2020年11月02日
2020年10月の記録
どれだけ"お得"に本を買えるかというゲームに夢中になっている。
クーポン、ポイント、キャンペーンを勘案して、どのタイミングでどの本を買うか考える。
当然、積ん読本が増える。
本棚なら溢れて倒れるものが、端末の中ではリストが長くなるだけである。
どの本もすぐに読みたい、私だけの図書館。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用15,910円。
読了14冊。
積読本232冊(うちKindle本75冊、Honto本26冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:14
仕事と心の流儀 (講談社現代新書)の感想
若者へサラリーマンのプロへの道を説く本。著者と同じ、ホワイトカラーのサラリーマンを念頭に書かれている。つまり、該当するのは日本人のうちの、ごくごく一部ということだ。これを読んで発奮できる人は素直だし、その道で伸びていけるのだろうと思う。ただし、令和の時代を生き抜けるだろうか。さて1999年、著者は巨大不良資産を一括処理して話題になる。その話の流れに、1000社以上ある子会社の半分近くが赤字とか、社長OBには死ぬまで給料が支払われていたとか、時代とはいえどのような経緯でそんなことになるのか、全く理解不能。
読了日:10月31日 著者:丹羽 宇一郎
ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊の感想
立花隆は知の巨人であり、ネコビルには膨大な本が所蔵されている。もっと本を読みたい、新しい本にもっと出会いたいと知的欲望が尽きない事は生きている証であり、歓迎すべきと氏は言う。それを私は強く首肯するが、氏の守備範囲が私の興味と見事にずれている点が残念ではある。「私の読書日記」は当時の新刊を中心にラインナップされている。約20年前は当然、紙の書籍のみであり、今は絶版になっているものがほとんどだ。最近は刊行と同時に電子書籍になる本も多いから、刊行から年数が経っても読むことができる時代になった点を喜びたい。
読了日:10月30日 著者:立花 隆
マイ・ストーリーの感想
ミシェル・オバマとその家族の、幼少期からホワイトハウスを去る日まで。胸が熱くなる本だった。ちょうど今行われている大統領選に重ね合わせる。2008年、アメリカの行く先を説くオバマを仰いだアメリカ国民のうねるような熱狂と敬意、希望に目が潤んだ。夫妻は家庭を犠牲にしながら、寝る時間も削って、厳しい環境に置かれた若者に勇気と機会を弛み無く与え続けた。でも、貧困者や女性やマイノリティに力を持たれては困る、法人税の増税や環境配慮、銃規制を拒否したいアメリカ人は、それに伴う痛みよりトランプを選んだのだ。キスシーンあり。
ミシェルはなりたくてファーストレディーになった訳ではない。その立場には明確な権力もない。しかし彼女は、無形の力に気づく。良くも悪くも引いてしまう人目と影響力を最大限利用して、話題を喚起し、社会問題の解決に注目を誘導し続けた。それは貧困街出身で、黒人で、女性であるが故の障壁を、自身が感じて生きてきたからこその広い視野があるからだ。実感のある言葉とハグは、多くの若者を力づけたと思う。多様性を唾棄するトランプの破壊に胸を痛めつつ、今この時も、たくさんの草の根活動の芽を育てることをやめてはいないと私は信じる。
大きな組織の為政者ほど毀誉褒貶は激しい。金とメディアが簡単に真実を歪める時代に、それに耐え、撥ね退けて頂点を目指す人のことを、初めて身近に想像した。小さな失敗も許されず、知りもしない人間に罵られ、瑕疵をあげつらわれて。ああ、ヒラリー。しかも女性の小さな体躯で、彼女が志したことの気高さを想った。大事なのは、その人が役職を得て成そうとする事を見極めることだ。日本だって同じ。腑抜けなメディアの報道を鵜呑みにし、志ある政治家を引きずり下ろすような動きに加担してはいけない。その人自身を見定める目を持たなければ。
読了日:10月28日 著者:ミシェル・オバマ
タヌキ学入門: かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔の感想
タヌキは人が全くいない自然ではなく、人が暮らす里山のような環境で生きる。だから「狸」。果実などを食べ、植物の種子を運ぶ役割を担っている。ため糞行動や糞の分析によると、林の中と人里なら、林の外で糞をする傾向があるとする研究結果の理由が気になる。タヌキに限らず、野生動物を大切に思う姿勢が行間に見える。とはいえ「タヌキに出会ったらどうすればいいですか?」という、ある意味無邪気な質問に、『人の身勝手と一方的な態度』と苛立ちを隠さないのは異様だ。身近にいても見ない人は見ないし、人間は人間中心にものを考えるからねえ。
読了日:10月24日 著者:高槻 成紀
季刊環境ビジネス2020年秋号 (ニュー・ノーマル時代に成長する環境経営とは)の感想
日本のエネルギー政策は、環境先進国に遅れを取りながらも、共通認識ができてきた印象だ。省エネ化(需給の最適化)×再生エネ(太陽光、水力、風力、地熱)の基幹化が肝である。原子力・化石エネルギー界の思惑や経済団体の利害はありつつ、空気が傾けば一挙に転換するような気がする。洋上風力発電と漁業との折り合いも、なんとかなりそうなニュアンスである。あとは、地域エネルギー自給率を高めることが大事だ。ビジネス面では太陽光パネルの2035年頃からの廃パネル処理問題と、蓄電システムまたは水素、熱源化の動向を気にかけておくこと。
田中優子氏の環境小噺コラムが面白かった。江戸時代の書物には『小便、人糞、水肥、緑肥、草肥、泥肥、すす肥、塵芥肥、油粕、干鰯、魚肥、きゅう肥、馬糞、ぬか肥、毛・爪・皮の肥、しょう油肥、干しにしん、ます粕、まぐろ粕、豆腐粕、塩かま、酒粕、焼酎粕、あめ粕、鳥糞、貝類の肥などが肥料として紹介され』ているそうだ。もうなんでも肥料である。廃棄物ではなかった。私は漠然と、それに似たような状態に戻せるのではないかと思っていたが、現代人の排泄物は大量の化学物質が混合しているので土には戻せないと聞き、衝撃を受けている。
読了日:10月24日 著者:
暗幕のゲルニカの感想
ゲルニカの来し方のある物語。ゲルニカは反戦のシンボル。だから「ゲルニカは誰のものでもなく、今を生きるわたしたち皆のもの」。日本も多くの都市が空爆を受けた記憶を持っている。しかし高松とゲルニカを私は結びつけることができない。それは生真面目に戦争責任を考えてしまうからだろうか。当時を生きた私たちの祖父母たちに加害意識はなかった。でも、日本人に戦争責任がないわけではなかった。同様にアメリカ人も無辜ではない。この物語のピカソにとっての戦争はただ愛する土地を破壊される側としての戦争。その一方方向性が気持ち悪かった。
読了日:10月22日 著者:原田 マハ
派遣添乗員ヘトヘト日記の感想
パック旅行で参加者の愚痴を聞き続ける添乗員を見るにつけ、なんと大変な職業かと同情したものだが、最近は派遣契約の添乗員もいるらしい。大変すぎる。しかし、この著者には悲壮感がそれほどない。これまでの2冊に比べると、淡々としてすら感じる。それは、人に喜んでもらう職業を、大変なことは大変なこととして、著者自身が楽しんでいるからなのだろう。より人間が穏やかになったのが本当なら、旅の添乗という不安定な仕事も著者には向いていたということで、人としての成熟を得たのだろう。旅行に行くなら、添乗員はベテランさんがいいなあ。
英語で添乗員は"ツアー・リーダー"。そして『リーダーは、学者、医者、易者、役者、芸者の心を持たなければいけない』。かっこいいなあ!
読了日:10月20日 著者:梅村 達
半沢直樹 アルルカンと道化師の感想
倹約家の父が文庫になるのを待てずに買い、一晩で読みきって私に回してきた。なるほど半沢ロスに良い頃合いの発刊である。さて本題。『これはカネの問題やない。魂の問題や』。近頃M&AのDMは引きも切らない。曰く、御社と提携したいという大口の顧客がいるので、連絡をいただきたい。体のいい吸収の手助けである。事業承継が危ぶまれる中小企業が多いと聞く昨今、それらの会社へ廃業以外の選択肢を与えることは国の施策として大事だが、事業としてはろくでもない性根の商売だと思っている。銀行がそれを手掛けるとか。ほんまろくでもないな。
従来、私が銀行へ持つ印象は高慢でがめつく、薄情な集団である。経国済民が聞いて呆れる。もし半沢やその周辺のように立場を危うくして客の側に立つ銀行員がいたら、よほど苦労する自営業の親の背を見て育ったのだと思うだろう。今のところ、幸いなことに銀行にすがらなければならない状況にはないが、仮にそうなっても、銀行が当てになるなんて考えは持つべきじゃないと思っている。そこへ来ると、堂島の伯母氏はよく判っている。そういうセンスを持てる会社人でありたい。
読了日:10月15日 著者:池井戸潤
トランピストはマスクをしない コロナとデモでカオスのアメリカ現地報告の感想
これまでのどんなとんちんかんな政治家も存在がぶっとぶほどのトンデモ大統領がいて、ヤツによって損なわれようとしているアメリカの未来を守るべく果敢に行動する多数のアメリカ人がいる、その構図はもはや定型化している。恐ろしいのは、そのトランプが熱狂的に支持されている様だ。新型コロナが流行り始めても、外出規制に反対し、マスクをしないトランプを「強さの象徴」と賛美し続ける。アジアに生息するトラの数よりも、アメリカ合衆国で飼われているトラの数の方が多いのだそうだ。アメリカの持つ底知れぬパワーは、全方向性のものなのだな。
読了日:10月13日 著者:町山 智浩
プラスチックの現実と未来へのアイデアの感想
プラスチック素材にはリサイクル可能なものとそうでないものがある。可能でも、マテリアルにせよケミカルにせよ、質の劣化かコスト増大の二択。それってもうリサイクルに向いてないし。水平リサイクルが軌道に乗っているのはペットボトルと食品トレイのみ。それもきれいに洗って出さないとコストは倍増する。バイオマスプラスチックも結局は環境破壊を招く。最終的にプラスチックは削減しか答えはないでしょう。諸国の模範となる日本でありたい願望はわからんでもないが、まあ、自分とこのゴミもちゃんと処理できんで、模範もなんもないわな。
日本の一人当たり使い捨てプラスチック使用量は世界第2位。内訳としては廃プラのリサイクル27.8%、熱回収58%、それ以外が焼却。しかもリサイクルに含めたうちのどれだけが輸出されていたか数値化されておらず、中国への輸出量も世界第2位、その量年間150万tだったというから推して知るべし。何より悪いのは、その現状が国民に見えず、危機感を与えず、意識も状況も変わりえないということ。そして熱回収という名の焼却処分では素材が循環しないのに相変わらずリサイクルと言い張って、欧州諸国とは考え方が違うからなんて見苦しい。
近頃見かけるスクリュー蓋付アルミ缶のコーヒーと炭酸水は、内面の腐食を避けるためプラスチックコーティングしている。カップ麺の紙容器はプラスチックとの複合で、紙の割合が多いというだけ。他の容器も軽量化やコンパクト化が図られているが、実情はどんどん複合化しておりそもそもリサイクル不能の代物である。ということを知って、使用を減らすしかない。海外では粉末状の歯磨き粉が出てきているという。知らなかった。粉末なら、チューブと違って内容物が残らず、容器のリサイクルがしやすいという発想。マイクロビーズ入りなんて論外。
読了日:10月09日 著者:高田秀重
武器としての「資本論」の感想
読むことによってマルクスを解ったつもりになりたい下心を忘れるほどの面白さだった。自分の中にも染みついている包摂の根深さは、資本主義がどれだけ巧みに人の魂を貶めるかを示している。逃れたいと思っても、生活必需品を得るためにお金が必要となり、お金を得るために自らの労働力を商品としなければならない社会の構造を脱するには、なるほど闘争と呼びたいほどの自覚的行動が必要だ。マルクスの論は世界への視座を劇的に変える力を持つ。今進行しつつある「はじまりの労働者」に戻そうとする動きに逆らう、なるほどこれは武器に違いない。
『新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です』。
労働力による剰余価値の話は私には難しいものではない。なぜなら日々格闘している、就業時間の問題、給料と労務単価の関係そのものだからだ。相対的にせよ絶対的にせよ、剰余価値の扱いは各社様ざまだ。ビジネスの手法は現代に至っても、結局はマルクスの想定の範囲内、資本主義の発生からずっと小手先のだましごとなのだ。ならば、経営者と労働者の双方がどれだけ人間的でいられるかだ。会社の規模にせよ、変革には慎重すぎるくらいであって良いのだろう。"新しい"と称する流行りの手法には、眉に唾つけて、まず良心に問うことだ。
読了日:10月08日 著者:白井 聡
日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 (PHP文庫)の感想
前作に劣らず興味深く、脳をいたく刺激される。地形とそれに伴う論理から読み解く歴史の仮説たち。なかでもなぜ日本が独立を保てたかについて、山地と泥だらけの国土には欧米人も攻めあぐね、また食指をそそられず、おまけに頻繁な災害付きだったから、とは苦笑いするしかない。1872年に始まった日本の鉄道網敷設。川も山も軽々越える鉄道により、各藩ごとに分割固定されていた意識が、一挙に「日本」に一本化されたという。それは日本の強烈な記憶なのだろう。そこからの更なる東京一極集中、現代の参勤交代への流れもダイナミックで楽しい。
その鉄道開通の記憶が現代にも強烈に影響しているように思える。私が必要性を理解できないでいるリニアモーターカーや四国新幹線も、ほぼ全国土が鉄道網で繋がれれば、次は時間という心的距離を縮めようと、爺さんがたがやっきになっているのじゃないだろうか。他所に後れを取ることへの恐れ、と言い換えてもいい。あのー、つながっているだけじゃだめなんですか。
日本は木材の輸入大国である。環境問題のつながりでその事実を知って、以前腹を立てたのだったが、燃料に建材にと木材を大量消費するのは少なくとも奈良時代からの習いで、江戸幕府の頃には全国の森が伐採されまくって山が荒廃していたとある。なるほど浮世絵の背景は丸禿である。森林大国であるはずの日本になぜ太古を思わせる立派な森が少ないのかが理解できた。その後の石炭・石油の化石燃料の登場で、ようやく日本の山は今の状態にまで戻ったというべきかもしれない。それにしたって使い過ぎやろ。この辺り興味深いので掘り下げてみたい。
読了日:10月06日 著者:竹村 公太郎
月に吠えるオオカミ――写真をめぐるエセーの感想
山。そして人間を取り巻く自然。オオカミと歌を交わしたエッセイがいちばん好きだ。人の気配のない山や原野を何日何週間と独り彷徨して倦まない著者は、世界各地の山や辺境の地を巡り、信州、北海道と居を移し、写真を撮る。『水は豊かな表情と謎に満ち、かぎりなく美しく神秘的な存在である』。水に惹かれる性質に加え、エドワード・ウェストンの荘厳さを念頭に撮った写真なら、私の嗜好ど真ん中間違いない。湖、雪、雪煙、氷、氷河。質感や表情を逃さず写し撮った白黒写真がたまらなく美しい。モノクローム限定写真集「真昼の星への旅」、欲しい。
読了日:10月04日 著者:水越 武
いのち五分五分の感想
山野井泰史の親である日常の凄まじさ。山野井泰史は無酸素単独を至高とする日本のトップクライマーだ。本人の著書も沢木耕太郎のルポも無二の在りようを示すもので素晴らしかった。しかし両親はもう何十年も、息子が山へ行くたび悪夢にうなされ、遭難しても生きていることのみを願い、生存の報に安堵する。山野井の父は本人たちの反対を押し切り、自費出版してまでこの本を書いた。私が感じたのは、泰史と妙子の夫妻と、二人を応援する周りの人々への感謝だ。だがその基には、感謝を求めず、坦懐に、自然に丁寧にあろうとする二人自身の姿勢がある。
山野井泰史のパートナー、妙子さんが自分の言葉で語るのを見たこと聞いたことがあるわけでもない。しかし泰史が惚れたと公言し、皆が口を揃えて褒め、誰もが好きになるこの女性が、私は気になって仕方がない。優しく、気遣いでき、前向きで、清貧を地で行き、真実に環境に配慮して暮らすことができる。一方、山への思いは泰史に負けず一途で、実母がどんなに懇願しても何度遭難しても山をやめようとはしない。山野井の父が目撃した、指のほとんど失われた手で岩壁を撫でる様子が、魂の炎を見るようで、脳裏に焼き付いた。
山野井泰史の富士登山つまり高所順応指南を覚えておく。『息を吸うな。息を吐け。口笛を鳴らすように息を吐け、息を吐け』。携帯酸素は『吸うと後が大変ですよ。苦しくともがまんして』。
読了日:10月01日 著者:山野井 孝有
注:
は電子書籍で読んだ本。
クーポン、ポイント、キャンペーンを勘案して、どのタイミングでどの本を買うか考える。
当然、積ん読本が増える。
本棚なら溢れて倒れるものが、端末の中ではリストが長くなるだけである。
どの本もすぐに読みたい、私だけの図書館。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用15,910円。
読了14冊。
積読本232冊(うちKindle本75冊、Honto本26冊)。

