2023年04月01日
2023年3月の記録
はちみつを量り売りしてもらった。
注いだときにできた泡がまだ残って、陽に光る。
読書は娯楽であってよいけれど、いずれは暮らしと切り離せないもの。
はちみつの美味しさと、蜂や自然や商いのいろいろを想う。

<今月のデータ>
購入15冊、購入費用12,599円。
読了10冊。
積読本333冊(うちKindle本159冊、Honto本3冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:10
ルポ 誰が国語力を殺すのかの感想
歳が離れゆくばかりの社員との対話について、時代や教育が変われば自分の年代とは前提条件が異なるだろうと、様子を知りたかったのが読む動機だった。まさか、日本に生まれ育った両親を持ちながら、母語である日本語を失った人たちがいるとは思わなかった。私たちは言葉のやりとりを通して他者とより深く意思疎通する。適切な言葉の力を持たなければ論理的に思考することはおろか、自らの気持ちを認識することもできないのだ。言語能力の個人差は以前からあることだし、機会があれば育てることができる。ただ、思っているより難しいと覚えておく。
読了日:03月26日 著者:石井 光太
いい感じの石ころを拾いに (中公文庫)の感想
水辺で石を拾う夢を見た。その後、この本を見かけて買ったのは必然だった気がする。思うに、石は丸っこいのが好ましく、"なんかいい感じ"のものを全身で探したく、なにより無為なところがいい。とするとヒスイ海岸はいずれとして、より身近では川よりは河口、海、瀬戸内海よりは太平洋、日本海なのだな。『そんな石、どこにでも落ちてるだろ、と思う者には、今後おそろしい災禍がふりかからんことを』とか『このいまいましい女が、石の素晴らしさを目の当たりにして打ちのめされんことを願い』など、ダーク宮田が顔をのぞかせる。んんん。
読了日:03月26日 著者:宮田 珠己
ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか? (文春新書)の感想
狂ってる。読むに堪えないと絶望しながら読み進めた。国家政府と巨大企業のタッグの前では、暮らしを守りたい個人の気持ちははあまりに無力に思える。このコロナ禍やウクライナ有事は、世界がこじらせた歪みを正す機会になるのだと私は思っていた。しかし世界のテクノロジー企業はほくそ笑んで着々と布石を打っていたのだ。私たちの「食べるものを選ぶ権利」は潰えるのか。終盤では癒され勇気づけられる思いがする。トップの姿勢がそれならば、私たちが正しい知識と倫理のもとにボトムアップでやっていくしかない。叡智がまだ残っているうちに。
『牛舎式だと4年と短い寿命が放牧だと3倍の12年に延びます(動物福祉)。次に草はタダなので、通常畜産で経費の半分を占めるエサ代や牛舎などの設備投資がかからない(経費削減)。牛をうまく使えば土壌の循環能力を再生させ温暖化ガスを土壌中に隔離できる(気候変動対策)。そして運動量も多くストレスが少ないため、牛たちの免疫力が圧倒的に高く、感染症などの病気にかかりにくいんです(病気対策)』。
『脱炭素なら牛と牧草のタッグが最強です』。牛の群れを自然の中を遊牧させる酪農は日本でもあちこちにある。正しく育てれば牛は救世主であると各国の人々が言う。誰が工場で培養された牛肉やら3Dプリンターで整形した寿司ネタやらコオロギやらを食べたいだろう。そして今生きている牛を潰せば補助金を出すと農水省は言うのだ。人工的な生産物で稼ごうとしている大企業の摺り込みは無視して、肚を据えて、正当に育てた野菜や肉を選ぼう。問題は、すでに食べ物の値段が狂っていて、これまでとの相対的な感覚で「高い」と感じてしまうこと。
『土の耕起は微生物の活動を活性化し、大切な土の有機物が分解されてしまった。さらに、休閑の間、作物の被覆がなくなるために、風雨による土壌侵食も深刻化した』。ここ、これから読む予定の本に繋がっていく予定。
読了日:03月25日 著者:堤 未果
燃える秋 (角川文庫)の感想
1977年の小説。主人公の言葉づかいも行動も現代からするとだいぶ違和感はあるも、時代も時代、女性が寿退社じゃなく退職して中東へ旅立つなんて、時代に先駆けた生き方を描いた。主人公の年齢設定は三十路。燃える「秋」って女性の年齢のことを暗喩しているのかな。この小説を手に取ったのは、私にもペルシャ絨毯に対する憧憬があるからだった。重量感のあるその存在を、見つめ、色に陶酔し、緻密さに驚愕し、携わる人々が費やした年月に尊崇の念を抱く。いいなあ、イラン行きたい。絨毯にまつわるイラン人の美学を想って、よしとする。
読了日:03月21日 著者:五木 寛之
大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち (ヤマケイ新書)の感想
土についてもっと知りたくて2冊目。前作とアプローチが違う。地質や気候によって岩石から生まれた土が、少なくとも数百年の時間をかけて土壌になる。それは植物や昆虫、微生物、人間が足し算引き算でその土その土に適応してきたからなのだ。日本の土がどういうものか、なぜ山野は何もしなくても繁茂するのに畑には石灰を撒かなければならないか、ひいては農業、主食穀物と日本史、環境問題の根の深さなど、全てが繋がっていると理解できる。ここをふまえたほうが、本当に大事なものを見極められそう。「土」を考えるうえでの基本が理解できる良書。
読了日:03月20日 著者:藤井 一至
メガバンク銀行員ぐだぐだ日記――このたびの件、深くお詫び申しあげます (日記シリーズ)の感想
メガバンク現職行員のぶっちゃけ話といえばシリーズとしては目玉かもしれないが、私にはシリーズで最もつまらなかった。なぜなら、銀行員は華々しい入社以来その世界に忙殺される。外界を知らない。支店の格とか出世レースとか俺の顔に泥とか、組織として病的とも思う。「客」の意味が他業種とは違うんじゃないか。他人様の制裁与奪の権利を握っていると誤解していると高慢さがにじみ出る。…私は銀行に恨みでもあるのか?あるんだろうな。真面目な銀行員の皆様、ごめんなさい。あなたに悪気が無いのは知っているんですけれど、共感はできません。
読了日:03月17日 著者:目黒冬弥
NUDGE 実践 行動経済学 完全版の感想
現代社会のキーワードとしておさえておきたかった本。近接分野にも触れているぶん、厚い。さて、広義に捉えてナッジは人間が一人いれば発生するので、著者の言葉を借りれば、全てのヒューマンはキュレーターである。他人に働きかけをするとき、言い廻し、伝える順番、表現方法などナッジは意識しているつもりだ。働きかけを受け取る場合も、相手の意図や世間の潮流、経済行動学的側面を読み取ったうえで決断することは多々ある。しかしそれでも、自分の意識しない領分でナッジし、またナッジされていることはあるんだなと気づき考え込んでしまった。
『持続可能性の領域などで、新しい規範が生まれつつあると人びとに伝えると、その結果として予言が現実になることがある。多くの人は歴史の流れに逆らいたくないと思っている。あることをしている人が増えているのを目の当たりにすると、それまではむずかしいと思っていたこと、不可能だとすら思っていたことを実現できると考えるようになるかもしれない。実現しないわけがないとさえ考える人だって出てくるだろう』。これは根源的に重要なことを指摘している。社会を動かすのがなべてナッジなら、他者が受け取れる形での表明は人の義務ではないか?
読了日:03月15日 著者:リチャード・セイラー,キャス・サンスティーン
乞食の名誉の感想
「100分deフェミニズム論」で紹介された小説。引用された『不覚な違算』は、女性が自らの意志に反して背負わされる家庭内の責務を指している。先日内閣府が発表した調査結果で、育児と介護が女性の活躍を妨げる最たるものと発表していた。それは比重が大きく、挙げやすいだけであって、個人や身内で負担しなくてよい社会システムを構築するのは重要である一方、自身の愛着や同じ女性による反感の部分が小さくないことを伊藤野枝は指摘する。自分を活かしたい根源的な欲求を満たすことの障害を含め、変わっていかないかんだろうとは思うけれど。
読了日:03月15日 著者:伊 藤 野 枝
ゼロエフの感想
『私が唾棄するのは紋切り型の理解である』。著者は福島を縦横に、歩きに歩く。人の声になった被災地の思いの聞き役に徹し、目に見えないものに耳を澄ます。一人の人の記憶にも年月の奥行きがあり、さらに先祖の記憶、集落の記憶も背負った言葉を、一人の身体で受け止められると思わない。我が事ではないゆえに感じる責務と無力感。しんどい。受け止められない事実を骨身に沁ませて、祈りはその先にあるのだろう。生き残った人間は何かをしたいと思うという。それぞれの鎮魂の作業。遺さなければ消える。だから碑であり野馬追であり紫陽花なのだ。
でも、碑すら人の都合で遷され忘れ去られるのだ。ではこの、作家の業みたいな、言葉にぐるぐる囚われたような文章なら遺るだろうか。何でもいい。大きなものじゃなくていいから、いろんなものを数多く遺しておけば、どれかは後世に伝わるのではないかと、これは複次的に言葉を受け取った者の、ささやかな祈り。
読了日:03月12日 著者:古川 日出男
手のひらの京 (新潮文庫)の感想
意外に、最近の作品である。年頃の三姉妹を中心とした、京都に暮らす人々の日常。凛が眺める冒頭の鴨川から始まり、そこここに描かれる情景は著者の記憶だろう。暮らす人だけが見る京都、観光客に交じって見る京都の風景は現代的だけど雅だ。愛おしさがにじむ。家から徒歩一時間以内にある神社すべてに初詣に行くのが趣味で、十以上回るとか、京都に暮らしたことがない者には想像もつかない。生まれてからずっと『身体の中へ蓄え続けた京都の息吹』が素敵ね。凛の東京行きを両親が頑強に反対する辺りで万城目学的展開を予想したが、普通に外れた。
読了日:03月02日 著者:綿矢 りさ
注:
は電子書籍で読んだ本。
注いだときにできた泡がまだ残って、陽に光る。
読書は娯楽であってよいけれど、いずれは暮らしと切り離せないもの。
はちみつの美味しさと、蜂や自然や商いのいろいろを想う。

<今月のデータ>
購入15冊、購入費用12,599円。
読了10冊。
積読本333冊(うちKindle本159冊、Honto本3冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:10

歳が離れゆくばかりの社員との対話について、時代や教育が変われば自分の年代とは前提条件が異なるだろうと、様子を知りたかったのが読む動機だった。まさか、日本に生まれ育った両親を持ちながら、母語である日本語を失った人たちがいるとは思わなかった。私たちは言葉のやりとりを通して他者とより深く意思疎通する。適切な言葉の力を持たなければ論理的に思考することはおろか、自らの気持ちを認識することもできないのだ。言語能力の個人差は以前からあることだし、機会があれば育てることができる。ただ、思っているより難しいと覚えておく。
読了日:03月26日 著者:石井 光太

水辺で石を拾う夢を見た。その後、この本を見かけて買ったのは必然だった気がする。思うに、石は丸っこいのが好ましく、"なんかいい感じ"のものを全身で探したく、なにより無為なところがいい。とするとヒスイ海岸はいずれとして、より身近では川よりは河口、海、瀬戸内海よりは太平洋、日本海なのだな。『そんな石、どこにでも落ちてるだろ、と思う者には、今後おそろしい災禍がふりかからんことを』とか『このいまいましい女が、石の素晴らしさを目の当たりにして打ちのめされんことを願い』など、ダーク宮田が顔をのぞかせる。んんん。
読了日:03月26日 著者:宮田 珠己

狂ってる。読むに堪えないと絶望しながら読み進めた。国家政府と巨大企業のタッグの前では、暮らしを守りたい個人の気持ちははあまりに無力に思える。このコロナ禍やウクライナ有事は、世界がこじらせた歪みを正す機会になるのだと私は思っていた。しかし世界のテクノロジー企業はほくそ笑んで着々と布石を打っていたのだ。私たちの「食べるものを選ぶ権利」は潰えるのか。終盤では癒され勇気づけられる思いがする。トップの姿勢がそれならば、私たちが正しい知識と倫理のもとにボトムアップでやっていくしかない。叡智がまだ残っているうちに。
『牛舎式だと4年と短い寿命が放牧だと3倍の12年に延びます(動物福祉)。次に草はタダなので、通常畜産で経費の半分を占めるエサ代や牛舎などの設備投資がかからない(経費削減)。牛をうまく使えば土壌の循環能力を再生させ温暖化ガスを土壌中に隔離できる(気候変動対策)。そして運動量も多くストレスが少ないため、牛たちの免疫力が圧倒的に高く、感染症などの病気にかかりにくいんです(病気対策)』。
『脱炭素なら牛と牧草のタッグが最強です』。牛の群れを自然の中を遊牧させる酪農は日本でもあちこちにある。正しく育てれば牛は救世主であると各国の人々が言う。誰が工場で培養された牛肉やら3Dプリンターで整形した寿司ネタやらコオロギやらを食べたいだろう。そして今生きている牛を潰せば補助金を出すと農水省は言うのだ。人工的な生産物で稼ごうとしている大企業の摺り込みは無視して、肚を据えて、正当に育てた野菜や肉を選ぼう。問題は、すでに食べ物の値段が狂っていて、これまでとの相対的な感覚で「高い」と感じてしまうこと。
『土の耕起は微生物の活動を活性化し、大切な土の有機物が分解されてしまった。さらに、休閑の間、作物の被覆がなくなるために、風雨による土壌侵食も深刻化した』。ここ、これから読む予定の本に繋がっていく予定。
読了日:03月25日 著者:堤 未果


1977年の小説。主人公の言葉づかいも行動も現代からするとだいぶ違和感はあるも、時代も時代、女性が寿退社じゃなく退職して中東へ旅立つなんて、時代に先駆けた生き方を描いた。主人公の年齢設定は三十路。燃える「秋」って女性の年齢のことを暗喩しているのかな。この小説を手に取ったのは、私にもペルシャ絨毯に対する憧憬があるからだった。重量感のあるその存在を、見つめ、色に陶酔し、緻密さに驚愕し、携わる人々が費やした年月に尊崇の念を抱く。いいなあ、イラン行きたい。絨毯にまつわるイラン人の美学を想って、よしとする。
読了日:03月21日 著者:五木 寛之


土についてもっと知りたくて2冊目。前作とアプローチが違う。地質や気候によって岩石から生まれた土が、少なくとも数百年の時間をかけて土壌になる。それは植物や昆虫、微生物、人間が足し算引き算でその土その土に適応してきたからなのだ。日本の土がどういうものか、なぜ山野は何もしなくても繁茂するのに畑には石灰を撒かなければならないか、ひいては農業、主食穀物と日本史、環境問題の根の深さなど、全てが繋がっていると理解できる。ここをふまえたほうが、本当に大事なものを見極められそう。「土」を考えるうえでの基本が理解できる良書。
読了日:03月20日 著者:藤井 一至


メガバンク現職行員のぶっちゃけ話といえばシリーズとしては目玉かもしれないが、私にはシリーズで最もつまらなかった。なぜなら、銀行員は華々しい入社以来その世界に忙殺される。外界を知らない。支店の格とか出世レースとか俺の顔に泥とか、組織として病的とも思う。「客」の意味が他業種とは違うんじゃないか。他人様の制裁与奪の権利を握っていると誤解していると高慢さがにじみ出る。…私は銀行に恨みでもあるのか?あるんだろうな。真面目な銀行員の皆様、ごめんなさい。あなたに悪気が無いのは知っているんですけれど、共感はできません。
読了日:03月17日 著者:目黒冬弥


現代社会のキーワードとしておさえておきたかった本。近接分野にも触れているぶん、厚い。さて、広義に捉えてナッジは人間が一人いれば発生するので、著者の言葉を借りれば、全てのヒューマンはキュレーターである。他人に働きかけをするとき、言い廻し、伝える順番、表現方法などナッジは意識しているつもりだ。働きかけを受け取る場合も、相手の意図や世間の潮流、経済行動学的側面を読み取ったうえで決断することは多々ある。しかしそれでも、自分の意識しない領分でナッジし、またナッジされていることはあるんだなと気づき考え込んでしまった。
『持続可能性の領域などで、新しい規範が生まれつつあると人びとに伝えると、その結果として予言が現実になることがある。多くの人は歴史の流れに逆らいたくないと思っている。あることをしている人が増えているのを目の当たりにすると、それまではむずかしいと思っていたこと、不可能だとすら思っていたことを実現できると考えるようになるかもしれない。実現しないわけがないとさえ考える人だって出てくるだろう』。これは根源的に重要なことを指摘している。社会を動かすのがなべてナッジなら、他者が受け取れる形での表明は人の義務ではないか?
読了日:03月15日 著者:リチャード・セイラー,キャス・サンスティーン


「100分deフェミニズム論」で紹介された小説。引用された『不覚な違算』は、女性が自らの意志に反して背負わされる家庭内の責務を指している。先日内閣府が発表した調査結果で、育児と介護が女性の活躍を妨げる最たるものと発表していた。それは比重が大きく、挙げやすいだけであって、個人や身内で負担しなくてよい社会システムを構築するのは重要である一方、自身の愛着や同じ女性による反感の部分が小さくないことを伊藤野枝は指摘する。自分を活かしたい根源的な欲求を満たすことの障害を含め、変わっていかないかんだろうとは思うけれど。
読了日:03月15日 著者:伊 藤 野 枝


『私が唾棄するのは紋切り型の理解である』。著者は福島を縦横に、歩きに歩く。人の声になった被災地の思いの聞き役に徹し、目に見えないものに耳を澄ます。一人の人の記憶にも年月の奥行きがあり、さらに先祖の記憶、集落の記憶も背負った言葉を、一人の身体で受け止められると思わない。我が事ではないゆえに感じる責務と無力感。しんどい。受け止められない事実を骨身に沁ませて、祈りはその先にあるのだろう。生き残った人間は何かをしたいと思うという。それぞれの鎮魂の作業。遺さなければ消える。だから碑であり野馬追であり紫陽花なのだ。
でも、碑すら人の都合で遷され忘れ去られるのだ。ではこの、作家の業みたいな、言葉にぐるぐる囚われたような文章なら遺るだろうか。何でもいい。大きなものじゃなくていいから、いろんなものを数多く遺しておけば、どれかは後世に伝わるのではないかと、これは複次的に言葉を受け取った者の、ささやかな祈り。
読了日:03月12日 著者:古川 日出男


意外に、最近の作品である。年頃の三姉妹を中心とした、京都に暮らす人々の日常。凛が眺める冒頭の鴨川から始まり、そこここに描かれる情景は著者の記憶だろう。暮らす人だけが見る京都、観光客に交じって見る京都の風景は現代的だけど雅だ。愛おしさがにじむ。家から徒歩一時間以内にある神社すべてに初詣に行くのが趣味で、十以上回るとか、京都に暮らしたことがない者には想像もつかない。生まれてからずっと『身体の中へ蓄え続けた京都の息吹』が素敵ね。凛の東京行きを両親が頑強に反対する辺りで万城目学的展開を予想したが、普通に外れた。
読了日:03月02日 著者:綿矢 りさ

注:

Posted by nekoneko at 09:14│Comments(0)
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