2022年05月02日
2022年4月の記録
なんだかKindle本ばっかり読んでいるなあ。
積読本棚がぱつぱつだなあ。
思い返してみると、猫の「撫でて撫でて」要求が激しいので、
片手で撫でながらのもう片手で読めるKindleでしか読めないのでした。
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用10,962円。
読了18冊。
積読本311冊(うちKindle本139冊、Honto本13冊)。

4月の読書メーター
読んだ本の数:11
魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)の感想
今のウクライナを見たら米原万里はなんと言うだろう。人脈の広い著者ならでは、ワールドワイドなエッセイ集。そしてユダヤ、東西冷戦、ユーゴと絶えぬ紛争に繰り返し言及する。『本来身近な者を遠のかせ、可変的な物を固定的なものと捉えていくフィクションによる観念操作、それも国家的規模の観念操作の恐ろしさ』は進行形で実感するところであるし、また日本の過度な欧米偏重、「先進国」らの歴史的傲慢、彼らが異文化やその歴史的背景に想像力を欠如している前提のうえで、時間軸、空間軸とも広い視野で捉え、自ら考えることが必要と受け止めた。
読了日:04月30日 著者:米原 万里
Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章の感想
なにが希望かと吐き捨てたい時勢だが、だからこそ多くの人に読んでほしい。特に行政に携わる人。制度設計に必要なのは民への猜疑心や水も漏らさぬ管理体制ではないとよく解る。人間はおおむね他者に友好的で、善なる素質を持った生き物だ。集団で協力し合い物事をより良くすることもできる。しかし、今多発する海外の紛争や、国内のきな臭い動きをも説明できたとは思えない。罪なき人々を苦しませるのは『悪を駆り立てる少数の』政治家、司令官、主戦論者の煽動や洗脳だとして、また皆して被害者面でPTSDに苦しむ歴史を繰り返すしかないのか。
「共感は良いことではない」の言葉に考え込む。共感は、特定の人々に同調し集中する行為だ。それは裏返せば、それ以外の人に対しては理解しようとする努力が疎かになり、排他的になり、敵とみなす原動力にもなると著者は言う。それこそが人間の残虐性の源、戦争の要因と著者は考える。いわゆるウチとソトと表現する日本の概念と被る。入管でウィシュマさんにした仕打ちや、ウクライナ人に肩入れするあまりロシア人を一概に拒む風潮、いつまでも続くアジア人へのヘイト、新型コロナで他県人の流入を疎む気持ちだって安易な共感の裏返しと言えよう。
間違いなく希望は必要だ。著者は利他、コモンズ、信頼型の企業経営など、いま流行りの思想にも言及する。これらは「人間は本質的に悪」とするホッブスの考え方や、それを裏付けてきた心理学/社会学の実験捏造によって育まれた社会思想への反動なのだろうか。それともただの流行で、10年後にはまた別の思想が生まれて人口に膾炙するのだろうか。あるいは人類は本当により良くなれるのだろうか。私個人、他者にもっと優しくなれそうな気がする。しかし「ファクトフルネス」の指摘する数字の改善を知ってなお、やはり人類に楽観的にはなれないのだ。
読了日:04月27日 著者:ルトガー・ブレグマン
ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台 「移住×仕事」号の感想
記念すべき第1号。無頓着に脱力しているようでてんこ盛りな目次が楽しい。「移住×仕事」についてもさながら、今の時勢だから響くこともたくさんある。内田先生の「農作物は商品ではない」話。藤原さんの戦争と飢餓と農業の話。日本農業新聞を読んでいると、農政は農作物輸出、農地集約化、第6次産業振興と、いかに稼ぐかばかりに目を血走らせているけれど、異状めいてくると農業と資本主義のかみ合わない歪さが露呈してくる。日本人は皆でちょっと困って、軌道修正すればいいのだ。"小さな単位での食料自給率"を上げることならできそうやん。
読了日:04月25日 著者:ミシマ社 編
〈屍人荘の殺人〉エピソード0 明智恭介 最初でも最後でもない事件 屍人荘の殺人シリーズの感想
在りし日の明智さんの日常。彼は葉村という良い相棒を得て、生き生きと大学構内外を駆け回っていたのだ。彼が楽しそうであるほど、全体にかかったフィルターが青みを増して感じられる。昨日もそうだったし、明日もそうであろう平和な日々、屍人荘へ着くまでは。返すがえすも、惜しい気持ちが湧き起こる。エピソード0ってこういうものなんでしょうね。ホームズの復活を願う読者の声がよほど多かったとみた。
読了日:04月24日 著者:今村 昌弘
感じるオープンダイアローグ (講談社現代新書)の感想
人生には対話が必要。当たり前だが、それができずに人は生きづらさを抱え込んでしまう。フィンランドのケロプダス病院で始まったオープンダイアローグという手法。対話だけで困難や誤解を解消することを目指す。著者はその手法を学びたいと思い、トレーニングの過程で自らの分厚い鎧を脱ぐ経験をする。考えてみれば、人の心を救う道に進んだ人は、ほかならぬ自身が苦しかった過去があるのだ。そして心に分厚い鎧をまとい、自分を他人に見せることができないのは私も同じ。苦しくなったときに頼れる療法の場として、こういうのが身近にあってほしい。
読了日:04月22日 著者:森川 すいめい
地球の未来のため僕が決断したことの感想
ゲイツは今の世界で、諸分野トップクラスの知性にアクセスできる存在だ。その彼が結論したのなら、それは世界で最も優等生な結論だろう。しかし聞けば聞くほど私には無理ゲーとしか感じられない。なぜなら脱炭素のためだけでも2050年には今の3倍の電気が必要になる見通しなのだ。そして高度かつ複雑な技術革新には、より大きなエネルギーと資源が必要になる。鉄も銅もアルミもレアメタルも。気候変動に対処したいのなら、新たに木を植えるのではなく、『すでにある木をいまのようにたくさん切るのをやめ』なければならない。諸事において。
今や世界中の企業がこぞって目指す炭素低減の目算値は、果たして正しいのだろうか。消費資源を増やす方向へばかり進んでいることに、私は疑問が拭えない。確かにゲイツは財団を興し、長年世界の貧困問題を解決するための技術支援や投資をしてきたから、技術革新の大切さ、政府や国際機構の役割、うまい交渉方法などよく理解している。施策が状態を改善してきたのも確かだ。インセンティヴの使いかたに学ぶものも多い。しかし、どこか技術革新への過信、驕りがあるような気がして、人間世界の破滅へギアを上げる行為のような気がして仕方ないのだ。
読了日:04月21日 著者:ビル・ゲイツ,Bill Gates
神も仏もありませぬ (ちくま文庫)の感想
洋子さんのエッセイを読むと、しばらくは心の声がでかくなる。開けっぴろげで格好悪いことも堂々と言ってしまう洋子さんを、好いなとどこかで思って真似るのだろう。浅間の見える北軽井沢で、自然や農作物に恵まれて、近所の人とゆるくつながりながら暮らしている様子。羨ましい。洋子さんは若い頃からたくさん猫を飼ってきたのに、60歳過ぎても飼い猫が死ぬことに動揺し、生き物の宿命である死をそのまま受け入れる、"小さな獣の偉大さ"に感動する。ということは、人間は死に対して覚悟もできず達観もできないのだ。きっと、私もこの先ずっと。
読了日:04月20日 著者:佐野 洋子
猫に教わるの感想
表題に"猫"とあってつい手に取ったけれど、なにげない日々のいつものエッセイよね。とぼんやり読んでいると、新型コロナワクチン接種担当に名乗り出たとか山行の文章を書くのをやめたとかの近況に交じって、力強い文章に目が留まる。『未来は明日ですら完璧に隠されていると了解し、夢など抱かず、とりあえずいまを生きる』。若い頃とは見えない何かが変わってしまったと感じる。私自身の身辺の変化や戦争や社会の迷走、つまり近未来の不透明さに私は消耗している。"いま"に立ち返ろう。やはり南木さんの文章は私に無くてはならないと思い直す。
読了日:04月17日 著者:南木 佳士
ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ――人糞地理学ことはじめ (ちくま新書)の感想
気になっていた本。ヨーロッパで人々が家の窓から糞尿を投げ捨てていた頃から、日本人は高値で取引して田畑の肥料にしていた。それをいつ何故やめてしまったか。転機は下肥利用を駆逐すべき習俗と断じたGHQと米軍による指導だった。その後都市化が進み、つまり土から離れて消費するだけの人口が増加するにつれて精神面でも構造面でも不可逆的変化が進み、糞尿は臭くて汚くて忌まわしいものになった。そしてバクテリアを使った下水道処理でできる乾燥汚泥を堆肥にしないのはなぜか。今の人間は土に還元できないほど汚染されている、と言うのだが。
化学合成添加物まみれになっているのは残飯も同じだし、どうせ化学合成添加物まみれにして食べるのだから、少々の汚染はもはや仕方ないのではないだろうか。マイクロプラスチックだって、既に人体内組織に入り込んでいるというし。つまり、化学合成添加物を含んでいるから糞尿からできる堆肥は田畑で使えないという言い分が、やりたくない理由にしか聞こえなくなってきた。
読了日:04月13日 著者:湯澤 規子
戦争は女の顔をしていないの感想
戦場に出た女性たちの、たくさんの声。ひとりひとりの、胸に涙を湛えながら集められたであろう小さな声が、怒涛となってこちらを打ちのめす。千人いれば、千の戦争と千の真実がある。今ウクライナについて語る著者の背後には深い悲しみが満ちて見える。頭から離れないのは、砲弾を運ぶ車両を運転していた女性の話。ドイツ兵の死体の上を通過するとき、頭蓋骨の砕ける音が嬉しかったと。憎しみは人の中にもともとあるのではない。生まれるのだ。今このときも、人々の中に育ちつつある憎しみが恐ろしい。他方、憎み抜けないことは救い。人間らしさだ。
『戦闘は夜中に終わりました。朝になって雪が降りました。亡くなった人たちの身体が雪に覆われました……その多くが手を上にあげていました……空の方に……。』読んでいるものと同じ行為が再現されているかのような映像が絶えず目前に流れ、辛い。だんだん、私がこの本を読んでいるから、同じことがウクライナに起きてしまうかのような倒錯が起きる。過去のエピソードも現実の報道も、当人には永遠に続くかのように感じるだろう深い慟哭がまとわりついている。
読了日:04月12日 著者:スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ
ルポ新大久保 移民最前線都市を歩くの感想
移民として日本に住み着く人たちは、日本は決してオープンな社会ではないのに、なぜ選んでくれるのかとずっと思っていた。その理由は、稼ぐためだったり、日本の学歴が本国の就職に有利だからだったりするが、以前から言われる治安の良さだけではなく、今や韓国やオーストラリアより"割安だから"という選択に愕然とする。日本は「近くて安い国」になったのだ。まあ、それでもいい。彼らに優しい国であってほしい。多文化共生の基盤が整いつつある新大久保は今や先進地域。その発散するエネルギーを浴びに行ってみたくなるようなルポだった。
読了日:04月11日 著者:室橋 裕和
注:
は電子書籍で読んだ本。
積読本棚がぱつぱつだなあ。
思い返してみると、猫の「撫でて撫でて」要求が激しいので、
片手で撫でながらのもう片手で読めるKindleでしか読めないのでした。
<今月のデータ>
購入17冊、購入費用10,962円。
読了18冊。
積読本311冊(うちKindle本139冊、Honto本13冊)。

4月の読書メーター
読んだ本の数:11

今のウクライナを見たら米原万里はなんと言うだろう。人脈の広い著者ならでは、ワールドワイドなエッセイ集。そしてユダヤ、東西冷戦、ユーゴと絶えぬ紛争に繰り返し言及する。『本来身近な者を遠のかせ、可変的な物を固定的なものと捉えていくフィクションによる観念操作、それも国家的規模の観念操作の恐ろしさ』は進行形で実感するところであるし、また日本の過度な欧米偏重、「先進国」らの歴史的傲慢、彼らが異文化やその歴史的背景に想像力を欠如している前提のうえで、時間軸、空間軸とも広い視野で捉え、自ら考えることが必要と受け止めた。
読了日:04月30日 著者:米原 万里


なにが希望かと吐き捨てたい時勢だが、だからこそ多くの人に読んでほしい。特に行政に携わる人。制度設計に必要なのは民への猜疑心や水も漏らさぬ管理体制ではないとよく解る。人間はおおむね他者に友好的で、善なる素質を持った生き物だ。集団で協力し合い物事をより良くすることもできる。しかし、今多発する海外の紛争や、国内のきな臭い動きをも説明できたとは思えない。罪なき人々を苦しませるのは『悪を駆り立てる少数の』政治家、司令官、主戦論者の煽動や洗脳だとして、また皆して被害者面でPTSDに苦しむ歴史を繰り返すしかないのか。
「共感は良いことではない」の言葉に考え込む。共感は、特定の人々に同調し集中する行為だ。それは裏返せば、それ以外の人に対しては理解しようとする努力が疎かになり、排他的になり、敵とみなす原動力にもなると著者は言う。それこそが人間の残虐性の源、戦争の要因と著者は考える。いわゆるウチとソトと表現する日本の概念と被る。入管でウィシュマさんにした仕打ちや、ウクライナ人に肩入れするあまりロシア人を一概に拒む風潮、いつまでも続くアジア人へのヘイト、新型コロナで他県人の流入を疎む気持ちだって安易な共感の裏返しと言えよう。
間違いなく希望は必要だ。著者は利他、コモンズ、信頼型の企業経営など、いま流行りの思想にも言及する。これらは「人間は本質的に悪」とするホッブスの考え方や、それを裏付けてきた心理学/社会学の実験捏造によって育まれた社会思想への反動なのだろうか。それともただの流行で、10年後にはまた別の思想が生まれて人口に膾炙するのだろうか。あるいは人類は本当により良くなれるのだろうか。私個人、他者にもっと優しくなれそうな気がする。しかし「ファクトフルネス」の指摘する数字の改善を知ってなお、やはり人類に楽観的にはなれないのだ。
読了日:04月27日 著者:ルトガー・ブレグマン


