弱者になれる社会をつくりたいの感想
NHKの番組はつまみぐいだったようだ。記憶より分量がある。講義は無論、対話も各々がどういう生き方を選んで、課題を抱え、どのような社会システムを望んでいるか知れて良い。日本は子育ても介護も家事も、公助/共助とも絶対的に足りない。今まで女がタダでやってきたから、そんなことにおカネを払う理由がないと誰かが考えている。私の夫はリベラルな方だが、それらにさほどの対価は払えないなどと考えるようになったとしたら、それは私のせいだなと自戒。『こんな世の中にしてごめんなさいと言わなくてすむ社会を手渡したい』の言葉が温かい。
観て好きだった講義。女が親になったら、子供に対して人生最大の権力者になる、という発言を鮮烈に記憶している。自らの体感は確実に人の人生の軌道を左右する。上野さんの切れの良い話しかたが好きだ。全てを抱え込んで途方に暮れている受講者には優しく助言する。一方、無神経に懐古的な発言をする受講者には間髪入れずぴしゃりと批判する。『年を取るっていうのは、現実の多様性にぶつかって、脱洗脳、つまり洗脳が解けていく過程なので、わたしは年を取ったほうがはるかに柔軟になって、寛容になりました』。まさに。
読了日:05月07日 著者:上野 千鶴子,NHKグローバルメディアサービス,テレビマンユニオン
宮辻薬東宮 (講談社文庫)の感想
妹本。そうそうたる面々の短編リレー。最初に宮部さんがちょいホラーで縛ってしまった流れなのだろうか。それぞれの作家のカラーが出ておもしろかった。タイトルも意味深なニュアンスが中黒で表されていて、読後になるほどなあ、と作家の創意に唸ったものだが、うしろ2編はよくわからなかった。なにかダブルミーニングのようなひねりはあったのだろうか。そこも解説が欲しかった。記念撮影はどないことなったんかな。
読了日:05月02日 著者:宮部 みゆき,辻村 深月,薬丸 岳,東山 彰良,宮内 悠介
注:
は電子書籍で読んだ本。
感想も1700冊以上書いているそうだから、1冊255字とはいえなかなかの量になった。
自分の書いた感想に感じ入ることも少なくない。
さらに以前の、幼少の頃に読んだ本たちや何度も読み返した本たちに思いを馳せる。
もう思い出せなかったりするそれらすべてを糧にして今の私がある。
<今月のデータ>
購入28冊、購入費用23,490円。
読了16冊。
積読本321冊(うちKindle本154冊、Honto本11冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:16

「ツ、イ、ラ、ク」から間を置かずに読めばもっとヒリヒリできたかもしれない。彼女の周りにいた「普通の」生徒たち。彼/彼女らに対して私の感じていた嫌らしさは、本人が意識的に選択して行動した/行動しなかったからではなく、生物的スキルによって自動選択されたもの故であった。一方で彼/彼女らもまた熟し始めた個体としての衝動を隠し持っていたのであり、彼女のみを異質物のように浮かせた一方、彼女から少なからず影響を受けていた出来事がこれらの短編では明らかにされる、そのお互い知り得ない他者の内部の底知れなさがじわじわくる。
読了日:05月27日 著者:姫野 カオルコ

若手作家による華文ミステリ集。外国ミステリとはいえ、学校のようなクローズド設定で、論理を詰めて進める類の謎解きミステリは日本のそれと何も変わらないのでつまらない。面白いのは、社会性や叙情性を持ち込むのみならず、それらを巧く利用した作品だ。水天一色「おれみたいな奴が」では社会的底辺者の鬱屈やユーモアがプーアル茶のくだりに現れ、寵物先生「犯罪の赤い糸」には『神経がサトウキビぐらい図太くないと』や『節のほかから枝が生えないように』のような独特の言い回しが興を添える。先入観が無いから楽しめる。はまりそうな予感!
読了日:05月24日 著者:御手洗熊猫,水天一色,林斯諺,寵物先生