10月の読書メーター
読んだ本の数:14

若者へサラリーマンのプロへの道を説く本。著者と同じ、ホワイトカラーのサラリーマンを念頭に書かれている。つまり、該当するのは日本人のうちの、ごくごく一部ということだ。これを読んで発奮できる人は素直だし、その道で伸びていけるのだろうと思う。ただし、令和の時代を生き抜けるだろうか。さて1999年、著者は巨大不良資産を一括処理して話題になる。その話の流れに、1000社以上ある子会社の半分近くが赤字とか、社長OBには死ぬまで給料が支払われていたとか、時代とはいえどのような経緯でそんなことになるのか、全く理解不能。
読了日:10月31日 著者:丹羽 宇一郎


立花隆は知の巨人であり、ネコビルには膨大な本が所蔵されている。もっと本を読みたい、新しい本にもっと出会いたいと知的欲望が尽きない事は生きている証であり、歓迎すべきと氏は言う。それを私は強く首肯するが、氏の守備範囲が私の興味と見事にずれている点が残念ではある。「私の読書日記」は当時の新刊を中心にラインナップされている。約20年前は当然、紙の書籍のみであり、今は絶版になっているものがほとんどだ。最近は刊行と同時に電子書籍になる本も多いから、刊行から年数が経っても読むことができる時代になった点を喜びたい。
読了日:10月30日 著者:立花 隆


ミシェル・オバマとその家族の、幼少期からホワイトハウスを去る日まで。胸が熱くなる本だった。ちょうど今行われている大統領選に重ね合わせる。2008年、アメリカの行く先を説くオバマを仰いだアメリカ国民のうねるような熱狂と敬意、希望に目が潤んだ。夫妻は家庭を犠牲にしながら、寝る時間も削って、厳しい環境に置かれた若者に勇気と機会を弛み無く与え続けた。でも、貧困者や女性やマイノリティに力を持たれては困る、法人税の増税や環境配慮、銃規制を拒否したいアメリカ人は、それに伴う痛みよりトランプを選んだのだ。キスシーンあり。
ミシェルはなりたくてファーストレディーになった訳ではない。その立場には明確な権力もない。しかし彼女は、無形の力に気づく。良くも悪くも引いてしまう人目と影響力を最大限利用して、話題を喚起し、社会問題の解決に注目を誘導し続けた。それは貧困街出身で、黒人で、女性であるが故の障壁を、自身が感じて生きてきたからこその広い視野があるからだ。実感のある言葉とハグは、多くの若者を力づけたと思う。多様性を唾棄するトランプの破壊に胸を痛めつつ、今この時も、たくさんの草の根活動の芽を育てることをやめてはいないと私は信じる。
大きな組織の為政者ほど毀誉褒貶は激しい。金とメディアが簡単に真実を歪める時代に、それに耐え、撥ね退けて頂点を目指す人のことを、初めて身近に想像した。小さな失敗も許されず、知りもしない人間に罵られ、瑕疵をあげつらわれて。ああ、ヒラリー。しかも女性の小さな体躯で、彼女が志したことの気高さを想った。大事なのは、その人が役職を得て成そうとする事を見極めることだ。日本だって同じ。腑抜けなメディアの報道を鵜呑みにし、志ある政治家を引きずり下ろすような動きに加担してはいけない。その人自身を見定める目を持たなければ。
読了日:10月28日 著者:ミシェル・オバマ


タヌキは人が全くいない自然ではなく、人が暮らす里山のような環境で生きる。だから「狸」。果実などを食べ、植物の種子を運ぶ役割を担っている。ため糞行動や糞の分析によると、林の中と人里なら、林の外で糞をする傾向があるとする研究結果の理由が気になる。タヌキに限らず、野生動物を大切に思う姿勢が行間に見える。とはいえ「タヌキに出会ったらどうすればいいですか?」という、ある意味無邪気な質問に、『人の身勝手と一方的な態度』と苛立ちを隠さないのは異様だ。身近にいても見ない人は見ないし、人間は人間中心にものを考えるからねえ。
読了日:10月24日 著者:高槻 成紀


日本のエネルギー政策は、環境先進国に遅れを取りながらも、共通認識ができてきた印象だ。省エネ化(需給の最適化)×再生エネ(太陽光、水力、風力、地熱)の基幹化が肝である。原子力・化石エネルギー界の思惑や経済団体の利害はありつつ、空気が傾けば一挙に転換するような気がする。洋上風力発電と漁業との折り合いも、なんとかなりそうなニュアンスである。あとは、地域エネルギー自給率を高めることが大事だ。ビジネス面では太陽光パネルの2035年頃からの廃パネル処理問題と、蓄電システムまたは水素、熱源化の動向を気にかけておくこと。
田中優子氏の環境小噺コラムが面白かった。江戸時代の書物には『小便、人糞、水肥、緑肥、草肥、泥肥、すす肥、塵芥肥、油粕、干鰯、魚肥、きゅう肥、馬糞、ぬか肥、毛・爪・皮の肥、しょう油肥、干しにしん、ます粕、まぐろ粕、豆腐粕、塩かま、酒粕、焼酎粕、あめ粕、鳥糞、貝類の肥などが肥料として紹介され』ているそうだ。もうなんでも肥料である。廃棄物ではなかった。私は漠然と、それに似たような状態に戻せるのではないかと思っていたが、現代人の排泄物は大量の化学物質が混合しているので土には戻せないと聞き、衝撃を受けている。
読了日:10月24日 著者:

ゲルニカの来し方のある物語。ゲルニカは反戦のシンボル。だから「ゲルニカは誰のものでもなく、今を生きるわたしたち皆のもの」。日本も多くの都市が空爆を受けた記憶を持っている。しかし高松とゲルニカを私は結びつけることができない。それは生真面目に戦争責任を考えてしまうからだろうか。当時を生きた私たちの祖父母たちに加害意識はなかった。でも、日本人に戦争責任がないわけではなかった。同様にアメリカ人も無辜ではない。この物語のピカソにとっての戦争はただ愛する土地を破壊される側としての戦争。その一方方向性が気持ち悪かった。
読了日:10月22日 著者:原田 マハ

パック旅行で参加者の愚痴を聞き続ける添乗員を見るにつけ、なんと大変な職業かと同情したものだが、最近は派遣契約の添乗員もいるらしい。大変すぎる。しかし、この著者には悲壮感がそれほどない。これまでの2冊に比べると、淡々としてすら感じる。それは、人に喜んでもらう職業を、大変なことは大変なこととして、著者自身が楽しんでいるからなのだろう。より人間が穏やかになったのが本当なら、旅の添乗という不安定な仕事も著者には向いていたということで、人としての成熟を得たのだろう。旅行に行くなら、添乗員はベテランさんがいいなあ。
英語で添乗員は"ツアー・リーダー"。そして『リーダーは、学者、医者、易者、役者、芸者の心を持たなければいけない』。かっこいいなあ!
読了日:10月20日 著者:梅村 達


倹約家の父が文庫になるのを待てずに買い、一晩で読みきって私に回してきた。なるほど半沢ロスに良い頃合いの発刊である。さて本題。『これはカネの問題やない。魂の問題や』。近頃M&AのDMは引きも切らない。曰く、御社と提携したいという大口の顧客がいるので、連絡をいただきたい。体のいい吸収の手助けである。事業承継が危ぶまれる中小企業が多いと聞く昨今、それらの会社へ廃業以外の選択肢を与えることは国の施策として大事だが、事業としてはろくでもない性根の商売だと思っている。銀行がそれを手掛けるとか。ほんまろくでもないな。
従来、私が銀行へ持つ印象は高慢でがめつく、薄情な集団である。経国済民が聞いて呆れる。もし半沢やその周辺のように立場を危うくして客の側に立つ銀行員がいたら、よほど苦労する自営業の親の背を見て育ったのだと思うだろう。今のところ、幸いなことに銀行にすがらなければならない状況にはないが、仮にそうなっても、銀行が当てになるなんて考えは持つべきじゃないと思っている。そこへ来ると、堂島の伯母氏はよく判っている。そういうセンスを持てる会社人でありたい。
読了日:10月15日 著者:池井戸潤

これまでのどんなとんちんかんな政治家も存在がぶっとぶほどのトンデモ大統領がいて、ヤツによって損なわれようとしているアメリカの未来を守るべく果敢に行動する多数のアメリカ人がいる、その構図はもはや定型化している。恐ろしいのは、そのトランプが熱狂的に支持されている様だ。新型コロナが流行り始めても、外出規制に反対し、マスクをしないトランプを「強さの象徴」と賛美し続ける。アジアに生息するトラの数よりも、アメリカ合衆国で飼われているトラの数の方が多いのだそうだ。アメリカの持つ底知れぬパワーは、全方向性のものなのだな。
読了日:10月13日 著者:町山 智浩


プラスチック素材にはリサイクル可能なものとそうでないものがある。可能でも、マテリアルにせよケミカルにせよ、質の劣化かコスト増大の二択。それってもうリサイクルに向いてないし。水平リサイクルが軌道に乗っているのはペットボトルと食品トレイのみ。それもきれいに洗って出さないとコストは倍増する。バイオマスプラスチックも結局は環境破壊を招く。最終的にプラスチックは削減しか答えはないでしょう。諸国の模範となる日本でありたい願望はわからんでもないが、まあ、自分とこのゴミもちゃんと処理できんで、模範もなんもないわな。
日本の一人当たり使い捨てプラスチック使用量は世界第2位。内訳としては廃プラのリサイクル27.8%、熱回収58%、それ以外が焼却。しかもリサイクルに含めたうちのどれだけが輸出されていたか数値化されておらず、中国への輸出量も世界第2位、その量年間150万tだったというから推して知るべし。何より悪いのは、その現状が国民に見えず、危機感を与えず、意識も状況も変わりえないということ。そして熱回収という名の焼却処分では素材が循環しないのに相変わらずリサイクルと言い張って、欧州諸国とは考え方が違うからなんて見苦しい。
近頃見かけるスクリュー蓋付アルミ缶のコーヒーと炭酸水は、内面の腐食を避けるためプラスチックコーティングしている。カップ麺の紙容器はプラスチックとの複合で、紙の割合が多いというだけ。他の容器も軽量化やコンパクト化が図られているが、実情はどんどん複合化しておりそもそもリサイクル不能の代物である。ということを知って、使用を減らすしかない。海外では粉末状の歯磨き粉が出てきているという。知らなかった。粉末なら、チューブと違って内容物が残らず、容器のリサイクルがしやすいという発想。マイクロビーズ入りなんて論外。
読了日:10月09日 著者:高田秀重


読むことによってマルクスを解ったつもりになりたい下心を忘れるほどの面白さだった。自分の中にも染みついている包摂の根深さは、資本主義がどれだけ巧みに人の魂を貶めるかを示している。逃れたいと思っても、生活必需品を得るためにお金が必要となり、お金を得るために自らの労働力を商品としなければならない社会の構造を脱するには、なるほど闘争と呼びたいほどの自覚的行動が必要だ。マルクスの論は世界への視座を劇的に変える力を持つ。今進行しつつある「はじまりの労働者」に戻そうとする動きに逆らう、なるほどこれは武器に違いない。
『新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です』。
労働力による剰余価値の話は私には難しいものではない。なぜなら日々格闘している、就業時間の問題、給料と労務単価の関係そのものだからだ。相対的にせよ絶対的にせよ、剰余価値の扱いは各社様ざまだ。ビジネスの手法は現代に至っても、結局はマルクスの想定の範囲内、資本主義の発生からずっと小手先のだましごとなのだ。ならば、経営者と労働者の双方がどれだけ人間的でいられるかだ。会社の規模にせよ、変革には慎重すぎるくらいであって良いのだろう。"新しい"と称する流行りの手法には、眉に唾つけて、まず良心に問うことだ。
読了日:10月08日 著者:白井 聡


前作に劣らず興味深く、脳をいたく刺激される。地形とそれに伴う論理から読み解く歴史の仮説たち。なかでもなぜ日本が独立を保てたかについて、山地と泥だらけの国土には欧米人も攻めあぐね、また食指をそそられず、おまけに頻繁な災害付きだったから、とは苦笑いするしかない。1872年に始まった日本の鉄道網敷設。川も山も軽々越える鉄道により、各藩ごとに分割固定されていた意識が、一挙に「日本」に一本化されたという。それは日本の強烈な記憶なのだろう。そこからの更なる東京一極集中、現代の参勤交代への流れもダイナミックで楽しい。
その鉄道開通の記憶が現代にも強烈に影響しているように思える。私が必要性を理解できないでいるリニアモーターカーや四国新幹線も、ほぼ全国土が鉄道網で繋がれれば、次は時間という心的距離を縮めようと、爺さんがたがやっきになっているのじゃないだろうか。他所に後れを取ることへの恐れ、と言い換えてもいい。あのー、つながっているだけじゃだめなんですか。
日本は木材の輸入大国である。環境問題のつながりでその事実を知って、以前腹を立てたのだったが、燃料に建材にと木材を大量消費するのは少なくとも奈良時代からの習いで、江戸幕府の頃には全国の森が伐採されまくって山が荒廃していたとある。なるほど浮世絵の背景は丸禿である。森林大国であるはずの日本になぜ太古を思わせる立派な森が少ないのかが理解できた。その後の石炭・石油の化石燃料の登場で、ようやく日本の山は今の状態にまで戻ったというべきかもしれない。それにしたって使い過ぎやろ。この辺り興味深いので掘り下げてみたい。
読了日:10月06日 著者:竹村 公太郎