記念すべき第1号。無頓着に脱力しているようでてんこ盛りな目次が楽しい。「移住×仕事」についてもさながら、今の時勢だから響くこともたくさんある。内田先生の「農作物は商品ではない」話。藤原さんの戦争と飢餓と農業の話。日本農業新聞を読んでいると、農政は農作物輸出、農地集約化、第6次産業振興と、いかに稼ぐかばかりに目を血走らせているけれど、異状めいてくると農業と資本主義のかみ合わない歪さが露呈してくる。日本人は皆でちょっと困って、軌道修正すればいいのだ。"小さな単位での食料自給率"を上げることならできそうやん。
読了日:04月25日 著者:ミシマ社 編

在りし日の明智さんの日常。彼は葉村という良い相棒を得て、生き生きと大学構内外を駆け回っていたのだ。彼が楽しそうであるほど、全体にかかったフィルターが青みを増して感じられる。昨日もそうだったし、明日もそうであろう平和な日々、屍人荘へ着くまでは。返すがえすも、惜しい気持ちが湧き起こる。エピソード0ってこういうものなんでしょうね。ホームズの復活を願う読者の声がよほど多かったとみた。
読了日:04月24日 著者:今村 昌弘


人生には対話が必要。当たり前だが、それができずに人は生きづらさを抱え込んでしまう。フィンランドのケロプダス病院で始まったオープンダイアローグという手法。対話だけで困難や誤解を解消することを目指す。著者はその手法を学びたいと思い、トレーニングの過程で自らの分厚い鎧を脱ぐ経験をする。考えてみれば、人の心を救う道に進んだ人は、ほかならぬ自身が苦しかった過去があるのだ。そして心に分厚い鎧をまとい、自分を他人に見せることができないのは私も同じ。苦しくなったときに頼れる療法の場として、こういうのが身近にあってほしい。
読了日:04月22日 著者:森川 すいめい


ゲイツは今の世界で、諸分野トップクラスの知性にアクセスできる存在だ。その彼が結論したのなら、それは世界で最も優等生な結論だろう。しかし聞けば聞くほど私には無理ゲーとしか感じられない。なぜなら脱炭素のためだけでも2050年には今の3倍の電気が必要になる見通しなのだ。そして高度かつ複雑な技術革新には、より大きなエネルギーと資源が必要になる。鉄も銅もアルミもレアメタルも。気候変動に対処したいのなら、新たに木を植えるのではなく、『すでにある木をいまのようにたくさん切るのをやめ』なければならない。諸事において。
今や世界中の企業がこぞって目指す炭素低減の目算値は、果たして正しいのだろうか。消費資源を増やす方向へばかり進んでいることに、私は疑問が拭えない。確かにゲイツは財団を興し、長年世界の貧困問題を解決するための技術支援や投資をしてきたから、技術革新の大切さ、政府や国際機構の役割、うまい交渉方法などよく理解している。施策が状態を改善してきたのも確かだ。インセンティヴの使いかたに学ぶものも多い。しかし、どこか技術革新への過信、驕りがあるような気がして、人間世界の破滅へギアを上げる行為のような気がして仕方ないのだ。
読了日:04月21日 著者:ビル・ゲイツ,Bill Gates


洋子さんのエッセイを読むと、しばらくは心の声がでかくなる。開けっぴろげで格好悪いことも堂々と言ってしまう洋子さんを、好いなとどこかで思って真似るのだろう。浅間の見える北軽井沢で、自然や農作物に恵まれて、近所の人とゆるくつながりながら暮らしている様子。羨ましい。洋子さんは若い頃からたくさん猫を飼ってきたのに、60歳過ぎても飼い猫が死ぬことに動揺し、生き物の宿命である死をそのまま受け入れる、"小さな獣の偉大さ"に感動する。ということは、人間は死に対して覚悟もできず達観もできないのだ。きっと、私もこの先ずっと。
読了日:04月20日 著者:佐野 洋子

表題に"猫"とあってつい手に取ったけれど、なにげない日々のいつものエッセイよね。とぼんやり読んでいると、新型コロナワクチン接種担当に名乗り出たとか山行の文章を書くのをやめたとかの近況に交じって、力強い文章に目が留まる。『未来は明日ですら完璧に隠されていると了解し、夢など抱かず、とりあえずいまを生きる』。若い頃とは見えない何かが変わってしまったと感じる。私自身の身辺の変化や戦争や社会の迷走、つまり近未来の不透明さに私は消耗している。"いま"に立ち返ろう。やはり南木さんの文章は私に無くてはならないと思い直す。
読了日:04月17日 著者:南木 佳士

気になっていた本。ヨーロッパで人々が家の窓から糞尿を投げ捨てていた頃から、日本人は高値で取引して田畑の肥料にしていた。それをいつ何故やめてしまったか。転機は下肥利用を駆逐すべき習俗と断じたGHQと米軍による指導だった。その後都市化が進み、つまり土から離れて消費するだけの人口が増加するにつれて精神面でも構造面でも不可逆的変化が進み、糞尿は臭くて汚くて忌まわしいものになった。そしてバクテリアを使った下水道処理でできる乾燥汚泥を堆肥にしないのはなぜか。今の人間は土に還元できないほど汚染されている、と言うのだが。
化学合成添加物まみれになっているのは残飯も同じだし、どうせ化学合成添加物まみれにして食べるのだから、少々の汚染はもはや仕方ないのではないだろうか。マイクロプラスチックだって、既に人体内組織に入り込んでいるというし。つまり、化学合成添加物を含んでいるから糞尿からできる堆肥は田畑で使えないという言い分が、やりたくない理由にしか聞こえなくなってきた。
読了日:04月13日 著者:湯澤 規子


戦場に出た女性たちの、たくさんの声。ひとりひとりの、胸に涙を湛えながら集められたであろう小さな声が、怒涛となってこちらを打ちのめす。千人いれば、千の戦争と千の真実がある。今ウクライナについて語る著者の背後には深い悲しみが満ちて見える。頭から離れないのは、砲弾を運ぶ車両を運転していた女性の話。ドイツ兵の死体の上を通過するとき、頭蓋骨の砕ける音が嬉しかったと。憎しみは人の中にもともとあるのではない。生まれるのだ。今このときも、人々の中に育ちつつある憎しみが恐ろしい。他方、憎み抜けないことは救い。人間らしさだ。
『戦闘は夜中に終わりました。朝になって雪が降りました。亡くなった人たちの身体が雪に覆われました……その多くが手を上にあげていました……空の方に……。』読んでいるものと同じ行為が再現されているかのような映像が絶えず目前に流れ、辛い。だんだん、私がこの本を読んでいるから、同じことがウクライナに起きてしまうかのような倒錯が起きる。過去のエピソードも現実の報道も、当人には永遠に続くかのように感じるだろう深い慟哭がまとわりついている。
読了日:04月12日 著者:スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ


移民として日本に住み着く人たちは、日本は決してオープンな社会ではないのに、なぜ選んでくれるのかとずっと思っていた。その理由は、稼ぐためだったり、日本の学歴が本国の就職に有利だからだったりするが、以前から言われる治安の良さだけではなく、今や韓国やオーストラリアより"割安だから"という選択に愕然とする。日本は「近くて安い国」になったのだ。まあ、それでもいい。彼らに優しい国であってほしい。多文化共生の基盤が整いつつある新大久保は今や先進地域。その発散するエネルギーを浴びに行ってみたくなるようなルポだった。
読了日:04月11日 著者:室橋 裕和

注:

2022年04月02日
2022年3月の記録
読んでも読んでも、それ以上に本を買い込むのだから減りませんわね。
使命感と依存症状の混じりあった悦楽。
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用30,350円。
読了20冊。
積読本313冊(うちKindle本143冊、Honto本14冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:18
新たなるインド映画の世界の感想
我が家はインド映画にはまり、まあまあの数を観てきた。どれがどれかわからなくなっていたりもするので、写真で思い出したり、まだ観ていない映画をリストアップしてきゃぴきゃぴ楽しめたらくらいの感覚で開いたら、全く真剣な分析と論評の本だった。広いインドは言語も文化も土地によってばらばらで、従って一口にボリウッドと呼んでしまっていたけれど、映画も違うのだそうだ。シネコンの興隆によって、従来インド人が楽しんだ楽しみ方ができる映画が減った話は寂しい。話の流れを踏み倒すほど盛ったシーンやダンスが私は気に入っているのに。
読了日:03月29日 著者:夏目 深雪,松岡 環,高倉 嘉男,安宅 直子,岡本 敦史,浦川 留
もう過去はいらない (創元推理文庫)の感想
アメリカ在住者でないとそこにあるとわからない感覚が必要とされる小説。メンフィスの街でユダヤ人が悪目立ちしないようにという動機が、主人公の中で常に働いている。黒人に次いで蔑まれるユダヤ人は、悪事を働けばすぐに迫害された。"偏見と敵意のごった煮"の中で自分や家族の身を守るためだ。とはいいつつ、彼は歩くことすら覚束なくなっても尋問の途中で確信がおぼろげになっても、愛用の357マグナムは持ち歩き、機会あらばぶっ放す気満々の困った爺さんだ。人は生きてきたようにしか生きられない。息子の死の謎については次に持ち越し。
読了日:03月29日 著者:ダニエル・フリードマン
親指が行方不明: 心も身体もままならないけど生きてますの感想
たぶんすごい本なのだ。親指が行方不明くらいならぼんやり想像もできようが、その後のあれこれに至っては全く途方に暮れる。尹さんの「体の知性を取り戻す」が私と私の身体の融和への光明になっただけに、この圧倒的な置いて行かれ感に呆然としてしまった。しかし私には私の、身体的にも精神的にも"他にどうしようもできなかった"記憶があって、それのことなんだろうと含むしかない。意識と身体のズレ、思考と時間のズレ、かと。手首の関節を限りなく曲げていく光岡先生の練習が興味深い。加減を知悉しないと折れるし、信頼がないと任せられない。
読了日:03月24日 著者:尹雄大
月と海豹の感想
朗読を聴いたとき、子アザラシの皮でつくったかもしれない太鼓を母アザラシに渡すなど、なんてブラックな童話かと腰を抜かしそうになった。そんなうがった見方をする私のようなのは少数派らしく、調べてみた。小川未明自身が二人の子供を亡くしている。ならばこれは、自ら味わった子を失う悲しみ、その癒やしを描いた作品なのだ。氷の上を渡る太鼓の音、それが少しでも癒やしになるならば、よいではないか。と言いながら、その音は南の人間たちの楽しんだ音とは違って、寒々しい音、気紛らわしの手慰みであったのではないかと思ってしまうのだ。
読了日:03月24日 著者:小川 未明
可愛い女の感想
可愛げのない女としては、「可愛いひと!」と賛嘆されるためにはどうあればよいのか探るように読んだ。わかっていたことだが、これは、仮に若い時分に読んだとしても真似るのは無理だ。空っぽ。リンドバーグ「海からの贈物」を思い出した。満たして、こぼす。自分に意見やらやりたい事やらがあったらたちまち目に漏れてしまう。空っぽであればこそ、相手に満額合わせることができるし、相手に惜しみなく注ぐこともできるのだ。そして露ほども疑うことがないという最強の無邪気さ。相手があってこその生。そういう人と生きたら、しあわせだろうか…?
読了日:03月23日 著者:アントン チェーホフ
Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章の感想
ホモ・サピエンスは生来、善である。ルソーの描いた社会ではなく、ホッブスの描いたそれを実現してしまった現代はいろいろ間違えてしまっているが、空爆や大災害で人間の善良さは損なわれない、と学者たちは事実を挙げてみせた。オキシトシンは身内に優しくなる物質だ。人々の行動は平和で善である。私もそれを信じたい。しかし、ならばなぜシリアやウクライナのようなことが起きるのか。上巻では、人間の悪について証明したと考えられている有名な研究結果や事例を数々喝破しており、私たちに摺り込まれたバイアスを突き崩す。読んで良かった。
イースター島文明の衰退は、内乱ではなく堕落でも乱伐でもなく侵略ゆえであったと判明した。わりと直近に西洋人に上陸され、西洋人の基準で解釈された記憶を持つ国民としては、イースター島の内乱の記録が虚偽であったと知ってもやもやする。欧米人の、世界の支配者としての、歴史観の独善が鼻につく。イースター島の人々は善であった。機智と知恵で繁栄してきた。では、なぜ絶滅に追い込まれたのか。そうではない結末がもっともらしく流布されてきたのは何故か。訪れた側、欧米人の中に平和でも善でもない意志があったということにならないか?
なぜこんな戦争が起きるのか。プーチンというサイコパスと、プーチンを信じるアイヒマンと、プーチンに騙された善人がウクライナの人々を虐殺したのか。違うだろう。誰が決定し、引き金を引き、ミサイルのスイッチを押したのか。目の前にいる人間は撃てなくても、遠隔なら学校にも病院にも大型ミサイルを撃ち込めるのか。ロシア軍の攻撃は見境なくなっており、人を殺すことに慣れてきたようにさえ見える。善なるものはいつなんどきでも善ではない。真実を知りたい。解決する道を知りたい。
読了日:03月22日 著者:ルトガー・ブレグマン
お味噌知る。の感想
味噌汁から始まる自立。この春新たに独立する若者に向けた餞のような、応援されている感じがうきうきする。味噌汁の基本は水と味噌。「一汁一菜~」では、煮干しは最初から食べるまで入れっぱなしでよいという発想を教えていただいたが、今回はなんと、事前に取る出汁は重要でないのだよとハードルを下げる下げる。改めて「こうあるべき」ではない、味噌汁の自由を知る。自分のためだけの"自立の味噌汁"と、食べさせる相手ができたときの"家族の味噌汁"などにレシピが大別されているが、私は分け隔てなく食卓に出すつもりだ。父娘共著が面映い。
父ということは、土井勝氏?が高松出身とは知らなかった。白味噌仕立てのあん餅雑煮が常とは俄然親近感がわく。私はこの雑煮に開眼するのが遅くて、というのもあん餅雑煮の出汁はいりこが良いと知らずにきてしまったからだ。それを知ってから、出汁と味噌の関係の奥深さに気づき、いろいろ試してみるようになった。それにしても、昨日つくってみたところの、水にツナの水煮缶をぶっ込んだ味噌汁の旨さには仰天した。ああ、我が脳みその、なんと雁字搦めに縛られていることよ。
『腹中をくつろげ、血を活かし、百薬の毒を排出する。胃に入って、消化を助け、元気を運び、血のめぐりを良くする。痛みを鎮めて、よく食欲をひきだしてくれる。嘔吐をおさえ、腹下しを止める。また、髪を黒くし、皮膚を潤す』(本朝食鑑)。もう、ええことしかない。
読了日:03月21日 著者:土井 善晴,土井 光
蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)の感想
気になっていた作家の短編集。豆腐好きとか車好きとか飲んだくれとか、物語に関係あるんだかよくわからない人物設定と、安倍晴明と狐の伝説がとか、長野の食蟲文化はすごいみたいな、博識なんだかよくわからない知識を織り込んだ展開で、つい読み進まされてしまう。どっちとも取れる結末の真意が気になりつつも、まあよし。表題といい、古臭いような怪異譚なのだが、京極夏彦のようにずぶずぶと暗い迷路に沈み込んでいく生真面目さも無いので気楽だ。これは、続きがあったりするのだろうか。またいずれかの機会に読んでみたい。もし憶えていたら。
読了日:03月21日 著者:津原 泰水
「奴隷」になった犬、そして猫の感想
生体販売ビジネスの闇は動愛法改正によって改善されたか、との問いには否と答えよう。生体販売の8週齢規制、飼育環境規制案に対し、繁殖業者、販売業者、フード販売業者、品種認定団体、保険業者で構成する団体は全力で抵抗してきた。最終的に8週齢規制は成ったが、まさか生年月日を偽装してくるとは仰天だ。つまり、一般人にたくさん飼ってもらわないと業界は困るのだ。環境省は適正な専門家の知見に基づく数値規制を怠り、自治体は判断できず責任逃れ、悪質な業者は取り締まられないままだ。環境省や業者の発言の迷走が生々しい。
『生後35日くらいの大きさで持っていけば、最低でも10万円くらいになる。しかし生後35日で離したら、社会化もできない、股関節の発育も不完全、母乳もしっかり飲めていないから免疫力も高まっていない。そんな犬では、飼い主さんに安心して飼ってもらえないですよ。親犬に何度も転がされて、きょうだいたちと取っ組み合いのケンカをして、そういう経験によって社会化されるんです』。良い仔犬を飼い主に繋ぐことが優先で、そのために余分にかかるお金が惜しいなんて絶対言わない。これが本来のブリーダーとしての矜持。
読了日:03月17日 著者:太田匡彦
断片的なものの社会学の感想
私が専攻したのは心理学だった。しかし私が興味があったのは人間ではなく、自分だったのだと後に気づいた。著者は他者を見るまなざしが温かくて、さぞ人間が好きなのだろうと思いきや、そうではないと言う。他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだと言う。日々出会う、ひとかたまりの言葉。芸術的でも高尚でもないそれらを、それぞれ胸に留め、ふと胸のうちでなにかと繋がる。生きている限り付き合うしかない、どうしようもない自分。私同様に、相手もどうしようもない自分を抱えている事実に行き会うことで、私たちは自分を肯定できているのか。
『私たちは小さな断片だからこそ、自分が思う正しさを述べる「権利」がある。それはどこか、「祈り」にも似ている。その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。私たちにできるのは、瓶のなかに紙切れを入れ、封をして海に流すことだけだ。それがどこの誰に届くか、そもそも誰にも届かないのかを自分ではどうすることもできない』。そうだな、と思う。SNSはまるきり海のようだ。精一杯練った言葉も、呪いの言葉も、放ったところで誰に届くことないとどこかで思っているから、受け取られ受け取る先を期待していないのかもしれない。
読了日:03月16日 著者:岸 政彦
もっとヘンな論文の感想
引き続き「論文」の紹介。竹取の翁が話を盛る癖のある中年だった、走るメロスの速度がほぼ徒歩だったなどという内容がくだらなく思えても、検証方法が正当と受け止められる論文は立派に論文である。書いた人の情熱がいつか誰かの役に立つかもしれないと記す著者のロマンが眩しい。さて、昔の「追いかけてくるもの」が気配や鳴き声など五感的な怪しさを持っていたのに対し、現代のそれは首無しや四つん這いなど、ずいぶん視覚的な性質がかっているのは興味深い。五感の中でも視覚がおおかたを占める現代の生活を反映しているのだろう。動画時代よの。
読了日:03月15日 著者:サンキュータツオ
ナイルに死す〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 15)の感想
女性が憎らしくなるような女性の造形。それがヒロインというだけで掴みは万全なのに、女性がつい肩入れしたくなる女性やら蹴り倒したくなる男性やらがごろごろ登場するのだから、読み手は完全にクリスティの手中である。ナイルはクリスティの創作意欲をいたく刺激したのだろう、『岩の野蛮な感じ、風景の容赦ない残酷な感じ』は世界の不公平に尖る人心の暗喩とばかり、企みは強行される。もう引き返せない。そう思うことで破滅に向かう心は、片や挫けない心と対比されてどうしたって暗いはずなのに、よもやあっけらかんとした結末には呆然とした。
読了日:03月15日 著者:アガサ・クリスティー
世界の辺境とハードボイルド室町時代の感想
高野さんの知的好奇心や疑問に応え、また一緒に考察してくれる激レアさんは、日本中世専門の歴史研究者だった。怒涛トークでお互いに刺激し合っている気配が好い。日本中世の在り様を知ってアジアやアフリカの人の行動や習慣の意味合いに思い当たることも、またその逆も、世界を理解する手掛かりになる。「世界の辺境」と「昔の日本」は、多次元に交錯する世界の近接点なのだ。未確認動物と物の怪の共通点として『本当に信じている人たちに近づけば近づくほど、形がなくなっていく』は何気にすごい発見。口伝するうちに形が生まれてしまうのだろう。
読了日:03月13日 著者:高野 秀行,清水 克行
地球温暖化/電気の話と、私たちにできること (扶桑社新書)の感想
日本国内で二酸化炭素を排出している上位は電力会社と大工場、これは統計上明らかである。これを変えるには国を変えなければならず、時機を待つしかないだろう。日本の世帯当たりエネルギー消費量は他国に比べて少ないという。ならば個々人はオフグリッドを心がけるのが良いというのが私の意見だ。中央集権的な現在の送電システムを拒否する。太陽光発電の自家消費で100%自給は難しいだろうが、家の断熱、ガスと太陽光温水器の有効利用で補い、使用量を低減するという絵図を夢想している。エコワンソーラーが面白そうなので憶えておく。
廃棄物処理についても興味深い記述があったので書きおいておく。生ごみはたい肥に、下水は液肥に、下水スラッジは肥料にして田畑に還元する試みが自治体レベルであるらしい。これは素晴らしいと思う。江戸への回帰である。全ての自治体で実用化されることを夢見つつ、コンポストがんばる。
読了日:03月10日 著者:田中 優
男も女もみんなフェミニストでなきゃの感想
著者はナイジェリア生まれの"男嫌いではないハッピーなアフリカ的フェミニスト"を自称する作家。2013年のTEDトークが基だ。『フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者』。ナイジェリアと日本の間に習俗的な差異はあれど、女性に課せられた足かせの性質はほとんど同じである。無論、男性のそれも。お互いほんまにしんどいことやなと思う。ジェンダーギャップ指数120位の日本としては、ひとつひとつ根気よく解除するしかないが、"上"が考え方をアップデートして決め事を変えないとどうもならん、と痛感する。
四国で数百人いるある集まりに、女性は私一人である。この状態で、もう10年以上になる。所属する地域の部会では、皆私の存在に慣れているが、私が入る前と後では、雰囲気が変わっただろうと思う。それがお互いにとって良いことか悪いことか、私には今も解らない。そしてなぜ女性が増えないか。当たり前だ。大変な思いをすることは、最初から想像のつくことだし、親だってそんなところに娘をやりたくはないだろう。結果得たものも多いけれど、未だに息苦しい思いをすることや、無意識に受け流すものごとも多い。もう、ええかな。と思う。
読了日:03月09日 著者:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検するの感想
『経済学は突き詰めるとインセンティヴの学問だ』。有名な研究者だそうだが、トピックが不正や犯罪なのでつい興味を惹かれて、読みやすい。疑問に思う事象の真実を見定めるための、着眼×充分条件を備えたデータ×分析。ワシントンのベイグル屋さんの話が私には印象深かった。都市に住む人間の善性を表わした結果がシンプルに出ている、"道徳と経済の交差点"。無人販売で誰も見ていなくても、87%の人はベイグルの対価を払う。たった1$の対価を払わず盗るのは、士気が低い企業の、大きなオフィスで、地位の高い人が多いそうだ。数字って雄弁。
道徳的インセンティヴが経済的インセンティヴに入れ替わり、経済的インセンティヴがなくなっても道徳的インセンティヴが戻らないという実例は、近頃特に多くなっているのではないかと推測する。例えば、車のスピード違反で捕まって、いかんなと反省しかかっているところに、罰金の金額を知らされ、憤慨しながら罰金を払ったが最後、反省は遠く彼方にぶっ飛んだまま戻ってこないような…ちょっと違うか。もとい、「罰金」なり「延長料金」なり、金銭を払えば済まされる決まりは、最近多いと思う。しかし実は、それは人間の道徳を損なう仕組みなのだ。
読了日:03月08日 著者:スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー
サバイバル家族 (単行本)の感想
小雪さんのエッセイと対になるエッセイ、自称"繁殖奮闘記"。もはや相聞歌と呼べないか。『俺といっしょに暮らしたほうが絶対面白いから』と口説き落としたという、自慢の奥さんである小雪さんが描く服部文祥ははちゃめちゃだったから、服部文祥の側から見たら物事はかくも反転するのかと感心しきりだった。3人の子供たちもそれぞれ相応にたくましく育って、独特な服部家のかたちはとても幸せそうに見えた。なお、シカの脳みそを食べたニワトリの卵が濃厚でべらぼうに旨いという強烈すぎる事実は、私の人生には役立ちそうにはないが、覚えておく。
読了日:03月07日 著者:服部 文祥
イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑 (角川ソフィア文庫)の感想
時代に必要とされて生まれた仕事が、技術革新によって、あるいは資本による集約化によって消えた。特に後者のうちいくつかは見直される時期がくるのではと私は想像している。それらは経済とは別の次元の価値が見失われているだけなので、ある意味令和の時代のビジネスアイデアの芽と呼べるものが落ちている期待を持って読んだのだ。ただ職人の技術には復活しえないものもあるので、これらが失われつつあるのは残念極まりない。心根の卑しい仕事は今も似たり寄ったりなのに。なお、私は、かの時代なら、新聞社の編集局機報部鳩室伝書鳩係になりたい。
高木護の乞食見習いの話が面白い。『服装は百年一日のごとく、言葉は不明瞭に、月日は気にしないこと。明瞭に礼を言うと、相手は恵んだ気持ちになるが、不明瞭に言えば神様に物を供えたような気持になる』。これって実は深い話だと唸る。深いと言えば指物大工の言葉も。 『専門性が高いのです。逆にいろんな分野の経験をしたら平べったい知識しか生まれません』。
おばけ暦。明治政府が太陰暦を廃した時、六曜やさんりんぼうなどは迷信として削除され、太陽暦には七曜と干支、太陽と月の出入りが掲載された。庶民はそれでは困るんで、こっそり六曜やさんりんぼうの入った暦を印刷して使っていた。それがおばけ暦。戦後、自由化と共におばけ暦は晴れておばけでなくなったのだそうだ。現代でも商売をしていれば無縁ではいられないので、入ったカレンダーを選んで使っている。ちょっと大きな買い物をするときは神宮暦を見る。おっと、正確には高島暦か。神宮暦は今も"迷信を廃し"ているとのこと。見てみたい。
読了日:03月04日 著者:澤宮 優
注:
は電子書籍で読んだ本。
使命感と依存症状の混じりあった悦楽。
<今月のデータ>
購入24冊、購入費用30,350円。
読了20冊。
積読本313冊(うちKindle本143冊、Honto本14冊)。

