2021年03月01日
2021年2月の記録
毎月のように本を買ってしまった言い訳をしている。
今月は、市の施策でPaypay25%還元キャンペーンがあったのである。
市内の書店4社が、購入額の25%還元に参加したとあっては奮起する。
本を買う行為に淫するにも、さすがに飽きた。というくらい買った。
この膨満感も、しばらく経てば消えてしまうのだが。
当然ながら、積読本の棚がとんでもない状態になってしまった。

<今月のデータ>
購入26冊、購入費用26,163円。
読了12冊。
積読本265冊(うちKindle本81冊、Honto本38冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:12
あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)の感想
評判に反し、はまれなかった。たぶん論理や数式、科学技術に、私はもう夢を見ることができないのだろう。いちばん楽しめたのは冒頭の「バビロンの塔」。人間の感覚描写がリアルで、最も論理や科学技術から離れた言葉で書かれていると感じたのがその理由の一つだが、著者はこの物語を神ではなく、工学や力学用語で理解しうると言う。理系の経歴と、宗教的背景の解説に納得する。移民2世だが東洋の匂いもない。大雑把に言うなら、宗教も科学も個人的主観にとっては同じレベルの話だと思ったな。曰く『公正ではない。優しくない。慈悲深くない』。
読了日:02月28日 著者:テッド・チャン
今すぐできる!肝機能を上げる40のルール (健康図解シリーズ)の感想
肝機能の低下が疑われるのはうちの猫である。食欲不振で、体重が半年トータルで14%落ちた。同じ哺乳類なら臓器の機能は似ているだろうから、理解の参考になると思った。ALT値が異常に高いことから肝臓辺りの障害が疑われる。しかしその他の値がいま一つ当てはまらない。エコーも特に。なので胆のう、すい臓も含めて、消化器系(いわゆる沈黙の臓器!)の、特に消化液分泌機能を先生が疑っている理由が理解できた。脂質の消化吸収を担う胆汁の分泌を良くするため、ウルソが処方された。これも人間と同じ。病気の説明、療法などわかりやすい。
投薬と並行して食餌も、消化に負担をかけない方向で工夫したいが、さすがに雑食と肉食をごっちゃにするのはまずいだろう。牛肉よりは鶏か魚、魚でも青魚は脂っこいのでだめかと思いきや、不飽和脂肪酸が良いのだそうだ。しかし嗜好で選ぶならカツオか。カツオの生節を与えるとがつがつ食べる。これはチュールより良い。食物繊維を含む野菜が便秘対策に良い、またキャベツのビタミンUが肝機能を高めるとある。彼が白菜、キャベツをもともと好むため、これは助けになるのだろう。貧血もあるので、カツオの血合いとキャベツのスープ仕立てで勝負する。
読了日:02月28日 著者:
RANGE(レンジ)知識の「幅」が最強の武器になるの感想
「その道ひと筋」や、早くて深い知識の習得が良しとされがちな社会において、ビジネスのみならず人生の、個人のみならずホモ・サピエンスの、多面的な「幅」の重要性を説く。いや、可能性と呼ぼう。ここに出てくる人々は突拍子もない分野に頭を突っ込んだり、多くの専門家と関係を築いたりと、他人から「自由だね」と揶揄されそうな方向を、他者の忠告に逆らってでも選ぶ。得られるものはでかい。人の志向にはなべて意味があるのだろう。20世紀のロシアにおける心理学研究、18世紀のピエタの話など、話題も幅広く、興味の尽きない内容だった。
ルリヤの研究:1930年代、ソ連での自然実験。伝統的な生活をしてきた住民と、近代的な教育を受けた住民では、思考に根本的な相違が現れる。すなわち、教育により人は抽象的な概念を理解し、論理展開をし、実際に見たことのない膨大な情報を使って考えることができるようになった。半面、錯視を起こしたり、古来の感性豊かな物の見方はできなくなる。教育によって科学が進歩し、今があるのは間違いないが、優劣の話ではないと思えて、考え込んでしまう。『近代化以前の人たちは木を見て森を見ず、現代の人々は森を見て木を見ていない』。
読了日:02月26日 著者:デイビッド・エプスタイン
脳から見るミュージアム アートは人を耕す (講談社現代新書)の感想
ミュージアムとは『コレクションを収集・保管・調査研究し、展示公開に供する施設』。ミュージアムに関するあれこれについての対談である。中野さんがこのテーマに関心を持ったきっかけは、脳とミュージアムの機能が似ているからとある。整理すると、情報や知識の蓄積装置としての機能、表に出ない部分が肝心な機能を担っている点、インプットが即役立つとは限らず、何年も後になって活きることがある点だろう。興味のある分野が増えることはその人にとって幸せなこと、新たな可能性を拓くことである。学べる刺激が多くある点だけは都会が羨ましい。
読了日:02月21日 著者:中野 信子,熊澤 弘
竹垣づくりのテクニック: 竹の見方、割り方から組み方まで、竹垣のつくり方がよくわかる決定版の感想
一軒家を建てる予定もないのに、ブロック塀より竹垣の方が風流かつ心安かろう、竹垣づくりなんてスキルがあったら格好良いではないかなどという気になって読んでみる。当然ながら、本を眺めただけで身につくようなスキルではなく、想像以上に複雑なひと通りの手順を見た後は、その組み方の妙を感嘆しながら愛でるばかりだった。強度増強と目隠しを兼ねた押縁や、節や染縄の結び目すら美しく見せるための技は長い年月をかけて日本で育まれたもので、中国の編み垣とは由来が違いそうだ。寺社仏閣などあちこちの竹垣を見て歩きたくなった。
読了日:02月17日 著者:
チョコレートの真実 [DIPシリーズ]の感想
この時期、家の中にチョコレートがつい増える。それを食べながら読むのは自虐行為である。南アメリカ大陸でカカオが発見されて以来、植民地における奴隷労役や、児童人身売買による強制労働の上にチョコレート産業は繁栄し続けてきた。苛烈な搾取構造が現代になって変わったかというと、多国籍チョコレート企業と国家がグルになり、より狡猾になったという告発だ。規制は踏み倒し、内戦、虐殺、拷問、暗殺と枚挙にいとまがない。フェアトレード制度は機能しているものの、微々たるものである。目の前のチョコレートの来し方、推して知るべし。苦い。
読了日:02月15日 著者:キャロル・オフ
土井善晴の素材のレシピの感想
「料理と利他」の対話に出てきたので、中を確認せず買ってしまう。余裕がないときは一汁一菜、余裕があるときのちょい足しの一品レシピ集、というコンセプト。主菜に沿えるちょい足しの一品は、いつも悩むところなので重宝しそう。なんだけど、ちょっと変わった献立が多いような。手間のかかる献立代表の揚げ物も多いような。と思ったら、テレビ番組「おかずのクッキング」で扱ったレシピの再録である由。だから素朴な定番物は少ないのですね。変わり種で、でも特別な調味料や調理の手間の要らない、発想勝負な献立だけ、メモさせていただこうかな。
読了日:02月14日 著者:土井 善晴
逆転の大中国史 ユーラシアの視点からの感想
パラダイム転換が痛快だ。中国共産党に作為があるだけでなく、「中国」という国の枠組みにも違和感を感じていた。「中国」は「漢族、蒙古族(モンゴル)、満州族(マンジュ)、回族(ウィグル)、蔵族(チベット)」と多民族で成り立っている。「中国の歴史」は異民族による覇権の積み重ねで、各王朝は継承していない。万里の長城の北側にあるオルドス出身の著者が見る「中国」は、日本人が授業で習う中国より腑に落ちる。ユーラシア大陸の中心にあって、遊牧民が持つ英知と力。それでこそ、かの国の持つ底知れぬパワーが理解できようというものだ。
漢文はそのものが文法ではないので、共通の言語ではない。しかし各々の漢字が持つ意味で、他民族であっても意思疎通ができる。その大きな漢字文化圏が、東アジアに利した。一方では、わざわざ違う漢字の用法をつくって別の言語にした王朝の歴史が散見される。漢民族と同化してしまわないようにとの意図であったという。女真文字が図で示されているが、これは漢字の字自体が今中国で使われているものとも日本で使われているものとも違って、漢字であると認識できるのにまったく理解できない。漢字を国字にはしないなど、様々工夫が凝らされている。
「神なるオオカミ」を読んだことがこの本を読むきっかけになった。そしてこの本を読んだことが、私の視野を中国からユーラシア大陸に広げた。だから、「神なるオオカミ」を紹介してくれた読み友さんには心から感謝したい。大草原は、「神なるオオカミ」にもあったとおり、漢民族が農耕や文化を強いたために失われてしまったかもしれない。しかし万里の長城の向こう、中央ユーラシアの地には、石人や仏塔など、豊かな文化の痕跡が数々残っているという。それを見に行きたい。遊牧の民に力を与えた自然を肌で感じてみたい。
読了日:02月13日 著者:楊 海英
受難 (文春文庫)の感想
布団の中で読む本ではなかったかもしれないが、ゲラゲラ笑いながら咳き込みながら楽しんだ。「リアル・シンデレラ」を思い出させる主人公が、今回はハッピーエンドで良かった。そんな大転換もあっていい。犬吠埼でそんなものが買えるのかと思ったら、イソギンチャクとカズノコがそんなに活躍するとは、スピード飴以上ではないか。これはファンタジーとか寓話とか定型づけることなく、ただ楽しむのが正解だと思う。
読了日:02月07日 著者:姫野 カオルコ
あやしい探検隊 焚火発見伝(小学館文庫)の感想
よく見るとリンさんとの共著。リンさんの発案で、野外料理ありきの焚き火キャンプ企画だったようだ。タヌキ、アンコウ、ヒツジ、ジャガイモ、タケノコ、油揚げ、イノシシ、豆腐、バカ貝。リンさんの腕前あって、いつもの面々はメニューが何であろうと健啖に食い、機嫌良く喋る。風邪をこじらせて布団の中の身としては、食欲はなくとも元気をもらえる。美味しいお豆腐なら食べられる気がする。おろし生姜と、醤油で。地元に頑張っている豆腐屋さんがあるのは、大事なことだなぁ。美味しい豚肉も食べたい。まだ無理か。ネズミの油揚げの話が興味深い。
読了日:02月07日 著者:椎名 誠,林 政明
彼岸の図書館: ぼくたちの「移住」のかたちの感想
都市部から地縁の無い田舎に移住、という話は最近よく聞くようになった。身体と心が耐えられなくなったという理由から奈良県は東吉野村に移住した青木さん夫婦は、家を図書館として他者に開放する。この本は別の理由で移住&活動している、あるいは近辺で関係を持つ人たちとの対談の形をとっている。内田樹門下生ということで、まるで内田先生みたいなことを言うなあ、と思ったら本当に内田先生が対談相手として登場していた。そうでなくとも、内田先生の論理は確実に彼らの中に根付いていて、こういうふうに知は次世代に受け継がれるのだと知った。
読了日:02月05日 著者:青木 真兵,青木 海青子
真面目にマリファナの話をしようの感想
アメリカにおけるマリファナ合法化に至る経緯のルポ。マリファナを論じるには、植物として持つ効能を公的に検証し認める医療用の面と、アングラから解禁されたことによる嗜好品としての"マリファナ・バブル"の面がある。そこに加わる国vs州、人種差別がアメリカ特有の要素。一方日本では井上陽水逮捕以降、「ダメ、絶対」のキャッチフレーズと共に更に一律厳格化され、現在に至るもマリファナ=「悪」一点張りな点がいかにも日本的と言えよう。欧米ではほぼ医療用として認められ使用されているのは事実で、日本にも公正な検証を求めたい。
読了日:02月01日 著者:佐久間 裕美子
注:
は電子書籍で読んだ本。
今月は、市の施策でPaypay25%還元キャンペーンがあったのである。
市内の書店4社が、購入額の25%還元に参加したとあっては奮起する。
本を買う行為に淫するにも、さすがに飽きた。というくらい買った。
この膨満感も、しばらく経てば消えてしまうのだが。
当然ながら、積読本の棚がとんでもない状態になってしまった。

<今月のデータ>
購入26冊、購入費用26,163円。
読了12冊。
積読本265冊(うちKindle本81冊、Honto本38冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:12

評判に反し、はまれなかった。たぶん論理や数式、科学技術に、私はもう夢を見ることができないのだろう。いちばん楽しめたのは冒頭の「バビロンの塔」。人間の感覚描写がリアルで、最も論理や科学技術から離れた言葉で書かれていると感じたのがその理由の一つだが、著者はこの物語を神ではなく、工学や力学用語で理解しうると言う。理系の経歴と、宗教的背景の解説に納得する。移民2世だが東洋の匂いもない。大雑把に言うなら、宗教も科学も個人的主観にとっては同じレベルの話だと思ったな。曰く『公正ではない。優しくない。慈悲深くない』。
読了日:02月28日 著者:テッド・チャン

肝機能の低下が疑われるのはうちの猫である。食欲不振で、体重が半年トータルで14%落ちた。同じ哺乳類なら臓器の機能は似ているだろうから、理解の参考になると思った。ALT値が異常に高いことから肝臓辺りの障害が疑われる。しかしその他の値がいま一つ当てはまらない。エコーも特に。なので胆のう、すい臓も含めて、消化器系(いわゆる沈黙の臓器!)の、特に消化液分泌機能を先生が疑っている理由が理解できた。脂質の消化吸収を担う胆汁の分泌を良くするため、ウルソが処方された。これも人間と同じ。病気の説明、療法などわかりやすい。
投薬と並行して食餌も、消化に負担をかけない方向で工夫したいが、さすがに雑食と肉食をごっちゃにするのはまずいだろう。牛肉よりは鶏か魚、魚でも青魚は脂っこいのでだめかと思いきや、不飽和脂肪酸が良いのだそうだ。しかし嗜好で選ぶならカツオか。カツオの生節を与えるとがつがつ食べる。これはチュールより良い。食物繊維を含む野菜が便秘対策に良い、またキャベツのビタミンUが肝機能を高めるとある。彼が白菜、キャベツをもともと好むため、これは助けになるのだろう。貧血もあるので、カツオの血合いとキャベツのスープ仕立てで勝負する。
読了日:02月28日 著者:

「その道ひと筋」や、早くて深い知識の習得が良しとされがちな社会において、ビジネスのみならず人生の、個人のみならずホモ・サピエンスの、多面的な「幅」の重要性を説く。いや、可能性と呼ぼう。ここに出てくる人々は突拍子もない分野に頭を突っ込んだり、多くの専門家と関係を築いたりと、他人から「自由だね」と揶揄されそうな方向を、他者の忠告に逆らってでも選ぶ。得られるものはでかい。人の志向にはなべて意味があるのだろう。20世紀のロシアにおける心理学研究、18世紀のピエタの話など、話題も幅広く、興味の尽きない内容だった。
ルリヤの研究:1930年代、ソ連での自然実験。伝統的な生活をしてきた住民と、近代的な教育を受けた住民では、思考に根本的な相違が現れる。すなわち、教育により人は抽象的な概念を理解し、論理展開をし、実際に見たことのない膨大な情報を使って考えることができるようになった。半面、錯視を起こしたり、古来の感性豊かな物の見方はできなくなる。教育によって科学が進歩し、今があるのは間違いないが、優劣の話ではないと思えて、考え込んでしまう。『近代化以前の人たちは木を見て森を見ず、現代の人々は森を見て木を見ていない』。
読了日:02月26日 著者:デイビッド・エプスタイン


ミュージアムとは『コレクションを収集・保管・調査研究し、展示公開に供する施設』。ミュージアムに関するあれこれについての対談である。中野さんがこのテーマに関心を持ったきっかけは、脳とミュージアムの機能が似ているからとある。整理すると、情報や知識の蓄積装置としての機能、表に出ない部分が肝心な機能を担っている点、インプットが即役立つとは限らず、何年も後になって活きることがある点だろう。興味のある分野が増えることはその人にとって幸せなこと、新たな可能性を拓くことである。学べる刺激が多くある点だけは都会が羨ましい。
読了日:02月21日 著者:中野 信子,熊澤 弘


一軒家を建てる予定もないのに、ブロック塀より竹垣の方が風流かつ心安かろう、竹垣づくりなんてスキルがあったら格好良いではないかなどという気になって読んでみる。当然ながら、本を眺めただけで身につくようなスキルではなく、想像以上に複雑なひと通りの手順を見た後は、その組み方の妙を感嘆しながら愛でるばかりだった。強度増強と目隠しを兼ねた押縁や、節や染縄の結び目すら美しく見せるための技は長い年月をかけて日本で育まれたもので、中国の編み垣とは由来が違いそうだ。寺社仏閣などあちこちの竹垣を見て歩きたくなった。
読了日:02月17日 著者:

![チョコレートの真実 [DIPシリーズ]](https://m.media-amazon.com/images/I/51R+F9B6AFL._SL120_.jpg)
この時期、家の中にチョコレートがつい増える。それを食べながら読むのは自虐行為である。南アメリカ大陸でカカオが発見されて以来、植民地における奴隷労役や、児童人身売買による強制労働の上にチョコレート産業は繁栄し続けてきた。苛烈な搾取構造が現代になって変わったかというと、多国籍チョコレート企業と国家がグルになり、より狡猾になったという告発だ。規制は踏み倒し、内戦、虐殺、拷問、暗殺と枚挙にいとまがない。フェアトレード制度は機能しているものの、微々たるものである。目の前のチョコレートの来し方、推して知るべし。苦い。
読了日:02月15日 著者:キャロル・オフ

「料理と利他」の対話に出てきたので、中を確認せず買ってしまう。余裕がないときは一汁一菜、余裕があるときのちょい足しの一品レシピ集、というコンセプト。主菜に沿えるちょい足しの一品は、いつも悩むところなので重宝しそう。なんだけど、ちょっと変わった献立が多いような。手間のかかる献立代表の揚げ物も多いような。と思ったら、テレビ番組「おかずのクッキング」で扱ったレシピの再録である由。だから素朴な定番物は少ないのですね。変わり種で、でも特別な調味料や調理の手間の要らない、発想勝負な献立だけ、メモさせていただこうかな。
読了日:02月14日 著者:土井 善晴

パラダイム転換が痛快だ。中国共産党に作為があるだけでなく、「中国」という国の枠組みにも違和感を感じていた。「中国」は「漢族、蒙古族(モンゴル)、満州族(マンジュ)、回族(ウィグル)、蔵族(チベット)」と多民族で成り立っている。「中国の歴史」は異民族による覇権の積み重ねで、各王朝は継承していない。万里の長城の北側にあるオルドス出身の著者が見る「中国」は、日本人が授業で習う中国より腑に落ちる。ユーラシア大陸の中心にあって、遊牧民が持つ英知と力。それでこそ、かの国の持つ底知れぬパワーが理解できようというものだ。
漢文はそのものが文法ではないので、共通の言語ではない。しかし各々の漢字が持つ意味で、他民族であっても意思疎通ができる。その大きな漢字文化圏が、東アジアに利した。一方では、わざわざ違う漢字の用法をつくって別の言語にした王朝の歴史が散見される。漢民族と同化してしまわないようにとの意図であったという。女真文字が図で示されているが、これは漢字の字自体が今中国で使われているものとも日本で使われているものとも違って、漢字であると認識できるのにまったく理解できない。漢字を国字にはしないなど、様々工夫が凝らされている。
「神なるオオカミ」を読んだことがこの本を読むきっかけになった。そしてこの本を読んだことが、私の視野を中国からユーラシア大陸に広げた。だから、「神なるオオカミ」を紹介してくれた読み友さんには心から感謝したい。大草原は、「神なるオオカミ」にもあったとおり、漢民族が農耕や文化を強いたために失われてしまったかもしれない。しかし万里の長城の向こう、中央ユーラシアの地には、石人や仏塔など、豊かな文化の痕跡が数々残っているという。それを見に行きたい。遊牧の民に力を与えた自然を肌で感じてみたい。
読了日:02月13日 著者:楊 海英


布団の中で読む本ではなかったかもしれないが、ゲラゲラ笑いながら咳き込みながら楽しんだ。「リアル・シンデレラ」を思い出させる主人公が、今回はハッピーエンドで良かった。そんな大転換もあっていい。犬吠埼でそんなものが買えるのかと思ったら、イソギンチャクとカズノコがそんなに活躍するとは、スピード飴以上ではないか。これはファンタジーとか寓話とか定型づけることなく、ただ楽しむのが正解だと思う。
読了日:02月07日 著者:姫野 カオルコ


よく見るとリンさんとの共著。リンさんの発案で、野外料理ありきの焚き火キャンプ企画だったようだ。タヌキ、アンコウ、ヒツジ、ジャガイモ、タケノコ、油揚げ、イノシシ、豆腐、バカ貝。リンさんの腕前あって、いつもの面々はメニューが何であろうと健啖に食い、機嫌良く喋る。風邪をこじらせて布団の中の身としては、食欲はなくとも元気をもらえる。美味しいお豆腐なら食べられる気がする。おろし生姜と、醤油で。地元に頑張っている豆腐屋さんがあるのは、大事なことだなぁ。美味しい豚肉も食べたい。まだ無理か。ネズミの油揚げの話が興味深い。
読了日:02月07日 著者:椎名 誠,林 政明


都市部から地縁の無い田舎に移住、という話は最近よく聞くようになった。身体と心が耐えられなくなったという理由から奈良県は東吉野村に移住した青木さん夫婦は、家を図書館として他者に開放する。この本は別の理由で移住&活動している、あるいは近辺で関係を持つ人たちとの対談の形をとっている。内田樹門下生ということで、まるで内田先生みたいなことを言うなあ、と思ったら本当に内田先生が対談相手として登場していた。そうでなくとも、内田先生の論理は確実に彼らの中に根付いていて、こういうふうに知は次世代に受け継がれるのだと知った。
読了日:02月05日 著者:青木 真兵,青木 海青子

アメリカにおけるマリファナ合法化に至る経緯のルポ。マリファナを論じるには、植物として持つ効能を公的に検証し認める医療用の面と、アングラから解禁されたことによる嗜好品としての"マリファナ・バブル"の面がある。そこに加わる国vs州、人種差別がアメリカ特有の要素。一方日本では井上陽水逮捕以降、「ダメ、絶対」のキャッチフレーズと共に更に一律厳格化され、現在に至るもマリファナ=「悪」一点張りな点がいかにも日本的と言えよう。欧米ではほぼ医療用として認められ使用されているのは事実で、日本にも公正な検証を求めたい。
読了日:02月01日 著者:佐久間 裕美子

注:

2021年02月01日
2021年1月の記録
電子書籍をBOOX Nova2で読むようになった。
Kindle本とhonto本、両方読める点が最大のメリットだが、デメリットも小さくはない。
まず端末の操作性がKindleに比べると良くない。
こちらのタップと端末作動の間合いが微妙にずれると思わぬ差動をして苛々する。
OSがandroidなので当然各アプリ及びシステムのアップデートがあり、面倒臭い。
アプリの操作性が一括操作しづらく、たくさん読む人間にやさしくない。
なにより物理的に重い点は、確実に手首の疲れとなって不満が蓄積する。
Kindleが神ガジェットなのだ。間違いなく。
Kindleでほかの電子書籍を読めるようにしてくれたら最強に快適なのに…。
<今月のデータ>
購入15冊、購入費用23,511円。
読了15冊。
積読本250冊(うちKindle本79冊、Honto本43冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:15
いまこそ税と社会保障の話をしよう!の感想
小川淳也の応援演説での熱量の高さが印象的だったのだ。税金は「くらしの会費」。ちゃんと使って、運悪く落とし穴に落ちた人を助けるのではなく、落とし穴自体を塞ごうと、皆に優しい社会保障と税制の在りかたを語っている。やはり熱い。むしろ動画で観たい。今の社会の仕組みはとても複雑で、一つの法制上の決めごとが何を意味し、どのような変化を波及するのか、私にはわかりづらい。今回、国家財政や統計の数字を基にした、しかし個人感覚も決して忘れない講義で、たくさんのことに気づけた。まさに"いまこそ"の論。すっかりファンになった。
■勤労を義務と感じる意識は近代日本社会に摺り込まれたもので、それがその義務を果たさない他者への憎悪として伏流しているとする見立てが鮮烈だった。だから、私の中にも社会のセーフティーネットを過剰だと感じたり、生活保護を恥と思う考えがあっておかしくないと自覚したい。支援を受けることは恥ではなく権利。■一部の人を限定して受益者にするから疑心暗鬼を生む。皆が受益者になれて、現金ではなくサービスで受益するシステムが良いという考えに納得した。なるほど。自分ももらえるのなら、腹の底のケチの虫も起こさなくてすむのだから。
読了日:01月30日 著者:井手 英策
料理と利他 (MSLive!Books)の感想
土井先生と呼びたい。毎日の料理を多かれ少なかれ負担に感じる私には「一汁一菜」は救済だったから。この対談ではさらに言う。料理は人間の原初の行為。食べることが目的ではなく、つくって食べること、食べるまでのプロセスの中に人と人の関係性、豊かな時間があり、そのために自分の手を使う行為に意味がある。一汁一菜は、そのプロセスを大切にするために、量をそぎ落とす思想なのだ。料理をする行為そのものが利他的であるという考えは慰めにはなるけれども、それほど気を軽くしてくれるわけではない。全てが世界につながる考え方は好き。
良い素材に、できるだけ手をかけないで生かす。その実践も、レシピの指南どおり思考停止で盲従するのではなくて、自分の手で素材と触れて考えましょうというから、実は大変。味噌汁は出汁をとらなくてもよく、切り干し大根に油も出汁も要らず、それは好みもあるだろうからいいとして。和え物はあえて完全に混ぜない。塩は手にとってから入れる。しょう油はしょう油差しからではなくお玉にとってから入れる。全ては素材との対話のため。強い熱や道具は素材を傷つけるというから、とうとうブロッコリーに「湯加減どう?」って聞いてしまった。
読了日:01月29日 著者:土井善晴,中島岳志
猫の學校2 老猫専科 (ポプラ新書)の感想
南里さんは「猫のおくりびと」、老猫ケアのプロだ。我が家の猫も全員が老猫期に突入し、別れの覚悟もしなければならないと思うけれど、覚悟などできる訳がない。嗚咽しながら読み切った。南里さんは言う。死は当たり前のことで、猫自身は自然にそれを受け入れる。だから、獣医のつける病名やインターネットの情報ではなく、目の前にいる猫を信頼しましょうと。猫が「老いの坂」を下る過程を見守り、気を配り、猫の生きる意思に任せましょうと。『ありがとう、いってらっしゃい、ちょっとの間さようなら』。私は、まだ言える気がしない…。
有無を言わせず獣医に連れて行けば、命の重さを分担できたような安心感があるし、責任を果たしたような気にもなれるだろう。しかし、無理を強いたことをきっと後悔すると思う。我が家の猫の一匹に、外見上の明らかな異変があるのだけれど、本人は至って気にもせず、苦しがる様子もしない。ならば、獣医に連れて行かず、一つの過程として見守ればよいのか。後悔しないだろうかとまだ迷っている。できることなら後悔の無い日々を選びたい。『猫が自ら決めて逝こうとするとき、どんなに心が騒いでも、目をそらさずにそこにいることができるだろうか』
読了日:01月27日 著者:南里 秀子
はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか (文春文庫)の感想
初めて読む作家さん。女性作家と聞いて勝手に想定する繊細さはなく、展開の意外さ、筒井康隆の作品にあるようなドライなユーモアが好ましい。SFと呼んで差し支えないだろうか。全編にわたってぬるぬるしたものが登場し、ロボットですらぬちゃっとした感触が残るような気味悪さがあるが、最もぬるっと感じたのは「エデン」である。それは、言葉で言うなら女性のたくましさと生物の有機性なのだろう。笑いすら誘われる。先が気になってそわそわするところとか、適度に俗っぽいところとか、「オール讀物」掲載作だからだろうか。他の本も読んでみる。
読了日:01月27日 著者:篠田 節子
ラスト・チャンス! ~ぼくに家族ができた日~の感想
一頭の野良の仔犬が母犬と離れ、動物愛護センターを経て家庭に迎えられるストーリー。古い施設なのか、白黒の写真にセンターの濃色の金網が冷たい。対してセンターの職員さんは温かく接するも人に馴れないままの譲渡となり、読んでいるこちらがハラハラするが、飼い主となった老夫婦の気長な気遣いと愛情を受けて仔犬は立派な家庭犬に変われるのである。ああ、まっすぐに相手を見ている、好い笑顔! 老夫婦も素敵な笑顔をして、児玉さんの仕事ぶりが光る。2013年の著。あれから、保護犬という存在は一般的になったのだろうか。
読了日:01月24日 著者:児玉小枝
私でもスパイスカレー作れました! (サンクチュアリ出版)の感想
流行りなのかな。小麦粉や保存料を使わない、本場式のカレーっていうのがいいなと思って。しかも簡単と謳われるとその気になる。スパイスはクミン、ターメリック、コリアンダーのみ。やれる気がする。具はなんでもよいが、2種類までという。なぜかと言えば、ルーではなく具が主役なので、いくつも入れると味がボケるから。それを聞いて突然気づいた。私の味噌汁は具だくさんで推しているが、少々具を変えたところで「いつもの味噌汁」になってしまうのは、具の種類を入れすぎなのだ。スパイスカレーも味噌汁も、食材推しのほうが美味しいのだって。
読了日:01月24日 著者:こいしゆうか,印度カリー子
鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋の感想
『人は、他人を説得する方法で説得されやすい』。鴻上尚史といえば私には第三舞台で、波のように畳みかける台詞まわしを思い出すのだけれど、相談での鴻上さんは穏やかに、より相手に伝わるよう持って行き方を選んで言葉を綴っている。あるいは攻め方と呼びたいような、策略的な切り口もあって面白かった。一方では即座に心療内科受診を勧めるなど、相談の効力を知悉しているプロみたいだ。「無意識の優越感」が、思いがけず我が事として刺さる。自尊意識や肯定感とそれを、私は切り離せているだろうか。『対等な人間関係に自覚的になる』こと。
読了日:01月21日 著者:鴻上 尚史
ペスト (中公文庫)の感想
1720年、デフォー60歳、マルセイユでのペスト流行を知る。5歳のときにもロンドンでペストは流行しており、ペスト禍は再びロンドンにも訪れるという危機意識は大いにあっただろう。一方「ロビンソン・クルーソー」がそうであったように、特異状況に置かれた人をモチーフに人間と信仰を書き出すのはデフォー作品の特色らしい。キリスト教徒でもない現代人の私にはわかりづらいが、疫病の因果が見通せないからこそ答えを自らの信仰の中に求めたのだし、それはいつ収束するともしれないこのコロナ禍にあってもそう変わらないのかもしれない。
ペストは致死率が高いので、その猛威と恐怖感は新型コロナと比較にならないが、人間の反応は驚くほど変わらない。外出規制と隔離、突然死。でもいずれ危険意識は鈍化し、ステイホームの鬱屈に負けてやっぱり家から出ちゃうのですね。エッセンシャルワーカーや使用人(労働者)も家を出ざるを得ないし、無症状者からの感染もあったようで。片や、行政面もエッセンシャルワーカーである医者、聖職者、役人の犠牲であったり、困窮者への救済金を出し惜しむ所まで同じだとは。科学で早々に(?)終息できるなんて現代人の考えは慢心の気がしてきた。
読了日:01月19日 著者:ダニエル・デフォー
季刊環境ビジネス2021年冬号の感想
ビジネスとしては発電した電気を蓄電する技術の進捗を確認した程度。日本もようやく再エネに舵を切ったはいいが、政財界の鼻息が荒すぎて今度は環境破壊が進まないかと懸念する。巨大な太陽光発電所設置計画に小泉環境相が物申した報道は好ましく感じた。無責任な事業者に蹂躙される前に規制したい。「人新世の「資本論」」を読んだためもあって、どうもグリーンリカバリーは前進ではなく新たな破壊のように感じる。資源や電気の物理的運搬や設備新設/廃棄もまた新たなエネルギーの消費であることを、見ないふりをしているようで憂鬱な気分になる。
読了日:01月18日 著者:
こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)の感想
私は「障害を持って生きている人」との遭遇が苦手だと感じている。しかしそれは健常者であろうと外国人であろうと程度の差でしかなく、当たり前の始まりだと納得する。最っ初に持てる先入観で画一的に相手を位置づけたとしても、会う都度、現実の相手を知り、意思疎通を重ねて、対等の関係に成れるのだ。そして「そうするべき、そうあるべき」で動くことには無理があって、経緯はどうであれ、本人が「もうしょうがねえ」という状況に追い込まれてのち、「共に生きる」関係性ができる、それは振り返れば自分では選べない運命みたいなものなのだろう。
なにしろ私は「共に生きる」意識が希薄だから、と読みながら何度も思った。そう思う理由の一つは、祖母の晩年、息子たちや孫に代わる代わる下す要求を邪険にしたり苛立ったりした記憶であると、ボランティアが鹿野氏に苛立つ場面を読んで思い当たる。でも、クールに接していても後年強烈な思いを残したり、熱く介助していても後年それほどの情感を持たなかったりとこの本の登場人物は人それぞれで、巻き込まれるときは巻き込まれるんだから、あんまり自分を薄情だ人でなしだと脅迫しなくてもいいのかなと思った。自分の話ばかりですみません。
読了日:01月16日 著者:渡辺 一史
BRUTUS(ブルータス) 2021年 1月15日号 No.930 [世の中が変わるときに読む本] [雑誌]の感想
特集「世の中が変わるときに読む本」を読むために。斎藤幸平、多和田葉子から始まって数十人もの案内人がジャンルも時代もそれぞれに、読み応えのある本を紹介している。時代への感度やバランスも良くて、BRUTUSの人選や企画力に感心した。備忘メモは恐ろしいほど膨れ上がった。下手なジャンル専門誌よりそそられるし、間口が限定されないのが好い。年間ランキングや賞レースで選ぶより、こちらを勧めますよ。
読了日:01月11日 著者:
あるものでまかなう生活の感想
「賞味期限のウソ」に共通の食品の話題に加え、生活用品や暮らしのまかない方にも触れている。しかし訴求力があるのは、やはり食品の章だ。新型コロナで一斉休校になった直後、給食パンは全て廃棄された。法律で規制があるからだ。そのような事実が明るみに出る度、適宜改正してほしい。フランスやイタリアの食料廃棄規制法は効果を生みそうだ。売れ残り食品の廃棄を禁止し、寄付か飼料・肥料化させる。税制優遇または違反者への罰金賦課があるという。個々人の精神論ではなく、社会のシステムを改善することが俯瞰的に「減らす」一番の方策と見る。
読了日:01月06日 著者:井出 留美
先祖返りの国へ 日本の身体‐文化を読み解くの感想
全身で遊ぶことを知る日本人と、日本文化に通じたアメリカ人が「和の身体感覚」を主題に語り合う。身体の部位ごとに展開する話題の間口は広く感度は深く、この頃漠然と疑問に思っていたことが数珠つながりに繋がって大興奮した。例えば重量のある頭部を支える筋肉を、二人は板状筋で意見一致する。僧帽筋は戦力として活躍させるため、解放しておくべき筋肉だからだ。中国武術では含胸抜背を良しとする。僧帽筋の下面にある板状筋を意識してみるとすっと抜ける感覚があるではないか。日頃悩んでいる身には得るものが多いも、男子トークも多し。
ふんどしの似合う引き締まった尻は中臀筋がしっかりついているのが条件で、そのためには日本古来の歩き方であるフォアフット寄りの着地と和の履物の組合せは最適だった。女性もしかりで、着物の裾から覗く細い足首は普段履きの下駄の賜物だった。そして生命力の象徴であるウエストについて、へそ周りはコアマッスルが発達して張っているのが東西を問わず本来のあるべき姿であり、すると和装が似合う。若い頃に和装の着付けでたいがいタオルを入れられたが、へそ周りが細いことは未熟な証拠。とはいえ、私でもつい、細いウエスト信仰を抜けがたい。
また筋トレと言えば腹筋を思い浮かべるが、腹筋が存在を主張すると腹式呼吸をしにくくなり、また体幹を構成する他の筋肉が動きにくくなる。そもそも部分的な筋トレは他の部位と連動しない筋肉を増大させる行為で、基礎代謝が高いとはつまり燃費が悪く、均衡を欠いた壊れやすい体になる。筋肉は日常の動作の結果として総合的に身につくもので、目的化してつけてはむしろ有害ということ。つまり世間一般の喧伝するメソッドはなべて間違っている可能性があり、かといってこの本が正しいとは限らない。何を正しいと信じ実行するかは自分の体に問うべき。
読了日:01月05日 著者:エバレット ブラウン,エンゾ早川
薬いらずのはちみつ生活 (青春文庫)の感想
はちみつは舐めて、塗って、もうなんでもアリですね。この本でのお勧めは「混ぜる」。外用では化粧水や石けん、シャンプーにも混ぜる。内用では、飲み物やドレッシングに混ぜるレシピが紹介されています。ポイントは、純粋なはちみつを選ぶことと、効能をフル活用するために加熱しすぎないこと。最近はスーパーにすら多種多様のはちみつが棚に置かれ、ギフトにも扱われる。そのうちどれだけが自然に近い本当の純粋はちみつか見分けるのは相変わらず難しい。ミツバチが減っている昨今、そんなに「はちみつ」が溢れているのは異様でもある。
読了日:01月03日 著者:清水 美智子
感染症の日本史 (文春新書)の感想
歴史学の観点から感染症を見る。人が集まって暮らし、異種の動物を飼うことが、感染症の発生と流行の原因だと現代の私たちは知った。しかし1700年前の崇神天皇の頃に疫病の記録が残っているとは。以来、為政者の賢愚は民の生死に直結する。江戸時代には感染症の知見が生まれ、大正時代のスペイン風邪では今と変わらない衛生観念があった。ワクチンがなかったとはいえ、スペイン風邪での日本本土の死者数は推定45万人。それと今回の新型コロナは違った結果であるべきという、私の漠然とした考えに根拠はない。むしろ今の国政下で、どうか。
読了日:01月02日 著者:磯田 道史
注:
は電子書籍で読んだ本。
Kindle本とhonto本、両方読める点が最大のメリットだが、デメリットも小さくはない。
まず端末の操作性がKindleに比べると良くない。
こちらのタップと端末作動の間合いが微妙にずれると思わぬ差動をして苛々する。
OSがandroidなので当然各アプリ及びシステムのアップデートがあり、面倒臭い。
アプリの操作性が一括操作しづらく、たくさん読む人間にやさしくない。
なにより物理的に重い点は、確実に手首の疲れとなって不満が蓄積する。
Kindleが神ガジェットなのだ。間違いなく。
Kindleでほかの電子書籍を読めるようにしてくれたら最強に快適なのに…。
<今月のデータ>
購入15冊、購入費用23,511円。
読了15冊。
積読本250冊(うちKindle本79冊、Honto本43冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:15

小川淳也の応援演説での熱量の高さが印象的だったのだ。税金は「くらしの会費」。ちゃんと使って、運悪く落とし穴に落ちた人を助けるのではなく、落とし穴自体を塞ごうと、皆に優しい社会保障と税制の在りかたを語っている。やはり熱い。むしろ動画で観たい。今の社会の仕組みはとても複雑で、一つの法制上の決めごとが何を意味し、どのような変化を波及するのか、私にはわかりづらい。今回、国家財政や統計の数字を基にした、しかし個人感覚も決して忘れない講義で、たくさんのことに気づけた。まさに"いまこそ"の論。すっかりファンになった。
■勤労を義務と感じる意識は近代日本社会に摺り込まれたもので、それがその義務を果たさない他者への憎悪として伏流しているとする見立てが鮮烈だった。だから、私の中にも社会のセーフティーネットを過剰だと感じたり、生活保護を恥と思う考えがあっておかしくないと自覚したい。支援を受けることは恥ではなく権利。■一部の人を限定して受益者にするから疑心暗鬼を生む。皆が受益者になれて、現金ではなくサービスで受益するシステムが良いという考えに納得した。なるほど。自分ももらえるのなら、腹の底のケチの虫も起こさなくてすむのだから。
読了日:01月30日 著者:井手 英策


土井先生と呼びたい。毎日の料理を多かれ少なかれ負担に感じる私には「一汁一菜」は救済だったから。この対談ではさらに言う。料理は人間の原初の行為。食べることが目的ではなく、つくって食べること、食べるまでのプロセスの中に人と人の関係性、豊かな時間があり、そのために自分の手を使う行為に意味がある。一汁一菜は、そのプロセスを大切にするために、量をそぎ落とす思想なのだ。料理をする行為そのものが利他的であるという考えは慰めにはなるけれども、それほど気を軽くしてくれるわけではない。全てが世界につながる考え方は好き。
良い素材に、できるだけ手をかけないで生かす。その実践も、レシピの指南どおり思考停止で盲従するのではなくて、自分の手で素材と触れて考えましょうというから、実は大変。味噌汁は出汁をとらなくてもよく、切り干し大根に油も出汁も要らず、それは好みもあるだろうからいいとして。和え物はあえて完全に混ぜない。塩は手にとってから入れる。しょう油はしょう油差しからではなくお玉にとってから入れる。全ては素材との対話のため。強い熱や道具は素材を傷つけるというから、とうとうブロッコリーに「湯加減どう?」って聞いてしまった。
読了日:01月29日 著者:土井善晴,中島岳志