山。そして人間を取り巻く自然。オオカミと歌を交わしたエッセイがいちばん好きだ。人の気配のない山や原野を何日何週間と独り彷徨して倦まない著者は、世界各地の山や辺境の地を巡り、信州、北海道と居を移し、写真を撮る。『水は豊かな表情と謎に満ち、かぎりなく美しく神秘的な存在である』。水に惹かれる性質に加え、エドワード・ウェストンの荘厳さを念頭に撮った写真なら、私の嗜好ど真ん中間違いない。湖、雪、雪煙、氷、氷河。質感や表情を逃さず写し撮った白黒写真がたまらなく美しい。モノクローム限定写真集「真昼の星への旅」、欲しい。
読了日:10月04日 著者:水越 武

山野井泰史の親である日常の凄まじさ。山野井泰史は無酸素単独を至高とする日本のトップクライマーだ。本人の著書も沢木耕太郎のルポも無二の在りようを示すもので素晴らしかった。しかし両親はもう何十年も、息子が山へ行くたび悪夢にうなされ、遭難しても生きていることのみを願い、生存の報に安堵する。山野井の父は本人たちの反対を押し切り、自費出版してまでこの本を書いた。私が感じたのは、泰史と妙子の夫妻と、二人を応援する周りの人々への感謝だ。だがその基には、感謝を求めず、坦懐に、自然に丁寧にあろうとする二人自身の姿勢がある。
山野井泰史のパートナー、妙子さんが自分の言葉で語るのを見たこと聞いたことがあるわけでもない。しかし泰史が惚れたと公言し、皆が口を揃えて褒め、誰もが好きになるこの女性が、私は気になって仕方がない。優しく、気遣いでき、前向きで、清貧を地で行き、真実に環境に配慮して暮らすことができる。一方、山への思いは泰史に負けず一途で、実母がどんなに懇願しても何度遭難しても山をやめようとはしない。山野井の父が目撃した、指のほとんど失われた手で岩壁を撫でる様子が、魂の炎を見るようで、脳裏に焼き付いた。
山野井泰史の富士登山つまり高所順応指南を覚えておく。『息を吸うな。息を吐け。口笛を鳴らすように息を吐け、息を吐け』。携帯酸素は『吸うと後が大変ですよ。苦しくともがまんして』。
読了日:10月01日 著者:山野井 孝有
注:

2020年10月01日
2020年9月の記録
hontoとBOOX Nova2の設定を詰めたり、
hontoアプリ片手にジュンク堂を徘徊したりしているうちに、
詰ん読がさらに増えてしまった。
本棚もぱつぱつ。
やっばいねー、と軽佻浮薄を装ってみる。
危機的状況だが、飢えたように本を買いたい。読みたい。
<今月のデータ>
購入30冊、購入費用30,224円。
読了16冊。
積読本219冊(うちKindle+honto本89冊)。

9月の読書メーター
読んだ本の数:17
古城ホテルの感想
奇妙にねじれた物語。ヨーロッパの古城の雰囲気が場を支配する。過去の記憶と現在、アメリカの若き成功者とヨーロッパの古城に80世代も続いた貴族の末裔、虚構と現実の決着地点が見えないままに物語は進む。タタール人せん滅のエピソードを聞かされた後だけに、修羅場の予感に身構えるも、あっさり脱出してしまうのね。そうか、肝はそこじゃない。てか、彼はこの場にいたということだよね。ダニーはいったい誰なのか。ミックはその瞬間何を感じ考えていたのか。彼はこの事件をどう思っていたのか。歪んだガラスの向こうの種明かしに嘆息した。
読了日:09月30日 著者:ジェニファー イーガン
颶風の王 (角川文庫)の感想
颶風:強く激しい風。アオとミネ。捨造。ワカと和子。この物語は根室の激しい風の中に生き抜いた人と馬の顛末だ。およぶおよばぬは、そういう自然の中にあってこそ芽生える人のわきまえなのだろう。街に生まれ育ったひかりは祖母和子のため奮闘する。青春物語として微笑ましいし、ひかりが花島で手に入れたそれはそれで貴重だが、奮闘するほどに馬との紐帯が和子の命と共に絶えんとしている事実が際立つ。これこそ運命と呼びたい。馬がいなくなれば花島の植生は変わる。また実はアオの血統は残っている可能性がある。その生命の強かさが読後に残る。
読了日:09月29日 著者:河崎 秋子
「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)の感想
平川さんは父と同い年だ。語りおろしという形態もあってか、言葉に身近な実感がある。消費行動、小商いについての論も面白いが、会社論が肚にずんときた。日本人が今も手本にせんとする"グローバル"な作法は英米のローカルシステムでしかない。それをアメリカが日本へ売りつけるのを真に受け続けている。日本に根付いた会社観には日本人の共同体観につながる合理性があると。アメリカとは歴史もものさしも違うなら、ただ真似るのでは弊害の方が強い。逆に両方のシステムをいったりきたり検討していいとこ取りできるなら、日本人には得になるよね。
平川さんは会社を営んできた人だ。内田先生と似たことを言っているようで、体感が違う。商売や会社の仕組みをよく知りつつ、現状はおかしいという熟慮の帰結を語るから、言葉に実感がある。私のビジネスに対する考え方は読む本によって転々としているようで、徐々に熟してきていると自分では思う。D・アトキンソンもサイボウズも平川さんも、物の見方も結論も全く違うが、問題を指摘し、それを克服する方法を提言している。その中から私は納得できるものを拾い上げ、ためつすがめつ、取り入れ、目指してみることを繰り返している。
読了日:09月27日 著者:平川克美
ニューズウィーク日本版 9/29号 特集 コロナで世界に貢献したグッドカンパニー50の感想
社会貢献は企業にとって、ただのお飾りから事業戦略のコアになりつつある。金銭をただ寄付するのではなく、自社の資源をどう使えば顧客や従業員、地域社会の役に立つかを考えるようになった。社会貢献はビジネスにつながる。また未来に大きな可能性を生む。社会・経済的な不平等や気候の問題で率先して意味のあることをすれば、その先に本物のチャンスがある…ってやっぱ打算か?誤訳か? まあ時勢を継続的に視野に入れておくためにも、副次的な取り組みは必要だろう。もう少し深いところが読みたかった。オランダが沈みつつある衝撃的な写真。
読了日:09月26日 著者:ニューズウィーク日本版編集部
世界で最もイノベーティブな組織の作り方 (光文社新書)の感想
この著者の本はいろんなところから引用や例を挙げるので、組織談義として楽しい。さて、組織のポテンシャルを上げるためのあれこれ。採用時のダイバーシティのみならず、採用後の個性発露が阻害されないことが大事とある。自社の空気にまだ染まらない新参者こそイノベーションの種であり、反対意見や違う発想を聞かせてほしいとこちらから積極的に拾い上げる『聞き耳のリーダーシップ』を勧める。かつ、その後も情報を与え、自分の発言が働く環境をより良くするという実感を与えることが大事だと思う。プリコラージュ方式は企業にも適用できるか?
読了日:09月25日 著者:山口 周
賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書)の感想
卵の採卵後、夏は16日、春秋は25日、冬は57日が生で食べられる期間。卵の食べられる期間が表示より長いのは知っていたが、生でもいいとは。賞味期限はあくまでメーカーが決めた目安でしかない。さて「食品はもともとリスクを含んでいる」件。専門家はそもそもゼロリスクはあり得ないと考えるという。身に取り入れるものはできるだけ体に良いものであるべきと思う私との、その差を考える。少々の添加物は仕方ないが、農薬は少ないほど良く、東洋医学的見地からの良し悪しも気になる。リスクの程度を勘案して選ぶ、その許容基準は人それぞれだ。
読了日:09月22日 著者:井出 留美
脳はすごい -ある人工知能研究者の脳損傷体験記-の感想
交通事故により脳震盪の後遺症が残った一つの症例。網膜と視覚皮質間の経路を損傷しているのだが、視覚システムは中心視覚と周辺視覚だけではない。視空間認識、光覚、サーカディアンリズム、平衡感覚、運動協調性、記憶、象徴的思考など多岐に結びついている上に、情動や集中力、つまり性格すら変え得るのだ。これらのバランスが崩れたことで、著者の日常が頻繁に疲労崩壊する様子には、読むこちらがへとへとになる。回復のカギは脳の可塑性である。網膜と視覚皮質間の信号が経由する経路を新しく書き変える神経科学の知見と技術は、まさに驚異だ。
いくつもの点で「凄い」本だ。まず、脳震盪という見た目に現れない外傷によって、人間の基幹的機能が多大に損なわれること。それを意志の力で抑え込んでシングルファーザーとしての役割、大学教授としての責務を10年近くこなしたこと。子細な記録を続けたこと。副次的な症状を自分で分析して説明したこと。治療につれた症状の変化を、思考のムラやバーチャルな脳空間内の変化に至るまで説明できること。IQが高いとはこういうことか。そして完全に損傷されたと感じるそれらの症状が、検査と眼鏡の処方のみで完全回復を成し得た、知見の高さ。
この本には日常生活に障る現象がいくつも出てくる。病や老化、性格とさえ自身思っているものが、脳の小さな器質的損傷に因る可能性があるようだ。それらも日常的な疲労も、他人の目には解らないばかりに辛く当たられることは怖い。私はスーパーの棚の前で動けなくなってしまうことがままあるが、動けないまま心だけが狼狽えている。人によってシステムが全く違っているという可能性と、人がいつも普通の状態ではいられないことを、忘れてはいけないと思う。つまり些細なことで他人に苛立たず、優しくありなさいよってことなんだけど。
読了日:09月22日 著者:クラーク・エリオット
老犬たちの涙 “いのち”と“こころ”を守る14の方法の感想
来月に企画している写真展の告知をつくるために再読。写真からは今にも悲痛な声が聞こえるようだ。現実には人間が長く飼った犬を捨てるという酷い事実がある。しかし、酷い事実を好んで見つめたい人はいない。犬は長く生きるようになった。人間のように老化し患うようになった。自分が老いた時や犬が老いた時のことを、前もって考えなければならないことを、どう伝えよう。『愛する"家族"との別れは、犬に深い喪失感と哀しみをもたらします。命ある限り、変わることなく、大好きな飼い主のそばで生きることが、犬にとって何よりの幸せなのです』。
読了日:09月20日 著者:児玉 小枝
辺境メシ ヤバそうだから食べてみたの感想
この本は納豆シリーズの前振りなのだろうか。海外で日々つけていた記録が活躍したことだろう。出るわ出るわ、たまたま出会ったもの、わざわざ出かけて行ったもの、世界の地域独特な食べ物、酒、嗜好品の数々。どこの地でも、酔狂だけで変なものを食べている訳ではない。必要があって食べているもの、祭祀的な意味合いから変化したものもある。噂を聞いてわざわざ出かけて行くくらいだから、高野さんは食べることも好きなのだろうな。先日、自宅にGが出た。わかってる。わかってるよGに罪がなく栄養があることは。でも私には、昆虫食すら無理やわ。
読了日:09月19日 著者:高野 秀行
やりたいことがある人は未来食堂に来てください 「始める」「続ける」「伝える」の最適解を導く方法の感想
私自身、飲食店を営みたいと思ったことがないので、個人経営の飲食店主は別人種くらいに思ってきた。中でも著者は異色だ。『誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所』をつくるという理念に合致したのが定食屋という形態だっただけで、自身は食に興味がないと言う。人間っていろいろな要素が複雑に絡まっていて、性格も思想も丸ごとで具現化するのだと感嘆した。『思考がジャンプするまで情報を頭にインプットする』。既存情報のインプット量がとかく半端ない。それがあってこそ、物事の本質を見抜き、合理的に要不要を査定し、即断できるのだ。
SNSでイベントなどを告知する際の文章の作り方について、思いがけず学ぶところが多かった。既存を無視せず、飛躍しすぎず、単なる「来てください」ではなく、その経緯やこだわりを正直に伝える言葉を丁寧に選ぶことだ。それには自分が考えている中身を明確にしなければならないが、思いがあってイベントなりを手がけるのであれば、既に自分の内側にあるものを取り出すだけのこと。それをしないのは横着、手抜きでしかないってことだ。視界が晴れた思いがした。すごいなあ。
読了日:09月15日 著者:小林せかい
タネと内臓‐有機野菜と腸内細菌が日本を変えるの感想
雑多な情報が混在し、タネと内臓の関係が解りづらいが、言わんとする潮流は確かにある。遺伝子操作や大規模生産化を国家戦略として進めるアメリカに対し、農業大国フランス、食料安全保障を憂えたロシアなどは別の路線を推進している。片や日本はアメリカの言いなりの如く法改正を進めようとしていることを強く危惧する。曰く、栽培の手間を省く等の目的で遺伝子操作されたタネは、本来蓄積されないはずの毒素を蓄積する。その毒素を体内に取り込めばいずれ腸内細菌環境を損ない、種々の疾患を引き起こすとの主旨。それぞれ整理と確認が必要に思う。
読了日:09月13日 著者:吉田 太郎
八卦掌の感想
「実戦八卦掌」より情報量は少なめである。練習法に重きが置かれ、八卦掌の八本の形がより詳しい。第八掌 八仙過海など30ページ近く割かれている。それにしたって、現実に目の前で動いて見せてくださる先生にはかなわない。足運びなどときどき見返しつつ、練習に励むしかない。先生がこの本を私に渡したのは、このペースでは全てを私に教えてしまえるか覚束ず焦るのと、私の習熟度を上げさせたいのと両方だろう。余計な感傷に捉われず、気候も涼しくなったのだし、ひたすら走圏すべし。昔の名人は卓の下でやれる程、体勢を低くできたという…。
読了日:09月12日 著者:佐藤金兵衛
ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)の感想
意味深な表題。いわゆるスパイ小説、しかし国対国、組織対組織のダイナミックな動きが見えない異色な物語。ここにあるのは、どこまでも彼ら個々人の心の動き。誰にも全てを話せない、尻尾をつかまれないよう行動するという業からくる、擦り切れそうな恐れ、不安、迷いを抑え込んでの選択の積み重ね。その孤独故に誘惑に絡めとられたとて何が悪いというのか。既に亡いカースンの影。それは友情だったのだろうか。結局彼を異国へ運んで行ったものは何だったのか。終盤の母親の台詞がなんとも薄く感じるのだ。テレビにぶつかるシーンが象徴的だった。
読了日:09月10日 著者:グレアム グリーン
ヒト ニ ツイテ (シリーズ子どもたちへ)の感想
ヒトの絵が原始を思わせるところが本質に繋がって感じる。ああ、ヒトってそうだよね。こういうことするよね。と納得しながら(獲物がなにかは別として)ページをめくっていくと、なかなか不穏な様相になって笑う。こんなん幼い姪に与えたら親にめっちゃ怒られそうだ。しかし、大人が子供に与えるものをあれこれ取捨選択、つまり制限する行為は、子供に対して失礼であると著者が語っていたのを思い出す。子供は自分に取り入れるものを自分で選べるのだからということだ。面白い。ひとつだけ考え込んでしまったのは、『ヒト ハ キニスル』だった。
読了日:09月06日 著者:五味 太郎
NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草 (講談社+α新書)の感想
スーツにまつわる欧米式の約束事が主に書かれている。公の場における服装は『自分のための装いでありつつ、他者のための装いでもある』ので、マナーは守るべしとある。自然、表舞台に立つ場面が多い政治家や著名人の例が多くあげつらわれる。細かい指摘は厳しいようだが、和装だって常識を外すと違和感が拭えないものだわね。洋装にも数多のセオリーがあり、そんなん気に留めたこともなかったわポイントが鈴なりだった。欧米のアッパーな家庭の子は、幼少期より装いに関する「服育」を親から受けるのだそうだ。スタイリストを雇う価値が理解できた。
読了日:09月05日 著者:安積 陽子
「正伝」実戦八卦掌の感想
先生にお借りした。八卦掌は習得人口が少ないうえに流派があるので、的確な本を教えてもらえることはありがたい。さて、文章化しうる情報も少ない中で、開祖菫海川から著者に至るまでの歴史の他、主は套路と練習法の図解。既知の動きは理解が深まるが、知らないことがまだまだ多い。『行走すること竜の如く、回転すること猴の如く、換式すること鷹の如し』。『掌心は空なるを要し、胸心は空なるを要し、足心も空なるを要す』。武術と健康法は古来厳密に区分されるものでないと確信するようになった。どちらも、人としての生き延びる力を育てる術だ。
読了日:09月04日 著者:佐藤 金兵衛
思考のレッスン 発想の原点はどこにあるのか (講談社+α文庫)の感想
前半が竹内さんのエッセイ、後半がお二人の対談。前半で散々、思考によって物事を区別することの知的優位性を力説していたのに、対談になると茂木さんにばっさり拒否される。いや、その区別を超えての、統合といった意味合いらしい。欧米の流儀が色濃い竹内さんの「グローバル」な考え方に私は馴染めなかったので、茂木さんの流儀が心地よいものに思えた。つまり、文系と理系みたいな社会の決めた区分に捉われず、自分の規範で好いと思うことを選ぶ方が苦しくないし、またその方が停滞する日本の中心ではなく、自由な境界に達せられる道なのだ。
茂木さん『理系か文系かなんて、渋谷からどっかに行くのに銀座線にするかそれとも半蔵門線にするっかっていう程度の問題で、要するにそんなの走って行き着きゃどっちだっていいのさ』。
読了日:09月02日 著者:竹内 薫,茂木 健一郎
注:
はKindleで読んだ本。
hontoアプリ片手にジュンク堂を徘徊したりしているうちに、
詰ん読がさらに増えてしまった。
本棚もぱつぱつ。
やっばいねー、と軽佻浮薄を装ってみる。
危機的状況だが、飢えたように本を買いたい。読みたい。
<今月のデータ>
購入30冊、購入費用30,224円。
読了16冊。
積読本219冊(うちKindle+honto本89冊)。

