2019年06月01日
2019年5月の記録
7月14日にサンポートで開催される「海の見える一箱古本市」への出店が決まりました。
初めての出店でドキドキものだった前回を踏まえて、いざ2回目の参加へ!
一箱古本市へ個人で出店ということは、自分が読んだ本を並べて販売するわけです。
そのタイトルにピンときてくれるお客さんに出会えたときの快感といったら!
積読の、主にノンフィクション/フィクションのハードカバー本を消化に努めます。
前回の売れ残りも、たいがいな冊数あるので、大量出品になる予感。。。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用14,342円。
読了14冊。
積読本168冊(うちKindle本60冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:14
あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)の感想
文字の発生が心という認識を生んだ。それまで身体の思考に従って生きていたのが、心の存在を前提に思考するようになったために、たくさんの矛盾や主客転倒が生まれた。人生を辛くするのは「心」の仕業。心と世界のあわいとしての身体など、様々な切り口から心について、「あわい」について説明する。安田さんは多彩な能楽師だとは思っていたが、麻雀やポーカー、甲骨文字、ナイトクラブでのピアノ弾きなど経験も豊富なら読書の質と量も生半可ではなく、古典読解に基づく文章は、平明なのにずっしりきた。
「からだ」についての言及がここにも。からだと魂を別扱いするのは古代ギリシャ以来の西洋のやり方である。日本人は身体と魂との統一体としての身をそのまま受け入れてきた、その印は古来の文書にみることができる。器としてのからだに満ちるものまとめて「からだ」。把握も制御も必要ない、直感も実感も直結した身体の思考のまま生きられたらどんなに心地よいだろう。そこにできるだけ近づいて生きるためにも、自分があわいを感じられる場所は大事にしないといけないな。
読了日:05月29日 著者:安田登
好奇心を“天職"に変える空想教室の感想
中学生か、がんばれば小学生でも読めそうだ。人間が今までできなかったことを実現する人になろう。という夢いっぱいに生きるための応援歌。著者は何度も言う。『なんぼでも』。『なんでも』。物づくりの知識も材料も、現代では手に入りやすくなった。子供の頃の「ボタンがあったら押してみたい」気持ちは諦めるんじゃなくて、やってみる。やめるんじゃなくて、他の方法を考えてみる。それを続ける。一生懸命は「一生、好きでいて」だという説明が素敵。好きなことは、止めろと言われてもやったほうがいい。んで、「ちゃんとしているふり」はやめる。
読了日:05月28日 著者:植松 努
身体の聲 武術から知る古の記憶の感想
内田先生との対談と重なる部分もあるし、師匠づてに伺った話題もある。こうして本にすると、光岡さんが身体について深く考察し実践されてきた真面目な姿勢がよくわかる。今と昔とでは生活様式も労働観も違い、従って身体性能も身体観も違う。なのに古人と同じ稽古で修練はできるのか。その昔、意拳発祥の背景にも身体の世代間ギャップがあった、だから站椿が生まれたという推論が鮮烈だった。その站椿は現在にも有意だ。『無中生有』。実感が無い=ニュートラルな状態にしておいて、初めて意を生ず。有ることの兆しが感覚。先日の稽古につながった。
肩より肚や足腰への「集注」。気を沈めることを、先日の稽古ではやっていたのだな。やってみると、自分が思っていた気の沈め方では甘かった。『肚や丹田は足裏が土に接するところまである』という光岡さんの表現に近かったような気もする。あれは集まれているのか。動ける「状態」なのか。いろんな"感じ"を感じてみて、区別出来るようになれることが「こと分けて観る」の実践なのだろうと思った。
「からだ」の日本語表現についての言説も新鮮だった。體、体、躰、躯とたくさん表現があるのは、古来日本人が多様性を知っていた証拠。そもそもの詰まった體に戻ることへの志向。身と体は中身と器なのに身体ではごっちゃ。南木佳士が「からだ」という表現を選んで使っているのは、偶然か必然か、病の中で得た実感で、それは正しいのだろう。
読了日:05月27日 著者:光岡英稔
牛たちの知られざる生活の感想
牛と人間が共生する在り方として、最も理想的な光景ではないか。この農場は数十年に渡り、広大な敷地に牛を放し飼いしている。牛たちは行きたい場所へ行き、食べたい草を選んで食べる。家族や友達と過ごし、手助けが必要な時は人間に目配せをする。犬や猫の飼い主がそう感じるのと同様、牛は人間に意思表示をする。集約管理型の農場では薬物投与が欠かせないのに対し、放し飼いの農場では牛が病気になりにくい。心地よく生きるための方法は牛自身が知っている。自ら癒やすための行動を取る知性は備わっており、免疫力も高い。悪いことなど何も無い。
牛の自由な行動を制限しないことで、牛の額の幅は広くなり、顔つきや行動は変わるという。数世代放し飼いを続ければ、牛から牛への知恵の伝達が出来、知性は蓄積される。集約管理式と放し飼い式では脳の大きさが30%も変わってくるなんて、信じられるだろうか? 牛舎に詰め込まれた牛が愚かに見えるのは、人間が牛から知性を発揮する生を奪ったからなのだ。東日本大震災で放たれた牛たちが用水路から上がれなくなって衰弱死したが、もし日頃から屋外で過ごしていたら、知恵を得ていたら、水路にはまり込むこともなかったに違いない。
読了日:05月25日 著者:ロザムンド・ヤング
佐藤優の集中講義 民族問題 (文春新書)の感想
民族の定義など、理論の部分は難しめで飲み込みづらいが、今の日本やばいと感じている人にはお勧めだ。『自分たちの民族意識のなかには、常に病理が潜んでいる可能性がある』。『もし他国がおかしいと見えるときには、自国のナショナリズムに病理が発生している』。今の日本のメディアに充満している日本人凄い病はまさにそれだろう。ヘイト本もそれだろう。病理は既にある。ナショナリズムを煽ることはできても、コントロールすることは誰にもできない。とすれば行きつくところまで行くしかないということになる。その覚悟が私たちにあるだろうか?
一方、『差別が構造化していると、それを克服するために分離独立運動が出てくる』。国内では沖縄がそれだ。事が起こるにつけ、本土人だって沖縄のためになにかすべきだと思ってきたが、佐藤氏はそう考えない。沖縄のことは沖縄人が徹底的に議論すべきで、当事者性のない人はよそのナショナリズムに関与すべきでないとある。歯がゆいが、成り行きを見守るしかないのか。
外国のこともそうだ。過去の事例を説きながら、紛争が始まったときに周囲ができるのは重火器が入らないようにすることだけと指摘する。あとは徹底的に戦わせ、当事者同士が交渉・合意に至るしかないと。関与や仲裁や介入は泥沼しか生まないと。泥沼しか生まなかった例は、私が生きている間に起こったものだけでもごろごろある。"エスノクレンジング"という概念をおぼろげながら理解したとき、ぞっとした。民族自体が存在しなくなれば…確かに摩擦も衝突もなくなる。そしてそれは、これまでにも何度も起きてきたことなのだ。
読了日:05月23日 著者:佐藤 優
あやしい探検隊 台湾ニワトリ島乱入の感想
男って何歳になっても少年の心持ってるんやなぁ。その少年の部分を表に出せる男は馬鹿な行動をしていても魅力的だし、社会の中で押し隠して生きる男はくたびれて見えるんだろう。さて、少年の心丸出しに、台湾の片田舎で合宿する男共、約30名。その中心にいるのが生ける伝説椎名誠だ。料理をする。釣りをする。夜市へ繰り出す。野球をする。そして毎日底なしにビールを飲む。『みんな付き合いが長いからねえ。だからここまでやってきたんだから、みんなさらにもっと元気で長く生きて、一緒にもっといろんなバカをやって遊ぼうな、と思うんだよ』。
読了日:05月23日 著者:椎名 誠
ぜったいに おしちゃダメ?の感想
「空想教室」を読んでいて思い出したのがこの絵本。先週、ジュンク堂で面陳してあったので立ち読みしたのだった。ストーリーとしては、押した結果いろんな作用が現れて楽しいね、の本。押せるところと、笑えるところが子供に受けるらしい。しかし今日、「空想教室」を読んで思うのは、子供には、押したら怒られるから、目の前のボタンを押すことを選択できる子になってほしいということ。押したら怒られるからと、押すのを我慢する子にはなってほしくないということ。姪っ子にスイッチ付で買うことに決めた。
読了日:05月19日 著者:ビル・コッター
読書間奏文の感想
期待されているであろうセカオワのピアニストとしてのエピソードと、読んだ本の一節の釣り合いが良い。虚構でなく自身の心象と強く結びついていることが容易に想像できる。ウィスキーのエピソードの意外性や、主に小説が選ばれる中にエッセイやフェミニズム批評を挟んでくるさじ加減も、にくい。そもそも、冒頭の図書室のエピソードでぐっと掴まれた。図書室の暗幕カーテンにくるまっていた私、本のページから視線を逸らさないよう努めていた私の記憶が一緒になって震えた。さおり蛙さん、大丈夫。大海に出られますよ。私はその姿を見たいです。
読了日:05月19日 著者:藤崎 彩織
丁先生、漢方って、おもしろいです。 (朝日文庫)の感想
漢方の知識を聞きかじって以来、漢方薬を常用するようになった。ちょっと調子が悪いだけで気軽に飲める。とても調子が良い。その流れで、漢方医の見かたで人間を見るこの本に出会った。まるで今まで生きてきた世界を真横から見るような転換を感じた。そのくらい人間の体の捉え方が違う。遺伝子レベルまで解析する西洋医学と、人間全体を眺める伝統医学。西洋医学的診断と漢方薬を統合的に使う日本の処方は、神道と仏教の扱いにも似て、ファジーでありながら実利的だ。こうなると、これまでの人生で摺り込まれた概念どもを変換する必要があるな。
読了日:05月19日 著者:丁宗鐵,南伸坊
イラクの小さな橋を渡っての感想
アメリカ同時多発テロが2001年。著者がイラクを訪れた2002年は、米英の首脳が虚偽の発言を繰り返した、イラク戦争開戦前夜だ。一般的な知識から、イラク人の人柄や生活ぶりを一般人の目で見、所感を述べる内容になっている。先月は平成の時代を振り返るテレビ番組が乱発された。なんとなく観ていて、イラク戦争は一つの転機であったのだと思った。国家を動かす立場にある人間が、故意に虚偽を宣言し、侵攻の口実をつくり、他国の人民の丁寧な生活と未来を奪う時代の始まり。イラクはそこらの自称先進国より、はるかに豊かな国だった。
読了日:05月19日 著者:池澤 夏樹
ザ・町工場の感想
業種も立場も近いので、人を育てるにあたっての課題は同じ。そのやりかたはとても参考になる。社内ルールを決めたら徹底して守らせる。ただそれだけのことが、難しい。怒りに任せて険のある言葉を突きつけるよりは、率直かつ配慮ある物言いのほうが、相手には届く。そのためには、反射的に返すのではなく、最も効果的な機を狙い、フラットな心もちで、練った言葉を伝えるのだ。腹が立ったら社員への思いを思い出せ。この著者は言い回しもタイミングもほんとに絶妙。『私を怒らせない言葉に直して言ってごらん』なんて、私も今度、絶対言ってやる。
サーバント・リーダーシップ:組織全体に奉仕し、部下との間にWin-Winの関係を築くことを旨とする。一方的に命令するのではなく、部下の意見を傾聴し、適切なアドバイスを送ることで信頼関係を醸成する。部下の失敗に対しても無意味に叱り飛ばすことはなく、失敗の原因をともに突き止めそこから学ぶ環境づくりを心がけることで、組織として同じ失敗を繰り返さないようにする。
読了日:05月16日 著者:諏訪 貴子
神なるオオカミ・下の感想
モンゴルの青い空と大草原。オオカミの空を翔ける幻を見たい。ぽっかりと大きな穴の空いたような喪失感が残る。モンゴル民族が、厳しい自然環境だからこそ生み出し、守り続けた古来の知恵こそがタンゴルの教え。故郷を愛するがゆえに信じ、守ることができるのだろう。外から来て、愛する気がなければ、いずれは破壊と略奪しかない。この普遍の真実を、教養ある漢民族の青年に目撃させることで地球まるごとに広がる物語になっている。獣たちの魂も愛せないで、人間はいったい何をわかったつもりになってるんだろう。どこへ行けると思っているのか。
『陳陣は両手を高くあげ、青空を仰ぎみて、かれらの魂がタンゴルで平穏で幸せであるように祈った』。私も祈る。母なる自然は違えど、祈る姿勢は同じ。知りながら救うことのできない私たちを、思い切り噛んでくれ。
読了日:05月10日 著者:姜 戎
忘れられた花園〈下〉 (創元推理文庫)の感想
痛ましく、おぞましい物語だった。「秘密の花園」のモチーフに、ついコテージや花園を心安らぐ場所と思い描く。しかし、対照的に屋敷は暗く、人をがんじがらめに閉じ込めて、住む人々の性根をどうしようもなく醜悪なものに変えてしまった。真相を薄々察したとき、まさかと思いながら鳥肌が立った。ああいった人々が生まれる時点で、屋敷と一族は呪われていたと言いたい。『人生は(中略)手に入れ損なったもので測っちゃ駄目』。でもたったあれだけのものでイライザは満たされなければならなかったのか。あるいは満たされるに足るものがあったのか。
読了日:05月06日 著者:ケイト・モートン
忘れられた花園〈上〉 (創元推理文庫)の感想
ネル。イライザ。彼女たちの過去になにがあったのか。少しずつ明らかになる事実は、一族に連なる女性たちそれぞれの悲しみをも明るみに出し、陰翳の濃い肖像画を並べてゆくようだ。後半になると、なるほど「秘密の花園」の形が見えてくる。屋敷、庭、メイドに庭師、二人の子供。しかし、やはり単純でない思惑と更なる事件が隠されているようで、なんとも不穏な予感がする。その一部は、イライザの穏当ならざる物語のせいでもある。ああ、イライザ。彼女はお屋敷でどのように生きたのか。風景描写が繊細で、バーネットとはまた違った雰囲気がある。
読了日:05月01日 著者:ケイト・モートン
注:
はKindleで読んだ本。
初めての出店でドキドキものだった前回を踏まえて、いざ2回目の参加へ!
一箱古本市へ個人で出店ということは、自分が読んだ本を並べて販売するわけです。
そのタイトルにピンときてくれるお客さんに出会えたときの快感といったら!
積読の、主にノンフィクション/フィクションのハードカバー本を消化に努めます。
前回の売れ残りも、たいがいな冊数あるので、大量出品になる予感。。。