南里さんは「猫のおくりびと」、老猫ケアのプロだ。我が家の猫も全員が老猫期に突入し、別れの覚悟もしなければならないと思うけれど、覚悟などできる訳がない。嗚咽しながら読み切った。南里さんは言う。死は当たり前のことで、猫自身は自然にそれを受け入れる。だから、獣医のつける病名やインターネットの情報ではなく、目の前にいる猫を信頼しましょうと。猫が「老いの坂」を下る過程を見守り、気を配り、猫の生きる意思に任せましょうと。『ありがとう、いってらっしゃい、ちょっとの間さようなら』。私は、まだ言える気がしない…。
有無を言わせず獣医に連れて行けば、命の重さを分担できたような安心感があるし、責任を果たしたような気にもなれるだろう。しかし、無理を強いたことをきっと後悔すると思う。我が家の猫の一匹に、外見上の明らかな異変があるのだけれど、本人は至って気にもせず、苦しがる様子もしない。ならば、獣医に連れて行かず、一つの過程として見守ればよいのか。後悔しないだろうかとまだ迷っている。できることなら後悔の無い日々を選びたい。『猫が自ら決めて逝こうとするとき、どんなに心が騒いでも、目をそらさずにそこにいることができるだろうか』
読了日:01月27日 著者:南里 秀子


初めて読む作家さん。女性作家と聞いて勝手に想定する繊細さはなく、展開の意外さ、筒井康隆の作品にあるようなドライなユーモアが好ましい。SFと呼んで差し支えないだろうか。全編にわたってぬるぬるしたものが登場し、ロボットですらぬちゃっとした感触が残るような気味悪さがあるが、最もぬるっと感じたのは「エデン」である。それは、言葉で言うなら女性のたくましさと生物の有機性なのだろう。笑いすら誘われる。先が気になってそわそわするところとか、適度に俗っぽいところとか、「オール讀物」掲載作だからだろうか。他の本も読んでみる。
読了日:01月27日 著者:篠田 節子


一頭の野良の仔犬が母犬と離れ、動物愛護センターを経て家庭に迎えられるストーリー。古い施設なのか、白黒の写真にセンターの濃色の金網が冷たい。対してセンターの職員さんは温かく接するも人に馴れないままの譲渡となり、読んでいるこちらがハラハラするが、飼い主となった老夫婦の気長な気遣いと愛情を受けて仔犬は立派な家庭犬に変われるのである。ああ、まっすぐに相手を見ている、好い笑顔! 老夫婦も素敵な笑顔をして、児玉さんの仕事ぶりが光る。2013年の著。あれから、保護犬という存在は一般的になったのだろうか。
読了日:01月24日 著者:児玉小枝

流行りなのかな。小麦粉や保存料を使わない、本場式のカレーっていうのがいいなと思って。しかも簡単と謳われるとその気になる。スパイスはクミン、ターメリック、コリアンダーのみ。やれる気がする。具はなんでもよいが、2種類までという。なぜかと言えば、ルーではなく具が主役なので、いくつも入れると味がボケるから。それを聞いて突然気づいた。私の味噌汁は具だくさんで推しているが、少々具を変えたところで「いつもの味噌汁」になってしまうのは、具の種類を入れすぎなのだ。スパイスカレーも味噌汁も、食材推しのほうが美味しいのだって。
読了日:01月24日 著者:こいしゆうか,印度カリー子

『人は、他人を説得する方法で説得されやすい』。鴻上尚史といえば私には第三舞台で、波のように畳みかける台詞まわしを思い出すのだけれど、相談での鴻上さんは穏やかに、より相手に伝わるよう持って行き方を選んで言葉を綴っている。あるいは攻め方と呼びたいような、策略的な切り口もあって面白かった。一方では即座に心療内科受診を勧めるなど、相談の効力を知悉しているプロみたいだ。「無意識の優越感」が、思いがけず我が事として刺さる。自尊意識や肯定感とそれを、私は切り離せているだろうか。『対等な人間関係に自覚的になる』こと。
読了日:01月21日 著者:鴻上 尚史


1720年、デフォー60歳、マルセイユでのペスト流行を知る。5歳のときにもロンドンでペストは流行しており、ペスト禍は再びロンドンにも訪れるという危機意識は大いにあっただろう。一方「ロビンソン・クルーソー」がそうであったように、特異状況に置かれた人をモチーフに人間と信仰を書き出すのはデフォー作品の特色らしい。キリスト教徒でもない現代人の私にはわかりづらいが、疫病の因果が見通せないからこそ答えを自らの信仰の中に求めたのだし、それはいつ収束するともしれないこのコロナ禍にあってもそう変わらないのかもしれない。
ペストは致死率が高いので、その猛威と恐怖感は新型コロナと比較にならないが、人間の反応は驚くほど変わらない。外出規制と隔離、突然死。でもいずれ危険意識は鈍化し、ステイホームの鬱屈に負けてやっぱり家から出ちゃうのですね。エッセンシャルワーカーや使用人(労働者)も家を出ざるを得ないし、無症状者からの感染もあったようで。片や、行政面もエッセンシャルワーカーである医者、聖職者、役人の犠牲であったり、困窮者への救済金を出し惜しむ所まで同じだとは。科学で早々に(?)終息できるなんて現代人の考えは慢心の気がしてきた。
読了日:01月19日 著者:ダニエル・デフォー

ビジネスとしては発電した電気を蓄電する技術の進捗を確認した程度。日本もようやく再エネに舵を切ったはいいが、政財界の鼻息が荒すぎて今度は環境破壊が進まないかと懸念する。巨大な太陽光発電所設置計画に小泉環境相が物申した報道は好ましく感じた。無責任な事業者に蹂躙される前に規制したい。「人新世の「資本論」」を読んだためもあって、どうもグリーンリカバリーは前進ではなく新たな破壊のように感じる。資源や電気の物理的運搬や設備新設/廃棄もまた新たなエネルギーの消費であることを、見ないふりをしているようで憂鬱な気分になる。
読了日:01月18日 著者:

私は「障害を持って生きている人」との遭遇が苦手だと感じている。しかしそれは健常者であろうと外国人であろうと程度の差でしかなく、当たり前の始まりだと納得する。最っ初に持てる先入観で画一的に相手を位置づけたとしても、会う都度、現実の相手を知り、意思疎通を重ねて、対等の関係に成れるのだ。そして「そうするべき、そうあるべき」で動くことには無理があって、経緯はどうであれ、本人が「もうしょうがねえ」という状況に追い込まれてのち、「共に生きる」関係性ができる、それは振り返れば自分では選べない運命みたいなものなのだろう。
なにしろ私は「共に生きる」意識が希薄だから、と読みながら何度も思った。そう思う理由の一つは、祖母の晩年、息子たちや孫に代わる代わる下す要求を邪険にしたり苛立ったりした記憶であると、ボランティアが鹿野氏に苛立つ場面を読んで思い当たる。でも、クールに接していても後年強烈な思いを残したり、熱く介助していても後年それほどの情感を持たなかったりとこの本の登場人物は人それぞれで、巻き込まれるときは巻き込まれるんだから、あんまり自分を薄情だ人でなしだと脅迫しなくてもいいのかなと思った。自分の話ばかりですみません。
読了日:01月16日 著者:渡辺 一史

![BRUTUS(ブルータス) 2021年 1月15日号 No.930 [世の中が変わるときに読む本] [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51urwMGgE0L._SL120_.jpg)
特集「世の中が変わるときに読む本」を読むために。斎藤幸平、多和田葉子から始まって数十人もの案内人がジャンルも時代もそれぞれに、読み応えのある本を紹介している。時代への感度やバランスも良くて、BRUTUSの人選や企画力に感心した。備忘メモは恐ろしいほど膨れ上がった。下手なジャンル専門誌よりそそられるし、間口が限定されないのが好い。年間ランキングや賞レースで選ぶより、こちらを勧めますよ。
読了日:01月11日 著者:

「賞味期限のウソ」に共通の食品の話題に加え、生活用品や暮らしのまかない方にも触れている。しかし訴求力があるのは、やはり食品の章だ。新型コロナで一斉休校になった直後、給食パンは全て廃棄された。法律で規制があるからだ。そのような事実が明るみに出る度、適宜改正してほしい。フランスやイタリアの食料廃棄規制法は効果を生みそうだ。売れ残り食品の廃棄を禁止し、寄付か飼料・肥料化させる。税制優遇または違反者への罰金賦課があるという。個々人の精神論ではなく、社会のシステムを改善することが俯瞰的に「減らす」一番の方策と見る。
読了日:01月06日 著者:井出 留美


全身で遊ぶことを知る日本人と、日本文化に通じたアメリカ人が「和の身体感覚」を主題に語り合う。身体の部位ごとに展開する話題の間口は広く感度は深く、この頃漠然と疑問に思っていたことが数珠つながりに繋がって大興奮した。例えば重量のある頭部を支える筋肉を、二人は板状筋で意見一致する。僧帽筋は戦力として活躍させるため、解放しておくべき筋肉だからだ。中国武術では含胸抜背を良しとする。僧帽筋の下面にある板状筋を意識してみるとすっと抜ける感覚があるではないか。日頃悩んでいる身には得るものが多いも、男子トークも多し。
ふんどしの似合う引き締まった尻は中臀筋がしっかりついているのが条件で、そのためには日本古来の歩き方であるフォアフット寄りの着地と和の履物の組合せは最適だった。女性もしかりで、着物の裾から覗く細い足首は普段履きの下駄の賜物だった。そして生命力の象徴であるウエストについて、へそ周りはコアマッスルが発達して張っているのが東西を問わず本来のあるべき姿であり、すると和装が似合う。若い頃に和装の着付けでたいがいタオルを入れられたが、へそ周りが細いことは未熟な証拠。とはいえ、私でもつい、細いウエスト信仰を抜けがたい。
また筋トレと言えば腹筋を思い浮かべるが、腹筋が存在を主張すると腹式呼吸をしにくくなり、また体幹を構成する他の筋肉が動きにくくなる。そもそも部分的な筋トレは他の部位と連動しない筋肉を増大させる行為で、基礎代謝が高いとはつまり燃費が悪く、均衡を欠いた壊れやすい体になる。筋肉は日常の動作の結果として総合的に身につくもので、目的化してつけてはむしろ有害ということ。つまり世間一般の喧伝するメソッドはなべて間違っている可能性があり、かといってこの本が正しいとは限らない。何を正しいと信じ実行するかは自分の体に問うべき。
読了日:01月05日 著者:エバレット ブラウン,エンゾ早川

はちみつは舐めて、塗って、もうなんでもアリですね。この本でのお勧めは「混ぜる」。外用では化粧水や石けん、シャンプーにも混ぜる。内用では、飲み物やドレッシングに混ぜるレシピが紹介されています。ポイントは、純粋なはちみつを選ぶことと、効能をフル活用するために加熱しすぎないこと。最近はスーパーにすら多種多様のはちみつが棚に置かれ、ギフトにも扱われる。そのうちどれだけが自然に近い本当の純粋はちみつか見分けるのは相変わらず難しい。ミツバチが減っている昨今、そんなに「はちみつ」が溢れているのは異様でもある。
読了日:01月03日 著者:清水 美智子

歴史学の観点から感染症を見る。人が集まって暮らし、異種の動物を飼うことが、感染症の発生と流行の原因だと現代の私たちは知った。しかし1700年前の崇神天皇の頃に疫病の記録が残っているとは。以来、為政者の賢愚は民の生死に直結する。江戸時代には感染症の知見が生まれ、大正時代のスペイン風邪では今と変わらない衛生観念があった。ワクチンがなかったとはいえ、スペイン風邪での日本本土の死者数は推定45万人。それと今回の新型コロナは違った結果であるべきという、私の漠然とした考えに根拠はない。むしろ今の国政下で、どうか。
読了日:01月02日 著者:磯田 道史
注:

2021年01月05日
2020年の総括
2020年、読んだ本の冊数は167冊。
購入費用230,518円。
積読本253冊(うちKindle本81冊、Honto本41冊)。
誰かも書いていたけれど、この歳になってマルクス社会主義に親しむとは思わなんだ。
世界には知らない/知りたいことが溢れていて、ますますノンフィクションの割合が増える。
文学も、古典は年齢的に頃合いのうちに読んでおかなければと焦る。
一方で流行りものや、日常の小さなささくれを凝視ような、現実から隔絶したような本は、
書評欄で気になってもどうも手が出ない。
そういう人生の時期なのだろう。
世界にはワンダーなことがたくさんある。そういうことどもをもっと知りたい。
たくさんの事実と可能性を念頭に置くことで優しい人になりたい。
2021年も良い本に出会えますように。

2020年、私に影響を与えた本たち。
読書メーターのページはこちら。
<人のこと>
脳はすごい -ある人工知能研究者の脳損傷体験記-
クラーク・エリオット
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット
空気を読む脳 (講談社+α新書) 中野信子
生きてるかい? (文春文庫) 南木 佳士
<社会のこと>
武器としての「資本論」 白井 聡
人新世の「資本論」 (集英社新書) 斎藤 幸平
茶色の朝
フランク パヴロフ,ヴィンセント ギャロ,藤本 一勇,高橋 哲哉
上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)
上野千鶴子,古市憲寿
コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線 (朝日新書)
養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ
コロナの時代の僕ら パオロ ジョルダーノ
購入費用230,518円。
積読本253冊(うちKindle本81冊、Honto本41冊)。
誰かも書いていたけれど、この歳になってマルクス社会主義に親しむとは思わなんだ。
世界には知らない/知りたいことが溢れていて、ますますノンフィクションの割合が増える。
文学も、古典は年齢的に頃合いのうちに読んでおかなければと焦る。
一方で流行りものや、日常の小さなささくれを凝視ような、現実から隔絶したような本は、
書評欄で気になってもどうも手が出ない。
そういう人生の時期なのだろう。
世界にはワンダーなことがたくさんある。そういうことどもをもっと知りたい。
たくさんの事実と可能性を念頭に置くことで優しい人になりたい。
2021年も良い本に出会えますように。