3月の読書メーター
読んだ本の数:18

我が家はインド映画にはまり、まあまあの数を観てきた。どれがどれかわからなくなっていたりもするので、写真で思い出したり、まだ観ていない映画をリストアップしてきゃぴきゃぴ楽しめたらくらいの感覚で開いたら、全く真剣な分析と論評の本だった。広いインドは言語も文化も土地によってばらばらで、従って一口にボリウッドと呼んでしまっていたけれど、映画も違うのだそうだ。シネコンの興隆によって、従来インド人が楽しんだ楽しみ方ができる映画が減った話は寂しい。話の流れを踏み倒すほど盛ったシーンやダンスが私は気に入っているのに。
読了日:03月29日 著者:夏目 深雪,松岡 環,高倉 嘉男,安宅 直子,岡本 敦史,浦川 留

アメリカ在住者でないとそこにあるとわからない感覚が必要とされる小説。メンフィスの街でユダヤ人が悪目立ちしないようにという動機が、主人公の中で常に働いている。黒人に次いで蔑まれるユダヤ人は、悪事を働けばすぐに迫害された。"偏見と敵意のごった煮"の中で自分や家族の身を守るためだ。とはいいつつ、彼は歩くことすら覚束なくなっても尋問の途中で確信がおぼろげになっても、愛用の357マグナムは持ち歩き、機会あらばぶっ放す気満々の困った爺さんだ。人は生きてきたようにしか生きられない。息子の死の謎については次に持ち越し。
読了日:03月29日 著者:ダニエル・フリードマン


たぶんすごい本なのだ。親指が行方不明くらいならぼんやり想像もできようが、その後のあれこれに至っては全く途方に暮れる。尹さんの「体の知性を取り戻す」が私と私の身体の融和への光明になっただけに、この圧倒的な置いて行かれ感に呆然としてしまった。しかし私には私の、身体的にも精神的にも"他にどうしようもできなかった"記憶があって、それのことなんだろうと含むしかない。意識と身体のズレ、思考と時間のズレ、かと。手首の関節を限りなく曲げていく光岡先生の練習が興味深い。加減を知悉しないと折れるし、信頼がないと任せられない。
読了日:03月24日 著者:尹雄大

朗読を聴いたとき、子アザラシの皮でつくったかもしれない太鼓を母アザラシに渡すなど、なんてブラックな童話かと腰を抜かしそうになった。そんなうがった見方をする私のようなのは少数派らしく、調べてみた。小川未明自身が二人の子供を亡くしている。ならばこれは、自ら味わった子を失う悲しみ、その癒やしを描いた作品なのだ。氷の上を渡る太鼓の音、それが少しでも癒やしになるならば、よいではないか。と言いながら、その音は南の人間たちの楽しんだ音とは違って、寒々しい音、気紛らわしの手慰みであったのではないかと思ってしまうのだ。
読了日:03月24日 著者:小川 未明

可愛げのない女としては、「可愛いひと!」と賛嘆されるためにはどうあればよいのか探るように読んだ。わかっていたことだが、これは、仮に若い時分に読んだとしても真似るのは無理だ。空っぽ。リンドバーグ「海からの贈物」を思い出した。満たして、こぼす。自分に意見やらやりたい事やらがあったらたちまち目に漏れてしまう。空っぽであればこそ、相手に満額合わせることができるし、相手に惜しみなく注ぐこともできるのだ。そして露ほども疑うことがないという最強の無邪気さ。相手があってこその生。そういう人と生きたら、しあわせだろうか…?
読了日:03月23日 著者:アントン チェーホフ

ホモ・サピエンスは生来、善である。ルソーの描いた社会ではなく、ホッブスの描いたそれを実現してしまった現代はいろいろ間違えてしまっているが、空爆や大災害で人間の善良さは損なわれない、と学者たちは事実を挙げてみせた。オキシトシンは身内に優しくなる物質だ。人々の行動は平和で善である。私もそれを信じたい。しかし、ならばなぜシリアやウクライナのようなことが起きるのか。上巻では、人間の悪について証明したと考えられている有名な研究結果や事例を数々喝破しており、私たちに摺り込まれたバイアスを突き崩す。読んで良かった。
イースター島文明の衰退は、内乱ではなく堕落でも乱伐でもなく侵略ゆえであったと判明した。わりと直近に西洋人に上陸され、西洋人の基準で解釈された記憶を持つ国民としては、イースター島の内乱の記録が虚偽であったと知ってもやもやする。欧米人の、世界の支配者としての、歴史観の独善が鼻につく。イースター島の人々は善であった。機智と知恵で繁栄してきた。では、なぜ絶滅に追い込まれたのか。そうではない結末がもっともらしく流布されてきたのは何故か。訪れた側、欧米人の中に平和でも善でもない意志があったということにならないか?
なぜこんな戦争が起きるのか。プーチンというサイコパスと、プーチンを信じるアイヒマンと、プーチンに騙された善人がウクライナの人々を虐殺したのか。違うだろう。誰が決定し、引き金を引き、ミサイルのスイッチを押したのか。目の前にいる人間は撃てなくても、遠隔なら学校にも病院にも大型ミサイルを撃ち込めるのか。ロシア軍の攻撃は見境なくなっており、人を殺すことに慣れてきたようにさえ見える。善なるものはいつなんどきでも善ではない。真実を知りたい。解決する道を知りたい。
読了日:03月22日 著者:ルトガー・ブレグマン


味噌汁から始まる自立。この春新たに独立する若者に向けた餞のような、応援されている感じがうきうきする。味噌汁の基本は水と味噌。「一汁一菜~」では、煮干しは最初から食べるまで入れっぱなしでよいという発想を教えていただいたが、今回はなんと、事前に取る出汁は重要でないのだよとハードルを下げる下げる。改めて「こうあるべき」ではない、味噌汁の自由を知る。自分のためだけの"自立の味噌汁"と、食べさせる相手ができたときの"家族の味噌汁"などにレシピが大別されているが、私は分け隔てなく食卓に出すつもりだ。父娘共著が面映い。
父ということは、土井勝氏?が高松出身とは知らなかった。白味噌仕立てのあん餅雑煮が常とは俄然親近感がわく。私はこの雑煮に開眼するのが遅くて、というのもあん餅雑煮の出汁はいりこが良いと知らずにきてしまったからだ。それを知ってから、出汁と味噌の関係の奥深さに気づき、いろいろ試してみるようになった。それにしても、昨日つくってみたところの、水にツナの水煮缶をぶっ込んだ味噌汁の旨さには仰天した。ああ、我が脳みその、なんと雁字搦めに縛られていることよ。
『腹中をくつろげ、血を活かし、百薬の毒を排出する。胃に入って、消化を助け、元気を運び、血のめぐりを良くする。痛みを鎮めて、よく食欲をひきだしてくれる。嘔吐をおさえ、腹下しを止める。また、髪を黒くし、皮膚を潤す』(本朝食鑑)。もう、ええことしかない。
読了日:03月21日 著者:土井 善晴,土井 光

気になっていた作家の短編集。豆腐好きとか車好きとか飲んだくれとか、物語に関係あるんだかよくわからない人物設定と、安倍晴明と狐の伝説がとか、長野の食蟲文化はすごいみたいな、博識なんだかよくわからない知識を織り込んだ展開で、つい読み進まされてしまう。どっちとも取れる結末の真意が気になりつつも、まあよし。表題といい、古臭いような怪異譚なのだが、京極夏彦のようにずぶずぶと暗い迷路に沈み込んでいく生真面目さも無いので気楽だ。これは、続きがあったりするのだろうか。またいずれかの機会に読んでみたい。もし憶えていたら。
読了日:03月21日 著者:津原 泰水


生体販売ビジネスの闇は動愛法改正によって改善されたか、との問いには否と答えよう。生体販売の8週齢規制、飼育環境規制案に対し、繁殖業者、販売業者、フード販売業者、品種認定団体、保険業者で構成する団体は全力で抵抗してきた。最終的に8週齢規制は成ったが、まさか生年月日を偽装してくるとは仰天だ。つまり、一般人にたくさん飼ってもらわないと業界は困るのだ。環境省は適正な専門家の知見に基づく数値規制を怠り、自治体は判断できず責任逃れ、悪質な業者は取り締まられないままだ。環境省や業者の発言の迷走が生々しい。
『生後35日くらいの大きさで持っていけば、最低でも10万円くらいになる。しかし生後35日で離したら、社会化もできない、股関節の発育も不完全、母乳もしっかり飲めていないから免疫力も高まっていない。そんな犬では、飼い主さんに安心して飼ってもらえないですよ。親犬に何度も転がされて、きょうだいたちと取っ組み合いのケンカをして、そういう経験によって社会化されるんです』。良い仔犬を飼い主に繋ぐことが優先で、そのために余分にかかるお金が惜しいなんて絶対言わない。これが本来のブリーダーとしての矜持。
読了日:03月17日 著者:太田匡彦

私が専攻したのは心理学だった。しかし私が興味があったのは人間ではなく、自分だったのだと後に気づいた。著者は他者を見るまなざしが温かくて、さぞ人間が好きなのだろうと思いきや、そうではないと言う。他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだと言う。日々出会う、ひとかたまりの言葉。芸術的でも高尚でもないそれらを、それぞれ胸に留め、ふと胸のうちでなにかと繋がる。生きている限り付き合うしかない、どうしようもない自分。私同様に、相手もどうしようもない自分を抱えている事実に行き会うことで、私たちは自分を肯定できているのか。
『私たちは小さな断片だからこそ、自分が思う正しさを述べる「権利」がある。それはどこか、「祈り」にも似ている。その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。私たちにできるのは、瓶のなかに紙切れを入れ、封をして海に流すことだけだ。それがどこの誰に届くか、そもそも誰にも届かないのかを自分ではどうすることもできない』。そうだな、と思う。SNSはまるきり海のようだ。精一杯練った言葉も、呪いの言葉も、放ったところで誰に届くことないとどこかで思っているから、受け取られ受け取る先を期待していないのかもしれない。
読了日:03月16日 著者:岸 政彦

引き続き「論文」の紹介。竹取の翁が話を盛る癖のある中年だった、走るメロスの速度がほぼ徒歩だったなどという内容がくだらなく思えても、検証方法が正当と受け止められる論文は立派に論文である。書いた人の情熱がいつか誰かの役に立つかもしれないと記す著者のロマンが眩しい。さて、昔の「追いかけてくるもの」が気配や鳴き声など五感的な怪しさを持っていたのに対し、現代のそれは首無しや四つん這いなど、ずいぶん視覚的な性質がかっているのは興味深い。五感の中でも視覚がおおかたを占める現代の生活を反映しているのだろう。動画時代よの。
読了日:03月15日 著者:サンキュータツオ


女性が憎らしくなるような女性の造形。それがヒロインというだけで掴みは万全なのに、女性がつい肩入れしたくなる女性やら蹴り倒したくなる男性やらがごろごろ登場するのだから、読み手は完全にクリスティの手中である。ナイルはクリスティの創作意欲をいたく刺激したのだろう、『岩の野蛮な感じ、風景の容赦ない残酷な感じ』は世界の不公平に尖る人心の暗喩とばかり、企みは強行される。もう引き返せない。そう思うことで破滅に向かう心は、片や挫けない心と対比されてどうしたって暗いはずなのに、よもやあっけらかんとした結末には呆然とした。
読了日:03月15日 著者:アガサ・クリスティー

高野さんの知的好奇心や疑問に応え、また一緒に考察してくれる激レアさんは、日本中世専門の歴史研究者だった。怒涛トークでお互いに刺激し合っている気配が好い。日本中世の在り様を知ってアジアやアフリカの人の行動や習慣の意味合いに思い当たることも、またその逆も、世界を理解する手掛かりになる。「世界の辺境」と「昔の日本」は、多次元に交錯する世界の近接点なのだ。未確認動物と物の怪の共通点として『本当に信じている人たちに近づけば近づくほど、形がなくなっていく』は何気にすごい発見。口伝するうちに形が生まれてしまうのだろう。
読了日:03月13日 著者:高野 秀行,清水 克行


日本国内で二酸化炭素を排出している上位は電力会社と大工場、これは統計上明らかである。これを変えるには国を変えなければならず、時機を待つしかないだろう。日本の世帯当たりエネルギー消費量は他国に比べて少ないという。ならば個々人はオフグリッドを心がけるのが良いというのが私の意見だ。中央集権的な現在の送電システムを拒否する。太陽光発電の自家消費で100%自給は難しいだろうが、家の断熱、ガスと太陽光温水器の有効利用で補い、使用量を低減するという絵図を夢想している。エコワンソーラーが面白そうなので憶えておく。
廃棄物処理についても興味深い記述があったので書きおいておく。生ごみはたい肥に、下水は液肥に、下水スラッジは肥料にして田畑に還元する試みが自治体レベルであるらしい。これは素晴らしいと思う。江戸への回帰である。全ての自治体で実用化されることを夢見つつ、コンポストがんばる。
読了日:03月10日 著者:田中 優