パンクな個人投資家によるお金の使いかた指南。金融リテラシーを得る入門書として楽しく読める。なんて言うと軽い啓発本みたいだけど、ちゃんとした知識に根差した哲学がある。今遊ぶことを諦めず、将来のことも捨てない生き方。あと、金融商品でも生活に必要な品物でも、応援したい、ずっと残ってほしい、社会の役に立つと思えるお店の商品を選んで買おうよという話。これはこれで、自分たちの行動次第で未来を自分好みに変えられると考え行動する意味においては未来を拓く動きであり、例えば渋沢健氏の投資哲学とは違った知性の表れだと思う。
読了日:05月21日 著者:ヤマザキOKコンピュータ


研究者からのベンチャー起業家、自称"カラス・ソリューショニスト"。カラスが好きで研究者になったわけでない人もいる。さて、カラスをだます。カラスを食べる。どちらも人間社会とカラスの摩擦を解消する試みだ。しかし視覚優位で記憶力にも優れるカラスを人間の意に沿わせるのは大変と知る。カラス剥製ロボットの首がもげたところは笑いすぎて涙が出た。カラスが人間の出すゴミを漁って、プラスチックを大量に食べてしまわないか心配だったが、カラスは消化できないものを体内に溜めず、ペリットと呼ばれる塊にして吐き出すと知って安心した。
読了日:05月20日 著者:塚原 直樹


日本の若き知性として注目される、森田真生氏のエッセイ。書店で手に取った瞬間、やられたと思った。なにかここにある、と予感した。『このままではいけない。いままでとは別の、生き方を探しなさい』。感染症による活動縮小を契機に、新しいセンサを働かせて取り組む活動のセンスが好い。通底するのは、人間が人間でないものたちと同じ地平に降り立とうとする意思だ。『人間はもっと humiliate されていい』と言う。これまでと同じようには生きていくことができなくなった世界では、思考より肌感覚に従う、柔軟な行動こそ生き抜く術。
舩橋真俊氏の提唱する「協生農法」が気になる。無耕起、無施肥、無農薬の流れの一手法というだけではないようだ。国内外の実績もあるとのことだが、私の胸を突いたのは『人間がかかわることで、人間がいないよりも高い生物多様性を実現する』というヴィジョンである。できるだけ環境を壊さない、という消極的な環境活動とはベクトルの強さが違う。その圧倒的な突破力こそ、私が求めることのできる最強到達点ではないかと鼻息荒くなってしまう。もっと知りたい。
読了日:05月19日 著者:森田 真生

宮本常一翁晩年の講演録「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」。加速度的に転がる話に、ぽかんと口を開けてただ聴き入る。ほうほう。ああ、そういうことでしたか、そう考えたほうが自然ですね、なるほどなるほど。知らなかった事実を知るというだけではなくて、翁自身の脚で集められた情報量の凄みと、翁の中で見出された様々の事物が繋がる自在さがもはや小宇宙のようで心地よいのだ。人や獣に必須の塩について、塩を中心に見た歴史がこんなに奥深いとは思わなんだ。塩と醤油、味噌には、ぜひとも産地・製法にこだわって比べてみたい。
日本人には山間地や平地、海べりなど各地でそれぞれ為すべき生業があって、そのためには住まい作業するその土地に合わせた作物を見つけ、つくり、食べる必要があった。そのうちによりつくりやすい作物が流入し、また改良し、食が豊かになったぶん、また人が増え、産業が盛んになる、その繰り返しだった。日本では戦に加わる人と、作物をつくる人が別だったから、中国のようには人口変動の振れ幅が大きくなかったのだという指摘が興味深かった。
読了日:05月19日 著者:宮本 常一


読み進まなかったのはお風呂で読んでいたせいか、養老先生の言うように日常と同時進行で書かれたからか、病や別離のゆえに難しいご気分であったせいか。気の赴くままにこぼれるぼやきに近いのかもしれない。心に留めておきたいのは昭和天皇の開戦の詔勅『まことに已むを得ざるものあり、あに朕が志ならんや』。陛下の真情がどのようにあったかは別にして、当時の為政者や軍属の人々にも受け入れられるメンタリティーであったのだなあ。「なるべくしてなる」という日本人の感覚は、外国から見たら無責任に取られたりもするのだろうか。
読了日:05月18日 著者:養老 孟司