9月の読書メーター
読んだ本の数:17

奇妙にねじれた物語。ヨーロッパの古城の雰囲気が場を支配する。過去の記憶と現在、アメリカの若き成功者とヨーロッパの古城に80世代も続いた貴族の末裔、虚構と現実の決着地点が見えないままに物語は進む。タタール人せん滅のエピソードを聞かされた後だけに、修羅場の予感に身構えるも、あっさり脱出してしまうのね。そうか、肝はそこじゃない。てか、彼はこの場にいたということだよね。ダニーはいったい誰なのか。ミックはその瞬間何を感じ考えていたのか。彼はこの事件をどう思っていたのか。歪んだガラスの向こうの種明かしに嘆息した。
読了日:09月30日 著者:ジェニファー イーガン

颶風:強く激しい風。アオとミネ。捨造。ワカと和子。この物語は根室の激しい風の中に生き抜いた人と馬の顛末だ。およぶおよばぬは、そういう自然の中にあってこそ芽生える人のわきまえなのだろう。街に生まれ育ったひかりは祖母和子のため奮闘する。青春物語として微笑ましいし、ひかりが花島で手に入れたそれはそれで貴重だが、奮闘するほどに馬との紐帯が和子の命と共に絶えんとしている事実が際立つ。これこそ運命と呼びたい。馬がいなくなれば花島の植生は変わる。また実はアオの血統は残っている可能性がある。その生命の強かさが読後に残る。
読了日:09月29日 著者:河崎 秋子


平川さんは父と同い年だ。語りおろしという形態もあってか、言葉に身近な実感がある。消費行動、小商いについての論も面白いが、会社論が肚にずんときた。日本人が今も手本にせんとする"グローバル"な作法は英米のローカルシステムでしかない。それをアメリカが日本へ売りつけるのを真に受け続けている。日本に根付いた会社観には日本人の共同体観につながる合理性があると。アメリカとは歴史もものさしも違うなら、ただ真似るのでは弊害の方が強い。逆に両方のシステムをいったりきたり検討していいとこ取りできるなら、日本人には得になるよね。
平川さんは会社を営んできた人だ。内田先生と似たことを言っているようで、体感が違う。商売や会社の仕組みをよく知りつつ、現状はおかしいという熟慮の帰結を語るから、言葉に実感がある。私のビジネスに対する考え方は読む本によって転々としているようで、徐々に熟してきていると自分では思う。D・アトキンソンもサイボウズも平川さんも、物の見方も結論も全く違うが、問題を指摘し、それを克服する方法を提言している。その中から私は納得できるものを拾い上げ、ためつすがめつ、取り入れ、目指してみることを繰り返している。
読了日:09月27日 著者:平川克美

社会貢献は企業にとって、ただのお飾りから事業戦略のコアになりつつある。金銭をただ寄付するのではなく、自社の資源をどう使えば顧客や従業員、地域社会の役に立つかを考えるようになった。社会貢献はビジネスにつながる。また未来に大きな可能性を生む。社会・経済的な不平等や気候の問題で率先して意味のあることをすれば、その先に本物のチャンスがある…ってやっぱ打算か?誤訳か? まあ時勢を継続的に視野に入れておくためにも、副次的な取り組みは必要だろう。もう少し深いところが読みたかった。オランダが沈みつつある衝撃的な写真。
読了日:09月26日 著者:ニューズウィーク日本版編集部


この著者の本はいろんなところから引用や例を挙げるので、組織談義として楽しい。さて、組織のポテンシャルを上げるためのあれこれ。採用時のダイバーシティのみならず、採用後の個性発露が阻害されないことが大事とある。自社の空気にまだ染まらない新参者こそイノベーションの種であり、反対意見や違う発想を聞かせてほしいとこちらから積極的に拾い上げる『聞き耳のリーダーシップ』を勧める。かつ、その後も情報を与え、自分の発言が働く環境をより良くするという実感を与えることが大事だと思う。プリコラージュ方式は企業にも適用できるか?
読了日:09月25日 著者:山口 周


卵の採卵後、夏は16日、春秋は25日、冬は57日が生で食べられる期間。卵の食べられる期間が表示より長いのは知っていたが、生でもいいとは。賞味期限はあくまでメーカーが決めた目安でしかない。さて「食品はもともとリスクを含んでいる」件。専門家はそもそもゼロリスクはあり得ないと考えるという。身に取り入れるものはできるだけ体に良いものであるべきと思う私との、その差を考える。少々の添加物は仕方ないが、農薬は少ないほど良く、東洋医学的見地からの良し悪しも気になる。リスクの程度を勘案して選ぶ、その許容基準は人それぞれだ。
読了日:09月22日 著者:井出 留美


交通事故により脳震盪の後遺症が残った一つの症例。網膜と視覚皮質間の経路を損傷しているのだが、視覚システムは中心視覚と周辺視覚だけではない。視空間認識、光覚、サーカディアンリズム、平衡感覚、運動協調性、記憶、象徴的思考など多岐に結びついている上に、情動や集中力、つまり性格すら変え得るのだ。これらのバランスが崩れたことで、著者の日常が頻繁に疲労崩壊する様子には、読むこちらがへとへとになる。回復のカギは脳の可塑性である。網膜と視覚皮質間の信号が経由する経路を新しく書き変える神経科学の知見と技術は、まさに驚異だ。
いくつもの点で「凄い」本だ。まず、脳震盪という見た目に現れない外傷によって、人間の基幹的機能が多大に損なわれること。それを意志の力で抑え込んでシングルファーザーとしての役割、大学教授としての責務を10年近くこなしたこと。子細な記録を続けたこと。副次的な症状を自分で分析して説明したこと。治療につれた症状の変化を、思考のムラやバーチャルな脳空間内の変化に至るまで説明できること。IQが高いとはこういうことか。そして完全に損傷されたと感じるそれらの症状が、検査と眼鏡の処方のみで完全回復を成し得た、知見の高さ。
この本には日常生活に障る現象がいくつも出てくる。病や老化、性格とさえ自身思っているものが、脳の小さな器質的損傷に因る可能性があるようだ。それらも日常的な疲労も、他人の目には解らないばかりに辛く当たられることは怖い。私はスーパーの棚の前で動けなくなってしまうことがままあるが、動けないまま心だけが狼狽えている。人によってシステムが全く違っているという可能性と、人がいつも普通の状態ではいられないことを、忘れてはいけないと思う。つまり些細なことで他人に苛立たず、優しくありなさいよってことなんだけど。
読了日:09月22日 著者:クラーク・エリオット

来月に企画している写真展の告知をつくるために再読。写真からは今にも悲痛な声が聞こえるようだ。現実には人間が長く飼った犬を捨てるという酷い事実がある。しかし、酷い事実を好んで見つめたい人はいない。犬は長く生きるようになった。人間のように老化し患うようになった。自分が老いた時や犬が老いた時のことを、前もって考えなければならないことを、どう伝えよう。『愛する"家族"との別れは、犬に深い喪失感と哀しみをもたらします。命ある限り、変わることなく、大好きな飼い主のそばで生きることが、犬にとって何よりの幸せなのです』。
読了日:09月20日 著者:児玉 小枝

この本は納豆シリーズの前振りなのだろうか。海外で日々つけていた記録が活躍したことだろう。出るわ出るわ、たまたま出会ったもの、わざわざ出かけて行ったもの、世界の地域独特な食べ物、酒、嗜好品の数々。どこの地でも、酔狂だけで変なものを食べている訳ではない。必要があって食べているもの、祭祀的な意味合いから変化したものもある。噂を聞いてわざわざ出かけて行くくらいだから、高野さんは食べることも好きなのだろうな。先日、自宅にGが出た。わかってる。わかってるよGに罪がなく栄養があることは。でも私には、昆虫食すら無理やわ。
読了日:09月19日 著者:高野 秀行


私自身、飲食店を営みたいと思ったことがないので、個人経営の飲食店主は別人種くらいに思ってきた。中でも著者は異色だ。『誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所』をつくるという理念に合致したのが定食屋という形態だっただけで、自身は食に興味がないと言う。人間っていろいろな要素が複雑に絡まっていて、性格も思想も丸ごとで具現化するのだと感嘆した。『思考がジャンプするまで情報を頭にインプットする』。既存情報のインプット量がとかく半端ない。それがあってこそ、物事の本質を見抜き、合理的に要不要を査定し、即断できるのだ。
SNSでイベントなどを告知する際の文章の作り方について、思いがけず学ぶところが多かった。既存を無視せず、飛躍しすぎず、単なる「来てください」ではなく、その経緯やこだわりを正直に伝える言葉を丁寧に選ぶことだ。それには自分が考えている中身を明確にしなければならないが、思いがあってイベントなりを手がけるのであれば、既に自分の内側にあるものを取り出すだけのこと。それをしないのは横着、手抜きでしかないってことだ。視界が晴れた思いがした。すごいなあ。
読了日:09月15日 著者:小林せかい


雑多な情報が混在し、タネと内臓の関係が解りづらいが、言わんとする潮流は確かにある。遺伝子操作や大規模生産化を国家戦略として進めるアメリカに対し、農業大国フランス、食料安全保障を憂えたロシアなどは別の路線を推進している。片や日本はアメリカの言いなりの如く法改正を進めようとしていることを強く危惧する。曰く、栽培の手間を省く等の目的で遺伝子操作されたタネは、本来蓄積されないはずの毒素を蓄積する。その毒素を体内に取り込めばいずれ腸内細菌環境を損ない、種々の疾患を引き起こすとの主旨。それぞれ整理と確認が必要に思う。
読了日:09月13日 著者:吉田 太郎

「実戦八卦掌」より情報量は少なめである。練習法に重きが置かれ、八卦掌の八本の形がより詳しい。第八掌 八仙過海など30ページ近く割かれている。それにしたって、現実に目の前で動いて見せてくださる先生にはかなわない。足運びなどときどき見返しつつ、練習に励むしかない。先生がこの本を私に渡したのは、このペースでは全てを私に教えてしまえるか覚束ず焦るのと、私の習熟度を上げさせたいのと両方だろう。余計な感傷に捉われず、気候も涼しくなったのだし、ひたすら走圏すべし。昔の名人は卓の下でやれる程、体勢を低くできたという…。
読了日:09月12日 著者:佐藤金兵衛

意味深な表題。いわゆるスパイ小説、しかし国対国、組織対組織のダイナミックな動きが見えない異色な物語。ここにあるのは、どこまでも彼ら個々人の心の動き。誰にも全てを話せない、尻尾をつかまれないよう行動するという業からくる、擦り切れそうな恐れ、不安、迷いを抑え込んでの選択の積み重ね。その孤独故に誘惑に絡めとられたとて何が悪いというのか。既に亡いカースンの影。それは友情だったのだろうか。結局彼を異国へ運んで行ったものは何だったのか。終盤の母親の台詞がなんとも薄く感じるのだ。テレビにぶつかるシーンが象徴的だった。
読了日:09月10日 著者:グレアム グリーン


ヒトの絵が原始を思わせるところが本質に繋がって感じる。ああ、ヒトってそうだよね。こういうことするよね。と納得しながら(獲物がなにかは別として)ページをめくっていくと、なかなか不穏な様相になって笑う。こんなん幼い姪に与えたら親にめっちゃ怒られそうだ。しかし、大人が子供に与えるものをあれこれ取捨選択、つまり制限する行為は、子供に対して失礼であると著者が語っていたのを思い出す。子供は自分に取り入れるものを自分で選べるのだからということだ。面白い。ひとつだけ考え込んでしまったのは、『ヒト ハ キニスル』だった。
読了日:09月06日 著者:五味 太郎

スーツにまつわる欧米式の約束事が主に書かれている。公の場における服装は『自分のための装いでありつつ、他者のための装いでもある』ので、マナーは守るべしとある。自然、表舞台に立つ場面が多い政治家や著名人の例が多くあげつらわれる。細かい指摘は厳しいようだが、和装だって常識を外すと違和感が拭えないものだわね。洋装にも数多のセオリーがあり、そんなん気に留めたこともなかったわポイントが鈴なりだった。欧米のアッパーな家庭の子は、幼少期より装いに関する「服育」を親から受けるのだそうだ。スタイリストを雇う価値が理解できた。
読了日:09月05日 著者:安積 陽子


先生にお借りした。八卦掌は習得人口が少ないうえに流派があるので、的確な本を教えてもらえることはありがたい。さて、文章化しうる情報も少ない中で、開祖菫海川から著者に至るまでの歴史の他、主は套路と練習法の図解。既知の動きは理解が深まるが、知らないことがまだまだ多い。『行走すること竜の如く、回転すること猴の如く、換式すること鷹の如し』。『掌心は空なるを要し、胸心は空なるを要し、足心も空なるを要す』。武術と健康法は古来厳密に区分されるものでないと確信するようになった。どちらも、人としての生き延びる力を育てる術だ。
読了日:09月04日 著者:佐藤 金兵衛

前半が竹内さんのエッセイ、後半がお二人の対談。前半で散々、思考によって物事を区別することの知的優位性を力説していたのに、対談になると茂木さんにばっさり拒否される。いや、その区別を超えての、統合といった意味合いらしい。欧米の流儀が色濃い竹内さんの「グローバル」な考え方に私は馴染めなかったので、茂木さんの流儀が心地よいものに思えた。つまり、文系と理系みたいな社会の決めた区分に捉われず、自分の規範で好いと思うことを選ぶ方が苦しくないし、またその方が停滞する日本の中心ではなく、自由な境界に達せられる道なのだ。
茂木さん『理系か文系かなんて、渋谷からどっかに行くのに銀座線にするかそれとも半蔵門線にするっかっていう程度の問題で、要するにそんなの走って行き着きゃどっちだっていいのさ』。
読了日:09月02日 著者:竹内 薫,茂木 健一郎