著者はナイジェリア生まれの"男嫌いではないハッピーなアフリカ的フェミニスト"を自称する作家。2013年のTEDトークが基だ。『フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者』。ナイジェリアと日本の間に習俗的な差異はあれど、女性に課せられた足かせの性質はほとんど同じである。無論、男性のそれも。お互いほんまにしんどいことやなと思う。ジェンダーギャップ指数120位の日本としては、ひとつひとつ根気よく解除するしかないが、"上"が考え方をアップデートして決め事を変えないとどうもならん、と痛感する。
四国で数百人いるある集まりに、女性は私一人である。この状態で、もう10年以上になる。所属する地域の部会では、皆私の存在に慣れているが、私が入る前と後では、雰囲気が変わっただろうと思う。それがお互いにとって良いことか悪いことか、私には今も解らない。そしてなぜ女性が増えないか。当たり前だ。大変な思いをすることは、最初から想像のつくことだし、親だってそんなところに娘をやりたくはないだろう。結果得たものも多いけれど、未だに息苦しい思いをすることや、無意識に受け流すものごとも多い。もう、ええかな。と思う。
読了日:03月09日 著者:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ


『経済学は突き詰めるとインセンティヴの学問だ』。有名な研究者だそうだが、トピックが不正や犯罪なのでつい興味を惹かれて、読みやすい。疑問に思う事象の真実を見定めるための、着眼×充分条件を備えたデータ×分析。ワシントンのベイグル屋さんの話が私には印象深かった。都市に住む人間の善性を表わした結果がシンプルに出ている、"道徳と経済の交差点"。無人販売で誰も見ていなくても、87%の人はベイグルの対価を払う。たった1$の対価を払わず盗るのは、士気が低い企業の、大きなオフィスで、地位の高い人が多いそうだ。数字って雄弁。
道徳的インセンティヴが経済的インセンティヴに入れ替わり、経済的インセンティヴがなくなっても道徳的インセンティヴが戻らないという実例は、近頃特に多くなっているのではないかと推測する。例えば、車のスピード違反で捕まって、いかんなと反省しかかっているところに、罰金の金額を知らされ、憤慨しながら罰金を払ったが最後、反省は遠く彼方にぶっ飛んだまま戻ってこないような…ちょっと違うか。もとい、「罰金」なり「延長料金」なり、金銭を払えば済まされる決まりは、最近多いと思う。しかし実は、それは人間の道徳を損なう仕組みなのだ。
読了日:03月08日 著者:スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー


小雪さんのエッセイと対になるエッセイ、自称"繁殖奮闘記"。もはや相聞歌と呼べないか。『俺といっしょに暮らしたほうが絶対面白いから』と口説き落としたという、自慢の奥さんである小雪さんが描く服部文祥ははちゃめちゃだったから、服部文祥の側から見たら物事はかくも反転するのかと感心しきりだった。3人の子供たちもそれぞれ相応にたくましく育って、独特な服部家のかたちはとても幸せそうに見えた。なお、シカの脳みそを食べたニワトリの卵が濃厚でべらぼうに旨いという強烈すぎる事実は、私の人生には役立ちそうにはないが、覚えておく。
読了日:03月07日 著者:服部 文祥

時代に必要とされて生まれた仕事が、技術革新によって、あるいは資本による集約化によって消えた。特に後者のうちいくつかは見直される時期がくるのではと私は想像している。それらは経済とは別の次元の価値が見失われているだけなので、ある意味令和の時代のビジネスアイデアの芽と呼べるものが落ちている期待を持って読んだのだ。ただ職人の技術には復活しえないものもあるので、これらが失われつつあるのは残念極まりない。心根の卑しい仕事は今も似たり寄ったりなのに。なお、私は、かの時代なら、新聞社の編集局機報部鳩室伝書鳩係になりたい。
高木護の乞食見習いの話が面白い。『服装は百年一日のごとく、言葉は不明瞭に、月日は気にしないこと。明瞭に礼を言うと、相手は恵んだ気持ちになるが、不明瞭に言えば神様に物を供えたような気持になる』。これって実は深い話だと唸る。深いと言えば指物大工の言葉も。 『専門性が高いのです。逆にいろんな分野の経験をしたら平べったい知識しか生まれません』。
おばけ暦。明治政府が太陰暦を廃した時、六曜やさんりんぼうなどは迷信として削除され、太陽暦には七曜と干支、太陽と月の出入りが掲載された。庶民はそれでは困るんで、こっそり六曜やさんりんぼうの入った暦を印刷して使っていた。それがおばけ暦。戦後、自由化と共におばけ暦は晴れておばけでなくなったのだそうだ。現代でも商売をしていれば無縁ではいられないので、入ったカレンダーを選んで使っている。ちょっと大きな買い物をするときは神宮暦を見る。おっと、正確には高島暦か。神宮暦は今も"迷信を廃し"ているとのこと。見てみたい。
読了日:03月04日 著者:澤宮 優

注:

2022年03月01日
2022年2月の記録
ウクライナがこんなことになって、テレビやSNSを見ては腹を立てたり涙ぐんだりしている。
「同志少女よ、敵を撃て」を読んで、二次大戦の独ソ戦のことを初めて知った矢先。
次いで「戦争は女の顔をしていない」を読んでいる。
民間人が女性も年寄りも火器を手に取り、国を守ろうと立ち上がる心性は日本人には無い。
ドイツと戦った記憶が、今度はウクライナ国民をロシアに立ち向かわせている。
どうか早く早く、戦争が終わりますように。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用9,564円。
読了12冊。
積読本309冊(うちKindle本140冊、Honto本14冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:12
新装版 海も暮れきる (講談社文庫)の感想
私には難題だった。放哉をどう見ればよいのか。はっきり言えば、人としてどう「評価」していいかわからない、と思ってしまうのだ。托鉢僧でも乞食でも、米や金を喜捨すれば謙虚に振る舞う。それを放哉は貰って当たり前とうそぶき、罵倒で返すのだ。酒に溺れる自身を正当化し、開き直り、そのくせ自己憐憫がちで卑屈で、周りを不快にする。その放哉を許せないことは、私自身をも許されない対象になりうる危うさを自覚させるのだ。しかし放哉は、幾人もの他人に支えられ、木瓜を活けた庵の畳の上で往生する。意味を考えあぐねて途方に暮れる春が来る。
酒に関しては私もがめつい方で、行儀が良いとは言えない。若い頃は泥酔して同席者や店に迷惑をかけたことは数えきれない。そう、迷惑。この言葉は要注意だ。「迷惑をかけない」ことは、近代現代になって美徳と成ったのではなかったか。自分は他人に迷惑をかけないようにする。だから他人も私に迷惑をかけるな。その心根は言わずともにじみ出るもの。誰にも迷惑をかけず生きることなどできないと、私はいつか思い知るだろう。そのとき初めて、人は許すものではない、頼り、支え合い、共に生きるものとわかるだろう。
読了日:02月28日 著者:吉村 昭
絶対に挫折しない日本史 (新潮新書)の感想
挫折しかけた。「サピエンス全史」に触発されて書きたいと思ったのだそうだ。歴史を通観する試みは、全体を掴む手法として良い。人々の常識や価値観はその時代の置かれた状況によって違うもので、絶えず変転してきたのだから。しかし彼自身が現代の常識や価値観に囚われていることが透けて見える書き方なので、読み手の方が詳しければ鼻白む箇所もあるだろう。また落合陽一や杉田水脈をディスったところで主張が浮き上がるものでもない。とはいえ、大量の文献を引っぱり出し、引用した内容を比較考察し、彼らしい所感をぶっ込んできた勇気に拍手。
読了日:02月25日 著者:古市 憲寿
土になるの感想
うわあ、過剰な人。自分の関心事には時間の限り詰め込むのだから、それは消耗する。『僕たちは土から離されてい』たから心身の均衡を崩していた。土と向かい合うことで「自然」に合わせるられるようになったと繰り返し書いている。しかし「自分優先」なリズムは変わらないもののようだ。さて、ものづくりを新しく手にかけ、持続するためには何が必要なのだろう。好奇心だけではだめなのだ。下手な器用さはもっとだめだ。もっと、身の内側から湧くなにかを時期良く捉えないと、自分の一生ものにはならない。それがこの人は、とても上手いのだと思う。
読了日:02月24日 著者:坂口 恭平
老ヴォールの惑星 (次世代型作家のリアル・フィクション ハヤカワ文庫 JA (809))の感想
やさしいSF。設定はガチだが、技術面は深く考えなくても、そんなに哲学的にならなくても、楽しんで読めるところがいい。「ギャルナフカの迷宮」と「漂った男」が気に入っている。どちらも人類向きではない、未知の地で、なんとか生き延びようとする男の話である。なんだけど、深刻に"生きる意味"など考え込ませない、圧迫感のなさが心地よい。他に生命体のいない惑星の海面に浮かんで、服を着るか捨てるか、清潔を保つよう心がけるかおざなりにするか問題とか。ますますお気に入りの作家さん、しかし《天冥の標》はさすがに長そうで手が出ない。
読了日:02月24日 著者:小川 一水
バーバ・ヤガーの感想
読み友さんの感想から、不思議な雰囲気に惹かれて手に取る。ほんまや、足はえとる…。しかもなかなか破壊力のある家である。台風にも洪水にも負けそうにない。そしてバーバ・ヤガーの乗り物は、臼なのである。いろいろと想像をぶっ超えてくるのは、文化の違い故なのか、作者の想像力の賜物なのか判然としないのだけれど、楽しい。絵は、版画だろうか。木々や部屋のニュアンスが、異国文化の情調と相まってうっとり眺めてしまう。文字多めの絵本。
読了日:02月23日 著者:アーネスト スモール
室町は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界の感想
たくましいな室町日本人。「くらしのアナキズム」でひとしきり考えた後に読むと、権力者によって一元的に支配されるのではなく、むしろ自分たちで決めたローカルルールでうまいことやっていた感じがわかる。国家使節団になりすまして朝鮮王朝に再々乗り込むとか、夫が浮気したら浮気相手の家を集団で襲撃するとか、自分勝手に改元した年号を使うとか、耳を疑うようなことも、詳しく聞くとなるほどなあ、と納得する論理がある。『虹の立つところに市を立てる』習俗が素敵だ。物の売買が日常的でなかったころ、同じくレアな虹に結び付けた純粋さよ。
読了日:02月20日 著者:清水 克行
サマルカンドへ 〔ロング・マルシュ 長く歩く 2〕の感想
シルクロードを歩く旅は続く。今回はトルコからイラン、トルクメニスタン、ウズベキスタンまで。イランは豊かな地だ。人々は寛容で親切で、陽気に熱心に旅人をお茶に誘う。泊める。国際社会から嫌われている権力者たちは国民にも嫌われている。大いなる自然、それにペルシャ建築の美しい遺構。著者は苦労して、その美しさを味わう権利を手に入れる。サマルカンドの市場は、民族も香りも品物も色彩も言語もごったに溢れて、圧巻のクライマックスだ。次巻はまだ日本語で出版されていない。ぜひ訳して出版してほしいと、これから出版社に葉書を出す。
トルコ、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、中国と、シルクロードの通る地が今はどれも独裁的な国家だと気づいた。素人の想像では、西へ東への交流が多かったことによって他民族が混在し、それを統制するために、より強権的、独裁的な国家が生まれやすいという考え方は的外れだろうか? 人々の新しもの好きや寛容さもまた、同じくシルクロード商人の遺伝子の発露と考えれば、いずれの国でもこの2点は両立しうるのだ。
読了日:02月17日 著者:ベルナール・オリヴィエ
くらしのアナキズムの感想
「できるだけ国に頼らず生きる」方法を最近よく考える。私は無政府主義者になりつつあるのだろうか。それは、日々感じる、国や社会の仕組みの不全によるものとは気づいていたが、こう考えればよかったのか、と納得することしきりの読書だった。自分たちの自由や平等を損なうものの正体は、資本主義であり、行政や専門家に全て丸投げする社会の仕組みであり、古来の高度なスキルとすり替わった合理性偏重の思考である。私の感覚はその流れに呼応したものであり、諸事いろいろに繋がっていると知る。身の回り、小さなことからアナキズムを実践しよう。
アナキズムは国家の有無と関係ないと考えてみることは新鮮だった。民主主義国家であれ独裁国家であれ、諸大国は新型コロナを抑え込めなかった。集団が大きくなって解決できることもあるけれど、まとめるために漏れてしまうものも無視できないくらい多くなってしまっている。アナキズムこそは人類にとってのデフォルト。だから他者と共に生きるための高度なスキルが民族ごと、日本人の間にも古来育まれてきたことは、民俗学や人類学の文献にも明らかだ。さて、では時間や空間を自分のためだけに使う自由を、私たちは手放すことができるのだろうか?
読了日:02月16日 著者:松村圭一郎
余興の感想
鴎外を耳で聴くのも予想どおり難しかった。読み直すと、耳を素通りしていた熟語が多々あった。しかし面白い。同郷人の集まりでの一幕。宴席で若い芸者を前に、猪口を反射的に引っこめ、思い直して差し出す、一瞬の葛藤がたまらなく好い。賑やかに酌み交わす場の片隅で、自分だけが間隙にはまったようにもがき、フル回転で気持ちの整理をしている、その静寂。親近感を覚えてにやにやしてしまう。きすさんはいい人だ。彼の内心を読めるような人ではない。彼が自分を軽く見ているのに気づいていて、なお優しい。そこにも気づくか、悩むか、悩まないか。
読了日:02月08日 著者:森 鴎外
都市で進化する生物たち: ❝ダーウィン❞が街にやってくるの感想
「人間vs.自然」ではなく、自然の一部であるところの人間が殖えすぎただけ。まあ、そうなのだろう。しかし人間が余りに早く大規模に環境を改変してしまった事実への私の青臭い罪悪感は拭えない。多数の種は適応できずに絶滅するのであり、他方、一部の種はその改変速度と競うように遺伝子を変化させて生存の道を探る。私にそのダイナミクス全体が捉えきれていないのは確かだ。仰天したのは、タバコの吸い殻を持ち帰って巣のダニ除けにする鳥。そしてPCBに汚染された湾で生き抜く生物。目を皿にして会社の周りを毎朝掃除する私は何なのだろう。
環境に関して、良くない話ばかりなので、明るい気分になりたくてこの本を選んだけれど、失敗かな。「人為性の急変的進化」は、人間側から言って「自然のたくましさ」と呼ぶことができるだろう。たくましいとは思うけれど、人間がコンクリートの床より木の床に触れて安心するように、鳥だってワイヤーハンガーの巣より木枝の巣の方が、ラップがへばりついた残飯より柿の実の方が、健やかに生きられるんじゃないかと思う。
都市の庭は、多くの種の微小生息地として、それぞれは小さくとも生態系は豊かだという。しかも建物や道路によって生息域が分断されることにより、庭によって動植物相は完全に異なる。そう考えることは、星の数ほどの生態系が身近にあるようで嬉しくなる。先日、亡き祖母の庭を潰す作業をした。祖母が長年にわたって生ごみをぽいぽい投げ捨てていた庭の土は肥料知らずながら豊かで、土と植物の断片からはふくよかな良い匂いがした。小宇宙をひとつ壊したような切なさを、仕方ないものとしてぐっと抑え込んだ。
読了日:02月07日 著者:メノ スヒルトハウゼン
老虎残夢の感想
江戸川乱歩受賞作。特殊設定下の本格には違いない。中国武術の修練の末に得た、凡人には不可能なスキルが、犯人を絞り込む手掛かりになるあたり、中国武術を習う者の端くれとしても面白い。内功が剣に流れ込むイメージは練習に使えそうな気がするな、うん。しかし、、、露骨な百合が私には邪魔。人物を置いていったら、そういう関係が必要になってしまったかもしれないけれど、もう少し秘めた感じでもよかったんじゃないかなあ。それと、泰隆のイメージが十二国記の尚隆に重なってしまったんだが、なんか似すぎてやいないかと勘繰るのは穿ちすぎか。
読了日:02月04日 著者:桃野 雑派
芥川龍之介『藪の中』を読む(文芸漫談コレクション) (集英社ebookオリジナル)の感想
「藪の中」が好きな身には不興な対談。何故だ面白いのに。いとう氏と奥泉氏が評価しない理由は、原典とされる『今昔物語集』に対して、平面的で人間の掘り下げが無いただのストーリーだからだそうだ。そうだろうか? 若い頃から芥川を読んで悶々としていた私には、「藪の中」の三人の証言に見え隠れする人間の業が、今回改めて聴いた青空朗読の声の裏に凝るようでやはり面白かった。私は三人とも嘘をついていると解釈している。他者に対して嘘をつかせるもの、三者それぞれに理由がある。一人称だから書ける。このシリーズは私に合いそうにないな。
読了日:02月02日 著者:奥泉光,いとうせいこう
注:
は電子書籍で読んだ本。
「同志少女よ、敵を撃て」を読んで、二次大戦の独ソ戦のことを初めて知った矢先。
次いで「戦争は女の顔をしていない」を読んでいる。
民間人が女性も年寄りも火器を手に取り、国を守ろうと立ち上がる心性は日本人には無い。
ドイツと戦った記憶が、今度はウクライナ国民をロシアに立ち向かわせている。
どうか早く早く、戦争が終わりますように。
<今月のデータ>
購入16冊、購入費用9,564円。
読了12冊。
積読本309冊(うちKindle本140冊、Honto本14冊)。

2月の読書メーター
読んだ本の数:12

私には難題だった。放哉をどう見ればよいのか。はっきり言えば、人としてどう「評価」していいかわからない、と思ってしまうのだ。托鉢僧でも乞食でも、米や金を喜捨すれば謙虚に振る舞う。それを放哉は貰って当たり前とうそぶき、罵倒で返すのだ。酒に溺れる自身を正当化し、開き直り、そのくせ自己憐憫がちで卑屈で、周りを不快にする。その放哉を許せないことは、私自身をも許されない対象になりうる危うさを自覚させるのだ。しかし放哉は、幾人もの他人に支えられ、木瓜を活けた庵の畳の上で往生する。意味を考えあぐねて途方に暮れる春が来る。
酒に関しては私もがめつい方で、行儀が良いとは言えない。若い頃は泥酔して同席者や店に迷惑をかけたことは数えきれない。そう、迷惑。この言葉は要注意だ。「迷惑をかけない」ことは、近代現代になって美徳と成ったのではなかったか。自分は他人に迷惑をかけないようにする。だから他人も私に迷惑をかけるな。その心根は言わずともにじみ出るもの。誰にも迷惑をかけず生きることなどできないと、私はいつか思い知るだろう。そのとき初めて、人は許すものではない、頼り、支え合い、共に生きるものとわかるだろう。
読了日:02月28日 著者:吉村 昭

挫折しかけた。「サピエンス全史」に触発されて書きたいと思ったのだそうだ。歴史を通観する試みは、全体を掴む手法として良い。人々の常識や価値観はその時代の置かれた状況によって違うもので、絶えず変転してきたのだから。しかし彼自身が現代の常識や価値観に囚われていることが透けて見える書き方なので、読み手の方が詳しければ鼻白む箇所もあるだろう。また落合陽一や杉田水脈をディスったところで主張が浮き上がるものでもない。とはいえ、大量の文献を引っぱり出し、引用した内容を比較考察し、彼らしい所感をぶっ込んできた勇気に拍手。
読了日:02月25日 著者:古市 憲寿


うわあ、過剰な人。自分の関心事には時間の限り詰め込むのだから、それは消耗する。『僕たちは土から離されてい』たから心身の均衡を崩していた。土と向かい合うことで「自然」に合わせるられるようになったと繰り返し書いている。しかし「自分優先」なリズムは変わらないもののようだ。さて、ものづくりを新しく手にかけ、持続するためには何が必要なのだろう。好奇心だけではだめなのだ。下手な器用さはもっとだめだ。もっと、身の内側から湧くなにかを時期良く捉えないと、自分の一生ものにはならない。それがこの人は、とても上手いのだと思う。
読了日:02月24日 著者:坂口 恭平

やさしいSF。設定はガチだが、技術面は深く考えなくても、そんなに哲学的にならなくても、楽しんで読めるところがいい。「ギャルナフカの迷宮」と「漂った男」が気に入っている。どちらも人類向きではない、未知の地で、なんとか生き延びようとする男の話である。なんだけど、深刻に"生きる意味"など考え込ませない、圧迫感のなさが心地よい。他に生命体のいない惑星の海面に浮かんで、服を着るか捨てるか、清潔を保つよう心がけるかおざなりにするか問題とか。ますますお気に入りの作家さん、しかし《天冥の標》はさすがに長そうで手が出ない。
読了日:02月24日 著者:小川 一水


読み友さんの感想から、不思議な雰囲気に惹かれて手に取る。ほんまや、足はえとる…。しかもなかなか破壊力のある家である。台風にも洪水にも負けそうにない。そしてバーバ・ヤガーの乗り物は、臼なのである。いろいろと想像をぶっ超えてくるのは、文化の違い故なのか、作者の想像力の賜物なのか判然としないのだけれど、楽しい。絵は、版画だろうか。木々や部屋のニュアンスが、異国文化の情調と相まってうっとり眺めてしまう。文字多めの絵本。
読了日:02月23日 著者:アーネスト スモール

たくましいな室町日本人。「くらしのアナキズム」でひとしきり考えた後に読むと、権力者によって一元的に支配されるのではなく、むしろ自分たちで決めたローカルルールでうまいことやっていた感じがわかる。国家使節団になりすまして朝鮮王朝に再々乗り込むとか、夫が浮気したら浮気相手の家を集団で襲撃するとか、自分勝手に改元した年号を使うとか、耳を疑うようなことも、詳しく聞くとなるほどなあ、と納得する論理がある。『虹の立つところに市を立てる』習俗が素敵だ。物の売買が日常的でなかったころ、同じくレアな虹に結び付けた純粋さよ。
読了日:02月20日 著者:清水 克行


シルクロードを歩く旅は続く。今回はトルコからイラン、トルクメニスタン、ウズベキスタンまで。イランは豊かな地だ。人々は寛容で親切で、陽気に熱心に旅人をお茶に誘う。泊める。国際社会から嫌われている権力者たちは国民にも嫌われている。大いなる自然、それにペルシャ建築の美しい遺構。著者は苦労して、その美しさを味わう権利を手に入れる。サマルカンドの市場は、民族も香りも品物も色彩も言語もごったに溢れて、圧巻のクライマックスだ。次巻はまだ日本語で出版されていない。ぜひ訳して出版してほしいと、これから出版社に葉書を出す。
トルコ、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、中国と、シルクロードの通る地が今はどれも独裁的な国家だと気づいた。素人の想像では、西へ東への交流が多かったことによって他民族が混在し、それを統制するために、より強権的、独裁的な国家が生まれやすいという考え方は的外れだろうか? 人々の新しもの好きや寛容さもまた、同じくシルクロード商人の遺伝子の発露と考えれば、いずれの国でもこの2点は両立しうるのだ。
読了日:02月17日 著者:ベルナール・オリヴィエ

「できるだけ国に頼らず生きる」方法を最近よく考える。私は無政府主義者になりつつあるのだろうか。それは、日々感じる、国や社会の仕組みの不全によるものとは気づいていたが、こう考えればよかったのか、と納得することしきりの読書だった。自分たちの自由や平等を損なうものの正体は、資本主義であり、行政や専門家に全て丸投げする社会の仕組みであり、古来の高度なスキルとすり替わった合理性偏重の思考である。私の感覚はその流れに呼応したものであり、諸事いろいろに繋がっていると知る。身の回り、小さなことからアナキズムを実践しよう。
アナキズムは国家の有無と関係ないと考えてみることは新鮮だった。民主主義国家であれ独裁国家であれ、諸大国は新型コロナを抑え込めなかった。集団が大きくなって解決できることもあるけれど、まとめるために漏れてしまうものも無視できないくらい多くなってしまっている。アナキズムこそは人類にとってのデフォルト。だから他者と共に生きるための高度なスキルが民族ごと、日本人の間にも古来育まれてきたことは、民俗学や人類学の文献にも明らかだ。さて、では時間や空間を自分のためだけに使う自由を、私たちは手放すことができるのだろうか?
読了日:02月16日 著者:松村圭一郎


鴎外を耳で聴くのも予想どおり難しかった。読み直すと、耳を素通りしていた熟語が多々あった。しかし面白い。同郷人の集まりでの一幕。宴席で若い芸者を前に、猪口を反射的に引っこめ、思い直して差し出す、一瞬の葛藤がたまらなく好い。賑やかに酌み交わす場の片隅で、自分だけが間隙にはまったようにもがき、フル回転で気持ちの整理をしている、その静寂。親近感を覚えてにやにやしてしまう。きすさんはいい人だ。彼の内心を読めるような人ではない。彼が自分を軽く見ているのに気づいていて、なお優しい。そこにも気づくか、悩むか、悩まないか。
読了日:02月08日 著者:森 鴎外


「人間vs.自然」ではなく、自然の一部であるところの人間が殖えすぎただけ。まあ、そうなのだろう。しかし人間が余りに早く大規模に環境を改変してしまった事実への私の青臭い罪悪感は拭えない。多数の種は適応できずに絶滅するのであり、他方、一部の種はその改変速度と競うように遺伝子を変化させて生存の道を探る。私にそのダイナミクス全体が捉えきれていないのは確かだ。仰天したのは、タバコの吸い殻を持ち帰って巣のダニ除けにする鳥。そしてPCBに汚染された湾で生き抜く生物。目を皿にして会社の周りを毎朝掃除する私は何なのだろう。
環境に関して、良くない話ばかりなので、明るい気分になりたくてこの本を選んだけれど、失敗かな。「人為性の急変的進化」は、人間側から言って「自然のたくましさ」と呼ぶことができるだろう。たくましいとは思うけれど、人間がコンクリートの床より木の床に触れて安心するように、鳥だってワイヤーハンガーの巣より木枝の巣の方が、ラップがへばりついた残飯より柿の実の方が、健やかに生きられるんじゃないかと思う。
都市の庭は、多くの種の微小生息地として、それぞれは小さくとも生態系は豊かだという。しかも建物や道路によって生息域が分断されることにより、庭によって動植物相は完全に異なる。そう考えることは、星の数ほどの生態系が身近にあるようで嬉しくなる。先日、亡き祖母の庭を潰す作業をした。祖母が長年にわたって生ごみをぽいぽい投げ捨てていた庭の土は肥料知らずながら豊かで、土と植物の断片からはふくよかな良い匂いがした。小宇宙をひとつ壊したような切なさを、仕方ないものとしてぐっと抑え込んだ。
読了日:02月07日 著者:メノ スヒルトハウゼン


江戸川乱歩受賞作。特殊設定下の本格には違いない。中国武術の修練の末に得た、凡人には不可能なスキルが、犯人を絞り込む手掛かりになるあたり、中国武術を習う者の端くれとしても面白い。内功が剣に流れ込むイメージは練習に使えそうな気がするな、うん。しかし、、、露骨な百合が私には邪魔。人物を置いていったら、そういう関係が必要になってしまったかもしれないけれど、もう少し秘めた感じでもよかったんじゃないかなあ。それと、泰隆のイメージが十二国記の尚隆に重なってしまったんだが、なんか似すぎてやいないかと勘繰るのは穿ちすぎか。
読了日:02月04日 著者:桃野 雑派

「藪の中」が好きな身には不興な対談。何故だ面白いのに。いとう氏と奥泉氏が評価しない理由は、原典とされる『今昔物語集』に対して、平面的で人間の掘り下げが無いただのストーリーだからだそうだ。そうだろうか? 若い頃から芥川を読んで悶々としていた私には、「藪の中」の三人の証言に見え隠れする人間の業が、今回改めて聴いた青空朗読の声の裏に凝るようでやはり面白かった。私は三人とも嘘をついていると解釈している。他者に対して嘘をつかせるもの、三者それぞれに理由がある。一人称だから書ける。このシリーズは私に合いそうにないな。
読了日:02月02日 著者:奥泉光,いとうせいこう

注:

2022年02月01日
2022年1月の記録
お腹がすいたなあ、と感じると、手近な食べ物をとりあえず口に入れてやりすごしたり、視界に入る食べ物をつい買ってしまうような行為を取る。
本を読む時間を満足に取れないと、本読みたさに苛々し、穴埋めとばかり本をまとめ買いしたりする。
食べ物同様、本を買っただけでは当然だめで、読まない限り満たされないのであり、期待に外れた本だとやはり満たされず、飢えている。
本棚には読むべき本がこんなに積みあがっているというのに。
厄介なものよ。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用14,559円。
読了11冊。
積読本304冊(うちKindle本137冊、Honto本14冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:10
私たちはいつまで危険な場所に住み続けるのかの感想
住む場所を選べるなら、リスクは最低限にしたい。しかし日本人の半分は洪水氾濫区域に居住している。行政がハザードマップに特別警戒区域や警戒区域を策定しても、既に人々が住んでいる地域を居住誘導区域から除くと町が成り立たなくなる。豪雨の増加とさらなる人口の流入により、浸水想定区域内の浸水被害件数は今後も増えるとあれば、各種保険料も上がるのだろう。そして策定に盛り込みきれないリスクもあると言い、もう、最終的には自分で判断するしかないが、どうすればよいものか頭を抱える。真備や熱海ほか、直近の災害についても詳しい。
読了日:01月31日 著者:木村駿,真鍋政彦,荒川尚美
地底旅行 (角川文庫)の感想
久しぶりにわくわくする読書だった。当時のフランス人にとって、アイスランドはどのくらい遠い地だったろうか。現代の私にとってもアイスランドは遠い地だけれど、Google Earthで海岸線をたどってみたり、放たれた馬を眺めてみたり、郊外の荒涼とした野は、アスファルト舗装以外は当時とあんまり変わらないのだろう。そして奇想天外な冒険譚! これを読んで冒険家や地質学者、古生物学者を目指す少年が多発したことだろう。世界には知らないことがたくさんあると気づくことは、身の内にこんなにも活力を生むことなんだと思い出した。
読了日:01月31日 著者:ヴェルヌ
献灯使 (講談社文庫)の感想
壊滅的な過ちを犯し、国外との交信を絶った日本。ディストピア、なのだろう。しかしある面において私は、この世界が羨ましくも思ったのだ。日本国と日本人に未来が無いことが白日の下に明らかになり、希望がないという共通認識を持つ者どうしが、生きられるだけ生きんとする世界。現状を自らの罪と断罪し、若者を失う痛みを受け入れ、江戸に回帰するような日々は淡々と穏やかに進んでゆくだろう。いっこうに死ねないのは嫌だけれど。世界はもっと善くあるべきと、もがくことに私は疲れているのかもしれない。「不死の島」は「献灯使」と表裏か。
フクシマ原発事故の衝撃をなんとか嚥下しようと咀嚼するような連作。「彼岸」では原爆による被爆の地獄絵図が再現される。日本を離れなければ生き延びることができない世界では、日本人たちは難民として大陸に渡る。ここでは「日本沈没」を連想する。現代の日本人は意味もなくヘイトした地で、難民として生きていくことはできるのだろうか。戦前戦後の相似形だ。そんな日がひょっとしたらくるのかと思ったり、そうはいっても日本人はこれまで数多の災害をなんとかかんとか生き延びてきたのだしと思ったり、嚥下もままならないまま、忘れるのか。
読了日:01月30日 著者:多和田 葉子
夜釣の感想
青空朗読で聴いた後、青空文庫で読んだ。泉鏡花は、音読を念頭に置いて文章を書いていないように思う。文章を読んでいても、途中で文脈が切り替わっているのに気づいて戻ること度々だからだ。しかし、夜の空が妖しくなる様子や、子供たちの不可解な様子は、聴いていて背筋がぞっと寒くなるような凄みがあって、聴いてみるのも面白いなあと、読み返しながら思ったことだった。言葉選びに既に世界観があるからかしら。初出表題は「鰻」。末尾の山東京伝はなにか所以あってだろうか?
読了日:01月29日 著者:泉 鏡花
FOOTPRINTS(フットプリント) 未来から見た私たちの痕跡の感想
例えば1000年後。地面を掘ったら、中世の石畳のようにアスファルトが、貝塚のように埋立ゴミが、地中や海底にビルが立ち現れる。それらが、私たちが未来に残す足跡だ。著者はイギリスの文学の教授なので、見聞きしたものから連想された古典から現代詩まで、古今東西の著作の引用が多いあたりが他のノンフィクションと違う。回りくどくも感じる一方、情報だけでない、練られた言葉による比喩や情緒まで書き込まれることで、私の気持ちにもさざ波をおこし、生身の人間の感覚、未来への想像力を働かせることを許される。
原発の使用済み燃料、つまり核廃棄物はおそらく最も長く残る私たちの足跡だ。地中深くに埋める取組みが世界では既に始まっている。アメリカでは埋設地を掘らないよう石碑に警告を、言語のほか表象、苦悶の顔などで彫り込んだ。フィンランドでは太古にできた岩盤上に深く埋め、目印をあえて残さない方策を取った。核廃棄物は400年も経てば天然鉱物同等の危険度に減衰するという。そしていずれ都市も消え去る。海面上昇や地盤変動で、海の近くで地の利を得て発達した大都市はその頃には海に沈んでいるだろう。沈むのは南洋の島だけじゃあない。
読了日:01月15日 著者:デイビッド・ファリアー
おうち避難のための マンガ 防災図鑑の感想
私が平均寿命まで日本で生きたなら、それまでに少なくとも2、3の甚大災害を目にするだろうし、自身も平時と違う被災状態に置かれる事態は想像に難くない。当然、日本において防災対策は他人事でない。この手の心構え本は多数あるも、東日本大震災をはじめ、数多の大災害を経て、つまりたくさんの人の被災経験を集成して、ずいぶんアップデートされている。ありがたく備えさせていただく。さらに新型コロナにより、分散避難、特に在宅避難が重視されている。百均の多用が気に入らないが、備えへのハードルを下げさせるためには致し方ないだろう。
読了日:01月10日 著者:草野かおる
選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記の感想
マイク納めの時、場に満ちていたのは希望だった。小川家の人々を囲んで、私たちはひと時安堵し、未来を想った。裏でそんな事件が起きていたなんて知らなかった。妻・娘タスキの件だ。明子さんと娘さんたちを家父長制を思わせるタスキで表わすのはおかしいと和田さんが伝えたという。なんかもう、想像して泣けた。今の香川県で、高齢に偏った有権者に受け入れてもらうために、小川家の人々はドブ板でも集会でもいろんな試みを積み重ねてきた。昨今の風潮に鑑みておかしいことくらいとっくにご存じだ。それをなんで和田さんの立ち位置から言えたのか。
清濁併せ呑む、という表現がある。小川さんはそういうの苦手だよね、というイメージが先行しているが、ある程度は合理的な判断で行動されていることが垣間見える。つまり、ポリティカルコレクトネス的にはこれが正しいけれど、細かい点ではとりあえず、今のところは、そうでない意見や方法を取り入れておいて、時宜を見て修正していくような。正しさばかりで国は動かせない。それを家族にも強いてしまうことの重たさは、小川さん自身感じておられて、ご家族皆さん共有されているように感じられる。だから…ああああもう腹が立つ!!!
読了日:01月10日 著者:和田靜香,小川淳也
100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集の感想
以前本屋で、探している本のタイトルが思い出せず、店主に思いつく限りを挙げた末に全く重ならないタイトルの本が言い当てられて、店主の慧眼と感嘆したことがある。自分の記憶のいい加減さもたいがいだった。表題を含めこれら誤タイトルには、そんなんないやろ!とつっこみたい素っ頓狂なものもあるが、人の勘違いは百人百通り。読み間違い勘違いのデータベースのみならず、概要や連想の必要な難題もあり、AIがすべてクリアできる時代はもう少し先ではないかしら。絵本も児童書も、古典も流行りものもあるから、これはたいへんだわ。
読了日:01月09日 著者:福井県立図書館
最近、地球が暑くてクマってます。 シロクマが教えてくれた温暖化時代を幸せに生き抜く方法の感想
動物を擬人化した趣向が好きでないのだけれど、読んでみると会社に置いておきたくなった。監修がしっかりしていて、メインの文章で浅く読むことも、「熊の巻」で深く知ることもできる。軽く手に取ってもらえそうだ。強調しているのは、温暖化対策は個々人の我慢に依存するものではなく、国を動かすアクションをこそ起こすべきである点だ。なぜなら二酸化炭素排出の4割を石油・石炭による発電等が占めており、個人の我慢など知れているからだ。だからといって原子力発電の増設はまっぴらごめん、なのであれば、しつこく意見表明しなければならない。
地球全体の二酸化炭素濃度は一次関数的に上昇し続けている。温暖化がガスの影響と言われ始めて以降、2020年に至るまで、である。つい最近まで懐疑派だった私につべこべ言う資格は無いのだけれど、この温暖化はもう止まらないのではないか、臨界点は既に越えつつあるのではないかという感覚が拭えない。しかしそれは無根拠な感覚的なものであって、論理的ではない。無責任と反省した。目の前の現象を平易な目で見守り、確かな分析を追わなければならない。
シロクマは、温暖化が進めばどのみち生きていくことはできない。種を守るために動物園のシロクマに生きてもらわなければなんて悪い冗談だ。
読了日:01月08日 著者:水野敬也,長沼直樹
You are what you read あなたは読んだものに他ならないの感想
理屈ぽくて皮肉屋で真面目で、近くにいたら面倒くさそうな服部文祥が、読むほどになんだか愛すべきキャラに思えてきたのだ。極限状態の中に、服部文祥は生きることの謎を解く鍵を探す。自らの極限体験では飽き足らず、他人の極限である状況と言葉を覗き見て、本質に触れたい欲求はわかるように思う。答えは一向に得られないけれど。『自然界で起こったことは信じる信じないではなく、受け入れるか受け入れないかだ。セメントに囲まれて暮らしている我々が、動物の奥深い能力や自然のありようにまで、人間の常識を当てはめるべきではない』は至言だ。
昨年末は特に年賀状の支度をしたくなくて、ずるずると今日に至り、ええ歳こいて年始早々に不義理をした。本の中で服部文祥が、登山に行ったら事故で帰ってこないかもしれない、それを思うので登山の予定を挟んだちょっと先の約束すら嫌だったというようなことを書いていて、思い当たった。ああ、私は去年、人や猫の生き死ににたくさん出会って、今このときのことで手一杯な日々を乗り越えてこなして、見知らぬ来年のことなどもう考えたくなかったのだと。年賀状は自分にも相手にも「今年」がある前提の遣り取りで、その儚さが辛かったのだ。
読了日:01月07日 著者:服部文祥
注:
は電子書籍で読んだ本。
本を読む時間を満足に取れないと、本読みたさに苛々し、穴埋めとばかり本をまとめ買いしたりする。
食べ物同様、本を買っただけでは当然だめで、読まない限り満たされないのであり、期待に外れた本だとやはり満たされず、飢えている。
本棚には読むべき本がこんなに積みあがっているというのに。
厄介なものよ。
<今月のデータ>
購入12冊、購入費用14,559円。
読了11冊。
積読本304冊(うちKindle本137冊、Honto本14冊)。

1月の読書メーター
読んだ本の数:10

住む場所を選べるなら、リスクは最低限にしたい。しかし日本人の半分は洪水氾濫区域に居住している。行政がハザードマップに特別警戒区域や警戒区域を策定しても、既に人々が住んでいる地域を居住誘導区域から除くと町が成り立たなくなる。豪雨の増加とさらなる人口の流入により、浸水想定区域内の浸水被害件数は今後も増えるとあれば、各種保険料も上がるのだろう。そして策定に盛り込みきれないリスクもあると言い、もう、最終的には自分で判断するしかないが、どうすればよいものか頭を抱える。真備や熱海ほか、直近の災害についても詳しい。
読了日:01月31日 著者:木村駿,真鍋政彦,荒川尚美

久しぶりにわくわくする読書だった。当時のフランス人にとって、アイスランドはどのくらい遠い地だったろうか。現代の私にとってもアイスランドは遠い地だけれど、Google Earthで海岸線をたどってみたり、放たれた馬を眺めてみたり、郊外の荒涼とした野は、アスファルト舗装以外は当時とあんまり変わらないのだろう。そして奇想天外な冒険譚! これを読んで冒険家や地質学者、古生物学者を目指す少年が多発したことだろう。世界には知らないことがたくさんあると気づくことは、身の内にこんなにも活力を生むことなんだと思い出した。
読了日:01月31日 著者:ヴェルヌ


壊滅的な過ちを犯し、国外との交信を絶った日本。ディストピア、なのだろう。しかしある面において私は、この世界が羨ましくも思ったのだ。日本国と日本人に未来が無いことが白日の下に明らかになり、希望がないという共通認識を持つ者どうしが、生きられるだけ生きんとする世界。現状を自らの罪と断罪し、若者を失う痛みを受け入れ、江戸に回帰するような日々は淡々と穏やかに進んでゆくだろう。いっこうに死ねないのは嫌だけれど。世界はもっと善くあるべきと、もがくことに私は疲れているのかもしれない。「不死の島」は「献灯使」と表裏か。
フクシマ原発事故の衝撃をなんとか嚥下しようと咀嚼するような連作。「彼岸」では原爆による被爆の地獄絵図が再現される。日本を離れなければ生き延びることができない世界では、日本人たちは難民として大陸に渡る。ここでは「日本沈没」を連想する。現代の日本人は意味もなくヘイトした地で、難民として生きていくことはできるのだろうか。戦前戦後の相似形だ。そんな日がひょっとしたらくるのかと思ったり、そうはいっても日本人はこれまで数多の災害をなんとかかんとか生き延びてきたのだしと思ったり、嚥下もままならないまま、忘れるのか。
読了日:01月30日 著者:多和田 葉子

青空朗読で聴いた後、青空文庫で読んだ。泉鏡花は、音読を念頭に置いて文章を書いていないように思う。文章を読んでいても、途中で文脈が切り替わっているのに気づいて戻ること度々だからだ。しかし、夜の空が妖しくなる様子や、子供たちの不可解な様子は、聴いていて背筋がぞっと寒くなるような凄みがあって、聴いてみるのも面白いなあと、読み返しながら思ったことだった。言葉選びに既に世界観があるからかしら。初出表題は「鰻」。末尾の山東京伝はなにか所以あってだろうか?
読了日:01月29日 著者:泉 鏡花


例えば1000年後。地面を掘ったら、中世の石畳のようにアスファルトが、貝塚のように埋立ゴミが、地中や海底にビルが立ち現れる。それらが、私たちが未来に残す足跡だ。著者はイギリスの文学の教授なので、見聞きしたものから連想された古典から現代詩まで、古今東西の著作の引用が多いあたりが他のノンフィクションと違う。回りくどくも感じる一方、情報だけでない、練られた言葉による比喩や情緒まで書き込まれることで、私の気持ちにもさざ波をおこし、生身の人間の感覚、未来への想像力を働かせることを許される。
原発の使用済み燃料、つまり核廃棄物はおそらく最も長く残る私たちの足跡だ。地中深くに埋める取組みが世界では既に始まっている。アメリカでは埋設地を掘らないよう石碑に警告を、言語のほか表象、苦悶の顔などで彫り込んだ。フィンランドでは太古にできた岩盤上に深く埋め、目印をあえて残さない方策を取った。核廃棄物は400年も経てば天然鉱物同等の危険度に減衰するという。そしていずれ都市も消え去る。海面上昇や地盤変動で、海の近くで地の利を得て発達した大都市はその頃には海に沈んでいるだろう。沈むのは南洋の島だけじゃあない。
読了日:01月15日 著者:デイビッド・ファリアー


私が平均寿命まで日本で生きたなら、それまでに少なくとも2、3の甚大災害を目にするだろうし、自身も平時と違う被災状態に置かれる事態は想像に難くない。当然、日本において防災対策は他人事でない。この手の心構え本は多数あるも、東日本大震災をはじめ、数多の大災害を経て、つまりたくさんの人の被災経験を集成して、ずいぶんアップデートされている。ありがたく備えさせていただく。さらに新型コロナにより、分散避難、特に在宅避難が重視されている。百均の多用が気に入らないが、備えへのハードルを下げさせるためには致し方ないだろう。
読了日:01月10日 著者:草野かおる

マイク納めの時、場に満ちていたのは希望だった。小川家の人々を囲んで、私たちはひと時安堵し、未来を想った。裏でそんな事件が起きていたなんて知らなかった。妻・娘タスキの件だ。明子さんと娘さんたちを家父長制を思わせるタスキで表わすのはおかしいと和田さんが伝えたという。なんかもう、想像して泣けた。今の香川県で、高齢に偏った有権者に受け入れてもらうために、小川家の人々はドブ板でも集会でもいろんな試みを積み重ねてきた。昨今の風潮に鑑みておかしいことくらいとっくにご存じだ。それをなんで和田さんの立ち位置から言えたのか。
清濁併せ呑む、という表現がある。小川さんはそういうの苦手だよね、というイメージが先行しているが、ある程度は合理的な判断で行動されていることが垣間見える。つまり、ポリティカルコレクトネス的にはこれが正しいけれど、細かい点ではとりあえず、今のところは、そうでない意見や方法を取り入れておいて、時宜を見て修正していくような。正しさばかりで国は動かせない。それを家族にも強いてしまうことの重たさは、小川さん自身感じておられて、ご家族皆さん共有されているように感じられる。だから…ああああもう腹が立つ!!!
読了日:01月10日 著者:和田靜香,小川淳也

以前本屋で、探している本のタイトルが思い出せず、店主に思いつく限りを挙げた末に全く重ならないタイトルの本が言い当てられて、店主の慧眼と感嘆したことがある。自分の記憶のいい加減さもたいがいだった。表題を含めこれら誤タイトルには、そんなんないやろ!とつっこみたい素っ頓狂なものもあるが、人の勘違いは百人百通り。読み間違い勘違いのデータベースのみならず、概要や連想の必要な難題もあり、AIがすべてクリアできる時代はもう少し先ではないかしら。絵本も児童書も、古典も流行りものもあるから、これはたいへんだわ。
読了日:01月09日 著者:福井県立図書館

動物を擬人化した趣向が好きでないのだけれど、読んでみると会社に置いておきたくなった。監修がしっかりしていて、メインの文章で浅く読むことも、「熊の巻」で深く知ることもできる。軽く手に取ってもらえそうだ。強調しているのは、温暖化対策は個々人の我慢に依存するものではなく、国を動かすアクションをこそ起こすべきである点だ。なぜなら二酸化炭素排出の4割を石油・石炭による発電等が占めており、個人の我慢など知れているからだ。だからといって原子力発電の増設はまっぴらごめん、なのであれば、しつこく意見表明しなければならない。
地球全体の二酸化炭素濃度は一次関数的に上昇し続けている。温暖化がガスの影響と言われ始めて以降、2020年に至るまで、である。つい最近まで懐疑派だった私につべこべ言う資格は無いのだけれど、この温暖化はもう止まらないのではないか、臨界点は既に越えつつあるのではないかという感覚が拭えない。しかしそれは無根拠な感覚的なものであって、論理的ではない。無責任と反省した。目の前の現象を平易な目で見守り、確かな分析を追わなければならない。
シロクマは、温暖化が進めばどのみち生きていくことはできない。種を守るために動物園のシロクマに生きてもらわなければなんて悪い冗談だ。
読了日:01月08日 著者:水野敬也,長沼直樹

理屈ぽくて皮肉屋で真面目で、近くにいたら面倒くさそうな服部文祥が、読むほどになんだか愛すべきキャラに思えてきたのだ。極限状態の中に、服部文祥は生きることの謎を解く鍵を探す。自らの極限体験では飽き足らず、他人の極限である状況と言葉を覗き見て、本質に触れたい欲求はわかるように思う。答えは一向に得られないけれど。『自然界で起こったことは信じる信じないではなく、受け入れるか受け入れないかだ。セメントに囲まれて暮らしている我々が、動物の奥深い能力や自然のありようにまで、人間の常識を当てはめるべきではない』は至言だ。
昨年末は特に年賀状の支度をしたくなくて、ずるずると今日に至り、ええ歳こいて年始早々に不義理をした。本の中で服部文祥が、登山に行ったら事故で帰ってこないかもしれない、それを思うので登山の予定を挟んだちょっと先の約束すら嫌だったというようなことを書いていて、思い当たった。ああ、私は去年、人や猫の生き死ににたくさん出会って、今このときのことで手一杯な日々を乗り越えてこなして、見知らぬ来年のことなどもう考えたくなかったのだと。年賀状は自分にも相手にも「今年」がある前提の遣り取りで、その儚さが辛かったのだ。
読了日:01月07日 著者:服部文祥
注:

2022年01月06日
2021年の総括
2021年、読んだ本の冊数は185冊。
購入費用239,230円。
積読本301冊(うちKindle本136冊、Honto本14冊)。
もはや使命のように、本を買い込み続けている。
去年はまた書籍代の最高額を更新した。
積読本の棚はこうなった。

本は、買ったからといって読み切れなくても良いと思う。
真剣に向きあわなければならないのは、それが我が身の丈に合っているかどうかである。
…正直なところ、合っていない。
量をこなそうと読み飛ばして深みを損なうのであれば、本末転倒だ。
今年のお題は「You are what you read」にした。
あなたは読んだものに他ならない。服部文祥の本の表題からもらった。
関心が増え、また深まれば、読みたい本は増えて当然である。
それが自分に何らかの意味を与える本だと思ったなら、見合う深度で読みたい。
2022年も良い本に出会えますように。

2021年、私に影響を与えた本たち。
読書メーターのページはこちら。
<知らないことはまだまだたくさんあるのだなあ>
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺 京二
中国はここにある 梁 鴻
ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見 遠藤 公男
逆転の大中国史 ユーラシアの視点から 楊 海英
その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books) 嘉悦 洋
先祖返りの国へ 日本の身体‐文化を読み解く エバレット ブラウン,エンゾ早川
<知識があれば暮らしはより深くなる>
RANGE(レンジ)知識の「幅」が最強の武器になる デイビッド・エプスタイン
症例から学ぶ和漢診療学 寺澤 捷年
決定版 犬・猫に効くツボ・マッサージ 指圧と漢方でみるみる元気になる シェリル・シュワルツ
無農薬で安心・ラクラク はじめての手づくりオーガニック・ガーデン (PHPビジュアル実用BOOKS) 曳地 トシ,曳地 義治
<遠からず来る未来>
ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論 デヴィッド・グレーバー
本当に君は総理大臣になれないのか (講談社現代新書) 小川 淳也,中原 一歩
いまこそ税と社会保障の話をしよう! 井手 英策
富士山噴火と南海トラフ 海が揺さぶる陸のマグマ (ブルーバックス) 鎌田 浩毅
老いた家 衰えぬ街 住まいを終活する (講談社現代新書) 野澤 千絵
<面白い小説にたくさん出会った>
神無き月十番目の夜 (小学館文庫) 飯嶋 和一
同志少女よ、敵を撃て 逢坂 冬馬
曾根崎心中 角田 光代,近松 門左衛門
地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険 そえだ 信
購入費用239,230円。
積読本301冊(うちKindle本136冊、Honto本14冊)。
もはや使命のように、本を買い込み続けている。
去年はまた書籍代の最高額を更新した。
積読本の棚はこうなった。

本は、買ったからといって読み切れなくても良いと思う。
真剣に向きあわなければならないのは、それが我が身の丈に合っているかどうかである。
…正直なところ、合っていない。
量をこなそうと読み飛ばして深みを損なうのであれば、本末転倒だ。
今年のお題は「You are what you read」にした。
あなたは読んだものに他ならない。服部文祥の本の表題からもらった。
関心が増え、また深まれば、読みたい本は増えて当然である。
それが自分に何らかの意味を与える本だと思ったなら、見合う深度で読みたい。
2022年も良い本に出会えますように。

2021年、私に影響を与えた本たち。
読書メーターのページはこちら。
<知らないことはまだまだたくさんあるのだなあ>






<知識があれば暮らしはより深くなる>




<遠からず来る未来>





<面白い小説にたくさん出会った>