<今月のデータ>
購入13冊、購入費用14,342円。
読了14冊。
積読本168冊(うちKindle本60冊)。

5月の読書メーター
読んだ本の数:14

文字の発生が心という認識を生んだ。それまで身体の思考に従って生きていたのが、心の存在を前提に思考するようになったために、たくさんの矛盾や主客転倒が生まれた。人生を辛くするのは「心」の仕業。心と世界のあわいとしての身体など、様々な切り口から心について、「あわい」について説明する。安田さんは多彩な能楽師だとは思っていたが、麻雀やポーカー、甲骨文字、ナイトクラブでのピアノ弾きなど経験も豊富なら読書の質と量も生半可ではなく、古典読解に基づく文章は、平明なのにずっしりきた。
「からだ」についての言及がここにも。からだと魂を別扱いするのは古代ギリシャ以来の西洋のやり方である。日本人は身体と魂との統一体としての身をそのまま受け入れてきた、その印は古来の文書にみることができる。器としてのからだに満ちるものまとめて「からだ」。把握も制御も必要ない、直感も実感も直結した身体の思考のまま生きられたらどんなに心地よいだろう。そこにできるだけ近づいて生きるためにも、自分があわいを感じられる場所は大事にしないといけないな。
読了日:05月29日 著者:安田登

中学生か、がんばれば小学生でも読めそうだ。人間が今までできなかったことを実現する人になろう。という夢いっぱいに生きるための応援歌。著者は何度も言う。『なんぼでも』。『なんでも』。物づくりの知識も材料も、現代では手に入りやすくなった。子供の頃の「ボタンがあったら押してみたい」気持ちは諦めるんじゃなくて、やってみる。やめるんじゃなくて、他の方法を考えてみる。それを続ける。一生懸命は「一生、好きでいて」だという説明が素敵。好きなことは、止めろと言われてもやったほうがいい。んで、「ちゃんとしているふり」はやめる。
読了日:05月28日 著者:植松 努

内田先生との対談と重なる部分もあるし、師匠づてに伺った話題もある。こうして本にすると、光岡さんが身体について深く考察し実践されてきた真面目な姿勢がよくわかる。今と昔とでは生活様式も労働観も違い、従って身体性能も身体観も違う。なのに古人と同じ稽古で修練はできるのか。その昔、意拳発祥の背景にも身体の世代間ギャップがあった、だから站椿が生まれたという推論が鮮烈だった。その站椿は現在にも有意だ。『無中生有』。実感が無い=ニュートラルな状態にしておいて、初めて意を生ず。有ることの兆しが感覚。先日の稽古につながった。
肩より肚や足腰への「集注」。気を沈めることを、先日の稽古ではやっていたのだな。やってみると、自分が思っていた気の沈め方では甘かった。『肚や丹田は足裏が土に接するところまである』という光岡さんの表現に近かったような気もする。あれは集まれているのか。動ける「状態」なのか。いろんな"感じ"を感じてみて、区別出来るようになれることが「こと分けて観る」の実践なのだろうと思った。
「からだ」の日本語表現についての言説も新鮮だった。體、体、躰、躯とたくさん表現があるのは、古来日本人が多様性を知っていた証拠。そもそもの詰まった體に戻ることへの志向。身と体は中身と器なのに身体ではごっちゃ。南木佳士が「からだ」という表現を選んで使っているのは、偶然か必然か、病の中で得た実感で、それは正しいのだろう。
読了日:05月27日 著者:光岡英稔

牛と人間が共生する在り方として、最も理想的な光景ではないか。この農場は数十年に渡り、広大な敷地に牛を放し飼いしている。牛たちは行きたい場所へ行き、食べたい草を選んで食べる。家族や友達と過ごし、手助けが必要な時は人間に目配せをする。犬や猫の飼い主がそう感じるのと同様、牛は人間に意思表示をする。集約管理型の農場では薬物投与が欠かせないのに対し、放し飼いの農場では牛が病気になりにくい。心地よく生きるための方法は牛自身が知っている。自ら癒やすための行動を取る知性は備わっており、免疫力も高い。悪いことなど何も無い。
牛の自由な行動を制限しないことで、牛の額の幅は広くなり、顔つきや行動は変わるという。数世代放し飼いを続ければ、牛から牛への知恵の伝達が出来、知性は蓄積される。集約管理式と放し飼い式では脳の大きさが30%も変わってくるなんて、信じられるだろうか? 牛舎に詰め込まれた牛が愚かに見えるのは、人間が牛から知性を発揮する生を奪ったからなのだ。東日本大震災で放たれた牛たちが用水路から上がれなくなって衰弱死したが、もし日頃から屋外で過ごしていたら、知恵を得ていたら、水路にはまり込むこともなかったに違いない。
読了日:05月25日 著者:ロザムンド・ヤング

民族の定義など、理論の部分は難しめで飲み込みづらいが、今の日本やばいと感じている人にはお勧めだ。『自分たちの民族意識のなかには、常に病理が潜んでいる可能性がある』。『もし他国がおかしいと見えるときには、自国のナショナリズムに病理が発生している』。今の日本のメディアに充満している日本人凄い病はまさにそれだろう。ヘイト本もそれだろう。病理は既にある。ナショナリズムを煽ることはできても、コントロールすることは誰にもできない。とすれば行きつくところまで行くしかないということになる。その覚悟が私たちにあるだろうか?
一方、『差別が構造化していると、それを克服するために分離独立運動が出てくる』。国内では沖縄がそれだ。事が起こるにつけ、本土人だって沖縄のためになにかすべきだと思ってきたが、佐藤氏はそう考えない。沖縄のことは沖縄人が徹底的に議論すべきで、当事者性のない人はよそのナショナリズムに関与すべきでないとある。歯がゆいが、成り行きを見守るしかないのか。
外国のこともそうだ。過去の事例を説きながら、紛争が始まったときに周囲ができるのは重火器が入らないようにすることだけと指摘する。あとは徹底的に戦わせ、当事者同士が交渉・合意に至るしかないと。関与や仲裁や介入は泥沼しか生まないと。泥沼しか生まなかった例は、私が生きている間に起こったものだけでもごろごろある。"エスノクレンジング"という概念をおぼろげながら理解したとき、ぞっとした。民族自体が存在しなくなれば…確かに摩擦も衝突もなくなる。そしてそれは、これまでにも何度も起きてきたことなのだ。
読了日:05月23日 著者:佐藤 優


男って何歳になっても少年の心持ってるんやなぁ。その少年の部分を表に出せる男は馬鹿な行動をしていても魅力的だし、社会の中で押し隠して生きる男はくたびれて見えるんだろう。さて、少年の心丸出しに、台湾の片田舎で合宿する男共、約30名。その中心にいるのが生ける伝説椎名誠だ。料理をする。釣りをする。夜市へ繰り出す。野球をする。そして毎日底なしにビールを飲む。『みんな付き合いが長いからねえ。だからここまでやってきたんだから、みんなさらにもっと元気で長く生きて、一緒にもっといろんなバカをやって遊ぼうな、と思うんだよ』。
読了日:05月23日 著者:椎名 誠


「空想教室」を読んでいて思い出したのがこの絵本。先週、ジュンク堂で面陳してあったので立ち読みしたのだった。ストーリーとしては、押した結果いろんな作用が現れて楽しいね、の本。押せるところと、笑えるところが子供に受けるらしい。しかし今日、「空想教室」を読んで思うのは、子供には、押したら怒られるから、目の前のボタンを押すことを選択できる子になってほしいということ。押したら怒られるからと、押すのを我慢する子にはなってほしくないということ。姪っ子にスイッチ付で買うことに決めた。
読了日:05月19日 著者:ビル・コッター

期待されているであろうセカオワのピアニストとしてのエピソードと、読んだ本の一節の釣り合いが良い。虚構でなく自身の心象と強く結びついていることが容易に想像できる。ウィスキーのエピソードの意外性や、主に小説が選ばれる中にエッセイやフェミニズム批評を挟んでくるさじ加減も、にくい。そもそも、冒頭の図書室のエピソードでぐっと掴まれた。図書室の暗幕カーテンにくるまっていた私、本のページから視線を逸らさないよう努めていた私の記憶が一緒になって震えた。さおり蛙さん、大丈夫。大海に出られますよ。私はその姿を見たいです。
読了日:05月19日 著者:藤崎 彩織


漢方の知識を聞きかじって以来、漢方薬を常用するようになった。ちょっと調子が悪いだけで気軽に飲める。とても調子が良い。その流れで、漢方医の見かたで人間を見るこの本に出会った。まるで今まで生きてきた世界を真横から見るような転換を感じた。そのくらい人間の体の捉え方が違う。遺伝子レベルまで解析する西洋医学と、人間全体を眺める伝統医学。西洋医学的診断と漢方薬を統合的に使う日本の処方は、神道と仏教の扱いにも似て、ファジーでありながら実利的だ。こうなると、これまでの人生で摺り込まれた概念どもを変換する必要があるな。
読了日:05月19日 著者:丁宗鐵,南伸坊

アメリカ同時多発テロが2001年。著者がイラクを訪れた2002年は、米英の首脳が虚偽の発言を繰り返した、イラク戦争開戦前夜だ。一般的な知識から、イラク人の人柄や生活ぶりを一般人の目で見、所感を述べる内容になっている。先月は平成の時代を振り返るテレビ番組が乱発された。なんとなく観ていて、イラク戦争は一つの転機であったのだと思った。国家を動かす立場にある人間が、故意に虚偽を宣言し、侵攻の口実をつくり、他国の人民の丁寧な生活と未来を奪う時代の始まり。イラクはそこらの自称先進国より、はるかに豊かな国だった。
読了日:05月19日 著者:池澤 夏樹

業種も立場も近いので、人を育てるにあたっての課題は同じ。そのやりかたはとても参考になる。社内ルールを決めたら徹底して守らせる。ただそれだけのことが、難しい。怒りに任せて険のある言葉を突きつけるよりは、率直かつ配慮ある物言いのほうが、相手には届く。そのためには、反射的に返すのではなく、最も効果的な機を狙い、フラットな心もちで、練った言葉を伝えるのだ。腹が立ったら社員への思いを思い出せ。この著者は言い回しもタイミングもほんとに絶妙。『私を怒らせない言葉に直して言ってごらん』なんて、私も今度、絶対言ってやる。
サーバント・リーダーシップ:組織全体に奉仕し、部下との間にWin-Winの関係を築くことを旨とする。一方的に命令するのではなく、部下の意見を傾聴し、適切なアドバイスを送ることで信頼関係を醸成する。部下の失敗に対しても無意味に叱り飛ばすことはなく、失敗の原因をともに突き止めそこから学ぶ環境づくりを心がけることで、組織として同じ失敗を繰り返さないようにする。
読了日:05月16日 著者:諏訪 貴子

モンゴルの青い空と大草原。オオカミの空を翔ける幻を見たい。ぽっかりと大きな穴の空いたような喪失感が残る。モンゴル民族が、厳しい自然環境だからこそ生み出し、守り続けた古来の知恵こそがタンゴルの教え。故郷を愛するがゆえに信じ、守ることができるのだろう。外から来て、愛する気がなければ、いずれは破壊と略奪しかない。この普遍の真実を、教養ある漢民族の青年に目撃させることで地球まるごとに広がる物語になっている。獣たちの魂も愛せないで、人間はいったい何をわかったつもりになってるんだろう。どこへ行けると思っているのか。
『陳陣は両手を高くあげ、青空を仰ぎみて、かれらの魂がタンゴルで平穏で幸せであるように祈った』。私も祈る。母なる自然は違えど、祈る姿勢は同じ。知りながら救うことのできない私たちを、思い切り噛んでくれ。
読了日:05月10日 著者:姜 戎


痛ましく、おぞましい物語だった。「秘密の花園」のモチーフに、ついコテージや花園を心安らぐ場所と思い描く。しかし、対照的に屋敷は暗く、人をがんじがらめに閉じ込めて、住む人々の性根をどうしようもなく醜悪なものに変えてしまった。真相を薄々察したとき、まさかと思いながら鳥肌が立った。ああいった人々が生まれる時点で、屋敷と一族は呪われていたと言いたい。『人生は(中略)手に入れ損なったもので測っちゃ駄目』。でもたったあれだけのものでイライザは満たされなければならなかったのか。あるいは満たされるに足るものがあったのか。
読了日:05月06日 著者:ケイト・モートン

ネル。イライザ。彼女たちの過去になにがあったのか。少しずつ明らかになる事実は、一族に連なる女性たちそれぞれの悲しみをも明るみに出し、陰翳の濃い肖像画を並べてゆくようだ。後半になると、なるほど「秘密の花園」の形が見えてくる。屋敷、庭、メイドに庭師、二人の子供。しかし、やはり単純でない思惑と更なる事件が隠されているようで、なんとも不穏な予感がする。その一部は、イライザの穏当ならざる物語のせいでもある。ああ、イライザ。彼女はお屋敷でどのように生きたのか。風景描写が繊細で、バーネットとはまた違った雰囲気がある。
読了日:05月01日 著者:ケイト・モートン
注:

2019年05月07日
2019年4月の記録
本を持たずに出かけようものなら、もうすぐにそわそわ。
本を読む時間があるかないかの問題ではなく、とにかく落ち着かない。
先日、Kindleを忘れて家を出てしまった。
あれだけ積ん読本があるというのに、手元に今なにもない心もとなさ。
手元に本を置くためだけに書店に駆け込まずにいられないのだ。
病的だね。
<今月のデータ>
購入25冊、購入費用19,279円。
読了17冊。
積読本169冊(うちKindle本60冊)。