2020年、私に影響を与えた本たち。
読書メーターのページはこちら。
<人のこと>

クラーク・エリオット

ダニエル・L・エヴェレット


<社会のこと>



フランク パヴロフ,ヴィンセント ギャロ,藤本 一勇,高橋 哲哉

上野千鶴子,古市憲寿

養老孟司,ユヴァル・ノア・ハラリ,福岡伸一,ブレイディ みかこ

2021年01月05日
2020年12月の記録
今年は世界の様々な現実を知り、同様に憤っている人々がおり、
それらの解決を模索する不断の試みがあることを心強く思った一年だった。
一方で、あんまり憤ってばかりでは我が身に良くないとも省みる。
来年は、それらを受け止めつつも、人間界を離れた世界の驚異に胸躍らせる読書をしたい。
<今月のデータ>
購入32冊、購入費用17,870円。
読了16冊。
積読本257冊(うちKindle本81冊、Honto本41冊)。

12月の読書メーター
読んだ本の数:16
人類堆肥化計画の感想
攻撃的な里山主義と呼ぼうか。殺気だち殴りかかるごとく、腐敗、堕落、殺害と物騒な言葉を並べ、里山に求める思想を著者は綴る。山尾三省すら感傷的な自然崇拝者と断じ、中途半端な罪悪感を糾弾する。間に挟まれた満ちて足る季節の章から、暮らしの中で得た言葉と知れる。堆肥とは人も含めて、なべて同じ土壌で育まれ育む存在の在り、行く先。自ら落伍者と称する著者は生気に満ち、既に拡がろうとしている。自らの堆肥化のみならず人類の堆肥化と題している辺り、更なる企みを感じさせる。そうか、これは檄文なのだ。挑発されてやろうじゃないか。
読了日:12月31日 著者:東 千茅
望遠ニッポン見聞録の感想
ヤマザキマリの生活は若い頃から一貫して世界を転々としたもので、イタリア、ポルトガルのほか一時はエジプト、シリアにも住み、2012年時点はシカゴに住んでいたという。日々の国際的雑感をまとめたエッセイは、著作の中では最も軽い部類だろう。へええ、と思ったのは、長く海外にいて日本語が出てこなくなることはあっても、パートナーから見ればアジア人感満載であるという事実だ。公共の場でしゃがむとか、洟をすするとか、欧米ではNGなんですって。それを聞くと、民族性って個人から簡単に失われないのだと、なぜだか私も嬉しくなった。
読了日:12月28日 著者:ヤマザキマリ
社会を変える仕事をしようの感想
『まず仕事をしようじゃないか』。ビッグイシュー日本は、「ホームレスという境遇になってしまった人」に自力で路上を抜け出すチャンスを提供する社会的企業である。社会的企業は、NPO団体とは取り組む社会問題が同じでも、運営の判断基準が違ってくるという。その設立者やスタッフ、ボランティアの言葉を集めた本書で、組織の成り立ちや理念を知ることができる。私は「ビッグイシュー」を読むのが好きで、都会に出た折に買ったものだったが、コロナ禍で販売者の売上げは激減しているという。これを機に私はにっこり応援会員になることにした。
読了日:12月25日 著者:佐野 章二
空気を読む脳 (講談社+α新書)の感想
時事に絡めた脳科学読み物連載。「普段は真面目に利他的にも働く人が、いったん不公平な仕打ちを受けると、一気に義憤に駆られて行動してしまう」セロトニントランスポーターの話や、「理性的に先の展開を予測すればするほど、現在をネガティブにとらえる」性質は、まさに今の自分を言われていると思った。適度に不真面目で、鈍感で、忘れっぽく、愚かであるほうが、人間を生きやすくするってことでしょうね。ネガティブな未来からのリアルな脅迫を感じながら毎日をすごさなければならないのは苦行って、中野さんはそうじゃないのか聞いてみたい。
インポスター症候群も洞察を誘うトピックで印象深い。女性の場合は頑張ることが多く、男性の場合は保守的で、繕い、嘘もつくことがあるとか。こういう場合の優秀な人って、つまり役所とかお堅い職業に多い…嫌だねぇ。勉強が程ほどの努力でできてしまう人は、さほど努力しなくても褒められ、ほんとうに努力した部分はもはや認められることがないというのは、私がこれだけひねくれた原因じゃないだろうか。中野さんみたいに模範解答ではなく創意工夫を評価してくれる先生にも出会わず、教師への尊敬の念が大きく欠落したまま大人になってしまった。
「おわりに」が圧巻の印象を残す。幼少期から感じ続けた違和感や苦痛が、中野信子という人を脳科学に向かわせたことが吐露され、その生きづらさや疎外感は如何ほどだったかと痛切に感じさせる。私も、と言うのも少々憚られるが、合理的でない人間が、完全でも公平でもない世界の基幹システムを形づくっていることに気づいた故に、法学でも経済学でもなく心理学を専攻したと思い出し、共振する部分が多々あった。幸か不幸か関心のある分野の研究室がその大学に無かったので本ばかり読んで進学もしなかった、そんな記憶を思い出してひりひりした。
読了日:12月24日 著者:中野信子
地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」 (講談社現代新書)の感想
もう滅多に報道されなくなったフクシマと、そこで生きていた人々を丁寧に追ったルポである。国や東電、除染事業者の身勝手さと愚かさ、故郷を追われ、想像を絶する痛みを抱えた人々、残された地に繁栄する植物や動物のことが同時に思い浮かんでこんがらがる。時が解決することは少なく、国がうやむやにするたび、なし崩しに誰かの故郷が消えていく。「FACTFULNESS」の著者は『誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった』と書いた。悪いのは恐怖心ではなく、そもそも原発事故を起こさせた者だ。
読了日:12月22日 著者:青木 美希
人間の土地への感想
定期的にシリアに暮らした日本人女性の書いた記録である。訪れ始めて数年目にシリア内戦が起きる。著者を受け入れてくれたラドワンとアブドュルラティーフ家を軸に、世界の大きな理不尽が内側から記される。『息子よ。お願いだからこの国を出ていきなさい』。シリアは豊かな国だった。イスラムの掟に従い、家族を大切にして、故郷と決めた地で暮らす、それだけの望みすら叶えられなくなるまでほんの数年。ドキュメンタリー番組で内戦や難民の映像を目にすることに鈍感になった胸にも鋭利に刺さる。「人間の土地」はいつも誰かの故郷だ。
『パルミラでの生活の全てが、時間をかけなければ築けないものばかりだった』。シリア/パルミラには、現金が無くても家族や近親者が一緒に働けば生きていける社会があった。最近読んだマルクス論やコモン論で言うところの、定常経済社会、相互扶助コミュニティである。ラクダや果樹を長年かけて増やし、大切に世話をする。空爆や暴動で故郷に住めなくなることでそれがあっという間に壊される、これが昔から各紛争地で繰り返されてきたのだと理解した。著者が"命の意義"という言葉で表現したのは、人間が大切にしてきた豊かな暮らしと同義だろう。
読了日:12月20日 著者:小松 由佳
人新世の「資本論」 (集英社新書)の感想
『私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる』。私たちは壮大なダブルスタンダードを生きている。現代環境活動やSDG'sすら資本主義の延命にしかならないと著者は喝破する。このまま世界が変われなければ、遠からず日本人の多くも環境難民になる。それをわかっていながら、プラスチックごみを分別し、省エネな車に買い替え、国庫の金をそれらの政策に底なしに投入している、この欺瞞。だとしても私たちの世代はこの世界に生き、より良く変えて次世代に渡す義務がある。だからこそ、著者は「変えられる未来」を論じてみせるのだ。
人間の活動を地球のキャパ内に収めることと、成長経済主義は並び立たない。人類を救うのは脱成長コミュニズムかつ反アナーキズムな社会だという提案は、一部で芽生えた時流と私の直感にも沿う。しかしその変化がどんなふうに起き、展開するのか、私は想像できないでいる。コモン。自発的な相互扶助。例えばワールドワイドなものよりローカルなもの。営利企業より協同組合。あとがきに「3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると社会が大きく変わる」という研究を紹介している。3.5%の小さな叛逆という望み。buen vivir。
読了日:12月18日 著者:斎藤 幸平
夜は終わらない(下) (講談社文庫)の感想
長かった。もう、入れ子構造もアイデンティティーもどうでもええわと思ってしまったが、暴君は物語に引き込まれた。久音に軍配は上がった。きっと、物語の力、語ることの力について書きたかったのだろう。そして画一的なよくできた物語ではなく、自分だけのオリジナルな物語を語る相手がいることの。それは歳を取ったら必要なくなるナイーヴなものかといえばそうではなく、世界にこんなに本が溢れている事実が証左でもある。アマゾンのピダハンだって物語は持っていた。ということは、人間の持つ原始的な希求なのだ。千夜一夜物語も読まないとなあ。
読了日:12月17日 著者:星野 智幸
十二国記 幽冥の岸 第1話の感想
十二国記新作短編集からの先行プレゼント短編「幽冥の岸」は「白銀の墟 玄の月」の続き。泰麒は病んで昏倒しているので治してもらいに蓬山へ。これで何度目だろう。小野さんや私たちがもやもやしてきた、天の摂理問題。人の手に余る大事をなんとかしてほしいと抱く夢想が強いほど、翻っての叶えられない不信もまた強いと李斎は思った。それが答えか逡巡する。情の薄い耶利に泰麒を任せる流れに引っかかり。黄海で育った耶利と蓬莱で育った泰麒の落差は激しい。そこを描きたかったのかと思いきや、そうきたか!その展開、そわそわしますよ小野さん!
12月のプレゼントにふさわしい、読者が望む戴の希望のお話を小野センセは書いてくださった。いくつもの言葉がありがたく胸に沁みる。涙がにじむ。相変わらずお身体の調子が良くないと聞く。どうか無理なさらないように、穏やかでいらっしゃいますように。王の言葉をいつものように引用したいところだが、本が出てからにすることにする。
読了日:12月15日 著者:小野不由美
夜は終わらない(上) (講談社文庫)の感想
「千一夜物語」や「トリスタンとイゾルデ」からいろいろ借りている。性的表現が強調されているのもその辺からきているのか、他に仕掛けがあるのかはまだわからない。それにしてもこの暴君、ほんと好きになれないんですけど。身勝手で独りよがりで、自分すら養えず生きる意味も見い出せないことを他人に擦りつけて罵倒する半端者。対峙するクオンに期待。お話の中身がどんどん現実離れしていく。クオンの様子もおかしいし、既になにか企んでいるのか。あやつを奈落に落としてほしいなあ。取って置きの真っ暗な闇に。
読了日:12月14日 著者:星野 智幸
絶望の林業の感想
将来のリスクヘッジに山を持っていたらいいんじゃないかと考えていたことがある。読んでほとほと嫌になった。今の日本では、まず生業として考えるべきではないな。地元の木で家を建てるのも、よく調べてからが良さそうだ。林野庁主導の補助金政策や業者の短期的利益追求で、林業のシステムは歪んでいる。木が育つためにかかる年月と人間の目先都合が乖離したら、軌道修正に何十年かかるのか。かといって即利益を求めない篤林家を目指すにも、境界線問題に始まり、盗伐やら獣害やらも考えると、想定以上に困ぱいさせられると覚悟した方がいいだろう。
昨日は勝賀山に登った。ずいぶん上までみかん畑に拓かれた里山だ。昔に比べてみかんの種類が増えた。鉄や電気の柵で囲わない畑の木は、片っ端から実を喰われていた。イノシシかサルか。そこから上は雑木林で、それぞれに紅葉や落葉していた。ドングリの生る木も多いが、落ちたカサのわりにドングリが少ない印象。イノシシだなあ。頂上の城跡まわりの木や草を、ボランティアのおっちゃんたちが刈り払っていた。日本では木を切って日光を入れると笹がのさばるとこの本にあったが、なるほど、刈らないとびっしり埋まってしまうみたいだ。
読了日:12月12日 著者:田中 淳夫
ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britainの感想
イギリスの時事エッセイ。町山智浩のエッセイでアメリカの実情を理解したように、ブレイディみかこはイギリスの実情を教えてくれる。イデオロギーで世界を解釈するのは苦手なので、イギリス政治の基礎知識がない私は世相の説明についていくのが苦しい。しかし彼女らしいパンクぶりを炸裂させる部分は小気味よい。初っ端から生理貧困のネタとは、いや、大事やけんね。王室と皇室は似ているが、女王には法案を拒否する権利があるとか、ポスト・エリザベスに予測される混乱とか、少しずつ知っていこう。『ステーキを求めざる者、梅干しも得ず』。
日本はアメリカの真似っこをしているので、日本で起きることがアメリカのそれに似るのには違和感がないが、イギリスで起きていることもまた似ているのは、いわゆる"先進国"に共通というよりは、成熟の時期を超える国家の宿命をそれぞれに迎えているように感じる。日本もまた、ブロークンの時代なんよね。まさかこんな国になるなんて、という嘆息はイギリスにも日本にも。そういえば「イギリス」はイングリッシュの日本訛りなんですってね。考えたこともなくて恥ずかしい。
読了日:12月10日 著者:ブレイディ みかこ
朱鷺の遺言の感想
純国産系統朱鷺の絶滅の記録。日本ではありふれた鳥だったはずの朱鷺は、昭和25年には40羽を切っていた。絶滅に向かわせた原因は、水田の化学肥料・農薬使用による障害と餌(春夏秋は水田の昆虫、ドジョウ、貝類、冬は渓流のサワガニ)の減少、減反に伴う耕作放棄、土地の乱開発が主で、いったん数が減れば捕食者、猟師による罠、豪雪すらも大打撃になるとわかる。この絶滅の流れで重要な点としては、ある臨界点を超えると絶滅を止めることができない点と、環境庁が主導権を握ってからでは、一羽として殖やしも孵しもできなかった点である。
今日本に生息している朱鷺は、中国から貸与または譲渡された朱鷺の子孫だ。いくら何羽も譲ってもらっても、人工繁殖技術が向上しても、朱鷺の生息環境が改善されなければ朱鷺は野生で生きていくことができない。近年取り組まれている環境改善の一つが、減農薬、無農薬での米づくりだ。朱鷺、コウノトリ、ナベヅル、いずれも水田でエサを取る。水田整備及び減農薬・無農薬米づくりは重要な役割を持っている一方、つくっても買って食べる人が増えなければ続かない。これにもまた、協力したい思いを強くした。
環境庁は最後の5羽を強制的に捕獲する手段を取る。人工繁殖を試みる為で、失敗し、結局は全て死なせる。残り5羽になるまで放置しながら、技術でなんとかしようとした点が、今読んでいる「人新世の「資本論」」に出てくる、人工的に気候を操作しようとするジオエンジニアリングに似ていると気付いて瞬いた。末期症状を見せ始めた自然に対し、強硬的/恐慌的/強行的に技術を乱発してなんとかしようとする。それは末期を早めることにしかならない。それはひとつの真理なのだと思う。
読了日:12月06日 著者:小林 照幸
言葉の虫めがね (角川文庫)の感想
平成25年、流行り言葉の所感から、万葉集の歌に込められた情感まで、雑誌か何かの連載のようなエッセイ集。日本農業新聞のコラムに掲載される俳句や短歌を読むのが私の楽しみだが、俵万智の詠む、または選ぶ歌とは趣が違う。俵万智は都会の暮らしや、荒ぶる情熱を重んじる歌人なのだなと改めて感じた。それから、愛誦性。好きな歌だと、口を突いて出たりするという。読んだ句や歌を一枚の絵のように脳内に映像化してうっとりするだけとは、域が違うのだろう。
読了日:12月05日 著者:俵 万智
書楼弔堂 破暁の感想
久しぶりの京極節。今回の主は古本屋の店主だ。時代を明治に置くことで、一話の登場人物がいったい歴史上の誰であるのか、読み手が推理できる仕掛けになっている。手掛かりは随所にあるので、目を配って推測してみるのだが、だいぶ終盤になってようやく気付くのが悔しい。この店主は『本は墓のようなもの』と言い放つ。続けて『言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物にございます』とくるのだ。我が家の本棚がまるきり納骨堂に思えてきた。これぞという一冊のために、私は溜め続けているのか…。
読了日:12月03日 著者:京極 夏彦
内澤旬子の 島へんろの記の感想
書き出しは『小豆島のお遍路回ってみようかな』と軽い。しかし、読み終えてみれば深い深い体験だったのだと知る。内澤さんの言うように、我が身や親しい人に降りかかる悪しきことのどこからが自分のせいで、どこからがそうでないのか、わからないことすらもが自身を苛む。歩いて歩いて、そのうちに抱えていた辛苦を手放すための装置が、遍路なのだろう。私も歩きたい。車の排気ガスに巻かれながらアスファルトの上を歩く四国遍路じゃなくて、海や山や、岩壁岩窟系寺院を巡る小豆島遍路に私も出たい。身中に滞る全てを解き放つことができたらと願う。
読了日:12月03日 著者:内澤 旬子
注:
は電子書籍で読んだ本。
それらの解決を模索する不断の試みがあることを心強く思った一年だった。
一方で、あんまり憤ってばかりでは我が身に良くないとも省みる。
来年は、それらを受け止めつつも、人間界を離れた世界の驚異に胸躍らせる読書をしたい。
<今月のデータ>
購入32冊、購入費用17,870円。
読了16冊。
積読本257冊(うちKindle本81冊、Honto本41冊)。