いうなれば「毒兄」。よく聞くお名前なので、恥ずかしながらてっきり小説だと思って読み始め、同じ苗字の主人公に、どうやらノンフィクションらしいと気づいて動揺した。なんとトーマス・トウェイツ本の翻訳者さんでした。さて、生前いくら怒りを覚え、拒絶し倒すしか処しようのなかった相手でも、死後もずっと憎み続けることは、人にはできないのだろう。相手の精神の消滅と同時に、脅威は消え、自らの中で何かが変わり始める。こちらに真実に向き合おうなんて気持ちが欠片でも浮かぶ場合は特に。悔いも生まれる。きっとそれが「弔う」ことなのだ。
読了日:05月17日 著者:村井 理子


約1年前の著作であり、残念ながらウクライナには触れていないが、ロシアの北方領土交渉や地球温暖化についての見解は興味深い。読みどころは、氏の珍しく感情の混じる文章である。沖縄人としての強い思いと元外交官としての判断が相克している。本土人として胸に手を当てずにいられない。また、どうやら私たちは新型コロナやらウクライナ動乱やらを機にますます危うい情勢に巻き込まれつつある。自発性を重んじる"翼賛"の思想が同調圧力という強制に転じるのは、日本の政治文化であるという。恐怖政治の気配といい、どちらを向いても恐ろしい。
氏は、当時の菅政権の外交が満点に近いと評価する。外務省のトップが優秀である点と、政権が任せた点が良かったとのことだ。つまり、政権が無能のポンコツでも、外務省の要がしっかりしていればきちんと折り合いをつける外交ができるということだと理解した。極右政治家がわあわあ騒いでも、脊髄反射的に罵ったりせず、じっと見定める姿勢が大事である。戦闘能力や憲法を云々する前に、非常事態を回避する外交が必要。
読了日:05月16日 著者:佐藤 優


フィンランドの章。ソ連との浅からぬ因縁が書かれていたと記憶していたので再読。西欧と東欧のはざまに位置するのはウクライナと同じである。ロシア帝国からの独立後、1939-40年のソ連との冬戦争により賠償金と領土を失い、第二次世界大戦で敵(ソ連)の敵=ドイツに与したことで敗戦、再びソ連に領土のうち豊かな農地や発電所、港を割譲させられている。しかしアメリカやNATOには頼らず基地もつくらせない方針で、ソ連との折り合いをつけてきた国だ。それがその方針を転換しようとしているのは、歴史的な事件なのだと、改めて確認した。
読了日:05月15日 著者:マイケル・ブース


「十五少年漂流記」は少年シーナマコトの冒険心の芽を育んだ。そのモデルとなった無人島へ上陸する企画。とはいえ、現地の描写は数ページである。脱線のように過去の旅での体験や知識が披瀝されるので、意図を計りかねて置き去りにされそうになる。もちろん適当な紙面埋めなどではなく、言わんとすることがあるのだ。椎名家の書棚にはフィクション・ノンフィクションを問わず、冒険記や漂流記が膨大に並んでいると推察される。経験と知識が合わさって初めて立つ仮説、実感があるのだなあ。シーナ級でないとできない偉業である。珍しくちょい辛口。
読了日:05月14日 著者:椎名 誠

面白い面白い。言葉にまつわるSF短編集。言葉そのものの在りかたが変化してしまった世界は、スイッチ一つで小説が目の前から消え去ってしまう電子書籍や、スマホの予測機能で出る単語をつないで他者とやり取りするスマホネイティブの、延長線上にあるかもしれない世界だ。文字ができ、印刷技術が発達し、手書きしなくなり、そのたび言葉の機能も変わってきたはずで、さらに身体性が弱り、言葉にどっぷり浸かっていると、どちらがどちらを支配しているのかわからない感じとか、言葉の破壊が社会や人間をも破壊してしまう想像とか、脳内に遊ばせる。
「栽培文」が幻想的で好い。映像化できそう。『その言葉を枯葉の状態からよみがえらせるには、それを生んだときの気分が必要らしい。その言葉を読むと、その気持ちがよみがえるのか、その気持ちを忘れないでいるから、その枯葉がよみがえるのか、どちらなのか、と娘は考えた。言葉が先か、気持ちが先か、どちらなのだろう。』彼女の素朴な疑問は、実は深い意味を湛えてこちらの気持ちをゆらゆら揺らす。
1994年の刊行と聞いて腰を抜かしそうになる。1994年と言えばWindowsは95以前で、電子書籍もスマホもありゃしない。オフコンからワーカムを発想する凄さたるや。…しかし、ワーカムを今のWindows11よりもすごげな、VRみたいなガジェットに想像したのは、著者ではなく私の脳みそなのである。言葉。その威力をまざまざと感じる。
読了日:05月12日 著者:神林長平