注:

2020年09月17日
BOOX Nova2なるタブレット
BOOX Nova2、ネット記事で見かけて衝動買い。
Kindleと同じE-ink画面で使える、Androidのタブレットです。
Androidなので、Kindleアプリもhontoアプリも入れられて、
両方の電子書籍を読める点で私の期待を最高点まで上げました。
私の電子書籍代は毎年大概な金額になります。
そろそろKindle一択をやめる頃合いかと思い始めており、
hontoの電子書籍を試してみたかったのです。

実際に触れた印象は、「Androidめんどくせぇ…」。
さっさか設定を終えて本の海に飛び込むKindleとは隔絶の感。
一応Androidなのでセキュリティアプリを入れると、
プリセットのアプリの排除を「強くお勧め」されてしまう始末。
取り急ぎあちこちのアカウントとの連携は最低限にしました。
Kindleとhontoでダウンロード&読書に特化するところから始めようかな。
ナビボールの設定はいいですね。だいぶ快適になります。
他の方も言っていたけれど、Kindleとhontoで使い方が違うのは、
ほんと混乱のもとストレスのもと。
7.8インチという大きさも、女性が片手に持つには大きい。
Kindle Voyageが一つの完成形でしたから仕方ないですが、
ゴーストの残り方といい、とかく気になるというのが正直なところ。
指の脂が背面にくっきり残るので、スキンも手配しました。
さあ、どうかなあ。。。
Kindleと同じE-ink画面で使える、Androidのタブレットです。
Androidなので、Kindleアプリもhontoアプリも入れられて、
両方の電子書籍を読める点で私の期待を最高点まで上げました。
私の電子書籍代は毎年大概な金額になります。
そろそろKindle一択をやめる頃合いかと思い始めており、
hontoの電子書籍を試してみたかったのです。

実際に触れた印象は、「Androidめんどくせぇ…」。
さっさか設定を終えて本の海に飛び込むKindleとは隔絶の感。
一応Androidなのでセキュリティアプリを入れると、
プリセットのアプリの排除を「強くお勧め」されてしまう始末。
取り急ぎあちこちのアカウントとの連携は最低限にしました。
Kindleとhontoでダウンロード&読書に特化するところから始めようかな。
ナビボールの設定はいいですね。だいぶ快適になります。
他の方も言っていたけれど、Kindleとhontoで使い方が違うのは、
ほんと混乱のもとストレスのもと。
7.8インチという大きさも、女性が片手に持つには大きい。
Kindle Voyageが一つの完成形でしたから仕方ないですが、
ゴーストの残り方といい、とかく気になるというのが正直なところ。
指の脂が背面にくっきり残るので、スキンも手配しました。
さあ、どうかなあ。。。
2020年09月01日
2020年8月の記録
メインバンクならぬメイン書店を、ジュンク堂とルヌガンガに絞ることにした。
古本は讃州堂書店と一箱古本市、電子書籍はAmazonである。
Amazonは別にして、どうせ本を買うなら本屋さんを支援することと繋げたい。
というようなことを、このところずっと考えていたから。
ついてはhontoサイトとhonto withアプリに登録した。
これがべらぼうにおもしろい!
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用19,794円。
読了22冊。
積読本214冊(うちKindle本89冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:22
ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)の感想
高野さんが久しぶりに読んで我ながら笑ったと書いていた、早稲田の三畳間に住んでいた11年のほぼ実話。三畳間に住むこと自体想像しづらく、地震で本棚が倒れても向かいの壁でつっかえるとか広角レンズでも全体を撮れないとかで察するのみだ。この頃から高野さんはそのまんま高野さんである。というより、この三畳間時代にコンゴ、アマゾン、タイ、ビルマに行っており、この本より先に著作していた。暗闇の提灯こと、大家のおばちゃんが素敵すぎる。押さえるところを押さえ、誰の想像をも超えてボケ、下宿人皆に慕われる。こんな人に私はなりたい。
読了日:08月31日 著者:高野 秀行
「働き方改革」の不都合な真実の感想
働き方改革と働き方改革実現会議は、首相周辺による働かせ方の思惑ありきだったので失敗した。以上。データも事実総括も分析も無しで進む対談はぐだぐだで、ちょっと詳しいおっさんが飲み屋でクダ巻いている程度だ。こんな腰の浮いた論で新しい時代の切り口が見えるはずがない。働き方改革によって働き方は改革されないということがよくわかったが、決まったからには企業は飲み込まざるを得ないし、うまく利用してより良くするしかないのだ。同様にお考えの方には、著者が批判するサイボウズや、デービッド・アトキンソンの本をお勧めする。
読了日:08月29日 著者:おおたとしまさ,常見陽平
コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)の感想
新型コロナ発生以降、朝日新聞デジタル紙に載ったインタビュー・寄稿集。今を時めく有識者が一つの話題に関してどのような言葉を発するのか、顔ぶれを見たら読みたくなった。政治経済を分析する類のものはすぐに古びて感じるが、社会や自然についてのものは、新型コロナが人間の生活の根幹に関わる性質のものだけに、リーダビリティがあり、また新型コロナに日常生活を制限されたとしても、人の思考はこんなにも自由で様々なのだと感じ入った。福岡博士のウィルスが進化を加速する論、ピュシスとロゴス論、藤原辰史氏の『重心の低い知』覚えておく。
面白かったメモ。養老孟司、福岡伸一、角幡唯介、五味太郎、藻谷浩介、ブレイディみかこ、斎藤 環、荻上チキ、鎌田 實、横尾忠則、坂本龍一(敬称略)。って半分以上。何年か後に読み返してみたいなあ。
読了日:08月29日 著者:養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ
虫とゴリラの感想
解剖学者と人類学者の対談とするより、虫の人とゴリラの人と対比した方が、観察対象の大きさが違いすぎるぶん、それは面白いタイトルになるよね。むしろそこから企画を思いついたんじゃないかとすら思う。起こした文章にはほとんど初対面のような礼儀正しさがあるが、そうですね。いやほんとに。で続く対話は礼儀だけではない。年代や経歴は違えど、日本の自然の中で育ち、自然の中で研究対象と向き合うお二人には、自然に対する大きな敬意が共通している。自然をロゴスで語り、管理しうると考えることの愚かさと無意味さは常に頭に置いておきたい。
読了日:08月28日 著者:養老 孟司,山極 寿一
ムツゴロウと天然記念物の動物たち 海・水辺の仲間 (角川ソフィア文庫)の感想
動物学科在学中のエピソードが新鮮だ。研究室には度外れに生物を愛し、見つめ続ける人が集まる。試行錯誤の末に、"恐怖を覚えるほどの合理的な論理を備えた生体こそ神秘"と知る。ムツゴロウさんの動物に触れるやり方や思想はここで育まれたのだ。『その動物に、それがいる場所で会うのを優先した。手ざわりや息づかいを記したかった』のが今回の企画を受けての目的。その天然記念物の行動や生態を他の種から類推し、仮説を立てて実物に会う。類推が当たっていても外れていても、ムツゴロウさんは感動する。そしてその生き物をむやみに食べたがる。
こちらでも若きムツゴロウさんは怒っている。日本人が無思慮に乱獲し、自然を破壊し、観光の名のもとに無知に生育環境を圧迫し、結果として当時の天然記念物たちはみるみる姿を消した。そのことをぶりぶり怒っている。これは後の著作では見られないことだ。自然を愛する者として、怒らない訳はない。しかし、著作を重ねるうちのどこかで、その怒りはもう書かないと決めるのだろうか。それよりも自然の美しさ、生き物の神秘をたくさん描くことで、読んだ者の中に自然を尊ぶ心が育てば良いと、自然の復権につながると、信じるようになるのだろうか。
読了日:08月23日 著者:畑 正憲
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観の感想
アマゾン流域に生きる狩猟採集民族、ピダハン。彼らは自分たちが実際に体験している物事しか認めない。だから創世神話も宗教も無い。生きることに迷いが無く、外に救いを求めない。同時に医療も便利な道具も無いから、寿命も短く、多くの物を得ることもないが、元より無くて当然なら、貧しいという概念がない。何より凄いのは、自分たちの文化を最上だと思っているから、他の価値観に関心が無く、他文化や他言語の影響をほとんど受けずにいることだ。自分たちの生存にとっての必需を選び抜いた世界観があれば、民族は崩れずにいることができるのか。
すぐ近くに住む別の民族カボクロは、アマゾンの産物を手に入れるために現れるブラジル人や欧米人と自分たちを比較し、自分たちが貧しいとの認識を持っている。だから金を稼ぎたいし、裕福になりたい願望が生まれる。そうなると、従来の生活手段や様式では満足できなくなり、少しばかりの物質的充足と引き換えに文化を失った貧者に成り下がる。そうやって世界の民族は、独自の文化や世界観を少しずつ失い、欧米文化の価値観に同化し、人類は単一化し続けているのではないだろうか。つまり人類の間でも多様化を失っている。これも危機だと思う。
人と人のコミュニケーションツールが豊かでうっとりした。通常の語りに加えて、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語りがあるという。住む環境や場面に即した方法が発達しているということだ。文化と言語は切り離すことができない。文法だけが豊かさではない。かつては日本の野山や海にも豊かにあったはずで、土地に独自のものはたくさん消えたのだろうなあ。ピダハンは、そうはいっても、トータルの人口は減っており、彼らもまたいつか消える民族、消える言語という運命は免れないらしい。
読了日:08月23日 著者:ダニエル・L・エヴェレット
戦争責任者の問題 (青空文庫POD(ポケット版))の感想
内田先生が紹介された、戦争責任者は誰かについての文章。敗戦後、『多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない』。自分はだまされたと公言する、そしてそう思ったとしたら、そこには被害者意識は生まれこそすれ、反省する向きは生まれない。知ろうとしなかったから、疑わなかったから、だまされた。被害者面は欺瞞といえる。その無反省がその後75年に渡って依然、日本に居座り続けることを予見したような文章である。
読了日:08月22日 著者:伊丹万作
イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」の感想
プレゼンなど何らかの結論を他者に提示する種類のタスクがある人には、自分の中にまとめておいてよい内容だ。私のように経営課題を経営者に説明したい場合も、こういった要点を踏まえておく必要がある。自分が直感でやってきたことをこう明確にされると、大まかで済ませている点や詰めの甘い点が見えてくる。まずは、イシュー。物事の本質を見極める能力は、イシューのみならず全ての処理に通ずる。それは学生時に習得した素養だけでも、漫然とした社会経験だけでも自動的には獲得されず、また見えにくい。その点がこの本が話題になった理由だろう。
『ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ』
読了日:08月22日 著者:安宅和人
メーター検針員テゲテゲ日記――1件40円、本日250件、10年勤めてクビになりましたの感想
1件40円は安すぎる、と一瞬思うが、これは各戸の電気料金に含まれる費用だと気づくと複雑な気持ちになる。さらにメーターの設置場所や表示の字体など、なぜ便利なよう、間違いのないよう変われないかと憤慨する。電力会社は誤検針や検針員自身を邪険にする暇があったらさっさとスマートメーターに変更すべきなんじゃないか。使用電気量を確定するために、検針員が所有敷地内に毎月立ち入るシステム自体が、時代に合わない。各種メーターを早急に無人化するべきだと主張することと、検針員は人として遇されるべきだと思うことは矛盾するだろうか。
この著者も文筆業志望ということで、筆が立つ。『この仕事も楽しいよ。雨の日とか、暑いときはそりゃたいへんよ。でもバイクで走ってればいいからね。田舎の人たちはよく話しかけてくれるしね。楽しいよ』。検針員が自らを社会の底辺と認識しながら働いていることや、他所の家の飼い犬の表情がわかり、独居老人には話し相手になってやる優しい人たちであっても検針員という職種ゆえに邪険な扱いを受け、不安定な生活を強いられることなどを、描く腕は確かだ。そういう経験を経てきた著者自身も優しい。印税ががっぽり入り、息災でおいでますように。
読了日:08月19日 著者:川島 徹
日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)の感想
75年前の明日正午、玉音放送が流れる。8月15日正午までの24時間に国家の中枢で起きていたことを、資料や証言を元に詳しく組み立てた史実。なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか。私は当時の為政者が無能で怠慢だったと漠然と思っていた。しかしその24時間の間、鈴木首相をはじめ諸大臣、侍従皆、それぞれに責務を果たしていたと知った。阿南陸相自刃に胸打たれた。ならばなぜ。神州不滅、絶対不敗と、軽挙妄動を重ねた陸軍の軍人精神とやらを育て権力を与え暴走させたものは何だったのか。遡り、その根源を知ることにする。
昭和天皇は、当時幼かった私には親しみや畏敬を覚える陛下ではなかった。軍人として育った陛下はだからといって決して戦争に前向きだったわけではなく、大変なご配慮とご苦労が散見される。当時44歳。侍従長に吐露されたお言葉。『あのものたちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持が、どうして、あのものたちには、わからないのであろうか』。陛下は戦後、平和を求める"象徴"としての役割について皇太子とお話になられただろう。その御意思が脈々と宮家に受け継がれていることを、お言葉の端々から感じる。
その国体なるものについての記述。『彼らは自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生れたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである』。教育としてこれが浸透していたということか。
読了日:08月14日 著者:半藤 一利
コロナの時代の僕らの感想
先に読んだときの著者の“忘れたくない”リストが頭を離れず、私も繰り返し思い浮かぶこと、状況の変化に伴い新たに思い着いたことを書いておこうと思った。ページの余白に気の向くまま鉛筆で書き込んできた。日本で影響が本格化してから4ヵ月。はるか前のようで、個人的にはウイルスへの処し方に目鼻がついたように感じるので、一旦読み終えることにした。しかし社会システムや人の共通認識が適応するにはまだ時間も損害もかかるだろうから、書くべきことは当分尽きないものと思う。忘却はもう始まっている。余白はまだある。忘却との闘い。
読了日:08月14日 著者:パオロ ジョルダーノ
地図のない場所で眠りたいの感想
探検部時代の四方山話から、各々文筆家としての地位を確立した現在に至るまでの対談。作風は全く違ってもノンフィクションへの思いはそれぞれに熱い。実は角幡氏の方が計画性が欠如しており、高野さんは準備が間違っている。高野さんが珍しく愚痴を漏らす。ジャーナリストや本職クライマーに対してなど、内心はそれなりの屈託があるのだなあと失礼ながら感慨深い。荻上チキさんのラジオ番組で久しぶりに話したと高野さんがTwitterに書いているのがなんだか嬉しそうで、この企画が二人の距離を更に近づけたのなら、他人事ながら私も嬉しい。
読了日:08月13日 著者:高野 秀行,角幡 唯介
今、心配されている環境問題は、実は心配いらないという本当の話の感想
ある意味、楽に読める本ではない。著者の論理を順順聞くと世間一般に絶対少数派の結論が導かれる。自分の思考や常識はまず疑うべしと謙虚に読んでいたが、もはや混乱を超えて腹が立ってきた。環境問題にはビジネスの側面が少なくないので、真と実を見極め、無駄を避ける姿勢は必要だ。しかし、時間軸をより長く取ることにより問題を過少化するのは公正な態度とは思えない。一つの要素だけを増減すれば良いのでもない。金だけの問題でもない。ならば、私自身がどうありたいかと省みれば、謙虚なつましい生活で後ろめたく思わず生きたいだけなのだ。
リサイクルは間違い!地球温暖化もダイオキシンも発がん性物質も嘘!石油も石炭も元は何かの死骸なのだからがんがん燃やせ!二酸化炭素の量を増やした方が地球の為!と決めつけられると、憤慨したい気分にもなる。文系の奴らは知らなくても仕方ないがねとおっしゃるが、文系的文脈を解せずに理系脳で突っ走る辺り、ため息が出るわ。こういう「正論」をばさばさ口に出してしまう人は、自分の論理的正しさを信じている。同じことをメディアで何度説明しても盲信族が減らないことにうんざりして、そのうち粗雑で乱暴な臭気を放ち始めるのだろう。
整理すると、ゴミ問題において必要なことは、第一にreduceであり、reuseである。分別せずに燃やすことも、環境に与える負荷が少ない素材を新開発することもゴミ問題の根本的な解決にはならない。日本人の人口が自然減少すれば軽減されるかもしれないが、それも解決ではない。安くて便利を求める一般家庭には、処理に費用が発生する種類のごみを捨てるには有料の袋(すぐ焼却するとしても)に入れなければならないという圧迫をかけるのがより良いだろう、そしてより良い処理ができる方向へ法制を整えるべきと、とりあえず結論付けておく。
読了日:08月10日 著者:武田 邦彦
ムツゴロウと天然記念物の動物たち 森の仲間 (角川ソフィア文庫)の感想
昭和47年。30歳代後半と思しきムツゴロウさん、日本に生きて残っている天然記念動物を探しに行く。少年のような好奇心と、生命の造形に向き合う真摯さは変わりなく、やせ我慢したり人間に怒ったりする辺りが若い。怒ろうとも抗議しようとも、人間の所業は変わることなく破壊を尽くし、このうちどれだけが絶滅せずに残っているかと暗澹とした気分になる。理解を深めるためにコウモリを焼いて食べるとかシロヘビに顔を狙わせるとかグジョウジドリの鶏舎の真ん中で寝たふりするとか、向き合い方の独特さには毎回度肝を抜かれる。痛快さと切なさと。
読了日:08月10日 著者:畑 正憲
闇に香る嘘 (講談社文庫)の感想
主人公は後天的に失明した、中国からの引揚者という複雑な設定だ。しかしその身勝手さ、傲慢さにほとほと嫌気がさし、余程読むのをやめようと思った。酒で飲んだ薬のせいで記憶が飛ぶなど、ミステリとしては狡い手のようにも思えた。それでも江戸川乱歩賞は伊達ではない。全ての伏線を回収して、皆の「思い」を収め昇華させてみせた手際は間違いない。巻末の参考文献からも手間を惜しまず調べた様子が察せられるも、失明、また引揚のリアリティとしては程程と言うべきだろう。家族アルバムの顛末は予想できたものではあるが、娘の思いにほだされた。
読了日:08月08日 著者:下村 敦史
漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かりますの感想
先日粟島を訪れた父が買って帰った本。宛名入りのサインをいただいたので、作家さん本人が在局だったかと思いきや、有名局長さんのサインのよし。2013年、瀬戸内国際芸術祭の作品として現れた漂流郵便局は、今も開局しており、人が訪れているという。MISSING POST OFFICE。届けることのできないはがきたちが流れ着く場所。薄情なうえに筆不精な私にはそのさみしさもあてどなさも自分の中に見つけることができないのだけれども、行ってみたら何か感じるのだろうか。漂流物でつくった宝物のような制作物は見てみたいな。
読了日:08月07日 著者:久保田 沙耶
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)の感想
著者は今世紀が『文化的停滞の暗黒時代』になり得ると感じている。的外れに論じられているような心地悪さがつきまとったが、逆に考えればこのような論理で展開しないと、通じない類の人を普段相手にしているということなのだろう。美意識とは教養と、人として持つべき規範のことだ。それらが社会生活や学校教育では身につきにくくなり、マインドフルネスなんて東洋発祥の身体習慣すら西洋の流行経由で取り入れなければならないほど失われてしまっているとは、「日本人の美意識」もあったもんじゃないと思うが。ビジネスとは商い。商うのは人間だよ。
読了日:08月05日 著者:山口 周
令和を生きる 平成の失敗を越えて (幻冬舎新書)の感想
歴史探偵とニュース解説のプロの対談。お二人は社会問題や政治の専門家ではない。しかし平成の世に起きた時事を丁寧に見てきた良識の人であり、このお二人が平成の出来事をどのような意味合い、どういう温度で捉え記憶しているかを知ることは、私が令和の時代にどのように振る舞うべきかの指針になる。話題は憲法と天皇制で締めくくられる。半藤さんは平成の天皇陛下を『どのようなことがあってもこのひとだけは信用できる』人と表した。半藤さんが秋篠宮に請われ、悠仁さまに昭和史を講義された話も、天皇家が今後も日本の良心である証左に思った。
読了日:08月04日 著者:半藤 一利,池上 彰
もののあはれ (ケン・リュウ短篇傑作集2)の感想
「紙の動物園」がファンタジー、こちらはSFのよし。ケン・リュウの、西洋と東洋を融合させた物語を私は気に入っている。西洋世界と東洋世界を自在に行ったり来たり、西洋の歪を東洋のやり方で埋める。論理と、そこからはみ出る余剰を包み込むオリエンタルを、彼は熟知して書き分ける。「円弧」と「良い狩りを」が好い。人間の両の手が描く無限の曲線。香港の夜を駆ける妖狐のきらめき。いくら科学技術が進んでも、生きた存在の描く曲面は得も言われぬ情感を呼び起こす。西洋東洋問わず共感を呼ぶ、そんな作品の中に、未来のヒントはあるのだろう。
読了日:08月02日 著者:ケン リュウ
日本文化の形成 (講談社学術文庫)の感想
日本人はどこから来たのか。海部陽介氏の本から私の中で繋がるテーマだ。宮本常一は各地に残る古文書や風習から、大胆に推論してゆく。原住民である"えみし"は狩猟・漁労及び採取の文化=縄文文化を、南の海から渡来した"みまな"は稲作文化=弥生文化を日本列島に生んだ。その後に朝鮮半島から渡った倭人が金属武器をつくり朝廷を開き、古墳文化をもたらした。この文章は遺稿である。人生集大成の考察とすると、日本人の暮らしをどんどん遡って、日本文化の基盤、そもそもの源流にたどり着いたのだなと想像すると、感慨深いものがある。
縄文時代は7800年ほども続いたという。凶作のために、またより良い猟場/漁場を求めて、人々は日本列島を移動し続けていたと推察される。江戸時代であっても、人々は移住しては空き家に住み着くことを繰り返していたといい、ならば、あたかも先祖代々この地に住んできたかのような私たちの体感や執着は、故無き事ということになる。両親祖父母が生きてきた地への愛惜は、どういったメカニズムなのだろう? そして各地に残る風習やことばは、どうやって保たれたのだろう? ああ、時間軸が幅広すぎて想像がついていかない…。
読了日:08月01日 著者:宮本 常一
瀬戸内海の潮と潮流の感想
瀬戸内海本を探していて見つけた。大正7年、少年向けの読み物。海面の満ち引きが瀬戸内海の地形の複雑さに影響されてどのような現象を起こすか、などの説明が科学雑誌のような明確さで書かれている。以前の津波の時に、四国の太平洋側と瀬戸内側では到着予想時刻にずいぶん時間差があることには気づいていたが、今回初めて現象を理解した。こういうのを確認しながら四国の周りを船で一周するのも面白そうだ。寺田寅彦は、いずれ著作集をまとめて読破したいと思っている。クレバーな文章がとても好き。
読了日:08月01日 著者:寺田 寅彦
水害雑録の感想
名作を著したといって、皆が専業の文筆家とは限らない。伊藤佐千夫は現都内に乳牛20頭を飼育する生業の傍ら、執筆していたという。明治43年、平屋の軒まで浸かる程の洪水に見舞われる。江東区はよく浸かったと想像される。大水の中を、怖がる牛を両腕に引いては避難させる。なりふり構わず奮闘する自分を、醜態だ、卑しいと言って恥じるのが意外だった。牛を失わなず済んで良かったではないか。災害のさなかに投げ込まれれば、人はとりもあえず生き延びる為に闘う。そういうものだと思う。失ったものを悲しみ、未来を憂うのはその後なのだろう。
読了日:08月01日 著者:伊藤 左千夫
注:
はKindleで読んだ本。
古本は讃州堂書店と一箱古本市、電子書籍はAmazonである。
Amazonは別にして、どうせ本を買うなら本屋さんを支援することと繋げたい。
というようなことを、このところずっと考えていたから。
ついてはhontoサイトとhonto withアプリに登録した。
これがべらぼうにおもしろい!
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用19,794円。
読了22冊。
積読本214冊(うちKindle本89冊)。