4月の読書メーター
読んだ本の数:17
遊歩大全 (ヤマケイ文庫)の感想
秩序と地図のある人間世界を離れ、ただ歩く。広いアメリカには、ただ歩くための場所がたくさんあるだろう。そのバックパックを「家」と見立て、道具のあれこれを綴る。ギアの説明。選び方。使い方。個人的エピソード。これだけ細々と書いたら、そらこの分厚さになるやろ。上半身裸の背に巨大なバックパックを背負ったハイカーのイメージにそぐわない細かさだ。これではギアマニアだと呆気にとられてしまった。物資の空中投下は可だがヘリは不可とか、結局は自分の経験で得た嗜好次第なのだ。"オーバーエンジニアリング"にはいつの時代も要注意。
読了日:04月29日 著者:コリン・フレッチャー
丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫)の感想
この短編集は、庶民や、仙であっても下位の人々を主に置いた。それも、辛い時期を描いたものが多いので、読後感は重い。王の挙動に、民は生そのものを左右される。人の生は儚い。今回は「風信」に印象深い箇所を見つけた。『こんな時代だから必要なんです。それだけは疑いがない。誰かが暦を作らないといけない。だからそれしかできない私たちがやるんです』。今の日本は、きな臭い。何か良くない方へ向かっているように感じる。もしこの先、日本が傾いたとして、それでも私たちは自分にできることをして、生きられるまで生きる。そのことを思った。
読了日:04月29日 著者:小野 不由美
世界を動かす巨人たち <経済人編> (集英社新書)の感想
集英社PR紙「青春と読書」連載。世界の押しも押されぬ経済人9組を取り上げる。間違いのない下調べによる情報であるも、ゴールデンタイムのテレビ番組のような、さらっとなぞるような軽さがある。そして無論、その人の良し悪しを断じるものではない。現在でこそ世界で数本の指に入るような巨大企業を経営するビジネスパーソンにも、来し方とそれぞれ独自の思想がある。それを知り、考えてみよう、ということか。私は20年来のAmazonユーザーだ。Amazonのビジネス手法は別にして、ベゾスの人間的魅力にやられきっているようなものだ。
読了日:04月25日 著者:池上 彰
ケンタロウのいえ中華 ムズカシイことぬき! (講談社のお料理BOOK)の感想
次にいつ使うかわからない調味料なんて要らないでしょ、そんなのなくても大切な人が「おいしい」と笑ってくれる中華はつくれる。とケンタロウは言う。わりと初心者向け。そもそも中華料理の手順がシンプルなのか? なんちゃって中華をよくつくる我が家ではおなじみの食材&調味料が多かった。迫りくる夫の誕生日、夕飯の献立の希望はないそうなので、この中から我が家には珍しい食材の組み合わせを選んでつくってみようと思う。独特のやっつけ口調がケンタロウ風。男子ごはん観るの好きだったんです。ケンタロウ元気になったんかなぁ。
読了日:04月25日 著者:ケンタロウ
日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”の感想
昨今の働き方改革やなんやで、さすがの楽観主義者たる私も機嫌が悪い。しかし未来工業の創業者は明快である。社員には「餅」を与える。氏の言う「餅」とは給料、充二分な余暇、裁量の自由であり、そこには生命の糧という意味以外に、「時間内に終わらせるにはどうすればよいか」「無駄を削って自分たちの分け前を増やす」「いつかこの体制が崩れてしまうと困る」のようなモチベーションをも指す。社員を喜ばせる、喜んだら人間はがんばる。社員は経営者をだますもの、だからこそ自由にさせる。そうされると人間は却って不正ができない…。恐れ入る。
読了日:04月25日 著者:山田 昭男
古武術で蘇えるカラダ―写真と図解実践!今すぐできる (TJ mook)の感想
甲野先生は、自ら発見された武の技法を書籍という二次元媒体で伝える方法を模索されていた。その流れからこの冊子ができたようだ。桑田真澄や末續慎吾らへの指導・助言により、先生の名がスポーツ関係者に知られるようになった時期だろうか。しかし、写真を多用しても、直に先生に触れ、体感しないとあの感覚はわからず、残念ながら理解もできない。養老先生との対談が好い。そういえば共著も出されたのだったか。おそらくこういった身体の持つ可能性を直接知らしめるために、甲野先生は今、日本全国を回りながら講習会を持っておられるのだろう。
読了日:04月22日 著者:甲野 善紀
はちみつ日和 花とミツバチと太陽がくれた薬の感想
前田さんらしい。蜂蜜から始まった今回も、プロポリスや花粉などミツバチにまつわる生産物まで、効能や用途を調べあげては試し、読者の前に鮮やかに示してみせるのだ。単花蜜より百花蜜のほうが様々な植物の持つ力が含まれて効果が高いとか、ニホンミツバチの蜂蜜は西洋ミツバチのものとは違っているとか、クリーム色の蜂蜜の存在とか、ついこちらも奮起してしまう。ただ、石けんと違うのは、蜂蜜はミツバチが命懸けで集めるものだというところ。歯磨き後の蜂蜜と目薬以外はゆっくりいきたい。"純粋な蜂蜜"を探し充てるのは、ほんとうに難しい。
読了日:04月22日 著者:前田京子
悪女について (新潮文庫)の感想
誰に話をさせても、出るわ出るわ、累々と、かつ複雑に絡み合った嘘。彼女は誰に対しても必ず嘘をつき、自ら近づいた者からは必ずなにがしかの物を奪い取っている。自らの嘘に絡め取られ、やせ細り、行き詰まっての結末かと思いきや、そうではないらしいことが明らかになるという趣向。疑われ、憎まれ、たとえ莫大な財産を手に入れても、そんな人生が心地よいはずは決してないと思うのに、何ゆえなのか私にはまったく理解できん。純粋? まさか。逆にあれだけ奪われても、彼女を信じきっている人たちのほうが幸せかもよ。「徹夜本」の帯に偽りなし。
読了日:04月20日 著者:有吉 佐和子
ひとさじのはちみつ 自然がくれた家庭医薬品の知恵の感想
そもそも、蜂蜜を意識して摂るようになったのは、前田京子さんのこの本を読んだのがきっかけだった。手づくり石けんがそうだったように、小さな幸せを、前田さんは心底幸せそうに書かれる。『「このひとさじで元気になる」と思いつつ、なめるはちみつの美味しさは格別』。蜂蜜の三大効用は、幸せな気分、ミネラル類の摂取、殺菌作用だと私は思う。ダイエットという言葉では私の気分は高揚しなかった。以前奥歯が欠けてから、チョコレートなど甘味が触れるとずきんと痛むようになっていた。しかし蜂蜜は、塗りたくっても全く痛まないのだ。不思議。
読了日:04月16日 著者:前田 京子
人生を変える 夜はちみつダイエット (わかさカラダネBooks)の感想
寝る1時間から30分前に、大さじ1杯の純粋蜂蜜を摂るだけ。睡眠の質を向上させることが目的だ。質の良い糖質を睡眠中の脳に補充することで、特に寝入りばなの睡眠の質を上げ、ホルモンを十分に分泌させる。蜂蜜の持つ効能や諸ダイエットについても専門家らしい説明を試みている。地元の大型書店に平積みされていたので目に留まったのだが、著者は超近所の医者だった。けっこう昔からある病院だし、医者だし、信憑性は…あるのかな。ダイエットに関心を持って生きてきてないので、私には判断できない。でも、蜂蜜なめてるけど太ってきてはないよ。
読了日:04月15日 著者:田井 祐爾
夢印 (ビッグコミックススペシャル)の感想
浦沢直樹と聞けばどんだけ長い物語を読まされるかと身構えるが、これは1冊完結と言うので、安心して妹から受け取った。その長い物語の経験を経て、今の巧みさがあるんだろう。時系列の操り方と、説明の抜き加減がますます絶妙だ。これはいつの出来事なのだろう、これはどういう意味を持つのだろう、と物語に浸ることができる。キャラの国籍もわかりづらかったのも、あえての策だったのだろうか。加えて、ヤツの濃すぎるキャラがブラフとなり、帰結点の見えないまま読み耽った。いつのまにやらきれいに収まって、後味もすっきり。楽しかった。
読了日:04月14日 著者:浦沢 直樹
改訂版 愛媛県の山 (新・分県登山ガイド)の感想
香川県の山は挑戦したいものがだいぶ少なくなってしまった。一方お隣の愛媛県はさすが「四国の屋根」、四国山脈つまり中央構造線に沿って、登り甲斐のある、展望の良い、高い山が多い。GWには新しい山に挑戦したかったので、これを古本屋で見つけたのは天啓だと思う。今までは石鎚山一辺倒だったので、これで他の山へも行ける。北側より南側から登る方が緩やかと言われても、北側に住んでるからなぁ。あとは夫に渡しておけば、連れて行ってくれるはずだ。そしてゆくゆくは縦走できるようになれるだろうか。楽しみだ。笹ヶ峰の古道は歩いてみたい。
読了日:04月14日 著者:石川 道夫,丹下 一彦,豊田 康二,新山 隆朝,西田 六助,松井 宏光
極北に駆ける (文春文庫)の感想
偉業をいくつも成し遂げ、失踪というミステリアスかつ非業の最期であったから、植村直巳の名前は永遠となった。しかし30歳そこそこ、冒険魂真っ只中の植村直巳は、現在辺境ノンフを書いている探検野郎たちと変わりない。そして時々繊細に感動する。極地を独り行く冒険の厳しさはもちろん、読みどころはエスキモーの人々が失わない温かさと、人間が犬やアザラシ他の動物と渡り合って生きている強い姿である。エスキモーと日本人は、見た目が似ている。祖先が近いようなことを、エスキモー側も察したようだ。なぜだかじんときた。続きも読みたい。
読了日:04月13日 著者:植村 直己
街と山のあいだの感想
槍や穂高のような超有名どころから地方の低山まであちこち登られているのは、ヤマケイへ就職してからだろう。しかしもともと、歩くのは好きな方のようだ。山にまつわるエッセイ集。職業柄整った文章は読みやすいが、知らない方だけに思い入れは持ち難く、1冊の本となると緩く感じた。山の情緒を語られてもあまり胸が沸き立たない。この大連休に山へ行くために気分を盛り上げたかった点では残念。山屋でなくとも、山にまつわる知人が多いということは、やはり死と近しい業を免れ得ない。同僚や知人を多く亡くす職業柄はお辛そうだ。装丁が好ましい。
読了日:04月12日 著者:若菜晃子
受かる!数学検定3級の感想
重要解法や解説のあとに、問題が三段階で続く。順序立てれば思い出せるのであれば、すっかり忘れていたとしても、順番に解いていけば現役の感覚を思い出すのに難はなく、これ以外の教書は必要ない。計算技能も数理技能も基本は同じ。ただ、経験を積んだぶん、文章の読解力は上がっているので、数理技能を読み解く速度は上がっているかもしれない。ただし早とちりと単純計算ミスが命取りになりそう。最後はマッチ棒や碁石を並べる問題。ほんまにこんなん出るんか??
読了日:04月12日 著者:
過ぎ去りし王国の城 (角川文庫)の感想
久しぶりの宮部作品。中学3年生が主人公ということで、小暮写真館のような優しい展開やブレイブストーリーのような冒険成長譚を予想していたら、まあなんと予想外の連続。ファンタジーのような、SFのような、ホラー要素もあり、社会派要素もあり、フーダニットもあり、見事にミックス構成された物語を楽しみました。原っぱに立つ凝った意匠の扉って、どう考えてもキングのダークタワーだし。この物語の結果が、世界を大きく変えるようなことはなかった。一人の女性を幸せにし、主人公パーティーはこれからもそれぞれの戦いを戦う。ビターな後味。
読了日:04月08日 著者:宮部 みゆき
羆撃ちの感想
猟が好きで好きで、生き方としての猟師を選んだ男の自叙伝。いわゆるマタギではなく、職業ハンターだ。北海道の奥地、自然の中で命を張って羆や鹿と対峙する生活を続けているために、五感といわず全ての感覚器官が鋭くなる。その描写に凄みがある。これが本来、動物としての人間の持つ能力だろう。しかし、この著書の表題は「女神フチ」とすべきだ。羆の返り血で真っ赤に染まった白い牝犬。羆猟犬として疑いなく一級の才能と、伴侶としての健気さに著者は惚れこみ、惜しみなく愛した。フチを失った著者の慟哭は、予想がついていても、胸が詰まった。
読了日:04月01日 著者:久保 俊治
注:
はKindleで読んだ本。
本を読む時間があるかないかの問題ではなく、とにかく落ち着かない。
先日、Kindleを忘れて家を出てしまった。
あれだけ積ん読本があるというのに、手元に今なにもない心もとなさ。
手元に本を置くためだけに書店に駆け込まずにいられないのだ。
病的だね。
<今月のデータ>
購入25冊、購入費用19,279円。
読了17冊。
積読本169冊(うちKindle本60冊)。

4月の読書メーター
読んだ本の数:17

秩序と地図のある人間世界を離れ、ただ歩く。広いアメリカには、ただ歩くための場所がたくさんあるだろう。そのバックパックを「家」と見立て、道具のあれこれを綴る。ギアの説明。選び方。使い方。個人的エピソード。これだけ細々と書いたら、そらこの分厚さになるやろ。上半身裸の背に巨大なバックパックを背負ったハイカーのイメージにそぐわない細かさだ。これではギアマニアだと呆気にとられてしまった。物資の空中投下は可だがヘリは不可とか、結局は自分の経験で得た嗜好次第なのだ。"オーバーエンジニアリング"にはいつの時代も要注意。
読了日:04月29日 著者:コリン・フレッチャー


この短編集は、庶民や、仙であっても下位の人々を主に置いた。それも、辛い時期を描いたものが多いので、読後感は重い。王の挙動に、民は生そのものを左右される。人の生は儚い。今回は「風信」に印象深い箇所を見つけた。『こんな時代だから必要なんです。それだけは疑いがない。誰かが暦を作らないといけない。だからそれしかできない私たちがやるんです』。今の日本は、きな臭い。何か良くない方へ向かっているように感じる。もしこの先、日本が傾いたとして、それでも私たちは自分にできることをして、生きられるまで生きる。そのことを思った。
読了日:04月29日 著者:小野 不由美

集英社PR紙「青春と読書」連載。世界の押しも押されぬ経済人9組を取り上げる。間違いのない下調べによる情報であるも、ゴールデンタイムのテレビ番組のような、さらっとなぞるような軽さがある。そして無論、その人の良し悪しを断じるものではない。現在でこそ世界で数本の指に入るような巨大企業を経営するビジネスパーソンにも、来し方とそれぞれ独自の思想がある。それを知り、考えてみよう、ということか。私は20年来のAmazonユーザーだ。Amazonのビジネス手法は別にして、ベゾスの人間的魅力にやられきっているようなものだ。
読了日:04月25日 著者:池上 彰


次にいつ使うかわからない調味料なんて要らないでしょ、そんなのなくても大切な人が「おいしい」と笑ってくれる中華はつくれる。とケンタロウは言う。わりと初心者向け。そもそも中華料理の手順がシンプルなのか? なんちゃって中華をよくつくる我が家ではおなじみの食材&調味料が多かった。迫りくる夫の誕生日、夕飯の献立の希望はないそうなので、この中から我が家には珍しい食材の組み合わせを選んでつくってみようと思う。独特のやっつけ口調がケンタロウ風。男子ごはん観るの好きだったんです。ケンタロウ元気になったんかなぁ。
読了日:04月25日 著者:ケンタロウ


昨今の働き方改革やなんやで、さすがの楽観主義者たる私も機嫌が悪い。しかし未来工業の創業者は明快である。社員には「餅」を与える。氏の言う「餅」とは給料、充二分な余暇、裁量の自由であり、そこには生命の糧という意味以外に、「時間内に終わらせるにはどうすればよいか」「無駄を削って自分たちの分け前を増やす」「いつかこの体制が崩れてしまうと困る」のようなモチベーションをも指す。社員を喜ばせる、喜んだら人間はがんばる。社員は経営者をだますもの、だからこそ自由にさせる。そうされると人間は却って不正ができない…。恐れ入る。
読了日:04月25日 著者:山田 昭男

甲野先生は、自ら発見された武の技法を書籍という二次元媒体で伝える方法を模索されていた。その流れからこの冊子ができたようだ。桑田真澄や末續慎吾らへの指導・助言により、先生の名がスポーツ関係者に知られるようになった時期だろうか。しかし、写真を多用しても、直に先生に触れ、体感しないとあの感覚はわからず、残念ながら理解もできない。養老先生との対談が好い。そういえば共著も出されたのだったか。おそらくこういった身体の持つ可能性を直接知らしめるために、甲野先生は今、日本全国を回りながら講習会を持っておられるのだろう。
読了日:04月22日 著者:甲野 善紀

前田さんらしい。蜂蜜から始まった今回も、プロポリスや花粉などミツバチにまつわる生産物まで、効能や用途を調べあげては試し、読者の前に鮮やかに示してみせるのだ。単花蜜より百花蜜のほうが様々な植物の持つ力が含まれて効果が高いとか、ニホンミツバチの蜂蜜は西洋ミツバチのものとは違っているとか、クリーム色の蜂蜜の存在とか、ついこちらも奮起してしまう。ただ、石けんと違うのは、蜂蜜はミツバチが命懸けで集めるものだというところ。歯磨き後の蜂蜜と目薬以外はゆっくりいきたい。"純粋な蜂蜜"を探し充てるのは、ほんとうに難しい。
読了日:04月22日 著者:前田京子

誰に話をさせても、出るわ出るわ、累々と、かつ複雑に絡み合った嘘。彼女は誰に対しても必ず嘘をつき、自ら近づいた者からは必ずなにがしかの物を奪い取っている。自らの嘘に絡め取られ、やせ細り、行き詰まっての結末かと思いきや、そうではないらしいことが明らかになるという趣向。疑われ、憎まれ、たとえ莫大な財産を手に入れても、そんな人生が心地よいはずは決してないと思うのに、何ゆえなのか私にはまったく理解できん。純粋? まさか。逆にあれだけ奪われても、彼女を信じきっている人たちのほうが幸せかもよ。「徹夜本」の帯に偽りなし。
読了日:04月20日 著者:有吉 佐和子

そもそも、蜂蜜を意識して摂るようになったのは、前田京子さんのこの本を読んだのがきっかけだった。手づくり石けんがそうだったように、小さな幸せを、前田さんは心底幸せそうに書かれる。『「このひとさじで元気になる」と思いつつ、なめるはちみつの美味しさは格別』。蜂蜜の三大効用は、幸せな気分、ミネラル類の摂取、殺菌作用だと私は思う。ダイエットという言葉では私の気分は高揚しなかった。以前奥歯が欠けてから、チョコレートなど甘味が触れるとずきんと痛むようになっていた。しかし蜂蜜は、塗りたくっても全く痛まないのだ。不思議。
読了日:04月16日 著者:前田 京子

寝る1時間から30分前に、大さじ1杯の純粋蜂蜜を摂るだけ。睡眠の質を向上させることが目的だ。質の良い糖質を睡眠中の脳に補充することで、特に寝入りばなの睡眠の質を上げ、ホルモンを十分に分泌させる。蜂蜜の持つ効能や諸ダイエットについても専門家らしい説明を試みている。地元の大型書店に平積みされていたので目に留まったのだが、著者は超近所の医者だった。けっこう昔からある病院だし、医者だし、信憑性は…あるのかな。ダイエットに関心を持って生きてきてないので、私には判断できない。でも、蜂蜜なめてるけど太ってきてはないよ。
読了日:04月15日 著者:田井 祐爾


浦沢直樹と聞けばどんだけ長い物語を読まされるかと身構えるが、これは1冊完結と言うので、安心して妹から受け取った。その長い物語の経験を経て、今の巧みさがあるんだろう。時系列の操り方と、説明の抜き加減がますます絶妙だ。これはいつの出来事なのだろう、これはどういう意味を持つのだろう、と物語に浸ることができる。キャラの国籍もわかりづらかったのも、あえての策だったのだろうか。加えて、ヤツの濃すぎるキャラがブラフとなり、帰結点の見えないまま読み耽った。いつのまにやらきれいに収まって、後味もすっきり。楽しかった。
読了日:04月14日 著者:浦沢 直樹

香川県の山は挑戦したいものがだいぶ少なくなってしまった。一方お隣の愛媛県はさすが「四国の屋根」、四国山脈つまり中央構造線に沿って、登り甲斐のある、展望の良い、高い山が多い。GWには新しい山に挑戦したかったので、これを古本屋で見つけたのは天啓だと思う。今までは石鎚山一辺倒だったので、これで他の山へも行ける。北側より南側から登る方が緩やかと言われても、北側に住んでるからなぁ。あとは夫に渡しておけば、連れて行ってくれるはずだ。そしてゆくゆくは縦走できるようになれるだろうか。楽しみだ。笹ヶ峰の古道は歩いてみたい。
読了日:04月14日 著者:石川 道夫,丹下 一彦,豊田 康二,新山 隆朝,西田 六助,松井 宏光

偉業をいくつも成し遂げ、失踪というミステリアスかつ非業の最期であったから、植村直巳の名前は永遠となった。しかし30歳そこそこ、冒険魂真っ只中の植村直巳は、現在辺境ノンフを書いている探検野郎たちと変わりない。そして時々繊細に感動する。極地を独り行く冒険の厳しさはもちろん、読みどころはエスキモーの人々が失わない温かさと、人間が犬やアザラシ他の動物と渡り合って生きている強い姿である。エスキモーと日本人は、見た目が似ている。祖先が近いようなことを、エスキモー側も察したようだ。なぜだかじんときた。続きも読みたい。
読了日:04月13日 著者:植村 直己


槍や穂高のような超有名どころから地方の低山まであちこち登られているのは、ヤマケイへ就職してからだろう。しかしもともと、歩くのは好きな方のようだ。山にまつわるエッセイ集。職業柄整った文章は読みやすいが、知らない方だけに思い入れは持ち難く、1冊の本となると緩く感じた。山の情緒を語られてもあまり胸が沸き立たない。この大連休に山へ行くために気分を盛り上げたかった点では残念。山屋でなくとも、山にまつわる知人が多いということは、やはり死と近しい業を免れ得ない。同僚や知人を多く亡くす職業柄はお辛そうだ。装丁が好ましい。
読了日:04月12日 著者:若菜晃子

重要解法や解説のあとに、問題が三段階で続く。順序立てれば思い出せるのであれば、すっかり忘れていたとしても、順番に解いていけば現役の感覚を思い出すのに難はなく、これ以外の教書は必要ない。計算技能も数理技能も基本は同じ。ただ、経験を積んだぶん、文章の読解力は上がっているので、数理技能を読み解く速度は上がっているかもしれない。ただし早とちりと単純計算ミスが命取りになりそう。最後はマッチ棒や碁石を並べる問題。ほんまにこんなん出るんか??
読了日:04月12日 著者:

久しぶりの宮部作品。中学3年生が主人公ということで、小暮写真館のような優しい展開やブレイブストーリーのような冒険成長譚を予想していたら、まあなんと予想外の連続。ファンタジーのような、SFのような、ホラー要素もあり、社会派要素もあり、フーダニットもあり、見事にミックス構成された物語を楽しみました。原っぱに立つ凝った意匠の扉って、どう考えてもキングのダークタワーだし。この物語の結果が、世界を大きく変えるようなことはなかった。一人の女性を幸せにし、主人公パーティーはこれからもそれぞれの戦いを戦う。ビターな後味。
読了日:04月08日 著者:宮部 みゆき

猟が好きで好きで、生き方としての猟師を選んだ男の自叙伝。いわゆるマタギではなく、職業ハンターだ。北海道の奥地、自然の中で命を張って羆や鹿と対峙する生活を続けているために、五感といわず全ての感覚器官が鋭くなる。その描写に凄みがある。これが本来、動物としての人間の持つ能力だろう。しかし、この著書の表題は「女神フチ」とすべきだ。羆の返り血で真っ赤に染まった白い牝犬。羆猟犬として疑いなく一級の才能と、伴侶としての健気さに著者は惚れこみ、惜しみなく愛した。フチを失った著者の慟哭は、予想がついていても、胸が詰まった。
読了日:04月01日 著者:久保 俊治
注:

2019年04月01日
2019年3月の記録
読書メーターの字数制限が255字なので、その枠筒一杯に書くよう心掛けている。
頑張って255字をひねり出す本もあれば、到底足りない本もある。
溢れるように言葉が出てくる類の本は、読んだ甲斐がある。
それだけ何かを感じ、忘れないうちに留めておきたいと思った故だからだ。
というわけで、今月の「街道をゆく」は異論なく今年のメモリアルな1冊。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用9,783円。
読了11冊。
積読本154冊(うちKindle本50冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:11
世界史としての日本史 (小学館新書)の感想
現代は「ほんとうの歴史」を知るのが難しい時代だと思う。政治家は無論、メディアや新聞、知識人であっても、歴史的事実に基づかない事を真実のように断言するからだ。書店の平台も信用してはいけない。この対談のお二人は、歴史の専門家ではない。しかし、各々の目的のために、膨大な著作や資料から歴史の確かなところを押さえる作業を繰り返した結果として、正しい知識を蓄積した知の巨人と成った。半藤氏は戦中戦後の実体験、出口氏は経済面からの分析も興味深い。私はこのお二人の著作を信頼する。一方、これを自虐史観と呼ぶ人を信用しない。
読了日:03月31日 著者:半藤 一利,出口 治明
破戒の感想
一言で言うと、カミングアウトの物語だ。私の学生時代、「穢多」は歴史の教科書に載っていたのみに思う。この身分差別用語そのものはもうないが、似た種類の差別、マイノリティ差別は今も厳然としてあり、それを思い浮かべると現代人の胸にも迫ること間違いない。破戒とは父の戒めを破る事を指す。その音が、破壊と二重写しに見えるのは作者の意図だろうか。人格の破壊、人生の破壊。破壊者は無邪気なものだ。丑松の煩悶の内でも、肉親への裏切りよりも蓮太郎への裏切りのほうが丑松を苦しめた。そしてペテロ。先生と慕うことは信仰に似ている。
読了日:03月24日 著者:島崎 藤村
街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)の感想
李登輝をはじめとする台湾人と会い、話し、読んだ資料と思い合わせて綴った台湾紀行。司馬遼太郎の関心は、いつもどおりそこに生きた人、生きている人のことだ。1990年に台湾総統の座に就いた李登輝は、戦前京大に通い、司馬遼太郎と同時期に日本人として兵役についた経歴を持つ。二人の対話の端々には、同じ時代を生き、共通の体感をしたからこその親しみがにじむ。あの50年の"日本時代"は何だったのだろう。その後の漢民族支配、遡ってオランダの支配。それよりずっと前からの原住民族は16以上といわれ、今も文化は残る。台湾、深い。
『三百年も独力でひとびとが暮らしをつづけてきたこの孤島を、かつて日本がその領土にしたことがまちがいだったように、人間の尊厳という場からいえば、既存のどの国も海を越えてこの島を領有しにくるべきでないとおもった』。
日本人は日清戦争終結から太平洋戦争終結までの50年間、台湾を植民地支配した。その間、ダムや下水などのインフラを整え、本土同様のレベルの大学を設立し、結果的に台湾の発展に寄与した。日本統治の過去がなければ、今の台湾は無い。だとしても、日本のしたことは許されない。なぜなら言語や信仰の押しつけも、文化の否定も、『他民族の自尊心という背骨をくだく』行為だからだ。台湾の宗教は道教、仏教、キリスト教が主である。台北市内の道教の廟を訪れた。その荘厳さ、訪れる人々の熱意にはただただ圧倒された。
一方、当時を生きた台湾人には、「日本人と自分は同じ国の民だった」という意識を未だ持っている人がいることに驚いた。また、台湾を訪れる日本人に台湾の人は概して優しい。こう言ってはなんだが、その後の漢民族の支配がひどすぎたので、対比で日本統治が懐かしく思える面はあるのだろう。だから、その子の世代も日本人を悪くは思っていないというところか。いずれにせよ、ありがたいことだ。台北を案内してくれたおじさんには感謝を伝えたつもりだったけど、今思うと全然言葉が足りない。もっと伝えればよかった。
読了日:03月23日 著者:司馬 遼太郎
台湾の「いいもの」を持ち帰る (講談社の実用BOOK)の感想
台湾へ遊びに行くので、予習に。美味の宝庫とは知っていたけれど、これは期待が高まる。雑貨、調味料、お菓子。著者の「いいもの」センサーの精度も然ることながら、流行りだからと安っちい現代品を求める者に媚びない、台湾人の「これだ」と信じるクオリティを貫いた気概の品の数々は、画面の向こうから私の心をがっちり掴んでしまった。表紙の電気鍋からして既に買い込みたい。そして、よく似た模造品を掴むのは避けたい。散々スクリーンショットしまくった挙句、これから書店に寄って本を手に入れたいと思っている。んで、旅に持って行く。
追記:行った結果から言うと、手に入る店を目指して行かないと手に入らないものばかりだった。ツアーの隙間時間では、これらの品に出会うことはできなかった。残念。
読了日:03月16日 著者:青木 由香
流の感想
青春物語としてもミステリとしても読むことができるが、私は故郷とは何か、どんな慈恵と束縛とを人に与えるかという命題を思った。この物語は葉家3世代が中心にいる。祖父母、両親、自分の時代の持つ色はそれぞれ違うものだ。主人公の時代もまた現代ではない。そして台湾という舞台。山東省から台湾に逃げ渡った祖父、台北の街で産まれ育った主人公、台湾で産まれ日本で育った著者。それぞれ胸に抱く故郷はどこだろう。祖父の持っていた荒々しさ、得体の知れなさは大陸と時代、即ち故郷の生んだもの。モーゼル銃は台湾と彼らの数奇を象徴している。
『どうしようもないことはどうしようもない、わからないものはわからない、解決できない問題は解決できない。それでもじっと我慢をしていれば、その出来事はいずれわたしたちのなかで痛みを抜き取られ、修復不能のままうずもれてゆく。そしてわたしたちを守る翡翠となる。そうだろ、じいちゃん?』
読了日:03月10日 著者:東山 彰良
神なるオオカミ・上の感想
果てしないモンゴルの草原と人々の暮らしの描写にたちまち魅了された。黄羊、犬、馬、羊、牛、野鴨や白鳥、そしてオオカミ。それらの調和を尊ぶ信仰と呼ぶべき民族の心。それは同じオオカミを神と頂いても、日本のそれとは似て非なる。漢民族である主人公は遊牧民族に憧れ、思索し仲間と討論するが、野鴨の卵を大量に食ったり、どうも遊牧民族にはなりきれないようだ。農耕民族と遊牧民族。漢民族とモンゴル民族。古来対立し攻め合ってきた中国の歴史の重奏。その思想や風習は、影響し合いもしたろうか。『オオカミの負けが、草原の負けの前ぶれ』。
読了日:03月09日 著者:姜 戎
駒井式 やさしい韓氏意拳入門の感想
自分を強く戒めたいのは、先生が練習は「量」ではないとおっしゃる件。これを真に受けてはいけない。著者も「質」が欲しいなら「量」は避けて通れないとはっきり指摘している。上達への道、近道はできないようになっているのだ。実戦の感覚すら、できれば手に入れておくべき要素。武術が難しいのは、文字や図にして残すことができない感覚的な部分が肝要だからだ。形を真似ても実がなければ、全く意味がない。だからこそ『感覚的な経験の共有』をすべく、師は弟子に様々な言葉、様々な方法で真髄を伝えようとする。QRは斬新だが、スマホでは、ね。
読了日:03月09日 著者:駒井 雅和
今日もいち日、ぶじ日記 (新潮文庫)の感想
「富士日記」の浮世離れした生活の匂いが私は好きでない。しかし著者は「富士日記」に憧れ、「ぶじ日記」と名づけた。『大人の女の人が、こんなことを本に書いてもいいんだ』と思ったと言う。だからだろう、著者が記す日々の暮らしはのびのびした印象を与え、日々のごはんの記録にも親近感を覚える。料理家なのに『おとついの残り』とか『スーパーで買った』とか、率直で素敵。『みいよう、追い詰められた動物みたいな顔になっとるで。風呂でも入って休憩せんにゃあ』。スイセイさんは優しい。スイセイさんを思う気持ちも文章に滲んでいて、好い。
読了日:03月09日 著者:高山 なおみ
壇蜜日記 (文春文庫 た 92-1)の感想
これだけ積読本があるのに、壇蜜のエッセイなど読んでいる場合か。と思いながら買ってしまった日記風エッセイ。やっぱり彼女は好い。意表を突く事を言おうという企みが見えるのに、嫌らしくない。いたずら心と真面目さ、虚像と素の按配、言葉と文章のセンスが好きだ。朝起きて、触った猫が湿っていたら今日は湿気の多い日。こんな話題を提供してくれる女主人がいる店なら、私は通いたい。と思う時点で、彼女の役割を限定した場所に押し込めているのだろうか。杏仁豆腐が美味しくなかったときに自分の舌を責めるなど、余りの自虐っぷりが心配になる。
読了日:03月08日 著者:壇 蜜
労働時間管理完全実務ハンドブックの感想
勉強して正しくやらねばと思いつつ数年積んでいた労働時間管理のテキスト。来月からの働き方改革関連法施行に伴い、お尻に火がつき、なんとか自社関連部分を読み切った。今回のことで厚生労働省から数多のパンフレットや解説が配布されているが、その内容を理解するには労働時間管理についての基本的な知識がないとさっぱり理解できないのだ。士さんを雇う気がないのであれば、自力で解釈しシステムを整えていくしかない。ぶ厚いが、自社に必要な項を拾えばよいと割り切れば、各項目は端的でありわかりやすい。これから経営者会議用の資料をつくる。
読了日:03月06日 著者:岩崎 仁弥,森 紀男
絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)の感想
ある仮説を立てたとして、その筋が通っていること即ち真実と認定することはできないという研究者のスタンスは重要である。そうなると人類の歴史には、立証の根拠が新発見されるのを待っている数多の仮説があるということだ。人類の犬歯が小さくなっていることからは、争い事の少なさを。歯がないまま数年生きた原人の化石から、協力し合って生きる社会的関係を。人類自身の進化には、祖先がサルの仲間であってほしくない思いなど、見解を歪める偏見や願望がつきまとうけれど、それでも自身のルーツを正しく解明したい思いは強いとわかって誇らしい。
読了日:03月04日 著者:更科 功
注:
はKindleで読んだ本。
頑張って255字をひねり出す本もあれば、到底足りない本もある。
溢れるように言葉が出てくる類の本は、読んだ甲斐がある。
それだけ何かを感じ、忘れないうちに留めておきたいと思った故だからだ。
というわけで、今月の「街道をゆく」は異論なく今年のメモリアルな1冊。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用9,783円。
読了11冊。
積読本154冊(うちKindle本50冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:11

現代は「ほんとうの歴史」を知るのが難しい時代だと思う。政治家は無論、メディアや新聞、知識人であっても、歴史的事実に基づかない事を真実のように断言するからだ。書店の平台も信用してはいけない。この対談のお二人は、歴史の専門家ではない。しかし、各々の目的のために、膨大な著作や資料から歴史の確かなところを押さえる作業を繰り返した結果として、正しい知識を蓄積した知の巨人と成った。半藤氏は戦中戦後の実体験、出口氏は経済面からの分析も興味深い。私はこのお二人の著作を信頼する。一方、これを自虐史観と呼ぶ人を信用しない。
読了日:03月31日 著者:半藤 一利,出口 治明


一言で言うと、カミングアウトの物語だ。私の学生時代、「穢多」は歴史の教科書に載っていたのみに思う。この身分差別用語そのものはもうないが、似た種類の差別、マイノリティ差別は今も厳然としてあり、それを思い浮かべると現代人の胸にも迫ること間違いない。破戒とは父の戒めを破る事を指す。その音が、破壊と二重写しに見えるのは作者の意図だろうか。人格の破壊、人生の破壊。破壊者は無邪気なものだ。丑松の煩悶の内でも、肉親への裏切りよりも蓮太郎への裏切りのほうが丑松を苦しめた。そしてペテロ。先生と慕うことは信仰に似ている。
読了日:03月24日 著者:島崎 藤村


李登輝をはじめとする台湾人と会い、話し、読んだ資料と思い合わせて綴った台湾紀行。司馬遼太郎の関心は、いつもどおりそこに生きた人、生きている人のことだ。1990年に台湾総統の座に就いた李登輝は、戦前京大に通い、司馬遼太郎と同時期に日本人として兵役についた経歴を持つ。二人の対話の端々には、同じ時代を生き、共通の体感をしたからこその親しみがにじむ。あの50年の"日本時代"は何だったのだろう。その後の漢民族支配、遡ってオランダの支配。それよりずっと前からの原住民族は16以上といわれ、今も文化は残る。台湾、深い。
『三百年も独力でひとびとが暮らしをつづけてきたこの孤島を、かつて日本がその領土にしたことがまちがいだったように、人間の尊厳という場からいえば、既存のどの国も海を越えてこの島を領有しにくるべきでないとおもった』。
日本人は日清戦争終結から太平洋戦争終結までの50年間、台湾を植民地支配した。その間、ダムや下水などのインフラを整え、本土同様のレベルの大学を設立し、結果的に台湾の発展に寄与した。日本統治の過去がなければ、今の台湾は無い。だとしても、日本のしたことは許されない。なぜなら言語や信仰の押しつけも、文化の否定も、『他民族の自尊心という背骨をくだく』行為だからだ。台湾の宗教は道教、仏教、キリスト教が主である。台北市内の道教の廟を訪れた。その荘厳さ、訪れる人々の熱意にはただただ圧倒された。
一方、当時を生きた台湾人には、「日本人と自分は同じ国の民だった」という意識を未だ持っている人がいることに驚いた。また、台湾を訪れる日本人に台湾の人は概して優しい。こう言ってはなんだが、その後の漢民族の支配がひどすぎたので、対比で日本統治が懐かしく思える面はあるのだろう。だから、その子の世代も日本人を悪くは思っていないというところか。いずれにせよ、ありがたいことだ。台北を案内してくれたおじさんには感謝を伝えたつもりだったけど、今思うと全然言葉が足りない。もっと伝えればよかった。
読了日:03月23日 著者:司馬 遼太郎


台湾へ遊びに行くので、予習に。美味の宝庫とは知っていたけれど、これは期待が高まる。雑貨、調味料、お菓子。著者の「いいもの」センサーの精度も然ることながら、流行りだからと安っちい現代品を求める者に媚びない、台湾人の「これだ」と信じるクオリティを貫いた気概の品の数々は、画面の向こうから私の心をがっちり掴んでしまった。表紙の電気鍋からして既に買い込みたい。そして、よく似た模造品を掴むのは避けたい。散々スクリーンショットしまくった挙句、これから書店に寄って本を手に入れたいと思っている。んで、旅に持って行く。
追記:行った結果から言うと、手に入る店を目指して行かないと手に入らないものばかりだった。ツアーの隙間時間では、これらの品に出会うことはできなかった。残念。
読了日:03月16日 著者:青木 由香


青春物語としてもミステリとしても読むことができるが、私は故郷とは何か、どんな慈恵と束縛とを人に与えるかという命題を思った。この物語は葉家3世代が中心にいる。祖父母、両親、自分の時代の持つ色はそれぞれ違うものだ。主人公の時代もまた現代ではない。そして台湾という舞台。山東省から台湾に逃げ渡った祖父、台北の街で産まれ育った主人公、台湾で産まれ日本で育った著者。それぞれ胸に抱く故郷はどこだろう。祖父の持っていた荒々しさ、得体の知れなさは大陸と時代、即ち故郷の生んだもの。モーゼル銃は台湾と彼らの数奇を象徴している。
『どうしようもないことはどうしようもない、わからないものはわからない、解決できない問題は解決できない。それでもじっと我慢をしていれば、その出来事はいずれわたしたちのなかで痛みを抜き取られ、修復不能のままうずもれてゆく。そしてわたしたちを守る翡翠となる。そうだろ、じいちゃん?』
読了日:03月10日 著者:東山 彰良

果てしないモンゴルの草原と人々の暮らしの描写にたちまち魅了された。黄羊、犬、馬、羊、牛、野鴨や白鳥、そしてオオカミ。それらの調和を尊ぶ信仰と呼ぶべき民族の心。それは同じオオカミを神と頂いても、日本のそれとは似て非なる。漢民族である主人公は遊牧民族に憧れ、思索し仲間と討論するが、野鴨の卵を大量に食ったり、どうも遊牧民族にはなりきれないようだ。農耕民族と遊牧民族。漢民族とモンゴル民族。古来対立し攻め合ってきた中国の歴史の重奏。その思想や風習は、影響し合いもしたろうか。『オオカミの負けが、草原の負けの前ぶれ』。
読了日:03月09日 著者:姜 戎


自分を強く戒めたいのは、先生が練習は「量」ではないとおっしゃる件。これを真に受けてはいけない。著者も「質」が欲しいなら「量」は避けて通れないとはっきり指摘している。上達への道、近道はできないようになっているのだ。実戦の感覚すら、できれば手に入れておくべき要素。武術が難しいのは、文字や図にして残すことができない感覚的な部分が肝要だからだ。形を真似ても実がなければ、全く意味がない。だからこそ『感覚的な経験の共有』をすべく、師は弟子に様々な言葉、様々な方法で真髄を伝えようとする。QRは斬新だが、スマホでは、ね。
読了日:03月09日 著者:駒井 雅和

「富士日記」の浮世離れした生活の匂いが私は好きでない。しかし著者は「富士日記」に憧れ、「ぶじ日記」と名づけた。『大人の女の人が、こんなことを本に書いてもいいんだ』と思ったと言う。だからだろう、著者が記す日々の暮らしはのびのびした印象を与え、日々のごはんの記録にも親近感を覚える。料理家なのに『おとついの残り』とか『スーパーで買った』とか、率直で素敵。『みいよう、追い詰められた動物みたいな顔になっとるで。風呂でも入って休憩せんにゃあ』。スイセイさんは優しい。スイセイさんを思う気持ちも文章に滲んでいて、好い。
読了日:03月09日 著者:高山 なおみ

これだけ積読本があるのに、壇蜜のエッセイなど読んでいる場合か。と思いながら買ってしまった日記風エッセイ。やっぱり彼女は好い。意表を突く事を言おうという企みが見えるのに、嫌らしくない。いたずら心と真面目さ、虚像と素の按配、言葉と文章のセンスが好きだ。朝起きて、触った猫が湿っていたら今日は湿気の多い日。こんな話題を提供してくれる女主人がいる店なら、私は通いたい。と思う時点で、彼女の役割を限定した場所に押し込めているのだろうか。杏仁豆腐が美味しくなかったときに自分の舌を責めるなど、余りの自虐っぷりが心配になる。
読了日:03月08日 著者:壇 蜜


勉強して正しくやらねばと思いつつ数年積んでいた労働時間管理のテキスト。来月からの働き方改革関連法施行に伴い、お尻に火がつき、なんとか自社関連部分を読み切った。今回のことで厚生労働省から数多のパンフレットや解説が配布されているが、その内容を理解するには労働時間管理についての基本的な知識がないとさっぱり理解できないのだ。士さんを雇う気がないのであれば、自力で解釈しシステムを整えていくしかない。ぶ厚いが、自社に必要な項を拾えばよいと割り切れば、各項目は端的でありわかりやすい。これから経営者会議用の資料をつくる。
読了日:03月06日 著者:岩崎 仁弥,森 紀男

ある仮説を立てたとして、その筋が通っていること即ち真実と認定することはできないという研究者のスタンスは重要である。そうなると人類の歴史には、立証の根拠が新発見されるのを待っている数多の仮説があるということだ。人類の犬歯が小さくなっていることからは、争い事の少なさを。歯がないまま数年生きた原人の化石から、協力し合って生きる社会的関係を。人類自身の進化には、祖先がサルの仲間であってほしくない思いなど、見解を歪める偏見や願望がつきまとうけれど、それでも自身のルーツを正しく解明したい思いは強いとわかって誇らしい。
読了日:03月04日 著者:更科 功

注:

2019年03月01日
2019年2月の記録
読む量と買い込む量が釣り合っていない。
積読を80冊台に減らした時期から一転、絶賛リバウンド中。
せめて質の良いものを摂取しよう。
<今月のデータ>
購入22冊、購入費用16,844円。
読了15冊。
積読本154冊(うちKindle本52冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:15
混ぜる教育の感想
誰も彼も大学に進学できる時代、専攻と職業は必ずしも繋がらない。では大学へ進学した意味は何だったのかと、何度も自問してきた。今思うのは、大学時代はその環境、得た経験で人格をつくる時期だったということ。目の前に15歳の私がいたら「騙されたと思ってAPUへ行け」と言いたい。国際人になる為、国際的な企業に就職する為ではない。"サラダボウルのように"混ぜることで生じる視点や感覚は、現代の細分化された環境では得られ難いのだ。『「混ぜる」というのは混沌を認めること』。それこそ多様性の自覚、生きていくための強さだ。
読了日:02月27日 著者:崎谷 実穂,柳瀬 博一
BEASTARS 5 (少年チャンピオン・コミックス)の感想
おお! またギア上がった。そしてR18要素増えた。そうか、こういうのが描きたかったんか、と納得させてくれた巻。学園もので収める気がないことは、街に出た時点でわかってたことやわね。戦闘方法とか、ケモノネタがよく出てくるもんだなと感心。レゴシもいいキャラ。が。まとめ買いはここまでなので、ここから先も読見続けるかどうかは、Amazonのキャンペーン次第。漫画は私にはコスパが悪くていかん。
読了日:02月23日 著者:板垣巴留
BEASTARS 4 (少年チャンピオン・コミックス)の感想
漫画の連載って、こんな調子だったっけ。記憶が遠すぎて、楽しみにしてた感覚を思い出せない。ひと癖ふた癖ありそうなキャラが続々投入されるんだけど、ネタばらしや解決は先送り気味。日々過ぎていくのに、毎回なんかかんかは出来事が起こっているのに、あれ、もう1冊終わったんかい!だった。ケモノ女子の下着姿への違和感は慣れることも尽きることもない。
読了日:02月22日 著者:板垣巴留
武器なき“環境”戦争 (角川SSC新書)の感想
信頼できる情報の伝え手と信じるお二人の対談。色々唸らされた。出版から日が経ったぶん、じっくり経緯を俯瞰することができる。そもそも地球温暖化対策の流れは、先進国の道義的使命感で発生したものではない。軍事や貿易と同じ種類の、国対国の利権争いが常に裏にある。どの分野なら自国が主導権を握れるかと、各国はインテリジェンスを駆使して戦略をぶつけてくる。京都議定書は二酸化炭素排出権に関して日本がしてやられた墓碑みたいなものだな。『国際的なルールを変えることが、どれくらい大きな影響を及ぼすのか』を今後は考えてみる。
地球温暖化は人間によって引き起こされていることは、ほぼ間違いない。その過程もだいたいわかった。しかし、正確な予測はできないというのが研究者を含めた世界のコンセンサスだ。地球温暖化説の誇張や事実誤認はあっても、もう陰謀論は通用していない。IPCCの報告書等、最先端の知見にアンテナを張ること、メディアの派手な「絵」を鵜呑みにして思考停止に陥らないこと。その姿勢がリテラシーを育てる。
読了日:02月22日 著者:池上 彰,手嶋 龍一
アイネクライネナハトムジーク (幻冬舎文庫)の感想
久しぶりに読んだ伊坂作品は都会的な短編小説。あれだけ人がいたら、人と人のつながりなんてできにくいし、表面的なつながりが切れるのも容易いだろう。そんな中でのちょっとした出会い。そういうのがぽつりぽつりつながって、簡単な編み目みたいになってる、その目の粗さに著者ならではのさじ加減を感じる。この作品、人気があると聞いている。魅力ってどの辺なんだろう。斉藤さん?…斉藤さんね!
読了日:02月21日 著者:伊坂 幸太郎
BEASTARS 3 (少年チャンピオン・コミックス)の感想
うわあ、シカ怖えぇ。ウサギも怖いが、ハイイロオオカミがなに考えてるか見当もつかん。顔中毛だらけなんだもん。そこが読み進めさせる理由ではあったんだけど、このあたりからギア入ってきた感じ。動物の性癖に乗っけた若者の普遍テーマ。ニワトリとかパンダとか、キャラもストーリーも展開が読めないのが楽しくなってきた。そうだそうだ。とかくテーマを読み取ろうとするのは悪い癖だ。読み始めから感じてたキャラの揺らぎが収まってきた。
読了日:02月21日 著者:板垣巴留
人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか (ブルーバックス)の感想
『私たちはいつか、今と似ていない時代を生きなくてはならなくなる』。地球上全てが凍った時代があり、南極にも北極にも氷床がない時代もあった。80万年前から現代までは、気温差20℃程度の寒暖を繰り返してきた。数万年分の水月湖の堆積物を中心とした物的資料が既知の現象や理論と一致する様は、真実を直感させる。人類が絶滅する可能性をどんな小説より近く感じた。気候は変わり続ける。二重振り子の喩えは妙で、数年での激変だってあり得るのだ。人類は生きられるところまで生きるしかないのだと思った。巨大な命題。胸震える熱い本だった。
20世紀の100年間で北半球の気温が約1℃上昇した事実を『東京は宮崎になった』、また日本の氷期が今より10℃ほど寒かった事実を『鹿児島が札幌だった』と表現するなど、一般読者が理解しやすくするための書き方の工夫が非常に的確。次作を楽しみに待ちたい。
今は気候が安定しているほうだ。しかし人類が繁栄している今は地球にとってはほんの一瞬の均衡状態でしかない。時が過ぎれば気候は変わり、気温が変われば植生も変わる。変動後には人類の生活スタイルそのものが激変せざるを得ない事実に瞠目した。農耕ができない気候の到来。遠からず人類は絶滅すると言った福岡博士の言葉を思い出した。問題は、デイ・アフター・トゥモローに続く日々なのだ。
温室効果ガスについての仮説。氷に閉じ込められた過去の大気を分析して得られる結果が、推測値を大きく外れて増加推移している事実がある。それも産業革命が起きた100年前頃からではなく、8000年前頃からである。そしてそれが、人類が森林伐採と水田農耕を始めた時期と一致することの意味を考える。ようやく、人間ごときが地球の気候に影響を及ぼすことなどできないのではという疑念を潰すことができた。さらには、人類が温室効果ガスを増やしたことが、氷期の到来を遅らせている可能性の指摘には、絶大なインパクトがある。
読了日:02月20日 著者:中川 毅
終わりと始まり 2.0の感想
2013年から2017年にかけて朝日新聞夕刊に掲載されたエッセイ。3.11、原発、沖縄、どれも大事な問題だし、正当な論だと思う。日本的なリベラル。でも、もう、こういう文章を紙面やインターネットに掲載するだけでは、多くの人々の心には訴求しないのだろうと、絶望に似た暗い気持ちが拡がった。同じ意見の人が読んでひとり肯くだけ。安倍やトランプの、正当ではない派手なパフォーマンスがまかり通って、何年経っても、一切解決していないのだ。むしろ辛い思いをする人はより辛くなっている。そんなままこの国はどこへ行くのだろう。
読了日:02月18日 著者:池澤 夏樹
BEASTARS 2 (少年チャンピオン・コミックス)の感想
『俺が…オオカミが強いってことに…希望はないから…』。レゴシはこの巻以降で覚醒するのだろうね。強さ。強さって何だろう。これは多分この漫画のテーマなんだろう。草食、肉食という生物学的要素(ズートピア用語)を多用することは、動かすことのできない前提要素と強調する一方で、行為の正当性/非正当性を安易に貼りつける危険を内包している。そのあたり、引っ張らず、突き詰めず、ページ数を割かずにするりと進む感じ。
読了日:02月16日 著者:板垣巴留
BEASTARS 1 (少年チャンピオン・コミックス)の感想
評価が高いと聞いたのと、好物の動物ものなので、久しぶりに漫画を手に取った。動物が制服を着て立って歩いているのも不思議なら、精密にかわいく描いた顔でもないので、独特な画風に感じる。主人公は優しきハイイロオオカミさん。肉食と草食の共存ルールとか、そこここに埋め込まれた小ネタが面白い。事件は起きたけど、今のところこれといった目的へ向かって話を進めているわけではないようだ。種別とは無関係に性格と個性があって、そこが好感と意外性を生む。少しずつ彼の表情が読めるようになってきた。
読了日:02月15日 著者:板垣巴留
自家用電気技術者奮闘記の感想
日誌のように、日々のトラブルと解決のエピソードが並ぶ。電気設備にトラブルはつきものだ。よくあるケースから、まじでか!譚まで多種多様。私は技術者ではないので、細かい数値や論理の部分はわからないなりに、状況、原因、機器の種類を頭に入れた。電話で第一報を受ける場合があるからだ。ひとつひとつ原因を特定していく作業はまるで探偵のように大変なものだが、そこが根っからの電気屋な職人にはこたえられない面白さでもあろう。さて、この本は会社の本棚へ置く前に父へ渡した。父も職歴50年。溜まった経験で5冊くらいは書けそうだ。
読了日:02月15日 著者:木塚 正明
世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たちの感想
「ファーマゲドン」が工業型農業による環境汚染を指摘したのに対し、本書は工業型農業の特徴である単一栽培による作物の多様性の衰退、伝統農業とその累積された知恵の喪失を指摘する。『多様性の中心地』とはその種が栄え進化する環境がある原産地を指す。原産地でこそ植物は近縁野生種と交配し多様化できるのに、その土地はえてして貧しく、大資本農場に侵略されている。ここでも資本主義が未来の資源を食い潰している現実がある。動植物の多様性喪失は人類の食物の多様性喪失を意味する。気候変動を免れない今こそ、動植物の多様性が必要なのに。
『生物多様性とは正反対の極端な画一性』。多様性の意味。種が研究所に保存されていることが大事なのではなく、自然界に自生し、他の植物や生物との相互作用、交雑の繰り返しの中で変わり続ける力を保持することが肝要なのだ。いまや害虫、病原菌、気候変動への人間の対応能力も落ちていると著者は指摘する。
ロシア人ヴァヴィロフの種子コレクションのエピソードに感動した。政治や資本主義者による刹那主義の蔭で、ほんとうに大切な事に気づく研究者がいること、その崇高な自己犠牲がこの先の人間の抱える問題を解決するであろう予感に震える。一方、『伝統的な育種は作物の多様性を高めるが、商業目的の育種はそれとは逆に作用し、次第に作物の多様性が失われ』る。最近話題になる遺伝子工学は、新しい種の開発に掛ける時間が短縮される点が注目されているが、そもそも人為選択された品種にばかり遺伝子操作するので、結果的に植物の多様化には資しない。
読了日:02月13日 著者:ロブ・ダン
水に似た感情 (集英社文庫)の感想
バリ島は、余程らもさんの郷愁を誘ったようだ。言動は決して上品でなかったし、尊敬できたものでもなかったのに、なぜか懐かしいらもさん。人間の最も貴いところ、純粋なところを、らもさんはきっと知っていたと、なぜか私は読みながら感じる。らもさんの分身である主人公モンク氏は、やはりでたらめを言い、ドラッグをやり、酒浸りの上に躁鬱でどうしようもない。「廃人になる」と劇団員に泣かれたのは実話だろう。なのに、モンク氏が口にした格言『大愚は大賢に通ず』と、モンク氏が流した涙を、私はこの小説の印象としてずっと覚えているだろう。
読了日:02月09日 著者:中島 らも
若冲原寸美術館 100%Jakuchu! (100% ART MUSEUM)の感想
母の誕生日に贈る前にこっそり読んだ。画集というものはそれだけで贅沢だが、これは絵の部分を原寸大でも載せる趣向だ。葉から滴り落ちる雪、鳥の一枚一枚の羽根の毛流れ、なかでも白の遣いかた。若冲の「動植綵絵」の原寸は、ほんとうに見応えがある。以前ニワトリの本を読んで疑問に思っていたことだったが、鶏は、古来日本では確かに鑑賞物だ。群鶏図の鶏たちの、なんと豪華な競演。雀から鳳凰に至るまで、一羽一羽に目があり、表情があり、意思があるように感じられる。母には老後の趣味として模写を勧めておいた。舐めるように楽しんでほしい。
読了日:02月08日 著者:辻 惟雄
動物保護入門ードイツとギリシャに学ぶ共生の未来の感想
太田匡彦氏がペット流通の暗部を告発してから8年余。今年の動愛法改正に向けた気運は感じられない。世間では「殺処分ゼロ」運動が声高に言われるが、既に限界が見え始めている。いくら殺処分を止めても、ペットショップではどんどん仔犬仔猫が陳列販売されているからだ。本書は主に法律・制度面から施策を探る。よく理想的と挙げられるドイツには、長い動物保護の歴史がある。一方、アテネ五輪のために急きょ制度改革を迫られたギリシャのケースは、財政に余裕がないなりに工夫はできることを示している。『動物保護と人間の保護は矛盾しない』。
読了日:02月04日 著者:浅川 千尋,有馬 めぐむ
注:
はKindleで読んだ本。
積読を80冊台に減らした時期から一転、絶賛リバウンド中。
せめて質の良いものを摂取しよう。
<今月のデータ>
購入22冊、購入費用16,844円。
読了15冊。
積読本154冊(うちKindle本52冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:15

誰も彼も大学に進学できる時代、専攻と職業は必ずしも繋がらない。では大学へ進学した意味は何だったのかと、何度も自問してきた。今思うのは、大学時代はその環境、得た経験で人格をつくる時期だったということ。目の前に15歳の私がいたら「騙されたと思ってAPUへ行け」と言いたい。国際人になる為、国際的な企業に就職する為ではない。"サラダボウルのように"混ぜることで生じる視点や感覚は、現代の細分化された環境では得られ難いのだ。『「混ぜる」というのは混沌を認めること』。それこそ多様性の自覚、生きていくための強さだ。
読了日:02月27日 著者:崎谷 実穂,柳瀬 博一


おお! またギア上がった。そしてR18要素増えた。そうか、こういうのが描きたかったんか、と納得させてくれた巻。学園もので収める気がないことは、街に出た時点でわかってたことやわね。戦闘方法とか、ケモノネタがよく出てくるもんだなと感心。レゴシもいいキャラ。が。まとめ買いはここまでなので、ここから先も読見続けるかどうかは、Amazonのキャンペーン次第。漫画は私にはコスパが悪くていかん。
読了日:02月23日 著者:板垣巴留


漫画の連載って、こんな調子だったっけ。記憶が遠すぎて、楽しみにしてた感覚を思い出せない。ひと癖ふた癖ありそうなキャラが続々投入されるんだけど、ネタばらしや解決は先送り気味。日々過ぎていくのに、毎回なんかかんかは出来事が起こっているのに、あれ、もう1冊終わったんかい!だった。ケモノ女子の下着姿への違和感は慣れることも尽きることもない。
読了日:02月22日 著者:板垣巴留


信頼できる情報の伝え手と信じるお二人の対談。色々唸らされた。出版から日が経ったぶん、じっくり経緯を俯瞰することができる。そもそも地球温暖化対策の流れは、先進国の道義的使命感で発生したものではない。軍事や貿易と同じ種類の、国対国の利権争いが常に裏にある。どの分野なら自国が主導権を握れるかと、各国はインテリジェンスを駆使して戦略をぶつけてくる。京都議定書は二酸化炭素排出権に関して日本がしてやられた墓碑みたいなものだな。『国際的なルールを変えることが、どれくらい大きな影響を及ぼすのか』を今後は考えてみる。
地球温暖化は人間によって引き起こされていることは、ほぼ間違いない。その過程もだいたいわかった。しかし、正確な予測はできないというのが研究者を含めた世界のコンセンサスだ。地球温暖化説の誇張や事実誤認はあっても、もう陰謀論は通用していない。IPCCの報告書等、最先端の知見にアンテナを張ること、メディアの派手な「絵」を鵜呑みにして思考停止に陥らないこと。その姿勢がリテラシーを育てる。
読了日:02月22日 著者:池上 彰,手嶋 龍一


久しぶりに読んだ伊坂作品は都会的な短編小説。あれだけ人がいたら、人と人のつながりなんてできにくいし、表面的なつながりが切れるのも容易いだろう。そんな中でのちょっとした出会い。そういうのがぽつりぽつりつながって、簡単な編み目みたいになってる、その目の粗さに著者ならではのさじ加減を感じる。この作品、人気があると聞いている。魅力ってどの辺なんだろう。斉藤さん?…斉藤さんね!
読了日:02月21日 著者:伊坂 幸太郎

うわあ、シカ怖えぇ。ウサギも怖いが、ハイイロオオカミがなに考えてるか見当もつかん。顔中毛だらけなんだもん。そこが読み進めさせる理由ではあったんだけど、このあたりからギア入ってきた感じ。動物の性癖に乗っけた若者の普遍テーマ。ニワトリとかパンダとか、キャラもストーリーも展開が読めないのが楽しくなってきた。そうだそうだ。とかくテーマを読み取ろうとするのは悪い癖だ。読み始めから感じてたキャラの揺らぎが収まってきた。
読了日:02月21日 著者:板垣巴留


『私たちはいつか、今と似ていない時代を生きなくてはならなくなる』。地球上全てが凍った時代があり、南極にも北極にも氷床がない時代もあった。80万年前から現代までは、気温差20℃程度の寒暖を繰り返してきた。数万年分の水月湖の堆積物を中心とした物的資料が既知の現象や理論と一致する様は、真実を直感させる。人類が絶滅する可能性をどんな小説より近く感じた。気候は変わり続ける。二重振り子の喩えは妙で、数年での激変だってあり得るのだ。人類は生きられるところまで生きるしかないのだと思った。巨大な命題。胸震える熱い本だった。
20世紀の100年間で北半球の気温が約1℃上昇した事実を『東京は宮崎になった』、また日本の氷期が今より10℃ほど寒かった事実を『鹿児島が札幌だった』と表現するなど、一般読者が理解しやすくするための書き方の工夫が非常に的確。次作を楽しみに待ちたい。
今は気候が安定しているほうだ。しかし人類が繁栄している今は地球にとってはほんの一瞬の均衡状態でしかない。時が過ぎれば気候は変わり、気温が変われば植生も変わる。変動後には人類の生活スタイルそのものが激変せざるを得ない事実に瞠目した。農耕ができない気候の到来。遠からず人類は絶滅すると言った福岡博士の言葉を思い出した。問題は、デイ・アフター・トゥモローに続く日々なのだ。
温室効果ガスについての仮説。氷に閉じ込められた過去の大気を分析して得られる結果が、推測値を大きく外れて増加推移している事実がある。それも産業革命が起きた100年前頃からではなく、8000年前頃からである。そしてそれが、人類が森林伐採と水田農耕を始めた時期と一致することの意味を考える。ようやく、人間ごときが地球の気候に影響を及ぼすことなどできないのではという疑念を潰すことができた。さらには、人類が温室効果ガスを増やしたことが、氷期の到来を遅らせている可能性の指摘には、絶大なインパクトがある。
読了日:02月20日 著者:中川 毅


2013年から2017年にかけて朝日新聞夕刊に掲載されたエッセイ。3.11、原発、沖縄、どれも大事な問題だし、正当な論だと思う。日本的なリベラル。でも、もう、こういう文章を紙面やインターネットに掲載するだけでは、多くの人々の心には訴求しないのだろうと、絶望に似た暗い気持ちが拡がった。同じ意見の人が読んでひとり肯くだけ。安倍やトランプの、正当ではない派手なパフォーマンスがまかり通って、何年経っても、一切解決していないのだ。むしろ辛い思いをする人はより辛くなっている。そんなままこの国はどこへ行くのだろう。
読了日:02月18日 著者:池澤 夏樹

『俺が…オオカミが強いってことに…希望はないから…』。レゴシはこの巻以降で覚醒するのだろうね。強さ。強さって何だろう。これは多分この漫画のテーマなんだろう。草食、肉食という生物学的要素(ズートピア用語)を多用することは、動かすことのできない前提要素と強調する一方で、行為の正当性/非正当性を安易に貼りつける危険を内包している。そのあたり、引っ張らず、突き詰めず、ページ数を割かずにするりと進む感じ。
読了日:02月16日 著者:板垣巴留


評価が高いと聞いたのと、好物の動物ものなので、久しぶりに漫画を手に取った。動物が制服を着て立って歩いているのも不思議なら、精密にかわいく描いた顔でもないので、独特な画風に感じる。主人公は優しきハイイロオオカミさん。肉食と草食の共存ルールとか、そこここに埋め込まれた小ネタが面白い。事件は起きたけど、今のところこれといった目的へ向かって話を進めているわけではないようだ。種別とは無関係に性格と個性があって、そこが好感と意外性を生む。少しずつ彼の表情が読めるようになってきた。
読了日:02月15日 著者:板垣巴留


日誌のように、日々のトラブルと解決のエピソードが並ぶ。電気設備にトラブルはつきものだ。よくあるケースから、まじでか!譚まで多種多様。私は技術者ではないので、細かい数値や論理の部分はわからないなりに、状況、原因、機器の種類を頭に入れた。電話で第一報を受ける場合があるからだ。ひとつひとつ原因を特定していく作業はまるで探偵のように大変なものだが、そこが根っからの電気屋な職人にはこたえられない面白さでもあろう。さて、この本は会社の本棚へ置く前に父へ渡した。父も職歴50年。溜まった経験で5冊くらいは書けそうだ。
読了日:02月15日 著者:木塚 正明

「ファーマゲドン」が工業型農業による環境汚染を指摘したのに対し、本書は工業型農業の特徴である単一栽培による作物の多様性の衰退、伝統農業とその累積された知恵の喪失を指摘する。『多様性の中心地』とはその種が栄え進化する環境がある原産地を指す。原産地でこそ植物は近縁野生種と交配し多様化できるのに、その土地はえてして貧しく、大資本農場に侵略されている。ここでも資本主義が未来の資源を食い潰している現実がある。動植物の多様性喪失は人類の食物の多様性喪失を意味する。気候変動を免れない今こそ、動植物の多様性が必要なのに。
『生物多様性とは正反対の極端な画一性』。多様性の意味。種が研究所に保存されていることが大事なのではなく、自然界に自生し、他の植物や生物との相互作用、交雑の繰り返しの中で変わり続ける力を保持することが肝要なのだ。いまや害虫、病原菌、気候変動への人間の対応能力も落ちていると著者は指摘する。
ロシア人ヴァヴィロフの種子コレクションのエピソードに感動した。政治や資本主義者による刹那主義の蔭で、ほんとうに大切な事に気づく研究者がいること、その崇高な自己犠牲がこの先の人間の抱える問題を解決するであろう予感に震える。一方、『伝統的な育種は作物の多様性を高めるが、商業目的の育種はそれとは逆に作用し、次第に作物の多様性が失われ』る。最近話題になる遺伝子工学は、新しい種の開発に掛ける時間が短縮される点が注目されているが、そもそも人為選択された品種にばかり遺伝子操作するので、結果的に植物の多様化には資しない。
読了日:02月13日 著者:ロブ・ダン


バリ島は、余程らもさんの郷愁を誘ったようだ。言動は決して上品でなかったし、尊敬できたものでもなかったのに、なぜか懐かしいらもさん。人間の最も貴いところ、純粋なところを、らもさんはきっと知っていたと、なぜか私は読みながら感じる。らもさんの分身である主人公モンク氏は、やはりでたらめを言い、ドラッグをやり、酒浸りの上に躁鬱でどうしようもない。「廃人になる」と劇団員に泣かれたのは実話だろう。なのに、モンク氏が口にした格言『大愚は大賢に通ず』と、モンク氏が流した涙を、私はこの小説の印象としてずっと覚えているだろう。
読了日:02月09日 著者:中島 らも

母の誕生日に贈る前にこっそり読んだ。画集というものはそれだけで贅沢だが、これは絵の部分を原寸大でも載せる趣向だ。葉から滴り落ちる雪、鳥の一枚一枚の羽根の毛流れ、なかでも白の遣いかた。若冲の「動植綵絵」の原寸は、ほんとうに見応えがある。以前ニワトリの本を読んで疑問に思っていたことだったが、鶏は、古来日本では確かに鑑賞物だ。群鶏図の鶏たちの、なんと豪華な競演。雀から鳳凰に至るまで、一羽一羽に目があり、表情があり、意思があるように感じられる。母には老後の趣味として模写を勧めておいた。舐めるように楽しんでほしい。
読了日:02月08日 著者:辻 惟雄

太田匡彦氏がペット流通の暗部を告発してから8年余。今年の動愛法改正に向けた気運は感じられない。世間では「殺処分ゼロ」運動が声高に言われるが、既に限界が見え始めている。いくら殺処分を止めても、ペットショップではどんどん仔犬仔猫が陳列販売されているからだ。本書は主に法律・制度面から施策を探る。よく理想的と挙げられるドイツには、長い動物保護の歴史がある。一方、アテネ五輪のために急きょ制度改革を迫られたギリシャのケースは、財政に余裕がないなりに工夫はできることを示している。『動物保護と人間の保護は矛盾しない』。
読了日:02月04日 著者:浅川 千尋,有馬 めぐむ
注:

2019年02月01日
2019年1月の記録
今日の晩ごはんは私ひとり! ということはゆっくり本が読める!
この思考の短絡がすでに病的。
たくさん本を読んでいるのね、という言葉には苦笑いしか出ない。
<今月のデータ>
購入14冊、購入費用18,662円。
読了12冊。
積読本149冊(うちKindle本46冊)。

1月の読書メーター
ジョイランド (文春文庫)の感想
キングにしては薄味な小説。主人公が二十歳そこそこの男の子だから同調できないんだろうか。それを言うならキングは還暦を越えているのだ。薄味な小説ができたことに気づいていたから、ハードカバーじゃなくペーパーバックで出したんじゃないかなんて勘ぐった。ジョイランド、お楽しみを売る場所。場としては申し分ないのだし、いくらでもホラーにできるのに。いたいけな子供に楽しませるのに、あんまり俗悪でおどろおどろしい過ぎる場所にはしたくなかったのかもね。短くても、「ドロレス・クレイボーン」みたいな濃密なやつ読みたい。
読了日:01月27日 著者:スティーヴン キング
八甲田山 消された真実の感想
ヤマケイだから登山家による検証と思いきや、著者は元自衛官だ。生存者の証言と報告書の齟齬、自衛官の知識から事実を綿密に断定していく。驚愕の連続だった。明治後期、日本陸軍は雪中行軍の訓練が急務だった。しかし経験も準備もなく雪山越えを命じたら、遭難は必至だ。さらに責任逃れの為、報告書は嘘だらけ。著者は津川聯隊長の無能を最たる遭難原因とした。だが私は組織の危うさを挙げたい。階層の硬直的な組織は、過ちを犯しやすい。判断ミスや事実の歪曲、見栄、讒言。死人さえ出なければ、発表されず隠ぺいされる事故も多いと察せられる。
遭難して部隊の形を成さなくなれば、一人でも多く生き残ることが最重要命題だろう。パニックで部隊から離れた隊員は、生き延びるという人間の本能に最も忠実だ。個の利己を殺して多数が生き延びる可能性があるなら離反も責められようが、どう考えても全滅の様相だった。現に、早々に炭焼小屋に潜伏した隊員が生存者の多数を占める。ここで指揮系統や離反などを問題視する著者の筆致に激しい違和を感じた。
読了日:01月26日 著者:伊藤 薫
ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)の感想
悪夢を見そうだ。登山中に道に迷い遭難した幾多の実例。その中に自分の姿を見る思いがする。山歩きの最中に迷っても、戻れる場合は多々ある。しかし自力で下山できない、さらに生還できない場合との差は僅かだ。「迷ったら引き返す」「迷ったら沢を下るな。尾根に上がれ」の鉄則の他、「踏み跡は絶対ではない」「冷静になれ」を加えたい。焦ると私はよく転んだ。怪我をすると戻れるものも戻れない。遭難して彷徨う範囲がほんの数kmのケースもあってぞっとした。本能が発する危険信号と、楽に危機を逃れたい願望の相克とは著者の指摘。肝に銘ずる。
ライター、発煙筒、テープ(赤以外)を装備に追加のこと。
読了日:01月20日 著者:羽根田 治
武術 1990年冬号 (武術)の感想
教わっている老架式陳氏太極拳の資料に"銭源澤老師"とあったので検索してみたところ、八卦掌特集の著者として掲載されていたので入手した。高松市太極拳協会の招聘で来日されたとあるから、この頃、先生は銭源澤氏に太極拳や八卦掌を教わっていたのだろう。八卦掌もどこまで進めるかわからないが、そのうち先生にも聞いてみよう。さて1990年といえば日本において中国武術はまだ新しく、模索する時期だった。武術太極拳全日本大会も第6回とある。審判や点数付けの検証記事に熱が入っている。動きを写真と文章で説明する工夫に時代を感じた。
頭頂、舌頂、身正、足平、胸涵、肩鬆、肘垂、気沈。走圏は直径3m程度を趟泥歩で歩く。
読了日:01月20日 著者:福昌堂
消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影 (光文社新書)の感想
沖縄県民の84.1%が沖縄に誇りを感じるという。一方で沖縄を破壊しているのも沖縄県民自身だ。よき沖縄が失われることへの焦り。沖縄が好きだ。申し訳ないと思っている。沖縄のためになにかしたい。しかし外から見ているだけの本土人が何をと拒まれれば、途方に暮れるしかないのか。首里王府が八重山諸島を接収、薩摩藩、日本政府が琉球を接収、米軍が沖縄を接収。沖縄の歴史は、搾取の入れ子構造だ。多層化した被害者意識。誰もがそれぞれの立場で沖縄に幻影を抱いている。こじれすぎて、著者にも解決の光は見えていない。殺伐とした読後感だ。
読了日:01月18日 著者:仲村 清司
図解 中国武術 (F-Files No.022) (F‐Files)の感想
本書で中国武術全体を把握するのは難しい。用語解説と分類程度で、思想はまず無理。それも致し方ない。古来中国において武術は各村単位で存在したし、異能の人が出て門派をまとめたところで、弟子たちがまた分派していく。整理する類のものでもないから、伝説、異説も多い。拳形など用語や用法が似たり、武器が共通なのも、区別しづらい要因だ。日本に"中国武術"が入ってきたのは1980年代、国交正常化後と日は浅い。元々野外で練習するものであり、演武服もごく新しい。だからペラペラなのね。伝統拳を名乗れど、真価は注意深く見定めるべし。
現在日本で教室を開いて教えている人たちは、だいたい日本における第一期生で、中国人の先生から教わっているだろう。しかし年数からすると、日本人から教わった人も増えているだろう。元々、見えない部分が大事な類のものである。最終的には思想あっての強さだから、昨今のお手軽化、西洋化により、中国武術の精神や思想の部分は、少なくとも日本ではみるみる失われていると予想する。情報に踊らされず、自分から動いていかないと、やってるつもりで求めるものから遠ざかっている事態もありそうだ。
なにげに、中国武術に対する見方が改まった感がある。一つには、「中国武術」の「何々流何々門派」ときっちり体系化、概念化する必要はどこにもない、自分が強さを求めて修練する門派、流派が唯一のものでよいと気づいたこと。あるいは、日本における中国武術の歴史が浅い以上、教わっている先生の中には本物に対する認識と、これからへの危惧があるはずで、それをも私たちに伝える方法を探っている様子があると気づいたこと。だから台湾へ連れて行きたいのだ。先生との何気ない会話の、実は裏にあったものに気づく事もあって、意外に為になった。
読了日:01月17日 著者:小佐野 淳
月刊 秘伝 2015年 09月号の感想
八卦掌の概略を知りたくて、特集号を探し当てた。太極拳と同じ内家拳ではあるものの、だいぶ違う気配がする。今やっているのは「走圏」という八卦掌独特の修練法であると知る。「平起平落」という要訣、『足を上げるときに吸って、下ろしながら吐く』を軽く覚えておくこと。筋肉の螺旋構造に沿い、龍のように『捻ることで全身を繋げる』とある。流派により多少違う可能性があるので、キーワード「捻り」と覚えておく。湯川さんのエッセイは謙虚で好きだ。今号は鏡の功罪について。肝心は内観。視覚的フィードバックに惑わされ過ぎないよう自戒した。
読了日:01月15日 著者:
日本沈没 第二部〈下〉 (小学館文庫)の感想
これで小松左京が納得したのなら、読者が四の五の言うことは無いのだが。いかに小松左京の文章が簡潔で切れ味が良かったかを、痛感させられた。たぶん、構成はいい。しかしくどくどしく説明を連ねることで速度とキレを失い、架空を読者に飲み込ませられなくなった感が強い。その贅肉を除いてみれば、筋肉が発達不足。もっと物語を深めることができたはずだ。さて、国家を失った日本人については、ウチとソトという感覚が秩序になりうると思った。ウチだと思えるコミュニティがあれば、枠はなくとも日本人であれるのではないかと思えてきた。
読了日:01月15日 著者:小松 左京,谷 甲州
犬に名前をつける日の感想
ほんとは映画も観たかったのだけれど。愛犬を亡くしたことから、著者はイギリスを訪れ、日本でも動物愛護に関わる活動家と会い、犬たちの置かれた状況を多くの人に訴えるべく映像を撮り始める。だから、内容は動物愛護の初歩であり、著者の感情が文章に強く出すぎて苛々させられる部分もある。いずれにせよ、たくさんの人に知ってもらうことが大事。ペットショップで犬猫を買う人がどんどん減りますように。私は活動の方向性を整理する時期にきている。したいこと、できることを読みながらあれこれ考えた。私もこれからは「動物保護活動」と言おう。
読了日:01月14日 著者:山田あかね
図解 99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツの感想
自分が会社で古株になり、自然とリーダー的立場に立たされることに社員が戸惑っているように見えるので、いつものように文字の少ない図解版を会社の本棚へ。Tipsのように見開きワンテーマになっているので、どれからでも気に留めてもらえれば嬉しい。それにしても、私もいつの間にか成長したらしい。社員に期待するとか依頼するとか、はたまた気持ちに訴えるとか自尊心をくすぐるとか、だいぶ上手くなったのは年の功か。そのうち、「あのすっとぼけ婆あめ!」と裏で毒づかれるようになるのだろう(笑)。社員が成長してくれるなら、それもよし。
読了日:01月13日 著者:河野 英太郎
日本沈没 第二部〈上〉 (小学館文庫)の感想
「日本沈没」で小松左京は、数多の日本人を死なせた結末、その後さらに日本人が苦境に陥る展開の必然性に苦しみ、続編を書けなかったという。共著者の力を得た続編で書きたかったもの。国土を亡くすということの意味。国土が無いとは、安住できる家が持てないということ。いつまでも余所者と憎まれていなければならないということ。ユダヤ人の建国の願いは当然で、国を失った難民の流浪はどこまでも悲しい。上巻はこれ以上なく悲惨な事態で終わるが、これも世界全体を見渡せば決して稀ではない。だからこそ今ある国の断片を守ろうと彼らは奔走する。
読了日:01月12日 著者:小松 左京,谷 甲州
間違う力 (角川新書)の感想
なにより驚いたのは、これが8年前に書かれたものの新書化だということ。高野さんは8年前には既に、自分が間違っていることを自覚していたらしい。考えは今も変わりないそうなので、若い頃に間違ってしまっておけば、人間は大人になっても概ね修正が利かないということがわかる。私は今年は大いに間違えようと思ってこの本を年初1冊目に選んだのだが、遅かろうとも頑張りたい。キーワードは『暴走や迷走と紙一重』。これまでの遍歴と指向の基となる考え方がまとめて書かれている。高野さんの頭の良さが如実に表れてしまっている、為になる本。
読了日:01月03日 著者:高野 秀行
注:
はKindleで読んだ本。
この思考の短絡がすでに病的。
たくさん本を読んでいるのね、という言葉には苦笑いしか出ない。
<今月のデータ>
購入14冊、購入費用18,662円。
読了12冊。
積読本149冊(うちKindle本46冊)。

1月の読書メーター

キングにしては薄味な小説。主人公が二十歳そこそこの男の子だから同調できないんだろうか。それを言うならキングは還暦を越えているのだ。薄味な小説ができたことに気づいていたから、ハードカバーじゃなくペーパーバックで出したんじゃないかなんて勘ぐった。ジョイランド、お楽しみを売る場所。場としては申し分ないのだし、いくらでもホラーにできるのに。いたいけな子供に楽しませるのに、あんまり俗悪でおどろおどろしい過ぎる場所にはしたくなかったのかもね。短くても、「ドロレス・クレイボーン」みたいな濃密なやつ読みたい。
読了日:01月27日 著者:スティーヴン キング

ヤマケイだから登山家による検証と思いきや、著者は元自衛官だ。生存者の証言と報告書の齟齬、自衛官の知識から事実を綿密に断定していく。驚愕の連続だった。明治後期、日本陸軍は雪中行軍の訓練が急務だった。しかし経験も準備もなく雪山越えを命じたら、遭難は必至だ。さらに責任逃れの為、報告書は嘘だらけ。著者は津川聯隊長の無能を最たる遭難原因とした。だが私は組織の危うさを挙げたい。階層の硬直的な組織は、過ちを犯しやすい。判断ミスや事実の歪曲、見栄、讒言。死人さえ出なければ、発表されず隠ぺいされる事故も多いと察せられる。
遭難して部隊の形を成さなくなれば、一人でも多く生き残ることが最重要命題だろう。パニックで部隊から離れた隊員は、生き延びるという人間の本能に最も忠実だ。個の利己を殺して多数が生き延びる可能性があるなら離反も責められようが、どう考えても全滅の様相だった。現に、早々に炭焼小屋に潜伏した隊員が生存者の多数を占める。ここで指揮系統や離反などを問題視する著者の筆致に激しい違和を感じた。
読了日:01月26日 著者:伊藤 薫


悪夢を見そうだ。登山中に道に迷い遭難した幾多の実例。その中に自分の姿を見る思いがする。山歩きの最中に迷っても、戻れる場合は多々ある。しかし自力で下山できない、さらに生還できない場合との差は僅かだ。「迷ったら引き返す」「迷ったら沢を下るな。尾根に上がれ」の鉄則の他、「踏み跡は絶対ではない」「冷静になれ」を加えたい。焦ると私はよく転んだ。怪我をすると戻れるものも戻れない。遭難して彷徨う範囲がほんの数kmのケースもあってぞっとした。本能が発する危険信号と、楽に危機を逃れたい願望の相克とは著者の指摘。肝に銘ずる。
ライター、発煙筒、テープ(赤以外)を装備に追加のこと。
読了日:01月20日 著者:羽根田 治


教わっている老架式陳氏太極拳の資料に"銭源澤老師"とあったので検索してみたところ、八卦掌特集の著者として掲載されていたので入手した。高松市太極拳協会の招聘で来日されたとあるから、この頃、先生は銭源澤氏に太極拳や八卦掌を教わっていたのだろう。八卦掌もどこまで進めるかわからないが、そのうち先生にも聞いてみよう。さて1990年といえば日本において中国武術はまだ新しく、模索する時期だった。武術太極拳全日本大会も第6回とある。審判や点数付けの検証記事に熱が入っている。動きを写真と文章で説明する工夫に時代を感じた。
頭頂、舌頂、身正、足平、胸涵、肩鬆、肘垂、気沈。走圏は直径3m程度を趟泥歩で歩く。
読了日:01月20日 著者:福昌堂

沖縄県民の84.1%が沖縄に誇りを感じるという。一方で沖縄を破壊しているのも沖縄県民自身だ。よき沖縄が失われることへの焦り。沖縄が好きだ。申し訳ないと思っている。沖縄のためになにかしたい。しかし外から見ているだけの本土人が何をと拒まれれば、途方に暮れるしかないのか。首里王府が八重山諸島を接収、薩摩藩、日本政府が琉球を接収、米軍が沖縄を接収。沖縄の歴史は、搾取の入れ子構造だ。多層化した被害者意識。誰もがそれぞれの立場で沖縄に幻影を抱いている。こじれすぎて、著者にも解決の光は見えていない。殺伐とした読後感だ。
読了日:01月18日 著者:仲村 清司


本書で中国武術全体を把握するのは難しい。用語解説と分類程度で、思想はまず無理。それも致し方ない。古来中国において武術は各村単位で存在したし、異能の人が出て門派をまとめたところで、弟子たちがまた分派していく。整理する類のものでもないから、伝説、異説も多い。拳形など用語や用法が似たり、武器が共通なのも、区別しづらい要因だ。日本に"中国武術"が入ってきたのは1980年代、国交正常化後と日は浅い。元々野外で練習するものであり、演武服もごく新しい。だからペラペラなのね。伝統拳を名乗れど、真価は注意深く見定めるべし。
現在日本で教室を開いて教えている人たちは、だいたい日本における第一期生で、中国人の先生から教わっているだろう。しかし年数からすると、日本人から教わった人も増えているだろう。元々、見えない部分が大事な類のものである。最終的には思想あっての強さだから、昨今のお手軽化、西洋化により、中国武術の精神や思想の部分は、少なくとも日本ではみるみる失われていると予想する。情報に踊らされず、自分から動いていかないと、やってるつもりで求めるものから遠ざかっている事態もありそうだ。
なにげに、中国武術に対する見方が改まった感がある。一つには、「中国武術」の「何々流何々門派」ときっちり体系化、概念化する必要はどこにもない、自分が強さを求めて修練する門派、流派が唯一のものでよいと気づいたこと。あるいは、日本における中国武術の歴史が浅い以上、教わっている先生の中には本物に対する認識と、これからへの危惧があるはずで、それをも私たちに伝える方法を探っている様子があると気づいたこと。だから台湾へ連れて行きたいのだ。先生との何気ない会話の、実は裏にあったものに気づく事もあって、意外に為になった。
読了日:01月17日 著者:小佐野 淳

八卦掌の概略を知りたくて、特集号を探し当てた。太極拳と同じ内家拳ではあるものの、だいぶ違う気配がする。今やっているのは「走圏」という八卦掌独特の修練法であると知る。「平起平落」という要訣、『足を上げるときに吸って、下ろしながら吐く』を軽く覚えておくこと。筋肉の螺旋構造に沿い、龍のように『捻ることで全身を繋げる』とある。流派により多少違う可能性があるので、キーワード「捻り」と覚えておく。湯川さんのエッセイは謙虚で好きだ。今号は鏡の功罪について。肝心は内観。視覚的フィードバックに惑わされ過ぎないよう自戒した。
読了日:01月15日 著者:

これで小松左京が納得したのなら、読者が四の五の言うことは無いのだが。いかに小松左京の文章が簡潔で切れ味が良かったかを、痛感させられた。たぶん、構成はいい。しかしくどくどしく説明を連ねることで速度とキレを失い、架空を読者に飲み込ませられなくなった感が強い。その贅肉を除いてみれば、筋肉が発達不足。もっと物語を深めることができたはずだ。さて、国家を失った日本人については、ウチとソトという感覚が秩序になりうると思った。ウチだと思えるコミュニティがあれば、枠はなくとも日本人であれるのではないかと思えてきた。
読了日:01月15日 著者:小松 左京,谷 甲州


ほんとは映画も観たかったのだけれど。愛犬を亡くしたことから、著者はイギリスを訪れ、日本でも動物愛護に関わる活動家と会い、犬たちの置かれた状況を多くの人に訴えるべく映像を撮り始める。だから、内容は動物愛護の初歩であり、著者の感情が文章に強く出すぎて苛々させられる部分もある。いずれにせよ、たくさんの人に知ってもらうことが大事。ペットショップで犬猫を買う人がどんどん減りますように。私は活動の方向性を整理する時期にきている。したいこと、できることを読みながらあれこれ考えた。私もこれからは「動物保護活動」と言おう。
読了日:01月14日 著者:山田あかね

自分が会社で古株になり、自然とリーダー的立場に立たされることに社員が戸惑っているように見えるので、いつものように文字の少ない図解版を会社の本棚へ。Tipsのように見開きワンテーマになっているので、どれからでも気に留めてもらえれば嬉しい。それにしても、私もいつの間にか成長したらしい。社員に期待するとか依頼するとか、はたまた気持ちに訴えるとか自尊心をくすぐるとか、だいぶ上手くなったのは年の功か。そのうち、「あのすっとぼけ婆あめ!」と裏で毒づかれるようになるのだろう(笑)。社員が成長してくれるなら、それもよし。
読了日:01月13日 著者:河野 英太郎

「日本沈没」で小松左京は、数多の日本人を死なせた結末、その後さらに日本人が苦境に陥る展開の必然性に苦しみ、続編を書けなかったという。共著者の力を得た続編で書きたかったもの。国土を亡くすということの意味。国土が無いとは、安住できる家が持てないということ。いつまでも余所者と憎まれていなければならないということ。ユダヤ人の建国の願いは当然で、国を失った難民の流浪はどこまでも悲しい。上巻はこれ以上なく悲惨な事態で終わるが、これも世界全体を見渡せば決して稀ではない。だからこそ今ある国の断片を守ろうと彼らは奔走する。
読了日:01月12日 著者:小松 左京,谷 甲州


なにより驚いたのは、これが8年前に書かれたものの新書化だということ。高野さんは8年前には既に、自分が間違っていることを自覚していたらしい。考えは今も変わりないそうなので、若い頃に間違ってしまっておけば、人間は大人になっても概ね修正が利かないということがわかる。私は今年は大いに間違えようと思ってこの本を年初1冊目に選んだのだが、遅かろうとも頑張りたい。キーワードは『暴走や迷走と紙一重』。これまでの遍歴と指向の基となる考え方がまとめて書かれている。高野さんの頭の良さが如実に表れてしまっている、為になる本。
読了日:01月03日 著者:高野 秀行

注:
