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2011年02月20日

「本は誰が作っているのか」

東野圭吾氏の「本は誰が作っているのか」というエッセイを読んだ。
2005年のもの。おもしろかった。

出版業界と相撲界の相似を言っている。
十両以上の相撲にお客が払うお金が幕下等若手を育てる仕組が、赤川次郎氏の単行本に読者が書店で払うお金が若き日の東野氏たちを育ててきた仕組と同じ、ということだ。
ということは今日、東野氏の単行本に支払われたお金が若手を育てる…かというと当時と事情は変わっていて、今は図書館がベストセラー本を置き、ブックオフが新古書を売る。そのことにより単行本の売上は落ちており、出版業界の利益にはならず、ひいては読者の利益にもならない。だから図書館やブックオフを利用するな書店でまっとうに買え…と言っているんではないの、これ?? 制度改革に触れるつもりはない、と書くほど、念頭にある証なんではないの??

ひとつにはなんだかとても、バブル時代の発想だと感じた。エンターテイメントの大家が書いたら書いただけ、それも文庫でなく単行本で売れた時代の。時代の景気が伸び縮みすれば、個人が本に使うお金だって伸び縮みする。そして、財布を持って書店へ行って、新刊読みたいな、単行本高いな、と思い悩むのは現代も同じ。友人同士で貸し合う以外の手段が増えただけで。本を本とも思わないブックオフなんぞ、私だって好きじゃないさ。そういう悩ましい思い、東野氏はしてこなかったのかな?

ひとつには、相撲界との相似に同意する。書店へ行く感覚として、出版社も作家も数が増えていると思う。評論家が相撲部屋の数が多いと言っているのと同様の意味で。少し時代にもまれて減ったほうがいいんじゃないの、とも心の底で思っている。

ひとつには、さらに電子書籍が参入しようとしている現在をどう説くのだろう。ググると「白銀ジャック」で「電子書籍ではなく、紙の本を廉価で多くの読者に読んでもらいたい」と要望を出し、海賊版リスクを理由に電子書籍化を認めていないとのこと。新技術による変革を過信しない"理系"東野氏らしい。

いずれにしても読むだけの立場から言えば、書籍で買う価値があると感じれば絶対に新刊で買って手放さないよ。現に非常に筆の速い東野氏の小説だって、5冊は手放さずに、いずれ読み返したいと思い続けている。
一方でエッセイ集の、この考えさせてくれるエッセイだけを自炊したいな、とごく自然に発想した。

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