8月の読書メーター
読んだ本の数:22

高野さんが久しぶりに読んで我ながら笑ったと書いていた、早稲田の三畳間に住んでいた11年のほぼ実話。三畳間に住むこと自体想像しづらく、地震で本棚が倒れても向かいの壁でつっかえるとか広角レンズでも全体を撮れないとかで察するのみだ。この頃から高野さんはそのまんま高野さんである。というより、この三畳間時代にコンゴ、アマゾン、タイ、ビルマに行っており、この本より先に著作していた。暗闇の提灯こと、大家のおばちゃんが素敵すぎる。押さえるところを押さえ、誰の想像をも超えてボケ、下宿人皆に慕われる。こんな人に私はなりたい。
読了日:08月31日 著者:高野 秀行


働き方改革と働き方改革実現会議は、首相周辺による働かせ方の思惑ありきだったので失敗した。以上。データも事実総括も分析も無しで進む対談はぐだぐだで、ちょっと詳しいおっさんが飲み屋でクダ巻いている程度だ。こんな腰の浮いた論で新しい時代の切り口が見えるはずがない。働き方改革によって働き方は改革されないということがよくわかったが、決まったからには企業は飲み込まざるを得ないし、うまく利用してより良くするしかないのだ。同様にお考えの方には、著者が批判するサイボウズや、デービッド・アトキンソンの本をお勧めする。
読了日:08月29日 著者:おおたとしまさ,常見陽平

新型コロナ発生以降、朝日新聞デジタル紙に載ったインタビュー・寄稿集。今を時めく有識者が一つの話題に関してどのような言葉を発するのか、顔ぶれを見たら読みたくなった。政治経済を分析する類のものはすぐに古びて感じるが、社会や自然についてのものは、新型コロナが人間の生活の根幹に関わる性質のものだけに、リーダビリティがあり、また新型コロナに日常生活を制限されたとしても、人の思考はこんなにも自由で様々なのだと感じ入った。福岡博士のウィルスが進化を加速する論、ピュシスとロゴス論、藤原辰史氏の『重心の低い知』覚えておく。
面白かったメモ。養老孟司、福岡伸一、角幡唯介、五味太郎、藻谷浩介、ブレイディみかこ、斎藤 環、荻上チキ、鎌田 實、横尾忠則、坂本龍一(敬称略)。って半分以上。何年か後に読み返してみたいなあ。
読了日:08月29日 著者:養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ


解剖学者と人類学者の対談とするより、虫の人とゴリラの人と対比した方が、観察対象の大きさが違いすぎるぶん、それは面白いタイトルになるよね。むしろそこから企画を思いついたんじゃないかとすら思う。起こした文章にはほとんど初対面のような礼儀正しさがあるが、そうですね。いやほんとに。で続く対話は礼儀だけではない。年代や経歴は違えど、日本の自然の中で育ち、自然の中で研究対象と向き合うお二人には、自然に対する大きな敬意が共通している。自然をロゴスで語り、管理しうると考えることの愚かさと無意味さは常に頭に置いておきたい。
読了日:08月28日 著者:養老 孟司,山極 寿一

動物学科在学中のエピソードが新鮮だ。研究室には度外れに生物を愛し、見つめ続ける人が集まる。試行錯誤の末に、"恐怖を覚えるほどの合理的な論理を備えた生体こそ神秘"と知る。ムツゴロウさんの動物に触れるやり方や思想はここで育まれたのだ。『その動物に、それがいる場所で会うのを優先した。手ざわりや息づかいを記したかった』のが今回の企画を受けての目的。その天然記念物の行動や生態を他の種から類推し、仮説を立てて実物に会う。類推が当たっていても外れていても、ムツゴロウさんは感動する。そしてその生き物をむやみに食べたがる。
こちらでも若きムツゴロウさんは怒っている。日本人が無思慮に乱獲し、自然を破壊し、観光の名のもとに無知に生育環境を圧迫し、結果として当時の天然記念物たちはみるみる姿を消した。そのことをぶりぶり怒っている。これは後の著作では見られないことだ。自然を愛する者として、怒らない訳はない。しかし、著作を重ねるうちのどこかで、その怒りはもう書かないと決めるのだろうか。それよりも自然の美しさ、生き物の神秘をたくさん描くことで、読んだ者の中に自然を尊ぶ心が育てば良いと、自然の復権につながると、信じるようになるのだろうか。
読了日:08月23日 著者:畑 正憲


アマゾン流域に生きる狩猟採集民族、ピダハン。彼らは自分たちが実際に体験している物事しか認めない。だから創世神話も宗教も無い。生きることに迷いが無く、外に救いを求めない。同時に医療も便利な道具も無いから、寿命も短く、多くの物を得ることもないが、元より無くて当然なら、貧しいという概念がない。何より凄いのは、自分たちの文化を最上だと思っているから、他の価値観に関心が無く、他文化や他言語の影響をほとんど受けずにいることだ。自分たちの生存にとっての必需を選び抜いた世界観があれば、民族は崩れずにいることができるのか。
すぐ近くに住む別の民族カボクロは、アマゾンの産物を手に入れるために現れるブラジル人や欧米人と自分たちを比較し、自分たちが貧しいとの認識を持っている。だから金を稼ぎたいし、裕福になりたい願望が生まれる。そうなると、従来の生活手段や様式では満足できなくなり、少しばかりの物質的充足と引き換えに文化を失った貧者に成り下がる。そうやって世界の民族は、独自の文化や世界観を少しずつ失い、欧米文化の価値観に同化し、人類は単一化し続けているのではないだろうか。つまり人類の間でも多様化を失っている。これも危機だと思う。
人と人のコミュニケーションツールが豊かでうっとりした。通常の語りに加えて、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語りがあるという。住む環境や場面に即した方法が発達しているということだ。文化と言語は切り離すことができない。文法だけが豊かさではない。かつては日本の野山や海にも豊かにあったはずで、土地に独自のものはたくさん消えたのだろうなあ。ピダハンは、そうはいっても、トータルの人口は減っており、彼らもまたいつか消える民族、消える言語という運命は免れないらしい。
読了日:08月23日 著者:ダニエル・L・エヴェレット


内田先生が紹介された、戦争責任者は誰かについての文章。敗戦後、『多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない』。自分はだまされたと公言する、そしてそう思ったとしたら、そこには被害者意識は生まれこそすれ、反省する向きは生まれない。知ろうとしなかったから、疑わなかったから、だまされた。被害者面は欺瞞といえる。その無反省がその後75年に渡って依然、日本に居座り続けることを予見したような文章である。
読了日:08月22日 著者:伊丹万作


プレゼンなど何らかの結論を他者に提示する種類のタスクがある人には、自分の中にまとめておいてよい内容だ。私のように経営課題を経営者に説明したい場合も、こういった要点を踏まえておく必要がある。自分が直感でやってきたことをこう明確にされると、大まかで済ませている点や詰めの甘い点が見えてくる。まずは、イシュー。物事の本質を見極める能力は、イシューのみならず全ての処理に通ずる。それは学生時に習得した素養だけでも、漫然とした社会経験だけでも自動的には獲得されず、また見えにくい。その点がこの本が話題になった理由だろう。
『ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え。ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ』
読了日:08月22日 著者:安宅和人


