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オーナーへメッセージ

2024年09月02日

2024年8月の記録

秋の夜長。なんて素敵な響き。
読書と酒と虫の音。
そんな近未来を想像してうっとりする。



<今月のデータ>
購入27冊、購入費用34,427円。
読了15冊。
積読本334冊(うちKindle本158冊)。


ブック

チョプラ警部の思いがけない相続 (ハーパーBOOKS)チョプラ警部の思いがけない相続 (ハーパーBOOKS)感想
舞台はムンバイ。だからといって冒頭『退職することになっていたその日の朝、チョプラ警部は自分が象を一頭、相続したことを知った』に度肝を抜かれないわけではない。子象とはいえ象は象。さっきからこの文章の漢字変換もまともじゃない。象が出てこなければならない理由は、ない。著者はきっと、新興巨大ショッピングモールのエスカレーターに乗る子象とか、リビングで妻とドラマを観る子象、雨期の洪水により裏庭で溺れかける子象、ムンバイを疾走する子象などを描きたかったんじゃないか。なんで小象なのか。何か企みがあると信じて続きを待つ。
読了日:08月31日 著者:ヴァシーム カーン ファイル

捕食者なき世界 (文春文庫 S 12-1)捕食者なき世界 (文春文庫 S 12-1)感想
人間は平地に降り立つや、脅威となる大型捕食動物の殲滅を開始した可能性がある。それはここ数百年に至っては明白で、オオカミもクマも大型ネコ科動物も、脅威の排除、あるいは娯楽や収入のため殺し続けている。結果、被捕食動物=中間捕食者が増え、多量に捕食したために生態系の均衡を欠き、壊滅に至る壮大なメルトダウンが既に観察されている。頂点捕食動物の復権を実行すれば、中間捕食者は健全な恐怖心を取り戻し、植生は復活し、生態は多様性を取り戻せる。しかし「健全な恐怖心」を失っているのは人間も同じだろう。望みは限りなく薄いかと。
例えば日本。オオカミ復活論はずいぶん前から提唱されているけれど、今、どれだけの日本人がその"脅威"を受け入れられるだろう。彼らと共生する能力、天然の危険を回避する術はずいぶん忘れ果てた。かといってオオカミの代わりにシカやイノシシを狩れるだけのハンター数を、既に維持できていない。代わりとなるべきイヌは繋がれている。恐怖心なき食害によって、山林の植生は貧しくなり、荒れ、崩れ、また植物も防衛能力を発動して変化してゆくと予測される。人間はひたすら排除と逃避を繰り返すのか。なんて殺伐として壊滅的な未来像だろう。
原題「Where the Wild Things Were」。『現時点でわかっていることから、生物多様性を維持する上で、頂点捕食者は重大でかけがえのない調整の役割を担っていると思われる。頂点捕食者がいなければ、急速かつ広範な絶滅が進み、生態系は単調なものになるだろう』。
読了日:08月29日 著者:ウィリアム ソウルゼンバーグ

水納島再訪水納島再訪感想
『このまま行けば無人島になる』。水納島には130年の歴史がある。あるいは、130年しかない。島の歴史は沖縄を通じて日本の歴史と、島の人から聞く話は公の記録文書と繋がっている。戦後、増えた人口に対し、僻地から離島、果ては海外まで生きる場所を施策しなければならなかった日本は、今や急激な人口減少に直面し、水納島は先端を行っていると言える。誰も住まなくなれば、伝え繋ぐ痕跡は消えてしまう。人々が語る暮らしのたくましさ、豊かさを感じ取るとき、僻地を復興・振興するのは経済的に無駄とする思考の貧乏臭さを痛切に思う。
読了日:08月27日 著者:橋本 倫史 ファイル

WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソードWILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード感想
あちこちの媒体に書いた初期のノンフィクション記事集。調査を基に書かれたクラカワーのノンフィクションが面白いのは「荒野へ」で承知済みだ。事実をスマートに記述するだけではなく、クラカワー自身の実体験が裏打ちし、取材対象に重ね合わせてみせることで、よりリアルに想像させる。苦難があるからこそ魅力的で甘美な体感が得られる活動は、人口が増えればそのぶん自然破壊や危険を増すものでもある。この本に採録された文章には、責任のなすりつけ訴訟や詐欺めいた荒野療法など、アメリカ特有の諸問題も取り上げられていて興味深かった。
読了日:08月24日 著者:ジョン・クラカワー ファイル

飛躍するインド映画の世界飛躍するインド映画の世界感想
祭りだ! 観た/観てないに拘わらず嬉々として読む。北インドのヒンディー語圏映画と南インドのドラヴィタ語圏映画の対比は、どちらが優れている如何ではないながら、私にはやはり南インド映画が魅力的だ。ざっくり南インドのほうが教育水準が高く、温暖で食べものが豊富な土地柄であること、また辺境でありながら交易の拠点でもあった歴史が、文化的な豊かさ、感情表現の豊かさにつながっていると感じる。映画音楽の旋律と韻律の魅力といったら。A.R.ラフマーンの、南インド映画のほうが作曲をやりやすく冒険もできるとのコメントも納得。
映画カーストの人物相関図は圧巻だ。カプール家、バッチャン家をはじめ、血族内に映画人が多すぎる。しかも映画カースト同士の結婚も多く、本人の感情より家系重視に見える感じはまさにジャーティを連想させる。特にアーリヤー・バットとランビール・カプール、ディーピカー・パードゥコーンとランヴィール・シンの2カップルの対比には、解説の明快さゆえに目眩がした。他方で、歌や踊りなど奥深い素養が要求されるインド映画ゆえに映画カーストの家系にあるアドバンテージは大きく、日本の伝統芸能だって排他的な面も無いとは言えないのは同じ。
編者の夏目さん自身が「RRR」を楽しんだとしつつも手厳しい批判を投げかける。構成をはじめアクションや踊り全てが秀でているゆえに、観る側を思考停止させる。確信犯的に宗主国支配の図式を単純化しているのは確かだ。最近のモディの自国賛美、ヒンドゥー教以外の宗教を貶めるやりかたも大問題ではある。しかしそれはそれで胸に留めて、インド映画全般に言えることだが、荒唐無稽上等、ポリコレ棚上げで、大地の豊かな美しさ、家族重視の暮らし、群集のエネルギーや文化を、逃避だけではない楽しみとして観る側としては何度も味わいたいと願う。
読了日:08月23日 著者:夏目 深雪

穴 (新潮文庫)穴 (新潮文庫)感想
それほど主体性のある女性ではない。穴に入ったことにより変異が起きたわけではなくて、引越しを承諾した時から、主人公にとって変異の始まりだったのだろう。結婚して他家に入る、それも相手の肉親と近い距離に住むほど、それは異世界だ。今まで起こり得なかった場面に躊躇ううちに慣れてゆく。いわゆる嫁の立場に共感を覚えつつも、最も近しく感じたのは姑である。姑も昔は嫁だった。主人公と違い、頑張り屋の女性が奮闘する日々が目に浮かぶ。望んで家制度に加担するんじゃない。うまくやっていこうとがんばってきた女性の姿に、実の姑も重なる。
読了日:08月19日 著者:小山田 浩子 ファイル

木を植えた男木を植えた男感想
木を植える。土を整えて種を埋め込む行為は、人間だけのものだ。それもごく限られた意志ある人だけの。ほんとうは、獣や鳥が土を肥やし、種が運ばれて自然に繁るはずの植物がここには無い。集落があるのだからもとは森だったはずなのに、なぜ無くなったのか。人々の様子から殺伐とした経緯が推測される。男は苗を喰われないよう、本業であった羊飼いをやめてまで木を植え続ける。その行為への賛歌だけれど、今並行して読んでいる本に影響されて、生態系が失われた理由、人が木を植える行為で生態系をつくりだすことができるかを考えてしまう。
読了日:08月19日 著者:ジャン ジオノ

感動する、を考える感動する、を考える感想
感動ということばを努めて使わなくなって久しい。私が定義するなら、他者あるいは、命を含めた自然との共振だろうか。名前をつけずに味わい、その意味を思い返す類の。だから、感を動かすことを目的にして何かを見たり聴いたりするのは違うのではないかとも思うが、ではなぜ自分が小説を読み映画を観るのかという問いにけつまずく。些細な事にも深く感動できるほうが、人として成熟度が高いとして。だからこそ、安易な感動に心を費やさないほうが、感度を鈍らさず、心を澄ましていられると結論しておく。他者の感動は他者のもの。
いつもは録画までしていた開会式も閉会式も観ず、ボイコットしたパリ五輪の夏に。
読了日:08月12日 著者:相良 敦子

百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術感想
『生きるとは、本といた季節の記憶』。本の匂いに酔っているのか酒に酔っているのか自分に酔っているのか、私情を切り分けず読書の悦楽を気儘に書き散らしたような読書本。速読/遅読、孤独/共有、買う/借りるなど相反する方法論を逆手にとって、A面/B面と併記するのが面白い。新聞書評のために費やす新聞社の手間暇、書評委員会での合議の様子は初めて知った。本屋へ行くと貼ってあるのを必ず読む。紙の新聞の存亡が危ぶまれる今後、どうなるだろうかな。文章の漢字だけに目を跳ばせて概要を掴むコツを覚えた。
読了日:08月08日 著者:近藤 康太郎 ファイル

インド文化入門 (ちくま学芸文庫)インド文化入門 (ちくま学芸文庫)感想
多様極まりないインドにおいて、先にいたドラヴィダ民族と、北西方面から後からやってきたアーリヤ民族という大軸で南北の間に摩擦は生じ、一方で両文化の混交によって今のインド文化が形成されている奥深さったらない。無論その2民族のみで括れるインドでもない。ラーマーヤナが南アジア普く広まり愛されている点に政治的な意図を感じたこともあったが、むしろ地域によって土着の神や伝統と混じり無数のバージョンを展開しているあたり、どうやってもこの国の人々は一元化されたりしないのだなと感嘆した。『インド人全体で行ってきた文化表現』。
モンゴル帝国が内紛している頃、中国から中東・欧州にかけての海上交通が盛んになり、インドの港町が栄えたというマクロな世界史観もダイナミックで素敵だ。チョーラ王ラージャラージャ1世の像や記録も残っている。上半身裸で頭には布を巻くか王冠をかぶっている、その描写はPS1&PS2のアルンモリそのものだ。道理で露出度高かった。タミルの民にとっての宗教、仏教とヒンドゥー教の重さ加減や、ランカ島における仏教の重さなど、映画の中によく表わされていた。あの市場には異国のものも多々取引されていたのだろう。
女性蔑視と女神崇拝、母親至上主義が混じりあった、映画に表れる女性の描かれかたをずっと不思議に感じていた。実際にやはり二面性をもって存在するようだ。女性差別は、マヌ法典まで遡るヒンドゥー教的倫理によって。女神崇拝はさらにアーリヤ民族進出以前、古来の伝統的な土俗の神が、後から来た宗教に取り込まれる形で存在を確立し、今も崇められているということなんだろう。その両方が現代を生きる個人の中で両立するのが、やっぱり不思議だけども。
読了日:08月07日 著者:辛島 昇 ファイル

自然流石けん読本 (サンマーク文庫 A- 4)自然流石けん読本 (サンマーク文庫 A- 4)感想
著者はシャボン玉石けんの創業者である。大手メーカーが巨額の広告費をかけて売り込む合成洗剤の実害と欺瞞に憤りをもって、自ら無添加石けん製造販売の拡大に人生を懸けた。私たちは洗剤を、用途に合わせて使い分けなければならないと信じ込んでいる。即ち信じるよう仕向けられている。著者が当時指摘した資本主義が事実を歪めるやりかた、メーカーによる洗脳は今も解けず、加速度的に人間のからだと環境を蝕んでいるといっていい。全ての洗濯、掃除、身体のケアは石けんひとつでじゅうぶん、と著者は断言する。ここからまた、暮らしを見直したい。
とはいえ、時代は進む。石けんを液体にするのも、歯磨き粉の製造にも著者は肯定的でなかったが、今の社長がそれから何代目か、シャボン玉石けんは液体になったり、ポンプボトルから泡状で出たり、現代の形に添った展開を見せている。スノールも今は液体のものを指すらしい。ここはあえて粉せっけんを導入してみる。使いやすさ、と私が思っているものと、ほんとうの使いやすさのギャップを探ってみる。
手洗いや洗顔と洗濯は石けんに切替済みである。これは、思い返せば私の身体が悲鳴を上げていたからで、石けんに切り替えて症状が落ち着いてからはすっかり忘れていた。確認してみるとシャンプーはノンシリコンながら合成洗剤、手や環境に優しいと謳うハッピーエレファントも合成洗剤。品質表示を面倒がらずにひとつひとつ確認する必要がある。それから、"薬用"も"エキス配合"も安易に飛びつかないこと。良さそうな自然素材も、素地に混ぜても即ちそのものの効果があるとは限らず、人体に害をなすこともある。ならば元より無いほうがいい。
読了日:08月04日 著者:森田 光德

台北プライベートアイ (文春文庫 キ 19-1)台北プライベートアイ (文春文庫 キ 19-1)感想
高野さんが面白いと書いていたので。台北のオモテ側しか歩いたことはないけれど、あの匂いと雑然とした路地、それをもっとディープにした景色を想像しながら読んだ。威勢の良さそうな台湾語の悪態は聞いてみたい。でもそれ以外は、犯罪を含め普通、というか、日本と変わりない民主主義社会で起きる事件のミステリである。社会も似ている。ただ台湾の都市部は日本以上に監視カメラ社会のようだ。家を出てからの全ての行動が録画されているに等しく、それが謎となり鍵となる。続編が出ているが、それはもういいかな。
読了日:08月01日 著者:紀 蔚然 ファイル


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

Posted by nekoneko at 14:16Comments(0)読書

2024年08月01日

2024年7月の記録

本を読むときの安楽な姿勢と明かりが、家の中にうまく保てていない。
だから、寝転がって読めるKindle本ばかり消化しているのだな。
愛用の安楽椅子は猫に取られてしまったので、困った。
腹ばいになって読むのは好きだが腰が辛いし…。

<今月のデータ>
購入8冊、購入費用7,440円。
読了9冊。
積読本324冊(うちKindle本152冊)。


ブック

あそび遍路: おとなの夏休み (講談社文庫 く 64-1)あそび遍路: おとなの夏休み (講談社文庫 く 64-1)感想
こんなお遍路のスタイルがあっていいんだ。遍路装束で歩き、美味しいものも食べて、寄り道もする。歩くことが要なのだ。まず外見が遍路になり、次に身体が遍路になり、最後に心が遍路になる。歩くことで体が自然と一体になる。そうすると、身体で感じ、身体で考えるようになるみたいだ。つまり、脳で理屈や都合をこねることを止め、意志的な防御、関門が消える。遍路は自然への回帰。自然は肯定。ああ、私も遍路に出たい。老境に至るまで会社に首根っこを掴まれた私の背にも、遍路の風はいつか吹くだろうか。おっとうちには猫がおった。叶わぬ夢か。
『お接待させていただいて宜しいですか』。お金にせよ食べものにせよ、そのものはささやかながら、真剣な『祈りの眼』で近隣の人々はお接待を申し出る。このお接待という文化は四国くまなくあるわけではない。むしろ、香川に住んでいてもたまにお遍路さんを見かけても、求められれば丁寧に道案内する程度で、著者の体験には驚くしかない。お接待もまた深い行為と知った。香川に入る頃、お遍路さんは涅槃の境地に至るという。寺のある町に引越したのだから、お接待の心には近づきたいものだ。
寄り道した金毘羅さんからの眺めに、著者は『空海の故郷は美しい癒しの平野』と言ってくださった。讃岐の野をそんなにも美しく表現してもらえてうれしい。一方、遍路道沿いにド派手なラブホテルがあることには著者も呆れている。恥を忍んで言えば、この町内には4つもラブホがあるのだ。寺の周囲の住宅は規制するくせに、なぜラブホは規制しないのか。四国八十八カ所を世界遺産にする動きを、私はあっていいと思う。しかし、ならば、遍路道の整備も無論、環境を歩き遍路に優しく、景観を美しく保全する方向に、政経含めて動くよう求める。
読了日:07月25日 著者:熊倉 伸宏 ファイル