インド人というより、インド生まれの国際人であるジャーナリストの日本滞在記として、インドで刊行された書籍の翻訳本。著者は日本を気に入っているが、日本礼賛本ではなく、社会や政治の在り様への辛辣な指摘も多い。これが何度も来日してくれる人々の本音だろう。切り口が面白い。子供が独りで通学するのは、コミュニティへの信頼が生きている証と洞察する。自分で掃除するのは自ら清潔にするための手段であって、罰でも人の尊厳を損なうものでない。私たちには当たり前のことが外国ではそうではないと気づく瞬間は、やはり醍醐味である。
読了日:05月10日 著者:パーラヴィ・アイヤール

一人身の人間が増えれば孤独死も増える。孤独死に心理的拒否感は無いけれど、まあ、その後は問題よね。死は現代社会では表向き異質なものだ。存命中の姿を知らず、三人称の死と割り切れれば、モノの始末と処理をこなすことはできるのではと想像していたが、人体が腐乱し融解する過程は、プロでも抑えきれない拒否感を生じさせるようだ。この本能レベルの反応は、同様に死体を扱う例えば納棺師のような職業では聞かない。自然に還ることもできない人体を汚物として扱うしかない点が、人間の脳が持つバグを突く。ここがこの職業の特殊さかと想像した。
読了日:05月08日 著者:特掃隊長


NHKの番組はつまみぐいだったようだ。記憶より分量がある。講義は無論、対話も各々がどういう生き方を選んで、課題を抱え、どのような社会システムを望んでいるか知れて良い。日本は子育ても介護も家事も、公助/共助とも絶対的に足りない。今まで女がタダでやってきたから、そんなことにおカネを払う理由がないと誰かが考えている。私の夫はリベラルな方だが、それらにさほどの対価は払えないなどと考えるようになったとしたら、それは私のせいだなと自戒。『こんな世の中にしてごめんなさいと言わなくてすむ社会を手渡したい』の言葉が温かい。
観て好きだった講義。女が親になったら、子供に対して人生最大の権力者になる、という発言を鮮烈に記憶している。自らの体感は確実に人の人生の軌道を左右する。上野さんの切れの良い話しかたが好きだ。全てを抱え込んで途方に暮れている受講者には優しく助言する。一方、無神経に懐古的な発言をする受講者には間髪入れずぴしゃりと批判する。『年を取るっていうのは、現実の多様性にぶつかって、脱洗脳、つまり洗脳が解けていく過程なので、わたしは年を取ったほうがはるかに柔軟になって、寛容になりました』。まさに。
読了日:05月07日 著者:上野 千鶴子,NHKグローバルメディアサービス,テレビマンユニオン


妹本。そうそうたる面々の短編リレー。最初に宮部さんがちょいホラーで縛ってしまった流れなのだろうか。それぞれの作家のカラーが出ておもしろかった。タイトルも意味深なニュアンスが中黒で表されていて、読後になるほどなあ、と作家の創意に唸ったものだが、うしろ2編はよくわからなかった。なにかダブルミーニングのようなひねりはあったのだろうか。そこも解説が欲しかった。記念撮影はどないことなったんかな。
読了日:05月02日 著者:宮部 みゆき,辻村 深月,薬丸 岳,東山 彰良,宮内 悠介
注:

Posted by nekoneko at 10:01│Comments(0)
│読書