12月の読書メーター
読んだ本の数:16

攻撃的な里山主義と呼ぼうか。殺気だち殴りかかるごとく、腐敗、堕落、殺害と物騒な言葉を並べ、里山に求める思想を著者は綴る。山尾三省すら感傷的な自然崇拝者と断じ、中途半端な罪悪感を糾弾する。間に挟まれた満ちて足る季節の章から、暮らしの中で得た言葉と知れる。堆肥とは人も含めて、なべて同じ土壌で育まれ育む存在の在り、行く先。自ら落伍者と称する著者は生気に満ち、既に拡がろうとしている。自らの堆肥化のみならず人類の堆肥化と題している辺り、更なる企みを感じさせる。そうか、これは檄文なのだ。挑発されてやろうじゃないか。
読了日:12月31日 著者:東 千茅

ヤマザキマリの生活は若い頃から一貫して世界を転々としたもので、イタリア、ポルトガルのほか一時はエジプト、シリアにも住み、2012年時点はシカゴに住んでいたという。日々の国際的雑感をまとめたエッセイは、著作の中では最も軽い部類だろう。へええ、と思ったのは、長く海外にいて日本語が出てこなくなることはあっても、パートナーから見ればアジア人感満載であるという事実だ。公共の場でしゃがむとか、洟をすするとか、欧米ではNGなんですって。それを聞くと、民族性って個人から簡単に失われないのだと、なぜだか私も嬉しくなった。
読了日:12月28日 著者:ヤマザキマリ


『まず仕事をしようじゃないか』。ビッグイシュー日本は、「ホームレスという境遇になってしまった人」に自力で路上を抜け出すチャンスを提供する社会的企業である。社会的企業は、NPO団体とは取り組む社会問題が同じでも、運営の判断基準が違ってくるという。その設立者やスタッフ、ボランティアの言葉を集めた本書で、組織の成り立ちや理念を知ることができる。私は「ビッグイシュー」を読むのが好きで、都会に出た折に買ったものだったが、コロナ禍で販売者の売上げは激減しているという。これを機に私はにっこり応援会員になることにした。
読了日:12月25日 著者:佐野 章二


時事に絡めた脳科学読み物連載。「普段は真面目に利他的にも働く人が、いったん不公平な仕打ちを受けると、一気に義憤に駆られて行動してしまう」セロトニントランスポーターの話や、「理性的に先の展開を予測すればするほど、現在をネガティブにとらえる」性質は、まさに今の自分を言われていると思った。適度に不真面目で、鈍感で、忘れっぽく、愚かであるほうが、人間を生きやすくするってことでしょうね。ネガティブな未来からのリアルな脅迫を感じながら毎日をすごさなければならないのは苦行って、中野さんはそうじゃないのか聞いてみたい。
インポスター症候群も洞察を誘うトピックで印象深い。女性の場合は頑張ることが多く、男性の場合は保守的で、繕い、嘘もつくことがあるとか。こういう場合の優秀な人って、つまり役所とかお堅い職業に多い…嫌だねぇ。勉強が程ほどの努力でできてしまう人は、さほど努力しなくても褒められ、ほんとうに努力した部分はもはや認められることがないというのは、私がこれだけひねくれた原因じゃないだろうか。中野さんみたいに模範解答ではなく創意工夫を評価してくれる先生にも出会わず、教師への尊敬の念が大きく欠落したまま大人になってしまった。
「おわりに」が圧巻の印象を残す。幼少期から感じ続けた違和感や苦痛が、中野信子という人を脳科学に向かわせたことが吐露され、その生きづらさや疎外感は如何ほどだったかと痛切に感じさせる。私も、と言うのも少々憚られるが、合理的でない人間が、完全でも公平でもない世界の基幹システムを形づくっていることに気づいた故に、法学でも経済学でもなく心理学を専攻したと思い出し、共振する部分が多々あった。幸か不幸か関心のある分野の研究室がその大学に無かったので本ばかり読んで進学もしなかった、そんな記憶を思い出してひりひりした。
読了日:12月24日 著者:中野信子

もう滅多に報道されなくなったフクシマと、そこで生きていた人々を丁寧に追ったルポである。国や東電、除染事業者の身勝手さと愚かさ、故郷を追われ、想像を絶する痛みを抱えた人々、残された地に繁栄する植物や動物のことが同時に思い浮かんでこんがらがる。時が解決することは少なく、国がうやむやにするたび、なし崩しに誰かの故郷が消えていく。「FACTFULNESS」の著者は『誰の命も奪わなかった放射線から避難したせいで、1000人以上の高齢者が亡くなった』と書いた。悪いのは恐怖心ではなく、そもそも原発事故を起こさせた者だ。
読了日:12月22日 著者:青木 美希


定期的にシリアに暮らした日本人女性の書いた記録である。訪れ始めて数年目にシリア内戦が起きる。著者を受け入れてくれたラドワンとアブドュルラティーフ家を軸に、世界の大きな理不尽が内側から記される。『息子よ。お願いだからこの国を出ていきなさい』。シリアは豊かな国だった。イスラムの掟に従い、家族を大切にして、故郷と決めた地で暮らす、それだけの望みすら叶えられなくなるまでほんの数年。ドキュメンタリー番組で内戦や難民の映像を目にすることに鈍感になった胸にも鋭利に刺さる。「人間の土地」はいつも誰かの故郷だ。
『パルミラでの生活の全てが、時間をかけなければ築けないものばかりだった』。シリア/パルミラには、現金が無くても家族や近親者が一緒に働けば生きていける社会があった。最近読んだマルクス論やコモン論で言うところの、定常経済社会、相互扶助コミュニティである。ラクダや果樹を長年かけて増やし、大切に世話をする。空爆や暴動で故郷に住めなくなることでそれがあっという間に壊される、これが昔から各紛争地で繰り返されてきたのだと理解した。著者が"命の意義"という言葉で表現したのは、人間が大切にしてきた豊かな暮らしと同義だろう。
読了日:12月20日 著者:小松 由佳

『私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる』。私たちは壮大なダブルスタンダードを生きている。現代環境活動やSDG'sすら資本主義の延命にしかならないと著者は喝破する。このまま世界が変われなければ、遠からず日本人の多くも環境難民になる。それをわかっていながら、プラスチックごみを分別し、省エネな車に買い替え、国庫の金をそれらの政策に底なしに投入している、この欺瞞。だとしても私たちの世代はこの世界に生き、より良く変えて次世代に渡す義務がある。だからこそ、著者は「変えられる未来」を論じてみせるのだ。
人間の活動を地球のキャパ内に収めることと、成長経済主義は並び立たない。人類を救うのは脱成長コミュニズムかつ反アナーキズムな社会だという提案は、一部で芽生えた時流と私の直感にも沿う。しかしその変化がどんなふうに起き、展開するのか、私は想像できないでいる。コモン。自発的な相互扶助。例えばワールドワイドなものよりローカルなもの。営利企業より協同組合。あとがきに「3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると社会が大きく変わる」という研究を紹介している。3.5%の小さな叛逆という望み。buen vivir。
読了日:12月18日 著者:斎藤 幸平


長かった。もう、入れ子構造もアイデンティティーもどうでもええわと思ってしまったが、暴君は物語に引き込まれた。久音に軍配は上がった。きっと、物語の力、語ることの力について書きたかったのだろう。そして画一的なよくできた物語ではなく、自分だけのオリジナルな物語を語る相手がいることの。それは歳を取ったら必要なくなるナイーヴなものかといえばそうではなく、世界にこんなに本が溢れている事実が証左でもある。アマゾンのピダハンだって物語は持っていた。ということは、人間の持つ原始的な希求なのだ。千夜一夜物語も読まないとなあ。
読了日:12月17日 著者:星野 智幸


十二国記新作短編集からの先行プレゼント短編「幽冥の岸」は「白銀の墟 玄の月」の続き。泰麒は病んで昏倒しているので治してもらいに蓬山へ。これで何度目だろう。小野さんや私たちがもやもやしてきた、天の摂理問題。人の手に余る大事をなんとかしてほしいと抱く夢想が強いほど、翻っての叶えられない不信もまた強いと李斎は思った。それが答えか逡巡する。情の薄い耶利に泰麒を任せる流れに引っかかり。黄海で育った耶利と蓬莱で育った泰麒の落差は激しい。そこを描きたかったのかと思いきや、そうきたか!その展開、そわそわしますよ小野さん!
12月のプレゼントにふさわしい、読者が望む戴の希望のお話を小野センセは書いてくださった。いくつもの言葉がありがたく胸に沁みる。涙がにじむ。相変わらずお身体の調子が良くないと聞く。どうか無理なさらないように、穏やかでいらっしゃいますように。王の言葉をいつものように引用したいところだが、本が出てからにすることにする。
読了日:12月15日 著者:小野不由美


「千一夜物語」や「トリスタンとイゾルデ」からいろいろ借りている。性的表現が強調されているのもその辺からきているのか、他に仕掛けがあるのかはまだわからない。それにしてもこの暴君、ほんと好きになれないんですけど。身勝手で独りよがりで、自分すら養えず生きる意味も見い出せないことを他人に擦りつけて罵倒する半端者。対峙するクオンに期待。お話の中身がどんどん現実離れしていく。クオンの様子もおかしいし、既になにか企んでいるのか。あやつを奈落に落としてほしいなあ。取って置きの真っ暗な闇に。
読了日:12月14日 著者:星野 智幸


将来のリスクヘッジに山を持っていたらいいんじゃないかと考えていたことがある。読んでほとほと嫌になった。今の日本では、まず生業として考えるべきではないな。地元の木で家を建てるのも、よく調べてからが良さそうだ。林野庁主導の補助金政策や業者の短期的利益追求で、林業のシステムは歪んでいる。木が育つためにかかる年月と人間の目先都合が乖離したら、軌道修正に何十年かかるのか。かといって即利益を求めない篤林家を目指すにも、境界線問題に始まり、盗伐やら獣害やらも考えると、想定以上に困ぱいさせられると覚悟した方がいいだろう。
昨日は勝賀山に登った。ずいぶん上までみかん畑に拓かれた里山だ。昔に比べてみかんの種類が増えた。鉄や電気の柵で囲わない畑の木は、片っ端から実を喰われていた。イノシシかサルか。そこから上は雑木林で、それぞれに紅葉や落葉していた。ドングリの生る木も多いが、落ちたカサのわりにドングリが少ない印象。イノシシだなあ。頂上の城跡まわりの木や草を、ボランティアのおっちゃんたちが刈り払っていた。日本では木を切って日光を入れると笹がのさばるとこの本にあったが、なるほど、刈らないとびっしり埋まってしまうみたいだ。
読了日:12月12日 著者:田中 淳夫

イギリスの時事エッセイ。町山智浩のエッセイでアメリカの実情を理解したように、ブレイディみかこはイギリスの実情を教えてくれる。イデオロギーで世界を解釈するのは苦手なので、イギリス政治の基礎知識がない私は世相の説明についていくのが苦しい。しかし彼女らしいパンクぶりを炸裂させる部分は小気味よい。初っ端から生理貧困のネタとは、いや、大事やけんね。王室と皇室は似ているが、女王には法案を拒否する権利があるとか、ポスト・エリザベスに予測される混乱とか、少しずつ知っていこう。『ステーキを求めざる者、梅干しも得ず』。
日本はアメリカの真似っこをしているので、日本で起きることがアメリカのそれに似るのには違和感がないが、イギリスで起きていることもまた似ているのは、いわゆる"先進国"に共通というよりは、成熟の時期を超える国家の宿命をそれぞれに迎えているように感じる。日本もまた、ブロークンの時代なんよね。まさかこんな国になるなんて、という嘆息はイギリスにも日本にも。そういえば「イギリス」はイングリッシュの日本訛りなんですってね。考えたこともなくて恥ずかしい。
読了日:12月10日 著者:ブレイディ みかこ


純国産系統朱鷺の絶滅の記録。日本ではありふれた鳥だったはずの朱鷺は、昭和25年には40羽を切っていた。絶滅に向かわせた原因は、水田の化学肥料・農薬使用による障害と餌(春夏秋は水田の昆虫、ドジョウ、貝類、冬は渓流のサワガニ)の減少、減反に伴う耕作放棄、土地の乱開発が主で、いったん数が減れば捕食者、猟師による罠、豪雪すらも大打撃になるとわかる。この絶滅の流れで重要な点としては、ある臨界点を超えると絶滅を止めることができない点と、環境庁が主導権を握ってからでは、一羽として殖やしも孵しもできなかった点である。
今日本に生息している朱鷺は、中国から貸与または譲渡された朱鷺の子孫だ。いくら何羽も譲ってもらっても、人工繁殖技術が向上しても、朱鷺の生息環境が改善されなければ朱鷺は野生で生きていくことができない。近年取り組まれている環境改善の一つが、減農薬、無農薬での米づくりだ。朱鷺、コウノトリ、ナベヅル、いずれも水田でエサを取る。水田整備及び減農薬・無農薬米づくりは重要な役割を持っている一方、つくっても買って食べる人が増えなければ続かない。これにもまた、協力したい思いを強くした。
環境庁は最後の5羽を強制的に捕獲する手段を取る。人工繁殖を試みる為で、失敗し、結局は全て死なせる。残り5羽になるまで放置しながら、技術でなんとかしようとした点が、今読んでいる「人新世の「資本論」」に出てくる、人工的に気候を操作しようとするジオエンジニアリングに似ていると気付いて瞬いた。末期症状を見せ始めた自然に対し、強硬的/恐慌的/強行的に技術を乱発してなんとかしようとする。それは末期を早めることにしかならない。それはひとつの真理なのだと思う。
読了日:12月06日 著者:小林 照幸


平成25年、流行り言葉の所感から、万葉集の歌に込められた情感まで、雑誌か何かの連載のようなエッセイ集。日本農業新聞のコラムに掲載される俳句や短歌を読むのが私の楽しみだが、俵万智の詠む、または選ぶ歌とは趣が違う。俵万智は都会の暮らしや、荒ぶる情熱を重んじる歌人なのだなと改めて感じた。それから、愛誦性。好きな歌だと、口を突いて出たりするという。読んだ句や歌を一枚の絵のように脳内に映像化してうっとりするだけとは、域が違うのだろう。
読了日:12月05日 著者:俵 万智


久しぶりの京極節。今回の主は古本屋の店主だ。時代を明治に置くことで、一話の登場人物がいったい歴史上の誰であるのか、読み手が推理できる仕掛けになっている。手掛かりは随所にあるので、目を配って推測してみるのだが、だいぶ終盤になってようやく気付くのが悔しい。この店主は『本は墓のようなもの』と言い放つ。続けて『言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物にございます』とくるのだ。我が家の本棚がまるきり納骨堂に思えてきた。これぞという一冊のために、私は溜め続けているのか…。
読了日:12月03日 著者:京極 夏彦

書き出しは『小豆島のお遍路回ってみようかな』と軽い。しかし、読み終えてみれば深い深い体験だったのだと知る。内澤さんの言うように、我が身や親しい人に降りかかる悪しきことのどこからが自分のせいで、どこからがそうでないのか、わからないことすらもが自身を苛む。歩いて歩いて、そのうちに抱えていた辛苦を手放すための装置が、遍路なのだろう。私も歩きたい。車の排気ガスに巻かれながらアスファルトの上を歩く四国遍路じゃなくて、海や山や、岩壁岩窟系寺院を巡る小豆島遍路に私も出たい。身中に滞る全てを解き放つことができたらと願う。
読了日:12月03日 著者:内澤 旬子
注:

2020年12月01日
2020年11月の記録
一日の間に2回交通事故に遭い、自分の足の甲を包丁で峰打ちにし、
来年の手帳を買うはずが今年の手帳を買ってしまい買い直す羽目になる。
今月はいまだかつてない出来事がいくつもあった。
少々本を買いすぎるくらい、かわいいものだと、自分を甘やかしなだめる。
しかし、気は読みたくとも、体と頭がついてこない。
読もうと思って本棚から持ち出した本がリビングに山積みになるのもまたよろしよろし。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用57,639円。
読了13冊。
積読本248冊(うちKindle本77冊、Honto本36冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:13
第三者の感想
なぜ読もうと思ったのだったか思い出せない。そしてこの短編は、以前読んだ短編集に収録されていたことに気づく。サキの短編は容赦なく切れ味がいい。これもまあ、読んでいて美談では済まない予感はひしひしとするのだが、まさかそうくるとはね。彼は恐怖に戦慄しながら馬鹿のようにげらげら笑うのである。なんという場面を思いつくものだろう。ああ、筑摩の短編集にどっぷり溺れたい。「第三者」は原語ではなんという単語なのだろう。訳語のニュアンスが微妙にずれているのではないかと感じる。
読了日:11月30日 著者:サキ
本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへの感想
満足してほしい、健康でいてほしいから「家族のために」つくる料理。幸せになるためにごはんをつくろう!と謳ったコウケンテツも、自身の子育ての中で疑問を持つようになる。映えるレシピ、凝ったレシピが幸せのためにほんとうに必要かと。インスタントラーメンや市販のみかんゼリーを喜ぶ子供たちを見て、真剣に気落ちする様子に微笑んでしまう。彼は断言する。手料理は愛情のバロメーターではなく余裕のバロメーターだと。心の余裕、時間の余裕があってこそ、手料理はできるのだ。子供と食べ物の関係の育て方は、小さい子供のいる家庭におすすめ。
読了日:11月30日 著者:コウケンテツ
日々ごはん〈1〉の感想
高山さんのブログ日記を寝転がってだらだら読む。「富士日記」もこんなふうに読むのがいいのだろう。高山さんは、けっこうちゃんとしてない。寝る、起きるの時間がずるずるで、嫌なら家族のご飯は手抜きして、朝まで飲んだくれる。それでも、スイセイさんもりうちゃんも家族でいてくれる。ああ、普通の人だって、こんなんでええんやんなあ。と思えることが今の私には大きな収穫。セールしていたのでシリーズまとめ買いしたくなったが、高山さんのなんでもない日々のことごとに、それほど親近感があるわけでもないので、やめておくことにする。
読了日:11月28日 著者:高山 なおみ
生きてるかい? (文春文庫)の感想
病んでるときは南木佳士を選んでおけば、間違いない。自分がしばらく元気だったので忘れていた。『状況に慣れて肩の力の抜けたからだは外に向かって開いているから、案外多くの情報をあるがままに受け取っているのだ。そこに妙な力が加わると、五感の入り口が狭まる』。それが今の私だ。気づくと肩や背中を強張らせている。南木さんは自らを開く方法を知っている。『血のめぐりがよくなったからだは外界に向かって開いてゆく。開いたからだには澄んだ大気がもろに入って、よどんだものを追い出してくれる』。床拭きか、稽古か。汗をかきたくなった。
南木さんは「こころ」という単語をを使わない。『からだと精神の微妙な関係を「こころ」でくくってしまったら、多くのものを取りこぼしてしまう気がする』と言う。その感じが、私もわかるようになった。心理学専攻なのに、自分がおかしくなる。「こころ」を越えて、「からだ」に戻ったのだと思う。からだを使って働く人は、とっくに知っている当たり前のことなのだろう。ちょっと、活字を離れる時間を確保しないと。
読了日:11月27日 著者:南木 佳士
あやしい探検隊 焚火酔虎伝 (ヤマケイ文庫)の感想
気分が鬱屈する。そうだ、こういうときは世間の四方山何処吹く風な人のエッセイを読むのがいちばんだ。行きたいところへ行って、他人に構わずしたいことをして、焚火を眺めて酒呑んで話して、"人生の至福の時間"を味わう。「こうなければならない」はなくて、それぞれにいろいろあるからこそ、無意味さの中に意味がある。いわく「焚火酔談」。シーナさんたちはこのとき30代。それからもう30年以上も、彼らはこうして『ほんほだほひだほひだはふはふ』しているのだ。なんて羨ましい。ずりずらりい。
読了日:11月25日 著者:椎名 誠
なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)の感想
『友だちがロマンチックにも毒を盛られるなんて、こんなにゾクゾクすることなんか、めったにあるもんじゃないわ』。待ってました、お侠なお嬢様ヒロイン。緑色のベントレーを乗り回し、変装し、ずいずいと事件に首を突っ込んでいく。人物が多めなこともあるけれど、事態は思わぬ方向、思わぬ方向へと転がって、謎が尽きない。飽きない。そして、犯罪者ってこんなに魅惑的なものだっけ?と思うほど、主人公たちも私も、いつの間にか犯人に肩入れし、勝手に容疑者リストから外してしまっていたことに、真相が判明して気づくのだ。クリスティに万歳。
読了日:11月19日 著者:アガサ クリスティー
文庫本は何冊積んだら倒れるかの感想
ルヌガンガで気になっていた本。『本などに関する、きわめてゆるやかで、のびやかで、すめやかで、ほややかな調査』エッセイの単行本化。このところ心的消耗が激しいので、ほろろんな気持ちになるべく読ませてもらう。しかし本は腐るの項で慄く。曰く積読本には小悪魔が取り付いてロクブリンシチブリンと成長し、ハチブリンで開かなくなるという。ならば私のソローは最早ただの木片と化しているかもしれない。そしてほややかな癖に、カラマーゾフが何人兄弟だったのか、またレ・ミゼラブルのユゴー翁の脱線っぷりを確認したい、ヘヴィな衝動を誘う。
読了日:11月15日 著者:堀井 憲一郎
ミドリ薬品漢方堂のまいにち漢方―体と心をいたわる365のコツの感想
Twitterで人気とのこと。老いも若きも、熱きも冷たきもと、さまざまな体質とライフステージを想定している。加えて、私が基本的には中庸のからだを持っているからだろう、季節に合わせて読み進めても、365日のうち、身に覚えのない日の方が断然多かった。しかし読み終えてぱらぱら見返している今は、あちこち目に留まる。治療と休養が必要と言われるとほろりとする。あらあら。心身に不調があるときに読めばよかったのか。ストレス+パソコンで『血を多く消耗』している状態らしいので、深呼吸を。それからクコの実食べよう。
読了日:11月13日 著者:櫻井 大典
ジャングルの極限レースを走った犬 アーサーの感想
スウェーデンのアドベンチャーレーサーが、レース中についてきた野良犬をエクアドルから連れ帰る。けっこう難関だ。犬と人の繋がりももちろん、アドベンチャーレーサーのメンタルという、常人には理解しがたいやつが興味深かった。『苦しみのなかから湧いてくる力は、自分に備わった能力だと思うんだ』。いや、苦しみとか以前にそもそも人間があえてやるべきことじゃないと思うが、従軍経験とそうかけ離れていないのだろうか。アーサーには、男に棒で殴られたらしい大きな傷がある。なのにまた人間に全幅の信頼を寄せることができる、犬って天使だ。
読了日:11月10日 著者:ミカエル リンドノード,Mikael Lindnord
論語と算盤 (角川ソフィア文庫)の感想
明治六年、渋沢栄一は官僚を辞めて実業家に転じる。商売を振興しなければ日本が発展しないと思ったという。その晩年の訓話をまとめたもので、利を生まなければ商売ではないが、正しき方法で利を生み、経国済民のために使うのが道理と繰り返し説く。現代の御用商人に聞かせてやりたいですな。つまり"論語と算盤"は、武士の道徳と商人の経済の義理合一を説くためのキャッチコピーである。先日の大統領選、バイデン氏の勝利演説について言われるように、世間に「道義的に正しいことを言い続ける」ことの重要性を渋沢翁も心していたと推察できる。
読了日:11月09日 著者:渋沢 栄一
本当のことを言ってはいけない (角川新書)の感想
メルマガの加筆編集本。「本当のことを言ってはいけない」と題したのは編者であろう、著者は言いたい放題、快調そのものである。「国民の知的レベルの二極化」の章が興味深い。日本語で書かれる学術系書籍が減っているのに伴い、一般人の自然科学や人文科学へのリテラシーが低下し、一方で学者の異分野への理解も低下したと指摘するものだ。これは、学者が一般向けに書いた書籍で視野の狭さを感じるものが時々あるので肯ける。結果的に知的中間層が衰退する。この深刻さは上記のみならず、現在の日本学術会議問題にもつながる点、全く些事ではない。
読了日:11月05日 著者:池田 清彦
山のクジラを獲りたくて―単独忍び猟記の感想
銃による狩猟を、しかも単独忍び足で。こんなに魅力的な響きがあるだろうか。『身体が勝手に小枝を避けて歩く』など格好良すぎる。静かな山の中で耳を澄まして、痕跡を探り、獣と対峙し、決着の一瞬を賭ける。30年前に比べ、今では山にいる獣の数が格段に増えているために、昔ではありえなかった単独猟が可能になっているという話には、なるほどと唸った。それにしても、仕留めた獣を水で冷やし、その場で解体し、汚染しないよう肉を包み、担ぎ、道なき斜面を車まで戻る工程を全て独りでこなさなければならない。これは私には無理だな、と悟れた。
まあ、休みのたび山中を彷徨したり、服に獣の血を付けて帰宅したり、毎日銃を点検して、弾の装填と脱包を繰り返し練習したりして生活するには家族の深い深い理解が欠かせない。あと、子供がくっついて歩いている母親は、私には殺せない。シカでもイノシシでも、撃たれて事切れ、斜面を転がり落ちる母親を子供たちは追いかけるという。呼んで鳴き続けるという。奪わずに済むなら、獣であっても子供から母親を奪いたくない。猟師の本分からも、農作物に害成す獣を減らす向きからも、この感傷は邪魔だろうな。
読了日:11月03日 著者:武重 謙
ローカリズム宣言―「成長」から「定常」への感想
内田先生のいつものお話。最近書かれている、これからの日本社会についてのトピックが集まっている感じ。成長主義経済から定常化経済へ。グローバル化からローカル化へ。資本主義の終わりから、まだ見えない潮流の始まりに向けて。いや、それは実はもう始まっていて、片鱗は方々に見えているのだ。その先に何があるのか、矯めつ眇めつ考察する内田先生のお話はやっぱり面白い。「廃県置藩」は興味深いアイデアだ。藩は日本の山河による境目に合わせて形づくられたと聞いたことがある。そうなったら、おもしろいことになりそうだなあと妄想する。
3.11の後、すぐに避難した人と、しばらく経って避難した人の違いについての考察が興味深い。直感で判断するか、論理で判断するかの差だとすれば、私は後者だろう。良い悪いを言っているのではないと内田先生は言う。ただ、内田先生の武道論からいえば、直感で逃げることのできる人の方が動物的能力が高く、生き延びる可能性も高いことになる。考えて考え抜いてから動く。そのことにデメリットというべきか、一歩遅れることのほかにも、どこか事態に齟齬を生む要素がある気がする。直感と論理の働きの違い? この違和感を覚えておく。
読了日:11月01日 著者:内田 樹
注:
は電子書籍で読んだ本。
来年の手帳を買うはずが今年の手帳を買ってしまい買い直す羽目になる。
今月はいまだかつてない出来事がいくつもあった。
少々本を買いすぎるくらい、かわいいものだと、自分を甘やかしなだめる。
しかし、気は読みたくとも、体と頭がついてこない。
読もうと思って本棚から持ち出した本がリビングに山積みになるのもまたよろしよろし。
<今月のデータ>
購入23冊、購入費用57,639円。
読了13冊。
積読本248冊(うちKindle本77冊、Honto本36冊)。

11月の読書メーター
読んだ本の数:13

なぜ読もうと思ったのだったか思い出せない。そしてこの短編は、以前読んだ短編集に収録されていたことに気づく。サキの短編は容赦なく切れ味がいい。これもまあ、読んでいて美談では済まない予感はひしひしとするのだが、まさかそうくるとはね。彼は恐怖に戦慄しながら馬鹿のようにげらげら笑うのである。なんという場面を思いつくものだろう。ああ、筑摩の短編集にどっぷり溺れたい。「第三者」は原語ではなんという単語なのだろう。訳語のニュアンスが微妙にずれているのではないかと感じる。
読了日:11月30日 著者:サキ


満足してほしい、健康でいてほしいから「家族のために」つくる料理。幸せになるためにごはんをつくろう!と謳ったコウケンテツも、自身の子育ての中で疑問を持つようになる。映えるレシピ、凝ったレシピが幸せのためにほんとうに必要かと。インスタントラーメンや市販のみかんゼリーを喜ぶ子供たちを見て、真剣に気落ちする様子に微笑んでしまう。彼は断言する。手料理は愛情のバロメーターではなく余裕のバロメーターだと。心の余裕、時間の余裕があってこそ、手料理はできるのだ。子供と食べ物の関係の育て方は、小さい子供のいる家庭におすすめ。
読了日:11月30日 著者:コウケンテツ

高山さんのブログ日記を寝転がってだらだら読む。「富士日記」もこんなふうに読むのがいいのだろう。高山さんは、けっこうちゃんとしてない。寝る、起きるの時間がずるずるで、嫌なら家族のご飯は手抜きして、朝まで飲んだくれる。それでも、スイセイさんもりうちゃんも家族でいてくれる。ああ、普通の人だって、こんなんでええんやんなあ。と思えることが今の私には大きな収穫。セールしていたのでシリーズまとめ買いしたくなったが、高山さんのなんでもない日々のことごとに、それほど親近感があるわけでもないので、やめておくことにする。
読了日:11月28日 著者:高山 なおみ


病んでるときは南木佳士を選んでおけば、間違いない。自分がしばらく元気だったので忘れていた。『状況に慣れて肩の力の抜けたからだは外に向かって開いているから、案外多くの情報をあるがままに受け取っているのだ。そこに妙な力が加わると、五感の入り口が狭まる』。それが今の私だ。気づくと肩や背中を強張らせている。南木さんは自らを開く方法を知っている。『血のめぐりがよくなったからだは外界に向かって開いてゆく。開いたからだには澄んだ大気がもろに入って、よどんだものを追い出してくれる』。床拭きか、稽古か。汗をかきたくなった。
南木さんは「こころ」という単語をを使わない。『からだと精神の微妙な関係を「こころ」でくくってしまったら、多くのものを取りこぼしてしまう気がする』と言う。その感じが、私もわかるようになった。心理学専攻なのに、自分がおかしくなる。「こころ」を越えて、「からだ」に戻ったのだと思う。からだを使って働く人は、とっくに知っている当たり前のことなのだろう。ちょっと、活字を離れる時間を確保しないと。
読了日:11月27日 著者:南木 佳士

気分が鬱屈する。そうだ、こういうときは世間の四方山何処吹く風な人のエッセイを読むのがいちばんだ。行きたいところへ行って、他人に構わずしたいことをして、焚火を眺めて酒呑んで話して、"人生の至福の時間"を味わう。「こうなければならない」はなくて、それぞれにいろいろあるからこそ、無意味さの中に意味がある。いわく「焚火酔談」。シーナさんたちはこのとき30代。それからもう30年以上も、彼らはこうして『ほんほだほひだほひだはふはふ』しているのだ。なんて羨ましい。ずりずらりい。
読了日:11月25日 著者:椎名 誠


『友だちがロマンチックにも毒を盛られるなんて、こんなにゾクゾクすることなんか、めったにあるもんじゃないわ』。待ってました、お侠なお嬢様ヒロイン。緑色のベントレーを乗り回し、変装し、ずいずいと事件に首を突っ込んでいく。人物が多めなこともあるけれど、事態は思わぬ方向、思わぬ方向へと転がって、謎が尽きない。飽きない。そして、犯罪者ってこんなに魅惑的なものだっけ?と思うほど、主人公たちも私も、いつの間にか犯人に肩入れし、勝手に容疑者リストから外してしまっていたことに、真相が判明して気づくのだ。クリスティに万歳。
読了日:11月19日 著者:アガサ クリスティー


ルヌガンガで気になっていた本。『本などに関する、きわめてゆるやかで、のびやかで、すめやかで、ほややかな調査』エッセイの単行本化。このところ心的消耗が激しいので、ほろろんな気持ちになるべく読ませてもらう。しかし本は腐るの項で慄く。曰く積読本には小悪魔が取り付いてロクブリンシチブリンと成長し、ハチブリンで開かなくなるという。ならば私のソローは最早ただの木片と化しているかもしれない。そしてほややかな癖に、カラマーゾフが何人兄弟だったのか、またレ・ミゼラブルのユゴー翁の脱線っぷりを確認したい、ヘヴィな衝動を誘う。
読了日:11月15日 著者:堀井 憲一郎

Twitterで人気とのこと。老いも若きも、熱きも冷たきもと、さまざまな体質とライフステージを想定している。加えて、私が基本的には中庸のからだを持っているからだろう、季節に合わせて読み進めても、365日のうち、身に覚えのない日の方が断然多かった。しかし読み終えてぱらぱら見返している今は、あちこち目に留まる。治療と休養が必要と言われるとほろりとする。あらあら。心身に不調があるときに読めばよかったのか。ストレス+パソコンで『血を多く消耗』している状態らしいので、深呼吸を。それからクコの実食べよう。
読了日:11月13日 著者:櫻井 大典

スウェーデンのアドベンチャーレーサーが、レース中についてきた野良犬をエクアドルから連れ帰る。けっこう難関だ。犬と人の繋がりももちろん、アドベンチャーレーサーのメンタルという、常人には理解しがたいやつが興味深かった。『苦しみのなかから湧いてくる力は、自分に備わった能力だと思うんだ』。いや、苦しみとか以前にそもそも人間があえてやるべきことじゃないと思うが、従軍経験とそうかけ離れていないのだろうか。アーサーには、男に棒で殴られたらしい大きな傷がある。なのにまた人間に全幅の信頼を寄せることができる、犬って天使だ。
読了日:11月10日 著者:ミカエル リンドノード,Mikael Lindnord


明治六年、渋沢栄一は官僚を辞めて実業家に転じる。商売を振興しなければ日本が発展しないと思ったという。その晩年の訓話をまとめたもので、利を生まなければ商売ではないが、正しき方法で利を生み、経国済民のために使うのが道理と繰り返し説く。現代の御用商人に聞かせてやりたいですな。つまり"論語と算盤"は、武士の道徳と商人の経済の義理合一を説くためのキャッチコピーである。先日の大統領選、バイデン氏の勝利演説について言われるように、世間に「道義的に正しいことを言い続ける」ことの重要性を渋沢翁も心していたと推察できる。
読了日:11月09日 著者:渋沢 栄一


メルマガの加筆編集本。「本当のことを言ってはいけない」と題したのは編者であろう、著者は言いたい放題、快調そのものである。「国民の知的レベルの二極化」の章が興味深い。日本語で書かれる学術系書籍が減っているのに伴い、一般人の自然科学や人文科学へのリテラシーが低下し、一方で学者の異分野への理解も低下したと指摘するものだ。これは、学者が一般向けに書いた書籍で視野の狭さを感じるものが時々あるので肯ける。結果的に知的中間層が衰退する。この深刻さは上記のみならず、現在の日本学術会議問題にもつながる点、全く些事ではない。
読了日:11月05日 著者:池田 清彦


銃による狩猟を、しかも単独忍び足で。こんなに魅力的な響きがあるだろうか。『身体が勝手に小枝を避けて歩く』など格好良すぎる。静かな山の中で耳を澄まして、痕跡を探り、獣と対峙し、決着の一瞬を賭ける。30年前に比べ、今では山にいる獣の数が格段に増えているために、昔ではありえなかった単独猟が可能になっているという話には、なるほどと唸った。それにしても、仕留めた獣を水で冷やし、その場で解体し、汚染しないよう肉を包み、担ぎ、道なき斜面を車まで戻る工程を全て独りでこなさなければならない。これは私には無理だな、と悟れた。
まあ、休みのたび山中を彷徨したり、服に獣の血を付けて帰宅したり、毎日銃を点検して、弾の装填と脱包を繰り返し練習したりして生活するには家族の深い深い理解が欠かせない。あと、子供がくっついて歩いている母親は、私には殺せない。シカでもイノシシでも、撃たれて事切れ、斜面を転がり落ちる母親を子供たちは追いかけるという。呼んで鳴き続けるという。奪わずに済むなら、獣であっても子供から母親を奪いたくない。猟師の本分からも、農作物に害成す獣を減らす向きからも、この感傷は邪魔だろうな。
読了日:11月03日 著者:武重 謙


内田先生のいつものお話。最近書かれている、これからの日本社会についてのトピックが集まっている感じ。成長主義経済から定常化経済へ。グローバル化からローカル化へ。資本主義の終わりから、まだ見えない潮流の始まりに向けて。いや、それは実はもう始まっていて、片鱗は方々に見えているのだ。その先に何があるのか、矯めつ眇めつ考察する内田先生のお話はやっぱり面白い。「廃県置藩」は興味深いアイデアだ。藩は日本の山河による境目に合わせて形づくられたと聞いたことがある。そうなったら、おもしろいことになりそうだなあと妄想する。
3.11の後、すぐに避難した人と、しばらく経って避難した人の違いについての考察が興味深い。直感で判断するか、論理で判断するかの差だとすれば、私は後者だろう。良い悪いを言っているのではないと内田先生は言う。ただ、内田先生の武道論からいえば、直感で逃げることのできる人の方が動物的能力が高く、生き延びる可能性も高いことになる。考えて考え抜いてから動く。そのことにデメリットというべきか、一歩遅れることのほかにも、どこか事態に齟齬を生む要素がある気がする。直感と論理の働きの違い? この違和感を覚えておく。
読了日:11月01日 著者:内田 樹
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