往復書簡 限界から始まる往復書簡 限界から始まる感想
女性活躍推進とやらで無理やり担ぎ出されようとしている当事者として、防具あるいは武器がほしかった。『悪しき企業文化の、男女不均衡社会の、男の視線を内在化した、女性活躍のスローガンに踊らされた、窮屈な服と靴を押しつけられた、ある種の価値観に骨の髄まで毒された』社会的な個として、どう立ち回ればよいのか。これはいわゆるガラスの崖だ。わかったのは、「構造」の暴力のもとではいずれにせよ女性が傷を負うしかないこと。「自己決定」は、罠だ。物わかりの良いふりはやめて、わきまえずに、生き延びる術を見極める身構えを保つ。
ふたりの女性が、置かれた環境や芽生えた感情に基づいて自覚的非自覚的に選んできた道。女と男、娘と母、女と女、個人と社会などの関係性を絡めて交わす往復書簡である。こんな個人的なことがらを公開して恐ろしくないのかとこちらが危惧するほど、事細かに自身の内面を吐露する文章が双方に現れる。それは結果的に自分にかけた呪いを解く作業でもあったのだろう。現代を生きる女性として、社会変革と個人の幸福追求のバランスを取ることは難しい。しかし真っ当に生きてきたなら、その時ちゃんと選べるはずだと信じることにする。
『年齢を重ねるにつれて、わたしは精神も身体も、壊れものだと感じるようになりました。(中略)打たれたら傷むし、傷つきます。そして度を越せば、壊れます。壊れものは壊れものとして扱う。自分にも、他人にも、それが必要だとわかるようになるまで時間がかかりました。愚かなことでした。』上野先生の述懐が重い。
読了日:07月17日 著者:上野 千鶴子,鈴木 涼美 ファイル

季刊地域 夏号(58号) 2024年 08 月号 [雑誌]: 現代農業 増刊季刊地域 夏号(58号) 2024年 08 月号 [雑誌]: 現代農業 増刊感想
特集は「動物と一緒に農業」。出てくるのはヤギ、ヒツジ、ウシ、ウマ、ブタ、ニワトリ、ガチョウ、アイガモ、タカ、ネコ、イヌなど。動物と一緒にいたい。という発想と、動物になにかをしてもらおう。という発想があるようだ。それぞれに事情やスタイルが違い、どれも個性的。ただ除草にせよ耕うんにせよ、個人でできることではない。動物を扱う側と、農地を持つ側が話し合い、ある程度まとまった地域で少しずつやりかたを固めてゆく。アーリーマジョリティーとしては近所の動向を見張っておきたい。『地域の資源を循環の仕組みで活用すること』。
『飼料を自給するよさは、輸入飼料の価格に影響されないこと。それは同時に、エサ代を海外にだだ漏れさせないことでもある。「自給するか輸入するかの違いって、労賃をどこへ払うかってことでしょ。集落の中に草刈り・草集めの労賃を払うぶんにはいい。雇用を生んでいるから」』。
読了日:07月15日 著者:

コンビニオーナーぎりぎり日記 (汗と涙のドキュメント日記シリーズ)コンビニオーナーぎりぎり日記 (汗と涙のドキュメント日記シリーズ)感想
もともと酒屋など営んでいた訳ではなく、コンビニ黎明期にオーナーになる道を選んだご夫婦の記録。私はダブルワークでMストップの早朝バイトをしていた頃があって、オーナーの人柄は良くなく、コンビニバイト、特に深夜枠は社会の底辺と結論していた。その記憶から、この著者はコンビニ経営には不似合いなほど良い人だと感じた。だからこそコンビニを憎んで当然だし、本部に無断でこの本を書き、いつ辞めてもいいのだと啖呵を切る著者にやるせない感覚を抱いた。いい人に出会おうと、いいこともあろうと、悪い意味でも『コンビニは社会の縮図』。 
私が勤めていた頃より取扱商品も支払方法も桁違いに増えて、今のスタッフは大変だと思う。キャッシュレスや払込については最近はスキャンしたらレジが教えてくれるとあってほっとした。でも、いくら省力化無人化が進んでも、AIは棚に溜まる虫の掃除やトイレ掃除、入荷し続ける商品の補充はしてくれない。コンビニ大量出店時代、24時間営業時代は間もなく終わると思っている。そうすると食品の期限管理はもっとシビアになり、、、どうするんだろね。
コンビニのなにが嫌といって、弁当や総菜の廃棄だ。販売の機会ロスを嫌って多量に捨てるシステムになっている。そのことを著者もわかっていながら、本部の指示でどうしようもないとあれば、慣れる。ファミマは廃棄を身内で処分してもよいようで、夫婦二人ともコンビニ経営に携わっていれば当然、食事は廃棄で済ませることが多くなる。どころか、ほとんどだという。そしてどうせ捨てるのだからと、廃棄の中からほしいものだけつまみ出して食べさしを捨てるくだりに、もっとも嫌悪感を催した。
読了日:07月14日 著者:仁科 充乃 ファイル

あじさいあじさい感想
紫陽花の季節に…と書いてみたくて。女と男の、経緯のはっきりしない意味深なことばのやりとり。7年前になにがあったのか、ことばよりむしろ素振りのほうが能弁であるようなひととき。湿度高く迷う男女のいる部屋に陽が差して、しかし結論は出ないのだ。ほんの数ページの短編を行きつ戻りつしながら、子供の年頃に目を留める。おそらく関係があるのだろうけれど、ほなどうしたいんな、と私は遺影を問い詰めたい。それにしても庭に植えるものならなんでもよさそうなものなのに、どうして紫陽花でなければならなかったのでしょうね。
読了日:07月11日 著者:佐藤 春夫 ファイル

不確かな医学 (TEDブックス)不確かな医学 (TEDブックス)感想
「病の皇帝「がん」に挑む」の著者、ムカジー氏のTEDトークを基にした一篇。医学は、未だ完成されたものではない。医者は過去の知識に得られた知識を重ねて産みだしたモデルに沿って患者に向き合うことの繰り返しなのだ。検査からして正確で一貫性のある検査は無いという前提のもと、原因特定も投薬も正しくない可能性がある中で、自信ある態度でこれまた言動にムラのある個々の患者に処し続けるのは、思えばとんでもなくメンタルに負荷のかかる職業だ。そういうことを理解したうえで医者にかかるようにしたい…ってだいぶ嫌な患者だな。
『医学の最前線で行なわれてきた数えきれないほどの研究が示しているのは、人間の意思決定、特に不確かさ、不正確さ、情報の不完全さに直面したときの意思決定が、医学の未来にとって決定的な役割を担い続けるということです。近道はありません』。
読了日:07月10日 著者:シッダールタ・ムカジー ファイル