1件40円は安すぎる、と一瞬思うが、これは各戸の電気料金に含まれる費用だと気づくと複雑な気持ちになる。さらにメーターの設置場所や表示の字体など、なぜ便利なよう、間違いのないよう変われないかと憤慨する。電力会社は誤検針や検針員自身を邪険にする暇があったらさっさとスマートメーターに変更すべきなんじゃないか。使用電気量を確定するために、検針員が所有敷地内に毎月立ち入るシステム自体が、時代に合わない。各種メーターを早急に無人化するべきだと主張することと、検針員は人として遇されるべきだと思うことは矛盾するだろうか。
この著者も文筆業志望ということで、筆が立つ。『この仕事も楽しいよ。雨の日とか、暑いときはそりゃたいへんよ。でもバイクで走ってればいいからね。田舎の人たちはよく話しかけてくれるしね。楽しいよ』。検針員が自らを社会の底辺と認識しながら働いていることや、他所の家の飼い犬の表情がわかり、独居老人には話し相手になってやる優しい人たちであっても検針員という職種ゆえに邪険な扱いを受け、不安定な生活を強いられることなどを、描く腕は確かだ。そういう経験を経てきた著者自身も優しい。印税ががっぽり入り、息災でおいでますように。
読了日:08月19日 著者:川島 徹


75年前の明日正午、玉音放送が流れる。8月15日正午までの24時間に国家の中枢で起きていたことを、資料や証言を元に詳しく組み立てた史実。なぜもっと早く戦いをやめることができなかったのか。私は当時の為政者が無能で怠慢だったと漠然と思っていた。しかしその24時間の間、鈴木首相をはじめ諸大臣、侍従皆、それぞれに責務を果たしていたと知った。阿南陸相自刃に胸打たれた。ならばなぜ。神州不滅、絶対不敗と、軽挙妄動を重ねた陸軍の軍人精神とやらを育て権力を与え暴走させたものは何だったのか。遡り、その根源を知ることにする。
昭和天皇は、当時幼かった私には親しみや畏敬を覚える陛下ではなかった。軍人として育った陛下はだからといって決して戦争に前向きだったわけではなく、大変なご配慮とご苦労が散見される。当時44歳。侍従長に吐露されたお言葉。『あのものたちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持が、どうして、あのものたちには、わからないのであろうか』。陛下は戦後、平和を求める"象徴"としての役割について皇太子とお話になられただろう。その御意思が脈々と宮家に受け継がれていることを、お言葉の端々から感じる。
その国体なるものについての記述。『彼らは自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生れたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合をとげる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである』。教育としてこれが浸透していたということか。
読了日:08月14日 著者:半藤 一利


先に読んだときの著者の“忘れたくない”リストが頭を離れず、私も繰り返し思い浮かぶこと、状況の変化に伴い新たに思い着いたことを書いておこうと思った。ページの余白に気の向くまま鉛筆で書き込んできた。日本で影響が本格化してから4ヵ月。はるか前のようで、個人的にはウイルスへの処し方に目鼻がついたように感じるので、一旦読み終えることにした。しかし社会システムや人の共通認識が適応するにはまだ時間も損害もかかるだろうから、書くべきことは当分尽きないものと思う。忘却はもう始まっている。余白はまだある。忘却との闘い。
読了日:08月14日 著者:パオロ ジョルダーノ

探検部時代の四方山話から、各々文筆家としての地位を確立した現在に至るまでの対談。作風は全く違ってもノンフィクションへの思いはそれぞれに熱い。実は角幡氏の方が計画性が欠如しており、高野さんは準備が間違っている。高野さんが珍しく愚痴を漏らす。ジャーナリストや本職クライマーに対してなど、内心はそれなりの屈託があるのだなあと失礼ながら感慨深い。荻上チキさんのラジオ番組で久しぶりに話したと高野さんがTwitterに書いているのがなんだか嬉しそうで、この企画が二人の距離を更に近づけたのなら、他人事ながら私も嬉しい。
読了日:08月13日 著者:高野 秀行,角幡 唯介


ある意味、楽に読める本ではない。著者の論理を順順聞くと世間一般に絶対少数派の結論が導かれる。自分の思考や常識はまず疑うべしと謙虚に読んでいたが、もはや混乱を超えて腹が立ってきた。環境問題にはビジネスの側面が少なくないので、真と実を見極め、無駄を避ける姿勢は必要だ。しかし、時間軸をより長く取ることにより問題を過少化するのは公正な態度とは思えない。一つの要素だけを増減すれば良いのでもない。金だけの問題でもない。ならば、私自身がどうありたいかと省みれば、謙虚なつましい生活で後ろめたく思わず生きたいだけなのだ。
リサイクルは間違い!地球温暖化もダイオキシンも発がん性物質も嘘!石油も石炭も元は何かの死骸なのだからがんがん燃やせ!二酸化炭素の量を増やした方が地球の為!と決めつけられると、憤慨したい気分にもなる。文系の奴らは知らなくても仕方ないがねとおっしゃるが、文系的文脈を解せずに理系脳で突っ走る辺り、ため息が出るわ。こういう「正論」をばさばさ口に出してしまう人は、自分の論理的正しさを信じている。同じことをメディアで何度説明しても盲信族が減らないことにうんざりして、そのうち粗雑で乱暴な臭気を放ち始めるのだろう。
整理すると、ゴミ問題において必要なことは、第一にreduceであり、reuseである。分別せずに燃やすことも、環境に与える負荷が少ない素材を新開発することもゴミ問題の根本的な解決にはならない。日本人の人口が自然減少すれば軽減されるかもしれないが、それも解決ではない。安くて便利を求める一般家庭には、処理に費用が発生する種類のごみを捨てるには有料の袋(すぐ焼却するとしても)に入れなければならないという圧迫をかけるのがより良いだろう、そしてより良い処理ができる方向へ法制を整えるべきと、とりあえず結論付けておく。
読了日:08月10日 著者:武田 邦彦


昭和47年。30歳代後半と思しきムツゴロウさん、日本に生きて残っている天然記念動物を探しに行く。少年のような好奇心と、生命の造形に向き合う真摯さは変わりなく、やせ我慢したり人間に怒ったりする辺りが若い。怒ろうとも抗議しようとも、人間の所業は変わることなく破壊を尽くし、このうちどれだけが絶滅せずに残っているかと暗澹とした気分になる。理解を深めるためにコウモリを焼いて食べるとかシロヘビに顔を狙わせるとかグジョウジドリの鶏舎の真ん中で寝たふりするとか、向き合い方の独特さには毎回度肝を抜かれる。痛快さと切なさと。
読了日:08月10日 著者:畑 正憲


主人公は後天的に失明した、中国からの引揚者という複雑な設定だ。しかしその身勝手さ、傲慢さにほとほと嫌気がさし、余程読むのをやめようと思った。酒で飲んだ薬のせいで記憶が飛ぶなど、ミステリとしては狡い手のようにも思えた。それでも江戸川乱歩賞は伊達ではない。全ての伏線を回収して、皆の「思い」を収め昇華させてみせた手際は間違いない。巻末の参考文献からも手間を惜しまず調べた様子が察せられるも、失明、また引揚のリアリティとしては程程と言うべきだろう。家族アルバムの顛末は予想できたものではあるが、娘の思いにほだされた。
読了日:08月08日 著者:下村 敦史

先日粟島を訪れた父が買って帰った本。宛名入りのサインをいただいたので、作家さん本人が在局だったかと思いきや、有名局長さんのサインのよし。2013年、瀬戸内国際芸術祭の作品として現れた漂流郵便局は、今も開局しており、人が訪れているという。MISSING POST OFFICE。届けることのできないはがきたちが流れ着く場所。薄情なうえに筆不精な私にはそのさみしさもあてどなさも自分の中に見つけることができないのだけれども、行ってみたら何か感じるのだろうか。漂流物でつくった宝物のような制作物は見てみたいな。
読了日:08月07日 著者:久保田 沙耶

著者は今世紀が『文化的停滞の暗黒時代』になり得ると感じている。的外れに論じられているような心地悪さがつきまとったが、逆に考えればこのような論理で展開しないと、通じない類の人を普段相手にしているということなのだろう。美意識とは教養と、人として持つべき規範のことだ。それらが社会生活や学校教育では身につきにくくなり、マインドフルネスなんて東洋発祥の身体習慣すら西洋の流行経由で取り入れなければならないほど失われてしまっているとは、「日本人の美意識」もあったもんじゃないと思うが。ビジネスとは商い。商うのは人間だよ。
読了日:08月05日 著者:山口 周


歴史探偵とニュース解説のプロの対談。お二人は社会問題や政治の専門家ではない。しかし平成の世に起きた時事を丁寧に見てきた良識の人であり、このお二人が平成の出来事をどのような意味合い、どういう温度で捉え記憶しているかを知ることは、私が令和の時代にどのように振る舞うべきかの指針になる。話題は憲法と天皇制で締めくくられる。半藤さんは平成の天皇陛下を『どのようなことがあってもこのひとだけは信用できる』人と表した。半藤さんが秋篠宮に請われ、悠仁さまに昭和史を講義された話も、天皇家が今後も日本の良心である証左に思った。
読了日:08月04日 著者:半藤 一利,池上 彰


「紙の動物園」がファンタジー、こちらはSFのよし。ケン・リュウの、西洋と東洋を融合させた物語を私は気に入っている。西洋世界と東洋世界を自在に行ったり来たり、西洋の歪を東洋のやり方で埋める。論理と、そこからはみ出る余剰を包み込むオリエンタルを、彼は熟知して書き分ける。「円弧」と「良い狩りを」が好い。人間の両の手が描く無限の曲線。香港の夜を駆ける妖狐のきらめき。いくら科学技術が進んでも、生きた存在の描く曲面は得も言われぬ情感を呼び起こす。西洋東洋問わず共感を呼ぶ、そんな作品の中に、未来のヒントはあるのだろう。
読了日:08月02日 著者:ケン リュウ

日本人はどこから来たのか。海部陽介氏の本から私の中で繋がるテーマだ。宮本常一は各地に残る古文書や風習から、大胆に推論してゆく。原住民である"えみし"は狩猟・漁労及び採取の文化=縄文文化を、南の海から渡来した"みまな"は稲作文化=弥生文化を日本列島に生んだ。その後に朝鮮半島から渡った倭人が金属武器をつくり朝廷を開き、古墳文化をもたらした。この文章は遺稿である。人生集大成の考察とすると、日本人の暮らしをどんどん遡って、日本文化の基盤、そもそもの源流にたどり着いたのだなと想像すると、感慨深いものがある。
縄文時代は7800年ほども続いたという。凶作のために、またより良い猟場/漁場を求めて、人々は日本列島を移動し続けていたと推察される。江戸時代であっても、人々は移住しては空き家に住み着くことを繰り返していたといい、ならば、あたかも先祖代々この地に住んできたかのような私たちの体感や執着は、故無き事ということになる。両親祖父母が生きてきた地への愛惜は、どういったメカニズムなのだろう? そして各地に残る風習やことばは、どうやって保たれたのだろう? ああ、時間軸が幅広すぎて想像がついていかない…。
読了日:08月01日 著者:宮本 常一


瀬戸内海本を探していて見つけた。大正7年、少年向けの読み物。海面の満ち引きが瀬戸内海の地形の複雑さに影響されてどのような現象を起こすか、などの説明が科学雑誌のような明確さで書かれている。以前の津波の時に、四国の太平洋側と瀬戸内側では到着予想時刻にずいぶん時間差があることには気づいていたが、今回初めて現象を理解した。こういうのを確認しながら四国の周りを船で一周するのも面白そうだ。寺田寅彦は、いずれ著作集をまとめて読破したいと思っている。クレバーな文章がとても好き。
読了日:08月01日 著者:寺田 寅彦


名作を著したといって、皆が専業の文筆家とは限らない。伊藤佐千夫は現都内に乳牛20頭を飼育する生業の傍ら、執筆していたという。明治43年、平屋の軒まで浸かる程の洪水に見舞われる。江東区はよく浸かったと想像される。大水の中を、怖がる牛を両腕に引いては避難させる。なりふり構わず奮闘する自分を、醜態だ、卑しいと言って恥じるのが意外だった。牛を失わなず済んで良かったではないか。災害のさなかに投げ込まれれば、人はとりもあえず生き延びる為に闘う。そういうものだと思う。失ったものを悲しみ、未来を憂うのはその後なのだろう。
読了日:08月01日 著者:伊藤 左千夫

注:

2020年08月01日
2020年7月の記録
本を読むペースを見返してみる。
ペースが上がるのは、自分の気力と時間と意欲とが揃ったとき。
時間が足りなくて鬱屈しているときはやたらと本を買い込んでみたり、
先月のようになにやら気がそぞろで思ったほど進まなかったり、
記録を見るとその頃が思い出されるが、年末には忘れていることだろう。
<今月のデータ>
購入9冊、購入費用5,480円。
読了9冊。
積読本212冊(うちKindle本96冊)。