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた (河出文庫 ア 11-1)あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた (河出文庫 ア 11-1)感想
人間には腸だけで100兆個の微生物がおり、その他体内体表至る所に共生している。かつて抗生物質の発見によって人間は各種感染症を克服した。しかし引き換えに共生しているマイクロバイオータの均衡を崩し、種々の慢性疾患が生まれたとの主旨だ。抗生物質投与後、すぐさま体内の微生物の組成は多様性を失い、何年も元には戻らない。一方、食事や治療で摂取すればこれまた迅速に組成比バランスが変化することが確認されている。納豆食べたいのも、彼らが欲しがってるんかなあ。よし、なんでも言うこと聴いちゃるぞ。お互いあっての健康だ。
『共生微生物のアンバランスが胃腸疾患、アレルギー、自己免疫疾患、さらには肥満を引き起こしているという科学的証拠が続々と出てきていることを私は知った。体の病気だけではない。不安症、うつ病、強迫性障害、自閉症といった心の病気にも微生物が影響している』。
『女性のほうが免疫系の働きが強いことはみなさんもご存じだろう。ところが、免疫系が関与する慢性病に関しては免疫系の強さが裏目に出る。男性がただの風邪をしょっちゅう引いている一方で、女性は自らの免疫系がもたらす慢性病と闘っている。  自己免疫疾患には幅広い種類があるが、一部を除いてほとんどの病気は男性より女性に多く現れる。アレルギーは、小児期においては女児より男児に多く出るが、思春期以降は女性が多くなる。腸疾患も女性のほうが多い。炎症性腸疾患ではやや多い程度だが、過敏性腸症候群だと二倍の開きが出る』。
姪からなにか感染ったらしく、喉の不調が続いた。咳のひどさにたまりかねて医者へ行くと細菌感染と診断され、抗生物質を処方され、飲む。という一連をほぼ毎年続けている。ということは、侵入した細菌を自力で排除できていないのであり、体内は長期的に常に抗生物質によるマイクロバイオータの乱れ下にあることになる。抗生物質は、重篤な症状を治療するために人間に大事な発明品だ。同時に人間が持っている体内微生物との共生バランスを崩す物質でもある。そのリスクの天秤は、難しい。研究の進展を待つ。次の人間ドックは腸内細菌の検査も受ける。
出産と母体にまつわる研究結果は衝撃的だ。胎内で無菌状態にあった胎児は、産道を通るときに母親の腸内細菌に触れ、受け取るようにできている。そして母乳にも細菌は含まれており、これも乳児の腸内マイクロバイオータ形成の基盤となる。過度な殺菌は乳児に不利益に働く。また母乳に含まれるオリゴ糖は乳児自身の栄養素ではなく、それら腸内細菌の栄養素である可能性があるという。動物の食糞行動についての考察も興味深い。異状行動ではなく、その糞に含まれる微生物を本能的に取り込もうとしている可能性がある。世界はワンダーだらけだ。
読了日:07月09日 著者:アランナ・コリン ファイル

謎解きはビリヤニとともに (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMチ 6-1)謎解きはビリヤニとともに (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMチ 6-1)感想
イギリスには宗主国だった時代の名残でインド人移民が多い。さらにロンドンのブリック・レーンはベンガル系移民が多いという。正統派ミステリ、過去のコルカタの事件と現在進行形のロンドンの事件が交互に進む構成である。初っ端から酔い潰れている移民の娘アンジョリなど、インドとイギリスの、人間関係のありかたや社会システム、常識の違いをうまく利用しているあたりが野心的だ。だからこそモスクで祈った主人公の最後の決断には引っかかる。愛と思いやり。法より家族。全土に渦巻く贈収賄の論理。果たして何が優先されるべきかわからなくなる。
読了日:07月08日 著者:アジェイ・チョウドゥリー ファイル


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。
  

Posted by nekoneko at 10:52Comments(0)読書

2024年07月01日

2024年6月の記録

コペルニクス的大転換、とは胡散臭いほど派手派手しい言葉だけれど、
自分の思考にそれが起こるとは、想像だにしなかったのだ。
体力を消耗するほどの混沌ののち、ひとつひとつ腑に落ちていく。
錯覚か? それは、誰にもわからない。
ただ、どちらを選ぶも自分次第。

<今月のデータ>
購入14冊、購入費用13,838円。
読了16冊。
積読本326冊(うちKindle本154冊)。


ブック

花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION (ちくま文庫)花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION (ちくま文庫)感想
イギリス、ロンドンの真南にあるブライトンに伴侶と住み、かの利発な子息が生まれる前の、初期のエッセイ。燃料をどくどく流し込むがごとくエネルギッシュに、書きたいテーマを描きあげるスタイルはすでにある。そして燃料とは並ならぬ量の酒であるらしい。著者が故郷に似ているというイギリスの町は、リゾート地と呼ばれるのだけれど、貧困世帯が多くて、LGBTQに類される人が多くて、なんでもありな印象を受ける。そして各文章の書き出しから着地点が見えないところ、なのに主張がガツンとあるところに、中毒性がある。いやあ面白かった。
読了日:06月29日 著者:ブレイディ みかこ ファイル

シリアで猫を救うシリアで猫を救う感想
アレッポのキャットマン。自国政府による空爆の下、著者はミニバンを改造した自前の救急車を走らせてボランティアの救助活動をしている。『負傷者を救助し、猫たちにえさをあげ、できるかぎり日常の生活を続ける』。だから邦題は「猫を救う」だが、これはアレッポに生きたすべての命の実話なのだ。故郷を離れず街に残る人々は、生活物資が困窮しても爆撃を受けても、適応し生き延びる術を見出そうとする。人間はできるだけのことをするしかできない。そして、ガザをはじめ地球上の紛争地域ではどこでも、人は命を救い合って生き延びていると知る。
日々の買い物のために『通りにはいつも大勢の人たちが並んでいるので、爆撃されたら甚大な被害が出る。だから政権軍とロシア軍は真っ先に市場やベーカリーを狙った。しかも、わざと市場がいちばん混んでいる時間帯──早朝と夕方──に合わせて。ベーカリーも、パンを買う人の列がいちばん長い朝の時間帯を選んで攻撃した』。政権は東アレッポにいる人間すべてテロリストとみなし、学校や病院を狙って空爆した。反体制派は一般市民が生活する街に立てこもり、そのうち道義を見失い略奪者と化した。どちらにも、ましてISISらにも正義は無い。
読了日:06月28日 著者:アラー・アルジャリール with ダイアナ・ダーク ファイル

印度カリー子のスパイススープ めぐる、ととのう、きれいになる印度カリー子のスパイススープ めぐる、ととのう、きれいになる感想
しまった。「私でもスパイスカレー〜」が上手いつくりで、月イチでつくる程度にはまれたので、同じ気軽さでスープもと手を出してしまった。この人はほんとうにスパイスが好きなんだ。ついカレー風味を想定したけれど、中華風、洋風もとバリエーションの多いレシピ本で、スパイスの多種づかいやアフターのテンパリングを面倒に思う人間には重い。香りの変化を感じ取れる自信もない。とりあえず基本の3スパイス+カルダモンで、気まぐれにつくってみるかな。ひょっとしたら道が拓けるかも。
読了日:06月23日 著者:印度カリー子

心霊電流 下 (文春文庫 キ 2-66)心霊電流 下 (文春文庫 キ 2-66)感想
愛ゆえ、選んでしまう。愛ゆえ、踏み外してしまう。ドラッグや金のためじゃない。だから切ない。そして、かの神は厄介だ。信じるか信じないかの二択を突きつける。生きかたの指針だったはずが、近視眼的なご利益にすり替わっていく。または明らかにトランプの集会やカルト集団を模した独善的な集団的高揚に堕してしまう。神を拒絶したジェイコブズは邪の道へ転落した。かの宗教ではそれは即ち地獄なのだ。その感覚はゆるやかな信仰を持つ私にはわからない。でも人を試すような神はいやだ。どっちみち、喪失には耐えるしかない、その手段なのだから。
読了日:06月23日 著者:スティーヴン・キング ファイル

皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能感想
進化の過程で人間は大部分の体毛を失った。それにより鋭敏な触覚、皮膚の状態を保つ防衛システムとともに、外部刺激に対する、神経を介さない情報処理を著者は挙げている。神経を介さないとはつまり、皮膚が広大な感覚器であるにもかかわらず、中枢集約型でない情報処理をしていることで、そのために錯覚が少ないのだそうだ。振動や熱、音や光も受け取る。他者に触れる行為は言うに及ばず、物理的に触れなくても受け手は気や気配を感じることができる。つい情報処理の大部分を占める視覚と脳に頼りがちだが、皮膚にはもっと活躍する余地がありそう。
読了日:06月22日 著者:山口 創 ファイル

自然のしくみがわかる地理学入門 (角川ソフィア文庫)自然のしくみがわかる地理学入門 (角川ソフィア文庫)感想
著者は植生地理学者で、この本は自然地理学のほう。地形、気候、植生と土壌の3部構成で、地球まるごとを舞台に、ちゃんと概説でありながら単なる説明に終始しない。研究で滞在した各地のエピソードを交えて、学問分野内に終始しないので、センス・オブ・ワンダーに溢れて心地よくかつ面白く読めた。地形が人の暮らしに影響するのと同様、気候変動は人間の歴史に影響してきた。同じ地球上であっても、地形も、気候も、気象も違っていて、だから植生も文化も民族性も思っている以上に違っている。そして変化し続ける。人文地理学のほうも読みたい。
読了日:06月20日 著者:水野 一晴 ファイル

心霊電流 上 (文春文庫 キ 2-65)心霊電流 上 (文春文庫 キ 2-65)感想
この切なさは何なんだろう。純粋な感情の記憶、年を経るうちに喪った近しい者たち。少年と青年という構図は青年と中年、年齢を超えた個対個へと凝縮してゆく。美しいもの、善きものが禍々しいものに上塗りされようとする不穏の種は、折に触れ蒔かれている。『恐怖に駆られた人々はそれぞれ、ひとりきりの特別な地獄を生きている』。原題は「Revival」。宗教的なものを含め、いくつかの意味合いが込められていそうだ。雷が落ちる直前の総毛立つような緊張感で上巻は終わり。『これが起こり、続いてそれが起こり、結果としてあれが起こった』。
読了日:06月19日 著者:スティーヴン・キング ファイル

生きていく民俗 ---生業の推移 (河出文庫)生きていく民俗 ---生業の推移 (河出文庫)感想
平地に定住して田畑を開き作物をつくる者(自給中心の村)と、食べるものを手に入れるためにものづくりなどにより交易をした者(自給が成り立たないため交易中心の村)を軸に、日本人が生きるために選択した生業の成り立ちを説く。田畑を拓き、村ができ、行商が訪れ、虹のもとに市が立ち、町ができ、門前に店ができる。それは現代、マルシェに珍しいもの欲しいものを探して回る私まで、15世紀初めから連綿と続いているのだ。日本は平地からすぐ山地だから、切り離してはどちらも成り立たないなど、すべて漏れなく書かんとする情報の量が凄まじい。
なんとか自力で拵えていた道具と、生きていくために売り物としてつくる道具のレベルは段違いで、人は徐々に良い物を購うようになっていった。それが職人を生み日本自慢の技術を育てたわけだが、もっと楽に稼げる職をと望んだ結果、職業は生活を立てていくための単なる手段になり、都市に人が流入し続け、ブルシットジョブが増えていく現代の構図が見えてくる。生業は社会のありかたにつれて変わり続け、昔には戻らない。だけどその面影を手掛かりに、よりあらまほしき暮らしかたの参考にはなるよなあと思う。
牛や馬の放牧の章が興味深い。人や荷を運ぶための牛や馬を育てるのに、日本人は山地や島に放牧した。それを農繁期には村に連れて戻って農耕をさせた。農作業のときだけ借りる、育てた牛を農家に預ける、山と平地で牛を共有するなど様々な派生はあれど原形は同じ。戦後でも放牧した牛を連れ戻しに行く人が居場所は『どこかわからぬがほぼ見当はついている』なんて微笑ましい。Xで太郎丸さんが動画に添えた言葉『遠野の馬たちは初夏になると里から山に上げられる。さまざまな飼い主の馬たちが一斉に集い、晩秋までこの高原で自由に暮らすという』。
読了日:06月18日 著者:宮本 常一 ファイル

今昔物語集 (光文社古典新訳文庫 Aン 2-1)今昔物語集 (光文社古典新訳文庫 Aン 2-1)感想
平安末期、天竺、震旦、本朝の3か国の説話を日本人が編んだ長大物語集。都市伝説のようなものから、実話に尾ひれがついたようなものまで、今読んで面白い小話がひたすら続く。しかし口伝採録ではなく、文献を基にしているらしい。主役が特定されているものもそうでないものもあるのは原典が違うからで、時の権力事情とは関係な…くはなさそう。んで法華経推し。教訓めいた無理やりな締めくくりも後づけっぽいが、著者のアレンジなのか。芥川が短編に仕立ててみたくなるのもわかるような、よい骨格の物語がたくさんある。語ってなんぼの話だよなあ。
読了日:06月13日 著者:作者未詳 ファイル

国語入試問題必勝法 新装版 (講談社文庫 し 31-44)国語入試問題必勝法 新装版 (講談社文庫 し 31-44)感想
これは誰の文章に出てきて、読みたいと思ったのだったか。まあ面白いね、と読み進めて、ふと立川談志だったと思い出した。「バールのようなもの」の作者である。それは入っていないが、突飛な発想、展開、オチと、なるほど談志の新作落語に似た匂いがする。ピョートルとサンマ、既聴感あるある。話の妙、そして眼差しの温かさ。『時代食堂の~』は人情ものっぽいし、わー、これも落語で聴いてみたい。と思えば俄然面白かった。猿蟹合戦を太宰がなぜ「お伽草紙」に入れなかったのかなんて、作者の考察を読むとそれしかないようにさえ思えてきた。
読了日:06月13日 著者:清水 義範 ファイル

文庫 雑草と日本人: 植物・農・自然から見た日本文化 (草思社文庫 い 5-4)文庫 雑草と日本人: 植物・農・自然から見た日本文化 (草思社文庫 い 5-4)感想
何もなかった地面に雨が降った後、凄まじい数の雑草が芽吹き始めた。日本は温暖湿潤であるため雑草がよく繁茂する。だからこそうまくつきあってきたはずだ。作物の生育の邪魔になる雑草を除去する必要がある点は違いない。「雑草が少しある」状態は保つのが難しいから徹底的に取る。長じて『田んぼばかりか家の周囲や庭を草のない状態に保っていることが美徳であり、雑草が生えた状態になっていると、まるで怠け者であるかのように思われてしまう』。他方で草を田畑に鋤き込む肥料として活用するためともある。それもそうだがそれだけか。
読了日:06月12日 著者:稲垣 栄洋 ファイル

地球にちりばめられて (講談社文庫 た 74-5)地球にちりばめられて (講談社文庫 た 74-5)感想
とりどりなルーツと生きかたを持つ人同士が知り合い、集って旅をする。祖国がどこであるか、母語がなにであるか、お互い想像し確認しするけれど、そのうちごたまぜになる状態は、今の欧州では日常なのだろう。結局、その人はその人だ。人は、深く思考するには母語を習熟していなければならない。しかし異国で日々を暮らすのに、相手と気持ちをやり取りするのに、深い語学力は要らないと多和田さんは言っているみたいだ。Hirukoのパンスカは創作言語だけど、だからこそ伝わりやすく、自由でいられる、それがこの小説に軽やかさを持たせている。
読了日:06月09日 著者:多和田 葉子 ファイル

日本人が移民だったころ日本人が移民だったころ感想
日本にも移民を大勢送り出した頃があった。皆が食っていけるだけの食料を生み出せなくて、あるいはもっと豊かに暮らせる地を求めて、戦前には例えばパラオや満州、フィリピン、引き揚げては離島や北海道、戦後に再びブラジルやパラグアイへと家族や親戚ごと渡る、それを国策として政府が旗を振った。著者は近頃の若者が海外で職を得る報道にも触れる。彼らは海を渡り、家族を得て子孫が日本に戻ってくるかもしれない。そうした流れの中に、今の日本の、海外にルーツを持つ人を差別する狭隘な風潮も変わることを期待している。私もそれは好いと思う。
『苦労したねと言われるけれど、もう忘れちゃったよと。今はちゃんとしているし、いいんですよ。これから生きることを考えなきゃね。朝起きたら朗らかに』。
読了日:06月09日 著者:寺尾 紗穂

だからあれほど言ったのに (マガジンハウス新書)だからあれほど言ったのに (マガジンハウス新書)感想
全てブログで読んだ話題をまとめて読み返す。日本の人口は加速度的に減っていく。いろいろな集まりに顔を出して感じるのは、人が減ってからでは打てる手も打てない、現状を維持することに汲々とするしかない諦観である。この調子だと日本の人口は5000万人まで減る。日本において輸入無しに全員が食べていける人口はどのくらいか。明治40年代の人口が5000万人、明治維新時で3000万人。それで全国津々浦々に散らばって暮らしていた事実を繰り返し思う。同時に、あちこちに残り、あるいは生まれる健やかな萌芽は気にかけておきたい。
読了日:06月06日 著者:内田樹 ファイル

(059)客 (百年文庫 59)(059)客 (百年文庫 59)感想
客、と言われて思い浮かぶような小説が選ばれないのがこのシリーズの痛快なところ。むしろ人ならぬもの(に近いようなもの)が登場する点がこの3篇に共通している。吉田健一「海坊主」が好きだ。要素は最低限に絞られ、すっきりした文体で物語が進み、そのすっきりした文体ゆえに、あれ、風変わりな表現をするな、と気づきやすい仕掛けになっていて、真意を量る間もなく予想外の結末を迎える趣向。膝を打った。あとの2篇も、予想だにしない方向へと話が転がり、面白かった。
読了日:06月04日 著者:吉田 健一,牧野 信一,小島 信夫

服従 (河出文庫 ウ 6-3)服従 (河出文庫 ウ 6-3)感想
政局事情は詳しくないなりに。極右政党による政権を避けたいがために、穏健派イスラム政党を選んでしまったフランス。しかし仮に穏健派であっても、基幹となるのはイスラムの教義と世界観であり、個人の自由をなにより重んじるはずのフランス人が、言葉を尽くした思考や議論の末、イスラムの非個人主義の規範を受け入れてしまう脆さは恐ろしい。異教イスラムへの服従、絶対的な神への服従。理想や自由を求め続けるにはエネルギーが要る。日本に置き換えた思考も可能だ。欧米の論理や資本主義に服従し続けるのか。NOを選ぶ胆力は果たしてあるか。
佐藤優のあとがきがこの小説がヨーロッパ人に与えた衝撃や著者の仮定を補足してくれる。「ヨーロッパ人の疲れ」。地続きにあるがゆえに、ヨーロッパの内憂外患に立ち向かい続けるには凄まじいエネルギーが必要なのだと思う。いっこうに一枚岩とはいかないヨーロッパで、人々の内的生命力が衰えているのではないかという恐れは、イスラムの強固さに対比するとき、強く感じられるのだろう。
卑近な例で言えば、欠陥品をゴリ押ししてくる政府に対して、不便を呑んでマイナ保険証をつくらず貫けるのか。歪みのある制度だと知っていて、ふるさと納税の魅力的な返礼品と税制優遇に釣られずにいつづけられるか。思考を停止して、長いものに巻かれてしまえば、楽なのだ。NOと結論したことを、NOと貫くには、「武士は食わねど高楊枝」くらいの、個人的利益を拒める精神力、もっと言えばやせ我慢を保つ必要がある。こういった形の無い主義主張は、弱るとひよるとウェルベックは言っていると思う。さらに貧すれば鈍するものだ。
読了日:06月03日 著者:ミシェル・ウエルベック


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。
  

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2024年06月01日

2024年5月の記録

自分はなにか大いなる存在によって生かされた。

より正確に表現しようとするなら生き延びさせられた、
と感じる出来事があった。
激しい自己嫌悪と、非現実感と、感謝と。
ようやく前向きになってきたのは、忘却のおかげもあるだろうけれど。

生きているうちに何事か成す。
生き延びたのはこのためだったと思えるように、夢見つつ深く植える。

<今月のデータ>
購入20冊、購入費用17,515円。
読了12冊。
積読本329冊(うちKindle本162冊)。


ブック

デオナール アジア最大最古のごみ山――くず拾いたちの愛と哀しみの物語デオナール アジア最大最古のごみ山――くず拾いたちの愛と哀しみの物語感想
東京23区と同じ面積に2000万人がひしめく"夢の街"ムンバイ、その裏側。ムンバイの住民が出すごみはその南東、デオナールの集積場に運ばれる。際限なく増え続けるごみの巨大な山の、麓に住む貧しい人々は有価物を拾って現金収入を得る。定職が無く教育は受けられず貧困から逃れられず、危険物や有毒ガスで身体を損ない、心の健康も損なうかと思いきや、家族への愛も恋心もお洒落心も溢れていて、胸を衝かれる。気の毒に思う。これで人生の収支は釣り合っているというのか。産まれた子に「あなたのものはなにも無いのよ」と告げる胸中ぞ。
ちなみに東京23区の住民は980万人。ムンバイは過密だ。なのに裕福な家庭でもごみ箱すらなく、分別率は10%以下。分別し、有価物を再生に回す役割を担っているのはデオナールの民だった。Deonar Dumping Ground。ごみの山、コンクリートの壁、路地に積まれた拾い集めたと思しき物、それらから生きる糧を得ている人々の住まいは、ストリートビューで見ることができる。汚職、詐欺、手抜き、行き違いなどによって、行政の施策が進まない。ごみ搬入禁止令も、巨大な廃棄物発電所をつくる計画も混沌のうちに頓挫している。
読了日:05月30日 著者:ソーミャ ロイ ファイル

海底大陸海底大陸感想
レトロ図書館と銘打った装丁に惹かれて。少年向けSF、連載されたのは昭和14年と太平洋戦争直前だ。ニューヨークからフランスへ向かうイギリスの豪華客船に、日本人の少年がボーイとして勤務している至って平和なシーンから始まる。そこに『水母に目玉をつけたような』海底人との接触が起きるのだが、生き延びるためとはいえ、目玉の出たクラゲには噛みつきたくない! 『やはり貴下は日本人ですなあ、感心いたしました』というくすぐりとか、日本人が東洋王道主義や正義を主張して正しい側で在ろうとする辺り、時代の空気ではあっただろう。
読了日:05月21日 著者:海野 十三

季刊地域57号(2024春) [雑誌]季刊地域57号(2024春) [雑誌]感想
日本農業新聞を止め、こちらを定期購読することにした。特集は「農地を守る」。注目記事は農地取得の話。農地を取得する必要条件の一つ、経営しなければならない面積の下限が去年廃止された。他の条件はあるものの、大きな変化ではある。あと、放棄農地の活用例。少ない労力で現代ならではの需要に応えるアイデアが興味深い。つまり、農業をちょっとだけ始めてみたい人がやりやすくなったのだ。農地を守るのは行政ではなく民の力。『年をとっても、規模が小さくても、誰もが農業を続けられるようにすること。農家を増やし農地を分かち合うこと』。
経済界が旗を振る法人化、集約化は地域の力を弱めるとも指摘されている。
読了日:05月19日 著者:

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)感想
三島は、と大上段から評せるほど読んでいる訳ではないのだけれど、彼の美へのこだわりを思い返すに、清顕という人格を愛してはいないだろう。どちらかと言えば飯沼や本多の側に自分を映しているように感じる。飯沼や本多に清顕を糾弾させながら、執拗に清顕の内在論理を解き、色気を描写して、それをまた飯沼や本田に目を奪わさせる、その捻じれ具合がなんとも湿っぽい。ゆえに末期は呆気なかった。対極は聡子。貴族階級の生温い決まり事に沿って優雅に生きているとみせて、究極の気儘と決断を一気に貫く潔さ。最初から破滅を肯じて、見事だった。
読了日:05月17日 著者:三島 由紀夫

不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」 (ハヤカワ文庫 NF 405)不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」 (ハヤカワ文庫 NF 405)感想
人間の知性は進化すると私は盲信してしまうが、理性は進化しないと知っている。今回も人生を左右する原理に迫る研究結果が楽しすぎる。人生は選択の連続だ。ある選択の一刹那、相手に苛立っていると、その人にもやりとりの背景となる企業にも公正な行動を取らない傾向が強くなる。一時的な感情が、感情と関係ないはずの決定をも左右する。そしてその決定は、その後似た案件でも似た決定をする基軸となる可能性が高いのだ。つまりパターン化する。となると、ひとつの選択はその人の未来をいかようにも変える起点になる。一瞬の選択で、終生ですよ。
親子喧嘩や夫婦喧嘩のような、同じ相手とのやり取りはパターンが固着しやすい。余計な感情が混じっていないか一瞬内観すること、自分が感情的だと自覚したら決定を先送りすることは、いわゆる「機嫌よく生きたほうがうまくいく」を証明していることになる。相手に報復する行動は、喜びと同じ脳部位、線条体を活性化することがわかっている。それは生物として、元始的なアクションということになる。社会的生物である人間にとって、お互いに信頼することは基本的要素である。そうなると謝罪、共感を表す、他者をなだめる行為の重要性にも理解が及ぶ。
読了日:05月16日 著者:ダン・アリエリー

国民の違和感は9割正しい (PHP新書)国民の違和感は9割正しい (PHP新書)感想
違った角度から物事を見る目は大事だ。堤さんの場合、国際NGOや米国野村證券勤務で培ったアンテナによる国際情勢や政府動向の情報、解釈に三度唸らされる。ガザ沖の天然ガス田、新NISA推進に食い込むパソナ、農業事業支援もパソナ、SNS検閲。日本だけでなく他の民主主義国の政府も、国民の目に触れないよう推し進めたい思惑や皮算用で国民を誤誘導しようとするものなのだ。監視しよう。抵抗しよう。『〈民は愚かで弱い〉というのは、私たちがそれを受け入れ、自信を失い、無力になることで得をする誰かからの、刷り込みにすぎません』。
『〈政府は決して、リターンのない投資はしない。メディアが創る物語が、外からどう見えようと、金は嘘をつかないからだ〉』。『「なぜ戦争が無くならないか? 学者や新聞記者はあれこれ分析したがるが、目を皿のようにして入り口ばかり見ていても、戦争の裏側などわからないだろう。金の流れと出口を見るんだ、一目瞭然だよ」』。国民の信仰心や道義心すら、真の目的のカモフラージュとして、殴り合いを続けるための燃料として利用される。科学技術は進歩しても、人間自体は古来なんにも変わっていないのだと、いつになれば私は理解するのか。
読了日:05月15日 著者:堤 未果 ファイル

犯罪小説集 (角川文庫)犯罪小説集 (角川文庫)感想
長編小説のピースになりそうな短編集。作者の長編が概ねそうであるように、心底性根が捻じ曲がった悪人は登場しない。なのにどの短編も明るくは終われず、読み終えて、何が犯罪だったのか、誰が犯罪を犯したのかすら思案してしまうものもある。人の心のちょっとした隙間。何かが欠落した穴。それらを持たない大人などこの世にいない。そこから道を踏み外すのは数十年生きた人生のほんの一瞬だ。例えば善次郎の真面目な人生の、豪士の気弱な優しさの、どこを「だからはお前は」と責められるだろう。作者の思惑どおりはまってしまった。巧い。
読了日:05月12日 著者:吉田 修一 ファイル

八ヶ岳南麓から八ヶ岳南麓から感想
上野さんが50代で建てた山の家「鹿野苑」。上野さんの著書では最も軽いエッセイだ。生活者の気づきに、社会学者のシビアな観察がときどき混じる。マンション暮らしから一軒家への移行にまつわる事々には親近感もあれど、こちらは避暑地、それゆえの興味深い話題も多かった。地域コミュニティのつきあいは「必要ない」の意味。家と家の距離が密でなく、引退した夫婦者ばかりだから、近所のインフラ維持管理は行政だけに任せるということか。田んぼがなければ井手浚いも必要なく、上水は井戸から、下水は浸透桝から地中へ。協同の必要がないのか。
読了日:05月07日 著者:上野 千鶴子 ファイル

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)感想
そうか、ネパールだったのか。日本産のチェーン店ではない、外国人の経営する"インドカレー"の店は地方にも増えた。40年余前、インド人に連れられてきたネパール人のコックたちは独立し、それがコックの技能資格を利用した出稼ぎビジネスモデルとして地方にも広がった。その経緯を知ると、インド宮廷料理(ムグライ)の本質からは離れたかもしれないが、むしろ日本式に適応して今の形があると言っていい。生きるため稼ぐために遠い日本を目指したすべての人に敬意を表して、私は「インネパ」とは呼ばずに、楽しんでいただくことにする。
読了日:05月05日 著者:室橋 裕和 ファイル

百姓たちの江戸時代 (ちくまプリマー新書 110)百姓たちの江戸時代 (ちくまプリマー新書 110)感想
江戸末期の百姓の例を挙げている。長野の坂本家は百姓でありながら地主、よろず屋、宿屋、金貸しも営む。金銭の出入りは多く、道具から装飾品、嗜好品まで購入する生活様式は現代に近く感じる。千葉の前嶋家は稲作、多種の畑作、山仕事と地主。家族全員が手に職を持って自給と販売に携わるのが基本形で、労働だけを売るのは避けたとのこと。坂本家でも同じだっただろうか。村の管理下にある共有インフラの整備は村人で協力するものだったが、入会地は徐々に分割、私有化されていたようだ。所有の概念が今と違って興味深い。そこをもう少し知りたい。
読了日:05月02日 著者:渡辺 尚志 ファイル

虫といっしょに庭づくり―オーガニック・ガーデン・ハンドブック虫といっしょに庭づくり―オーガニック・ガーデン・ハンドブック感想
新しい庭に虫たちがやってきた。ひたすら観察しているが、それらをどう遇してよいのか皆目わからないので助けを求める。特にイモムシ、ケムシ。そうですか、テデトールですか…。食害が嫌なら必ず自らとどめを刺せと曳地さんは言う。それは責任だと。オーガニックとは農薬・化学肥料を使わないこと。努めて木を健やかに保ち、多種多様な生きものと共存すること。蟻、蜘蛛にはいてもらう。さらにテントウムシ、鳥に来てもらう。この方針で行けるところまで行こう。冬にはバードフィーダーを置きたい。
読了日:05月02日 著者:ひきちガーデンサービス


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

Posted by nekoneko at 12:01Comments(0)読書

2024年05月01日

2024年4月の記録

なんでもかんでも興味を覚えたら読み飛ばしているけれど、
私は何の専門家でもないことを忘れないようにしたい。
真摯な科学の追求には敬意を表する。
一方で、違うと感じ取る肌感覚も疎かにしないでいたい。

<今月のデータ>
購入8冊、購入費用10,929円。
読了10冊。
積読本322冊(うちKindle本153冊)。


ブック

複合汚染 (新潮文庫)複合汚染 (新潮文庫)感想
連載開始から半世紀。環境汚染、食品添加物、化学肥料、農薬。私たちはずっと同じことを心配してきたし、これからもそうなんだろう。科学技術は確かに人の生活を便利にしたけれど、やりすぎては健康や自然を損なう。著者は興味を持ったら突撃していく。専門家研究者にも地場の労働者にも、農家から屠畜場まで、"地べた"からの声を集めて書く。科学は、必ずしも全体を説明しえないし、物事を解決に導くとは限らない。日々の営みの中で、何かおかしいと感じ取る肌感覚こそ、自分が大切に思うものを守るために備わった人間の能力だと結論する。
一方で、当時の人々が心配し続けたPCBや有機水銀、排気ガスによる、奇形児や短命化のような明らかな健康被害は以降現れなかった。いや、その後使用し始めた諸々を含め、じわじわと人間を蝕んでいるのか。倫理的に問題がある表現かもしれないけれど、精子減少、肌荒れ、諸アレルギーや発達障害のように見えにくい形で、被害はあるんじゃないかという気が私はしているけれど、複合も複合、要因や自然のあまりの複雑さにそれこそ証明できない。先日は頸動脈疾患の患者の血管からマイクロプラスチックが検出される研究が報告されたとか。
著者の考察。英国紳士の嗜みとされたガーデニングは、農夫でない者が、時候や土と生命の関わり合いに気を留め、肌感覚を保つための社会装置だったと指摘する。日本人は戦後、経済成長のために労働者と農家を切り離してしまった。労働者は土や食物に対する感覚を失って、結果的に公害や農薬・食物添加物による健康被害を受けるまで気づかない鈍感な生き物になってしまった。それは現代、生産の場から遠く離れた消費者根性はますます、サプリやらトクホやら、本質を見失った情報に振り回される弱さを体現しているように思える。
いつから日本人は田畑に生える草を一本残らず抜かなければ気が済まなくなったのかの考察も興味深い。海外の有機農業の畑が草だらけなことに著者は驚く。自然農法なら草は味方だ。科学的にも理解が進んできた草と土の関係を考えれば、草を全て抜くのは合理的でない。著者はそれが始まったのは元禄時代ではないかと考察する。百姓は草の役割を骨身で知っており、全て抜いたりはしなかったはずだ。それを抜き始めたのは、農作業を知らないお上が口出しをするようになってからなのではないかと。では現代、草を抜くのはなぜかを、調べてみたい。
読了日:04月25日 著者:有吉 佐和子 ファイル

気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?感想
気候は常に変動している。国連やメディアが喧伝している"気候危機"は、人類が蓄積したデータが示す事実と食い違っている。科学を情報提供ではなく説得のために歪める現状を憂えた一流科学者による告発である。つまり、進行形で変動している気候の、それぞれの事象は真に変動しているか、一貫した長期トレンドを形成しているか、人為由来と証明できるか。それが明確でないまま脱炭素に莫大な公金と資源をつぎ込むことは、一部の人に利して、本当の問題から目を逸らさせるように感じる。国連や公益団体のレポートであっても、鵜呑みにしない事。
人為由来の異変と結論づけられないはずの研究結果を、一部研究者は語弊を許容し、政府や国連の公式報告書は明らかな作為や虚偽で社会的意思決定を誤誘導し、メディアは気候危機と恐怖を煽る。信じてよい科学を見定めるのがこれほど難しいとは。『極端な気象・気候現象の多くは自然気候変動(エルニーニョなどの現象を含む)の結果であり、10年または数十年規模の気候の自然変動は人為起源の気候変化の背景を成す。気候に人為起源の変化がなくても、極端な気象・気候現象は自然に発生する』。IPCC「極端現象に関する特別報告書(SREX)」
4月17日、ドバイで12時間に1年分の降雨があり、大規模な洪水が起きたとCNNが報じた。その締めくくりに『人為的な要因による気候変動で、ゲリラ豪雨は今後増えることが予想される』と述べた。これは虚偽の報道である。ゲリラ豪雨はたまの異常気象としてありうべき範囲で、人為起源であるかは証明されていないし、今の科学では人為由来と断定できない。そしてひとつの異常気象と気候変動の間を、一足飛びに結びつけてはならない。ただ気候変動により降水のムラが激しくなり、豪雨現象が増えている傾向があり得る、とは覚えておく。
読了日:04月20日 著者:スティーブン・E・クーニン ファイル

山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)山頭火随筆集 (講談社文芸文庫)感想
引き続き山頭火。焼き捨てた以降の日記や、「三八九」などに掲載した随筆を集めたもの。随筆は真面目に論じよう、努めて前向きになろうとする気配が無理っぽくてしんどい。かといって泥酔、乱行や不義理の自省と言い訳も度重なればうんざりする。働いて稼がずに生きる世過ぎが、そもそも私には理解しがたい。貧しい人にいただいた喜捨を、いい宿や酒に費やす是非やいかん。と眉をひそめたところで、こちらだって読みながら呑む酒が過ぎており、人のことを言えた義理じゃない。『ほろほろ酔うて木の葉ふる』。風流ではない。この降り積もる苦さよ。
読了日:04月14日 著者:種田 山頭火 ファイル

「わがまま」がチームを強くする。「わがまま」がチームを強くする。感想
ひとりひとりがそうありたいと思う働きかた。それを"わがまま"というワードで"より良い会社"を導きだそうという試み。それにはひとりひとりの社員がわがままを表明する力、上司・経営側にはわがままを引き出す力が必要になる。そのための取組みが種々書かれている。意見を表明する場のハードルを下げる、多数決は取らず議論して決める人を決める、決定権を分散・委譲する、情報の共有・透明化など。だからどれも経営側が仕掛けるべき案件なんだけどね。著者がサイボウズチームワーク総研になっているあたりも、経営陣の企みを感じる。
『手が空いていてぶらぶらしている人がいるくらいの余力がある組織じゃないと、イノベーションは起きない』。これは意見が分かれるところだ。"手が空いていてぶらぶらしている人がいる"のは経営者の精神衛生上、ラクではない。どちらかといえば、「社員には能力の120%くらいの負荷(業務量)をかけたほうが工夫し、結果として業務改善が進む」のほうが受け入れやすい。まあ、こう並べて見ると業務改善とイノベーションは異なるもの、とは言える。そして働かないアリ理論から言っても、余力論のほうが正しい。…と割り切れるかどうか。
読了日:04月09日 著者:サイボウズチームワーク総研

万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)感想
ジャンル「ブラッドベリ」。架空の世界で起こる出来事も、どこかにありそうな世界で起こる異変もあって、いずれも意表を突かれる。意外性のあるアイデアを組み合わせたというより、物語が勝手にそうなってしまった感が好い。自選と先に知っているせいかどれも読みごたえがある。広島の原爆報道に着想を得たと自ら語った「やさしく雨ぞ降りしきる」は世界の終末の一瞬を描いたもので、西暦2026年の設定である。こんな時世では、ほんとうに2026年にこのような光景が地球のどこかに現れるのではないかと、美しい一瞬が印象を残すゆえに哀しい。
読了日:04月08日 著者:レイ・ブラッドベリ ファイル

入門 山頭火入門 山頭火感想
山頭火の句が沁みるのは、その自然の只中における静けさや透明感だけでなく、どうしようもない我が身の、苦悩や諦観も込みで共感するからだ。しかし町田康を案内にその生涯を追うと、簡単に共感しえない業の深さや絶望が露わになる。町田康もまた自分を同じ側に置いて行為を重ね、心中を慮る。真面目、ゆえに懊悩し、酒に逃げ、見失い、全てをふいにしてしまう。ひと所を守る日常すら辛かった山頭火が行乞の旅に出たのは45歳。"解くすべもない惑い"を、見ぬふりや、自分を赦すことなく、直視し続ける人生は苦行だ。我が句は成ったと思えたのか。
放哉亡き後、井泉水から山頭火に南郷庵、堂守引継ぎの打診もあったという。断ったのは歩き続けることへの切迫感、らしい。昨日、放哉忌の記念行事が西光寺で営まれた。大勢が墓石に日本酒を注いだと新聞にある。酒に狂い、酒を断ち得ない自分、酔って乱行に及ぶ自分、どうしようもない自身を生涯抱えて、満たされることなく死んだ彼らが、孤高の俳人、地域の宝などと呼ばれて弔われることは、今はとても不思議に感じる。
読了日:04月07日 著者:町田康

何もしない何もしない感想
SNSのようなものをattention economyと定義し、それらに対して意識的かつ積極的に抵抗する行為として「何もしない」と題している。結果としては自分の時間を取り戻し、オフラインでありローカルであり自然への回帰などに結論する。そこまでの哲学やアートを引用したアプローチが、私には迂遠ではあった。ただ、「何もしない」ことは責任や義務の回避ではありえないという指摘、「注意」を向ける対象を選別するトレーニング、"外側に可能性をつくりだす"重要性などは興味深かった。『しないほうがよろしいのです』。
読了日:04月06日 著者:ジェニー・オデル,Jenny Odell ファイル

パンダのうんこはいい匂いパンダのうんこはいい匂い感想
タイトル買い。これも中国異文化ものね、と読み始めたら、そうでないもののほうが多いと気づいた。異文化=すべての知らないことと位置付けているためだ。異文化に触れると人間の幅は広がる。それにしても話題の振れ幅、というより、ネタの豊富さに驚嘆する。いち一般人の生活でこんなにネタある?ってくらい。東京在住で国際高校に進学する人生はこんなドラマチックになるんだろうか。いや、地方だから語ることが何もないなんてことはないし著者も転勤組なんだけど。中国の家族の話がやっぱり興味深いな。冷たい烏龍茶、まさに文化の深ーい相違。
読了日:04月05日 著者:藤岡みなみ ファイル

ロバのスーコと旅をするロバのスーコと旅をする感想
ロバの姿はなんとなくわかる。著者も、ごく普通の日本男子だ。しかし、彼らが歩いているのはいったいどこなのか、どのような風景でどんな匂いがするのか見当がつかない。イラン、トルコ、モロッコ。それぞれの土地でロバを手に入れ、共に歩く。ムフタールや警官は善意と職責から、歩く著者に声をかけたり世話したりする。豊かな土地であっても、複雑な民族問題など世情に不安定をはらむからこそ、理不尽とわかっているルールでも旅人に強制しないとならない。そこを徒歩でなんて、そりゃ疑わしく思われても仕方ない。よくぞ無事だったものだ。
読了日:04月02日 著者:高田 晃太郎


注:ファイルは電子書籍で読んだ本。

  

Posted by nekoneko at 16:45Comments(0)読書