7月の読書メーター
読んだ本の数:9
白いメリ-さん (講談社文庫)の感想
ホラーやらSFやら、ジャンル不明の短編集、1994年刊行。山内圭哉が解説で"くっさいおっさん"と呼ぶところのらもさんが世を去って、早や16年が経ったという。16年経っても皆で献杯を重ね、その名を呼ぶ。らもさん面白いと思ぅて書いてみたんやろなと感じるような、しかしなんしてこんなん思いついたんかとつぶやきたくなる筋立てに、ちらと見える透明なもの。そのギャップも含め、らもさんなんだよなあ。「日の出通り商店街 いきいきデー」が好きだ。突飛な展開と意表を突く武器で畳みかけ、悲哀をも漂わせつつ、落語のようなオチ。
読了日:07月31日 著者:中島 らも
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)の感想
個人の寿命がそこまで延びるかは依然疑問として、なるほど、人生のマルチステージ化の可能性に気づくのは早い方が良いだろう。『仕事と私生活をブレンドする生き方』が当たり前になれば、様々の事が変わってしまうと予測されるのに、ほかでもない自分の思考がいかに親の世代というロールモデルに縛られているか自覚させられる。他国より更に変化に鈍い日本で、いかに中期的目的意識に基づいた柔軟な行動を取れるかが、激変の時代を乗り切る切り札となるだろう。それから、『無形の資産』を育てる習慣はいずれ持ちたい。新しいことを始めたくなった。
著者たちが当たり前に語っている、イノベーションや高スキルを求める性質は、人間の本能なのだろうか。いや、世界の先進国と呼ばれる国に住む人のうち、何割が著者たちの語る人生の範疇にあてはまるのだろうか。読んでいてしっくりこないのものを感じるのだが、私の想像力が足りないというよりは、この米国式の思考に対して、なにかが見落とされている気がするからだろう。いずれにせよ、だからといって流すのではなく、違和感は違和感で気に留めつつ、日本の少なくとも一定の範囲では常識になるものと想定しておこう。
ビジネスとして。従来のように、会社の取り決めた決め事に社員を当て嵌めるのではなく、できればサイボウズ型で、社員の望む働き方と会社の決め事をすり合わせる作業を繰り返すことで、これからの激変する時代に適応できる中小企業になれるのではないかと思う。それには社員同士の平等をも考える必要があるので、綱渡りのようなバランス感覚を要するだろう。また、定年制を始め、年齢を基準にした規制を取っ払うのに伴い、採用時の履歴書も、転職の多寡や無職期間の長さではなく、本人のポリシーの一貫性に照準を合わせて判断することになるだろう。
今後大きく社会が変革してゆくのは間違いない。それに対して、可能ならば、個人として、また経営者として先手を打っておきたいという意識が、この本が良く売れた理由だろう。日本の財界人や政治家でも、この本の趣旨を踏まえたと思われる発言を見かける。これらは時代の流れであり、ありうる未来へのコンセンサスのすり合わせでもある。ベーシックインカムについて直接触れてはいないが、人生の多様化に対応するための特効薬になる可能性を感じた。玉木さんのベーシックインカム論に注目したい。
読了日:07月31日 著者:リンダ グラットン,アンドリュー スコット
俺、つしま 2の感想
つしまさんのテリトリーはどんな町なのだろう。つしまさんたちは元野良で、調子が悪いと"びょんいん"に連れて行かれるが、屋外に出入り自由で、他所の家でもごはんをもらって、明らかに肥満だし、不妊去勢手術をしていない猫もいて、「おそらのした」を満喫している。動物愛護的に「正しく」ない。そこにはTNR活動をしている人も現れ、仲間のテルオは連れていかれてしまった。そういう日常を、つしまさんの視線で描いている。良いとか悪いとか、私はわからなくなってきた。おぷうのきょうだいさんがどう思っているのか想像してどうする、自分。
読了日:07月26日 著者:おぷうの きょうだい
何かのためではない、特別なことの感想
『何かのためではない』。Something for Nothing。平川さんは『実感のある小文字の小さな世界』、つまり個人レベルの話から論を展開していく。逆に大文字の世界とは、国の政治や経済レベルの事。小文字の出来事は、大文字の事につなげて考えなければ、それだけの出来事でしかない。逆に、机上で学んだ大文字の事は、個人レベルの経験や他の事物とのつなげ方を知らなければ、ただの暗記項目でしかないということだ。それらを自分の中で切り離すことのできない習慣をつけるのが教養であり、大学の意義だったと今頃理解するとは。
『「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為』。まあ私の場合、疑うも何も、社会のことなどほとんど知らないまま4年間を過ごしてしまったから、社会に出た時のフリクションは凄まじかったな。でも、二十歳そこらって、そんなもんじゃないのかな?
読了日:07月23日 著者:平川克美
壇蜜日記2 (文春文庫)の感想
前作を読んだとき、壇蜜の自虐的な文調は生来の性格に因るものと思った。しかし彼女に投げつけられる誹謗中傷は、彼女の価値が見目に集約され易いために尚更、想像を超えて酷いものであっただろう。下品短足、勘違いババア、消えろ、勘違いすんな、不祥事起こしていなくなれ。死んで。大量の言葉の刃をあの手この手で逸らすが、この時期、特に辛そうだ。魚や猫を愛で、ひたすら眠る。自分が浮上するために彼女を貶める女らを私が代わりに呪ってやりたいところだが、彼女は言うのだろう。『やめとけやめとけ神様怒るよきっと』。彼女に幸あれ。
読了日:07月21日 著者:壇 蜜
俺、つしまの感想
Twitterで拝見していて、おぷうのきょうだいさんは至って常識人である。一方で、猫の擬人化描写は猫好きよがりになりがちな中でも匙加減が絶妙で、他の猫漫画とどう違うか上手く言えないが、なんとも好い。うちの高齢猫が突然、咳と呼ぶのか喘鳴と呼ぶのか、呼吸に異常が出た。苦しそうでこのまま逝くのかと見守りながら、姐さんの最期まで読み終わってしまったから、もう涙が止まらない。愛猫が自分の腕の中で、笑顔のまま息を引き取る。こんな飼い主冥利なことがあるだろうか。おぷうのきょうだいさんは、それに足る飼い主であるのだなあ。
読了日:07月19日 著者:おぷうの きょうだい
日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)の感想
江戸城の正門は半蔵門、京都が1000年以上日本の都であった理由など、聞いたことも思いついたこともない発見ばかりだ。著者は土木系の元官僚である。文系の専門家でないからこそ、地形、気象、インフラの下部構造の側面から、歴史の真実に自由にアプローチできる。歌川広重の浮世絵や古地図を眺めているときに、歴史の新しい可能性をひらめいたりするのである。世界はなんて面白い発見に満ちているのだろう! 教養の意義を思う。世界の様々なものに関心を覚えることによって、自ら謎に気づき、解き明かす愉しみを得る。そういう人生は豊かだ。
読了日:07月16日 著者:竹村 公太郎
最軽量のマネジメント(サイボウズ式ブックス)の感想
山田氏サイドから見たサイボウズ。『組織図はピラミッド型からキャンプファイヤー型へ』が印象的だ。知識や経験の多寡はあれ、役職はもはや役割でしかない。今まで伏せていた情報を社員に公開するとき、私は胃がずんと重くなる。つい後回しにしたくなる。隠すよりも公開するほうが覚悟は要る。しかし会社を透明にし、"未来の可能性"を拓く為と勇気を貰った。情報は『メンバーにすべてを伝える必要も、自分が理解する必要もありません。情報にアクセスできるようにしておくだけ』でいい。社員が知りたくなったら知られるよう整える作業を続ける。
『制度がイコールである必要はなく、結果がフェアであればいい』の意味を考える。すべての社員に平等でありたいが、そうはできない場合は多々ある。なぜなら、携帯電話の支給にしても備品の購入にしても、全ての社員がそれを望むとは限らないからだ。むしろ一緒である訳がない。しかし"平等"にならないのであれば、その案は没、あるいはうやむやにしてきたと思う。『制度がイコールである必要はなく、結果がフェアであればいい』と考えれば、結果は違う。次に案件が浮上したときには、この言葉を思い出してみよう。
読了日:07月14日 著者:山田理
スギハラ・ダラーの感想
ああ、面白かった。杉原千畝のビザ発給から始まって、先物取引やら競走馬やら話題は多岐に渡り、視点は世界を駆け回る。とにかく広く、インテリジェンスネタが細かい上にややこしい物語を、ひがし茶屋街という日本文化の粋を差し色に締めている。事実と虚構の境は余程知識がないと指摘できないのではないか。第二次世界大戦の戦前戦中戦後と、生命のぎりぎりの状況にあった人達は、情報や人脈、物事を見抜く能力を最大限発揮して生き延びる術を手繰り続けなければ生き抜けなかった。これは彼らへのオマージュだ。しかし、まさかミレディーとはね。
読了日:07月12日 著者:手嶋 龍一
注:
はKindleで読んだ本。
ペースが上がるのは、自分の気力と時間と意欲とが揃ったとき。
時間が足りなくて鬱屈しているときはやたらと本を買い込んでみたり、
先月のようになにやら気がそぞろで思ったほど進まなかったり、
記録を見るとその頃が思い出されるが、年末には忘れていることだろう。
<今月のデータ>
購入9冊、購入費用5,480円。
読了9冊。
積読本212冊(うちKindle本96冊)。

7月の読書メーター
読んだ本の数:9

ホラーやらSFやら、ジャンル不明の短編集、1994年刊行。山内圭哉が解説で"くっさいおっさん"と呼ぶところのらもさんが世を去って、早や16年が経ったという。16年経っても皆で献杯を重ね、その名を呼ぶ。らもさん面白いと思ぅて書いてみたんやろなと感じるような、しかしなんしてこんなん思いついたんかとつぶやきたくなる筋立てに、ちらと見える透明なもの。そのギャップも含め、らもさんなんだよなあ。「日の出通り商店街 いきいきデー」が好きだ。突飛な展開と意表を突く武器で畳みかけ、悲哀をも漂わせつつ、落語のようなオチ。
読了日:07月31日 著者:中島 らも

個人の寿命がそこまで延びるかは依然疑問として、なるほど、人生のマルチステージ化の可能性に気づくのは早い方が良いだろう。『仕事と私生活をブレンドする生き方』が当たり前になれば、様々の事が変わってしまうと予測されるのに、ほかでもない自分の思考がいかに親の世代というロールモデルに縛られているか自覚させられる。他国より更に変化に鈍い日本で、いかに中期的目的意識に基づいた柔軟な行動を取れるかが、激変の時代を乗り切る切り札となるだろう。それから、『無形の資産』を育てる習慣はいずれ持ちたい。新しいことを始めたくなった。
著者たちが当たり前に語っている、イノベーションや高スキルを求める性質は、人間の本能なのだろうか。いや、世界の先進国と呼ばれる国に住む人のうち、何割が著者たちの語る人生の範疇にあてはまるのだろうか。読んでいてしっくりこないのものを感じるのだが、私の想像力が足りないというよりは、この米国式の思考に対して、なにかが見落とされている気がするからだろう。いずれにせよ、だからといって流すのではなく、違和感は違和感で気に留めつつ、日本の少なくとも一定の範囲では常識になるものと想定しておこう。
ビジネスとして。従来のように、会社の取り決めた決め事に社員を当て嵌めるのではなく、できればサイボウズ型で、社員の望む働き方と会社の決め事をすり合わせる作業を繰り返すことで、これからの激変する時代に適応できる中小企業になれるのではないかと思う。それには社員同士の平等をも考える必要があるので、綱渡りのようなバランス感覚を要するだろう。また、定年制を始め、年齢を基準にした規制を取っ払うのに伴い、採用時の履歴書も、転職の多寡や無職期間の長さではなく、本人のポリシーの一貫性に照準を合わせて判断することになるだろう。
今後大きく社会が変革してゆくのは間違いない。それに対して、可能ならば、個人として、また経営者として先手を打っておきたいという意識が、この本が良く売れた理由だろう。日本の財界人や政治家でも、この本の趣旨を踏まえたと思われる発言を見かける。これらは時代の流れであり、ありうる未来へのコンセンサスのすり合わせでもある。ベーシックインカムについて直接触れてはいないが、人生の多様化に対応するための特効薬になる可能性を感じた。玉木さんのベーシックインカム論に注目したい。
読了日:07月31日 著者:リンダ グラットン,アンドリュー スコット


つしまさんのテリトリーはどんな町なのだろう。つしまさんたちは元野良で、調子が悪いと"びょんいん"に連れて行かれるが、屋外に出入り自由で、他所の家でもごはんをもらって、明らかに肥満だし、不妊去勢手術をしていない猫もいて、「おそらのした」を満喫している。動物愛護的に「正しく」ない。そこにはTNR活動をしている人も現れ、仲間のテルオは連れていかれてしまった。そういう日常を、つしまさんの視線で描いている。良いとか悪いとか、私はわからなくなってきた。おぷうのきょうだいさんがどう思っているのか想像してどうする、自分。
読了日:07月26日 著者:おぷうの きょうだい

『何かのためではない』。Something for Nothing。平川さんは『実感のある小文字の小さな世界』、つまり個人レベルの話から論を展開していく。逆に大文字の世界とは、国の政治や経済レベルの事。小文字の出来事は、大文字の事につなげて考えなければ、それだけの出来事でしかない。逆に、机上で学んだ大文字の事は、個人レベルの経験や他の事物とのつなげ方を知らなければ、ただの暗記項目でしかないということだ。それらを自分の中で切り離すことのできない習慣をつけるのが教養であり、大学の意義だったと今頃理解するとは。
『「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為』。まあ私の場合、疑うも何も、社会のことなどほとんど知らないまま4年間を過ごしてしまったから、社会に出た時のフリクションは凄まじかったな。でも、二十歳そこらって、そんなもんじゃないのかな?
読了日:07月23日 著者:平川克美


前作を読んだとき、壇蜜の自虐的な文調は生来の性格に因るものと思った。しかし彼女に投げつけられる誹謗中傷は、彼女の価値が見目に集約され易いために尚更、想像を超えて酷いものであっただろう。下品短足、勘違いババア、消えろ、勘違いすんな、不祥事起こしていなくなれ。死んで。大量の言葉の刃をあの手この手で逸らすが、この時期、特に辛そうだ。魚や猫を愛で、ひたすら眠る。自分が浮上するために彼女を貶める女らを私が代わりに呪ってやりたいところだが、彼女は言うのだろう。『やめとけやめとけ神様怒るよきっと』。彼女に幸あれ。
読了日:07月21日 著者:壇 蜜


Twitterで拝見していて、おぷうのきょうだいさんは至って常識人である。一方で、猫の擬人化描写は猫好きよがりになりがちな中でも匙加減が絶妙で、他の猫漫画とどう違うか上手く言えないが、なんとも好い。うちの高齢猫が突然、咳と呼ぶのか喘鳴と呼ぶのか、呼吸に異常が出た。苦しそうでこのまま逝くのかと見守りながら、姐さんの最期まで読み終わってしまったから、もう涙が止まらない。愛猫が自分の腕の中で、笑顔のまま息を引き取る。こんな飼い主冥利なことがあるだろうか。おぷうのきょうだいさんは、それに足る飼い主であるのだなあ。
読了日:07月19日 著者:おぷうの きょうだい

江戸城の正門は半蔵門、京都が1000年以上日本の都であった理由など、聞いたことも思いついたこともない発見ばかりだ。著者は土木系の元官僚である。文系の専門家でないからこそ、地形、気象、インフラの下部構造の側面から、歴史の真実に自由にアプローチできる。歌川広重の浮世絵や古地図を眺めているときに、歴史の新しい可能性をひらめいたりするのである。世界はなんて面白い発見に満ちているのだろう! 教養の意義を思う。世界の様々なものに関心を覚えることによって、自ら謎に気づき、解き明かす愉しみを得る。そういう人生は豊かだ。
読了日:07月16日 著者:竹村 公太郎


山田氏サイドから見たサイボウズ。『組織図はピラミッド型からキャンプファイヤー型へ』が印象的だ。知識や経験の多寡はあれ、役職はもはや役割でしかない。今まで伏せていた情報を社員に公開するとき、私は胃がずんと重くなる。つい後回しにしたくなる。隠すよりも公開するほうが覚悟は要る。しかし会社を透明にし、"未来の可能性"を拓く為と勇気を貰った。情報は『メンバーにすべてを伝える必要も、自分が理解する必要もありません。情報にアクセスできるようにしておくだけ』でいい。社員が知りたくなったら知られるよう整える作業を続ける。
『制度がイコールである必要はなく、結果がフェアであればいい』の意味を考える。すべての社員に平等でありたいが、そうはできない場合は多々ある。なぜなら、携帯電話の支給にしても備品の購入にしても、全ての社員がそれを望むとは限らないからだ。むしろ一緒である訳がない。しかし"平等"にならないのであれば、その案は没、あるいはうやむやにしてきたと思う。『制度がイコールである必要はなく、結果がフェアであればいい』と考えれば、結果は違う。次に案件が浮上したときには、この言葉を思い出してみよう。
読了日:07月14日 著者:山田理


ああ、面白かった。杉原千畝のビザ発給から始まって、先物取引やら競走馬やら話題は多岐に渡り、視点は世界を駆け回る。とにかく広く、インテリジェンスネタが細かい上にややこしい物語を、ひがし茶屋街という日本文化の粋を差し色に締めている。事実と虚構の境は余程知識がないと指摘できないのではないか。第二次世界大戦の戦前戦中戦後と、生命のぎりぎりの状況にあった人達は、情報や人脈、物事を見抜く能力を最大限発揮して生き延びる術を手繰り続けなければ生き抜けなかった。これは彼らへのオマージュだ。しかし、まさかミレディーとはね。
読了日:07月12日 著者:手嶋 龍一
注:
